マラリア・キャリー。

(25/1/9-25/1/28)

Blog Version

1月28日

BEETHOVEN
Missa solemnis
Chen Reiss(Sop)
Varduhi Abrahamyan(MS)
Daniel Behle(Ten)
Tareq Nazmi(Bas)
Jérémie Rhorer/
Audi Jugendchorakademie(by Martin Steidler)
Le Cercle de l'Harmonie
ALPHA/ ALPHA1111


ジェレミー・ローレル指揮のピリオドオーケストラ、レ・セルクル・ドゥ・ラルモニーの演奏は、モーツァルトのオペラなどで何度か聴いたことがありました。なかなか斬新な音楽を作ってくれる団体だという印象がありましたね。それが、今回はベートーヴェンという、少し後の時代の作曲家に挑戦、曲は「ミサ・ソレムニス」です。
この曲は、ベートーヴェンの後期の名曲と言われ、あの「交響曲第9番」とも並び称されることもありますね。まあ、演奏時間と言い、合唱とソリストが入っている編成と言い、確かにスケールの大きさはいずれの曲にも共通していますね。ですから、当然、演奏の難度も共通しています。「第9」では、オーケストラのパートも合唱のパートも、これまでに何度も演奏したことがありますが、その難しさは群を抜いていたような記憶があります。特に合唱パートでは、とんでもない高い音が出てきたりするので、大変でしたね。なんたって、ベースのパートでも高い「ミ」の音が要求されますから、気の毒になってくるほどです。実際、この合唱パートを完璧に演奏していたものは、ほとんど聴いたことがありません。
「ミサ・ソレムニス」でも、事情は変わりません。実際に演奏したことこそありませんが、合唱を歌ったことのある人は、口をそろえて「大変だった」と言っていましたからね。
今回のアルバムでそのパートを担っているのは、「アウディ青年合唱アカデミー」という団体です。その名の通り、自動車メーカーのアウディの後押しによって設立された合唱団で、メンバーは「青年」に限られています。ドイツを中心に、オーケストラとの共演を続けてきましたが、今回この「ミサ・ソレムニス」によって初めてフランスのオーケストラと指揮者との共演によるフランス・デビューを果たしたのだそうです。
このライブ録音でのメンバーは76人ほど、かなりの大人数です。ただ、やはりまだまだ伸び盛りの子供たちですから、ソプラノあたりにはこの曲のパートはかなり大変そうなのが、聴いていてはっきり伝わってきますね。明らかにピッチも上がり切れなくて、無残なことになっていました。この曲の難しさが、もろに出てきてしまっていたのです。ただ、それほど高い声を出さなくてもよい部分では、とてもピュアな響きを聴くことも出来るのですから、こんなことになったのはベートーヴェンのせいだ、ということにしておきましょう。
それと、この録音にもちょっと問題がありました。その時の写真がブックレットには載っていますが、それを見るとマイクはほとんどワンポイントという感じで、天井から吊ったものしか使われていないようですね。ですから、特にソリストたちの声があまり拾われておらず、とても不自然なバランスになっていましたね。
その代わり、オーケストラの金管楽器やティンパニは、とても威勢よく聴こえてきますから、全体のサウンドとしてはとても派手なものにはなっているのですが。
確かに、指揮者のローレルが作ろうとしている音楽は、とても引き締まった、颯爽としたところのあるものでした。テンポもかなり速め、「Gloria」の最初の部分などは、とても気持ちの良い流れが出来ていました。そして、合唱団も、ピッチはともかく、ダイナミクスに関しては、とても細かいところで強弱の変化を徹底させているあたりは、好感が持てます。
そして、「Sanctus」では、「Benedictus」に変わる前に、かなり長いオーケストラの部分があるのですが、そこでの繊細な感じがとても美しく表現されていたのではないでしょうか。ただ、ちょっと残念だったのは、そこで演奏される長いヴァイオリン・ソロが、最初のうちはオーケストラに合わせてノン・ビブラートで弾いているのですが、次第にビブラートが目立ってきたことです。まあ、そもそもソプラノのソリストあたりは、びしゃびしゃのビブラートをかけていますから、オーケストラとの違和感はありました。

CD Artwork © Alpha Classics / Outhere Music


1月26日

GARDENS
Harp Trio Chagall
 Adriana Cioffi(Hp)
 Catello Coppola(Fl)
 Simone De Pasquale(Va)
STRADIVARIUS/STR 37244


ドビュッシーの「フルート、ヴィオラ、ハープのためのソナタ」と同じ編成の曲を集めた、最新アルバムです。演奏しているのは、いずれもイタリアの若い演奏家たちです。それまでは、それぞれ別のところで演奏していたのですが、彼らは、「ハープ・トリオ・シャガール」という名前で、2019年にこのアルバムのためのプロジェクトを始めました。このジャケットには、その名前の由来となったシャガールの作品をコラージュしたものが描かれています。
パンデミックのためにその活動は中断されていましたが、2024年にアルバムは完成しました。
この編成の代表曲、ドビュッシーの「ソナタ」から、曲は始まります。まず、そのハープの音色の、あまりのまろやかさに驚かされました。それに続くフルートも、なんというソフトな音色なのでしょう。これまでに数多くの演奏を聴いてきましたが、これほど心にすんなりと入ってくるフルートは初めてです。さらに、その後のヴィオラも、高音のなんという甘い響きでしょう。ほとんどヴァイオリンと変わらないように聴こえます。
そんな3人の作り出す音楽は、本当に共感できるものでした。それぞれに素晴らしい音色を披露してくれている上に、アンサンブルも見事、これまで聴いてきたこの曲の中ではベストなのではないか、という気すらしてきました。
それが、最後の楽章になった時に、ヴィオラが突然スル・ポンティチェロで弾きだしたのには驚きました。今まで、そんな録音は聴いたことがありませんでしたから。でも、楽譜を見ると、ちゃんとそのような指示が書いてありました。

フランス語で「sur le chevelet」、「駒の上で」ですから、さっきのイタリア語の「sul ponticello」と同じことですね。一応カッコに入っていますから、やらなくてもいいのかもしれません。でも、ここでは本気でやってましたから、まるでノイズのように聴こえます。
そして、次の曲は武満徹が、ドビュッシーへのオマージュとして作った「そして、それが風であることを知った」です。ドビュッシーからの引用もある、いかにも武満らしいトーンの曲ですが、これも見事な演奏でした。
それ以降は、珍しい曲が続きます。もちろん、いずれもフルート、ヴィオラとハープのための作品です。まずは、ジョリヴェの「小組曲」です。珍しい曲ですが、こちらで聴いたことはありました。それぞれ2〜3分の小さな曲が5曲集められた、ジョリヴェにしてはあっさりした感じの曲が集まっている組曲です。ダンスや、牧歌的な曲が並びます。最後の曲はピッコロに持ち替えでのダンスですが、カテッロ・コッポラのコッピロ、いやピッコロはあり得ないほどの正確なピッチで驚かされます。
そして、最後の2曲は「現代曲」が並びます。まずは、最近お亡くなりになったフィンランドの作曲家サーリアホの「新しい門」という曲です。1996年に作られたバレエのための音楽なのだそうです。ヴィオラが、ここでは思い切り、先ほどのドビュッシーのスル・ポンティチェロを炸裂させています。こちらは、ほとんどノイズという、この奏法の本来の形ですね。フルートは、フラッター・タンギングとポルタメントぐらいの「特殊奏法」はありますが、それほどの変わった奏法が使われているわけではありません。でも、曲の真ん中あたりからは頻繁に息音とか、声を出すようなパフォーマンスも加わってきます。そのあたりは、ちょっと緊張を強いられます。でも、エンディングは超ピアニシモで変ロ長調のアコードがささやかれるのが、サプライズ。
そして、最後はロシアの作曲家、グバイドゥーリナの「Garten von Freuden und Traurigkeiten(喜びと悲しみの庭/これがタイトルの由来)」という、1980年の作品です。ハープのチョーキング(そんなことが出来るのかどうかは分かりません)という珍しい奏法で始まります。そして、フルートは龍笛、ヴィオラは胡弓、ハープはお琴を模倣した奏法まで披露してくれます。それぞれの楽器が長いソロを聴かせてくれるのも、面白いですね。フルートのコッポラは、変な「現代風」の奏法ではなく、きっちり美しいフルートの音をキープしてくれているのが、とてもうれしいです。

CD Artwork © Milano Dischi s.r.l.


1月24日

Boulez conducts Ravel
Pierre Boulez/
New York Philharmonic
DUTTON/2CDLX 7414(hybrid SACD)


半年ぶりに、イギリスのヒストリカル・レーベルのDUTTONの、「4チャンネル」の音源によるハイブリッドSACDの新譜が出ました。
その中に、ブーレーズがCOLUMBIA(現在のSONY)との録音契約をしていたころのアルバム、「ブーレーズ・コンダクツ・ラヴェル」があったので、入手しました。
LP時代には、こういうタイトルのアルバムは、一応3枚ありました。最初のものには別に「Vol.1」という表記はなかったので、続編を作ることは考えていなかったのかもしれませんね。それは、クリーヴランド管弦楽団を指揮したもので、「ダフニスとクロエ第2組曲」などが入っていました。
ただ、録音されたのは1969年から1970年にかけてなので、まだ「4チャンネル」による録音は行われていなかったのでしょう、今回のSACDにはそれは入っていません。ですから、ここでは「Vol.2」(1973年録音)と「Vol.3」(1974年録音)しかSACDにはなっていません。

Vol.2


Vol.3

もちろん、初出はLPでしたから、それをCDにするときには、ポップスの場合だと2枚のアルバムがまるまる1枚に収まってしまいます。ただ、今回の2枚は、演奏時間を合計すると89分になってしまうので、ギリギリで1枚には収まらず、2枚組になってしまい、値段も1枚よりは高くなっていましたね。いっそのこと、ステレオだけでも「Vol.1」も入れてくれればよかったのに(ゴールウェイのアルバムにそういうのがありました)。
というより、以前こちらでご紹介した、2010年にSONYからリリースされた今回のアルバムと同じジャケットのコンピレーションCDでは、その「Vol.3」の曲に、ボーナス・トラックとして「Vol.1」から「スペイン奇想曲」と、1983年にリリースされたコンピレーションアルバムに入っている「ボレロ」がプラスされていました。
この「ボレロ」は、「Vol.3」と同じ時期、1974年の12月に録音されていたのですが(「Vol.3」は同じ年の2月)、そのアルバムには入れられず、そのコンピで初めて日の目を見たのですね。
余談ですが、このコンピの他のトラックは「古風なメヌエット」と「ラ・ヴァルス」という「Vol.3」のコンテンツと、「ダフニスとクロエ第2組曲」となっています。ところが、その「ダフニス」は、「Vol.1」に入っていたテイクではなく、1975年に録音された全曲盤(↓)から、組曲に相当する部分を切り取ったものなのですね。
それまであった組曲はクリーヴランド管弦楽団とのもの(「Vol.1」)だったので、ニューヨーク・フィルのものを入れたかったのでしょう。
ということなので、今回のSACDにはせめて、その同じ時期に録音された「ボレロ」ぐらいは入れて欲しかったものです。というか、てっきり「ボレロ」は入っているものと思っていて、現物にはなかったのでがっかりしてしまいました。
ですから、ここでは「Vol.2」と「Vol.3」とがまったくそのまま2枚のSACDになっています。つまり、1枚目には. 「海原の小舟」、「高雅で感傷的なワルツ」、「クープランの墓」、2枚目には「ラ・ヴァルス」、「古風なメヌエット」、「マ・メール・ロワ」が入っています。
まずは、CDと比較するために2枚目から聴いてみました。何より驚いたのが、音圧がCDよりはるかに高いことです。「ラ・ヴァルス」の冒頭のコントラバスのピチカートが、CDではほとんど聴こえませんでしたからね。その部分は、SACDではリアの右から、明瞭に聴こえてきます。それに呼応するファゴットも、やはりリアの、こちらは左から聴こえてきます。つまり、木管群がそのあたりに定位しているのですね。
そこでのフルートなどは、ものすごくリアルに聴こえますから、もうマスターテープの劣化がもろにわかってしまいますね。それに対してフロントに定位している弦楽器は、CDよりも存在感がある聴こえ方がします。
それが、1枚目になると、木管の位置がフロントになっていました。エンジニアは同じなので、この頃はまだまだ4チャンネルに対しては試行錯誤が多かったのでしょうね。あるいは、ここでは「マ・メール・ロワ」でオーボエ・ソロのハロルド・ロンバーグがクレジットされていますから、それが後ろから聴こえてくるよりは前の方が良いということだったのかもしれませんね。なんたって主役ですから。料理の主役はハンバーグ

SACD Artwork © Vocalion Ltd


1月22日

BACH
Missae Breves
Jessica Jans(Sop/233), Noëmi Sohn Nad(Sop/234)
Lia Andres(Sop/236)
Jan Börner(CT/233, 234), Alex Potter(CT/235, 236)
Werner Güra(Ten/235, 236)
Jonathan Sells(Bas/233), Daniel Pérez(Bas/234)
Matthias Helm(Bas/235, 236)
Rudolf Lutz/
Chor und Orchester der J. S. Bach-Stiftung
J. S. Bach-Stiftung/C433


長年教会のカントルを務めていたバッハは、その教会の礼拝のために夥しいカンタータなどの宗教曲を作りました。もちろん、その中で最も数の多いジャンルは「カンタータ」ですね。とりあえず、バッハの作品をまとめた目録(BWV)では200曲カウントされていますが、実際はあと100曲ぐらいはあるのでは、と言われていますね。
もちろん、バッハが勤務していた教会は、キリスト教の中でも昔からあるカトリックではなく、「新教」という範疇のプロテスタントですから、公用語はいつも使っているドイツ語。ですから、カンタータでは、テキストはドイツ語が使われていました。
ということで、バッハはプロテスタントの礼拝で使われる、ラテン語のテキストによる「ミサ曲」などは、本当は作ってはいけなかったのでは、でも、彼には「ロ短調ミサ」という有名な作品もあるのになあ、などと思ってしまう人も多いのではないでしょうか。
でも、実際には、プロテスタントでも、ラテン語のミサ曲を演奏することは、ある程度は認められていたのだそうですね。特に、一般的には5つの部分(「キリエ」、「グローリア」、「クレド」、「サンクトゥス」、「アニュス・デイ」)から出来ているものの最初の2つ、つまり「キリエ」と「グローリア」だけで出来ている「ミサ・ブレヴィス(小さなミサ)」というものは、大っぴらに演奏しても構わないよ、と、始祖のルターさんもおっしゃっていたのだそうですね。「ラヴ・ミー・テンダー」はダメですが(それは「エルヴィス」)。ですから、この「ミサ・ブレヴィス」は「ルター派ミサ」とも呼ばれます。
そして、バッハは、その「ミサ・ブレヴィス」も作っていたのですね。もっとも有名で、テキストも全部使った「ロ短調ミサ」はBWVだと「232」ですが、その後の「233」から「236」までの4曲が、その「ミサ・ブレヴィス」なのです。
それらが作られたのは、いずれもライプツィヒ時代だと言われています。ただ、正確な年代ははっきりしていないようで、BWVの第2版とこのCDのブックレットとでは、微妙に違っていますね。いずれにしても、これらには、それ以前に「カンタータ」として作られたものがそのまま使われていますから、かなり晩年に近いのでは、という気はします。
それぞれ、演奏時間は30分以下で、すべて6曲から出来ています。1曲目は「キリエ」で合唱で歌われますが、2曲目以下の「グローリア」は、テキストがとても長いので、最初の「Gloria in excelsis Deo」と、最後、6曲目の「Cum Sancto Spiritu」は合唱、その間の3曲は、ソリストたちのアリアやデュエット、という構成になっています。まあ、教会カンタータとほぼ同じような形で、言葉だけが違っている、という感じでしょうか。
ですから、教会カンタータとの最も大きな違いは、コラールが入っていない、ということなのではないでしょうかね。いくらなんでも、プロテスタントの「売り」であるコラールをカトリックのミサで使うのはまずいでしょうからね。
と思っていたら、最初に聴こえてきたBWV233(ヘ長調)の「キリエ」では、バックにホルンとオーボエのユニゾンで、何やらコラールらしいものが聴こえてくるような気がしました。というか、そもそも、それが始まる前に、ルッツは楽譜にはないコラールプレリュードのようなものを演奏していたのですよ。ですから、それによって印象付けられたコラールが、本体の中でも見つけることが出来た、ということなのですね。そんなアプローチがあったなんて、本当にこの指揮者は油断が出来ません。
この曲だけは2本のホルンが入っているので、「Gloria」などはとても賑やかになっていましたね。
次のBWV234(イ長調)では、フルートが2本入っています。これが各所でその華やかなフレーズを披露してくれていますから、とても楽しめますよ。最後の「Cum Sancto Spiritu」は、もうイケイケでした。
BWV235(ト短調)とBWV236(ト長調)では、テノールのヴェルナー・ギュラがとても立派なソロを聴かせてくれました。それぞれにキャラが立っている4曲の「ミサ・ブレヴィス」でしたね。BWV236でも、頭にオルガンの即興演奏などが入っていましたし。

CD Artwork © J.S. Bach-Stiftung, St.Gallen


1月20日

BRAHMS/Symphony No.1 & No.2
STRAUSS/Don Juan
沖澤のどか/
サイトウ・キネン・オーケストラ
DECCA/00048776535


昨年は、指揮者の小澤征爾さんがお亡くなりになったということで、日本中が涙に暮れていましたね。ですから、小澤さんが総監督を務めて毎年夏に松本市で開催されていた音楽祭「セイジ・オザワ松本フェスティバル」(以前は「サイトウ・キネンフェスティバル松本」という名称でしたが、小澤さんの強い希望、というか「ゴリ押し」によって2015年に名称変更)も、その主を失ったのですね。
とは言っても、最近ではこの音楽祭で小澤さん自身が指揮をすることは、彼の健康上の理由からなくなっていましたから、彼に代わって多くの客演指揮者が起用されていました。そして、昨年、2024年には沖澤のどかさんが「首席客演指揮者」になっていたのです(のどから手が出るほど欲しかったポスト?)。
ですから、昨年のフェスティバルでは、用意されていた3つのプログラムのうちの、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」と、シュトラウスの「ドン・ファン」と「4つの最後の歌」というAプログラムは沖澤さん、そして、ブラームスの交響曲ツィクルスのB、Cプログラムを、ボストン交響楽団とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のシェフを務める傍ら、ベルリン・フィルやウィーン・フィルにも定期的に共演しているという、現在最も多忙な指揮者、アンドリス・ネルソンスが指揮をする、ということになっていました。
ところが、なんと、その音楽祭の開催日直前に、ネルソンスの来日がキャンセルされてしまったのです。彼の出番のBプログラムの初日は8月16日だったのですが、その前の8月10日と11日には、ザルツブルク音楽祭でウィーン・フィルとマーラーの「9番」を演奏していたという超過密スケジュールも影響していたのかもしれませんね。
そこで、急遽その代役が立てられることになりました。いや、沖澤さんがブラームスを全曲指揮すれば済むのではないか、と思われるかもしれませんが、あいにく彼女の体調から、前半のBプログラムしか振れないということになってしまいました。さらに、彼女はオペラ(ジャンヌ・スキッキ)の指揮も予定されていたのですが、そちらも代役が立ちました。
という事情で、ツィクルス後半のCプログラムは、「3番」が下野竜也さん、「4番」がラデク・バボラークという変則的なものになってしまいました。バボラークは、自身が指揮をする曲以外は、すべて本来の1番ホルンを吹いていました。
そこで沖澤さんが指揮をしていたブラームスの「1番」と「2番」、そして「ドン・ファン」を収録した2枚組のCDが、リリースされました。もっとも、現時点ではフィジカルは国内盤のみで、ワールドワイドではデジタルのみになっているようです。
まず、「1番」を聴いてみましょうか。オープニングでは、コントラバスがフライング気味で最初の音を出すという「伝統的」なやり方で、まずは重々しさを演出していたようです。そして、ティンパニの連打がまるで鞭で叩かれているような、悲壮感を出し、いやが上にもこの曲の「暗さ」が伝わってきます。サブスクには小澤さんが同じオーケストラを指揮した録音もあったので聴いてみたら、予想通り驚くほどよく似た表情付けになっていました。この曲は、小澤とオーケストラにとっては長年演奏してきたものですから、もうメンバーの体の中にはその体験がしっかりと植え付けられているのでしょうね。ですから、沖澤さんはあえてそれには背かず、メンバーの思いをそのまま表現させているように聴こえてきます。
ただ、曲が進むにしたがって、1楽章のような重苦しい感じは、次第になくなってくるような気がします。終楽章などは、何となくあっさりしているような雰囲気も感じられました。
そして、演奏会では2曲目に演奏されていた「2番」になると、そのあっさり感は最初から出ているようでした。もちろん、作品自体のキャラクターが全く違っている、という点も差し引いての感想です。
その間に入っていたのは、Aプログラムの中の「ドン・ファン」です。ここでは、沖澤さんは堂々と自身の表現を前面に出しているようでした。ただ、ソロ・オーボエのビブラートに、なんか違和感がありましたね。

CD Artwork © DECCA Record Company Limited


1月18日

IBERT, JOLIVET & RODRIGO
Flute Concertos
Sami Junnonen(Fl)
James S. Kahane/
Helsinki Chamber Orchestra
RESONUS/RES10335


ジャック・イベール、アンドレ・ジョリヴェ、そしてホアキン・ロドリーゴのフルート協奏曲と言えば、それらのソロ・パートが、数多くのフルート協奏曲の中でも際立って難しいものとして知られています。言ってみれば、「3大超絶技巧フルート協奏曲」でしょうか。ですから、この3曲を一枚のアルバムに収めたものなどは、おそらくこれまでにはなかったのではないでしょうか。
そんな大胆なことを行ったフルーティストは、1977年生まれのフィンランド人、サミ・ユンノネンでした。そういう名前だとゆうのね。彼は、フィンランドのシベリウス音楽院、フランスのリヨン国立高等音楽院、そしてデンマーク王立音楽アカデミーで学び、2012年にヘルシンキ音楽センターでデビュー・リサイタルを開催、さらに2018年には、アメリカでヒューストン交響楽団と共演し、アメリカ・デビューを果たします。さらに、ソリストとしてだけではなく、アイスランド交響楽団、カイロ交響楽団、香港シンフォニエッタ、オークランド・フィルハーモニア管弦楽団、ロイヤル・ノーザン・シンフォニアなどのオーケストラで首席フルート奏者として参加してきたのだそうです。これらは、正規のメンバーとしてのものもあるでしょうが、おそらくエキストラとしての出演もあったのではないでしょうか。ということは、そのスキル自体は、非常に高いものがあった、ということになるのでしょう。彼は、ムラマツの24金と14金のハンドメイドの楽器を愛用しているのだそうです。
これが、彼の最近の写真。前回のパユが1970年生まれですから、ユンノネンの方がずっと若いのですが、なんか、こちらの方が貫禄がありますね。
このアルバムはイギリスのレーベルなのですが、今回のようにフィンランドのアーティストがフィンランドでレコーディングを行ったものでは、エンジニアも「地元」の人が使われているようですね。この録音に限っては、そのクオリティはそれほど高くないように思えます。なんか、ソロのフルートもオーケストラも、あまり魅力のない音なんですよね。特に、1曲目のイベールでは、オーケストラの弦楽器の人数が少ないせいか、トゥッティでのヴァイオリンなどは完全に他の楽器に埋もれてしまっていました。
そんな、ちょっと物足りない録音ではありますが、ユンノネンのフルートの素晴らしさはきっちり伝わってきます。イベールの第1楽章などは、とても細かい音符が続きますが、彼はそれらを余裕で、とてもなめらかに演奏しています。それと、ブレスをほとんどとらないで、かなり長い部分を続けて吹いていますから、聴いていてとてもスマートに感じられます。ゆっくりした第2楽章でも、あまりべたべたしないですっきりした演奏になっていました。終楽章の最後のハイFも、見事に決まっていましたね。
ジョリヴェのフルート協奏曲は2つありますが、ここでは最初に作られた弦楽合奏をバックにした作品です。ここでは、オーケストラの管楽器は全くありませんから、全体のバランスはかなり改善されていましたね。やはり、ジョリヴェと聞いて連想するおどろおどろしさのようなものは、ここではほとんど感じられない、スマートな演奏でした。
最後のロドリーゴの「田園協奏曲」は、なんと言ってもあのジェームズ・ゴールウェイのために作られた曲ですから、その難度は際立っています。第1楽章のハイ・ノートの嵐の部分など、ゴールウェイ本人でもきちんと出し切れていないようなところもありますからね。ですから、ユンノネンも、そこを完璧にクリアしている、というわけにはいかなかったようです。とは言っても、その颯爽とした吹きぶりからは、格別のエネルギーを感じることが出来ました。
この曲の魅力は、なんと言っても全体を覆うエキゾチシズムでしょう。とてもキャッチーなスペイン起源のフレーズを、超絶技巧に絡めて浮かび上がらせることによって、この曲全体がとても豊かなエンターテインメントとなってくるはずです。それを見事になしえていたユンノネンのテクニックと音楽性に、拍手です。

CD Artwork © Resonus Limited


1月16日

SOLO
Emmanuel Pahud(Fl)
WARNER/9029570175


現時点ではおそらく最も有名な現役のフルーティストは、エマニュエル・パユなのではないでしょうか。かつてはEMIのアーティストとして多くのアルバムを作ってきましたが、現在ではそのレーベルが移行したWARNERからのリリースとなっています。一応、新しいアルバムは逐一チェックしていたつもりですが、こんなアルバムが2018年にリリースされていたことには、気づきませんでした。さいわい、しっかりサブスクで聴くことができるようになっていたので、早速聴いてみました。
これは、そのタイトルで分かるように、フルートの「ソロ」の曲だけを集めたものです。ですから、もちろん演奏するのはパユただひとり、CDでは2枚組になっていて、トータルの演奏時間は2時間半もあるのですが、それが最初から最後までフルートの音しか聴こえてこない、という、ものすごいものでした。
フルート1本だけの曲というのは、たくさん存在します。有名なのはドビュッシーの「シランクス」でしょうか。フルートのことはなにも知らんくせに、この曲だけは知っている、という人は結構多いのではないでしょうか。あいにく、今回は取り上げられてはいませんが。
なんせ、ここで演奏されているのは全て1本のフルートだけのための曲ですから、そんなに長い時間がかかるものではありません。いくらフルートが好きな人でも、フルートだけを1時間も聴かされたりしたら、退屈してしまうでしょうね。その前に、演奏する人が酸欠になってしまいます。
ですから、それぞれの曲の長さは短いものが多くなっています。そして、それは27ものトラックとなっているのです。つまり、27回、別の曲を聴くことができるということですね。もちろん、同じような曲が続けばやっぱり飽きてしまいますから、ここでは、テレマンの「ファンタジー」という12の曲から出来ている曲集をそれぞれの曲の間に置いています。これはバロック時代の曲ですから、単調ではあるものの、しっかりとした構造を持った作品ですから、そのような「骨組み」としては格好なものとなっています。
そして、その間に演奏されるのが、フルーティストにとってはかけがえのないレパートリーばかり、さらに、ごく最近作られたものも加わって、もう目を見張るようなラインナップとなっています。もちろん、それを演奏するのはパユさまですから、退屈などとは無縁のはずですよ。
まず、冒頭に取り上げられているのが武満徹の最後のフルートのための作品、「エア」です。これはオーレル・ニコレのために作られたのですが、初演は別の人(日本人)でしたね。ニコレの録音もありますが、ここでのパユの演奏は、まさに「パユ節」全開、パユのファンにはたまらないでしょうね。そういえば、パユはニコレの弟子、ブックレットにはこんな写真がありました。フリーデマン・バッハのデュオでしょうか。1989年に撮られたものだと言いますから、パユはまだ19歳。
現在のパユは、こちらです。
武満の曲では、初期の作品「Voice」も演奏されています。フルートのコンクールでの課題曲にもなっているという、難しい曲ですが、さすがのパユの演奏でも今聴いて多くの人が感動する、という種類の音楽ではないということが分かってしまいます。ただ、フランス語の発音は、さすがですね。
その他の現代曲では、パユとは縁の深いマティアス・ピンチャーの作品もありました。以前こちらで聴いていたのはフルート協奏曲ですが、それと同じような作風でのソロ曲が、2013年に作られた「Beyond (a system of passing) 」という作品です。これは、さきほどの協奏曲「Transir」と同じような手法で作られていて、何しろフルートの超絶技巧のオンパレードでエネルギッシュに迫る、という曲ですから、「ほんとにご苦労さん」とは思えても、なんの感興も湧いてはきません。
ベリオの「Sequenza」やヴァレーズの「Density 21.5」のような「現代の古典」の他には、ソロのための「名曲」も揃っています。オネゲルの「めやぎの踊り」や、ニルセンの「子供たちは遊んでいる」といったシンプルな曲も、パユの手にかかるとなにか特別なもののように思えてきます。

CD Artwork © Parlophone Records Limited


1月14日

MENDELSSOHN
Sinfonie Nr.2"Lobgesang", Psalm 42"Wie der Hirsch schreit"
Michaela Maria Mayer, Katharina Hagopian(Sop)
Mark Adler(Ten)
Marcus Bosch/
Chor der vocapella
Sinfonieorchester Aachen
COVIELLO/COV 31209(hybrid SACD)


最近、COVIELLO レーベルのカタログがNMLに大量にアップされていました。そんな中に、10年以上前にリリースされたアルバムがあったのですが、ちょっと気になったので聴いてみました。フィジカルはSACDで出ていたので、音も良いはずですし。
ここでの指揮者はマルクス・ボッシュ。現在はロストック北ドイツ・フィルの音楽監督を務めていますが、それ以前、2002年から2012年までは、アーヘン交響楽団の音楽監督でした。その時期には、彼らはブルックナーの交響曲の全曲を録音していましたね。
さらに、2009年には、その年に生誕200年を迎えたメンデルスゾーンの交響曲の全曲録音も、スタートさせています。その第1弾のアルバムは、「交響曲第1番」と「交響曲第5番(宗教改革)」というカップリングでした。その際に、ブルックナーでは初稿による録音が多かったように、この第5番でも第1稿という珍しいものを使って録音していました。
つまり、この曲の場合、現在使われている楽譜は改訂された「第2稿」なのですが、その2009年に、その、最初に作られた「第1稿」のスコアがベーレンライター社から初めて出版されたのですね。校訂はクリストファー・ホグウッドです。その詳細はこちらをご覧になってください。つまり、この録音は、そのスコアを使って世界で最初に録音されたものだったのです。
その後、日本のコンサートでも、新田ユリさんとか鈴木優人さん、あるいは井ア正浩さんなどといった指揮者の方々が、この楽譜を使って演奏しているようですが、アルバムとしては、このボッシュ盤以降はリッカルド・シャイーが録音しただけで、それ以外のものがリリースされた形跡はありません。
ですから、ボッシュが、そのメンデルスゾーン・ツィクルスでは、例えば同じように改訂版が存在する「交響曲第4番」などはどの楽譜を使うのかとても興味がありました。でも、結局彼は全集を完成させる前にこのオーケストラを去ってしまいました。それは、彼にとってはとても未練のあることだったのかもしれません。ですから、彼はこのオーケストラとの最後のコンサートで、交響曲第2番を演奏したのですね。そのライブ録音が、このアルバムです。ここでは、その時に一緒に演奏された「詩編42」(谷に鹿が水を求めるように. 神よ、わたしの魂はあなたを求める)も収録されています。
交響曲第5番を第1稿で録音していたボッシュですから、この2番でももしかしたら、と思ったのですが、ここでは現行の改訂版で演奏していましたね。
まあ、そんなマニアックなことはどうでもよくなってしまうほど、この演奏と録音は素晴らしいものでした。演奏されたのは教会の中なのだそうですが、その響きが極上なんですね。この作品全体を支配するテーマ、というか、なんともベタなファンファーレが冒頭でトロンボーン・チームによって奏でられた瞬間に、もうその空間がなんとも重厚なうえに、底光りのする豊かなサウンドに包まれてしまいます。続いて、そこに弦楽器と木管が加わるのですが、その弦楽器がノン・ビブラート、もう、ピッチがぴっちりと合っていて、まるで一つの楽器のような感じで迫ってきます。
ボッシュは、そんなサウンドをきっちり保ちつつ、早めのテンポでサクサクと音楽を進めています。その爽快感はたまりません。
そんな「シンフォニア」の部分が終わると、後半のカンタータに移ります。そこで登場するのが、「Chor der vocapella(ヴォカペラ合唱団)」という、1990年にボッシュ自身が、ドイツ、オーストリア、そしてスイスからアマチュアや音大生、さらにプロのシンガーを集めて結成した合唱団です。ライブ録音ということもあって、ちょっと男声に弱さが感じられますが、合唱全体としては、オーケストラの一部として理想的なピッチ感覚で存在感を誇示していましたね。
それにしても、この作品を「交響曲」第2番と呼ぶ悪しき習慣は、いつになったらなくなるのでしょう。
カップリングの詩編も、合唱とオーケストラ、そしてソプラノのソロの見事な融合が聴かれました。

SACD Artwork © Coviello Classics


1月11日

MOZART
Julien Beaudiment(Fl)
Anaïs Gaudemard(Hp)
Philippe Bernold/
Orchestre de l'Opera National de Lyon
ORCHID/ORC 100351


フランスのフルーティスト、ジャン・ボーディモンが「モーツァルト」というタイトルのアルバムを作りました。彼に関しては、こちらで一度、やはりハープとの共演アルバムをご紹介していました。その時のバイオを、もう一度掲載します。
彼は1978年生まれなのだそうです。パリのコンセルヴァトワールを卒業していますが、その前にはロンドンのギルドホール音楽院でも2年間学んでいるというのがユニークですね。
さらに、彼はまだコンセルヴァトワールに在籍中の22歳の時に、リヨン国立歌劇場のオーケストラの首席フルート奏者に就任したのでした。彼は、現在もそのポストにありますが、2005年から2006年にかけて、BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団の首席を務めていたこともありました。なんでも、イギリスのメジャー・オーケストラでそのポストを獲得したフランス人は、彼以外にはいないのだそうです。彼は日本のSANKYOの楽器を使っています。
というものなのですが、今回の同じORCHIDレーベルのブックレットを読んでみると、「ドゥダメルの指揮によるLAフィルの首席奏者を務めた」という一文がありました。ただ、彼のバイオには、そのようなことは全く書かれていないのですよ。そんな、まさに世界中のフルーティストが望んでいるポストを獲得していたにもかかわらず、彼の経歴はずっと「リヨン国立歌劇場の首席フルート奏者」のままだったのだよん
しかし、丹念に探した結果、その「謎」が解けました。確かに彼は、35歳からの2年間、長年の夢がかなってLAフィルの首席奏者として活躍していました。しかし、彼は30年来の慢性腎炎だったのですが、LAに住み始めたら病状が悪化しました。そこで専門医にかかった時には、腎臓移植の順番待ちリストは8〜10年だと知るのです。ただ、フランスに帰れば、それは1〜2年でかなうし、医療費もかかりませんし、リヨンでのポジションもまだ空席だったので、彼はフランスに戻ったのですね。ですから、今では元気に世界中を飛び回って演奏活動を行えるようになったのです。彼は、フルーティストとしてのランクよりは、自身の健康をとったのです。
というような、ちょっとショッキングなことを知ったからでもないのですが、このアルバムからは、彼は、演奏するという行為自体に常に慈しみを持って向き合っているのではないか、という思いがとても強く感じられました。
敢えて曲名は示さず、単に「MOZART」という作曲家の名前だけのアルバムタイトルからも、その姿勢は感じられます。ここでは、単にレパートリーを披露するという商業的な選曲ではなく、全ての曲目に、彼自身のパーソナルな思いが込められているのではないかという気がします。
まずは、「フルートの音は、まるで女性の声のようで、とても愛らしいものだ」という彼自身の主張が込められた、ソプラノのためのアリアが披露されています。それは、有名なものではなく、他の作曲家のオペラに追加するために作られたアリアなのですが、まずはそのフルートの歌い方の繊細さに驚かされます。確かに、それはまるで人の声のような、時にはささやきのように聴こえる儚い部分から、しっとりと歌い上げる部分まで、時には楽器の特性を無視したような大胆な表現によって歌いこまれていたのです。それが、後半のコロラトゥーラの部分になると、とても人間の声ではできないほどの正確で粒立ちの良い音楽に変わります。まさに、モーツァルトの音楽から、ソプラノとフルートの双方の可能性を十分に引き出した演奏と言えるでしょう。
オーケストラを指揮しているのは、かつてこのオーケストラでボーディモンと同じポストにあったフルーティストのフィリップ・ベルノルドです。かれは、弦楽器ではノン・ビブラートを徹底させて精悍な表情を与え、とてもフレキシブルなバッキングを提供しています。
そして、メインの曲となる、「フルートとハープのための協奏曲」でも、ハープのアナイス・ゴドゥマールを加え、やはりとてもフレキシブルな音楽が仕上がっています。なかなかユニークなアルバムでした。

CD Artwork © Orchid Music Limited


1月9日

DANZI
Overtures & Flute Concertos
Annie Laflamme(Fl)
orchester le phénix
COVIELLO/COV 21305


ドイツのレーベルCOVIELLOは、最近までストリーミングによるサービスは行っていなかったようで、NMLあたりでは聴くことが出来ませんでした。それが、最近では大量のアイテムを集中的にリリースしていて、今ではほとんどのものがアップされているのではないでしょうか。ですから、マルクス・ボッシュが指揮をして2000年代初頭に録音されていたブルックナー全集も、すべて聴くことができます。確か、「4番」では、当時は珍しかった第1稿が使われていたはずです。ただ、「8番」では、もはや最近のブルックナーの世界では顧みられなくなってしまった「ハース版」で演奏していたあたりが、ちょっと古いかな、という感じでしょうか。
そんな、ネット上の「新譜」の中に、2013年にリリースされていたこんなアルバムがありました。ドイツの古典派の作曲家、フランツ・ダンツィのフルート協奏曲とオペラの序曲を集めたものです。ダンツィは1763年に生まれたので、その生誕250年にあたる年にリリースされたのですね。
まあ、そんなことでこの作曲家が持ち上げられたこともあったのだな、とは思いますが、そんな「お祭り」があったところで、彼がとてもマイナーな作曲家であることには変わりはありません。ブルックナーとは段違いの地味な記念年だったのでしょうね。
彼は、オペラを始めとして200曲ほどの作品を残しているそうで、その中には交響曲や、様々な楽器のための協奏曲もあります。フルートのための協奏曲は全部で4曲あって、それらをすべて収録したアルバムが、1981年にORFEOレーベルで録音されています。フルートはアンドラーシュ・アドリアンでした。ただ、それ以降、別の人がフルート協奏曲を全曲録音したことは、たぶんないのではないでしょうか。NMLのリストで、「全曲」はこのアドリアン盤しかありませんからね。
さらに、1993年には、ジェームズ・ゴールウェイがフルート協奏曲の第2番をRCAに録音していました。
この2人が使っているのは、もちろんモダン・フルートですが、今回のアルバムでのフルート奏者、カナダ出身で、現在はドイツで活躍しているアニー・ラフラムは、彼女の専門であるヒストリカルな楽器を使っています。
この写真の楽器が、おそらくこの録音で使われたものなのでしょう。バロック時代の、キーが1つしか付いていない楽器ではなく、おそらくダンツィと同時代のたくさんのキーがある楽器のようですね。
確かに、ここで演奏されているフルート協奏曲は、間違いなくそのような楽器のために作られたものであることは、ワンキーの楽器では絶対に吹けない半音のスケールが頻繁に使われていることからも分かります。
ダンツィは、生涯を通じてモーツァルトの音楽を愛していたそうで、彼の作品にもその影響は見られます。ここで演奏されているフルート協奏曲第2番は、ニ短調で作られていますが、それを聴くと、同じ調で作られたモーツァルトのピアノ協奏曲第20番からの引用があちこちで聴こえてくることに気づくはずです。
ただ、そのような断片的な引用はあるものの、フルートのソロが繰り出すとても技巧的で華やかなフレーズは、ダンツィの時代の楽器でなければ演奏することは出来ないでしょうね。そんな、甘美なフレーズと、アクロバティックな部分とが入り混じっているのが、ダンツィの曲の魅力になってくるのでしょう。
ですから、ここではラフラムの鮮やかなテクニックが存分に楽しめます。とは言っても、久しぶりにゴールウェイ盤を聴いてみたら、その低音が、いくらキーを増やしても、ヒストリカルの楽器では絶対に出せないだろうな、という思いにも駆られました。
これが世界初録音となっていた、オペラなどの序曲も、3曲紹介されています。最後に演奏されているのが、1815年に作られた「ウィリアム・テル」の序曲です。これは、3つの楽章に分かれていて、真ん中の楽章ではオーボエのソロが最初から最後までフィーチャーされています。もしかしたら、1829年に同じタイトルのオペラを作ったロッシーニは、これに影響されていたのでは。

CD Artwork © Coviello Classics


おとといのおやぢに会える、か。



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