春、遠く。.... 佐久間學

(06/2/1-06/2/22)

Blog Version


2月22日

BEETHOVEN
Symphony 9
Stanislaw Skrowaczewski/
Chor des Bayerischen Rundfunks
Saarbrüken Radio Symphony Orchestra
OEHMS/OC 525
(輸入盤)
BMG
ジャパン/BVCO-37424(国内盤)

現役最高齢を誇っていた指揮者のジャン・フルネが引退してしまったということで、今年の8月に83歳を迎えるヴォルフガング・サヴァリッシュがめでたくこの栄誉を担うことになりました。そして、そのほんの一月あとの2番手に付けているのが、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキということになります。最近、やっとの思いでN響との共演を果たしたサヴァリッシュにはいかにも衰えてしまった印象を与えられたものですが、スクロヴァチェフスキの場合、この最新アルバムを聴く限り、彼の中にはそんな年齢など感じさせない青年のような若々しさが、いまだに宿っていることに気づかずにはいられません。
早い話が、楽譜の選択です。スクロヴァチェフスキがここで使っているのは、あのベーレンライター版、この年齢になってしまえば、普通は守りに入ってしまい、早々新しい楽譜など使いたがらないものですが、彼の場合は違います。しかも、よくある折衷的な使い方ではなく、デル・マーの校訂に忠実に従って、ちょっと不自然なところもしっかり楽譜通りに演奏しているという徹底ぶり、これは、この指揮者が今までの長いキャリアの中で別の楽譜を使って演奏してきたことを思えば、素晴らしいことです。
ちなみに、この版についてはジャケットでもライナーでも何も触れられてはいません。ジンマンあたりから始まった、まるで一つのブランドのようにこれ見よがしに表記されていたという「ブーム」も、出版されて10年も経てば収まってしまったということなのでしょうか。特にコメントがなくても、この楽譜を使うことがごく普通のことになったということなのであれば、それはそれで歓迎できる状況です。ただ、実は、この楽譜の敵役として「いけない楽譜」とされてきたブライトコプフ版にしても、最近、ペータース版で名をあげたペーター・ハウシルトなどの手によって新版が完成しており、それを用いた録音も、そろそろ出てくることでしょう。そうなった時に、きちんと差別化を図る意味でも、版についてははんきり表示しておいて欲しいものです。
スクロヴァチェフスキの演奏、最初から最後まで、まるで鋼のような強い意志で支配されているそのドライヴ感には、圧倒されるものがあります。特に、第2楽章のアップテンポで押しまくる迫力には小気味よささえ感じることが出来ます。ただ、第3楽章では、それが逆に流れを損なう無骨な力となってしまい、この楽章の持つ柔らかい感じが失われてしまっているのが、ちょっと残念です。後半の、木管楽器がテーマを演奏して、その間に弦楽器の装飾的なフレーズが流れていくという場面でも、そのゴツゴツした弦楽器だけが目立ってしまって、木管の流れるようなテーマを消してしまっているように見受けられました。
声楽が入ってくるフィナーレでは、合唱の素晴らしさが光ります。最初のうちはそれほどの魅力は感じられないのですが、テノール・ソロで始まるマーチが終わり、長いオーケストラの間奏が、例の不思議なシンコペーションのホルン(これが、ベーレンライター版の特徴)で終わったあとに出てくる「Freude schöner〜」の迫力には、度肝を抜かれてしまいます。その前の流れから、指揮者に煽られてしゃかりきになって演奏しているオーケストラの上を軽く飛び越えて、おそろしく存在感のある合唱がそこにはありました。時として、ベートーヴェンはなぜここに声楽を持ってきたのか分からなくなるようなただの「叫び」でしかないようなものが多い中、この合唱は、確かにここに存在する意味を主張していたのです。
その点、ソリストたちは相変わらずの苦労ばかり多くて訴えるものの少ないスコアに、辟易しているように見えます。アンネッテ・ダッシュのような人が、こういうことをやっていてはいけません。

2月20日

MOZART
Requiem
Hjordis Thébault(Sop),Gemma Coma-Alabert(MS)
Simon Edwards(Ten),Alain Buet(Bas)
Jean-Claude Malgoire/
Kantorei Saarlouis
La Grande Écurie et la Chambre du Roy
K617/K617 180


モーツァルトの「レクイエム」の、さまざまな版には目のない人にとっては、「リオ・デ・ジャネイロ版」などという今まで聞いたこともなかったような名前が挙げられれば、何をおいても飛びついてしまうことでしょう。これは、この曲が初演されてから30年近く経った1819年に、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで演奏された際に、最後の楽章である「Communio」という、「Lux aeterna」で始まるテキストを用いた曲のあとに、例えばフォーレやヴェルディの作品には含まれる「Libera me」という楽章を加えたものなのです。この部分を作曲したのが、ジギスムント・フォン・ノイコムという、1778年生まれのオーストリアの作曲者です。彼自身も1815年にパリで初演されたハ短調の「レクイエム」(唯一の録音はCAMERATA/25CM555)も作っています。つまり、この「リオ・デ・ジャネイロ版」というのは、モーツァルト、ジュスマイヤー、そしてノイコムという3人の作曲家の合作によって出来上がった曲なのです。ただ、この楽譜は長いこと知られることはなかったのだそう。それが、ごく最近リオ・デ・ジャネイロの大聖堂の書庫で発見され、それを用いて200511月にほぼ200年ぶりに「再演」された模様が収録されたのが、このCDだと言うのです。まるで測ったかのように「モーツァルト・イヤー」に間に合ったというのが、歴史の縁(えにし)というものなのでしょうか。それとも・・・。
マルゴワールにとっては2度目となるこの曲の録音、前回1986年の時には、ソリストにあのドミニク・ヴィスを起用したということで印象に残っていました。今回聴き直してみると、「ジュスマイヤー版」とは言っても、「Dies irae」あたりでちょっとしたリズムの変更などが行われていたのですね。しかしこれは、あくまで指揮者の趣味の問題で、「改訂」と言うほどの大げさなものではありません。新しい録音でもこのあたりの解釈は踏襲されています。
しかし、ライブ録音、しかも、その様な特別なコンサートということもあって、今回のものは全体に非常に勢いのある演奏に仕上がっています。今時珍しいキンキンしたガット弦の響き、残響の多い会場のアコースティックスと相まって、かなり明るめな音色に支配されているという印象を受けてしまいます。
実際、その音色に合わせるかのように、演奏の方も明るめ、というか、やや脳天気な雰囲気で進んでいきます。「Lacrimosa」などは、ですから、前回とはうってかわった、ちょっと普通では聞けないような元気いっぱいの音楽に仕上がっています。
そして、ジュスマイヤーが、師の作った「Kyrie」を使い回して作った「Cum sanctis tuis」のフーガが終了して、いわゆる「ジュスマイヤー版」が終わったあとに登場するのが、今回の目玉、ノイコムによる「Libera me」です。これは、一聴して、ジュスマイヤー以上にモーツァルトとは異なったセンスが込められた音楽であることが分かるという、垢抜けないもの、いたずらにドラマティックに盛り上げようとする下心だけが見えてくる曲です。これだけを単独で演奏すれば、それなりに聴きばえはするのでしょうが、あの「レクイエム」のあとに置くには、完璧に何かが足りません。7分以上かかるこの大曲、後半の「Dies irae」や「Requiem aeternam」というテキストの部分は、そのモーツァルトの曲をそのまま引用しています。それはそれで、この作品に敬意を払った結果だと思えなくもないのですが、そのあとでもう1度ノイコムのテーマが戻ってくる時のダサさといったら。
ノイコムは、ミサの典礼に合わせて、リオの教会から頼まれてこの曲を作ったといいます。締め切りに迫られていたのでしょうか(それは、「追い込む」)。もしかしたら、その時演奏されたきりでずっと書庫の中に埋もれていた方が、この曲、そしてこれを作った人間にとっては幸福だったのかもしれません。

2月17日

BACH
Flanders Recorder Quartet
AEOLUS/AE-10136(hybrid SACD)


このジャケット、モワモワした雲のようなものが描かれていますが、一体なんだと思いますか?実は、これはバッハの肖像画の一部、右端に見えるのが目と眉毛ですね。最近は、こんな部分だけを集めた「実物大」の画集なども出ていますね。この肖像画、実はこの前のポンセールの時のジャケットでも別の部分が使われていました。1748年にエリアス・ゴットロープ・ハウスマンという人が書いた、右手にカノンの楽譜を持ってポーズを取っているという、バッハ最晩年の肖像画です。店番のかたわら、書いたのでしょうか(それは「ハウスマヌカン」)。

作曲家と演奏家の名前しか表記されていないこのアルバム、中身は、そのオランダの演奏家、フランダース・リコーダー四重奏団がバッハのオルガン曲を演奏したものです。オルガン(もちろん、パイプオルガン)のパイプというものは、実は発音原理はリコーダーと全く同じです。よく、オルガンの製作現場などがテレビなどで紹介されることがありますが、その時にパイプの仕上がりを確認する時には、楽器職人はそのパイプに息を吹き込んでいます。その様子は、まさにリコーダーを吹いているのと全く変わらない光景なのですね。そんなわけで、このアイディアは非常に理にかなったものと言えることになります。
問題になるとすれば、メカニックという点でしょうか。鍵盤の上を指で(あるいは足で)軽やかに踊り回るさまを、はたしてリコーダーで再現することなど出来るのでしょうか。
しかし、そんな心配は杞憂であったことが、最初のトラックのイ短調(原曲はニ短調。リコーダーに合うように適宜移調されています)の協奏曲BWV596が聞こえてきた時に分かりました。この、これ自体もヴィヴァルディの協奏曲の編曲であるイタリア風の明るい曲調は、オリジナルのオルガンをもしのぐほど、リコーダーのアンサンブルにマッチしていたのです。もちろん、4本のリコーダーは、完璧にオルガンのパートを再現しています。そして、4人の息がピッタリ揃っていることから生まれる、あたかも一つの楽器であるかのようなアンサンブルは、殆ど驚異的と言っても良いでしょう。ラルゴの楽章で、テナー・リコーダーがきらめくような装飾を披露しているのも、見逃せません。協奏曲はもう1曲、やはりヴィヴァルディの元ネタによるニ短調(原曲はイ短調)BWV593も、素晴らしい演奏です。
この編成で、有名なパッサカリアまで演奏していたのには、びっくりしてしまいました。これも、原曲のハ短調からト短調に移調されていますが、そこで聞こえるパッサカリア主題を奏するコントラバス・リコーダーの、殆どペダル・ストップと変わらない存在感は聞きものです。なんでも、この楽器はこのアンサンブルのためにFriedrich van Huene(オランダの人の発音は難しいので、あえてカタカナにはしません)という職人が作ってくれたものだそうです。この、長さが2.2メートルもあるという巨大な楽器を、造作もなく吹きこなすこの人たちの計り知れぬ能力には恐れ入ります。
その他の曲は、コラールやフーガ、これも有名なト短調(これは原調通り)の小フーガなど、存分に楽しむことが出来ます。
こんな素晴らしいアンサンブル、本当は素直に味わっていればいいのでしょうが、やはり気になってしまうのがソロパートのビブラートです。曲によってパートを入れ替えて演奏しているのですが、特に、パウル・ファン・ルイというメンバーが一番高いパートに来た時に、その悪趣味なビブラートはちょっと違和感を抱いてしまうものです。

2月15日

Baltic Voices 3
Raschér Saxophone Quartet
Paul Hillier/
Estonian Philharmonic Chamber Choir
HARMONIA MUNDI/HMU 907391


2001年にエストニア・フィルハーモニック室内合唱団の音楽監督兼首席指揮者に就任したポール・ヒリアーが、2002年から進めてきたプロジェクト「バルティック・ヴォイセス」も、ついに3集目となりました。ここでは、例によって世界初CD化の曲目も含め、あたかも合唱音楽が今までに獲得したさまざまな技法の見本市であるかのような趣が繰り広げられています。
まず、いきなり素朴なパーカッションの響きに面食らってしまうのが、リトアニアの作曲家、ヴァツロヴァス・アウグスティナスの「足踏みしている花嫁」です。民謡を素材にした、踊りを伴うある種のシアターピース、これは最近の合唱団のコンサートでは欠かせないファクターでしょう。伴奏楽器の選択は演奏者に任せられていますが、ここではリコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、そしてチェンバロというバロックの楽器が使われているのがユニークさを際立たせています。
次のデンマークの作曲家ペレ・グズモンセン=ホルムグレンの「ステートメンツ」 という1969年に作られた作品は、幾つかの単語(英語)を並べ替えたテキストを用いて、シンプルなフレーズを繰り返すもの。もちろん、ここからは、作曲当時はまだムーヴメントの兆しさえなかった「ミニマル・ミュージック」の萌芽を感じることは造作ないことでしょう。
フィンランドのビッグネーム、カイヤ・サーリアホの「夜、別れ」は、元々はパリのIRCAMで4人の歌手と電子音楽のために作られたもの。それを、ソリストと合唱というバージョンにしたもの(1996)が、ここで初めて録音されています。彼女ならではの複雑な「群」としての音の処理、しかし、エンディング近くでは、妙に悩ましい「あえぎ声」などが聞こえてきて、楽しめます。
もう1人のリトアニアの作曲家、リーティス・マジュリスの「眩まされた眼は言葉を失う」は、シンプルなカノン、3人目のリトアニア人アルギルダス・マルティナイティスの、まるでジョン・タヴナーのようなヒーリング・ピース「アレルヤ」とともに、耳に心地よい音楽です。
しかし、フィンランド人エリク・ベリマンの「4つの驚きの歌」では、そんな穏やかなものは期待できません。ここで用いられているのは「シュプレッヒ・コール」、曲が作られた1960年当時は、最先端の表現ツールであった、音程のない喋るような言葉で音楽を作るものです。最近ではとんと出番が少なくなっている技法ですが、言ってみれば「ラップ」のようなもの、この流れで、合唱音楽にラップが取り入れられる日も近いのでは。なんと言っても、フィンランドには「ラップランド」というところがあるのですからね。
このアルバムの中では最も新しい2003年に作られた、もちろんこれが初録音となるエストニアの作曲家エルッキ=スヴェン・トゥールの「瞑想」は、ラテン語の歌詞による現代のモテットといった趣でしょうか。特徴的なのは、サックス四重奏のバッキングが入るという点です。しかし、曲の冒頭から、まるで壊れたサイレンのように聞こえてくるテナー・サックスの音は、品位という面からは著しくそぐわないもののように思えます。この楽器にまっとうな音楽性を期待した時点で、この作品は駄作と貶められる宿命を背負うこととなりました。
その様な、硬軟入り乱れての表現技法を堪能したあとで、ポーランドの重鎮ヘンリク・ミコワイ・グレツキの「5つのクルピエ地方の歌」を聴くことには、特別の感慨を伴うことでしょう。この合唱団の深みのある女声、滑らかな男声、そして一糸乱れぬアンサンブルが醸し出す極上の響きからは、有無を言わせぬ力で、合唱音楽の到達した最良の地平の眺望が迫ってきます。

2月13日

BACH
Oboe Concertos
Marcel Ponseele(Ob)
寺神戸亮(Vn)
Ensemble Il Gardellino
ACCENT/ACC 24165


先日話に出たコープマンのオーケストラにも参加していたバロック・オーボエの名手、マルセル・ポンセールのソロアルバムです。こういったオリジナル楽器のフィールドではしばしばお目に掛かることが出来るこのオーボエ奏者は、最初に耳にした時から、そのあまりの音程の良さに驚かされていたものでした。それまで私が聴いていたその時代のオーボエの音は、確かに素朴な音色ではあってもそれと同時に我慢がならないほどのいい加減な音程で演奏されていたもの、それは、半ばこの楽器の宿命と思っていただけに、彼の演奏にはまさに目から鱗が落ちる思いだったのです。最近のこういう団体での管楽器セクションでは、もはや以前のようなとんでもない音程の持ち主は殆ど見かけられないようになってきています。まさに「やれば出来るじゃん」という感じ。ここに来るまでには、彼のようなある意味「天才」の存在が必要だったに違いありません。フルートの分野でも、彼の同僚ハーツェルツェットあたりが、そんな役割を果たしていたのでしょう。もはやスティーヴン・プレストンの時代ではなくなっているのです。
実は、殆どアンサンブルの中でしか彼の演奏を聴いたことはありませんでしたから、ここでのソロには、さらに驚かされてしまいました。まず、オーボエの音色が、実にしっとりとした深い響きを伴ったものに対する驚きです。彼自身が制作したというその楽器からは、極論すればモダン・オーボエをしのぐほどの豊かな音楽性が伝わってきたのです。そして、もう一つの驚きは、緩徐楽章に於ける意外なほどの素っ気なさです。例えば、BWV1053aのシシリアーノでの、流れるようなリズムに乗った滑らかな歌いぶりはどうでしょう。この時代の音楽を専門に扱っている演奏家が好んで取っている「くさい」表現とは一線を画した、実に見晴らしの良い音楽を、この楽器に於けるトップランナーは見せてくれていたのです。妙にこねくり回さなくてもしっかり伝わってくるものはあることを、彼は身をもって教えてくれているのですね。同じような表現は、断片しか存在していなかった協奏曲を復元したBWV1059Rのアダージョ楽章でも見られます。ジョシュア・リフキンが、カンタータ156番のシンフォニアを転用したこの楽章、なんのことはない、ヴァイオリン協奏曲(フルートで演奏することもあります)として知られているBWV1056のクラヴィーア協奏曲のアダージョ楽章と同じものなのですが、この「有名な」曲からも、素直な表現の美しさを存分に味わうことが出来ます。
最後に、とっておきの驚きが。なんと、このバッハ・アルバムの中に、マーラーの音楽がカップリングされていたのです。「リュッケルトの詩による歌曲」として知られる曲集の中の、「私はこの世に見捨てられ」という、メゾソプラノの歌手によって歌われるオーケストラ伴奏の歌曲が、このバロックアンサンブルの編成で演奏されています(編曲はポンセール自身)。原曲で大活躍するコール・アングレを想定して、ここではオーボエ・ダ・カッチャ(もちろん、彼が作った楽器だっちゃ)をフューチャー、BWV1060aのドッペル・コンチェルトで見事な共演を披露していた寺神戸亮のヴァイオリンと絡みつつ、マーラーをバロック時代の楽器で演奏するという、ちょっとあぶない、しかし魅力的な試みが、私達を魅了しないわけがありません。肝心のメゾソプラノのソロが、殆ど目立たないチェロによって演奏されることにより、原曲とは全く様相を異にする世界が広がります。しかし、その先にある風景は、マーラーが見ていたものと何ら変わるところがない、というのが、驚き以外のなんであるというのでしょう。

2月11日

MOZART
3 Violin Concertos
Andrew Manze/
The English Concert
HARMONIA MUNDI/HMU 907385


今年の「モーツァルト・イヤー」にちなんで、テレビではさまざまな番組が放送されていますが、そんな中にこの前の「モーツァルト・イヤー」、つまり、1991年の没後200年の時に放送されていた交響曲全曲演奏会の一部がありました。トン・コープマン率いるアムステルダム・バロック・オーケストラが当時東京で行ったそういう演奏会を収録したものです。すでにその頃ではこのようなオリジナル楽器による演奏は、ごく一般的なものとして人々に知られるようになってきており、それがテレビで紹介されるのも珍しいことではなくなっていましたが、これを見た時には、少なからぬショックを受けたものでした。それは、指揮者コープマンの天衣無縫とも言える指揮ぶりとともに、オーケストラのメンバーが普通のクラシックのコンサートではあり得ないほどのリラックスした演奏ぶりを繰り広げていたことからもたらされるものだったのです。特に、弦楽器のセクションはお互いに顔を見合わせて微笑みあったりして、その親密度を見せつけていたものでした。ですから、そこから聞こえてくるモーツァルトの音楽は、とことん生気に満ちた躍動感溢れるものだったのです。
その、10年以上前の映像を見直して驚いたのは、そんなメンバーの中心にいて一際目立った動きをしていたコンサートマスターが、今をときめくアンドルー・マンゼだったことです。当時からちょっと惹き付けられるものを持っていたこのヴァイオリン奏者、これが現在の大活躍につながっていたのですね。
ところで、さっきの「モーツァルト・イヤー」、今までこんなものには縁がなかったような人のコメントがテレビを賑わせていますが、そういう場合決まって「モーツァルトは『癒し』の音楽ですね」とか「流れるような音楽に、心が洗われるような気がします」という常套句が聞かれるようになっています。もちろん、マンゼの前回のヴァイオリン・ソナタ集を聴いた人であれば、彼が作り出すモーツァルトがそんな肌触りの良いものではないことは十分予想が付くはずです。そして、まさにその予想通り、この協奏曲でも、マンゼは刺激たっぷり、とても『癒し』などと言ってはいられないようなモーツァルトを聴かせてくれていました。
「3番」の冒頭で、彼のたくらみは明らかになります。最初のフレーズにリタルダンドが掛かっていったかと思うと、ついには完全に終止してしまい、そこから新たに次のフレーズが始まる、といったショッキングな表現がそこにはあったのです。アルバムの最初の、これはいわば「ツカミ」、私達がマンゼ・ワールドに浸るためのいわば通行手形のようなものなのでしょう。ここで彼の術中に陥ったが最後、途中でスピーカーの前から離れることなどできっこありません。「5番」の最後、例の「トルコ風」のらんちき騒ぎ(これはすごいですよ。オリジナル楽器のバルトーク・ピチカート)が終わるまで、この3曲の有名な、ということは、「名演奏」の手垢だらけの陳腐な協奏曲が、まさに自由な翼を持って羽ばたいているさまを味わうことが出来るはずですよ。もちろん、それが「流れるような」ものでないことは保証します。それどころか、川の流れの中に、それに逆らう岩場があることによって初めて見えてくる波しぶきのような「流れ」の「形」を、この演奏からは見つけ出すことは出来ないでしょうか。
ちなみに、彼は最新のブライトコップフ版の楽譜に自らのカデンツァを提供していますが、この録音ではそれを使わないで新しいものを用いています。彼自身のライナーノーツによれば、本来即興演奏であるべきカデンツァは、印刷譜となった途端「ピンで留められた、死んだ蝶々」になってしまう、というのです。それは、「かつて羽ばたいていた」もの、その場で作った新しいカデンツァでなければ、今羽ばたいている生きた蝶々にはなりえない、というのが彼の蝶々、いや主張です。

2月8日

REJCHA
Requiem
V.Hrubá-Freiberger(Sop), A.Barová(Alt)
V.Dolezal(Ten), L.Vele(Bas)
Lubomír Mátl/
Prague Philharmonic Choir
Dvorák Chamber Orchestra
SUPRAPHON/SU 3859-2


今日では、数多くの木管五重奏曲の作曲家としてのみ知られているアントニーン・レイハ、ベートーヴェンが生まれたのと同じ年、1770年にプラハに生まれた彼は、まさに「ボヘミアン」と呼ぶに相応しい人生を送りました。彼の「放浪」の旅は、故郷プラハから始まって、ボン(ここで、そのベートーヴェンと親しくなります)、ハンブルク、パリ、ウィーンと続き、1809年に再びパリに戻るまで続いたのです。ドイツ時代には「アントン・ライヒャ」、そしてフランスに帰化してからは「アントワーヌ・レイハ」と、呼ばれる名前さえ変わってしまうのでした。中国ですと果物に間違われたりして(それは「レイシ」)。
この「レクイエム」は、1802年から1808年までのウィーン時代に作られたもので、ごく最近、パリの国立図書館で手稿が発見されたものです。それを元に1988年にプラハでチェコのアーティストによって録音されたものが、このCD、翌年にはリリースされたものですが、それ以来この曲の唯一の録音として君臨していました。結局、この曲を聴きたい人はこの盤に頼るしかないという事かどうかは分かりませんが、この度めでたく再発されて、この珍しい曲を聴く事が出来るようになりました(なんでも、神奈川の合唱団が、今年の12月に日本初演を行うそうですね)。
演奏時間は1時間足らず、モーツァルトの作品などと同様に、標準的なテキストと、4声のソリストと混声合唱にオーケストラ伴奏が付くという標準的な楽器編成を持っています。しかも、作曲者自身、10年ちょっと前にこの地ウィーンで演奏されたその「レクイエム」のことは当然知っていたでしょうから、随所にその先達の作品との類似点を見出す事は容易です。ただ、レイハの場合、作曲家のプライドというのでしょうか、影響を受けているのはミエミエなのに、あえて元ネタとは違っているんだぞ、という意識が手に取るように分かってしまうのが、かわいらしいところでしょうか。例えば、「Tuba mirum」でも、わざと明るい雰囲気を持たせ、ソリストもバスではなくテノールにする、といった具合です。「Lacrimosa」も、まったく似つかわしくないシンコペーションの伴奏に乗って、軽やかに歌われるといった曲調、どうあがいても、「天才」の呪縛からは逃れられない凡庸な作曲家の性、のようなものが透けて見えはしないでしょうか。「Confutatis」などは、作曲のプランがそのまんま、ですものね。
しかし、これが後半、モーツァルトの手が及ばなかった部分になると、俄然彼自身の個性が際立ってくるから、面白いものです。「Benedictus」でのソプラノソロと合唱の掛け合いなど、文句なしにチャーミング、彼が、少なくともジュスマイヤーよりは高い能力を持っていた事の証でしょう。そして、最も楽しめるのが、最後の「Lux aeterna」です。 後半にフーガで出てくる「Requiem aeternam」はちょっとショッキングですし、それに続くやはり壮大なフーガ「Cum sanctis tuis」は、なかなかの訴えかけを持ち、感動的ですらあります。
ものの本によれば、この曲はナポレオンのウィーンやライプチヒへの侵攻に対する、芸術家としての抵抗の意志を現したものなのだそうです。曲の大半を覆う時代様式を超えない脳天気なテイストからはとてもそんな事を信じる気にはなれませんが、この最後の部分にだけは、明らかにそんな気迫を感じる事は出来るはずです。ただ、最初のうちは緻密な響きが心地よかった合唱が、曲が進むにつれて次第に粗さが目立つようになり、このあたりではフーガのパートソロが悲惨な事になってしまっているのが、ちょっと残念です。

2月6日

海へ〜現代日本フルート音楽の諸相〜
小泉浩(Fl)
DENON/COCO-70817/8


1997年にリリースされた2枚組CD、発売当時は6000円(!)でしたからちょっと買うのはためらわれてしまいましたが、この度「クレスト」シリーズで、なんと1500円、四分の一の価格となって再発、迷わず購入です。こういう廉価盤での再発は、ほんとに家計を助けてくれすと
ある時期、小泉浩は日本の「現代音楽」シーンでのスターでした。というよりは、こういう種類の音楽を演奏する殆ど唯一のフルーティストとして、その存在を誇っていたのです。「普通の」レパートリーを演奏するのとは全く異なるスキルを要求される場での彼の仕事ぶりは、まさに輝いていたと、幾つかのコンサートに足を運んだ私などは感じたものです。実際、彼によって初演された作品は、おびただしい数に上る事でしょう。
このCDが録音される少し前に、彼は2年間にわたって、その様な曲を集めた連続リサイタルを敢行しています。それは、このスペシャリストの偉業を集約した、実りの大きいものだったに違いありません。そして、その中のエキスとも言うべき曲を集めて、このアルバムが誕生したのです。
日本人の作曲家による、フルートソロのための曲は、現在では数え切れないほどあるに違いありません。この楽器に寄せる日本人の思いというものは、例えば尺八とか、あるいは篠笛といった、日本固有の楽器とも共通するような語法を見出した時に、さらに親密度を増すのでしょう。1962年にガッツェローニのために作られた福島和夫の「冥」は、そんな思いが初めてインターナショナルな価値を持った、記念碑的な作品です。ここでの小泉の演奏は、豊かな残響を伴う録音と相まって、ある意味かなり色彩的なものを繰り広げているように思われます。それは、もしかしたら、この曲が日本的な禁欲の世界のものであるとされてきた今までの概念を打ち破ろうとする、もっと西洋楽器としてのフルート固有の音色を大切にしたもののように感じられます。
この作品とは対極的な位置にあるはずの、近藤譲の「歩く」(1976年)は、一切の感情を排したかとも思えるような、ミニマリズムの世界の音楽です。ここでも、小泉は無機質なパルスの一つ一つに「暖かさ」のようなものを吹き込んではいないでしょうか。
池辺晋一郎の「ストラータII」や、湯浅譲二の「ドメイン」といった、本当の意味での超絶技巧が要求される曲に立ち向かう時の小泉こそは、まさに水を得た魚と言うべきでしょう。いささかのためらいもない技術の冴えは、なによりも作曲者の信頼を勝ち得ている証に他なりません。
このアルバムに収録された14曲のうち、5曲が武満徹の作品で占められていることは、このジャンルでもこの作曲家の作品が圧倒的な存在感を持っていることを示しています。1971年の「ヴォイス」から、遺作となった1996年の「エア」(これが楽譜の日本語表記。「エアー」というライナーの表記は誤りです)まで、彼の技法的な変遷までもたどれる選曲となっています。これらの曲は他に幾つかの別の演奏家による録音が存在していますから、それぞれの表現に違いの妙を味わうことも可能になってくるという、「現代曲」としては幸せな環境にあります。そこから明らかになってくるのは、小泉の細部まで大切に吹き込んでいるていねいな音楽性。演奏時間は、例えばパトリック・ガロワの倍近くという圧倒的に遅いテンポで切々と歌い上げられた「エア」からは、この、夭折した友人を悼む心情までが、聞こえてはこないでしょうか。

2月3日

REQUIEM
Various Artists
MEMBRAN/223488-2


このところ、あのBRILLIANTに迫る勢いでリリースを続けている廉価レーベルMEMBRANが、すごい事をやってくれました。なにしろ、8曲の「レクイエム」が収録された10枚組のボックス・セットが、なんと1990円で手に入るというのですからね。一桁間違えているのでは、と訝しがるのも無理もない、これは、素晴らしい内容のセットです。消滅したレーベルのライセンスを手に入れて販売するという、言ってみれば「濡れ手に粟」の商売だから、こんな価格設定が可能になっているわけですが、ここで扱われているのが、デンマークのレーベル「クラシコCLASSICO」です。ホットケーキに使いますね(それは「ふくらし粉」)。以前からあぶないと噂されてはいましたが、現実にこういう形で「投げ売り」されているという事は、もはやこのレーベルは完全に消滅してしまったという事なのでしょうか。ちょっと心配です。
いずれにしても、個性豊かなアイテムがこんな形で手に入るのは、ファンにとってはとりあえず嬉しい事には違いありません。まず、何と言っても、1枚目に、もはや入手困難であったあの「ヴァド版」のモーツァルトが入っていたのには驚かないわけにはいきません。決して誰にでもお勧めできるというようなものではありませんが、この個性的な「編曲」と「演奏」を聴けば、この曲に対する新しい地平が開ける事は間違いありませんよ。
このレーベルの看板アーティストであったダグラス・ボストックの演奏も、ケルビーニとフォーレで聴く事が出来ます。フォーレの場合は「ラッター版」、ひと味違った版による、ひと味違った演奏が楽しめるはずです。
そして、ここになんと私の大好きなデュリュフレが。このアイテムだけは、ClASSICOではなく別のレーベルです。私が持っていたのはTHOROFONというドイツのレーベルなのですが、このCDには別の出所が印刷されているので、権利が移動したのでしょうか。THOROFON自体はまだちゃんと新譜も出しているようですが。こちらのリストにあるように、オーケストラ版ではなく、オルガン版であるのがちょっと残念ですが、このアイスランドの合唱団はとても優秀、このCDも入手困難なものでしたが、こんな形で手に入るようになったのはとても嬉しい事です。このCD1枚だけでも、このボックス全体の価格をはるかに上回る価値がある事は間違いありません。
驚きはまだまだ続きます。「レクイエム」と言うにはあまりに破天荒な編成と音楽(ドラムセットやエレキギターも入っています)を持つシュニトケの作品などというくせ者まで、このボックスには入っていたのです。こうなるとまさに「福袋」状態ですね。これも以前ご紹介した、このジャンルの現代に於ける一つの「解答」を得る事が出来るはずの、なかなか味のあるアルバムです。
と、ここまでは、すでに私の手元にあってすでに聴いた事のあるものばかりでしたが、ブラームス(「ドイツ・レクイエム」)、ヴェルディ、ドヴォルジャークの3作品は、まだ接した事のない演奏です。アカデミスク合唱団と、オーケストラという、まったく私にとって初めての団体は、オケにはちょっと稚拙なところも見受けられますが、大人数だと思われる合唱は、なかなかのものを聴かせてくれています。これらは全てライブ録音、しかも、編集などの手は加えられていないものですから、その臨場感には生々しいものがあります。
有名どころの「レクイエム」は全て網羅した上に、+αの名曲を加えたこのボックス、ほんと、もし10倍の価格が付けられていたとしても、買っていたはずです。

2月1日

MARTINU/Memorial to Lidice
KLEIN/Partita for Strings
BARTÓK/Concerto for Orchestra
Christoph Eschenbach/
The Philadelphia Orchestra
ONDINE/ODE 1072-5(hybrid SACD)


かつて、オーマンディの時代には、COLUMBIARCAという当時の2大レーベル(現在では、SONY-BMGというものに統合されてしまいましたが)にまたがっておびただしい数の録音を行い、オールマイティな力を見せつけてきたフィラデルフィア管弦楽団ですが、そのあとのムーティ、そしてサヴァリッシュの時代になると、膨大な経費を要する大オーケストラの録音というものがレコード会社からは敬遠されるようになり、ついにはその頃の所属レーベルであったEMIから、「解雇」されてしまうという事態に陥ってしまうのです。ですから、2003年に音楽監督に就任したエッシェンバッハは、今までこのオーケストラと演奏したCDをリリースしていなかったという、ちょっと信じがたいような状況の中にあったのです。
そして、待望のニューリリースは、なんと、フィンランドのマイナーレーベルであるONDINEからなされたというのも、昔日の栄光を知るものにはちょっと意外な事であるかも知れません。しかし、まずは自主制作盤ではないものが世に出て、これからも継続してのリリースが予定されている事を素直に喜びたいものです。
昨今の事情を考えれば当然ですが、この録音もセッションによるものではなく、通常のコンサートをライブ収録したものです。そしてそれは、2005年の5月に行われた、第二次世界大戦終了から60年が経った事を記念するコンサートでした。このコンサートは、その戦争の際にファシズムによってもたらされた悲劇に真っ向から目を向けていこうという強い意志が込められたものになっています。ここで取り上げられた3人の作曲家は、いずれも望まない形で祖国を離れなければなりませんでしたし、そのうちの一人、ギデオン・クラインは、アウシュヴィッツで25歳の若さで命を絶たれているのです。
マルティヌーが1943年に作った「リディツェ追悼」は、1942年の6月にプラハ西部のリディツェという小さな町で起こったナチによる虐殺を追悼するものです。不気味な雰囲気を醸し出す冒頭の部分とは裏腹に、曲の大半は極めて澄みきった「美しい」シーンで占められています。それだからこそ、邪悪なモティーフが際立って聴くものの注意を惹くのでしょう。本当の哀しみは、やりきれないほどの美しさの中にこそ、潜んでいるのかも知れません。
1941年にテレジンの収容所に送られたクラインが1944年に作った弦楽三重奏のための曲を、1990年にチェコの作曲家サウデクが弦楽合奏用に編曲したものが、「弦楽のためのパルティータ」です。ディヴェルティメント風の軽快な楽章に挟まれた真ん中の楽章が、モラヴィアの民謡をテーマとしたゆったりとした変奏曲、それがどんな思いを反映したものかは、明らかでしょう。
そして、バルトークが1943年に完成させた有名な「オケコン」も、その第3楽章の「エレジー」に同じ思いを読み取るのは容易な事です。ここで聞こえてくるピッコロのソロは、日本人メンバーである時任和夫さんによるもの、深い響きの中に、確かな「意志」を感じる事は出来ませんか?この流れからは、次の楽章の中で唐突に出現するヴィオラの甘いメロディーにも、別な意味を感じ取れるのではないでしょうか。
図らずも、1940年代のほんのわずかの期間に作られたこの3曲を並べて演奏したエッシェンバッハの思いは、間違いなく私達に伝わってきました。このような確かな意味のあるものをリリースするという姿勢、もしかしたら大量の音源制作が難しくなってしまった時代だからこそ、可能になったのかも知れません。そんな、確かな価値を感じる事が出来るアルバムです。

おとといのおやぢに会える、か。


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