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動物の下着、臭い。.... 渋谷塔一

(03/11/24-03/12/10)


12月10日

RUTTER
Mass of the Children
Joanne Lunn(Sop)
Roderick Williams(Bar)
John Rutter/
The Cambridge Singers
Cantate Youth Choir
City of London Sinfonia
COLLEGIUM/COLCD 129
またまた小説ネタです・・・・。最近の書店は、あの手この手で読者をひきつけようとしているのか、至るところに手書きPOPを並べて「読んでください」とアピールに余念がありません。(この手書きPOPは、某外資系CD店の専売特許だった気もしますが、ま、これはこれで作成が結構大変だそうです)それにつられて、ある作家の小説を纏めて読んでみたのです。最初に手に取った作品が「意表を突くトリック」とあったので興味をひかれたのですが、確かにこれは面白かったのです。全く時間軸の異なる物語を平行に並べる事により、読者をある意味錯覚に陥れ、翻弄し、最後に鮮やかなどんでん返しが待っているというもの。1冊読んで、「これはスゴイ」と他の作品も読んでみたのですが、あれこれ読むうちに、全く同じ趣向の作品が2、3見受けられたのです。そうなると、何だかしらけてしまって、それ以上読む気がしなくなってしまったのでした。
このラッターの「子供のためのミサ」も、私にとってはそんな作品なんです。CD店では作曲年代のせいで「現代音楽」のコーナーに置かれてしまうこともある、ジョン・ラッターの作品、このページの熱心な読者ならお馴染みらったーはず。作曲は2002年から03年。初演は今年2月。(この盤の収録は5月)出来たてほやほやの新作です。ラッターといえば、特に合唱音楽を愛する人にとっては避けて通れない作曲家です。先日のNAXOS「レクイエム」も、お店でストアプレイをするたびに、2〜3枚売れたという、一度耳にしたら離れない程美しい音楽です。あそこにもあるように、冒頭で若干耳慣れない旋律が出てくるところが新鮮でもあったのですが、今回の「子供のためのミサ」も全く同じ趣向で、基本的には聴き易い音楽なのだけど、ところどころに新奇なものを挿入するところが恐らく好き嫌いの分かれ目なのでしょう。
テキストも、通常のラテン語の典礼文を用いるだけではなく、キリエでは、冒頭にイギリスの詩人トーマス・ケンの文章を用いてみたり、(ここはまるでディズニーのアニメの音楽のような肌触り)アニュス・デイでもウィリアム・ブラックの「小さな羊」が使われていたりと、かなり大胆なことをしています。もちろん音楽も、ミステリアスな部分と、本当に美しいだれでも口ずさめる部分が混在しています。もし、これを初めて聴いたのなら「すごい」と思うでしょうが、全体の印象は残念ながら「レクイエム」を凌駕することはありませんでした。もちろん、ステキな合唱作品ではありますけどね。
やはり、どんなひねったトリックでも、目新しい和声でも、2度、3度使うのはやめておいた方がいいのかも・・・・そんな下世話な感想を抱いたおやぢでした。

12月8日

VIVALDI
The Four Seasons
Nigel Kennedy(Vn)
Members of the Berliner Philharmoniker
EMI/557647 2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55604(国内盤)
「クラシック界のパンク野郎」ナイジェル・ケネディ(「ナンパ野郎」はパユ)が最初に「四季」をリリースしたのは、1989年のことでした。その斬新な解釈のCDは世界中で大ヒット、クラシックチャートのトップを飾ることになります。それから15年近く経って、さらにパワーアップした「四季」の登場です。前回はイギリス室内管弦楽団がバックをつとめていましたが、今回はベルリン・フィルのピックアップメンバーがサポートに当たっています。前作同様、大いにクラシック界を賑わすことでしょう。
今回は、「四季」以外に、2つのヴァイオリンのための協奏曲が2曲カップリングされています。冒頭で聴かれるのが、Op.3-8(RV522)のイ短調の協奏曲です。これは、あのバッハがオルガン独奏用に編曲して、良く耳にする曲、ですから、その出だしから思い切り弾けた音が聞こえてきた時には、予想していたとはいえ、やはりある種のショックは隠せませんでした。しかし、それは単に「聴き慣れない」というだけのもので、決して不愉快なものではありません。それどころか、他の普通のクラシックのプレーヤーからはまず聴くことが出来ないような生命感に満ちあふれたものだったのです。いやが上にも、「四季」への期待が高まります。
その「四季」は、まさに期待以上のものでした。次々と繰り出されるアイディア豊かなフレーズや奏法は、もちろんハーンのようなモダン楽器の演奏家からは絶対に聴かれないもの、かといって、そのようなある種即興的な演奏を得意としているオリジナル楽器の演奏家のものとも、異質のものです。注意深く聴けば分かることですが、ケネディの演奏はあくまでモダン奏法の延長上にある即興演奏であり、オリジナル楽器では到底不可能なものなのです。もっと言えば、それはロック・ミュージシャンにも通じるような、その場のひらめきを大事にするようなものなのかも知れませんし。
そのような、クラシックの枠には収まりきれないナイジェルのプレイに、ベルリン・フィルのメンバーは実に見事なバッキングをつけています。「春」や「夏」での、コンマスやチェロトップとの掛け合いの妙。「秋」などでは、完全にソリストとバックの息が合っているのが、手に取るようによく分かります。まるで、フェーダーで絞ったかと思えるほど完璧なピアニシモのトゥッティの時には、いよいよCCCDのせいでプレーヤーが壊れてしまったのかな、と思ってしまったほどですから。「冬」の1楽章など、クリシェのコード進行に乗って、あたかも「ナイジェル・バンド」と言っても構わないようなグルーヴに支配されたプレイが繰り広げられていますよ。
ただ、「秋」の2楽章、ナイジェルはとてつもなくアイディア豊かなソロを弾いているというのに、バックのチェンバロのまるでファンタジーに欠けるレアリゼーションはいったいなんなのでしょう。このセッションには、実はコンティヌオとして日本人のリュート奏者、竹内太郎さんも参加しているのですが、彼のホームページでドイツツアーの日記を読んでみると、そのあたりの事情がよく分かります。このチェンバロ奏者は、やはりイモでした。

12月7日

LISZT
Piano Works
Claudio Arrau(Pf)
PHILIPS/473 775-2
先日は、ある意味「究極の解釈」とも言える演奏で「雨だれ」や、「慰め」を聴かせていただきました。それはそれで面白いものでした。でも、ちょっと物足りなかったのも事実です。ショパンやラヴェルはそれほどでもなかったのですが、リストに関しては「もう少し」でした。(リストで有名になった人なんですけどね)そう、この不満は例えて言うなら、若い人に評判のお店に食べに行ったような感じとでも言いましょうか。確かに、意表をついたインテリアや盛り付けが目新しい。う〜ん。話題になるのはわかる気がします。しかし、おぢさん的にはイマイチなんですね。素材や味は今ひとつ。量も少ないな。でも感覚的に新しければそれでOKなんだろうか?そんな事ばかり考えていたものだから、ついつい衝動的に今回のアルバムを購入してしまいました。今年の4月にリリースされたアラウのリスト6枚組です。これで、リストをお腹一杯味わえるというわけです。ヘルペスの心配もありませんし(それは鯉のアライ)。
皆さん御存知の通り、最近はCDの価格破壊が進行中。この6枚組もセットで6500円程度。1枚1000円ほどなのですが、これでも「そんなに安くないな」と考えてしまうほど、安さになれてしまったのは恐ろしい限りです。とは言え、この6枚組に収録されている内容の豊富なこと。フランス・フィリップスで企画されたシリーズの中の1つでして、「リストをまとめて聴いてみたい」と考えている方にはまたとないフルコースと言えましょう。
アラウの演奏は全くの正統派。さすが、ベートーヴェンを得意とした人だけあって、シフラのように崩すわけでもなく、ボレットのように「品」を大事にするあまり奔放さに欠ける、そのような事もありません。安心して、リストのけばけばしさと深さの両方を楽しむことが可能なのです。
まずCD4の「愛の夢 第3番」を前菜に致しましょう。さらっと、あくまでも自然な味わいです。それに続く一連の「ヴェルディ・パラフレーズ」の息を飲むような素晴らしさ。まさに華麗なピアニズム満開です。もうこれで満腹ですが、まだCDは5枚もありますよ。「ピアノ・ソナタ」は1970年と1985年の2つの演奏が収録されています。85年の方の何とも言えない凄み。この曲の持つしたたかさを充分に堪能させてくれます。「超絶技巧練習曲」も細かいところまで行き届いた、息切れの全くないスケールの大きな演奏です。他には、「巡礼の年より」、「ショパンの歌曲編曲」、「詩的で宗教的な調べ」など盛りだくさん。第3番「ため息」だけが有名な、「3つの演奏会用練習曲」も全曲収録されています。
「ああ、やっぱりリストはいいなぁ」とすっかり満足しましたよ。

12月4日

MOZART
Arias & Duets
Christoph Genz(Ten)
Stephan Gentz(Bar)
Sigiswald Kuijken/
La Petite Bande
DHM/82876 55782 2
BMG
ファンハウス/BVCD-31008
先日電話で友人と話していたときのこと、何かの用があったのか、彼の弟さんが彼に話し掛けたのですね。その時、電話を通して聴こえてきた二人の声があまりにもそっくりだったのには、全く驚いてしまいました。確かに高さは違うのですが、(見た目も違うはず)声の質は全く同じ。「うん、電話では良く間違えられるよ」と笑ってましたが、どう聞いても同じなのです。電話では余分な倍音がカットされてしまうだけに、一層、素の声質が顕わになるのでしょうか。
で、今回のゲンツ兄弟のアリア集です。御存知の通り、モーツァルトの声楽曲には「テノールとバリトンの二重唱」というのはほとんどありません。にもかかわらず、モーツァルトで勝負したのは、よほどの自信があるのに違いありません。メンツがかかっているのでしょう。そう思いライナーを見てみたら、実は二重唱は「コジ」からの2曲だけ。後は一人ずつが伸びやかな声を聴かせてくれます。このアルバム、伴奏にも注目です。クイケン率いる、ラ・プティット・バンドがDHMに録音したのは久し振り。もともとこのレーベルのために結成された団体のはずですから、このCDを待ちわびていたファンも多いことでしょう。
兄クリストフ(テノール)、弟シュテファン(バリトン)。確かに表現の違いはあります。もちろん、これは意識して違えているのかと思われます。とにかく2人とも真面目で端正です。「コジ」からのアリアが殆どですが、こんな2人だったら、確かに恋人の貞節を信じて疑わないウブなオトコにはぴったり、と納得してしまうくらい実直な歌、表現です。
そういえば、以前シュテファンの歌ったドイツ・レクイエムでも、「全体は素晴らしいが、ゲンツだけがイマイチ」などとどこかの批評に書かれていましたっけ。それほど真摯で丁寧な歌ばかりです。もう少し遊び心があってもいいかな?と思うのですが、それは、伴奏の表現豊かな音楽で補っていますから全く問題ないのでしょう。長大なコンサート・アリアK.431「あわれな男よ〜」のころころ変わる感情の揺れ動き・・・・愛しい人に捨てられてため息をつき、そよ風にまであたり散らすと言う、少々情けないオトコの心情。これをここまで的確に表現する(ほんとにびっくりするくらい)ラ・プティット・バンドの素晴らしいこと。本当にこの色鮮やかなモーツァルトは一聴の価値ありです。
そして、先ほども書いた通り、やはり兄弟は声がそっくりです。2人の二重唱は、声域の違いこそあれ全く同じ声、歌い回し。「う〜ん、同じだ」と驚く他ありませんでしたよ。

12月2日

BEETHOVEN
Christus am Ölberge
Kent Nagano/
Rundfunkchor Berlin
Deutsches Symphonie-Orchester Berlin
HARMONIA MUNDI/HMC 901802
(輸入盤)
キングレコード
/KKCC-503(国内盤)
今回はベートーヴェンの知られざる名曲「オリーヴ山のキリスト」です。かつては「かんらん山〜」というタイトルで知られていましたね。この曲、作品番号はop.85ですが、実際の作曲は1803年、ちょうど交響曲第3番(op.55)と同じ時期の作品ですね。初演当時は「再演の度に満員の盛況」と高い人気を得ていたそうです。やはりティッシュが安いからでしょうか(それは「満員の生協」)しかし最近はあまり演奏される機会がありません。作品の内容に比べ音楽が長すぎたり、ベートーヴェン本人も作曲様式に若干の無理があったと認めていたり、やっぱりダメなものはダメ(すみません)。とは言え、今回改めて聴いてみると、本来、キリストの苦悩を描くはずが、最後は神への賛美になりひたすら輝かしく終わる構成などは、同じ時期の「フィデリオ」にも似た肌触り。ベートーヴェンは本当は楽天家だったのかも?と思える瞬間もちらほらで、結構楽しめました。
その最大の功績は、キリスト役のテノールを歌うドミンゴではないでしょうか。題名通り、この曲はキリストが重要なパートで、彼はほとんど出ずっぱり、最近不調ばかりが伝えられますが、ここでは彼本来の力強い声が堪能できます。声さえ出れば、やはり彼は上手いですね。題材こそ宗教がかってますが、内容はもう少し人間味あふれるもの。そんなキリストの人間くささがばっちり表現されています。天使役のソプラノ、オルゴナソヴァの力強く滑らかな声もステキです。ほとんど宗教曲とは思えないようなコロラトゥーラの心地よいこと。彼女は、オペラよりも合唱曲などで活躍する人で、以前、ガーディナーのブルックナーでもソロを歌ってましたが、実はあまり記憶がないのですね(そういう人だからこそ重用されるのでしょうけど)。でも、これからはもっと幅広い分野で活躍してくれそうです。そして、もう一人のソロがアンドレアス・シュミットです。歌う個所は少ないのですが、彼の歌はピリッとしたアクセントになっています。合唱は、最近来日してリゲティや「第9」を聴かせてくれましたが、基本的に大味。しかし、この曲の楽天性にはなぜかハマっています。
さて、指揮はこういう曲好き(らしい)ケント・ナガノです。こういう曲を演奏する時の指揮者の役割には、微妙なものがあります。他に聴いたことがなく比較もできませんが、彼をもってしてもこの曲の底の浅さはカバーすることは出来なかったのでは、というのが正直な感想です。そこそこ楽しむことは出来ても、それ以上の感銘を受けることはない、卓越した指揮者であるがゆえに、その曲の弱点までも明らかにしてしまうという、ちょっと恐ろしいことが起こっている一つの例なのではないでしょうか。

12月1日

BACH
Leipziger Weihnachtskantaten
Philippe Herreweghe/
Collegium Vocale Gent
HARMONIA MUNDI/HMC 901781/82
この時期、CD店には所狭しとクリスマス・アルバムが並んでいることでしょうが、このヘレヴェッヘのカンタータ集のような、由緒正しいものなど、ちょっとよそではお目にかかれないのではないでしょうか。なにしろ、「ライプチヒのクリスマスのカンタータ」というタイトルのこの2枚組のアルバム、バッハの手によってクリスマスの時に実際に演奏された曲が集められたものなのですから。
バッハが、ライプチヒのトマス教会のカントールとして就任したのは、1723年のことでした。DISC2には、その年のクリスマス、1225日に演奏されたカンタータ63番とマニフィカートが収められています。63番は、元々は1714年ヴァイマール時代に作ったものの使い回し、トランペット4本とティンパニという、いかにもお祝いにふさわしい華やかな編成がとられています。一方のマニフィカートは、聖書のルカ福音書の中の、聖母マリアが神をたたえる言葉をテキストにしたもの、通常はラテン語で歌われます。普通演奏されるニ長調のものはその形なのですが、ここで演奏されているのは変ホ長調のもので、ドイツ語とラテン語の歌詞による4曲の聖歌が挿入されています。そう、これが、バッハのマニフィカートの最初の形、この1923年のクリスマスのために作られたものなのです。楽器編成もニ長調版とは少し異なっていて、2本のフルートは入っておらず、オーボエ奏者が持ち替えでリコーダーを吹くようになっています。
DISC1では、翌年、1724年のクリスマス、25日に演奏された91番、26日の121番、27日の133番と、3日間に渡って演奏されたカンタータを聴くことが出来ます。最初の日の91番こそ、ホルンが2本にティンパニという華やかな編成ですが、後の2曲にはティンパニは入ってなくて、しみじみとお祝いの気持ちをかみしめる、と言った風情でしょうか。
ヘレヴェッヘの、いつもながらの奇をてらわない、流れるような音楽は、まさにクリスマスにふさわしいものです。特に素晴らしいのは合唱。よけいな力が入っていない爽やかな響きには、心を打たれます。無伴奏で歌われるマニフィカートの聖歌「Vom Himmel」の、なんと美しいことでしょう。DISC1DISC2とでは録音場所が違っているので、少しオフ気味のDISC1、つややかなDISC2と二通りのアコースティックスを楽しめるのも魅力でしょう。ソリストでは、DISC2でのソプラノ、キャロリン・サンプソンの伸びのある声が素敵。期待のアルト、インゲボルク・ダンツは、ソロのアリアでちょっとリズムに乗りきれてないのが意外です。もっとうまかったはずなのに。
いずれにしても、280年前のドイツのクリスマス礼拝と同一の体験が味わえるという豪華なアルバム、今年のクリスマスにはこんなのも良いのでは。

11月29日

Impressive Pieces
フジコ・ヘミング(Pf)
ユニバーサル・ミュージック/UCCD-1100
聴きなれたピアノの小品集です。演奏家は、御存知フジコ。私の中では、すでに「長年連れ添った相方」みたいな関係。聴く前から大体の想像がつくという1枚です。
まあ、世の中には仲の良いご夫婦もいらっしゃるでしょうが、大方の熟年夫婦は、相手に対してもはや過大な要望は抱いていないことでしょう。「空気みたいな存在」・・・相手に対してそう思う人が多いのではないでしょうか。それが、「空気」で済んでいるうちは良いのですが、ちょっとした事が気になると、止め処もなく嫌になる。それも良くあるパターンです。普通のおやぢでしたら、「部屋の中を下着で歩き回るな」とか、「一日中ごろごろするな」とか、もしかしたら、妻に殺意でも抱かれてるのではないか、と思ったことも一度や二度ではないはずです(笑)。見る人が見れば「ステキ」と呼ばれることもあるかもしれませんのに。それが夫婦の不思議なところだったりもします。
私にとってフジコはまさにそんな人。彼女の演奏はホント至るところが鼻について、とても楽しんで聴くなんてできません。今回の「雨だれ」もそんな1枚。冒頭のリスト「コンソレーション」から鼻がひりひりして(それは「メンソレータム」)、文句不平たらたらです。どうして彼女は、楽譜に書いてあるリズムをきちんと守らないのでしょう?左手が三連符、右手が16分音符だったら、そこを微妙にずらすのが当たり前でしょうに。(ここは、整理の苦手な妻に対して文句を言う夫に似ています?)彼女なりの歌わせ方があるのかもしれませんが、やはり決まりは守ってもらいたい。でも、それは言ってはいけないのです。次のパガニーニの練習曲。これはもう論外です。化粧の下手なくせに、顔中に白粉を塗りたくる・・・。しかし、そんな妻に対して「化粧を止めろ!」なんて口が裂けてもいえません。ひたすら我慢です。「雨だれ」のタッチの空虚さは、下手な料理を食べさせられる気持ちと言えましょう。「まずい!」といいたい気持ちをぐっと押さえて完食。ちょっと悲しくなります。
全く指の回らないグリーグ、和音がぼろぼろの「舟歌」・・・・。それでも、それが彼女の愛情なんだと「寛容の精神」で最後まで聴き終えました。正直言って、私はこの演奏を必要としていないかも知れないけど、彼女によって癒される多くの人は確かに存在しているのです。先日のドラマ放映後も、また爆発的にCDが売れたといいますから。
こうなると、もう相性の問題なのでしょうかね。私が「パガニーニ練習曲」はフジコで聴きたくない、と思うのは、妻が下着でうろつきまわる夫を嫌がるのと同じ、そういうことにしておきましょう。

11月27日

Musique chorale française
Rupert Huber/
SWR Vokalensemble Stuttgart
HÄNSSLER/CD 93.055
ドイツの合唱団が歌ったフランスの合唱作品集、一見ミスマッチのようでいて、なかなか侮れないものがありました。これは、予想外の収穫ですそうがい?)。
ちょっと前にスパンヤールのアルバムをご紹介しましたが、あれによく似た曲目編成、ドビュッシーの「シャルル・ドルレアンの3つの歌」と、ラヴェルの「3つの歌」という、有名な曲から始まります。今まで数々の名演が存在していましたから、どうしても判断は辛くなりがち、このSWR(南西ドイツ放送)の専属の合唱団は、そのソノリテの無骨さで、あまり良い印象を与えることは出来ません。表現も、何か極端から極端へ走る唐突さが、耳に付いてしまって、そこからはフランス風の「粋」とか「センスの良さ」といったものはほとんど感じることは出来ません。しかし、聴き進んでいくうちに、そのような表現にはとてつもない周到さが秘められていることに気付かされてしまいます。恐るべきことに、全てのパートの全ての音が、あらかじめ計算尽くされたある種の力によって、隅々までコントロールされていたのです。これは、ちょうど、かつてドイツやフランスを中心に盛んに行われていた「トータル・セリー」という作曲技法を彷彿とさせられるものがあります。全ての音の属性をきちんと設定せずにはおかなかった作曲家たちの執念が、ここに来て演奏という次元で開花していたのですね。しかし、ドビュッシーやラヴェルにそのようなアプローチを持ち込むことは、いささか危険な面があることも事実。確かに、「凄さ」は感じつつも、音楽に浸る喜びは、ちょっと見出すのは困難です。
これは、次のメシアンの「5つのルシャン」でも同じことが感じられてしまいます。ただ、この曲の場合、そのような精緻な指向性のために、今まであまり気付くことのなかった対位法の妙味は、実にくっきりと味わうことが出来るはずです。もちろん、その代償として、例えば3曲目の後半に現れるようなある種官能的な部分の表現は、犠牲にならざるを得ませんが。
ですから、このアルバム中、最も成功していると思われるのが、ジョリヴェの「祝婚歌」ということになるのです。「12の声部のヴォーカル・オーケストラのために」というサブタイトルが付いている、まさに楽器と同じだけの超絶技巧を要求されるこの曲は、その、ある種無機的な声の扱いをほとんど楽しんでいるかのようにやすやすと歌いこなしている合唱団によって、圧倒的な訴えかけを持って迫ってきます。めくるめく声の饗宴には、ほとんど陶酔感を憶えるほどの瞬間も。最後のクレッシェンドの凄さといったら。これは、先ほどのスパンヤール盤も含めて、今ある録音の中でのベストでしょう。
その、圧倒的な体験による昂ぶりを鎮めるために、その後にショーソンの「バラード」が置かれていると言ったら、あまりに出来過ぎと感じられるかも知れません。しかし、ここで聴かれるカンタービレは、それまでの曲ではついぞ見られなかったもの、最後の最後にこんな安らかな歌が歌えることを見せつけるなんて、ほんと、侮れません。

11月25日

MAHLER
Symphony No.4 etc.
Christine Brandes(Sop)
Susan Platts(MS)
Kenneth Slowik/
Smithsonian Chamber Players
Santa Fe Pro Musica
DORIAN/DOR-90315
私の大好きなマーラーの第4番の新譜です。とは言え、今回はリットン指揮ダラス響の新譜ではありません。そう、このところ流行の室内楽ヴァージョンの4番、これが、おそらく3枚目のCDとなるはずです。演奏はスミソニアン・チャンバー・プレイヤーズ。実は何気なく聴いてみて、「あれ?この音は何だか聴いたことがあるぞ」と思ったのですね。かなり特徴的で耳に残る音。以前、何かの原稿書いたっけ?と「ジュラシック・サーチ」で検索してみました。すると、CDを取り上げた事こそありませんでしたが、「以前聞いたスミソニアンは衝撃的だった」というくだりがあって、このところめっきり衰えた感のある私の脳細胞も、少しははたらいているじゃん。と一安心したというオマケつき。そう、以前「衝撃のガット弦」といううたい文句でマーラーの“アダージェット”や、シュトラウスの“メタモルフォーゼン”をリリースしていた団体です。ちょっと口に入れる気にはなりませんが(酢味噌に餡)。
彼らの演奏は、とにかく自由度の高いもので、「もしかしたらアンサンブルの概念なんてないのでは?」と考えてしまうような、はちゃめちゃな演奏です。テンポの揺らしは当然、デュナーミクも即興的。早足かと思うと突然気分が変わってゆっくりとした足取りになったりと一時も気を抜けません。そのくせ音色は鄙びたもので、独特のポルタメントをかけた甘い音(これがくせもの)は相変わらず耳に残ります。正直第1楽章は、あまりのくどさに少々辟易しましたが、第2楽章、第3楽章と聴き進み、この演奏に耳が慣れてきた頃にはすっかり緩い雰囲気に飲まれてしまっています。第3楽章の中間部、一番官能的でメロディの美しい部分の素晴らしさ。ここぞとばかりに歌いまくるヴァイオリンの音色は全く麻薬的ですらあるのですから。
終楽章のソプラノは、案外おとなしくて、曲の性格にマッチした演奏と言えましょう。と言っても、バックの演奏は油断なりません。唐突に一切の音がなくなる不安感・・・(ゲネラルパウゼの効果?)これらを多用し、耳を引き付けて離すことがないのです。好き嫌いは分かれるでしょうが、この小回りのよさは、確かにフルオーケストラでは為し得ないものでしょう。
同時収録の「さすらう若人の歌」も、面白さ満点。聴き手に程よい緊張感を強いる演奏と言うのはやはり忘れ難いものなのかもしれません。

11月24日

SAINT-SAËNS
Le Carnaval des Animaux etc.
Renaud Capuçon(Vn)
Gautier Capuçon(Vc)
Emmanuel Pahud(Fl)
Paul Meyer(Cl)
VIRGIN/VC545602 2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55611(国内盤)
ビートルズの「サージェント・ペパー」のジャケットをパクったのではないかと思わせられるような楽しいデザインのこのCDは、カピュソン兄弟(今までは「カプソン」とプリンターみたいな表記をしていましたが(それは、エプソン)、メーカーがこのように呼び方を変えたようなので、それに合わせます。そこまで言うなら、「キャピュソン」なのでしょうが)を中心としたアンサンブルによる、サン・サーンスの室内楽アルバムです。
メインは有名な「動物の謝肉祭」。これは、いかにも気のあった仲間たちが、お互いに楽しみながらやっているというのがとてもよく分かる仕上り。元々そんな肩肘を張って挑戦するような曲ではないわけですから、適度に力を抜いて、時にはユーモアを交えるというのは、この曲の正しい演奏のスタイルなのです。「森の奥のかっこう」でのメイエのさりげない3度の下降音型の心憎いこと。次の「大きな鳥籠」でのパユの軽さ加減といったら。ほとんど無気力な演奏になる紙一重のところで留まっているこの危うさがあるからこそ、彼は悩める現代社会でこれほどまでにもてはやされているのでしょう。「白鳥」のゴーティエ・カピュソンにも、一昔前までの大家のような仰々しさは微塵も感じることは出来ません。そこにあるのは、蒸留水のようなすがすがしいたたずまい、爽やかに通り過ぎる音たちには、実に心地よいものがあります。そこへ行くと、「ピアニスト」でのブラレーとダルベルトはちょっとやりすぎ、ユーモアのセンスをはき違えているところが、逆に笑えますが。
ルノー・カピュソンのソロによる「ヴァイオリンとハープのためのファンタジー」は、おそらくこのアルバムの中ではもっとも聴き応えのあるものではないでしょうか。彼のテクニックとセンスの良さが遺憾なく発揮された名演です。ゴーティエがソロを取っている小品も、なかなかのものではあるのですが、「白鳥」で見られたような「軽さ」が、この場合はやや物足りなく感じられてしまいます。
ところで、今回は国内盤を聴いてみたのですが、そのライナーノーツのお粗末さにはあきれかえってしまいました。例えば、「動物の謝肉祭」の楽器編成は「2台のピアノ、2つのヴァイオリン、アルト、チェロ、コントラバス、フルート、クラリネット、ハーモニカ、シロフォン」とあります。さて、「アルト」とは何でしょう。女性ヴォーカルでしょうか。いいえ、この場合は、「ヴィオラ」のこと、フランス語では、確かにヴィオラのことを「アルト」といいます。さらにもう一つ、「ハーモニカ」です。これは、どんな人でも、ミヤタとかトンボといった(知らない?)口にくわえて吹いたり吸ったりして音を出すリード楽器を思い出すはずです。しかし、サン・サーンスが指定したのは「グラスハーモニカ」という楽器、いわゆる「ハーモニカ」とは縁もゆかりもない、コップの縁をこすって音を出す珍しい楽器なのです。「アルト」にしても「ハーモニカ」にしても、輸入盤のライナーにあったものを何の考えもなくそのまま表記したのは、もちろん東芝EMIの社員の方なのでしょう。そうなのです。私のような素人でも分かるほどの最低限の知識すら持っていない人がクラシックのCDを作っているというのが、この会社。そんな、クラシックに対して何の愛着も感じられない人たちだからこそ、何のためらいもなく「CCCD」などというバカなものを導入できたりするのでしょう。

おとといのおやぢに会える、か。


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