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父はコック。.... 渋谷塔一

(03/8/2-03/8/17)


8月17日

MAHLER
Symphony No.2
Gilbert Kaplan/
Wiener Philharmoniker
DG/474 380-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1164(国内盤 8月27日発売予定)
オトコと生まれたからには、一度はやってみたいこととして「プロ野球の監督、大会社の社長、そしてオーケストラの指揮者・・・・・」が挙げられると、昔何かで読みました。そんな夢を2つも叶えたのが、今回のギルバート・キャプラン氏というわけです。実は、彼の名前はすでにマニアの間ではお馴染み。25歳の時、カーネギー・ホールにてストコフスキ指揮アメリカ交響楽団の「復活」を耳にして以来、彼は一発でこの曲に憑かれてしまったのかもしれません。その2年後に興した会社の成功のおかげで、存分に「復活」の研究に取り組むことが可能になった彼は、なんと、自前でオーケストラを雇い、自ら指揮をして「復活」だけのコンサートを開催したのです。1987年にはロンドン交響楽団と念願のレコーディングを実現、その時は口さがない聴衆から「金の力でオーケストラを買い取っただけじゃないか」とまで言われたものですが、「金持ちけんかせず」とはよく言ったもの。通常の装丁のアルバムの他に、特製CD-R付きの豪華版・・・(これには彼の所蔵する貴重なマーラーの写真や自筆譜のファクシミリが収蔵されてます)も発売されて、彼の名前は一層知れ渡ることになったのです。
それ以降、彼は世界各国で「復活」を演奏。彼のこの曲に対する愛はいよいよ深まるのです。そして今回、ついにウィーン・フィルを振って天下のDGに録音と相成ったわけです。「おお!ついに金に力を言わせてVPOを買い取ったのか!」と誤解しないでください。あくまでも、DGの方から企画を持ちかけたそうなのですから。その夢のような企画に対して、彼は最新エディション、もちろん自分で校訂したものを引っさげて録音に臨んだのでした。
そんなキャプランの今回の「復活」です。もとより長大な曲ですから、途中で少しだけ間延びするところもないわけではありません。そして、VPOを完全に掌握しているか?と聞かれればそれも「NO」と答える他ないことも事実です。例えば、終楽章のティンパニの連打の後のトゥッティなどには一瞬の乱れが感じられたりもします。(ホントはここでカッコよく決めてほしい)しかし、全編に渡って溢れる愛情は、他の指揮者や演奏家の比ではありません。例えば第2楽章の美しいレントラー。ここの甘い弦の音は今まで聴いたなかでも最高に官能的なものでした。「私はこの曲が好きなんだ!」こんなに強烈なメッセージを受け取るのはほんと久し振りです。巷には色んな音楽が溢れています。CDもそうです。しかしその中には、まるでやる気が感じられないものも混じっているように思うのです。レコード会社の思惑、無理なスケジュール。それらが演奏家の仕事を単なるルーティンワークに貶めているのではないか。そんな危惧すら感じてしまう昨今、こういう究極の1枚があってもいいんじゃないか。と、貧乏暇なしおやぢは最後の合唱に感動しつつ、ため息をつくのでした。

8月16日

Opera Arias
Anna Netrebko(Sop)
Gianandrea Noseda/
Wiener Philharmoniker
DG/474 240-2
(輸入盤・未発売)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1160(国内盤)
ちょっと前のことですが、2、3人の知り合いから「この前の教育テレビの芸術劇場見た?グリエールがものスゴク良くってさ」と、同じような内容の話を聞きました。私は生憎見逃してしまったので、その時は、そんなに良い曲ならデセイの歌ったCDがあるからそのうち聴いてみようかな・・・と考えていました。しかし、不思議なことに、誰も歌った歌手について言及しませんでしたし、そもそも、何のコンサートだったのかも分からなかったので、それきりになってしまいました。
さて、今回のアンナ・ネトレプコです。最近注目の若手ソプラノで、今秋のキーロフ歌劇場来日公演でも歌う予定。かのゲルギエフのお気に入りの歌手のようで、(何でも劇場の床磨きをしている時に見出されたとか!)いきなりDGからのアリア集デビューという恵まれた人です。この人のアルバムが出る話は5月くらいから聞いてまして、私はある伝手を辿って、その片鱗だけ聴かせてもらっていました。その時のデモテープに収録されていたのがマスネ「マノン〜私が女王さまのように道を歩けば」とプッチーニ「ボエーム〜私が町を歩くと」の2曲。曲の内容のせいもあるでしょうが、彼女の声は生まれながらの女王さまでした。さすがにムゼッタに要求されるべき「むんむんの官能性」はちょっと足りなく思いましたが、マノンでは「確かに道行くオトコがみんなひれ伏すに違いない」と感じるほどの存在感と気位の高さ!プリマ・ドンナとはどんな歌手でもなれるものではなく、こういう人にのみ許された称号なのでしょう。とにかく一度聴けば忘れられない声の持ち主です。最近いろいろな媒体にインタヴューが載ってますが、「私は何でも歌えるのよ」と、少し高飛車で鼻っ柱の強そうなところがまたカワイイのです。
そんな彼女のアルバムがやっと発売され、今回収録の9曲を全て聴くにつけ、やはり最初の印象は間違っていなかったなと改めて思ったのでした。モーツァルト、マスネ、ベッリーニ、グノー、プッチーニ、そしてベルリオーズからドヴォルジャークまでというレパートリーの広さ、そしてそれらの曲を完全に手中に収め易々と歌い上げる彼女の才能は、これからいよいよ開花していくに違いありません。艶のある高音域、コロラトゥーラの確かな技術、そして声そのものはリリコ・スピント。秋の来日の際は、また大騒ぎになること間違いないでしょう。
さて、冒頭の話の続きです。もう1人の音楽通の友人が「先日の教育テレビのサンクトペテルブルグ建都300周年ガラコンサートはすごかった」というのです。「何が?」「うん、グリエールの声楽のコンチェルト!」ああ、例のあれかと思いましたよ。でもキーロフ&ゲルギエフだったんだ・・・・。「歌手は誰?」と訊いてみたところ「いや、名前も知らない人だね。でもスゴク巧かった。緑のドレス着てたサ」と。とにかく気になって調べてもどうしてもわからない。やきもきしてたところ、ケイタイにその友人からのメールが一言、「アンナ・ネトレプコ」。やはり彼女は大物だったのです。

8月15日

TCHAIKOVSKY
Piano Concerto No.1
Arcadi Volodos(Pf)
小澤征爾/
Berlin Philharmonic Orchestra
SONY/SH 93067
(輸入盤 hybridSACD
ソニー・ミュージック/SICC-135(国内盤先行 8月20日発売予定)
お待ちかねのヴォロドスの新譜です。曲は、最近耳にすることの大変多い、チャイコフスキーのピアノ協奏曲。若き名手は、この超有名曲をどのように料理するのでしょう。その上、バックを固めるのが小澤征爾指揮ベルリン・フィルですよ。これは本当に楽しみな1枚です。
さて、早速彼の演奏を聴いてみましょう。広大なロシアの大地を思わせる冒頭の主題、これをかなり軽快なテンポで弾き進めていきます。その流れるような音楽の気持ち良さ。以前聴いたランランのように、力任せにねじ伏せるわけではなく、あくまでも自由自在に音楽を仕切って行くのです。もちろん、某女流ピアニストのように音楽に翻弄されてしまうという感じは全くありません。唖然とするほど充実した1楽章。どちらかと言うと「泥臭い」イメージのあるこの曲がここまで小洒落た音楽に仕上がるとは思いもしませんでした。とにかく細部が粋なんですね。
彼の特徴の一つに、メロディの歯切れのよさがありますね。これは彼のタッチの鋭さにも関係しています。粒立ちの良いピアノの音色一つ一つが、まるで光の中で踊るかのように、めまぐるしく表情を変える様は、聴いていて思わずくらくらするほどの愉悦感。小澤もそれを理解しているのでしょう。ベルリン・フィルの能力を最大限に活かした見事な伴奏には思わず唸ってしまいます。
そして、美しい第2楽章。冒頭のフルートを吹いているのはたぶんパユさまでしょう。それは置いておいてヴォロドスです。弱音もうっとりするほどキレイですね。しかし、それ以上にすごいのが中間部。ここでの軽やかな音の群舞はまさに一聴の価値ありです。ピアノとオケが完全に一体化している瞬間は、思わずどきどきしてしまうくらいの緊張感も伴うのです。
そして終楽章。ああ、これはスゴイです。爆発するかのようなオーケストラ。完璧なピアノ。その両者が一体となって、まるで火の玉のように突き進むさまは、ピアノ好きの方全てに聴いていただきたい・・・・・と、心の底から願いたくなる快演です。残念なのは、最後の拍手がすぐフェード・アウトされてしまうこと。もう少し会場の観衆と興奮を分かち合いではありませんか。
しかし、某女流ピアニストの時は「この曲長すぎない?」と感じたはずなのに、今回は「もう終り?」と名残惜しくなる感じ。カップリングのラフマニノフの小品に触れる余裕がなくなりましたが、こちらも素晴らしいのなんのって。
「巧い」と思える人は何人もいますが、「かっこいい」と思えるのは、ホロヴィッツとヴォロドスくらいですね。オンナをしびれさせる海の男ってか(それはマドロス)。

8月13日

à la Gloire de Dieu
Harry Christophers/
The Sixteen
BBC Philharmonic
CORO/COR16013
塩タン食べてぇ」ではなく、「主を称えて」というタイトルのこのアルバム、メインはストラヴィンスキーの「詩編交響曲」と、プーランクの「テネブレの7つの応唱(レスポンソリウム)」という、オーケストラ伴奏の付いた大規模な合唱曲です。ジャケットには、マルピー(P)が2003年となっていたので、最新録音だと思ったのですが、実は、これは今はもうなくなってしまったCOLLINSというレーベルに10年近く前に録音されていたものを再編集したものでした。しかし、同じCOLLINS音源でも、BRILLIANTREGISに移行したものには、なにか胡散臭さがつきまとってしまいますが、このCOROというレーベルでは演奏者自身がきちんとリリースに関わっているようですから、安心できます。
というのも、この中のプーランクの作品は、非常に録音が少ない貴重なものだからなのです。1963年に初演が行われたにもかかわらず、この曲が初めて録音されたのはそれから20年も経った1983年のこと、その、プレートルによるEMI盤は国内盤も出ましたが、おそらく現在は入手は困難でしょう。それ以後もこの曲が録音された形跡はなく、したがってこのクリストファーズによるものが、現時点での唯一の録音ということになるのです。
レナード・バーンスタイン時代のニューヨーク・フィルからの委嘱によって作られた「テネブレ〜」は、「グローリア」とか「スターバト・マーテル」といった、大規模のオーケストラと合唱のための多くの作品の最後を飾るものとして、特異な光を放つものです。キリストの受難を描いたラテン語のテキストに基づいたものですが、ここでプーランクは、今までの作品の中では見られなかったような実験的な表現を随所で行っており、少なからずショッキングな響きは、それまでのプーランクに馴染んだ耳には、あるいはとっつきにくいものがあるかも知れません。しかし、作曲家の熟達の筆致は、鋭角的な和声の中からも、粋な輝きを見せることを忘れてはいません。聴き込むごとに、その魅力はいや増すことでしょう。ハリー・クリストファーズ率いる「ザ・シックスティーン」は、ルネサンスあたりの合唱曲を専門にしているような印象がありますが、かつてVIRGINに録音した2枚のプーランクのアルバムでも分かるとおり、この近代フランスの作曲家の作品に対してもレベルの高い演奏を残しています。そして、この「テネブレ〜」はというと、初録音であるというだけで、演奏的にはなんの価値も見いだせないプレートル盤に比べると、格段のクオリティの高さが見られます。何よりも、合唱パートの充実ぶりには目を見張らされます。さらに、クリストファーズは、マンチェスターにあるBBCフィルハーモニックからも、緊張感あふれる活き活きとした響きを引き出しています。そんなオーケストラの中に埋没してしまうのではなく、はっきり合唱が主張されているクリアな録音にも好感が持てます。
もう1曲のメイン、ストラヴィンスキーの「詩編交響曲」も、管楽器だけによるオーケストラと、合唱のポリフォニックな掛け合いが見事に描き出された、優れた演奏です。

8月11日

R.STRAUSS
Sonatina"Fröliche Werkstatt"
Ensemble Villa Musica
MDG/304 1172-2
期待の1枚があまり面白くなかった・・・・。そういう事もありますよね、マスター。その逆に、「ま、とりあえず聴いてみるか」と手にしたCDが結構良かった・・・・これも、割合よくあることかもしれません。
そんな1枚、私がシュトラウス好きなのを知っているホルン吹きの友人が「これはいいぞ!」と勧めてくれたものが、このR・シュトラウスの管楽器のための作品集の第1集です。ここに収録されているソナティナ第2番「楽しい仕事場」は、管楽器奏者としては聴き応えのある作品だそうでして、各々の奏者の名人芸を存分に楽しむのに最適だというのです。この曲は1944〜5年の作品で、「モーツァルトの霊に捧ぐ」とあることからもわかるように、シュトラウスのロココ趣味が全面に押し出された何とも軽やか、かつ濃厚な音楽です。聴き手によっては、「響きが均一すぎてつまらない」とか「あまりにもねっとりしててイヤ」なんて言う人もいますが、好きな人にとってはたまりません。若いオネエチャンの哄笑のような、若やいだ音の応酬はまさにシュトラウスの真髄といえましょう。さらに彼が言うには、奏者の顔ぶれがスゴイんだとか。「このゴリツキは、CLAVESからアルバムを出しているし、ガークは確かミュンヘン・フィルの首席だな。アッツォリーニの名前も知ってるしファゴットのトゥーネマンも名手だぞ!」と、ライナーを見ながら興奮口調で話してくれるのですよ。その上、フルートのジャン=クロード・ジェラールと言ったら、日本でもお馴染みのフルーティストではないですか。確か70年代から80年代にかけて、バイロイト祝祭の首席を務めたほどの名手のはず。シュトラウスの後期の作品の演奏にはオペラの経験が役に立たないはずはありませんからね。(ジェラールとアンサンブル・ヴィラ・ムジカの演奏としてNAXOSからモーツァルトのフルート四重奏曲がでています。)
そんなスーパースターが一堂に会した、このCDの演奏は、まさに喜びに溢れた、輝かしいものでした。1楽章、「ああ、シュトラウスだな」と思わず感じ入る弾むような主題に思わず耳を奪われます。そこから12分、なんと心地良い音の絡まり具合なのでしょうか。聴いてるだけで、「とんでもない難曲」なことも理解できるのですが、にもかかわらず楽しい気分になれるのがスゴイことです。2楽章のアンダンティーノ。ここでの集中力と緻密なアンサンブルも聴き物ですし、第3楽章のメヌエットでの溌剌とした音も素敵です。そして第4楽章の素晴らしいこと。これはかのオーボエ協奏曲を彷彿させる音の踊り。いたるところから寄せては返す音のこだまこそ、シュトラウスを聴く愉悦感そのものでしょうか。
カップリングの「ティル」の木管五重奏&ピアノ版も聴き所が多いですが、やはり曲の作りが未熟だな。と感じてしまうのは、仕方ないことなのだと思っているのですが。

8月9日

KHACHATURIAN,IBERT
Flute Concertos
Emmanuel Pahud(Fl)
David Zinman/
Tonhalle-Orchester Zürich
EMI/557487 2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55587(国内盤9月下旬発売予定)
今年は、「剣の舞」というヒット曲のおかげで、殆ど一発屋としか見られていないアルメニアの作曲家ハチャトゥリアンの生誕100年にあたります。普通、このような記念の年には、レコード会社あたりが音頭を取って大々的にキャンペーンが繰り広げられるものなのですが、ハチャトゥリアンの場合は今ひとつ盛り上がりに欠けているのは、なぜなのでしょう。映画はあれだけ盛り上がっているというのに(それは「パイレーツ・オブ・カリビアン」・・・ちょっと苦しい?)。
そんな中、彼のフルート協奏曲だけが、このところあちらこちらで脚光を浴びています。高木綾子、工藤重典、瀬尾和紀という、日本を代表する若手フルーティストが相次いでコンサートでこの曲を取り上げるというのは、今まで殆ど生でこの曲を聴く機会のなかったファンにはありがたいことです。そして、ついに、あのパユさまの手によって、メジャーレーベルには10年以上新しい録音のなかったこの曲が、録音されたのです。
ご存じのように、このフルート協奏曲はハチャトゥリアンのオリジナルではなく、ヴァイオリン協奏曲をランパルがフルート用に書き換えたもの。したがって、演奏に要求されるテクニックといったら、生半可なものではありません。さらに、ヴァイオリンではなくわざわざフルートで吹いているという必然性を感じさせるために、演奏家が備えなければならない資質といったら、気が遠くなるほどのものがあります。しかし、それだけの高いハードルを越えた末にもたらされるであろう感動は、時にはオリジナルのヴァイオリンをしのぐ場合もあり得るのです。
このアルバムでのパユの演奏、そのような理想に照らし合わせてみた場合、あまりにも隙が多すぎます。第1楽章での軽やかさには程遠いビート感、これはあるいは伴奏のジンマンが責められるべきなのかも知れませんが、拍を強調しすぎた重苦しいリズムからは、以前のパユに見られた輝くばかりの技巧の冴えは殆ど感じることが出来ません。第3楽章も同じこと、3拍子のリズムから生まれるはずの踊り出したくなるような躍動感が、どこかへ行ってしまっています。そして、もっとも気になるのが第2楽章のあまりの淡泊さ。殆ど民族音楽と言っても構わないこの音楽に、もっと泥臭い息吹を望むのは、私だけではないはずです。
もう1曲、やはり高度の技術が要求されるイベールの協奏曲が収録されています。これも、何かが足りません。イベールって、もっと粋じゃなかったっけ。パユって、もっと楽々吹いていたんじゃなかったっけ。そんな思いが切に募ります。
ちなみに、これは輸入盤のCCCD。国内盤とは若干規格が違うようですが(Macでも再生可)、妙にざらついたフルートの音が気になります。普通のCDだったら、もしかしたら演奏の印象も変わるかも知れないという不信感を抱かれた時点で、この技術を取り入れたメーカーは過ちに気づくべきです。

8日8日

SCHUBERT
Die Schöne Müllerin
Christian Gerhaher(Bar)
Gerold Huber(Pf)
ARTE NOVA/82876-53172-2
(輸入盤)
BMG
ファンハウス/BVCE-38064(国内盤)
最近、目覚しい活躍をしているバリトン歌手、ゲルハーエルの新譜です。曲は「美しき水車小屋の娘」。そう、これでシューベルト3大歌曲集(鞭と浣腸と蝋燭・・・それは「3大加虐集」)制覇です。国内盤はちょっとリリースの順番がずれましたが、本来は「白鳥の歌」から始めて、「冬の旅」そして「水車小屋」と、いわば最後から遡って音にしているとでも言いましょうか。私が最初に聴いたのは、「冬の旅」でした。よくあるような老人の回想としての曲集ではなく、あくまでも若者の苦悩として描き出されていたのを聴いて、本当に目からうろこが落ちた気がしたものです。そして「白鳥の歌」での柔らかな叙情性。これも若さならではの表現でした。
今回の「水車小屋」は彼のような、「等身大」で歌う人にとっては一番身近ではないでしょうか。もともと安定した美声の持ち主ですし、ドイツ語の発音も美しい彼、安心して音楽に浸れるに違いありません。
しかし、第1曲「さすらい」はちょっと期待外れだったのです。なんだか真面目で面白くないのです。もう少しはめを外してもいいんじゃないか?そんな気がするほど冷静な歌い方。ピアノのフーバー(ゲルハーエルの良きパートナーですね)も、精彩のない伴奏です。これは第2曲でも同じ。私の好きな曲なのに、ちっともわくわくしません。まるで棒読みとでもいうのでしょうか。もっと溢れるような衝動にかられても良さそうなものなのに、このまま進んでいったらどうしよう・・・・。そんな不安にかられつつ曲が進んでいきます。しかし、曲が佳境に入る中間あたりから、見る見る色が濃くなっていくのです。第9曲「水車屋の花」、第10曲「涙の雨」。この2曲の素晴らしさ。一つ一つの言葉を噛んで含めるように歌うゲルハーエル。そして一つ一つの音に祈りを込めるかのようなフーバー。全く言葉を失うほどに美しいものだったのです。
この人はきっと常に冷静なのでしょう。じっくり心情を吐露するような曲が向いているのかも知れません。だから、激情的な曲はつまらないのかも。そう納得した矢先、第11曲「わがもの」が始まります。するとどうでしょう!これがステキなんですね。息をもつかせぬ推進力。激情、焦り、全てが歌い込まれています。こうなると、ここから先は一気です。ただ、どの曲でもみだりに髪を振り乱すような事はありません。第15曲「嫉妬と誇り」でも節度ある表現が彼らしいところです。最後の曲も、あの「白鳥の歌」での名演が彷彿とさせられるしみじみとしたものでした。
こんなに素晴らしい演奏なのに、あいかわらず800円前後。すごいぞ!ARTE NOVA

8月6日

MARX
Nature Trilogy
Steven Sloane/
Bochum Symphony Orchestra
ASV/CD DCA 1137
ヨゼフ・マルクス(1882-1964)の管弦楽作品集です。彼の作品は、このページでは何度か取り上げたことがありますが、まだまだ知名度は高くはありません。どちらかというと、歌曲と室内楽のジャンルで知られていて、管弦楽作品は聴く機会がありませんでした。そこに、ASVが全管弦楽作品の録音を企画、今回のリリースが第1集とのことですので、これからその全貌が明らかにされるのでしょう。本当に楽しみです。
活躍した年代からも想像すると、シェーンベルクやベルクのいわゆる「新ウィーン楽派」に属するのかな?とも思えますが、彼の作風は思い切りロマンティック。R・シュトラウスが「4つの最後の歌」で垣間見せた黄昏の音楽を、そのまま継承した人と言っても間違いないでしょう。
今回の「自然三部作」は1922年から25年にかけて書かれた音楽で、シュトラウスとワーグナーにドビュッシーを混ぜたような、なんとも噎せ返るような濃厚な味わい。1曲目の「交響的な夜の音楽」は、まさにロマン派の終焉の音と言えましょう。濃密な全音階で大きくうねる音の流れは、かのツェムリンスキーの音楽とも似た感触がありますが、あそこまでシニカルではなく、もう少しわかりやすいかな。あからさまな自然賛美が美しく結実したとでもいうのでしょうか。ひたすらゆったりとした音の流れに身をまかす至福の26分です。2曲目の牧歌も、題名そのもの。こちらはちょっとヴォーン・ウィリアム調の哀愁を帯びた木管の響きの応酬がたまりません。厚みのある弦の響きにのって、繰り広げられる笛たちの踊り。吹き抜ける一陣の風のようなハーブの音色で、一瞬断ち切られるまどろみ。この浮遊感がたまりません。3曲目の「春の音楽」こちらは、またいかにもワーグナー風の華麗な世界。躍動的で喜ばしい気分が全体に漲っています。
演奏しているのはドイツのボーフムと言う町にある交響楽団です。94年に音楽監督に就任したスローンの元で着実に成長しているオケだそうで、意欲的なプログラミングに対して、ドイツ批評家協会から賞を贈られたこともあるとか。弦の厚みのある美しい音色は、さすがドイツ。伝統の重みすら感じます。こんな元気なオーケストラのある町は、さぞかしステキなのでしょうね。蚊は多いでしょうけれど(ボーフラ?)

8月4日

Soprani
Liam O'kane(BS)
hard Romantic
ポリスター/PSCR-5756
先日、いつもと違うCD店に足を伸ばしてみました。やはり行きつけのお店とは違い、並べ方や置いてある品物も微妙に違い、ついつい嬉しくなって試聴機のアイテムを端から試してみたりします。そんな中、興味を引いたアルバムが1枚。「"Sincerely" hard Romanticベストアルバム。メロウでアンビエント、ひそやかな音楽」とコメントに書いてあります。どうせ、今流行りのヒーリング物だろうと思いました。続けてコメントを読んでみますと、「エンジェル・ヴォイスのボーイ・ソプラノをfeatureしたアンビエント。オリジナル曲から、R・シュトラウスまで・・・・」何ですと?R・シュトラウス?G線上のアリアや、だったん人の踊りをアレンジした曲は聴いたことがありますが、シュトラウスなんてどこをどうすればヒーリングになるんだ!と驚いたのが、注目した理由だったんです。
曲は「Morgen!」そうです。これはシュトラウスがパウリーネとの結婚を記念して、花婿から花嫁に贈ったたという彼の個人的な愛の歌で、美しいピアノの前奏に導かれ、呟くような声で静かな愛の喜びを歌うと言うもの。そういえば、以前もオーボエ・ソロに編曲されたものを聞いたことがありますから、彼の歌曲の中では比較的有名なものとして知られているのでしょう。
このアルバムでは、その「Morgen」をボーイソプラノで歌わせます。驚いたことに、曲そのものには全く手を加えてありません。伴奏もメロディも、慣れ親しんだ原曲通り。ここにまず惚れました。電気的に処理されたピアノの音色はなんとも不思議な味わいで、微妙に揺らいだ音の振幅を聴いていると、深い水底を漂うような瞑想的な気分になります。そして、リーアム・オケーン君のボーイ・ソプラノが美しいことこの上なし。彼は当時12歳、聖歌隊に所属し、エルトン・ジョンとも共演したという素晴らしい声の持ち主。(今はもう大人の声でしょうが)優しく脆く儚い・・・・まさにエンジェル・ヴォイス。そんな声で「私たちは言葉もなくお互いの瞳を見つめあうでしょう。そして私たちの上に至福の沈黙が訪れるでしょう」なんてちょっとエロティックな歌詞が歌われるのです。
あまりにもオケーン君の歌声が耳に残ったので、実際に購入したのは、このベスト盤ではなく旧譜の方です。全曲オケーン君の歌声ばかり。なんだかアイドルのCDを買うような恥ずかしさもあったりして、このどきどき感もたまりません。
"hard Romantic"とは、コンポーザー、プロデューサー大橋宏司を中心として1996年にデビューしたグローバル・ユニットで、女性に絶大なる人気を誇っているのだそうです。日頃、このジャンルとは無縁の私は名前すら気に留めたこともなかったのですが、センスのよさというか、目のつけどころの鋭さには舌を巻きました。クラシックを素材にしたものは、他にもショパン、ラヴェル、そしてヴォルフ(!)なんかもあります。もちろんオリジナル曲もなかなかすてきです。もうじき、新作も登場するとのことで、こちらもちょっと聴いてみようかな。とちょっとだけ新しい気持ちになったおやぢでした。

8月2日

THE VERY BEST OF LUCIA POPP
Lucia Popp(Sop)
EMI/585102-2
EMIの誇る名歌手たちの歌声を集めた2枚組「THE VERY BEST OF SINGERS」シリーズは、すでに既発の10タイトル、今回10タイトルと、合計20タイトルがお求め安い値段で販売されています。フレーニ、カラス、ロス・アンヘロス、カレーラス、ドミンゴなど、さすが天下のEMI、音源は数限りなくありますね。もちろんあのシュヴァルツコップも今回発売されています。そんな中からお気に入りの1枚を。
今から10年前、新聞の夕刊でルチア・ポップの訃報を知りました。54歳という、早すぎる死。涙したファンも多かったのではないでしょうか。私はといえば、当時大切にしていたR・シュトラウスのリート集を引っ張り出して、一人で彼女を偲んだものです。それこそ、彼女の歌う「子守歌」は絶品でした。
今でも彼女の声を愛する人は多いはずです。そんな思いを強くしたのが、CD1の冒頭に置かれたドヴォルジャークの「月に寄せる歌」でしょう。「ルサルカ」という、夏場の冷蔵庫の大切さがテーマのオペラ(それは、「クサルカ」)の中の有名なアリアですが、これがまたチャーミング。なぜ全曲を残してくれなかったのかが悔やまれるほどの素晴らしいものです。最初聴いた時、チェコ語が全くわからなかったにも拘わらず、この歌の意味が何となくわかるほどの説得力。そして、チェコ語の少し粘りつくような発音の美しさ。これらが哀愁を帯びたメロディと相俟って、独特の光を放ちます。「毅然とした」、「高貴な」などという表現がふさわしい、そんな歌声です。
そしてそれはほんの小手調べ。スメタナのオペラからチャイコフスキー、あのテンシュテットとの共演で今でも購入者が後を絶たないという、シュトラウスの「四つの最後の歌」、カルミナ・ブラーナより3曲、マーラー交響曲第4番の終楽章・・・・これだけでCD1枚分。そしてCD2には、お得意のモーツァルトからシューベルトの歌曲、最後に喜歌劇「こうもり」よりアリア、それも、アデーレではなく、公爵夫人のチャールダッシュなのに驚いてしまいました。
彼女のイメージは、どちらかと言うと主役を張るプリマ・ドンナではなく、あくまでもスープレッド役。スザンナやアデーレと言ったカワイイ侍女をついつい思い浮かべてしまいそうです。しかし、それは彼女のほんの一面。チェコのオペラ、そしてシュトラウスでの名唱の方がこれから残りつつあるような気がします。

きのうのおやぢに会える、か。


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