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アンパン、飢えてるん。.... 渋谷塔一

(03/1/15-03/2/10)


2月10日

MOZART
Piano Sonatas
Alfred Brendel
PHILIPS/473 689-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCP-1072(国内盤 2月26日発売予定)
最近、CDが貯まりすぎて、家人の冷たい目に少々肩身の狭い思いをしている私。この際、少しCDの購入を控えようかと心に決めた矢先、発見してしまったのはブレンデルの最新盤ではありませんか!先ほどの決意などどこへやら、店頭で3分聴いた時点で、CDを手にレジに走る私がいたのです。
ブレンデルの最近のモーツァルトは、協奏曲もソナタも素晴らしいと思います。「子供に還った気持ちで弾くんだよ」と彼自身が述べていたように、本当に純粋で無心な喜びに溢れた音楽は、聴くものの耳を欹てます。今回も、「3分でレジに走った」のは、K397の幻想曲を聴いた時。この曲は、よく学習用としても使われる有名な曲で、5分程度の短い曲ですが、単純な分散和音で始まるニ短調の陰鬱な部分が流れてきただけで、いんうつの間にかとても落ち着かない気分になってしまったのです。そして、一転して希望に満ちたニ長調の部分が始まると、もう誘惑に勝つことなどできませんでしたね。とりあえず「私の物」にしてから、残りの部分をお店でゆっくり鑑賞。その後に収録されているK311のソナタも絶妙でした。
さて、家に帰ってしみじみ聴き返し、「なぜ、彼のモーツァルトにこんなに心惹かれるのだろう」と考えてしまいました。何しろ幻想曲にしても、今回収録されているソナタにしても、今までに色んな種類の演奏で聴いてきたはずなのに、ここまで「良いな」と思ったことはなかったものですから。で、ここからは本当に個人的な感想になりますが、彼のモーツァルトには、いつもちょっとした驚きがあるんですね。装飾の付けかたもそうですし、ちょっとした小粋な表現もそう。「一聞き惚れ」した幻想曲では、短調から長調に変わる一瞬の間合いが泣きたくなるほど美しいし、K311のソナタでは、第1楽章の最後、即興的に挿入されたような4小節でのいたずらっぽい口調がたまりません。
モーツァルトのソナタ、楽譜は本当に単純です。ある程度指が回れば、弾きこなすのは簡単そう(それは単なる錯覚ですが)。しかし、ブレンデルを聴いていると、そのシンプルな楽譜の余白にいかにたくさんのものが隠されているのかが、よくわかるのです。そして、それを一つ一つ発見する喜び。これこそが私がブレンデルのモーツァルトを愛する最大の理由でしょう。

2月8日

Our American Journey
Chanticleer
TELDEC/0927-48556-2
(輸入盤)
ワーナーミュージック・ジャパン
/WPCS-11500(国内盤 2月19日発売予定)
アメリカの12人組の男声合唱団シャンティクリアは、今年で創立25周年にもなるそうなのですね。そんなに長い活動をちゃんとクリアしていたなんて、知りませんでした。もっとも、メジャー・レーベルのTELDECからデビューしたのはわりと最近(それでも10年以上はたっている)ですから、広く知られるようになったのはそんなに古いことではありません。
このニュー・アルバムは、そんな彼らの長い歴史を感じさせられるような、極めて内容の充実したものになりました。いわば、アメリカの合唱音楽の歴史を彼ら独自の視点から俯瞰したというような、とても興味深いものです。それは、音楽の成り立ちを、先住民族や移民まで含めたアメリカという国の成り立ちから考えていこうという確かなコンセプト、このアルバムを聴き終わった時、この国の持つ特異な音楽的バックグラウンドを目の当たりにして、確かな感動を味わえる人は少なくはないはずです。
最初に聴かれるのは、アパラチア地方の伝承歌「我を導きたまえ、汝偉大なるエホヴァ」です。ユニゾンで歌われるシンプルなメロディーには、他のどの国にも見られない、アメリカの原点のようなものが感じられることでしょう。次に、同じアメリカでも、スペイン語圏で作られた、17世紀ごろのポリフォニー音楽。ヨーロッパのルネッサンスがそのまま新大陸でも開花した格調高い音楽も、アメリカ音楽のルーツであるという、彼らのポリシーの現れです。そして、19世紀の「シェイプ・ノート」という、いわば「パート・ソング」の曲が続きます。彼らは、仲間とともに楽しもうというこれらの歌の特性をことさら誇張した歌い方で、独特の雰囲気を表現しています。
ここで、現代の作曲家による、ある種シリアスな合唱曲が演奏されることにより、今のアメリカの作曲事情を垣間見ることが出来ます。日本の猿丸太夫の短歌(百人一首にある「奥山に〜」)をテキストにしたジャクソン・ヒルの「秋の庭」に見られる声明の引用や、ネイティブ・アメリカンのブレント・マイケル・デイヴィッヅの「幌の無い馬車」の独特のポリフォニーから、アメリカ独自の語法を読み取るのは容易なことです。
そして、最後のブロックに来て、やっと、普通「アメリカ的」と言われるフォスターやブルーグラス、黒人霊歌といったものが出てくるのです。最後の「私は巡礼」などは、ピアノも入ったゴスペルのノリ、クラシックに限らない、全てのアメリカの音楽の原点がこのあたりに集約されていると感じさせられるのは、この巧妙なアルバム構成のせいでしょう。ただ、国内盤では曲順が変わっているので、もしかしたらこのメッセージはきちんとは伝わないかもしれませんが。

2月6日

TRUBADURRR
Budapest Ragtime Band
HUNGAROTON/HCD 31532
先日、「おもちゃの交響曲」ですっかり童心に返った私ですが、今回は、それに輪をかけた楽しい、というか“はちゃめちゃ”な1枚です。タイトルからしてふざけてます。何々、トゥロバドールルル???一体何なのでしょう?実はこれ、1980年に結成された、ブダペスト・ラグタイム・バンドによるジャズとラグタイムとクラシックを絶妙に混ぜ合わせた音楽集です。中東の砂漠地帯の雰囲気も(それはラクダイム)。
最初は、顔見せのつもりなのでしょうか?有名な“メイプルリーフ・ラグ”が、幾分調子のはずれたピアノで奏されます。なんだ、ただのラグか・・・と聴いていると、音楽が一転、極めて騒々しく、楽しいアンサンブルが繰り広げられる次第です。9人からなるメンバーは、皆芸達者でして、こういうアンサンブルの常として一人が3〜4種類の楽器を扱うのは常識。トランペットを吹きながらヴァイオリンを弾き、ついでに歌う人、マリンバの超絶技巧を披露しつつ、見事なテノールを聴かせる人など、一瞬たりとも耳が離せません。
ラグが3曲続いた後、突然聞き覚えのあるメロディが。「カルメンの花束」と題された曲は、もちろんテーマはお馴染みのカルメンですが、これが抱腹絶倒。さすが闘牛士の曲だけあって、遠くから聴こえてくる牛の声。妙にはまっています。マンボ調のハヴァネラもなんだか可笑しいし、挿入されるスペイン語の絶叫にも笑えます。
次も有名な“チャールダッシュ”。ちょっとお下品な効果音に淑女の方々は赤面されることでしょう。もちろん、お約束のフリスカの盛り上がりはすばらしいです。挿入される、「かえるが轢き殺されたような」音や、先日はひたすらかわいかったカッコウ笛がおおいに曲を盛り上げていることも申し添えましょう。
そしてこのアルバムのタイトルでもある「トロヴァトーレ」。これは、あのヴェルディのオペラが元ネタです。しかし・・・・・大真面目なのか、不真面目なのか。この面白さを文面でお伝えするのは不可能です。序曲、アンヴィルコーラス、そして例の「見よ、恐ろしい火よ」に至ってはホントにものすごいことになってますから。とにかくこんなに大笑いしたのは、先日の嘉門達夫とモーターマン以来です。
ぜひ店頭で見かけたらご購入をオススメします。でも、こんなの置いているところなんか、なさそうですね・・・・。

2月2日

BACH
Motetten
Pierre Cao/
Arsys
Les Basses Réunies
AMBROISIE/AMB 9917
バッハのモテットを紹介するのは、これが初めてですね。数多い彼の宗教作品の中で、このモテットというのはちょっとマイナーな位置に甘んじているというのは、このことでも明らかなのではないでしょうか。というのも、この曲の編成は基本的には無伴奏の合唱だけ、それに、オプションで通奏低音が付けられることもあるという、極めて地味なものだからです。確かに受難曲やカンタータのように、ソロ楽器のオブリガートに彩られたアリアの華やかさや、オーケストラを従えた合唱の壮大さこそありませんが、それだからこそ却って純粋に合唱を楽しみたい人にとっては、かけがえのない喜びを与えてくれるものになるのです。事実、合唱団の演奏会でこの曲を取り上げることは日常的に行われており、演奏頻度からいったら、相当なものがあるのですから。
例の「バッハ大全集」を出したリリンクの場合は、最新の研究成果を取り入れて、「10曲」のモテットを録音していましたが、一般的にはBWV225からBWV230までの「6曲」でワンセットと考えられています。最後のBWV230だけは、現在では確実に偽作とされていますが、それはともかくこれだとちょうどCD1枚分のサイズ、手頃にアルバムが作れるために、数多くの合唱団が録音しており、いずれも個性的な演奏を聴かせてくれています。
今回のものは、レーベルも演奏者も初めて聞くものばかり、しかし、なかなかセンスの良いジャケットに、つい手が伸びてしまいました。そして、その音を聴いて、今までのものとは全く異なるアプローチがなされていることにびっくりしてしまいました。ピエール・カオという、実直そうなをした指揮者に率いられた「アルシス」という、フランスの若い合唱団は、この曲から、ほとんど「ヒーリング」といっても構わないほどのとことん心地よい響きを導き出していたのです。フランスの団体にしては珍しく(といっては失礼かも)パート内の音色が見事に統一されている澄み切ったハーモニーは、どこまでも滑らかな、まるでタヴナーかペルトのような世界を見せてくれています。だから、たとえば6曲中最も変化に富んだ構成を持つBWV227の「Jesu, meine Freude(イエスよ、私の喜び)」でも、それぞれの部分の対比を味わうというよりは、全体を通して同じようなテイストの中でのわずかな変化を楽しむというような、ある種ミニマルっぽい聴き方になってしまいます。このような、最近主流のオリジナル楽器系の刺激的な演奏とは一線を画した、言ってみれば「現代的」な演奏でも、その音楽からは確かなバッハ像が感じられるのですから、つくづくバッハの音楽とは間口の広いものだと再認識させられてしまいます。

1月30日

BIZET
L'Arlésienne etc.
Gerd Albrecht/
読売日本交響楽団
EXTON/OVCL-00093
昨年の某輸入CD店の年間売り上げNo.1はかれこれ10年前に、ドイツ崩壊の時流に逆らうかの如く自ら命を絶った、あのケーゲルのビゼーでした。なぜ爆発的に売れたかには、諸説があるのですが、とりあえず、ずっと廃盤になっていたのが格安の値段で再発されたことが一番の原因でしょう。
LP時代のケーゲルは、大して人気があったわけでもなく、70年代には、彼のマーラーの4番を酷評している記事も読んだことがあります。確かにあの四角四面、勤勉実直の演奏は、情緒なんてこれっぽっちも望めないもの。しかし、そんな彼だからこそ、自らの死に際まできちっと管理した事が今の人気に繋がっているという、ある意味皮肉な現象も生み出しているのです。
で、昨年イヤと言うほど耳にした前述のビゼー。これも全く情緒のかけらもない演奏で、例えば第2組曲の間奏曲なんてまるで葬送行進曲みたいだし、その次のメヌエット・・・(そう、あのフルーティストの腕のみせどころ。)これなんて、全くフルート奏者がびくびくしながら吹いている様子がわかるという、とてもアブナイ演奏でした。聴き手に自虐の喜びを与えるCD。こんなものが大量に流布したのですよ。いやはや恐ろしいやらおかしいやら(るふふ・・・)。
さて、そこで今回のアルブレヒトのビゼーです。最初の前奏曲を聴いてびっくりしました。この引き締まった精悍な演奏は、どことなくケーゲルの音を思い起こさせますよ。「えっ?読響ってこんなにうまかったっけ?」そう思い聴き進みます。どの曲もよいではありませんか。実はアルブレヒト好きの私はにんまりしてしまいます。例のメヌエットは、フルートが場違いなほどひなびた雰囲気を醸し出しているのには大笑いですが。そして、グノーの「ファウスト」よりバレエ音楽。こちらも単なる踊りの音楽ではない、気迫に満ちた名演です。どれも、「2003年の定期会員になろうか」と本気で思わせるだけの充実した演奏。と、いうのも、これを聴きながら、2003年のシーズンのプログラムを一瞥して、またまたびっくり。いつの間にか、読響って、ものすごくレヴェルアップしてたのですね(失礼!)。秋にはゲルギエフを迎えて、ベルリオーズの大作「レクイエム」の公演が控えてますし、ヘンツェだの、ペンデレツキの新作だの、面白そうなプログラムが目白押しですよ。
がんばれ!アルブレヒト!(たまには個人的な声援を送ってみました。)

1月26日

Kindersinfonien
Vladislav Czarnecki/
Südwestdeutsches Kammerorchester Pforzheim
EBS/EBS 6116
ある一定以上の年齢の方に「“おもちゃの交響曲”の作曲家は誰?」と訊くと、大多数の人が「ハイドン」と答えるのではないでしょうか?それもそのはず、1970年代頃までは、小学生の音楽の教科書でも、テレビの幼児番組でも、ハイドンの作品として紹介されていたのですから。
しかし本当のところは、レオポルド・モーツァルトの7楽章からなる「カッサシオン」がこの曲の正体。1951年にバイエルンの州立図書館で全曲の楽譜が発見され、そのなかの3つの楽章が「おもちゃの交響曲」として、流布していたというわけです。まあ、ハイドンの時代は流用や借用が当たり前。もしかしたら、他にもそんな作品があるのかもしれません。
さて、今回のCDは、「子供の交響曲」と題された楽しい1枚。前述のカッサシオンを始め、他の作曲家によるいわゆる「おもちゃの交響曲」を集めたものです。どの曲にも、カッコウの笛やら、得体の知れない音が出る楽器が使われていてなかなか妙な雰囲気を醸し出していますね。そう、いうなれば小学校の音楽会の様相。打楽器がとんでもなく目立つのは、楽器が巧く扱えない子にも、平等に目立つ機会を与えようとする教師の配慮・・・・・それは考えすぎ(音楽の時間、顔がサルに似ているというだけで、シンバルをやらされるやつの気持ちが分かるか!)。
他の作曲家の作品もなかなか興味深いものです。まずライネッケの曲(こんなのアッタッケ?)。こちらにはさりげなくモーツァルトやベートーヴェンの作品が借用されていたりと、とても面白い作品です。ただし、あくまでもロマン派の時代の人なのでメロディは少々どろどろしてますね。そこに脳天気なカッコウ笛がかぶさると、却ってグロテスクかも。もう1曲。こちらも同時代の作曲家グルリット。この曲は別におもちゃを入れなくとも充分に完成された曲想を持っています。メランコリーなスケルツォ、溌剌とした終楽章、それなのに執拗に鳴り響くカッコウの声。このミスマッチ感がたまらない迷曲です。
ロンベルクの作品は、時代的にもベートーヴェンと同じなので、この趣旨の作品として安心して聴く事ができますね。
シューマンを持ち出すまでもなく、「子供のための」という言葉は、いろんな捉え方が出来るものです。子供でも演奏できる、子供に聞かせる、自分が子供だった時を回想する・・・・この1枚は、そのどれにあたるのでしょう?

1月24日

MAHLER
Das Knaben Wunderhorn
Barbara Bonney(Sop)
Matthias Goerne(Bar)
Riccardo Chailly/
Royal Concertgebouw Orchestra
ユニバーサル・ミュージック/UCCD-1073(国内盤先行)
シャイーのマーラー、今回は「角笛」です。実は、私、以前は彼のマーラーは好きではありませんでした。特に4番。こちらは発売当時、ほとんど同時期にブーレーズの4番がリリースされ、私的にはそちらの方が好み。ブーレーズの軽妙な演奏に比べ、シャイーはとても丁寧なんだけど、それが鼻についてしまってどうしても馴染めなかったのです。何しろこのシャイー盤、あまりにも気に入らなかったので友人に格安で譲ってしまい、今回聴きなおしたくなって、慌てて買いなおしたくらいですから。
さて、話を「角笛」に戻しましょう。まず今回の演奏の目玉は、4人の独唱者を曲に合わせて起用したと言う事。しかし実物を良く見たら、結局のところは、ほとんどボニーとゲルネが歌っていて、どうしてもソプラノで歌えない「原光」(これは御存知のとおり交響曲第2番の第4楽章で、アルトかメゾが歌うもの。)と、レヴェルゲ(これはバリトンでも構わないと思う)をテノールに割り振っただけでした。だから、「曲調によって4人の歌手が登場」なんて騒ぎ立てない方がいいような気がしますよ。
そのゲルネとボニーですが、この2人の歌については、もう何も言う事もないでしょう。元々ゲルネ好きの私なので、何を聴いても「いい」と思ってしまうのは大目に見てください(うん、見てあげるね)。しかしながら全くムダのない切り詰められた表現。そして、ビロードのような美しい声。これは誰にも真似のできるようなものではないでしょう。「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」でのちょっと口の端を持ち上げた皮肉な表現や、「この世の生活」の抑制された叫び。特に、「この世〜」というのは、パンを求めて泣き叫ぶ子供を前に、母親は淡々と麦を刈るところから仕事を始め、焼きあがった時にはすでに子供は死んでいたという、ちょっと怖い歌詞なのですが、これが例えば、ベルント・ヴァイクルなんかのいかにも大仰な芝居っ気溢れる歌い回しとは違う、いわば心理的な恐怖感(そう、あとでじわじわ来る様な)に満ちているのです。
そしてボニーの歌。「高き知性をたたえて」でのカッコウの鳴き声の真に迫ったこと。この歌も皮肉たっぷりの内容なのですが、それを超えたところで歌としての完成度の高さに、まず呆れてしまいました。そして御存知「天上の生活」(これを聴き比べたいがために第4番を買いなおしました)。録音年月は、交響曲よりも1年後で、演奏のコンセプトは変わらないのですが、やはり歌い回しはこなれたかな、と思いました。比較するべき物でもありませんが。
シャイーの音つくりは相変わらず丁寧そのもの。さかなの鱗が日光に反射するところなど、歌の背景をしっかり描き出しているところに、いかにも彼らしさが現れています。単なる伴奏の域を越えた丁寧な仕事は、まさに職人技といえましょう。

1月22日

Alfonsina y el mar
波多野睦美(Vo)
つのだたかし
(Guit,Lute)
ワーナーミュージック・ジャパン
/WPCS-11475
波多野睦美とつのだたかしと言えば、恐らく誰もが、あの典雅なリュート歌曲、そうダウランドやフランス・ルネサンス期の素朴で優しい歌を思い浮かべることでしょう。(余談ですが、ダウランドは生涯に1000曲ものリュート歌曲を作ったそうです。サウザンド・・・)もちろん私も例外ではありませんでした。
しかし、今回のアルバムはそんな私の意表をつくもの。何しろ、ピアソラからプーランク、そして武満までが一枚のCDに並んでいるのですから。その上、歌の合間にはつのださんのギターソロまで用意されているという興味深さ。最近、若手のピアソラを生で聴いたばかりでもあり、これはなんとも面白そうではありませんか。
アルバムタイトルでもある「アルフォンシーナと海」を聴いて見ましょう・・・。これは、A・ラミレス(1921〜)作曲のフォルクローレ形式の歌曲で、46歳で自ら命を絶った女性詩人アルフォンシーナ・ストルニを想うもの。曲中にはストルニ自身の最後の詩も組み込まれているという、ちょっと悲しい歌です。
素朴なギターの序奏、あくまでも透明で、幾分けだるく現実離れした歌声。途中の部分で、ふと歌声の色合いが微妙に変化するのですが、あとで歌詞を見てみたら、まさにそこがストルニ自身のつぶやきの箇所。「私は眠りにつきます。少し明かりを落としてください・・・」ヨーロッパでは「眠り」と「死」は同義語として使われるのです。あるインタビューで、「歌に登場する人物になりきって歌いたい」と語っていた波多野さん。この部分、最初は彼女は歌詞を知らずに歌っていたにもかかわらず、何か感じるものがあったのだとか。
神秘的な歌声といい、そのスタンスといい、彼女はまさに「現代の巫女」のような人なのかもしれません。だからこそ、ダウランドから現代曲まで時代も作風も違う作品を、血の通ったものとして易々と歌いこなせるのでしょうね。
つのださんのギターソロによるピアソラの「天使の死」。この曲にも、さまざまな名演がありますが、こんなに静かに奏された「天使の死」は初めて聴きました。他のどの曲にも、不思議な静けさとため息が満ちています。現実と異世界の狭間を漂うような感覚。これも一種の癒しでしょうか。

1月20日

Best of L'Orchestre de Contrebasses
Christian Gentet/
L'Orchestre de Contrebasses
キングレコード/KICC 394(1月22日発売予定)
コントラバスという楽器、クラシックのオーケストラではいささかその存在が目立たないものかもしれません。10人近くのメンバーが揃っているにもかかわらず、美しいメロディーを弾かせてもらえることなどはなく、やっていることといったらひたすら地味な低音を出しているだけ。ごくたまに全員で技巧的なパッセージを演奏したとしても、お客さんには、あるまじき物を見たという顔で冷たくあしらわれるのが関の山です。
そこへいくと、ジャズではもっと活き活きとした、いわば花形楽器に変貌します。アンサンブルにあっては、軽快なスケールはリズムセクションの要。そして、恍惚感に浸りながらソロでもとった日には、満場の聴衆の視線は全て彼に向けらようというものです。
そんな、いろいろな顔を持つこの最低音をカバーする弦楽器のことをきちんと知っている人は、じつは、案外少ないのかもしれません。早い話、弦の数にしても「4本よ」などと得意になって答えたりすると恥をかくことになるのです。現に「3本」や「5本」の楽器もあるのですから。奏法だって、まあ、弦をはじいたり(ピチカート)、弓でこすったり(アルコ)するのが普通のやり方(ほろ酔い気分で演奏するのはアルコール)で、まさか胴体を叩いたりすることがあるなんて、思いもしなかったことでしょう。「オルケストラ・ド・コントラバス」を聴くまでは。そう、コントラバスだけで編成されたこのユニークなグループが今までに出した5枚のアルバムからの代表曲が選ばれたこのベスト盤の最初に収録されている「ベース、ベース、ベース、ベース、ベース&ベース!」(なんてタイトルだ!この曲は最近のオーディオのCMでも使われていたので、耳にした方も多いことでしょう)では、曲の始まりがその、まさに「胴体パーカッション」。そのビートに乗って、グルーヴ感あふれるヒップ・ホップの世界が展開されています。かと思うと、「エリスみたいな女は幸せだ」のように、けだるいジャジーなソロが延々と続く小粋な曲とか、ヒーリングのような肌合いのハーモニクスを駆使した「アーティフィシャル・パリ」とか、とにかく間口の広さには驚かされます。最後の「ノット・ポートニンワク」では、なんとテープの逆回転のような不思議な効果まで再現しているのですから。ライブ映像のパフォーマンスからもうかがえる、サービス精神と演奏することの楽しさに満ち満ちたこの「ベスト」でどっぷり彼らの世界に浸ったら、こんどは夏に出るというニューアルバムの更なる新境地に期待しようではありませんか。

1月15日

DEBUSSY REGER
SCHÖNBERG WEBERN
Linos Ensenble
CAPRICCIO/10 865
リノス・アンサンブルの新譜です。以前、マーラーの交響曲第4番や、ブルックナーの交響曲第7番の室内楽ヴァージョンを録音して、かなり話題になった団体で、ご記憶のある方も多いことでしょう。
この団体が演奏するのは、新ウィーン楽派の音楽家たち、(シェーンベルクやベルクを中心としたその仲間たち)の編曲作品。その当時正当な評価を受けられない作品をもっと多く演奏して、聴衆に納得してもらおうという意図の元に、たくさんの作品が小さな編成に編曲されたのです。なにしろ、後期ロマン派の時代を迎えると、作品はどんどん音の厚みを増し、それに伴い、オーケストラの編成も次第に肥大の一途を辿ります。聴き手にとっては、どれは限りない魅力にもなりますが、演奏する側にとっては、実際負担が大きくなるのですね。とくに1930年代のそろそろ世相が怪しくなり、演奏会の資金繰りにも苦慮することになります。そのため、少しでも少人数で演奏できるよう、編曲にも工夫が凝らされます。とは言え、当時の独特の美意識も反映されているため、音はあくまでも後期ロマン派。他の録音で聴けるシュトラウスのワルツなどは、少々退廃的な雰囲気がなんとも良い香りを放つのです。
このCDに収録されている曲は、まさに新ウィーン楽派の美意識と感性の賜物。まず最初に置かれたドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。この眼のさめるような音世界には、思わずため息が出ると言うものです。オケで演奏すると、この曲はまさに午後のまどろみのような、あいまいでとろけるような音楽になりますね。しかし、ここで聴ける「牧神」は全く違います。音と音がぶつかり、あらゆるところから立ち上り主張する・・・。そして、漲る緊張感。一時もまどろむ暇などありますまい。
もとより精緻な響きを持つアントン・ウェーベルンは、一層磨きをかけられ、まるで鋭い刃物のように、鋭敏な音楽に変貌します。
そして、私がこのアルバムの中で一番気に入ったのがマックス・レーガーの「ロマンティック組曲」です。アイヒェンドルフの詩からインスピレーションを受けたという3つの小品からなる作品で、まるで深い森の中を彷徨っているみたいな取りとめのない第1曲、おどけたワルツとして書かれた第2曲、そして冒頭の神秘的なメロディで再度開始される第3曲と、まさにロマンティックな作品で、これがとにかく素晴らしいのです。試しに原曲と聞き比べてみましたが、この編曲の方が格段に楽しいのですから。果てしなく想像が広がるような音楽。久し振りに楽しいひとときでした。

さきおとといのおやぢに会える、か。


(since 03/4/25)

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