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フィガロの血痕....渋谷塔一

(01/1/17-01/1/30)


1月30日

The Unknown Richard Strauss Vol.11
Piano Concertos for the Left Hand
Ann Gourari(Pf)
K.A.Rickenbacher/Bamberger Symphoniker
KOCH SCHWANN/3-6571-2
今回の1枚は、この前「展覧会の絵」で取り上げた、リッケンバッヒャーの指揮するシュトラウスのピアノ協奏曲です。
先日のリストの原稿で、イギリスのリスト協会の会長について触れましたね。あの人は、ピアノの腕はイマイチかもしれませんが(失礼!)リストにかける情熱は誰にも負けることがないでしょう。図書館を巡って、楽譜を探して校訂して、演奏するなんて余程好きでなくてはできないことですよね。このように、それぞれの分野に専門家と呼ばれる人は必ず存在します。作曲家でいえば、ヤナーチェクだったらマッケラス、ベルリオーズだったらコリン・デイヴィス。ではR・シュトラウスと言えば・・・ハイダー氏でしょうか?それともサヴァリッシュ氏でしょうか?
研究と演奏は別物とすれば、このリッケンバッヒャーさんは、いまのところ世界で一番、「知られざるシュトラウスの作品」を音にしている人といっても過言ではないでしょう。今回はピアノ協奏曲集ですが、有名なブルレスケは入っていなくて、左手のための曲が2曲、「家庭交響曲余禄」と「パン・アテネの大祭」です。こんな選曲がマニア受けするのでしょうね。
この2曲は、あのラヴェルの曲と同じく、戦争で右手を失った大金持ちのピアニスト、パウル・ヴィトゲンシュタインの委嘱によって書かれた物です。いずれもとても珍しい曲ですが、「家庭交響曲余禄」の方は家庭交響曲のモチーフを流用した、いわばおまけみたいなもの。以前、プレヴィン指揮、グラフマンのピアノで、その家庭交響曲とのカップリングでCD化されていましたので、聴かれた方もあるのでは。
で、私のお目当ては、もう1曲の「パン・アテネの大祭」の方です。これは存在は知ってたのですが、なかなか聴く機会もなく、今回聴けるのはとてもうれしいことです。なんでも素材は、当時作曲していた「エジプトのヘレナ」とも関係があるのだとか。パッサカリア形式の交響的練習曲というだけあって、一つのテーマをあれこれいじくって音を積み上げていく楽しい曲でした。もちろん、2曲ともオーケストラの響きは後期のシュトラウスらしく厚みのあるたっぷりしたもの。その上に展開される華やかなピアノパートは、とても左手だけのために書かれたとは思えません(だから、実際にはヴィトゲンシュタインでは演奏不可能だったとか)。
このアルバムでピアノを演奏しているのは弱冠28歳の若手ピアニスト、アンナ・グーラーリです。少し打鍵にむらがあるようにも思えます。だけんども、メロディの歌わせ方なんかは、なかなか味のある人です。なにしろ曲への興味が第一なので、とりあえず贅沢は言わないようにしようっと。お約束の金管の咆哮の場面もたっぷりあります。
全国に散らばる236,832人のシュトラウス・マニアは泣いて喜ぶ1枚でしょう。

1月29日

MESSIAEN
Turangalîla-Symphonie
Aimard(Pf),Kim(OM)
Kent Nagano/BPO
TELDEC/8573-82043-2
(輸入盤)
ワーナーミュージック・ジャパン
/WPCS-10637(国内盤2月21日発売予定)
お待ちかね、ケント・ナガノのテルデック移籍第2弾のCDは、メシアンの超肥大音楽「トゥーランガリラ交響曲」です。このところ、この曲がブームですよね。先日も教育テレビで、昨年末のソフィア歌劇場の来日公演(佐藤しのぶがリューを歌った)のハイライト版が放送されてましたし、そのうち井上道義も振るらしいですし。
えっ?曲が違う?失礼しました(あれは「トゥーランドット」)。
さて、ケント・ナガノのメシアンと言えば、思い出すのが例の「アッシジの聖フランチェスコ」でしょうか。よく整理された清冽な響きと音色でもって、既発のアルバムを凌駕する名演として各方面から絶賛されたのは記憶に新しいところですね。だから彼の演奏によるこの曲だったら、聴く前から期待を寄せても間違いはないでしょう。
この曲について説明すると長くなるのでやめますが、編成はピアノとオンド・マルトノ、それと大編成のオーケストラです。なかでもピアノが重要な役割を果たすのですが、ここで演奏しているのが、あのエマール。彼の演奏によるこの曲だったら聴く前から期待を寄せても間違いはないでしょう。オンド・マルトノが、原田節だったらもっとよかったのですが、ここではドミニク・キムが演奏しています。もちろん彼女も「アッシジ〜」の世界初演に参加したというすごい経歴の持ち主ですから、これも期待大。
初物好きケント・ナガノらしく、1990年改訂ヴァージョンに基づく演奏。メシアンが細かいところに手を加えているスコアを使っています。
どのみち、この曲は美しい音の洪水です。メシアンの特徴でもある鳥の声、独特の音列技法、妙に完結する三和音。これらが微妙に組み合わさって形成される世界は、まさにエクスタシー。うぶな青少年が、「うっかりこの曲を聴いて3日3晩うなされた。」という話もあながち嘘ではありますまい。
このケント・ナガノ盤。とにかく録音もすばらしいし、この大編成のオーケストラをフルに鳴らしても全く無理がありません。ベルリン・フィルを使ったところも成功の一つの要因でしょうか。極めて隙のないアンサンブルと、音色の美しさがないと、ここまで圧倒的な演奏は生まれてこないでしょう。
今まで聴いてきた演奏は一体何だったのか?と思えるほど、曲の構造がよくわかった気がします。ただ、あまりにも白日の下に曝け出してしまった感はありますね。ちょっと健康的過ぎて物足りない方もいるのでは。
なにしろインドの愛の歌ですからね。おやぢとしては「えろ」希望。とは言え2回続けて聴いたら、頭がくらくらしましたけれど。

1月28日

LISZT
Paganini Etude(Complete)
大井 和郎(Pf)
徳間ジャパンコミュニケーションズ/TKCC-15211
さて、前回はリストの曲で中期、後期ばかりほめてしまいました。が、マニアの私としては、やはり初期の作品もかわいがってあげなくては。
ところで、話はかわりますが、「DOVERのスコアって異稿版の山である。」ってご存知ですか?(ここのマスターも異稿版マニアでして、以前チャイコフスキーの1812年で狂喜乱舞してましたっけ。その成果を、こちらまで見に行こう。)なぜ、そういう事が起こるかはマスターの方が詳しいのでお譲りしますが、以前、私が何気にリストのエチュード集を購入したところ、見慣れたスコアとは違う版が入っていて驚いたのですね。それこそ、あのホロヴィッツも匙を投げたと言う「初稿版」だったのです。
当時、この版を実際に聴きたかったら、自分で弾くか(これは無理!)例のイギリス・リスト協会会長、某レスリー・ハワードの、ある意味、「音として聴けるんだ。文句あっか。」の盤しかありませんでした。ああ、アムランはこの曲を録音しないのだろうか?それ程までに、完全な音として聞いてみたい曲のひとつでした。
今回、まさかの伏兵日本の期待のピアニスト、大井和郎によってこの曲が初稿版と現行版をあわせて録音されたという朗報を聞いてから、リリースをずっと心待ちにしていたのです。
いやぁ。その期待に違わず、素晴らしい演奏です。
まず、唖然とするようなテクニック。彼の手にかかると、この難曲がいとも簡単な曲に聞こえるから不思議です。解説にもあるように、初稿版は、リストがあらゆる音を詰め込んだので、極めて厚い響きになっています。もちろん少しでもミスタッチがあると即座に音は濁りますが、彼の演奏はまるでそういうところがありません。
その上表情がロマンティック。例えば、有名な「鐘」(第3番)。こちらは初稿版は殆ど別な曲なので、現行版を聴いてみましょう。細かいパッセージからメロディが浮かび上がるのはリストの書法の常套句ですが、これは至難の業。それなのに、ここで聴けるのはあくまでも歌。完璧なテクニックに裏打ちされなくては、このような芸当はできるわけありません。
初稿版と現行版の違いについては、詳細なライナーノートもあることですので、ここでは割愛しますが、リストのパガニーニ観が透けて見える初稿版。あくまでもピアノで演奏する事を念頭に置いた現行版。少し聴いただけでも、そのコンセプトの違いははっきりわかることでしょう。
もう一つ、この録音に際して、なるべく編集を行わないのがこの録音のウリ。ものすごい緊張感も味わえるのも聴き所です(まったく編集をくわえていない曲もあります。)。
「本当に良いものを作りたい。」、「リストの素晴らしさを広めたい」その心が伝わる素晴らしい一枚です。おやぢ大感激。

1月27日

LISZT
Piano Recital
Leif Ove Andsnes(Pf)
EMI/CDC 557002 2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55261(国内盤)
なぜかこのところリストの作品のリリースが多くて、マニアの私はうれしい悲鳴を上げています。今年生誕190年だからでしょうか?先日の「十字架への道」はちょっとマニアックでしたので、今日はオーソドックスなピアノ作品を。1970年ノルウェイ生まれの若手ピアニスト、レイフ・オブ・アンスネスの演奏です。
プログラムの中心にメフィストワルツを置き、一見華やかな技巧を誇示しているかのようですが、曲の選び方などを見ると、むしろ精神性を重視したアルバム作りになっているように思えます。
しかしながら、リストについて誤解している人の多いこと。たしかに「パガニーニ練習曲」や「超絶技巧練習曲」ばかり聴かされるとそういう感想を抱くのも不思議ではないでしょうね。だから「リストが好き」と周囲に漏らすと、白い目で見られるのは慣れてますよ。しかし、あのような技巧を誇示するような曲は初期のごく一部の作品。「十字架への道」のような、中期から後期にかけての、深い精神性と内容を合わせ持つ作品を聴かずしてリストを語るのは、片手落ちというもの。例えば「詩的で宗教的な調べ」なんてうっとりするくらい素晴らしいではないですか。
そうはいっても、いくら中期、後期の書法が簡潔化されたとはいえ、なまじっかの腕では弾きこなせない難曲であることは確かです。
例えば、アルバム第1曲目の「ダンテを読んで」。これは巡礼の年第2年イタリアの7曲目。最初からオクターブ連打の羅列。完璧に弾きこなすには技巧と体力が必要。その上、中間で出てくる、いかにもリストらしい狂おしい程に美しいメロディ(これは、あの愛の夢のようなセンチメンタルな曲想とは違います。)。
この部分を満足いくように演奏してくれれば、もう何も言うことはありますまい。
で、このアンスネス。満足しました。あくまでも爽快です。ほんとに聴いていて気持ちよくなるほど。まさに痒いところに手が届くよう(それはアンメルツ)。その上録音のせいもあるのかもしれませんが、ピアノの音の明るいこと。一つ一つの音がクリアで粒だっています。だからメフィストワルツなどは唖然とするくらい一気に聴けますが、エレジーなんかはもう少し悲しくてもいいかもしれません。バラード2番なんかも少し明るすぎるようですが、全体の出来は素晴らしいの一言です。「私を知れば知るほど、私を愛するようになる」と言っていたリストの曲。どんなに精神性がどうのこうのといっても、きちんと弾きこなせないと話にならないのでは。楽譜に書いてある事をきちんと音にして、その上で気持ちを込めるなり、言いたいことを盛り込む。アンスネスはそれをきちんとクリアしているように思えます。己の力量を知らずしてリストに挑み、その苦行ともいえる演奏が感動を呼ぶ場合もまれにありますが。

1月26日

LISZT
Missa Choralis, Via Crucis
Matthew Best/
Corydon Singers
HYPRION/CDA67199
フランツ・リストの恋愛遍歴というのをご存知ですか?小さい頃から端正な風貌をもっていた早熟なリスト少年は、カロリーヌ・ド・サン・クリック伯爵令嬢という少女に恋をします。しかし、この一途な恋は、少女の父親の猛反対に遭って、あえなくついえ去るのでした。この、感受性豊かな時期にこうむった辛い仕打ちは、のちのリストをして人妻との不倫に走らしめることになるのです。最初の相手は、マリー・ダグー伯爵夫人。10年に及ぶ内縁関係でもうけた子供の1人が、コジマ。彼女は、のちに指揮者のハンス・フォン・ビューローと結婚しますが、自宅でリヒャルト・ワーグナーとの不倫にふけるという大胆な女性です。血は争えないもので。
で、リストの次の不倫相手は、カロリーネ・ザイン・ヴィトゲンシュタイン好色夫人ではなくて公爵夫人。彼女とは真剣に結婚を考えるのですが、モトカレではない、ご主人サイドにあくまで反対をした人がいたために、結局彼女の方がキレて、修道院などに入ってしまいます。失意のリストも、それまでの華やかな生活を棄てて、僧籍に入るという、とんでもない結末を迎えるわけですが。
ところが、何が幸いするかは神のみぞ知る、これ以後のリストは、宗教的な題材の、深みのある作品をたくさん作ってくれることになるのです。
今回ご紹介する「十字架への道」も、そのような作品の一つ。キリストが死を宣告され、何度も倒れながらゴルゴタの丘にたどり着き、十字架につけられたのち埋葬されるという一連の物語が、14の「場面」として描かれます。まるで、教会の壁にかけられた14枚の絵のように、聴くものはそれぞれの場面に立ち止まって、物語を読むのです。超絶技巧ばかりひけらかしているようなリスト像からは想像も出来ないような、静謐で透明な世界です。
リストは、この曲を、合唱、ピアノソロ、オルガンソロの3つのヴァージョンで作ったと見られており、どのような形で演奏しても構わないと考えていたようです。実は、私が最初に聴いたのがピアノ伴奏のデ・レーウ盤でした。
Reinbert de Leeuw/
Netherlands Chamber Choir
PHILIPS 416 649-2
これは、思い切り抑制されたアプローチで、とても衝撃的な演奏でした。今回はオルガン伴奏、合唱もロマン派以降の作品にかけては右に出るものがないコリドン・シンガーズとあって、デ・レーウ盤とは全く異なる表現。あくまでロマン派のリストが聴けます。
カップリングの「ミサ・コラリス」も、典礼のための曲というよりは、華やかさを強調した演奏。なかなか楽しめます。

1月24日

DVORAK
String Quartet No.14 etc.
Hagen Quartet
DG/469 066-2
(輸入盤)
ユニバーサル・ミュージック
/UCCG-1025(国内盤)
先日、角田に刺激されドヴォルジャークに目覚めた私。「その感動を忘れるな。」という神の思し召しかどうかは知りませんが、またもや弦楽四重奏曲第14番の新譜です。何しろ、この間の原稿を書き終えた次の日、店頭でこれを発見したとあっては、聴かないわけにはいかないでしょうね。
演奏しているのはハーゲン弦楽四重奏団です。冷たいけれど、とろけるような甘さが持ち味(それはハーゲンダッツだろうが!)。昨年リリースされたバルトークでも高い評価を受けましたよね。ただし、やはりドヴォルジャークはミスマッチ?なんて聴く前に思いましたよ。むしろ、カップリングのシュルホフやクルタークの方が面白そう。
で、聴いてみました。まず問題のドヴォルジャーク。まだ頭の中にはアルバン・ベルクの音が響いてます。しかしながら、最初の音を聴いたとたん、あまりの違いに驚いてしまいました。メロディの歌わせ方が半端でなく、曲の自然な流れを中断してでも激しく自己主張してきます。アルバン・ベルクSQの演奏は、あれほどまでに耳に自然に馴染んだのに、こちらはその度に考えさせられることしばしば。とにかく濃厚な音楽です。「えっ、同じ曲?」大げさでなく、心からそう思いました。
これは音色の違い、アプローチの違いなど様々な要因に拠るものでしょうけど、根本的に曲の捉え方が違うのだろうな。と思えるのです。アルバン・ベルクSQはブラームス、もしくはシューベルトから連なる流れに位置する曲として。
ハーゲンSQはロマン派後期への始まりの曲として。もちろん、この演奏も民族性とはかけ離れています。だから「土臭い」(いいかげんこの表現やめようよ)演奏を聴きたい方にはオススメしません。
ドヴォルジャークはそんなところですが、予想通り、カップリングの現代物の楽しかったこと。この四重奏団の面目躍如といったところです。シュルホフのこの曲は初めて聴きましたが、当時彼がはまってたジャズ風の作風かと思ったらそういうわけでもないのですね。ものすごく不思議な味わいでした。
クルタークですが、この人の音楽はとても面白いですよ。ヘンツェの音が豪華絢爛の極みなら、クルタークは「すかすかの肌寒さ」とでも言いましょうか。一つの音に凝縮された世界。これを充分味わうことができますから。調性なんてとっくに破壊されているのに、あえてこだわるところも興味深いところですね。
角田のおかげで、聴く機会のなかった音を堪能したおやぢでした。

1月23日

HANS WERNER HENZE
Sechs Gesänge aus dem Arabischen,
Three Auden Songs
Ian Bostridge(Ten)
Julius Drake(Pf)
EMI/CDC 557112 2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55303(国内盤)
先日、今年初の演奏会を聴きに行きました。21世紀の聴き初めはN響の定期Aプロ。準・メルクル指揮のヘンツェ「ヴィーナスとアドニス」演奏会形式、日本初演というアレです。
私はヒレカツ先生ではありませんので、当日の模様はここには書きませんが、聴きにきてた人の客層には少々驚きました。何しろオバ・・・いやいやめくるめく妙齢のご婦人の多いこと。私の両隣、そのまた隣、隣、見渡す限りご婦人ばかり。強烈なフレグランスにくらくらしたものです。指揮者目当てなのか、それとも舞踊家目当てなのか。もしかしたら、山の手の奥様はたしなみとしてヘンツェをお聞きになるのでしょうか?決して聴きやすい音楽とは思えませんが。かといって聴かないでおくにはもったいない、ヘンツェってそんな音楽を書く人ですね。
今回の1枚は注目のテノール、イアン・ボストリッジが歌うヘンツェの歌曲集です。この「6つのアラビア風の歌」はボストリッジのために書かれた曲で初演も1999年という出来たばかりのものです。ここら辺の音楽というのは、実際に聴いてみないと良し悪しがわからないものが多いのですが、作曲家が特定の演奏家を想定して書いた曲というのは、割合当たり外れがないように思います。なぜならば、実験的要素を盛り込みすぎて難解に仕上がった物よりも、演奏されることを念頭に置いて書かれた作品の方が、より聞き手の心に近いような気がするからです。20世紀の音楽を語れるほど聞き込んでいるわけではないので、あまり偉そうなことは申せませんが。
このチクルス、さすがアラビア風というだけあって、全体を支配してるのはアラベスク。最初のピアノの音形から、からまる蔦を描写しているとでもいいましょうか。とにかく何とも言えない美しさがあり、その精緻な描写はため息ものです。ボストリッジの清冽な声がまた良いのです。柔らかいのに張りがあって、表現は自由自在。なんとまあ、素晴らしいことでしょう。
ドイツ語のモノローグの部分のはっとするような語り口。これは、「現代音楽なんてわからない」とおっしゃる人にぜひオススメしたいものです。なにしろ、音自体は耳に自然になじむ響きですから、理解しようなんて思わずとも、この不思議な世界に引き込まれることは請け合いです。
カップリングはオーデンの詩による3つの歌曲。こちらはテクストが英語で、一層流麗な言葉の響きを楽しむことが出来ます。ただし、こちらの方が音楽は若干難解ですが、ここまで聴きすすむころには、あなたはもうすっかりヘンツェの世界にはまっているはず。
こうなったら、今は入手不可能な「室内楽1958年」も録音してほしいと切に望むおやぢでした。

1月21日

DVORAK
String Quartet Nos 10&14
Alban Berg Quartett
EMI/CDC 557013-2
(輸入盤)
東芝
EMI/TOCE-55209(国内盤)
ニューフィルの皆様。角田の演奏会お疲れ様でした。気温は氷点下でも、会場には熱い音楽が漲った事でしょう。さて、当日のプログラムを拝見したせいか、何となくドヴォルジャークが聴きたくなりました。ドヴォルジャークのスラブ舞曲といえば、ブラームスの「ハンガリア舞曲」、リストの「ハンガリア狂詩曲」と並ぶ、いわゆる民族音楽御三家といえましょう。(ここにバルトークやらエネスコを加えても一向に構わない、という向きもありますが、挙げていったらきりがないですね。)聴いてるほうも何となく「血が騒ぐ」音楽の筆頭です。
そこで、今日の一枚はこれにしましょう。アルバン・ベルク弦楽四重奏団の演奏で、10番と14番の弦楽四重奏曲です。
ドヴォルジャークの弦楽四重奏曲は全部で14曲あります。(その他に、歌曲集「糸杉」を編曲したものもありますが、これは別格。)1番は1862年、最後の14番は1895年に作曲されていますから、初期から後期までくまなくカバーしていると言っても良いでしょう。ただし彼の初期の作品は必ずしも出来がいいとはいえません。なぜか第12番「アメリカ」だけは有名ですが、その他は全くといいほど知られていません。交響曲もそうですよね。よく聴かれるのは、8番、9番。6番、7番はチョン・ミョンフンの演奏で初めて聴いたという人も多く、それ以前の番号のものは、「全集に入ってたから聴いてみるか」という程度では。
さて、今回のこのアルバム、最初に書いた「血が騒ぐ」ような演奏を期待してはいけません。もちろん、音楽自体はどこもかしこも舞曲が支配していて、例えば10番の第2楽章は「ドゥムカ」、まさにチェコの民族舞曲そのものです。ただし、これがアルバン・ベルク四重奏団の手にかかると、すべては美しく整えられ、リズムは洗練され、いわゆる「土臭さ」は微塵もなくなってしまいます。例えて言うなら、観光地で楽しむ、都会の人向けにアレンジされた田舎の踊り、とでもいうのでしょうか?
だから、ある晩にふと思い立って土臭い演奏を聴きたくなった、という方にはオススメはできません。その代わり、ドヴォルジャークのメロディの美しさをたっぷり堪能するのに、これほどふさわしいCDもないでしょう。とりわけ14番の素晴らしい事。無駄な音は一つもなく、限りなく喜びに満ちた音楽があふれています。
なんだかいいものを聴いたなぁ、と心がほんのり温かくなるような一枚とでも申しましょうか。冬晴れの日、ちょっぴり感傷的になってしまったおやぢでありました。

1月19日

BERNSTEIN
West Side Story
Original Broadway Cast
ソニー・ミュージック/SRCR 2611
「ベスト・クラシック100」という再発ものの中に、こんな掘り出し物がありました。レナード・バーンスタインの出世作、というより、後世名を残すとすれば、この曲を作ったことが評価される以外はないとまで思える名作、「ウェスト・サイド・ストーリー」の、オリジナル・ブロードウェイ・キャスト盤です。今まではポピュラー規格で出ていたもので、クラシックファンには目に付きにくい売られ方をしていましたが、晴れて「売れ筋」の仲間入りです(もっとも、スペースの関係で、すべてのお店で見かけるというわけにはいきませんが)。
この曲は、もちろん「クラシック」の範疇には入らないかもしれません。作曲家が、晩年、何を勘違いしたのか、オペラ歌手を起用してレコーディングをしましたが、悲惨な結果に終わったのはご承知のとおり。もともと、ベルカントが馴染むものではないのです。スコアを見ると、管楽器のパートはフルート、オーボエといった楽器名ではなく、「リード1」、「リード2」という具合に、マルチリード奏者を想定した書き方になっています。それだけでも、クラシックとは縁遠い世界だということが分かるでしょう。
有名な映画のサントラ盤を聞きなれた耳には、このオリジナル・キャスト盤はとても新鮮に聞こえます。トニー役のラリー・カートは、多少心細げな歌い方で、若者の揺れ動く心を実に良く表現しています。マリア役のキャロル・ローレンスもとっても可憐。決してうまくはありませんが、一途な思いはひしひしと伝わってきます。これは、ある種テクニックにおぼれたサントラ盤のマーニ・ニクソン(ナタリー・ウッドの吹き替え)からは聴きにくいもの。ましてや、オペラ歌手キリ・テ・カナワが逆立ちしてもかなわない世界です(あえてホセ・カレーラスという、未曾有のミスキャストには触れません。)。
で、なんといっても素晴らしいのが、アニタ役のチタ・リベラ。彼女の歌う「A Boy Like That」での複雑な心情の表現には、鬼気迫るものがあります。
1957年の録音ですが、最近のデジタル録音に比べても全く遜色がありません。出来たばかりの作品を録音しているのだという熱意にかけては、この頃の方が数段優っていたのかもしれません。へたな小細工に頼らない生々しさが、いたるところに満ち溢れています。
Somewhere」のイントロなどは、映画でも、現在のスコアでも聞けないもの。オーケストレーションには、実はアーウィン・コスタルなどという大御所も参加していたのだということが分かっただけでも、手に入れた甲斐があったというものです。

1月17日

BACH
Kantaten
Sigiswald Kuijken/
La Petite Bande
DHM/05472 77528 2
(輸入盤)
BMG
ファンハウス/BVCD-31003(国内盤)
1人の指揮者でバッハのカンタータ全曲(二百数十曲)を録音するなどというとても手間がかかることを成し遂げるのは、リリンクぐらいなものと思っていたら、オランダのロイシンク(?)という人は、ほんの2年ほどの間にBRILLIANTレーベルのために同じことをやってのけてしまいました。そんな早業は極端な例ですが、現在カンタータ全曲録音に挑戦している人は3人、トン・コープマン、鈴木雅明、そしてジョン・エリオット・ガーディナーです。
これら、オリジナル楽器のビッグネームに負けじと、名乗りを挙げたのがジギスヴァルト・クイケン、しかし、これは単発のカンタータで、全集を仕上げる気配は今のところはなさそうです。
このラ・プティット・バンドには日本人が2人参加しています。寺神戸亮と鈴木秀美、そして、声楽陣にはソプラノの鈴木美登里も。この3人、何のことはない、先ほど挙げた鈴木雅明率いるバッハ・コレギウム・ジャパンの主要メンバーではありませんか。このあたりの相互乗り入れ、大いに歓迎されるものです。(実は、リーダーのクイケンも福井県出身…わーっ!)
収録されているのは9番、94番、187番の3曲。最初と最後に4声のコラールがあって、間にソリストのレシタティーヴォとアリアという、ごく普通の形のカンタータです。ただ、他の演奏者の場合、コラールは合唱に歌わせていますが、ここではソリストが4人だけで歌っています。以前紹介したパーセル・クヮルテットでも同様のことをやっていましたが、これは別に特別なことではありません。最近入手したBWV(バッハ作品目録)を見てみても、声楽の編成は単に「SATB」と書いてあるだけで、別に「合唱で歌え」とは指定されてはいないのです。だから、これを拡大解釈して、ロ短調ミサ全曲をソリストだけで歌わせる演奏も出てくるわけです。
このCDでは、アンサンブルの時のソプラノの鈴木が非常に的確な響きを作っていますから、へたな合唱で聴くよりはずっと充実感が得られます。ソロではアルトのコジェナーが素敵。94番のアリアは、オブリガートのバルトルト・クイケンのフルートともども、しっとりとした味を出していて感動的です。鈴木は、アリアではリズム感がやや悪く、ちょっと残念ですね。ユリアーネ・バンゼのようなセンスを身に着けられればよいのですが。ロイシンク盤にも参加しているテノールのショッホは、ソロもアンサンブルも今ひとつ物足りません。バリトンのファン・デル・クラッベンは、とても柔らかい声が魅力的。
オケは、意外なことに、とてもみずみずしい響きで、変なオリジナル臭さがなく、心地よく聴くことが出来ます。特に低弦がとても雄弁に感じられます。ただ、この編成で聴くよりも、やはり合唱が入ったほうが、生理的にはより魅力的に思われてしまうのはなぜでしょう。

さきおとといのおやぢに会える、か。


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