・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・




〔098〕 チベット問題に対する台湾の呼応 中国との成熟度の差を表す
【2008/04/10】

 台湾からの最近の情報によれば、中国政府によるチベット人への強権的な姿勢に対し、民進党は3月末に、中国を非難する決議案を提出。さらに国際社会が中国政府の弾圧を共同して阻止するよう呼びかけた。

 これに対し、国民党側は4月初めに、中国政府を直接的に批判する文言を入れずに、チベット人の基本的人権保障を支援するとともに、中国政府がチベット同胞の基本的人権を擁護していくよう国連などの国際的組織が共同で監視することを呼びかける提案を行った。

 総統選挙のさなかに起きたチベット人の抗議活動と中国政府の武力による鎮圧は大きく報じられ、民進党、国民党両党も素早く反応した。

 中国政府が強硬手段に出るほど、民進党有利となり、僅差で民進党の謝長廷候補が勝利するのではという観測が流れ始め、国民党の馬英九候補側は逆風と受けとめ危機感を強めた。

 ダライ・ラマ14世の台湾における代表機構ダライ・ラマ・チベット宗教基金会が中心となった抗議集会が台北市内でさっそく開かれ、両党の候補者や関係者が駆け付け、世論の支持を得ようと動いたものの予想されたほど選挙への影響はなかった。

 1989年の天安門事件に対して台湾国民は敏感に反応し、中国の民主化を求める人々に対する大規模な支援集会や犠牲者への募金活動が早くから始められた。だが、それとは対照的に今回のチベット人の決起に対して、台湾社会は冷静な反応を見せた。

 その理由はいくつか考えられるが、かつてのような中国に対する強い拒否反応が減少してきている。また、台湾、中国との経済的な結びつきや交流が進むと同時に、多チャンネル化をもたらしたケーブルテレビやインターネットの普及などから現実の中国の姿を多くの人々が知っている。

 「台湾には、民進党寄り、国民党寄り、さらに外国メディアからの情報がある。それに、台湾は中国みたいに都合の悪い情報が遮断されているようなインターネット情況ではない。自分自身で比較検討できる情報量があるから、以前のように慌てふためくことはない」

 自身を「台商」(台湾の中国への進出企業関係者)と言い、大陸で仕事をしてきた黄さんは、こう説明し、チベット、台湾、さらにウイグルといった民族や国家統一の問題となると、たちまち強烈な愛国主義一辺倒に走り出す中国国内とは対照的な反応は当然だという。台湾人の冷静な対応は、台湾と中国との政治意識、成熟度の違いを浮かべ上がらせる結果といえる。

 以下は、総統選挙期間中の台北での動き。

 3月中旬からのチベット人抗議行動に対し、中国政府が人民解放軍まで出動させ武力鎮圧に乗り出した事態に、台湾メディアは敏感に反応。

 アメリカ、イギリス、日本などからのニュースも引用して、現地の情勢を詳細に報道、さらに民進党の謝長廷候補、国民党の馬英九候補それぞれの見解を頻繁に流した。(TVBSより)




 台北市内にある蒋介石を称えてきた中正紀念堂が、2007年5月に陳水扁政権により「国立台湾民主記念館」と改称された。

 さらに12月には、正門に掲げられていた「大中至正」という文字が撤去され、「自由広場」に置き換えられた。

 この自由広場で、3月17日からチベット人僧侶や台湾人の支持者などが集まり、チベット人弾圧に抗議の意思を示すとともに平和を祈る集会を開催した。


 チベット亡命政府によると、台湾には約600人ほどのチベット人が生活する(日本には約60人)。

 同広場で風になびくのは、チベット独立の象徴となるチベット亡命政府の国旗。雪山獅子旗とも呼ばれ、ダライ・ラマ13世により国旗として制定された。

 チベット人の間では、僧侶でチベット研究者であった日本人の青木文教氏が考案したと語られている。


 中国語、英語、チベット語で、武力鎮圧や人権迫害の即時停止、さらに北京オリンピック開催反対が訴えられた。

 台湾人の参加者の圧倒的多くは大学生などの若者たちで、女性の姿も多数見られた。感情的な反応を見せることなく、いずれも冷静な対応に終始していた。

 台湾当局の警備は厳しくなく、現場を見た大陸からの中国人は、「中国ではあり得ない光景だ」として驚いていた。


 集会は僧侶の読経とともに開始。

 チベットで続くチベット人逮捕、迫害に対し、国際社会が抗議の声を上げ、チベット人の自由と人権保障への協力を求めた。

 同時に、ダライラマ14世を中心とする現在の政府をチベット人にとって唯一の合法政府だと承認するよう求めた。






 パンチェン・ラマ10世の生まれ代わりとして、1995年5月にダライ・ラマ14世が選定したのは当時6歳のゲンドゥン・チューキ・ニマ。

 だが、ニマ少年とその家族は翌96年、行方不明となり、現在もその消息は不明。

 チベット人僧侶らはニマ少年の顔写真を掲げ、「世界最年少政治犯」だとして、解放を訴えた。




 総統選挙が終了後も、チベット人弾圧の抗議は続けられ、3月28日から30日にかけて、49時間のハンストが実行された。

 中央放送局によると、チベット人は難民法の可決や、台湾にチベット難民保護区を設けることなどを与野党に呼びかけたという。







 総統選挙2日前、民進党の総統選挙集会壇上に、謝候補とともに登場したチベット人。

 謝候補は「台湾はチベット住民と同じように平和と自決を求めている」と述べ、チベット支援を表明した。

 民進党は、チベット蜂起47周年記念日となる3月10日に、中国の武力侵攻で亡くなった犠牲者に哀悼をささげるなどして、チベットへの関心を強めていた。



 国民党の馬候補も総統選挙直前、チベット人に対する中国の武力鎮圧を非難、さらに彼の一族も平和を求めているとアピールした。

 この背景には、馬候補はチベットなどの少数民族問題には冷淡だという印象を払拭する狙いがあったとされている。

 だが、中華民国政府はチベット人に自治を認めると発言するなどして、チベットとの連携する姿勢を強めた民進党の謝氏とは微妙な温度差を感じさせた。





◆ 君在前哨/中国現場情報 ◆






君在前哨/中国現場情報
 トップ・ページへ  返回首頁 

鏈  接