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海洋 / 陳建年

 陳建年は台湾の先住民族、卑南族(プユマ族)出身。台東で警察官、歌手という二つの活動を両立させています。初めて彼を知ったのがこの『海洋』でした。すがすがしさを前面に押し出す歌い方が関心をひいたのですが、さらに印象づけたのは一曲の歌詞でした。「我們是同胞」で、「山地人也好 平地人也好 我們都是這裡的人民 先住民也好 後住民也好 我們都是這裡的住民 我們不是敵人……」。この歌詞をどうとらえるかは人ぞれぞれですが、私はこのように歌わざるを得ない情況が台湾にあるということを改めて認識させら、彼が台東を拠点とする意味が理解できました。(2008/04/08)



※ 下記 作品名を左クリックすると該当記事に飛びます ※


(45) ASTOR PIAZZOLLA Y SU QUINTETO TANGO NUEVO LIVE IN TOKYO  / Astor Piazzolla
(44) 大地の歌  / Владимир Семёнович Высоцкий
(43) 究極のベスト!  / 北原ミレイ
(42) CAMEL'S KISS / Tristan Honsinger
(41) PLAYS CONTEMPORARY MUSIC / Glenn Gould
(40) SINGS THE BLUES / Nina Simone
(39) MOUNTAINSCAPES / Barre Phillips
(38) VINCEBUS ERUPTUM / Blue Cheer
(37) SUN PERCUSSION VOL.1 / Famoudou Don Moye

(36) A DAMA DO FADO / Amalia Rodrigues
(35) ARE(A)ZIONE / Area
(34) なみだ船 / 北島三郎
(33) LUNCHCONCERT for THREE AMSTERDAM STREETORGANS / Willem Breuker

(32) 割れた鏡または化石の鳥 / 吉沢元治
(31) TEXAS BLUESMAN / Lightnin' Hopkins
(30) BLACK - ブラックにグッドラック / 浅川マキ
(29) LOST IN THE STARS: THE MUSIC OF KURT WEILL / John Zorn, Carla Bley, Todd Rundgren etc.
(28) 嘉手苅林昌特集 / 嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう)

(27) VOICE / Julie Tippetts, Maggie Nichols, Phil Minton, Brian Eley
(26) ジャックスの世界 / ジャックス
(25) FOUR IN ONE  / Misha Mengelberg
(24) 横跨黄色地球 〜 ACROSS THE YELLOW EARTH  / Difang Duana(郭英男)
(23) 文楽 一谷嫩軍記 熊谷陣屋の段 / 四世竹本津大夫、竹沢団七
(22) THE ERIC DOLPHY MEMORIAL ALBUM / Eric Dolphy
(21) KRONOS CARAVAN / Kronos Quartet
(20) LIVE AT THE OLD WALDORF / Mike Bloomfield
(19) 昭和を飾った名歌手たち(6) / 小唄勝太郎
(18) AMARCORD / Nino Rota
(17) 拉薩謡 / 朱哲琴
(16) METAL MACHINE MUSIC / Lou Reed
(15) 小林旭ベスト・セレクション
(14) SUN RA & HIS ARKESTRA LIVE AT MONTREUX / Sun Ra
(13) 劉天華十大名曲集 張鋭二胡独奏 / 張鋭
(12) SOLO / Han Bennink
(11) VINICIUS + BETHANIA + TOQUINHO / Vinicius De Moraes, Maria Bethania, Toquinho
(10) YARONA / Abdullah Ibrahim
(9) COMME A LA RADIO / Brigitte Fontaine
(8) 酒後的心聲 / 江
(7) NEW SIGHTS, OLD SOUND / Derek Bailey
(6) 歌謡浪曲集 / 中村美律子
(5) WE INSIT! / Max Roach And Oscar Brown,Jr.'s Freedom Suite
(4) TENG GEER / 騰格爾
(3) 清河への道 / 新井英一
(2) MACHINE GUN / the Peter Brotzmann Octet
(1) 老歌 / 蔡琴








ASTOR PIAZZOLLA Y SU QUINTETO TANGO NUEVO LIVE IN TOKYO / Astor Piazzolla

  アストル・ピアソラについては、言葉は必要ないでしょう。この作品を輝かしいものにしているのは、ピアソラの演奏であり、藤沢嵐子の歌です。しかしこれほど実力のあるタンゴ歌手でありながら、彼女の歌声が聴けるCDはわずかしか発売されていません。資源のむだづかいとなるゴミは、大量生産され続けているというのに。これが日本の音楽界の現状です。1982年、ピアソラが初来日したときの貴重なライブ。それから20年以上たっても、藤沢嵐子の歌の強さは忘れられません。ピアソラとともに彼女の歌にじかに接しられたことが幸運であったことを再確認させてくれる1枚です。(2008/02/15)  ▲






大地の歌 / Владимир Семёнович Высоцкий

 聴くと涙が出る歌が流行しているそうですが、恥ることなく戯言を喧伝する歌手に限って、人前で歌える次元にまでに達していません。そんな連中は、ヴラジミール・ヴィソツキーの歌ではるか彼方に吹き飛ばされてしまうでしょう。存命中はレコードの発売を禁じられ、対抗策として密かに歌がコピーされ手渡されてきました。そのテープを初めて聴いたのは20年ほど前。強烈さは、今でも忘れることができません。1980年7月、42歳の若さで亡くなりましたが、葬儀の行われた場所の周囲には1000人を超すモスクワ市民が集まり、夭折を惜しんだと言われいます。その事実を彼の歌声、歌詞からしっかりと受け取ることができます。(2008/02/10)  ▲






究極のベスト!  / 北原ミレイ

 北原ミレイのデビュー曲「ざんげの値打ちもない」には、背筋がゾクゾクするほどの恐ろしさを感じました。北原ミレイの怨念がこもった歌唱力も一因ですが、なんといっても悪寒を走らせたのは阿久悠氏の歌詞の力です。「暗い夜」「年も忘れた」「街にゆらゆら灯りつき」といった言葉に続いて、「ざんげの値打ちもないけれど 私は話してみたかった」という言葉のつむぎ。人の心情を射抜く歌詞の鋭さにへたり込むほどでした。そして、「棄てるものがあるうちはいい」「何も死ぬことはないだろうに」と彼女に歌わせた阿久悠氏は、言葉に命を吹き込む魔術師だと痛感させられました。(2007/11/04)  ▲






CAMEL'S KISS / Tristan Honsinger

 トリスタンのチェロ演奏を初めて聴いたとき、これまで多くの演奏家が奏でてきたチェロとはまったく別のチェロがこの世のに存在することを知りました。優雅さとか上品さとはまったく別の次元の演奏です。躍動感、跳躍感を露呈させた起伏の差異の表出に驚きました。フリー・ジャズあるいはフリー・ミュージックの演奏家たちとの競演となる作品が多いのですが、やはり彼の存在の重さを認識させるのはソロ・アルバムです。縦横無尽にチェロを弾き尽くすトリスタンならではの動きが、さまざまな音から吹き出しています。エスタブリッシュメントとは無縁の次元に存在する重みが伝わってきます。(2007/09/03)  ▲






PLAYS CONTEMPORARY / Glenn Gould

 奇人、変人など、生前さまざまなレッテルを貼られたグレン・グールドですが、そんなレッテル貼りがいかにむなしいことか、彼の多くの作品を聴くたびに痛感させられます。奇行と判断されてきた彼の活動は、実は彼なりに音楽を模索した証だと思います。通常、クラシックは作曲家と演奏家の両者へ思いが浮かぶものですが、グールドの場合は彼の演奏だけにしか思いがおよびません。それだけグールド独自の解釈、そしてなによりも表現が彼そのものであるからに違いありません。独善的とされる演奏は、実は今日的な音楽の在り方を示してきたものだと思います。(2007/07/23)  ▲






SINGS THE BLUES / Nina Simone

 ニーナ・シモンのアルバムを1枚だけ取り上げるのはなかなか難しいものです。彼女のファースト・アルバム、カーネギーホールやコンサート・ライブなども、とても印象深い作品がいつくもあります。1枚を選ぶことに迷うのは、彼女の実力はもちろんですが、黒人女性としての誇りが歌ににじみ出ているからだと思います。その中からあえて選んだのが、このブルースをテーマとするアルバムです。時に力強く、時にやさしく、時に語らうように歌う彼女の歌には、喜怒哀楽が常に感じられます。これほどの歌手、何度も出会えないという気持ちは何年たっても変わりません。(2007/05/09)  ▲






MOUNTAINSCAPES / Barre Phillips

 重厚なベースがアルバムからほとばしり続けてきます。ベーシスト、バール・フィリップスそのものの、音楽に対する確固たる姿勢を表していると感じさせてくれる音といえます。その意味でも、このアルバムの重みは聞くたびにずっしりと迫ってきます。ベースの役割を感じさせる音楽はそれほど多くはありません。時には添え物として扱われいるのかとがっかりさせるものもあります。しかしバールのソロはもとより、この作品に集まったメンバーによるフリー・インプロヴィゼーションにおいても、ベースの存在価値をそこはかとなく認識させてくれ、音楽は終わってもその余韻が長く響き渡ってきます。(2007/04/07)  ▲






VINCEBUS ERUPTUM / Blue Cheer

  夏でなくても思い出すのがブルー・チアーのこの作品。ファースト・アルバム、そしてその第1曲目に収録された「サマータイム・ブルース」です。彼らが登場したのは1968年ですから、すでに38年が過ぎ去ってしまいました。「サマータイム・ブルース」は、彼らのオリジナルではありません。スタンダードナンバーとして、さまざまなミュージシャンが取り上げていますが、強烈さと印象深さにおいては、ブルー・チアーにかなうものはありません。それはけっして唸りを上げるファズ・ギターのボリュームの大きさだけでもないし、原型をぶっ飛ばす破壊力だけもありません。38年の時を飛び続ける怨念のような歌とサウンドが織りなす力強さです。(2006/10/15)  ▲






SUN PERCUSSION VOL.1 / Famoudou Don Moye

 アート・アンサンブル・シカゴ(AEOC)は、アヴァンギャルド・ジャズだの実験的音楽だのといまだに言われていますが、AEOCのメンバーである打楽器奏者ドン・モイエのこの作品を聞けば、そんなレッテル貼りがいかにむなしいかを痛感させます。モイエからはじき出される音やリズムは、まさに音楽の根源を示すものです。太鼓と呼ぶにふさわしいもっとも原始的なパーカションが叩き、振るわせられることで、血のめぐりを思わせる躍動感を伝えてきます。そして何よりも興奮させるのは、類型化された教則本的なリズム・パターンとは無縁の、自由奔放な打ち寄せるリズムのほとばしりです。(2006/07/24)  ▲






A DAMA DO FADO / Amalia Rodrigues

 宿命といった意味がある、ポルトガルの民俗歌謡ファド。その歌手である数あるファディスタの中で、もっともよく知られるのが、このアマリア・ロドリゲスです。なにはさておき、くっきりとした抑揚があります。それは技術的な歌い方だけではありません。声ににじみ出るゴツゴツした起伏ある感情です。ファドに欠かせないポルトガル・ギターとの絡み合いが、よりいっそう、喜怒哀楽を際だたせます。ファドは、そしてアマリアの歌は感情の発露の極みを行くと思います。それだけに、もちろんアマリアの声がよく通ります。よく通る声はどの世界の歌でも実力と比例します。(2006/04/16)  ▲






Are(a)zione / Area

 イタリア共産党支持を明確に打ち出していたイタリアのアレアです。へなちょこアエラとは違います。アレアの姿勢がはっきりとわかるのが、このアルバムに収められている「インターナショナル(L'Internazionale )」です。デフォルメされたあの「起て飢えたる者よ・・・・」というメロディーが聞こえたときには、ゾックとしました。ジミ・ヘンドリックスの「星条旗よ永遠なれ」より、はるかに強烈です。1974年ですから30年以上前のことになりますが、政治と音楽が結びついた作品として、いつまでも記憶に残っています。ここ数年、日本で騒がれているイタリアとは違った、「いざ闘わん」とうごめくイタリア事情を伝えています。(2006/03/08)  ▲







なみだ船 / 北島三郎

 北島三郎のデビュー曲は「ブンガチャ節」ですが、その半年後に発表された「なみだ船」は強く印象に残る曲です。澄みきった声には艶があり、発する一音一音に狂いや迷いが感じられません。それになによりも丁寧な歌いっぷりが伝わってきます。この曲で、レコード大賞と新人賞を受賞したのもうなずけます。三橋三智也や春日八郎に続く実力を備えた演歌歌手だと確信できました。だからこそ、その後の歌を聴くと失望がふくれあがりました。血のつながりもない人たちから「おやじ」と呼ばれ出した頃からでしょうか。このジャケット写真でも見られる誠が、おやじと呼ぶ人たちに吸い取られていっているような気がしてなりません。(2006/03/05)  ▲







LUNCHCONCERT for THREE AMSTERDAM STREETORGANS / Willem Breuker

 楽器にも流行りすたりがあり、かえりみられなくなったものもあります。オルガンもその仲間入りを強いられているようです。しかしオルガンでも、日本ではほとんどなじみのない自動オルガンに息吹を与えたミュージシャンがいます。オランダのヴィレム・ブロイカーです。アムステルダムの広場に自動オルガンを持ち出し、ランチ・コンサートとしてドキュメントを作り上げました。ヨーロッパで誕生したオルガンであっても大半が壊される運命にあるようで、そこに息吹を与えしかもレコードあるいはCDとして現在も聴けるのは、ミュージシャン自身による自立したレーベルが運営されいるからこその賜です。(2006/02/22)  ▲







割れた鏡または化石の鳥 / 吉沢元治

 吉沢元治さんからこの作品が発表されると初めて聞いたとき、タイトルがまだ確定していないのですかと、問い返してしまいました。まいったなという表情を浮かべ、吉沢さんは笑っていました。吉沢さんのベースを初めて聞いたのはジャズを聞き始めた頃で、この作品が録音される7年ほど前、60年代後半でした。小さなホールで、飛び散る汗が降りかかるほど近い場所で聞くことができました。ジャズがなんだかよくわからない時期に、吉沢さんのベースに出会えたことは幸運でした。その頃の新鮮さが素直に感じられる演奏で、ベースの可能性、音楽の自在さを伝える一人っきりの躍動感がベースソロとして襲ってくる作品です。(2006/02/16)  ▲







TEXAS BLUESMAN / Lightnin' Hopkins

 1912年のテキサス生まれ、そしてアコースティック・ギターと渋みのある声で織りなされるブルース。ライトニン・ホプキンスはこのアルバムのタイトル通り、まぎれもなくテキサス・ブルースマンを代表する人物です。しかもこの作品のモノクロジャケット写真が、ライトニンの人間性をじっくりとにじませていると思います。吶々とつま弾くギターに絡み合うだみ声。シカゴ・ブルースとはひと味違った素朴な音楽性が写真にも写し出され、ブルースの奥深さを表出させていると思わせます。彼の歌と演奏を聞くたびに、つくずく音楽とは技法ではなく個の内面のほとばしりだと痛感させます。(2006/02/01)  ▲







BLACK - ブラックにグッドラック / 浅川マキ

 詩人・清水俊彦氏の詩集「直立猿人」を、歌詞の基本とする作品です。しったがって、詞の言葉数とメロディーを一致させる通常の歌作りとは無縁です。字余りはいたるところに表れます。しかもバックの演奏が、浅川マキの歌と連動しているとは限りません。いや、彼女の歌と演奏が互いに挑発しあっている箇所も随所に聞かれます。「美は乱調にあり」という言葉を思い起こさせる危ういバランス感覚が緊張感をもたらし、日本語の歌の深みや重みを実感させます。自ら求めていかなければ歌を聴けない歌手ですが、彼女の行為は常におもしろみを秘め、これぞ日本の歌と主張できる奥深さを持っています。(2006/01/10)  ▲







LOST IN THE STARS: THE MUSIC OF KURT WEILL / John Zorn, Carla Bley, Todd Rundgren etc.

 ベルトルト・ブレヒトとの共同作業による「三文オペラ」の作曲などで知られるクルト・ワイルの作品集です。ワイルは1920年代から40年代にかけて精力的に音楽を創り上げましたが、このアルバムでは半世紀の時を経て時代の音楽を奏でるジョン・ゾーン、カーラ・ブレイ、トッド・ラングレン、ルー・リード、トム・ウェイツなど、フリー・ミュージック、ジャズ、ロックなどさまざまなミュージシャンによって、新たな息吹を与えられています。日本では「クルト・ワイルの世界〜星空に迷い込んだ男」のタイトルで発売されましたが、数々の個性的なミュージシャンたちの迷宮を彷徨するような演奏が心地よさを醸し出しています。(2005/11/12)  ▲







嘉手苅林昌特集 / 嘉手苅林昌(かでかる・りんしょう)

 1999年10月に亡くなった嘉手苅林昌さんの島唄がたっぷり聴ける一枚です。1927年に大阪で創業され、戦後、沖縄に移り当地の音楽を録り続けてきたマルフク・レコードが発売しています。数ある沖縄音楽の作品群の中で何を買おうかと迷っていたときに、沖縄の人がこの作品を薦めてくれました。癒し、南の地の熱い熱唱といった、沖縄に対する常套句とはまったく異質な歌と三線が流れてきます。歌声は静だからこそ、秘めたる力がよりいっそう感じられます。時と人の移ろいを表す木訥とした詞には、強靱さがみなぎっています。未知の音楽と出会うことの感激を痛感させてくれた作品です。(2005/10/25)  ▲







VOICE / Julie Tippetts, Maggie Nichols, Phil Minton, Brian Eley

 イギリスのインディペンデント・レーベルであるOGUNから発売されたこの作品は、人の声の強靱さや奥深さを堪能させてくれます。まさにタイトルに偽りなしで、歌というよりVOICE、つまり声と言い表したことが、この作品の製作意図を的確に表しています。すべてが無伴奏で、4人の声の重なり、ズレ、絡み合いがやがては声の輪となる営みが全編に貫かれ、人の声があらゆる楽器を凌駕するものであることを教えてくれます。ジャズ、ロック、クラシック、現代音楽といったジャンルの垣根を軽々と跳び越えてきたインプロバイザーならではの、人の根源的な表現手段となる「人間の声」により作られた傑作です。(2005/10/16)  ▲







ジャックスの世界  / ジャックス

 作品の発表は1968年9月。37年前のものですが、いまも確かな息吹を感じさせます。当時の日本の音楽状況といえば、カネになると見込んだバンドを、音楽産業が洋楽の物まねバンドに仕立て上げ、グループサウンドだとかロックだとか、はたまた歌謡曲そのものなのにR&Bだと言いはって売り出していました。腰もシャッフルしないニセR&Bグループは、今も伝説のバンドとあがめられています。本物ゆえに虐げられる、日本の悲しき音楽状況の象徴です。そんな似非連中とは一線を画したのがジャックスです。彼らは誰のものでもない自分たちの音楽を創り上げ、「ジャックスの世界」と言い張れる自分たちの世界を確立させています。(2005/10/05)  ▲







FOUR IN ONE  / Misha Mengelberg

 ウクライナのキエフ生まれでオランダ育ちのピアニスト、ミシャ・メンゲルベルクは、日本ではほとんど知られていません。知られていないということは、演奏が聞かれていないことを意味します。残念です。彼の足跡を振り返ると、オランダを中心とするヨーロピアン・ミュージックの進化を体現するピアニストだということがわかるからです。1967年から当地のミュージシャンとレコード会社に従属されない活動を目指し、自分たちの音楽を創り上げてきました。ここでは、個性きわまるエリック・ドルフィーやセロニアス・モンクの曲を取り上げていますが、ミシャによって濾過された音楽が聴け、ゾクゾクする独特のスリル感に身震いです。(2005/09/04)  ▲







横跨黄色地球 〜 ACROSS THE YELLOW EARTH  / Difang Duana(郭英男)

 台湾の原住民・阿美族の郭英男さんことDifang Duana(原住民名)さんの名を、世界に知らしめた名作です。音楽は生活の中で育まれ、いかに土着的であるかという音楽の原点を如実に教えてくれます。若いときから、阿美族の伝統的音楽を広めたいと考えていたという郭さんは、このアルバムの発表で台湾国内では「打開原住民伝統歌曲通往世界的」として、大きな評価を得ました。惜しくも2005年3月29日に、81歳で亡くなりましたが、すでに日本の植民地となっていた1921年生まれということもあり日本語にも堪能で、台湾の中央放送局は彼の死を悼む放送の中で、「相撲やプロレスを見るのが大好きだった」と伝えています。(2005/08/27)  ▲







文楽 一谷嫩軍記 熊谷陣屋の段 / 四世竹本津大夫、竹沢団七

 「一谷嫩軍記 熊谷陣屋の段」の初演は、1751年とされています。以来、文楽の代表的な時代物として、演じられてきました。この作品は1986年に録られています。四世竹本津大夫の繊細な声の動きに、そこはかとない色艶が感じられます。ところが、そこには一貫して豪快さも貫かれています。たった一人で登場人物の感情や情景を表す肉声、そして無駄な音をそぎ落とした三味線と絡み合う奥深い幽玄な世界は、それだけで完結した演劇性をあらわにします。ここに文楽の魅力があると思います。タレント然として振る舞う勘違いもはなはだしい一部歌舞伎役者の軽薄さや傲慢さを感じさせないのも、文楽にひかれる要素ともいえます。(2005/07/16) ▲







THE ERIC DOLPHY MEMORIAL ALBUM / Eric Dolphy

 1963年5月から6月にかけて録音された作品です。ドルフィーには名盤と評価されるアルバムが多くありますが、ここでの演奏はドルフィーにしか奏でられない奥深さを端的に表す演奏として、どれだけ時が経とうとも色あせることがありません。とりわけ3曲目の「Alone Together」によるベーシスト、リチャード・デイヴィスとのデュオ、4曲目の「Love Me」のソロは、静けさの中に荒々しさをしのばせる演奏として記憶に残ります。1964年6月29日、ドルフィーはベルリンで36歳の若さで病死しましたが、短い生涯で残した100枚近いアルバムの中で、死の1年前録音された文字通り「メモリアル・アルバム」と位置づけられる作品です。(2005/06/26) ▲







KRONOS CARAVAN / Kronos Quartet

 1973年にアメリカで結成された、弦楽4重奏団です。しかし、しとやかなストリングスを期待すると、完全な肩すかしをくらいます。ベラ・バルトーク、ジョン・ケージ、アストル・ピアソラ、ジミ・ヘンドリックス、そしてアフリカや中東音楽というように、彼らが取り上げる音楽に国境や人種の区分けはありません。だからこそ、先鋭的で豊かな音楽表現が可能だと思います。中でもこの作品はキャラバンそのもので、世界各地の実生活にこびりついた音楽を奏でています。クラシックやポピュラーといったジャンルの破壊はもちろんですが、尊ばれてきたテクニックを解体しての演奏は刺激的であると同時に、奔放さや構成力の強靱さを提示しています。(2005/06/15) ▲







LIVE AT THE OLD WALDORF / Mike Bloomfield

 ブルースから出発したことを理由に、たまにその片鱗をちらつかせることでブルース・ギタリストと名乗るものの、ロック・スターとしてぞんざいに振る舞う人物が何人もいます。そういった“幸福な”ギタリストたちと比較すると、このマイク・ブルームフィールドの歩みは注目に値します。紆余曲折はあったものの、けっきょく彼はブルース一筋に歩んだといえます。子どもの頃からシカゴ・ブルースを身に染み込ませた彼の指先からはブルースが弾け飛び出す。この作品を聞くたびにそんな感覚を堪能できます。日本ではその存在さえあまり知られていない作品ですが、ブルームフィールドの存在を印象づける一枚です。(2005/03/03) ▲







昭和を飾った名歌手たち(6) / 小唄勝太郎

 圧倒的な歌唱力不足をバックの演奏、それも音量の大きさやリズムボックスが叩き出す16ビートでごまかすことで成立しているのがJポップですが、その対極に位置する1枚がこの作品だと言ってもいいでしょう。戦前、時代が時代ですから、機械でごまかすとかいうような術がありません。頼れるのは歌唱力だけです。録音技術のレベルもあり、彼女の声はとてもか細いように聞こえますが、実にしっかりとした透き通る声で、ぶれることがまったくありません。つまり、それだけ安心して聞くことができるわけです。多々、違いはありますが、今時のJポップ歌手との大きな違いは、この安定感にあると言えるでしょう。(2004/11/17) ▲







AMARCORD / Nino Rota

 映画音楽は映画の添え物のように思われることのほうが多いのですが、そんな認識をみごとに否定してくれるのがこの作品です。作曲家としてのニーノ・ロータの構成力の巧みさ、ここに集まったミュージシャンたちの表現力の奥深さ、この二つの要素が重なり合ってまれにみる聞きごたえを感じさせます。とりわけ、カーラ・ブレイ、ムハール・リチャード・エイブラムス、スティーブ・レイシーなどの参加が大きな力を発揮しているといえますし、彼らのニーノ・ロータに対する思いの深さをも感じさせてくれます。映画音楽というより、独立した個々の音楽という思いを聞くたびに強く認識させる作品となっています。(2004/10/21) ▲







拉薩謡 / 朱哲琴

 中国人のほとんどが、朱哲琴の名前すら知りませんでした。彼女の音楽を聴いたことがあると答えたのは、中国では作曲家や演奏家、録音技師くらいでした。国内よりも海外のほうが、関心が高いと教えてくれた作曲家もいたました。ただし海外とはいっても、ヨーロッパです。日本ではごく少数の人しか関心を寄せていません。特異な女性歌手と形容してもいいと思いますが、音楽プロデューサーの何訓田と協力してデビュー以来、おおらかさと緻密さを兼ね備えた彼女の歌、音楽は、中国にも日本にもないミステリアスな世界を抽出しています。それはチベットを素材としたエキゾチズムだけではないといえます。(2004/09/07) ▲







METAL MACHINE MUSIC / Lou Reed

 西洋のクラシック音楽をすばらしいとする感性だけを育てる日本の音楽教育に忠実であろうとする人にとって、ルー・リードの音楽はがまんできず反発さえするかもしれません。なにしろ「メタル・マシン・ミュージック」で発せられる音楽にはメロディーもリズムも、それに調和すらないと“酷評”した人がいたほどですから。こすれあったりねじれあったりするもの悲しい金属の悲鳴だけが連なっているとあきれかえった人もいます。しかしこれも音楽だと思います。唯一無二の価値観から抜け出すことの大切さなどということすら破壊するこの作品は、無限の解放感を放っています。(2004/02/29) ▲







小林旭ベスト・セレクション

 映画俳優が余興で歌を歌っているように思われがちな小林旭ですが、例えそうであったとしても、島崎藤村や川内康範、西沢爽などが書き上げた詩や詞を、朗々と歌ううまさには感心させられます。先の戦争中に、南方戦線で死の恐怖と直面する若き兵士の間で歌われた「ギロハの浜辺」を元歌とする「さすらい」、旧満州の闇の中で青年が見た思いが綴られる「北帰行」など、小林旭の持ち歌には常に個のゆらぎがにじみ出ています。徒党を組み、勘違いもはなはだしい男らしさを振りまいた軽薄なライバルとは、歌の重みに雲泥の差があります。いつも一人、だからこそ歌に真実みが感じられます。(2004/02/08) ▲







SUN RA & HIS ARKESTRA LIVE AT MONTREUX / Sun Ra

 土星からやって来たと自称したサン・ラは、演奏と振る舞いにおいてすこぶる強い印象を残しています。ジャズや黒人音楽の進化の過程をふまえた演奏には伝統と革新が渦巻き、彼でしか表現し得ない個性を確立しました。また、率いるアーケストラのメンバーには自分を頂点に厳格な身分制度を強制し、この世の不条理を嘲笑しました。日本にも宇宙からやって来た悪魔を名乗る人物がいます。ところが人まねでしかない演奏を振りまきながら、今や文化人気取りです。音楽に対する取り組み方でこんなにも存在の重みに開きがでるものかと痛感させられる一方、聞く側の姿勢が問われることもサン・ラの音楽を通して思い知らされます。(2004/01/30) ▲







劉天華十大名曲集 張鋭二胡独奏 / 張鋭

 伴奏楽器でしかなかった二胡を独奏楽器に高めた劉天華(1895〜1932)は、中国はもちろん海外でも二胡の革新者として崇められています。ところが、彼は生涯において二胡の曲はわずか10曲しか作らなかったと伝えられています。その曲を演奏するのが劉天華直系の弟子となる張鋭です。彼の手にかかると、唐の時代に西域から伝わった二胡独特の哀愁あふれる音色や音の細かい響きが、人の喉の繊細な動きと同じようにじっくりと伝わってきます。民族楽器を抱えただけの女子十二楽坊ごときの演奏にうちふるえているようでは、知覚の扉を自ら閉めてしまうことになりかねません。(2003/12/27) ▲







SOLO / Han Bennink

 オランダで1970年代から即興演奏を続ける演奏家がハン・ベニンクです。ドラマーと紹介されがちですが、それは一面にすぎません。クラリネットとトランペットをノコギリで切りつなぎ合わせたり、桶、丸太、拡声器も使用したりしています。「100年も前の音楽をなぜ演奏しなくてはならないのか」と、彼は語っています。なによりも亜流を嫌い、自分だけの音楽を追究するベニンクは、産業となった音楽界には見向きもせず、仲間とInstant Composers Poolという組織を作り、音楽同様にジャケットからすべてを制作し活動しています。彼が手にする楽器と同じように、演奏には既成概念をあざ笑い、真に自立した演奏を追求する姿勢が表れ爽快そのものです。 ▲







VINICIUS + BETHANIA + TOQUINHO / Vinicius De Moraes, Maria Bethania, Toquinho

 ブラジルの外交官にして詩人、作曲家、作詞家、歌手といった多彩なキャリアを持つヴィニシウス・ジ・モラエス。日本では、「イパネマの娘」の作詞家として知られています。そのヴィニシウスがブラジル人歌手のマリア・ベターニャ、やはりブラジル人ギタリスト・歌手のトッキーニョと組んで完成させたのが、3人の名前をタイトルにしたこの作品です。ブラジルといえばサンバですが、サンバはとかく底抜けに陽気な南の国の音楽と理解されがちですが、3人はそんな思いこみを破壊してくれます。ここで生み出す愁いを含んだ陰影の濃い音楽はブラジル音楽のもう一つの側面を刻印していると実感できるはずです。(2003/11/06) ▲







YARONA / Abdullah Ibrahim

 1934年、南アフリカのケープタウンで生まれたピアニスト、アブドゥラー・イブラヒムは、ダラー・ブランドという名でジャズ・ピアニストとしてヨーロッパからデビューしました。故郷を離れたのは、厳しいアパルトヘイトのためだと言われています。ところが1970年代に入り現在のイスラム名を名乗るようになり、彼の音楽も大きく変わりました。いや、自分の出自により忠実になったといったほうが良いかもれしれません。以来、身にしみついたアフリカ音楽で独自性を弾き出すことで、南アフリカの状況に関心を向ける大きなきっかけを彼は作り出してきました。音楽の力を感じさせる巨人の一人、それがアブドゥラー・イブラヒムです。 (2003/10/14) ▲







YCOMME A LA RADIO / Brigitte Fontaine

 絶対王制を倒し共和制となったフランス革命記念日を「パリ祭」と、意味がよくわからないあやふやな言葉に換言してしまう日本ですから、シャンソンもロマンティックな恋の歌一辺倒に仕立て上げられています。しかし、シャンソンは浮き足立つような歌ばかりとは限りません。それを教えてくれるのが、ブリジット・フォンテーヌの「ラジオのように」です。シャンソンとジャズ、それも凡百のシャンソンとジャズではない歌手とグループの出逢いによって誕生したアルバムです。朗々と歌いあげるわけでもなく、それを盛り上げるわけでもない不思議な緊張感が全編に貫かれています。(2003/09/18) ▲







酒後的心聲 / 江

 台湾で圧倒的多数の人々の母語である台湾語の歌は、日本では聞ける機会がありません。テレサ・テンの歌も、台湾では国語と言われる中国語です。しかし、台湾にも確かな歌唱力で台湾語の歌を歌い上げる歌手は存在します。例えば、江宦B台湾語歌謡の女王と形容され、 「酒後的心聲」は100万枚を超える大ヒットなり、本省人の間では世代を超え受け入れられました。台南の公園で、老人たちが日本語の歌を歌いあい昼下がりの時間を楽しんでいた場に遭遇したことがあります。江宸フ数々の歌を聞くと、その光景が浮かんできます。彼女の歌は、台湾と日本の結びつきを色濃くにじませる証です。(2003/08/25) ▲







NEW SIGHTS, OLD SOUND / Derek Bailey

 メロディー、コード、リズムを担うのがギターの務めだと、今もかたくなに考えられていますが、30年以上も前にこんなしきたりを解放したのがデレク・ベイリーです。彼がはじき出すギターからはメロディーもコードもリズムもありません。音楽は歌うもの、口ずさむもの、メロディーを楽しむもの、他者と共有するもの、最近では癒されるものと信じて疑わない人にとって、彼の演奏は不愉快そのものでしょう。しかし彼が果たしている役割はこびりついた固定観念からの解放です。このレコードをプロデュースしたのが間章さんという日本人であることの意味が今なお認識されていないのが残念でなりません。 (2003/07/30) ▲







歌謡浪曲集 / 中村美律子

 芸能マスコミへのプライバシーやスキャンダルの切り売り、時代錯誤の共同幻想を振りまく群れに入り込む、演歌界を泳ぐ術に長けた歌手だけが脚光を浴び、実力だけではなかなか表に出られません。そんな欲望渦巻く世界で、歌一筋で生き抜くのが中村美律子です。常に大きく口を開け、歌詞をはっきりと声に乗せ、歌に込められた色艶を醸し出します。それを何よりも物語るのは、歌っているときの首筋の激しい張りと微妙な動きです。4曲で1時間にわたり、台詞、節、歌の三位一体となる歌謡浪曲を披露できるのは、実力のある歌手だからこそなしとげられるといえます。(2003/05/29) ▲







WE INSIT! / Max Roach And Oscar Brown,Jr.'s Freedom Suite

 小泉首相が典型例だと思います。「芸術」という二文字さえあれば、感動したとはしゃぎまわるタイプの。さらに為政者は深い感性を備えていないことも、あの態度・発言が如実に物語っています。つくづく、音楽で世の中が変わることはあり得ないと思わせます。しかし音楽で主張を伝えることはできます。それを教えてくれたのが「我々は主張する」です。アメリカの人種差別もさることながら、黒人たちが60年代からアフリカを視野に入れた方向性を示してきたことを雄弁に語っています。惜しむべくは、作品を日本が音楽としての一面だけ受け入れたことです。そうでなければ、無邪気にアメリカ賛美を語る人がもう少しは減っているはずです。 (2003/04/13) ▲







TENG GEER / 騰格爾

 内蒙古人であることにこだわり続け、民族の歌、それも自作の曲をモンゴル語中心に歌い続ける騰格爾にはいつも感心させられます。ある時は腹から声を絞り出し、またある時は高音域ののびのある歌声を聞かせます。ボイス・トレーニングを続けているいるたまものですが、喜怒哀楽のはっきりしたその歌声は彼の豊かな感情と内蒙古の自然の表情を的確に伝え、映像を見ている臨場感があります。圧巻は、動物の鳴き声ととともに始まる「蒙古人」や民族伝承の歌唱法で朗々と歌い上げる「黒駿馬」です。残念なことは、彼のたぐいまれな民歌が日本では入手できないことです。(2003/04/06) ▲







清河への道 / 新井英一

 自分をアメリカ人、それも黒人だと勘違いし、薄っぺらな物まね、昔の言葉で言うなら声帯模写とでもいうべき歌いっぷりを披露する偽ブルース・シンガーが日本人の中にかなりいます。鏡を見れば一目瞭然にもかかわらずにです。そんな偽ブルース群の中で、ようやく出会った本物の日本のブルースが『清河への道』でした。日本で生まれ育った在日として、日常生活の喜怒哀楽が約45分間にもおよぶ1曲に凝縮されています。自分の歩んできた道を、贅肉をそぎ落とした簡素な言葉で綴り、ゆるぎない歌唱力で熱唱することで、この作品はたぐいまれな強靱さをにじみ出しています。(2003/03/23) ▲







MACHINE GUN / the Peter Brotzmann Octet

 1960年代後半、当時の西ドイツの西ベルリンで、新しい音楽家集団が誕生しました。Free Music Production(FMP)です。楽器編成からするとジャズに近いものでしたが、実際の演奏はジャズとはかけ離れたものでした。Free Musicという言葉が象徴するように、彼らが追求したのはより自由な即興演奏です。より自由というのは、既製の音楽、既製の思想、既製の価値観から解き放たれた自分たちの音楽という意味で、この作品はFMPの初期に発表された代表作です。彼らの演奏を雑音の洪水だと批判した人がいますが、既成概念をマシンガンで粉砕する意志が貫かれています。 (2003/03/23) ▲







老歌 / 蔡琴

 台湾を代表する歌手の一人ですが、なぜか日本では彼女の作品が発売されていません。ハーバード大学を訪れた中国人学者が当地で台湾の学者から聴かせてもらったことがきっかけとなり、私もなんとかこの作品に出会うことが出来ました。その後、中国系のいろんな人に尋ねると台湾はもとより中国本土、香港、シンガポール、マレーシア、タイなどで東南アジア各国で大きな支持を得る中国語圏を代表する歌手だとわかりました。服部良一の「別れのブルース」など、日本人にも縁の深い戦前の歌を中心に、国や時代を超えて慕われる歌がとても丁寧に歌われています。 (2003/03/23) ▲