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〔085〕 直訴阻止はありえない?−なぜ中国人は「上訪」を選択するのか (1 / 3)
【2006/05/18】

 近代化が進む中国とはいえ、それは都市部だけの現象。農村部での貧困、地方官僚の腐敗は都市の反映ぶりとは反比例するかのように深刻さを増している。

 「今では農村にわざわざ出かけなくても、農村の崩壊や農民の窮状が北京でもよくつかめるようになった」
 北京の新聞社に勤める記者は、自分の仕事にからめて農村や農民の実情を伝える。

 農村からの出稼ぎ労働者の存在は、北京ではもはや当たり前のこと。彼らがいなくなれば、北京人の生活機能が一部マヒするまでの存在になっている。

 「政府も都市部における農民の役割を否定できない。このレストランでさえ農村出身の服務員がいなければ、セルフサービスに変わるだろう。いや利益追求ができずに、経営者は閉店させてしまう可能性が高い。経営者にとって搾取の対象が失せるのだから」

 かつて農村が都市を支えてきた、現在は農民が都会人のために都会で奉仕する時代になったというわけだ。しかし記者は、一方で北京には歓迎されない農民たちがいると言う。「上訪」を目的として北京に出向いてきた農民たちであり、歓迎しないのは中央政府だと指摘する。

 上訪は日本語では陳情と訳されることもあるが、日本語翻訳を専門とする中国人翻訳家は、上訪は陳情より直訴というニュアンスの方が実情に近いと説明する。

 事実、農民が地方政府や役人の腐敗、土地の強制収用、重税負担、自分たちの生活苦を訴えることなどを目的に、村人たちが交通費などを工面し合い北京へ代表者たちを送るのが上訪の実態だ。何度、訴えても無視し続ける地方政府に対する農民たちのいらだちや絶望、中央政府ならまともな対応をしてくれるのではという淡い期待が農民を上訪に向かわせる背景にある。

 「ところが北京にあった“上訪村”が一部つぶされたことでわかるように、中央政府の姿勢がはっきり示された。要は、直訴をやめろという政府からのシグナルだ。だから、我々の仕事にも圧力をかけてくる。これが政府のやり方だ」

 上訪村とは、各地から上京してきた農民たちが寝泊まりした場所。北京南駅近くにあって、多いときには5000人ほどが全国から集まっていた。

 「上訪」に対し、「截訪」という言葉がある。「截訪」は直訴阻止という意味だ。中央政府はこの言葉を記事中に使用するな規制をかけているという。インターネット上では、「截訪」はごく普通に見かける言葉。香港のマスコミはよく使うが、中国国内の新聞、テレビ、ラジオで見かけたり聞いたりする頻度は極端に少ない。なぜ政府は制限を強めようとするのか?

 「記事検閲同様に、はっきりした理由は示されない。政府は農民の直訴を阻止していないといいたいのだろう」
 記者は、こう推測する。

 「だが事実はまったく違う。上訪村の取り壊し、全国人民代表大会開催直前時の取締強化、さらに地方での農民の激しい怒りに対する暴威力的な対応などからして、政府による直訴阻止は否定できるものではない。こうした対応は、常日頃から政府が喧伝する『人民の利益重視』だけでなく、最近、好んで使われる『和諧社会』政策にも相反している」

 「和諧社会」とは、胡錦涛政権が打ち出した政治スローガンで、都市と農村の調和、経済と社会の調和など、格差が是正された調和社会を意味する。しかし調和を訴えなければならないほど、実は中国社会に著しい格差が生じていることを政府が認めざるを得ないところまで来ていると受けとめられている。

 調和社会への取り組みは始まったばかりだ。しかも、「いつものスローガン倒れに終わる」と、冷ややかな受けとめ方をする人が圧倒的に多い。

 「調和社会を目指すのであれば、中国社会で底辺層を形成する農民たちの具体的な問題提起である直訴に対し、真摯に耳を傾けるべきだ。ところがそれを阻止しようとする政府の姿勢には説得力がない。しかし、よりはっきりと指摘したいのは、直訴阻止は政府機構、法律などから照らしても、政府の姿勢はあきらかに矛盾していることだ」

 この記者がいう、直訴阻止はなぜ政府機構や法律に反しているのか。(この項、続く)



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