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〔083〕 台湾の228事件から59年 公然と問われ始めた蒋介石の責任
【2006/03/02】

 「二二八事件是台湾近代史上影響最深遠的歴史事件」

 台北二二八紀念館の館長・謝英従氏がこう表現するように、台湾の本省人にとって忘れ去ることができない2・28事件から59年を迎えた。半世紀以上を過ぎたが解明されない点が多く、事件に対するわだかまりは解消されていない。今年も台湾や日本、アメリカなどで、集会や討論会が開催された。

 事件は、1947年2月27日、午後7時頃に発生。当時の台北市太平町天馬茶房附近(現在の延平北路と南京西路交差点近く)で、密売取締員がタバコ売りの女性・林江邁を殺傷する。これに怒った本省人が翌28日から抗議行動を起こし、桃園、新竹、斗南、嘉義、高雄など台湾全土で国民党政府、国民党軍、外省人の支配に抵抗し始めた。

 これに対し、国民党軍は徹底した武力弾圧で対応、多数の台湾人が殺害・処刑されたが、被害者数でさえ今もって確定されていない。

 このため、一般的に「二二八事件」と表現されるが、あえて「二二八大屠殺」と呼ぶ本省人もいる。今も犠牲者の家族の中には、外省人に対して怨念に等しい感情を持ち続ける人も少なくない。
(←228事件の史料を展示する台北二二八紀念館。事件発生50年目の1997年2月28日に開館。紀念館の建物は日本統治時代の31年に建設され、台北放送局として使用されていた。事件当初は、この放送局を使って、本省人の決起が全土に呼びかけられた)

 理由の一つには、事件後も徹底的な真相解明どころか、国民党政権の強権によって事件に言及することさえ禁止され、台湾史から抹殺されてきたことが大きく関係している。
(←台北市二二八和平公園内に設置された、事件の概要を記す二二八記念碑)

 このため、台湾では228事件の全貌について知るができず、日本語を理解する人は日本からこっそり持ち込まれた関係書籍を読んだ。日本に留学した台湾人学生の中には、日本で初めて事件そのものについて知ることができたという学生も少なくない。

 事件に対して本格的な取り組みが始まったのは、蒋経国の死により李登輝が総統を継承した後のこと。1995年3月になってようやく、228事件の処理ならびに補償に関する条例が制定され、2月28日が「和平紀念日(平和記念日)」と定められた。また、今年からは政府の各機関や学校では半旗掲揚が決定されている。
(←日本統治時代の1899年に開園された台北新公園は、李登輝総統、陳水扁台北市長時代の1996年に、二二八和平公園に改称された。「台北公園」という落書きは2004年3月の総統選挙中に書かれた。外省人が書いたのではと、本省人は疑っていた)

 最近、総統府国史館館長や歴史研究者などが中心になってまとめた「二二八事件政治責任歸屬研究報告」(財団法人二二八事件紀念基金会)が発表され注目されている。1990年に「二二八事件研究報告」が行政院からなされたことはあるが、今回の研究報告ではさらに踏み込んで、事件の最大の元凶は蒋介石であり、最大の責任は台湾省行政長官の陳儀にあったと結論づけられた。

 国民党は「蒋介石が最大の元凶」との指摘には強く反発。まとめたのは民進党に近い学者グループであり、内容は一方的で容認できないと外省人は批判する。一方、本省人は研究報告を支持する人が圧倒的だ。

 228事件で、叔父が殺害された自営業者の邱さんは、「民進党政権下でなければ事件の本格的究明は無理だと考えていただけに、今回の発表は率直にうれしい」と話す。

 しかし、国民党主席でもある馬英九台北市長が「二二八是官逼民反的不幸事件」と表現し、「明確な証拠を提示すべき」と述べたことについては、無責任な発言だとして強く反発する。

 「大陸から敗走してきたに等しい国民党が、大陸への反撃基地として台湾を支配するために、強権支配を実行したのがそもそもの原因。国民党は台湾に来た当初から本省人を弾圧したというのが庶民感情だ」

 過去、事件の記念式典が民進党、国民党それぞれで開催されたりしてきた。数年前には、式典中に馬英九台北市長が参加者からつばを吐きかけられる事件も発生している。

 このため游民進党主席は、「事件は国民党の独裁政権による弾圧であり、責任は当時の政府や軍の高官たちにある」として、本省人対外省人の感情的対立激化を牽制する発言を行った。

 しかし邱さんと同じようにあの事件で父が殺害された台中市在住の李さんは、「普段はわだかまりないように見えても、選挙を始めとする政治的な動きが活発化したとき、必ず本省人と外省人の対立が先鋭化する。事件を直接的に知らない世代が増えたとはいえ、この事件を歴史として受けとめられるのはまだまだ先のこと。外省人たちが言う、過去の出来事とは、今もとうてい受けとめられない」と言う。


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