世界一周 (南部アフリカ‐北米‐ハワイ)


2004.9.11-9.23
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今回の旅行テーマは世界一周である。
使ったチケットは、ラウンドザワールドチケットという世界一周チケットで、コンチネンタル、ノースウェスト、南アフリカ航空を乗り継いでいくものである。
経路は、成田ー香港ーヨハネスブルグーウィントフックーケープタウンーヨハネスブルグーニューヨークーホノルルー成田で、35万円。 高いか安いかは判断が分かれるかもしれないが、制限された期間で、これだけの移動をするためには、このくらいは仕方ないだろう。


ナミビア


9月11日
海外旅行も回数をこなすと、成田に行くのがだんだん遅くなってくる。 今回は18:30出発のNW香港行きに乗るのに、成田に着いたのが17:38。 NWの職員には、本来は搭乗出来ないなどと文句と言われながらも、チョックインし、imigrationも込んでいながらも、十分間に合って、無事搭乗。
また、成田に行くのが遅くなりそうである。 香港には21:45に到着(時差1時間)。南アフリカ航空のヨハネスブルク行きに乗り換え、23:15に出発した。

9月12日
ヨハネスブルク(南アフリカ)に朝6:30に到着(時差6時間)。次のフライトが11:00であり、早すぎる到着だが、入国して市内観光するには時間がないので、空港で時間をつぶした。

11:00発でウィントフック(ナミビア)に行き、13:00に到着した。
ナミビアの通貨はN$(ナミビアドル)で、50US$がほぼ300N$のレートで、1N$=17円である。N$は南アフリカのR(ランド)と等価値で、全く同じレートで交換できる。
ちなみに、ナミビアではランドがそのまま通用するが、ナミビアドルは南アフリカでは通用しない。

空港からウィントフック市内には乗り合いバスで移動する。市内まで20kmで100N$であり、物価はそれほど安くない。
宿はCardboard boxというguest houseにした。(写真左)ドミトリーが一泊60N$、key depositが20N$であった。

チェックイン後、市内散策に行くが、この日はあいにく日曜日。店もほとんど閉まっていて、早々に引き上げる。
宿は、南部アフリカにありがちな、白人の喜ぶタイプのゲストハウスで、中にはプールやバーがあり、安宿で、相部屋ではあるが、汚いことはない。
長期旅行者も多く、セキュリティーも良く、白人の女の子も多い。
宿の中にトラベルエージェンシーもあり、私としては早々にソサスフレイに行きたいので、アレンジを頼もうと思ったが、月曜にならないと担当者が来ないとのことで、すべてのアレンジは月曜の朝ということになった。
この日は、時差ボケもあり、早々に就寝する。

9月13日

この日は朝から忙しい一日だった。

朝、7:00頃起床し、軽く朝食(トースト&紅茶で25N$)。
8:00過ぎに、トラベルエージェンシーが来たので、早速ソサスフレイ行きのツアーのアレンジを頼んだ。 当初は、3日間のツアーを考えていたが、月曜発の4日間のツアーしかないとのこと。しかも、朝出発なので、もし行くならすぐに出発しなくてはならない。
他のエージェントを頼む時間的余裕もないので、本来は、木曜にケープタウンに移動するはずだったが、 一日遅らせて、金曜にすることで、このままツアーにいくこととした。
チケットの変更は、無料で出来るはずだが、自分が行く時間はないので、トラベルエージェンシーの人に頼むという大胆な作戦にでた。
ツアーは贅沢ツアーで1980N$。しかし、これがメインの目的なので仕方がない。

申し込むと同時に、早速カメレオンゲストハウスに連れて行かれた。寝袋代30N$を払い、水を一本買うと、 ツアーの他の客はもうすでに車に乗っている状態で、私がつくやいなや出発となった。


ツアーのメンバーは、デビッド&アンのオーストラリア人夫婦、エミリーとお友達のオーストラリア娘二人、ミシェルというアメリカ娘、マーチンというドイツ人と私の7人。 ガイドが、南アフリカ人のバーニーという女性であった。
出発して当初は、猿や、springbok、ダチョウなどが見られたが、その後荒涼とした砂漠となる。途中、休憩を何度か取るが、そのとき、サソリを目撃(写真)。 野生の生きたサソリを見るのは初めてであった。
昼食も、野外で、サンドイッチを食べる。準備や皿洗いなど、分担して行う集団生活である。

夕方になり、sesriem campに到着。ここはちゃんとしたキャンプサイトで、トイレもシャワーもあり、水も飲める。ここでテントを設営。 私はマーチンと一緒のテントとなった。
その後、近くのdune(砂丘)に歩いていく。途中またspringbokに遭遇。ここの砂丘はそれほど大したものではないが、この日のサンセットはこの砂丘となる。

夜はなんとステーキである。およそ、砂漠の中にいるとは思えない。白人はキャンプが好きだが、だからといって貧しい食生活などはせず、日常と同じような利便性を求める。 だから、こういった何でもあるキャンプサイトが存在するようである。
明日はいよいよソサスフレイであり、朝5:00起きだそうだ。ということで、早々に寝た。

ソサスフレイ





















9月14日
朝5:00起床。まだまだ暗い。お茶を飲んで目を覚ましてから、キャンプのgateが開く6:00前にgate前にならんで出発を待つ。
そして、開門と同時にソサスフレイに向けて出発した。
行く途中に日の出となるものの、6:30にソサスフレイに到着。思っていたような360砂だらけの砂漠ではなく、中心に湖の干上がったような場所があり、 周囲がduneで囲まれているような場所である。
まず、近くのduneに登り、sunriseを見た。 エミリーたちは、持ってきたティディベアをduneに座らせて写真を撮っていた。なかなかファンキーである。
その後、ソサスフレイで一番高い150mのduneに登る。当初頂上まで行くつもりだったが、登っても登っても延々先に続いており、結局途中で断念。
しかし、周囲がduneしか見えないエリアまで到達し、景色はなかなかであった。 その後、下山して来て、9:00過ぎとなる。ここでようやく遅い朝食となる。
パン、シリアルにミルク、コーヒー、ヨーグルト、紅茶、フルーツと例によって、何でもそろっている。ゆっくり朝食を食べた後、ソサスフレイは終了となった。
ソサスフレイは、最後の5kmは、4WDしか入ることが出来ない。というのも、この5kmはまさに、パリダカールラリーのような砂地であり、 4WDの性能の限界まで要求される。このドライブ自体まさにラリーである。
海外に来ると、およそ日本ではありえない状況に遭遇するが、このラリーも日本ではありえない状況である。 というか、日本の舗装道路を4WDで走っていることの方がおかしいともいえるのだが。
















その後、ソサスフレイの近くにある、deathvreiに行った。ここは、干上がったオアシスであり、立ち枯れした死木がduneの谷間に立っているという絵になる場所である。
近くにある小高いduneはソサスフレイでも最も高い300mのduneであり、crazy duneと呼ばれる。上るのに1時間。降りるのは5-10分ということで、 ここを駆け下りるcrazyな奴がいるからcrazy duneというのだそうだ。
その後、ソサスフレイに行く途中にあるdune45に行った。ソサスフレイエリアにあるduneにはすべて番号がついており、 dune45は45番目のduneということなのだが、dune45は絵になる有名なduneである。 しかし、風が強く、登っていったが砂が舞い上がって目も開けられない状況なので、登頂するのは断念した。
dune45は形はいいが、それだけのことで、たいした物ではない。
その後、sesriem campに戻る。時間は2:00。遅い昼食をとり、自由時間となる。
自由時間となるが、まず、朝のduneで砂まみれになったので、シャワーを浴びに行く。 シャワーの近くには、これまた白人の大好きなプールがある。 皆おおはしゃぎで泳いでいるが、砂漠の中のキャンプにいてプールでおおはしゃぎという感覚は日本人には、(少なくとも私には)あまり理解出来ない。
この後、テントで少し寝たら4:30となり、sesriem canyonに行く時間となった。
sesriem canyonは深さ30m、全長1km程度の小canyonであるが、それなりに見ごたえがあった。
この日のsunsetはキャンプサイトで迎えた。
例によって、夜はキャンプファイアーで食事となる。ツアーメンバーはドイツ人を除き、皆ネイティブなので、英語の会話が早く、なかなかついていけない。 特に、食後のリラックスした会話を必死にフォローするのは、馬鹿らしくて疲れる。
とうことで、10:00には睡眠。明日は6:00起床だそうだ。



スワコプムント


9月15日


















朝6:00起床。早速テントをたたみ、sunriseとなる。
朝食を食べてから、早々に出発。本日も長い車の旅になる。
目指すはスワコプムント。ナミビア第二の都市でありドイツ風の町並みで特徴がある。
来るときと同様、solitaireで小休止。その後も景色をみながら小休止して、ワルビスベイに到着する。
ここでのみどころは野生のフラミンゴである。ここは海岸線で塩田がある場所である。この日は天気が今ひとつで、寒いなか昼食となる。
バーニーは臨機応変に、こういう寒い時には暖かいスープを作ってくれた。なかなか気が利く。
その後、再びスワコプムントに向かって出発。海岸線をひたすら走って、20分ほどで到着。
ここでの宿泊はバンガローである。町のはずれにバンガローが並んでいるキャンプ場のような場所がある。 他のツアー客もみな個々を利用しているようで、こういった施設がどこにもあるようだ。

マーチン、バーニー、ミシェルと私で一つのコテージを利用することとなり、入った後即解散となった。。

その後、早速、町に行った。
まず両替。50US$=330N$であった。スーパーで買出しをして、インターネットカフェによってから、ちょっとした買い物をする。
Kuduの革靴を480N$で購入。これは、なかなかのヒットであるが、日本を出た当初から予定していたもの。それから、サファリ用のベストを買った。 これはスワコプムントがとても寒かったから思わず買ってしまったもの。なにせこちらは冬である。長袖が当たり前で、上着を着ている人も多い。
夏の服装でナミビアに突入したこともあり、防寒は不十分であった。 キャッシュが不足していたが、どこでもカードが使える。途上国にありがちな、安物ではなく、しっかりしたものを売っているせいもある。 物価は必然的に安くない。ツアー客も白人の金持ちが多いので、土産物も高級品が多い。このあたり、ボツワナ、ジンバブエなどと違いがある感じである。


買い物を終えて、バンガローに帰宅。この日の夕食は、バンガロー内だが、火はたき木である。微妙にキャンプ気分が続く感じである。
夕食の後、今日はマーチンとミシェルとバーニーとでBarに行くこととなった。
こちらの9月は冬から春先という季節であり、この日のスワコプムンドは風が強く、非常に寒かった。 しかし、ドイツ領であるナミビアのビールを飲んでみたくて、寒いさなかビールを飲みに行った。
ナミビアのビールの有名なものはWindhoek、Tafelという銘柄であり、寒いのでなんともいえなかったが、まあまあの味であった。
しかし、うるさいバーの中では、ただでさえ聞きにくい英語の会話がもうほとんどといっていいほど、フォローできず、適当に相槌を打っているだけとなったのが残念であった。
1-2時間飲んだ後、マーチンを残して、帰宅した。さすがマーチンはドイツ人であり、寒いさなかも、さらに飲み歩いたようである。

9月16日

ツアー最終日は、朝7時から朝食だったが、8時過ぎに起きて、遅い朝食をとる。 この日は、19:00にケープタウンに飛ぶ予定であり、5時までにウィントフックに着きたいという希望を伝えると、時間的に送れる可能性もあるとのことで、 私だけ別に早便で送ってくれるように手配してくれた。
よって、今までのグループとは、ここでお別れである。
天気は相変わらず悪く、曇りであって、やはり寒い。とてもアフリカとは思えない。
バーニーに言わせると、スワコプムントは海岸近くにあるので、内陸のウィントフックよりも海風のために寒いのだそうだ。
おかげで、長袖二枚と買ったばかりのフリースのベストを着てという状態であった。
ウィントフックのトラベルエージェントに頼んだフライトの変更が上手くなされているかがちょっと心配だったが、 最悪、ケープタウンをスキップして、直接ヨハネスブルグに飛ぶということも考えられるので、何とかなると思う。
9:30 頃、バンガローからトラックで市内へ行く。当初、バーニーは早便の定期バスに乗せようと考えたらしいが、その時間にはすでにもうバスは出発していたので、乗ることは不可能。
ということで、ボスと相談した上で、バーニーのボスが私をウィントフックに乗せていってくれることとなり、11:00待ちあわせとなる。
それまでの間、町で買い物をして、時間をつぶし、11:00にスワコプムンド出発。
ダットラで130kmで飛ばしていく。3:30で着くといっていたが、その言葉どおり、2:30過ぎにウィントフックに到着した。
途中の「ガソリンスタンドで、買ったジャーキーが、なかなかおいしく、何の肉か分からないあたりが、怪しげで面白い。ということで、これを土産にすることとした。
ウィントフックに戻って、再びcardboadboxに行く。心配していた航空券は、無事空港に行って変更したとことで、一安心。 さすが、ナミビアのトラベルエージェンシーはきちんとした仕事をしてくれるので、信頼できる。
早く着いたため、ウィントフックの市内観光に行った。
スーパーマーケットに行き、小さいバックパックを29N$で買う。
その後、スーパーの近くで、Himmba族という裸族の女の人に遭遇した。(写真右) 近代的なショッピングセンターで、周りが普通の格好をしている中で、ソフトを食べて買い物をしているのが違和感があって面白い。
その後、宿に帰り、タクシーで空港まで行く。(180N$)
ケープタウン行きの飛行機は予定通り19:00に出発した。