ありがとう!JR武豊線気動車の想い出

 平成27年(2015年)2月4日、JR東海から電化開業出発式の開催について発表がなされた。精読すると、電車で運転する初列車が大府駅7時3分発であるとの記述が認められ、3月1日の始発から数本の列車は気動車で運行する…と読み解けた。ただでさえ短い2月に3月1日の数本分が加わったことでほんの少し救われた気分にもなったが…。


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ラスト1日半!〜気動車の意地を最期に見せた〜

 平成27年(2015年)2月28日そして翌3月1日の模様を現地で追った。また、3月1日当日からさっそく実施されている気動車たちの転属の模様をごく一部紹介したい。

キハ75-503
キハ75-503+キハ75-403+キハ75-504+キハ75-404(武豊線 東成岩・後追い)〜平成27年(2015年)2月28日 4516D
【オリンパス PEN E-P5(ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD)】
 2月28日は土曜日ということで、翌3月1日の早朝行動を想定していたため比較的まったりと起床。大府駅までは徒歩でのんびりウォーキングの後に4516Dで武豊へ向かった。…が、いきなりの波乱スタート。乙川駅での停車がいつもより長いなと感じていたところ、先行の4514Dが半田−東成岩間で踏切遮断機の故障に遭ったとの案内放送があり、こちらも抑止措置となった。愛知県道262号衣浦西港線とクロスする交通量の非常に多い踏切を最徐行で通過すると、4514Dの折返し列車である21分延となった4519Dとは東成岩で交換した。この辺の事情は単線である以上、電化後も変わるまい。なお、4514D〜4519Dはキハ25形4連で名古屋方P3・武豊方P2の組成であった。

キハ75-401
キハ75-401+キハ75-501+キハ75-404+キハ75-504(武豊線 尾張森岡−緒川)〜平成27年(2015年)2月28日 4540D
【オリンパス PEN E-P5(Voigtländer NOKTON 25mm F0.95)】
 武豊線内をちょろちょろした後に乗車した4523Dは、東成岩での7分延を詰めに詰めて名古屋には所定で到着!ホンキを出したキハ75の意地はさすが。天候が予報に反して崩れないので午後は沿線での撮影に向かう。「いつもの場所」でシメとしたかったので、ほぼ定点となりつつあった、ここ尾張森岡−緒川にたどり着いた。陽が傾き始めたところでNOKTONを使いたい…の一心で。

キハ75-406
キハ75-406+キハ75-506+キハ75-203+キハ75-303(武豊線 尾張森岡−緒川)〜平成27年(2015年)2月28日 4542D
【オリンパス PEN E-P5(ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD)】
 いつもの場所に粘着して申しわけないのだが、ホントにいつもここのコンビニでコーヒーをすすりながらキシャを見ていた…。鉄塔の見えるこの角度を永遠に閉じこめておきたい…の一心で。

キハ75-504
キハ75-504+キハ75-404+キハ75-501+キハ75-401(武豊線 亀崎・後追い)〜平成27年(2015年)2月28日 4548D
【オリンパス PEN E-P5(ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD)】
 再び乗車モードに切替えると、この世界(?)では有名なRさんとしばらくご一緒させていただいた。4548Dに乗車すると、亀崎到着前にRさんは最後尾にもの凄い勢いで移動。亀崎で4548Dを下車すると、さらにもの凄い勢いで大府方の階段を登る。足が付いていかない筆者も見よう見まねで跨線橋から1枚。するとRさんは「これが撮りたかったんですよぉ〜。」…ただ必死に付いていっただけの筆者は、列車の去った後で彼の撮影意図を知ることとなる…この茜色だったのかと…。後日ネットでRさんのショットを拝見させていただくと、もう発色が全然レベルで違う。おそらくこの茜色を出すための仕込みを経てのものだったのだろう。デジタリックな現像では埋めがたい差を感じた…これも人生。だが、もう亀崎駅に気動車たちはやって来ない。

キハ25-3
キハ25-3+キハ25-103+キハ25-5+キハ25-105(東海道本線 名古屋)〜平成27年(2015年)2月28日 582D
【オリンパス PEN E-P5(ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD)】
 いったんは帰宅の後、嫁の強い希望もあって東海道本線最終列車へ乗車。厳密には3月1日に日付けが改まった名古屋駅にて。東海道本線の1・2番ホームにはすでに一般の乗客は誰もいない。時計を入れるアイデアも嫁から拝借したもので、筆者がいかにナニも考えずに写真を撮っているかを痛感させられた一日だった。この582Dは特に金山からは酔客でなかなかの盛況…翌日以降にこの列車が電車にすり替わっていても気が付かないのかもしれない…。

キハ75-405
キハ75-405+キハ75-505+キハ75-403+キハ75-503(武豊線 大府)〜平成27年(2015年)3月1日 3500D
【オリンパス PEN E-P5(ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD)】
 帰宅して仮眠を試みるもほとんど眠れぬまま3月1日早朝の大府駅へ。2・3番ホームの車輌は前夜の582D到着時と同じだが、すでに前夜の582D到着前から進められていたプラットホームの表示類の交換や電化開業出発式の装飾などが行なわれており、式の開催が7時前後ということもあって、報道関係者も含めて早くも5時台から準備万端といった風情だった。奥には前夜の582Dが3500D続行の3502Dとなるべく控えている。なお、この日は予報通りの雨ということで記念のさわやかウォーキングは早々と中止の発表がなされていたようだ。

キハ75-401
キハ75-401+キハ75-501+キハ75-404+キハ75-504(武豊線 武豊・後追い)〜平成27年(2015年)3月1日 5509D
【オリンパス PEN E-P5(ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD)】
 いくつかの最期の気動車たちを見送るも、早朝だけということもあって、武豊を7時35分に出発する快速列車・5509Dにて気動車による最終列車を早くも迎えることとなってしまった。最終列車は、新製されて以来常に武豊線を中心に活躍してきたキハ75形400・500番台で図らずも組成されることとなった。また皮肉なことに、大府が最寄り駅だった筆者は武豊線の快速列車には最初にして(おそらく)最後の乗車となってしまった…。名残惜しくもありゆっくり走って欲しかったのだが、さすがに快速列車は速い。やはりキハ75形の本来の使命は「通過すること」なのだ…その冷徹なまでの使命感をこのキハ75-401自身が雄弁に語っているようだった…。本来の使命を全うした最期の武豊線気動車たちは、すれ違う列車がすべて電車となった中を無事に武豊から名古屋までを走り抜けて有終の美を飾った。

キハ25-1
キハ25-1+キハ25-101+キハ25-2+キハ25-102+キハ25-4+キハ25-104(高山本線 美濃太田)〜平成27年(2015年)3月2日
【オリンパス PEN E-P5(ZUIKO DIGITAL ED 12-60mm F2.8-4.0 SWD)】
 武豊線気動車たちの有終の美を見届け、なかば放心していた我々の耳に「早くもキハ75形が美濃太田へ転属のため回送中」なる情報がもたらされる。どうやら3月1日当日中!に8輌を2本に分けて送り込まれていた模様である。気になって翌2日に美濃太田の現地へ向かった筆者は、俗称「美濃太田レールパーク」周辺をフラフラしていたが、その間に「キハ25形の転属第1陣が美濃太田へ」との報を受け、スレ違いを避けるべく美濃太田駅へ移動。不勉強がたたって列車番号を知らないのだが、16時8分にキハ25形の6輌が美濃太田駅2・3番ホーム間の中線に岐阜方から到着、11分には美濃川合方へ出発していった…。思い起こせば2010年11月10日、日車から出場してきた際(写真4)も岐阜方P2・豊橋方P1の組成であった…。再び俗称「美濃太田レールパーク」へ向かうと、すでにこれらキハ25形はエンジンを切った後であり、武豊線での疲れを美濃太田の地で軽く癒しているように見受けられた…。

キハ11-119
(手前から)キハ11-119,キハ75-501,キハ75-304ほか(美濃太田車両区)〜平成27年(2015年)3月2日
【ニコン COOLPIX P330】
 順序が前後するが、3月2日昼下がりの俗称「美濃太田レールパーク」の模様を示す。この日は貨車も含めて盛んに車輌の入換えを行なっており、めまぐるしく配置が換わっているが、この後もキハ25形1次車が入線することになる。機関車代用としてキハ11-119が奮闘中…。

キハ11-106
(手前から)キハ11-106,キハ11-120,キハ11-118,キハ11-113,キハ11-115,キハ11-119,キハ11-121,
    キハ47 6003,キハ47 5002,キハ48 3814,キハ47 6001,キハ47 5001,キハ48 5513,キハ48 5511(名古屋港 大江ふ頭)〜平成27年(2015年)4月7日
【ニコン COOLPIX P330】
 本来ならば高山本線でのキハ75形の活躍ぶりを紹介すべきところだが、(本稿執筆時点で唯一の)3月下旬の乗車の際にこともあろうに写真機のバッテリー切れ…。というわけで、キハ75形およびキハ25形1次車の転属にともない、伊勢車両区をも含んだ車輌需給の調整の末、海外譲渡の決まったキハ11形ならびにキハ40系が笠寺から名古屋臨海鉄道東港線・東築線さらに名古屋鉄道築港線を経由して名古屋港大江ふ頭に廃車回送され、集結した模様を紹介しよう。筆者が過去にここ大江ふ頭で見送った、名古屋鉄道キハ30形、伊勢鉄道イセI形、のと鉄道NT100形などの気動車たちと同様に、遠くミャンマーの地へ旅立つものと思われる。おそらくはさらなる輌数が集められ、4月から5月あたりには出航するのだろう。


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