えみちゃんの立場に私がいたら・・・最近そんなことを考えるのよ。私が15歳でえみちゃんの立場にいたら・・・・そんな立場にいたらどうするんだろう??ってね。えみちゃんは自分でいろいろ解決していって、そして解決できないところを私に助けを求めたよね。私はその解決に役立ったのかなぁ???なんか自信ないんだ。私だったらえみちゃんみたいに足が無くなることに対して冷静に対処できないと思うの。えみちゃん、どうやったらそんなに強くいられたの??精神的に強い状態でいられたの???足がなくても、車イスで片足でもどうどうとしていられたの??
“これが私よ!!”そういって車イスで動き回っていたえみちゃんを思い出すたびに私は自分の未熟さを感じるよ。私だったらできないなぁってさ。
人ってね、自分に乗り越えられる試練だけ与えられるって言うのよね。えみちゃんは足を切断してもそれを乗り越えられるだけの力があるって神様が思ったのかな??私にはないから、だから足が健康なのかな??私自身に乗り越えられる試練って何だろう???私の乗り越えられる試練って・・・・
情けない人間だからなかなか乗り越えられるものがないね。離婚とか、えみちゃんには教えなかったけど、そういうことだけかもしれないね。私にそれ以上のものが来たら潰れちゃうからね。
私もね、いろいろ自分なりに苦しいことはあるの。そんなときにね、えみちゃんを思い出すと自分の苦しみなんてさぁ、なんてちっぽけなんだろうって思うの。ちっぽけな苦しみでも悩んでいる自分が情けなくてさぁ。そんな自分が寂しくてさぁ、それで逆に悲しくなったりするの。
何にもないまま来ているそういう人ってさ、昔すっごく良いことをしてきたのかな??って思ったりしてたんだけど、ちょっと違うかもね。
良いことというよりも、いろんなことを自然に乗り越えてきてるのかもね。苦しみに気づかなかったり、生き返る前の自分が、もうすでに苦しみを乗り越えてきたりしてるのかもね。
えみちゃんが病気になったのはね、もしかしたらえみちゃんのその生き方をいろいろな人に知ってもらって、それが全国、いやいや、全世界に知ってもらって世界中の人を助けるためだったのかもしれないね。
だったら私は頑張らないといけないね!!!!!
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