聴いた、観た、買った ---淡々と音喰らう日々。
2001.11
★は借りた新着、☆は新規購入。
今回集中的に論評したディスクなど:
Gary Burton: Like Minds / Pat Metheny: A Map of the World / 音と風景と / ピクミンのCM /
Marisa Monte: Memories, Chronicles and Declarations of Love / Pink Flamingo 4 feat. 川崎寛+石井亮 /
仮面ライダークウガ 音楽集
◆思い付き次第思い付いただけ更新しています。
◆日付はその日付のコメント自身への、CDタイトル前などのマーク(◆)はそのレビュー項目自身へのダイレクトリンクになっています。
◆文中のCDタイトルのリンクは、以前のコメントへ遡れるようにしてるつもりですが、かなり気まぐれです。
11/30 正直者で行こう。
メンバーシップ研修とやらから戻った。昔はセミナーばりばりだったのが今はかなりマイルドになったと言うので、じゃあどこが同じで何が違うか、という興味だけで行った。つか、まあ行かされた。大体、会社が直接本人にする研修なのに、上司経由で半ば業務命令的に受けさせるってのは何か反則技っぽいぞ。
なんで準備も気乗りがせず、時間切れでどうにか形だけ事前準備資料を作ってったら、研修担当のインストラクター(といっても心理学のプロではなく、ただの事務屋さん)が「本気でやってるのか?」と来た。半強制で本気も何もあるまい。自分の言ってることわかってる? そういう状況で真剣に取り組めたりなんぞしたら、それは「素直な戦士君」ですな。それだけで世の中上手く回るんなら構わんが、私みたいなヤツをそんなふうにして何か得なことでも?◆ところで、書いて誰が読むんかな、と思うようなCDを最近聴いてるんだけど、それを伏せたら何だかウソっぽいので、正直に書こう。『仮面ライダークウガ 音楽集1・2』(日本コロムビア、2000)★--- ←マークからもわかるとおり、自分で買った訳ではない。セッション仲間のMさんにDVD全巻貸したら(これ買ってる時点でもうオシマイ、って気もするが...>自分)、知らないうちに彼はサントラ買うほどまでにハマっていたのだった。
実は借りるまでは、劇伴はよく書けてるなあとは思うものの、じっくり聴こうと考えたことはなかった。だが、まあこれがいい仕事してるんだな(全トラックとも作曲=佐橋俊彦)。ポイントは二つあって、一つは劇伴の王道たるモチーフ展開が実に緻密に出来ていること。主題歌のフルバージョンに他のモチーフを織り込む様などはカッコ良すぎて唸ってしまう。それからもう一つはギターの音。戦闘シーンを中心に、ディストーションばりばりのギターをフィーチャーしたロックトラックが多いのだが、このギターの音色が、芯があってしかもクリアで綺麗なんだな。プログレやハードロックを意識したもの、と本人および制作スタッフのコメントがあるが、んーそれともちょっと違うような。そういう意思とかパワーが前面に出たものではなく、あくまでも緻密を究めた職人仕事というべき。この手のギターサウンドが好きな人には、番組をよく知らなくても結構楽しめると思う。
11/25 暮れゆく秋昨日の昭和記念公園の日本庭園の紅葉は、まさに盛りであった。それにしても、単に「日本庭園もあった方がいいかなーと思って」なんてレベルをはるかに上回るあの庭園の景観設計の妙は何なんであろう。遠いけど、もう何度でも通ってやろうじゃないのと意気込むことこの上なし。いや日本庭園だけじゃなく、「こどもの森」のすごさは何? まあ、ここが東京近郊の子連れお出掛けスポットNo.1(某ガイド本による)というから来てみたので、期待はしてたけど。テーマパーク的な人工的&楽しみ方押しつけ的窮屈さとは対極の、子供の頃空想したあれやこれやがイマジネーションそのまんまに実現したような遊具の数々。虹のハンモックでお昼寝したり雲のトランポリンで飛び跳ねたりって、結構みんな一度は夢見たでしょ? それがホントに、というかまあ、それを似せたものなんでホントではないんだけど、そこにある訳だから。
雲一つない落日を眺めながら公園中央の広い原っぱを駅に向かい、ああこんな一日を噛みしめながら毎日生きていけたら、と思う。一期一会、というか。だが毎日が一期一会であるような生き方には実はとてつもないポテンシャルが求められるんじゃないかとも思うのだ。どうしようもなく弱く脆い、ごくフツーの人間の一人である自分には、何か別の「さとり方」が相応しいんじゃないか、と。
◆実は先週(11/18)行ったイベント、というかごく小さなパーティ"Pink Flamingo 4" @高円寺Marbletronへ出掛けたのも、そういうことを大事にしたかったからかも知れない。DJに川崎寛氏と石井亮氏を立てて月1回で始めたものの、川崎氏にオファーが多くなった等々の理由で今回を以てしばらくお休みとのこと。オーガナイザーが旧知の仲で、3年近く顔も合わせていなかったので、彼女がとてもこだわって企画したこのイベントを一度見ておきたかったのだ。
それにしても何年ぶりだろう、こんなふうに遊ぶのは。考えてみると、いわゆる「夜遊び」に今一つ馴染めないのは昔と同じだな。人といてノターリマターリするのは、何か落ち着かなくてソワソワするのだ。もっと会話で相手を楽しませなきゃいけないんじゃないかとか、ああオレってそれもできなくて不器用だなあとか、余計なこと考えすぎなのかも知れないが。あと、大音量で音楽が鳴ってる場所ってのは、その大音量と、音楽に耳を持ってかれるせいとで会話がつっかえがち。これはご同席いただいた皆さんに伏してお詫び申し上げます。根っからこーゆーヤツなんでごめんなさい。
DJのお二方の選曲は、解像度というか透明性の高い音を志向しているという点を共有していながら、押し出し方を変えてるような感じというか。石井氏はより重低音、音圧、そしてリズムもダンサブルな傾向、川崎氏はもっとマインドスケープ的というか、飛ばせてくれる、というのが相応しいような。川崎氏の立ち姿は、言ってみれば町工場の熟練工のような風情。体から自己主張が滲み出すことはないのに、まるで1本のよく鍛えられた鋼のように凛としてプレイする。音楽好きとして歳を重ねるならこうありたいもんです。
オーガナイザーの言うように、川崎氏の選曲が「非常に独特」かどうかは、私はほとんどこういう場に行かないのでわからない。確かに、踊らせるための選曲では全くない。だが、そもそも踊ることにはそんなに執着してなくて、せめて軽くリズムを取りながら気持ちと体とを音の海に委ねていたい私みたいなリスナーにとっては、とても心地よい音の流れ。St. GIGA出身ということで確かに往時のGIGAを思わせるつなぎ方もあって、それも懐かしくも心地よかった。
帰りがけオーガナイザーが挨拶に来て、今日は来てくれてほんとうにありがとう、と言ってくれたとき、ああ彼女は変わってないな、と少し嬉しかった。川崎氏の音の中に彼女は、求めてやまない「永遠」を見つけたのだろう。多分。
11/15 美しい夕暮れここ数日、通勤途上にCDを聴くイヤホンを時々はずしたりしている。これは宣伝文句だったかも知れないが、「BGMを響かせると街の風景が違って見える」ってな言い方が、よくあったように思う。慣れきった日常に別の角度から光を当ててみる、という意味では、何となくわからなくもないんだが、自分にとっては実際そんなことは、ほとんどない。音楽と風景はいつも無関係なのだ。
というのも正確ではない。もっときちんと言うならこんな感じだ。風景を呼び覚ます音楽はある。音楽を頭の中に響かせる風景はある。だが音楽と風景が共にいて響き合うことは、ない。確かに、美しい風景は音楽の換喩たりえるし、すぐれた音楽は風景の換喩たりえる。だが、すぐれてそうであるような両者は、お互いを「その場所に」必要としない。それは、それぞれが一つの十分な世界だからだ。両者はお互いをお互いのイマジネーションで刺激し合いつつも別々に存在する、パラレルワールドのようなものだ。それは丁度ドビュッシーが音楽と自然の関係について、音楽は自然をなぞるのではなく自然が呼び醒ますのと同じやり方で感情を呼び醒ますべきだ、と言ったことにもつながっているように思う。会議中、夕焼けを眺めている時にも、そんなことを思った。
◆ところで、「ピクミン」ってのはゲームキューブでしたっけ、あのCMの音楽が耳について離れない。どこぞの星でプレイヤーが忠実な部下となる一群の生物を引き連れて回り、そいつらが敵にパクパク食われるさまを画像で流しながら、フォーク調の曲が「運ぶ、戦う、殖える、そして食べられる〜」としみじみ歌う、というあの組合せ。強度のあるシーンに敢えて隙間の多い音楽をつけるという強調演出は、映画とか一部のドラマにはあったろうけど、こんなところにまで用いられるとは、メディア(CM、というよりゲーム?)の深化と見ていいんだろうか。そう言えば、息子と一緒に見てついハマった「ウルトラマンコスモス」(TBS系)の「時の娘」というエピソードの終わりも、しんみりした死が絡むということで、戦闘シーンにピアノソロのしんみりした曲を合わせたりしてたが、ヒーローものでそれをやるってことにも結構驚いた。子供にピンと来るんだろうか。私は泣いたけどさ。涙もろい年頃でごめんよ。
最近よく聴いているものの中から、特にこれを。
◆Marisa Monte: "Memories, Chronicles and Declarations of Love" (Metro Blue, 2000)
歌モノが続いていてちょっとうるさく感じ始めていたので、インストをよく聴いていたのだが、ふと思い出して掛けたこの歌モノが結構ツボにはまった。本当に楽曲的にも音作り的にも徹底して練れていて素晴らしいと思うのだが、更にすごいと今回思ったのはその「記憶に残らなさ」だ。聴いてる間は気持ちよくて、口ずさめさえするというのに、終わってみると「ああ楽しかった」という記憶しか残らないという不思議。これは前に書いたことと多分根は同じで、徹底して抑えた佇まいの音を背景にして、最小限に揺れるだけのMarisaのボーカルが却ってそのうねりを際立たせている、ということなのだ。ボサノヴァの美学、トロピカリアの呪術。その他の盤はまた改めて。
11/8 どうしたものか音楽は確かに聴いてるんだけれど、音楽の記事を羅列したって読み物としちゃあ面白くないしな、などと言ってるうちに月日は過ぎて行く。元々考えていたのは、ここで書くことは「音のある風景」的な、どんな状況でどんな音楽をどんなふうに聴いてるのかってことにしたかったのだが、音楽と生活が乖離しているような今の状況ではどう説明していいものかよくわからない。
よくわからないなりに、前から書こうと思ってた盤を少し。
◆Gary Burton (with Chick Corea, Pat Metheny, Roy Haynes, Dave Holland): "Like Minds" (Concord, 1998)☆
今や深夜盤として定着した1枚。思っていたよりもずーっとオーソドックスなコンボジャズで、最初は驚くというか正直食い足りないとさえ思った。だが、同じく深夜盤として首位を占めているHaden/Methenyの"Beyond the Missouri Sky"のデュオが、親密な対話に差し挟まれたしじまに冷徹な視線が埋め込まれているのだとすれば、この破綻の全くないなめらかなクィンテットは、言うなれば「世界の優しい無関心」がほしい時に、徹底的に優しい無関心で包んでくれるものだ。何もかもお見通しの旧友と語りたいか、それともそっと一人にしておいてほしいかの違い、とでも言うか。◆Pat Metheny: "A Map of the World" --- music from and inspired by the motion picture (Warner, 1999)☆
どうも映画は日本には来てないらしくて、あまりどんな内容だかはっきりしないのだが、リーフレットのスチルにはウィスコンシンの美しい田園、それも主に秋の風景が映し出されていて、音楽自体もそれに寄り添うような、実際Windham Hillを思わせる静謐さが全体を覆っている。そういう意味では、いわゆる出来のいいニューエイジのようでもあるのだけれど...もう少し聴かないと何とも言えない部分大。なめらかなはずなのに所々胸騒ぎがするのはどうしてか、とか。他にも聴かずに積み上げたままの盤があるんだけれども、手をつけたくない時というのは徹底的に手をつけたくないものだ。それでいて気持ちは「まだ見ぬ音楽」を夢見ていたりする。しなやかでおおらかで、思い詰めていなくて、それでいて張り裂けそうな、そんな音楽。そしてそんな言葉も。
→インデックスへ
→ただおん目次に戻る
ただおん |
(c) 2001 by Hyomi. All Rights Reserved. |