| 私が写真家を志したきっかけは、二人の著名な写真家の写真集との出会 |
| いにあった。まだ写真を学んでいた学生時代、写真家・細江英公氏の |
| 写真集「おとこと女」や「薔薇刑」を手にしたとき、その作品の斬新さ |
や創造的表現、またモノクロの持つ強烈なイメージ性に目を見張った。
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| もう一人、アメリカのポートレート写真家・アーノルド・ニューマンの |
写真集「ONE MIND'S EYE」を観て、強いインスピレーションを受けた。
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そこに掲載された従来とは異なる創造的なポートレート作品に魅了され
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| 今後、私が取り組むべき写真表現はポートレートだと心に決めた。 |
| それを機に本格的にポートレートの撮影を開始した。 |
| 細江英公とアーノルド・ニューマンの写真集との出会いで受けた衝撃と |
| 感動はいまも私の写真表現の根底に息づいている。 |
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| 私が人物写真で一番表現したいのは『人間の輝き』である。 |
| 取り組む対象がなんであれ、その目標に向かって打算なくひたむきに |
| チャレンジする人たちの姿に『人間の輝き』を感じるから。 |
| 『人間の輝き』を言葉にすれば、自由、愛、独自性、創造性、勇気、情 |
| 熱、義憤、覚悟、誠実などのイメージに近いと思う。 |
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| 人物写真といっても多岐にわたる。例えば、ポートレート(肖像写真) |
| の他、報道、ドキュメンタリー、スポーツ、舞台、ファッション等どれ |
| も人間を被写体とする。 |
| 私はこれらの中で「ポートレート」と「人物ドキュメンタリー」の二つ |
| に取り組んできた。 |
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| 「ポートレート」は、被写体と一対一で正対して撮影する。基本的には |
| 一回の撮影で何枚撮っても、1枚の写真で被写体の存在感をより強く、 |
| より印象的に表現する方法である。 |
| 撮影の際には、撮影場所や背景の選定、ポーズ、表情、ライティングな |
| ど様々な演出を試みるので「ポートレート」は写真家の感性や美意識、 |
| 創造力、そして被写体に対する個人的想いが色濃く投影された「芸術的 |
| 表現」に近いといえる。 |
| 「ポートレート」の撮影中は、写真家は常に被写体をリードする気迫と |
| 平常心が求められる。それなしでは、目の前で正対する著名人のオーラ |
| に圧倒 されて主体的撮影ができず、結果として単なる記念写真的ポート |
| レートを撮らされてしまうことになるからである。 |
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| もうひとつの「人物ドキュメンタリー」は、特定の人物を長期間(1~ |
| 3年)公私にわたり密着撮影し、複数の写真(例えば写真展の場合では |
| 50枚、写真集では200枚など)で被写体を表現する方法である。 |
| 密着撮影を重ねるごとに被写体への認識が深まり、時には予想外の人間 |
| 的側面を垣間見ることもある。 |
| したがって「人物ドキュメンタリー」は被写体の「真実の表現」となる。 |
| この方法では、日頃から被写体との信頼関係を深める努力が不可欠とな |
| る。メディアを入れないような被写体の公的或いは私的エリアにカメラ |
| を入れられるかどうかは全てこの信頼関係にかかっている。 |
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| 「ポートレート」と「人物ドキュメンタリー」の撮影方法は全く対照的 |
| である。 |
「ポートレート」は被写体と正対してカメラを構える。使用レンズは望
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| 遠が常識だが、私は被写体の微妙な心理的変化を見逃さないよう広角 |
| を使ってぎりぎり接近する。 |
一方「人物ドキュメンタリー」は、望遠レンズを主体に、なるべく被写
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| 体から離れて常にカメラの存在が目立たぬよう配慮する。 |
| この真逆な二つの撮り方は、それぞれ異なった手応えが感じられ、私に |
| は新鮮で魅力的だ。 |
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「ポートレート」と「人物ドキュメンタリー」の取り組みにおいて、私
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| の拘りは共にインタビューを行うこと。 |
| 「ポートレート」の場合は、被写体から許された時間はあまり多くなく、 |
| 本来なら全てを撮影に使いたいところであるが、敢えてインタビューを |
| 行うのは、1枚のポートレート作品だけでは被写体が「日々なにを考え、 |
| なにに感動し、人生をどう生きようとしているか」までは伝えられない。 |
| 人間を取り上げる以上、そこもできるだけ明らかにしたいと思う。 |
| このインタビューは撮影と同じく、私のもう一つの表現行為として取り |
| 組んでいる。 |
インタビューは必ず「ポートレート」の撮影後に行っている。撮影直前
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| に被写体の新たな情報に触れることで撮影に影響を受けることを避けた |
| いから。撮影中はまっさらな状態で私の感性、動物的感覚を総動員して |
| 被写体と正対したい。 |
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| 「人物ドキュメンタリー」の場合は、長期間の密着撮影終了後に、被写 |
| 体の人生観や価値観、家族観、使命感、世界観、日本の将来等々多岐に |
| わたり複数回、長時間のインタビューをさせてもらう。 |
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時々、何故モノクロ(白黒)で撮るのかと訊かれる。勿論、仕事(雑誌
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| やコマーシャルの撮影)では、ほとんどがカラーである。 |
| ただ私の個人的写真活動では全てモノクロで撮影する。カラー写真は、 |
| 表面的、平面的かつ説明的要素が強く、私が取り組むポートレートには |
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不向きと考える。 |
| 水墨画の世界で「墨に七彩あり」という言葉があるが、墨の濃淡で様々 |
| な色や深い表情が表現できるという意味で、モノクロ写真にも通底する。 |
| 私が「ポートレート」をモノクロで表現するのは、モノクロの階調(濃 |
| 淡の変化)によって被写体の存在感や内面性をシンプルで力強く立体的 |
| に表現するのに最適と考えるからだ。 |
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| もうひとつの拘りは、撮りたいと思った人物がどんなに有名人であって |
| も撮影の依頼は極力紹介者を介さず、直接私が行うことにしている。 |
| 特に「ポートレート」の場合、紹介者が間に入ると、紹介者の立場を考 |
| 慮して、被写体の気分を損ねないよう気を配りながらの撮影となる。 |
| それではどうしてもレンズの切っ先は鈍ってしまい、中途半端な「ポート |
| レート」になりかねない。 |
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| これまで私はポートレートを中心に、様々な分野で傑出した多彩な人物 |
| を被写体としてきたがその動機には被写体の人間像や生きざまを肌で感 |
| じてみたいという野次馬的好奇心が大いにある。たまに生来の怖いもの |
| 見たさも相まって『人間の輝き』とはおよそ無縁と思しき少々怖そうな |
| 人物にも声を掛けた。 |
| 被写体がビッグであろうと権力者であろうと或いは心から敬愛する人物 |
| であっても、気に入ってもらえる写真を撮ろうという意識は一貫してない。 |
| 「ポートレート」においては、常に、被写体から感じ取った私なりのイメ |
ージのポートレートを、また「人物ドキュメンタリー」においては、被写
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| 体のあるがままの姿を撮り切るという強い想いで、多くの被写体と正対し |
| てきた。 |
| これからも野次馬的好奇心を原点に、人々との心躍る出会いを求めて撮り |
| 続けていきたい。 |