「詩の朗唱について」『言語文化研究』22(1996)153-170頁

(本文2)

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 さてこうした美しいグレゴリオ聖歌を学生諸君と歌っているうちに私の心に芽生えた疑問とは、そうした聖歌は本来どのようにして生まれたものなのかということでありました。大多数は作詩者も作曲者もわからないそうした歌は、必ずしも始めから教会での典礼のために書かれたものではありませんでした。誰がいつ何のためにそのような詩を書いたのか、あるいは誰がいつその詩に現在知られるような曲をつけたのか。こうしたことを考えていくとき思い至りましたのは、私達が現在聖歌として歌っている詩は、今ではすっかりお馴染みになってしまったその旋律のゆえに、逆にその本来の姿が見えにくくなっているのではないか、ということでした。そして後の時代に付けられたこうした旋律を取り去って、再び一つの詩として朗読し直してみるとき、私達は改めてその詩の本来の姿を発見することができるのではないでしょうか。例えば、私達が授業で歌った聖歌の中に有名な Dies irae(怒りの日)があります。この歌は、カトリック教会の典礼では「死者のためのミサ」の中で歌われる合唱歌の一つとして知られております。こうした聖歌としてこの詩につけられた旋律は余りにも有名でありまして、リストやベルリオーズ、ラフマニノフといった近代の作曲家がこれを自分の曲に取り入れているほどです。しかしながら、この詩は本来典礼とは無関係な個人的な祈りの詩として13世紀の修道僧(一説にはチェラノのトマス、Thomas da Celano)によって書かれたといわれております。この詩が「死者のためのミサ」で歌われる合唱歌として正式に典礼の中に取り入れられたのは、それから約100年後の14世紀末のことであります。ここではまずグレゴリオ聖歌として、この詩の合唱をお聞きいただきます。

Dies irae を合唱]

 

 Dies irae, dies illa 怒りの日 あの日が 
 solvet saeclum in favilla この世を灰となすであろう
 teste David cum Sibylla. ダビデと巫女の予言のごとく

 Quantus tremor est futurus, 何と大きな激震が起こることか
 quando iudex est venturus, すべてを厳しく詮議せんとして
 cuncta stricte discussurus! 審判者が到着されるとき

 Tuba mirum spargens sonum 喇叭が不思議なる音色を響かせ
 per sepulcra regionum 各地の墓という墓から
 coget omnes ante thronum. 全ての者を玉座の前に召し出す

 Mors stupebit et natura, 死や母なる自然は茫然とする
 cum resurget creatura 審判者に弁明せんとして
 iudicanti responsura. 被造物らが蘇るとき

 Liber scriptus proferetur, 記されたる書物が取り出される
 in quo totum continetur, その中にはこの世を裁くべき
 unde mundus iudicetur. すべての罪状が収まっている

 Iudex ergo cum sedebit, かくして審判者が座に着くとき
 quicquid latet, apparebit, 隠れたるものすべてが明らかになる
 nil inultum remanebit. 罰を逃れるものは一つとしてない

 Quid sum miser tunc dicturus, そのとき私は何を言えばよいのか
 quem patronum rogaturus, 誰を弁護者として頼めばよいのか
 cum vix iustus sit securus? 正しき人ですら安心できないのだから

 Rex tremendae maiestatis, 恐るべき権威の王よ
 qui salvandos salvas gratis, 救われるべき者を無条件に救うお方よ
 salva me, fons pietatis. 私を救いたまえ 慈悲の源なるお方よ

 Recordare, Iesu pie, 慈悲深きイエスよ 思い出したまえ
 quod sum causa tuae viae, 私こそが汝の旅の理由であることを
 ne me perdas illa die. あの日において私を滅ぼすなかれ

 Quaerens me sedisti lassus, 私を捜して汝は疲れ腰を下ろされた
 redemisti crucem passus, 十字架を背負って救いをもたらされた
 tantus labor non sit cassus. これほどの苦難を無駄にするなかれ

 Iuste iudex ultionis, 裁きをもたらす正しき審判者よ
 donum fac remissionis 許しという贈物をなしたまえ
 ante diem rationis. 釈明の日のその前に

 Ingemisco tamquam reus, 私は罪人のごとく呻き泣く
 culpa rubet vultus meus, 罪のゆえに私の顔は赤く染まる
 supplicanti parce, Deus. 神よ 嘆願する者に情けを施したまえ

 Qui Mariam absolvisti マグダラのマリアを許し
 et latronem exaudisti, 盗人の願いを聞き入れた汝は
 mihi quoque spem dedisti. 私にも希望を与えられた

 Preces meae non sunt dignae, 私の祈りは値打ちのあるものではないが
 sed tu bonus fac benigne, 汝は優しく好意を示したまえ
 ne perenni cremer igne. 私が永遠の炎に焼かれぬように

 Inter oves locum praesta 羊の間に席を与え
 et ab hoedis me sequestra 牡山羊から私を遠ざけ
 statuens in parte dextra. 汝の右側に置きたまえ

 Confutatis maledictis, 呪われし者を断罪して
 flammis acribus addictis 烈火に焼かれる定めを与えたまう一方で
 voca me cum benedictis. 祝福されし者の列に私を加えたまえ

 Oro supplex et acclinis, 膝を屈し身を伏せて祈り奉る
 cor contritum quasi cinis, 心臓は灰のごとくに憔悴した
 gere curam mei finis. わが身の最期に配慮したまえ

 Lacrimosa dies illa, 涙にくれるあの日
 qua resurget ex favilla 罪人として裁きを受けるべく人間が
 iudicandus homo reus; 灰の中から蘇るであろう
 huic ergo parce, Deus. それゆえ神よ この者を許したまえ

 Pie Iesu Domine, 慈悲深き主イエスよ
 dona eis requiem. 14) 彼らに安息を与えたまえ朗読
 Amen. アーメン

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 さてあまりにも有名な旋律に乗せてこの詩が歌われるのを聞くだけでは、たまたま存在していた中世の詠み人知らずの詩に曲がつけられて、そこで初めてその詩は不滅の生命を獲得したのだとつい思ってしまいます。しかし、この詩を、曲をつけない本来の姿で朗読してみると、必ずしもそうではないことが分かります。今ためしに朗読してみます。旋律で歌われる場合には目立たなくなってしまうその脚韻の素晴らしさに特にご注目下さい。

Dies irae を朗読]

 この詩は、脚韻の絶妙さを含めて、修辞や技巧に富んだきわめて個性的な芸術作品であることが、朗読して初めてよく分かります。それと関連して、さきほどの Veni Creator などのように複数の修道僧が一緒に歌うグレゴリオ聖歌では、普通「私達」という一人称複数が用いられるのに対して、この詩の中では「私」という一人称単数がたった一人で神と向き合っております。死後に来る裁きの日を恐れ、救いを願ってやまない一人の詩人の自我を、この詩は徹底した脚韻の技法で強烈に訴えているのです。この詩の素晴らしさは、のちに付けられたその旋律とは本来無関係なものであると申せましょう。
 さて次に、私達が授業で歌ったもう一つのグレゴリオ聖歌をお聞きいただきます。

 [Sapphicum]

 

 Ut queant laxis resonare fibris しもべ達が声帯ものびやかに
 mira gestorum famuli tuorum, 汝の奇蹟の数々を歌えるように
 solve polluti labii reatum, けがれたる唇の罪を免じたまえ
  Sancte Iohannes. 聖者ヨハネよ

 nuntius celso veniens Olympo 高き天より御使いが来たりて
 te patri magnum fore nasciturum, 偉大なる汝が生まれることを
 nomen et vitae seriem gerendae 汝の名とその一連の生涯を
  ordine promit. 正しく汝の父に予言する

 ille promissi dubius superni 父は天からの予言を疑い
 perdidit promptae modulos loquelae, 意のままに話す力を失った
 sed reformasti genitus peremptae しかし汝は生まれると
  organa vocis. 奪われた声を戻してやった

 ventris obstruso positus cubili 汝は閉ざされし母胎にあるとき
 senseras regem thalamo manentem; 王が部屋におられるのを察知した
 hinc parens nati meritis uterque このゆえに両親は息子の功により
  abdita pandit. 秘密のことがらを知った

 antra deserti teneris sub annis 汝は少年のとき民の喧騒を避けて
 civium turmas fugiens petisti, 荒野の洞穴におもむいた
 ne levi saltem maculare vitam 軽薄な会話でその生きざまを
  famine posses. せめて汚すことがないように

 praebuit hirtum tegimen camelus 駱駝が剛毛の衣服を 羊が腰紐を
 artubus sacris, strophium bidentes, 聖なる体に与えた
 cui latex haustum, sociata pastum 飲物は水であり 食物は
  mella locustis. 蜂蜜といなごであった

 ceteri tantum cecinere vatum 他の予言者達が予感の心で告げたのは
 corde praesago iubar adfuturum, ただの光の到来にすぎなかった
 tu quidem mundi scelus auferentem ところが汝が確かな根拠で告げたのは
  indice prodis. 世の罪を取り除くお方の到来であった

 non fuit vasti spatium per orbis 広き世界の中でも ヨハネに以上に
 sanctior quisquam genitus Iohanne, 聖なる人が生まれたためしはない
 qui nefas saecli meruit lavantem 彼は世の罪を洗い清めるお方を
  tingere lymphis. 水で濡らすことを許されたのだ

 o nimis felix meritique celsi, ああ余りにも幸福で高き功徳の人
 nesciens labem nivei pudoris, 白い純潔の中に一点の汚れも持たぬ人
 praepotens martyr eremique cultor, 権威ある殉教者にして隠遁の信奉者
  maxime vatum! 最も偉大な予言者

 serta ter denis alios coronant 三十の果実をつけた冠が他の人達を飾り
 aucta crementis, duplicata quosdam, 別の人達をその倍の果実の冠が飾る
 trina centeno cumulata fructu ところが聖者よ 汝を飾るのは
  te, sacer, ornant. 三百の果実を盛った冠なのだ

 nunc potens nostri meritis opimis 豊かな功徳もて力ある汝は今こそ
 pectoris duros lapides repelle, われらの胸の堅き石を除きたまえ
 asperum planans iter et reflexos 起伏多き道をならし
  dirige calles, 曲がれる小道を伸ばしたまえ

 ut pius mundi sator et redemptor 世界を造り救済された慈悲深きお方が
 mentibus pulsa livione puris 邪念の去った清い人心をご覧じて
 rite dignetur veniens sacratos 正当にもわれらのところへ
  ponere gressus. 聖なる御足を運ばれるように

 laudibus cives celebrant superni 天の住民は汝を称賛し奉る
 te, Deus simplex pariterque trine, 汝一者にして三者であられる神よ
 supplices ac nos veniam precamur, われらもまた伏して許しを願い奉る
  parce redemptis. 15) われらを救いて情けを施したまえ

 sit decus Patri genitaeque Proli 父および生まれし子に栄光あれ
 et tibi, compar utriusque virtus, お二方の等しき美徳である汝にも
 Spiritus semper, Deus unus, omni 常なる聖霊 一人の神
  temporis aevo. 16) いつの世にも栄光あれ

 Amen. アーメン

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 これは一説には8世紀後半の僧パウルス・ディアコーヌス(Paulus Diaconus)によって書かれたと伝えられる『聖ヨハネ賛歌』であります。この詩にはいつの頃からか一つの美しい旋律が付されまして、それはグレゴリオ聖歌として現在もなお歌い継がれております。この歌がグレゴリオ聖歌の中でも特に有名であるのは、第一節の最初の3行の前半と後半のそれぞれの冒頭の音、すなわちここでは下線で示した、ut, re, mi, fa, so, la の6つの音のゆえであります。これらの音は、この歌の歌われる旋律の中ではそれぞれドレミファソラという現在の音階に一致しております。11世紀前半の修道僧アレッツォのグイド(Guido d'Arezzo)は、この詩の第1節のこれら6つの音が一音階ずつ高くなっていることに注目して、この ut, re, mi, ...という各音を、音階そのものを指す名称といたしました。これこそがドレミファの起源であります。(ちなみにシの音の名は、第4行の "Sancte" の頭文字の "s" と "Iohannes" の頭文字の "i" を組み合わせて考え出されました。)こうしたことからも分かるように、8世紀の末頃書かれたこの『聖ヨハネ賛歌』は、既に11世紀以前にこのような旋律を付されて、聖歌として歌われていたのです。音楽史の上でも実に興味深いこの歌をまず合唱でお聞き下さい。

Ut queant laxis を合唱]

 ところでこの美しい歌の歌詞となった詩は、サッポー詩節(Sapphicum)という古典古代から伝わる叙情詩の韻律で書かれています。それは、前に述べたアンブロシウス詩節よりもずっと以前の、キリスト生誕以前の古代ローマにおいて、ホラーティウスという偉大な叙情詩人が数多く用いた韻律の一つでありました。ホラーティウスはギリシアの叙情詩の韻律をラテン語の詩に取り入れたことで知られていますが、レスボス島の女流詩人の名にちなんだこのサッポー詩節もその一つであります。この詩節は、ホラーティウスによってラテン語の詩に取り入れられただけでなく、続くキリスト教中世においても、教会における賛歌などに用いられた数少ない古代の叙情詩の韻律の一つでありました。それでは次にこの韻律に配慮して、『聖ヨハネ賛歌』を朗読してみます。

Ut queant laxis を朗読]

 Dies irae と同様、この詩の最初の数節においても、脚韻が用いられていることが朗読してみて印象に残ります。さて次に比較のため、この同じサッポー詩節で書かれたホラーティウスの詩を朗読いたします。彼の『叙情詩集』第4巻、第2番目の歌であります。ここでは朗読に先立って、古典期の詩人の作品を中世の詩から明確に区別する次のような諸点に特に注目していただきたいと思います。すなわち古典期のラテン詩では中世と違って原則的に脚韻を踏まないこと、したがって各詩行ごとの韻律を守りつつも決して各行ごとに収束するとは限らないこと、またそれゆえに「行のまたがり」である enjambement を多用すること、そしてそれによって脚韻によるものとは別の独自の緊張感をかもしだすことなどです。こうした特徴から分かることは、脚韻などの形式規定を厳格に守ることによってその美を追求するのは実は中世の詩なのであって、ホラーティウスに代表される古典期のラテン語の詩は、形式に縛られつつも形式を破ろうとする、逆に形式を破るかに見えてもいつのまにか形式に収束していく。まさにこの緊張した詩の流れの中にその独自の美を見出すことが、ローマの古典詩人の作品を中世の作品から区別する最大の特徴なのです。このことをどうかご注意下さり、ホラーティウスの詩の朗読をお聞き下さい。これこそが詩を朗読して得られる重要な成果として、私が今回の発表で最も訴えたかったことの一つなのです。本日の私の発表はこの朗読をもって終わります。それでは朗読いたします。

[Horatius: Carm. 4, 2 を朗読]

 [Sapphicum]

 

 Pindarum quisquis studet aemulari, 誰であれピンダロスと張り合おうとする者は
 Iulle, ceratis ope Daedalea ユッルスよ ダイダロスの技で蝋張りされた
 nititur pinnis, vitreo daturus 翼を頼んで 結局は瑠璃の海に
  nomina ponto. その名を留めることとなるのだ

 monte decurrens velut amnis, imbres 雨でふだんの岸を越えて増水した川が
 quem super notas aluere ripas, 激流となって山を駆け下るごとく
 fervet immensusque ruit profundo ピンダロスは猛り狂い 巨人となり
  Pindarus ore, 底なしの口をあけて疾走するのだ

 laurea donandus Apollinari, 彼がアポッローンの月桂冠を受くるべきは
 seu per audacis nova dithyrambos 大胆なディーテュランボスの詩を通して
 verba devolvit numerisque fertur 聞いたこともない言葉を立て続けに繰り出し
  lege solutis, 規則から解き放たれた韻律で突進する時

 seu deos regesque canit, deorum 正当な死を与えてケンタウロス族を退治し
 sanguinem, per quos cecidere iusta 恐ろしき火炎のキマイラを退治した
 morte Centauri, cecidit tremendae 神々や王達 神の子孫達のことを
  flamma Chimaerae, 彼がその詩に歌う時

 sive quos Elea domum reducit オリュンピア競技の栄冠を勝ち取り
 palma caelestis pugilemve equumve 神々しき姿で故郷に凱旋する
 dicit et centum potiore signis 拳闘士や馬車選手らを彼が詩に歌って
  munere donat, 百の彫像にもまさる贈物を授ける時

 flebili sponsae iuvenemve raptum 嘆き悲しむ花嫁を残して逝った若者を悼み
 plorat et viris animumque moresque 故人の傑出せる体力や精神や品性を
 aureos educit in astra nigroque 星辰にとどくばかりに歌い上げ
  invidet Orco. 暗黒の死を憎む時

 multa Dircaeum levat aura cycnum, テーバイの白鳥ともいうべきこの詩人が
 tendit, Antoni, quotiens in altos 高き雲の群れをめざして飛翔するたびに
 nubium tractus: ego apis Matinae 大いなる風が彼を運ぶ さて一方この私は
  more modoque, マティーヌスの山に巣くい

 grata carpentis thyma per laborem 最大の苦労を重ねて美味な麝香草の蜜を摘む
 plurimum, circa nemus uvidique 蜜蜂の習慣と作法に従い 潤えるティーブルの
 Tiburis ripas operosa parvus 森と川岸のほとりで 小さき者さながらに
  carmina fingo. 苦心の跡を留める詩をこしらえるのだ

 concines maiore poeta plectro さて君は詩人として私より大きな撥を振るい
 Caesarem, quandoque trahet ferocis いつの日か皇帝陛下が聖なる坂道を 猛き
 per sacrum clivum merita decorus シュガンブリアの捕虜を引き 軍功にかなう
  fronde Sygambros, 葉冠を戴き歩むそのお姿を歌うであろう

 quo nihil maius meliusve terris この出来事以上に偉大で善きことを
 fata donavere bonique divi 運命や善き神々が地上に贈ったことはなく
 nec dabunt, quamvis redeant in aurum 未来においてもないであろう たとえ時代が
  tempora priscum; かつての黄金の時に戻ろうとも

 concines laetosque dies et urbis また君は 強きアウグストゥス陛下の
 publicum ludum super impetrato ご帰国の実現ゆえに訪れる楽しい日々や
 fortis Augusti reditu forumque 都あげての公式の祝祭や 係争の止んだ
  litibus orbum. 中央広場の様子を歌うであろう

 tum meae, si quid loquar audiendum, その時 もし人に聞かせるものを私が何か
 vocis accedet bona pars et "o Sol 語るとすれば せいぜい私は良い声を出して
 pulcher, o laudande" canam recepto 「ああ美しい ああ称えられるべき太陽よ」
  Caesare felix. と歌おう 皇帝が戻られて幸せな私は

 teque, dum procedis, io Triumphe, そして おお凱旋よ 汝が歩を進めるあいだ
 non semel dicemus, io Triumphe, 私達は一度ならず おお凱旋よ 汝を歌おう
 civitas omnis dabimusque divis 私達市民全員で そして優しき神々に対して
  tura benignis. 乳香を捧げよう

 te decem tauri totidemque vaccae, 祈願成就の供物として 君は十頭の牡牛と
 me tener solvet vitulus, relicta 同数の牝牛を 私は一頭の柔らかい子牛を
 matre qui largis iuvenescit herbis 捧げるだろう この子牛は母牛から離れた後
  in mea vota, 豊かな草原で私の祈願のために成長する

 fronte curvatos imitatus ignis その子牛は額のところで
 tertium lunae referentis ortum, 三日月の湾曲した光を模倣しており
 qua notam duxit, niveus videri, その印を受けたところでは見た目にも純白で
  cetera fulvus. 17) それ以外のところでは褐色である

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