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TOP mook 動物ジャーナル バックナンバー動物ジャーナル38・殺処分の全廃に向けて

■ 動物ジャーナル38 2002 夏

   殺処分の全廃に向けて(その三)
  「動物実験の規制」のどこがいけないの?

広川 夏樹


このメルマガNo.22〜28では「動物愛護の立場から動物実験の規制を求める」という動物愛護団体の主張を批判しました。
動物実験と殺処分は異なる問題ですが、動物に対する人間の態度という点で、深いところではやはり繋がっています。
そこで、以前論じた内容と重なる部分もありますが、もう一度基本に立ち返って考えてみることにします。

・「普遍的あるいは一般的な実験動物/マウス/ラットetc.」などというものは存在しない。
・個々の実験動物、マウス、ラットetc.を離れた「実験動物というもの」「マウスというもの」「ラットというもの」etc.は現実に 存在する動物ではなく、単なる観念に過ぎない。

・個々の実験動物、マウス、ラットetc.を離れた「実験動物というもの」「マウスというもの」「ラットというもの」etc.は普遍的、一般的な観念であるゆえに、等質的・可換的なモノと見なされる。
・それゆえに動物を個体ごとに固有の命を持つ存在ととらえずに、「実験動物というもの」「マウスというもの」「ラットというもの」etc.という観念を通して捉え、非個性的で等質的・可換的なモノと考えるならば、その場合にのみ動物は数に還元され、統計的な量として処理され得る。

・しかるに現実に存在するのは一匹一匹の個々の動物、すなわち「この実験動物」「このマウス」「このラット」etc.であって、それらの命はひとつひとつが置き換えが効かない。
・言い換えれば、個々の動物の命はそれぞれの動物が固有に有するものであるゆえに、普遍性・一般性を持たず、等質的・可換的ではない。したがって個々の動物の命は数に還元できない。

・動物を「命あるもの」という側面から捉えるとき、動物(または動物の命と、それにかかわる事柄)を数に還元して論じることはできない。
・したがって、実験動物の命や苦しみと実験動物の数を同じ次元で論じて、「実験動物の数が減れば実験動物の苦しみが減る」などと考えるのは、論理学的に非常に不健全で許しがたい誤謬である。これは動物を異なった次元・尺度で捉えつつ、同一の次元に並べて論じることであり、秤で長さを、モノサシで重さを計ろうとするに等しい無意味な議論である。

・動物実験の規制(=合理化)は、動物を互いに等質で可換的な単る『モノ』として扱う立場からのみ、なされ得る主張である。
・しかるに、個々の動物の『命』はその動物に固有のものである。したがって、動物の命を「等質で可換的なモノ」として扱わない動物愛護の立場から、動物実験の規制を主張することはできない。

このように考えを深めてゆくと、動物実験に反対するにも殺処分に反対するにも、人間の立場を捨てて、「この動物」「あの動物」の立場に立って考える必要があることがわかります。

以前にも紹介したタルムードの言葉をもう一度思い出してください。
『一つの生命を救う者は全世界を救うのと同じである。一つの生命を滅ぼす者は全世界を滅ぼすのと同じである。』

世界の外側から、無関係な人が世界を救うことはできません。
世界を救うなら、その世界に身を置かなければなりません。

まず必要なのは、思考の枠組の転換です。
動物を助けたければ、人間としてではなく一匹の動物の立場で考え行動しましょう。


niku9さんからのおたよりです。

No.60のこの部分、ドキッとしちゃった。

もっと端的に言うと、「より多くの動物を救うこと」を目指す活動は、動物愛護ではありません。
なぜなら『より多く』の動物を救おうとする人は、動物を数に置き換えて考えているからです。
このように動物を数に置き換えて考えること自体が動物をモノとして扱う態度であり、動物の命を愛する態度ではありません。

つい、保護した子の数を数えて、ニンマリしたあと、あせる私。
「もっとたくさん保護したい」と…。

結構「数」にとらわれているかも、と実感しました。
でも一匹一匹をかなりスゴク愛しています。
かけがえのない子達です。
モノとして、なんて考えた事もない。でも数えちゃうのです。
自己満足なのかなぁ。イヤ、そんな事ない!ん〜。

確かにたくさん保護したい。僕も同じです。
でも、一匹一匹のねこを自分と平等な個性ある仲間として意識しなくなったら黄信号です。

niku9さんが「マルコの東方犬聞録」を読んで書いてくれた感想文を、No.60に掲載しました。
この本のなかで著者のマルコ・ブルーノさんが批判しているのも、「より多く」の動物を救おうとして、一匹一匹の動物の顔が見えなくなっている人たちではないでしょうか。
そのような状態になると、保護される動物の扱いにも必ず悪影響が出てきて、ついにはモノを能率的に処理する感覚になりかねません。
そうならないためにも、自分が持つ時間的・経済的余裕の範囲内で一匹一匹の動物の立場に立って保護活動を進めましょう。

生活の余裕と気持ちの余裕がなければ、一匹一匹の動物の健康と幸せを、責任を持って守ることはできません。
これは僕自身の経験を反省して痛感することです。
    (ひろかわ なつき・動物と連帯する会ELF代表)
(『動物爆好き!日記』より転載)