『動物ジャーナル』創刊当時、「手にとってみたが怖くて開けられなかった。やっと覚悟して読んだら、心配することはなかった。購読します」というお話を聞かされ、次のように説明したことがあります。
動物に心を寄せる人々にとって、むごい事実を知らされることは、とても辛いことです。事実の一々をこと細かに知らされなくても、動物たちのいたみを心で直かにうけとめることができるのです。聞かなくてもわかる! 聞かせないで! という悲痛な声を多々耳にしてきました。私もその類の人間ですので、この雑誌の編集を引き受けた時、そういう誌面はつくるまいと決心していました。このことをどう説明すればわかっていただけるか、方法をもたぬまま創刊しましたので、先にあげた方のようなことになってしまったと思います。未熟を申しわけなく思っております。 (通巻二号・時々刻々)
また、その方針を是として、反響欄に投稿がありました。小林廸夫様の文の一部を次に記します。
通りすがりに実験反対パネル展に出あったことがある。写真の撮影場所、年代も記されてなく、真実のものか疑問をもちました。まさかヤリ玉にあげられる企業や研究機関が不利な資料を相手に提供するはずはありませんから。むごたらしい写真を見せ、視覚的な刺激で感情に訴え、会員やカンパを集める方法は、戦前の大阪で有名となった有田ドラッグの商法と類似するように思えました。店頭に、誰しも目を背けるようなひどい病気の写真が多数展示されていて、それを見ると自然に恐怖感に誘われ、不思議に薬が売れたようです。思いつくまま一筆のみ。 (通巻四号)
このような写真が、近ごろの虐殺誇示を誘発していなければ幸いです。
動物虐待防止会は、残酷写真によって善良な人々にゆさぶりをかけることを自ら禁じ、その種の写真が冷酷人種に情報を与えることになる危惧を深く考え、紙面におぞましい写真を載せることを拒否します。
今後も、温かい心を育む本でありたく思います。