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TOP mook 動物ジャーナル バックナンバー動物ジャーナル35・ぼくが肉を食べないわけ

■ 動物ジャーナル 35 2001 秋

  再録/紹介『ぼくが肉を食べないわけ』

赤井 かつ美

ピーター・コックス著 一九八六年刊(英国) 浦和かおる訳 一九八九年 現代書館刊

再録にあたって

 私の実家で外で飼っていた犬(雑種)が十七歳四ヵ月で昨年一月三一日に亡くなった。人間で言えば八十五歳位。老衰死と言っていいのかも知れない。今年五月一二日には室内で飼っていた雑種犬十六歳七ヵ月(人間では八十二歳)が扁平上皮ガンで亡くなくなった。近所の家の玄関先にいる犬(雑種・十四歳)も同じ扁平上皮ガンに最近なった。
 扁平上皮ガンとは犬猫に多く、頬から口にかけてオデキのように腫れてただれグチャグチャになり、血の混じった膿がタラタラひっきりなしに出、悪臭が漂い、ひどいのになると口元がポッカリ大きい穴が空いてしまうそう。やがては肺に転移し呼吸困難になり、苦しむから犬のために安楽死を考えておいた方がいいと獣医さんからそれぞれの犬が言われた。
 私はたくさんの犬猫を看取ってきたが、安楽死させたのははじめてであった。
 普通飼い主はイヤがり動物が苦しんでいてもなかなか安楽死をさせない(=してあげない)。人間はモルヒネを打って苦痛から逃れられるけどモルヒネも置いてないし(管理が厳しいからという理由で)、安楽死もさせてくれない動物病院では動物を長期間苦しませ、痛みと辛さに耐えさせる時間をただ伸ばしているだけ。何て残酷な、人間はその苦しみに耐えられるかといったら出来る訳がないのにと思った。

 扁平上皮ガンという病気は昔はなかったように思う。
 老衰死した犬と偏平上皮ガン死の犬の違いを考えてみた。老衰死の犬はドッグフードを嫌い、ほとんど食べなかった。扁平上皮ガンの犬はドッグフードを一日の食事の半分は食べていた(食べさせられていたといった方が適切)。
 わが家の犬のフードは良質と言われ価格が高い物だったが、多くのドッグフード(キャットフードも)は病死動物や人間が食べることができない部分の残ったものの廃物利用。
 ほとんどの犬はドッグフードを好まない。本能的によくないものと察知しているのだろう。

 狂牛病になった牛が一説による四万七千匹以上もがゴミ同然に焼却処分されたとか。実際はこの何倍かあるいは数十倍かも分からない。残虐、ひどい、むごたらしいとしか言いようがない。
 日本では年間百三十万匹の命ある牛が食用にと何のためらいもなく殺されている。
 人と同じ地上に生き、人間と同じ姿形をし喜怒哀楽のあるものを人間が殺し食べることは自然の摂理に反し、いけないことだと今改めて強く高らかに警鐘を鳴らしているのかも。
 日本にある「真土不二」という諺を知る人は少ない。この諺の意味は「人はその土地で自然に育ったものを食べて生きよ」ということである。(二〇〇一年九月三〇日)

 今こうしている時にも計り知れない数の動物たち(牛豚鶏…)が訳も分からぬまま恐怖におののき殺されていっている。人が生きるための食料として絶対必要なものとしてではなく、人の舌を満足させるために。犬猫を生きとし生ける大切な命として思う人々が同じ命をどうして食用として別格に位置付けられるのか、他に食べるものはいっぱいあるというのに。
 スーパー等できれいに並んでパックされた肉をみて一体どれだけの人がその動物たちの呻き、苦しみ、叫びをすこしでも考えるだろうか。パック詰めのものからは感じないかも知れないが、大きくないストアーの地下にある、量り売りしている肉売り場では動物たちの血の臭いがただよってくる。
 『ぼくが肉を食べないわけ』は一九八六年発売と同時にイギリスでベストセラーリストの上位にランクされた本。著者ピーター・コックスは一九五五年イギリス生まれ。イギリスベジタリアン協会創設、初代会長。イギリスの高級紙から大衆紙までにとりあげられ、フランス・ドイツ・オランダ語にも翻訳された。
 本書は「イギリスの有名な市場調査機関が調べた数値によると、イギリスには肉を全く食べなくなった人が三百万人以上いるという。この数字は一年間で三〇%も伸びている。また過去一年間に千七百万人の人が肉の量を減らした」との書き出しで始まり、この肉の量が減った理由を述べている。(比べて日本の肉の量は年々増加傾向にある。)
 日本の長い歴史で江戸時代までは《四本足動物》を食べるなんてとんでもないこととされてきた。それが肉食が当たり前になり、肉は必須の栄養素という誤解がまかり通り、肉を食べないのは変人とみられがちだ。
 人はなぜ肉を食べることが当然となっていったか彼は説く。肉食産業の売らんかなのための策略、即ち〈イギリスの食肉業者は毎年百数十億円という大金を宣伝費に使い、それは強制的、集中的に行われている。時と場所を選ばず目、耳に入ってくるのでその繰り返しの攻撃から逃れることは不可能でついに洗脳されてしまう〉がある。肉食によって起こる病気、ガンは、家畜に与えられているホルモン剤、抗生物質によるものと告げ「イギリスでは家畜にどの程度使用されているか不明。記録も調査もされず、家畜疫病調査機関は国内消費用の三〇〜五〇%としているが、別の推定では牛肉の八○%としている。」との実態報告。その因果関係によると思われる病気をグラフを使って表している。肉は栄養があると思うのは大変な間違いで、目には見えない薬を一緒に食べている。それを続けると体に薬の耐性が出来、病気になったときは薬が効かなくなってしまうと警告している。肉を食べなくなったお陰で健康状態がよくなったとの報告例も添えて。また他の食品から摂れる栄養を上げ、肉からしか取れない栄養はないと言いきっている。栄養摂取度チェック表も記載している。
 また、動物がそれは残酷な方法で殺され肉と化す生々しい赤裸々な工程を公表。
 肉を作り出すための資源の浪費、環境破壊等について「肉はとてもムダの多い商品。えさとして与えている大豆など一〇〇キロから牛肉は、たった五キロしかとれない。残りの九五キロは糞になり、その糞もまた環境破壊をしている」と、分かりやすく書いている。
 昨今、環境破壊と盛んに言われているが、毎日食する肉によって飢えている人々を作り出し、地球を枯渇させていると考える人間はどの位いるであろうか。世界のあちこちで、主に第三世界で土地を切り開き、そこは牧場や食用動物が食べるエサの穀物畑になっている。当然飢えている人の口には入らない。これと同じようなことがエビの生産でも行われている。エビは世界中で日本人が一番食べると言われる。ある環境運動をしているリーダー格の人はこのためにエビを食べないそうだ。
 肉という人間が人為的に作り出したものに慣らされ洗脳されていく。これは何も肉食にのみ限っているのではない。そこからみえてくる現代社会の構造、からくり、人の目の届かない、触れない所でいろんなことが行われ出来上がっていき、私達に浸透して行くことを示唆している。人々がこれからの社会を、今を、しっかり目を見開き、考えてゆかねばならないと語る貴重な教本であり、啓蒙書であり、また医学書でも健康読本でもあると思う。読んでもらいたいというより読まなければならない本であると思う。
 日本の今の子供は魚の切り身は魚を解体したものだと分からず、泳いでいた魚であったとは思わない子が多いと聞いている。魚でさえそうであるなら肉はなおのこと、息づいているかわいい動物たちが地獄のような生活に日々耐え、そこから出されたかと思うと想像もできない残虐な方法で殺され、死んだのも確認されないまま切り刻まれていって製品化されてくるとは、大人はおろか子供では考えようとはしないだろう。
 著者は、人が肉を抵抗なく受け入れていく様子は次のようだと論じている。
「肉もはじめはすこしもうまいとは思わなかったのに、たばこやある種の薬と同じように人の舌に結びついてしまった。ここに難しさがある。本来肉食でないチンパンジーも似たような行動をする。死肉を数回味わうと、彼らは狩りや殺しをはじめ、ときには共食いや幼児殺しさえ犯すことがある。ゴリラも本来肉食ではないが、動物園でムリヤリ肉を食べさせられると肉食嗜好になり、食べれば食べるほど食べずにはいられなくなる。こうして肉食を続けると消化器官が変わってくる。繊維を消化する腸内微生物が姿を消してゆく。そのため植物性の食物にもどるのが難しくなる。人間の若者も肉の味に慣れてくると、どうしても食事には大量に必要と考えるようになる。子どもたちははじめは本能的に肉を口にしたがらないものだ」と。そして、「肉食をやめない人たちに肉食の害を理解させる唯一の方法は、真実を伝えることしかない」と。
 最近NHKテレビのある番組でも、昭和二二年生まれの作家立松和平氏が「昭和三〇年頃から学校給食で味覚が形成される大切な時期に肉を無理やり食べさせられていた」と発言し、また昭和三六年生まれの女優高橋ひとみ氏は「肉が嫌いなのに親は無理強いした」と言っていた。その作家はその時代はアメリカの影響でアメリカが何でもよく、アメリカヘのあこがれがあって肉食が盛んになったのだろうと話していた。―すなわち、だいたい肉は人が好んで食べようとしたものではないということが言えるのでは。同じ番組で、ある研究所の所長は「幼い頃、少年期にどういう物を食べたかで人の一生の考え方、思考、好みが決まる」と言っていた。
 著者は肉食がガンになるというのは疑う余地はないのに肉がどのようにしてガンを起こすかの研究は遅々としたものであるから結論が出るまで数十年かかると語っている。それをきっちりとした形で証明することは難しい、肉食産業は御用学者を用いたりもするので、と。そして次のように述べる。
 「科学者は物ごとを判断するのに注意深くあれと教えられている。どんな確信をもっていても結論を出す前に細心の注意を払い、検討を繰り返し、仮説を実験で確かなものにしなければならない。これらすべてに長い時間がかかる。例としてたばこ。わたしたちは喫煙が肺ガンの主原因であることはかなり前から知っている。しかし科学的に証明するのに二十五年かかっている。そして今でも、たばこ産業はそれを認めてはいない。」―肉食産業も同じであり、これらはすべてのことに共通していえる。
 日本の禅僧を対象とした二四年の研究で、一般人と比較して「日本人の五〇%は毎日肉を食べているが禅僧は一〇%以下。一方禅僧の七〇%は毎日新鮮な野菜を食べている。一般人に比べ病気になる率・死亡率が著しく低い。」や〈肉を食べる人は死亡率が高い。死亡率と野菜サラダは反比例、肉は正比例の関係〉のよく言われ知られている例も出している。
 〈ガンは遺伝ではなく環境から〉の説明に、胃ガンを除けばガンの発生率が低い、調査に最適な日本人の例を挙げたり、ある種のガンと肉食の関係の証明を具体的数値で示している。〈ガンになった肉を食べると、人もガンになるのか〉についても、たくさんの事実例を挙げる。心臓病についても豊富な例で解説する。
 そして最後に、「肉はいらない、NO」と言明すること、これに尽きると著者は訴える。
 イギリスから毛皮の不買運動が起き、今では毛皮を身にまとうことはレベルの低い人間、ととらえられるようになった。肉も一人一人がいらないと言っていくことで肉食もだんだんなくなっていくかもしれない。肉をやめることは、たばこをやめることと同じくらいに、あるいはその何倍も大変なことと思う。体を蝕む麻薬等と同次元に考えればやめることにつなげられるかもしれない。肉をやめることは、少しでも減らすことは、世の中の澱んだ状況を変え、浄化し安心して暮らせるようにするワンステップ運動になるのでは。
 私は一九八九年に北海道の酪農家に見学に行った。それまでそういう現場に行くのはとても勇気がなく何年もためらっていたが、実際行ってみるとやはりそこは悲惨だった。そこの牛は人工受精させられ、妊娠期間は人間と同じ十カ月でお産はたいへん苦しむ。産み終わるとすぐにまた人工受精、おなかに子がいない時期がない。八〜十産させられたあとで一生を終えて行く。
 私は小さい頃から殺した動物の肉を食べるのはどうしてもイヤだったが、家族が食べるということで週に一〜二度は肉料理をしていた。しかし牛達を見て来た後、食卓からは肉が消えた。(あかい かつみ)

[編集部注]再録にあたって、校正ミスを訂正し、言及者名(例=T氏)を明示しました。