オーディオ日記 第42章 枯淡の境地を目指し(その7)2018年5月15日


TOP Audio Topics DIARY PROFILE LINK 掲示板

幼少の頃、自称蝉採り名人であった。生まれ育ちが鎌倉で近所には蝉採りに手ごろな寺社仏閣が多くあったため、夏休みの間はそれこそ毎日と言って良いほど捕虫網と長い竹竿を持ち勤しんだものである。夏の日差しと木陰の静けさの狭間で聴いた蝉の声は包み込むようにもざわめくようにも響き渡り、それは素敵な音の世界でもあった。ミンミンゼミとひぐらしの声を聴けば、今でも蝉採りの血が騒ぐのだが、ミンミンゼミの声は意外に大きく澄んだ音と割れたような複雑な音が絡み合ってとても迫力がある。たくさんのひぐらしがそぞろに鳴き始め鳴き止む時、それはたおやかな物悲しさと余韻をもって、あちらこちらと移ろい不思議な輪唱を聴いているような感覚となる。

だが、録音・再生された蝉の声を耳にする時、それは何故かとても嘘くさく、確かにそれは蝉の声ではあっても本当の響きとは似ても似つかないような騒音にしか聴こえない、、、

モーツアルトの音楽は優しい旋律に裏打ちされ、心地良いほどの高域のたなびきがあって、その音楽を聴く時、我が身がうっすらと半透明のエーテルに取り巻かれたかのような感触を覚える。事の真偽は判らないのであるが、一説に拠ればモールアルトの音楽は高い音の使い方が巧みで複数の楽器の倍音を活かすような仕掛けがあるのだとか。また、音楽の高域成分、あるいは高い音には脳幹を刺激しアルファ波を出し易くして、心や身体をリラックスさせるような効果があるとも云われている。蛇足で云えば、雌牛にモーツアルトの音楽を聴かせると、乳の出が良くなるのだという説も。

オーディオとの関連で考えてみると、元々の音に含まれている倍音成分を如何にしてきちんと録音し、それをしっかりと再生することがとても大事なのではないか、と思える。もちろん基音が無ければ音楽として成立しないのであるが、現在の技術的な観点からすれば、基音の録音、再生がおぼつかないような機器はあまり無いと思うのだが、倍音に関してはそれほど簡単なことではないのかもしれない。

かっての録音機材、そして再生機器の多くに使用されていた真空管は本来的にチューブディストーション(所謂高調波歪)が多く発生してしまう仕組みで避けられないものなのだが、ここで云うディストーションは決して忌み嫌われる類の歪ではなく、むしろ心地良い、そしてウォームなサウンドを醸し出すためのひとつのテクニックにもなっている。特に機材のS/Nが不十分な時代においては、本来の自然な倍音成分を補う意味でもチューブディストーションが積極的に利用されていたのではないか、と素人の勝手な推測をしている。同じようなことがリバーブというものについても云えると考えている。人間の耳の性能や機能、音響心理学的なことは浅学にしてほとんど判ってはいないのであるが、人為的に付加されたリバーブやエコーを心地良く感じることは実体験上も紛れも無い事実。本来の音に含まれていないものを残響として付加し、あるいは高域成分を強調する(エンハンサーやエキサイターがこれに相当する)仕掛けは現在の録音技術としても最早不可欠のものでもあるし、ギターアンプにおいてはこれ無くしては存在し得ないと云って良いと思う。

オーディオ機器を考え、検討する時、このような倍音成分や残響成分、強調された高域成分が如何に上手く再生されるかによって、自分としては評価が変わってくるような気がしている。特にアナログとの比較において、デジタル機器はこの倍音成分を失いやすく、それはサンプルレートやビット深度の問題、電源系ノイズ、ジッターなどの課題が関与、影響しているものと思う。

当方にとってはモーツアルトの音楽やボーカル(特に女性ボーカル)を聴く時、瑞々しくしっとりとして、優しく心地良く響かなければ、音楽を聴いたことにはならない。そしてそれは丸く、高域成分を失ったような聴き易さであってはならない。ぴんぴんと時に棘立つような高域の中にこそ自然で実在感のある本来の音が潜んでいるのだ。

だがそれは、「言うは易く行うは難し」の典型であって、これが納得の領域に届けば求めてきた「究極のマイベストサウンド」を実現し得るのかもしれないだが、現実のデジタル環境はそう容易くはないことを常々思い知らされてきた。一方でデジタル技術は日進月歩の進化を続けている訳でいつまでも同じところに留まってはいない。デジタルオーディオ機器もまた然りだと思う。アナログにおけるオーディオ機器の場合は多少古くても良いものはそれなりに存在意義と価値があると思ってきた。だが、デジタルはおそらくそれと同じように考えてはいけないのではないだろうか、、、

このところ少し急ピッチでオーディオ環境を再整備しようとしているのだが、先般 導入 した真空管CR型フォノイコライザ(GK08VCR)からデジチャン(DF-65)へ直接インプットした音に嵌ってしまい、この数日アナログ三昧である。当方の所有するアナログレコードにはほとんど新しいものはなく、70~80年代という曰く良き時代(?)の古いものばかり。これらのアナログディスクが聴かせてくれる音はそれなりにほっとするようなところもあって愛着を持ってきたものなのだが、現在のこの構成で聴く音は従来聴いて来たものとは少し違う感触がある。声の質感、というような単純な表現では簡単に割り切れないような何らかの違いがあり、それが前段で述べてきたような倍音や高域成分の出方の差なのだと感じている。真空管CR型フォノイコライザの音の特徴というべきものなのか、あるいはまたデジチャンの性能的、機能的進化なのか、自分でも納得できるほどその理由が判然とはしている訳でもない。旧態依然とも云える真空管機器とDSP処理を行う新鋭のデジタル機器がダイレクトにドッキングされたというコラボレーションの為せる業なのか。

だが、PCオーディオで聴いても、多少なりとも同様の傾向が感じられる。それはモーツアルトの音楽における倍音の出方が端的に語ってくれる。 リニューアル してきたアンプが徐々に本領を発揮し始めた、ということもあるかもしれない。だが、やはり一番のポイントは我が家のオーディオにおけるキーデバイスと考えてきたデジチャンによる音の差であると判断せざるを得ない。現時点ではそれが単純にデジタル技術の進歩と言い切れるほどの自信はなく、むしろ世代を重ねてきた機器の熟成がもたらした恩恵かもしれないと推測しているのだが。

(参考)試聴によく使うアナログディスク:



更に定番:CD音源とも比較する

☆若き日の尾崎豊はやんちゃな美少年で豊かな声を持つのだが「十五の夜」の反逆もここでは何だか切なく聞こえる。


4way構成の設定備忘録(2018年5月13日更新)
項目 帯域 備考
Low Mid-Low Mid-High High
使用スピーカー
ユニット
- Sony
SUP-L11
FPS
2030M3P1R
Sony
SUP-T11
Scan Speak
D2908
-
スピーカーの
能率(相対差)
dB 97 (+7) 90 (0) 110 (+20) 93 (+3)
定格値
DF-55の
出力設定
dB 0.0 0.0 +0.0 +3.0
Analog Att
OFF
マスターボリューム
アッテネーション
dB -4.0 0.00 -10.0 -6.0
各チャネル毎の設定
パワーアンプでの
GAIN調整
dB 0.0 0.0 -12.0 -0.0
 
スピーカーの
想定出力レベル
dB 93.0 90.0 88.0 90.0
合成での
出力概算値
クロスオーバー
周波数
Hz pass

355
355

1400
1400

8000
8000

pass
Low Pass

High Pass
スロープ特性
設定
dB/oct flat-96 96-96 96-96 96-flat Low Pass
High Pass
DF-55 DELAY
設定
cm 20.0 35.0 0 38.0 相対位置と
測定ベース
極性 - Norm Norm Norm Norm VoyageMPD
環境下
DF-55 DELAY COMP
(Delay自動補正)
- ON 自動補正する
DF-55デジタル出力
(Full Level保護)
- OFF 保護しない


next index back top