オーディオ日記 第37章 夢の旅路は続く(その4) 2016年2月3日


TOP Audio Topics DIARY PROFILE LINK 掲示板

主としてDC電源周りのノイズフィルター挿入とシールドなどの音質向上施策の効果に気を良くしてさらに追加でできることなどないかあれこれ考えてみた。

1.USBケーブルの電源ラインへのノイズフィルター挿入

我が家の USB DDC/DAC はUSBケーブルの電源線をカットしたものだとデバイスの認識が行われないため、JAVS X-DDCの時に 自作したケーブル は使用できない。(X-DDCも第二次ロット以降の製品は同様に電源線をカットすると認識しなくなってしまうのでこれは本来のUSBデバイスの仕様なのかもしれない)従い、やむなく通常のUSBケーブルに銅箔シールドしたものを使用している訳だが、ここでふと考えてみた。USB DDC/DAC自体は電源部を持っておりそこからDC電源の供給を受けてDDC/DACの各基盤を駆動している訳であるが、一方でUSBデバイス認識用の5Vの電源線は生きている。PCから入ってくるこのUSBの5V電源については既にその功罪の議論は尽くされた感があるが、この5V電源が(電源として使用されないとしても)DDC基盤に入ってしまっていることは事実である。となれば全くノイズ由来の影響が無いとは云い切れない。USBの電源アイソレーションに関する各種の製品は当然ながらこのような環境下での効力を謳っている。そう考えると我が家の環境で追加でできることが自ずから浮かんでくる。USBのDC電源ラインにファインメットビーズと5穴フェライトを挿入してノイズフィルターとして機能させることである。

比較検証が必要かもしれないと思い、別のUSBケーブル(70cm)を用意し、早速ケーブルの開腹手術。シースとシールドを注意深く開けて電源ライン(赤、黒)を引っ張り出す。この時USBデータの信号ライン(緑、白)に傷つけないように留意。信号ラインにもフィルターを入れた方が良いというような情報もあるのだが、信号の減衰など理論的なことがまだ理解できていないので、ここはまず第一ステップとして電源ラインだけに限定する。電源ラインに前述のノイズフィルターをハンダ付けして挿入すれば終り。もちろん、ファインメットビーズと5穴フェライトはケーブル内部に戻せる大きさではないので、ケーブルの外側にて絶縁しておく。また、従来使用していたUSBケーブルと比較するために、銅箔テープによるシールドを同様に施す。まあ、手馴れてきた作業ではあるが、不器用なので出来上がりの見た目は我慢することとしよう。

爆弾をぶら下げたような(?)不恰好さ:


さてさて、ま~遊びの範疇だからと自分に言い聞かせつつUSBケーブルを交換して聴く。ありゃりゃ、これは何とも。激変などという言葉はとても使えないが、これはプラシーボ以上の効果があると感じられた。もちろん、世のUSBに関する各種製品の効果を明確に把握している訳ではないが、それもさもありなん、と納得。これはやらないよりやった方が良い、という対策のひとつかなと自己満足。音質向上の為には僅かなことでも積み重ねが必要なのだ(と言い聞かせる)。で、従来のシールドだけのUSBケーブルは一発でお役御免となってしまった。

2.AC電源へのノイズフィルター挿入

ノイズに関するお勉強をしつつ(下記参考情報参照)、改めて頭の中を整理してみるとPCオーディオ周りの電源ラインへの対策はDC電源ラインしかやってないな~と思い、HUB/NAS関連の対策で何か追加で出来るものがないかとDELA N1AのHPページをつらつら眺めてみると、ふむふむAC電源のノイズフィルターが入っている。 HP上の写真 を拡大してみると、TDK Lambda社製の RPE-2006 というもの。いくつかの型番があるが2006というのは汎用品で6Aタイプのもの。他に3Aや10Aのものある。秋月あたりで手に入るかな、と探してみると、あるある、しかもお安いではないか。また全く同じものがさらに高価なN1Zにも使用されている。このフィルターを使って外付けのAC電源フィルターを造れば、NAS、HUB、USB DDC/DAC辺りに使えるかな、と妄想が駆け巡る。(N1Z限定生産のMelcoバージョンにはこの他に「 FM(ファインメット)可飽和コア」とか「電磁波吸収機能つき天板」という装備があるのだが、この辺りにも音質向上の秘策があるのかもしれないのでさらに調べてみたいと考えている。(FM可飽和コアはAmazonでも販売されていた)ちなみにNASのもうひとつの雄であるfidataの詳細を確認してみたが、こちらにはAC電源ノイズフィルターの記載はなく、画像を見ても汎用品のインレットノイズフィルターが使用されている様子はなかった。設計思想の違いがあるのかもしれない。

(追記:2016年2月8日)
fidataは試作機においてはほぼ同じと思われるフィルターを装備していたが、 あえて外した という情報が設計秘話として紹介されていた。電源をHDD用と基盤用に分けたことの効果の方がが大きいのかもしれないし、これによってフィルターの入るスペース余地が無くなったのかとも推測される。DELA N1AはHDDの防振対策がかなり貧弱であるが、fidataはシャーシ構造を含めて徹底度がすごいと思う。電源の分離やHDD防振についてこちらも参考にしながら、あれこれNAS対策のトライを続けてみようと思う。(追記終わり)

NAS、HUBに関してはDC電源ラインへの対策は既に行っているので、改めてAC電源ラインへのノイズフィルターによる効果はあるのかどうか判らないが、この価格ならば暇つぶしと考えてもやってみても良いだろう。何しろ音が良いDELA N1Aにも採用されているものなので、悪いはずはなかろう(?)という期待値もある。USB DDC/DACは良質な電源部分を持っているので要否のほどは不明だが、外付けタイプとすれば簡単に付け外し出来るであろうと考えた。

さて、もしかしたら世の中に既に似たような製品があるかな、と検索してみると、やはりあるものである。JSPC社のACラインコンディショナー AFS1 という製品である。価格も良心的。内容的にはコンデンサやファインメットを使用したもののようであるが、上記のAC電源フィルターと同じかどうかは分からない。このような完成品でリーズナブルな価格であれば購入してみても良いかな、と一瞬考えた。だが、秋月で一個500円というのは何にせよ魅力的。さして難しい工作でもないのでまずは実験を兼ねて自作で行こうと決めた。DELA N1Aにスキル、ノウハウの乏しい当方の自作でどこまで対抗できるのか挑戦でもある。

まずはUSB DDC/DAC用の3PインレットケーブルとHUB用のメガネケーブルの2本を試作することとした。NASにも適用してみたいがこちらは外付けのスイッチングアダプター電源なので、メガネケーブルでも実験が可能なため兼用とした。工作としては余っているケーブルを適当な長さにちょん切って接続用端子をつけるだけ、2本で30分もかからず完了。

3Pインレットとメガネの2本を試作:

ケーシングはおいおいと考えねば:


さてさてこちらの効果も自己満足の世界なのかどうか、である。PCオーディオ周りの対策もこうして考えるとあれこれあってきりが無いような気もするが、結果的にはやらないよりやった方が良い(個人的にはやはりやるべき対策だと思う)ことばかり。然るに対策した分だけ音が無限に良くなっていくなどということはないのもまたオーディオの事実ひとつ。ただ内容はシンプルで若干の手間はかかるが費用もとても僅か(オーディオの視点で考えれば激安とも云える)なもの。少しばかりの工作も楽しんで出来る。その上で、デジタル(ファイル再生)で一頃感じていたようなもどかしさ、ビハインド感はこれらの対策の積み重ねによって払拭されてきたと思えることは甚だ幸せなことである。

DC電源に関しては、スイッチング電源、アナログ電源、バッテリー(乾電池)、太陽光発電などありオーディオ的にも純度が上がっていくことによる効果が期待される。このあたりは基本的に各種のノイズも関わっていることだと思うので、電源自体の質ということだけではなく、ノイズの発生源、その伝播についても知識を仕入れておく必要があると文系(+体育会系)頭の当方としては痛感している。

(参考とさせていただいたノイズ対策関連情報)

1.村田製作所:ノイズ対策基礎講座
2.村田製作所:ノイズ対策ノウハウ集
3.TDK:なるほどノイズ入門

(閑話休題)再びの美音探求

世にフラットな音、ハイスピードな音、鮮鋭な音、ワイドに広がる音、シルキーな音、などなどオーディオを評する言葉がいろいろとある。これらは実態としてどのような音をさしているのだろうか。現状の4wayが何とか纏まりを見せ、そこそこ楽しめるようになると、「小人閑居して不全を為す」の言葉通りにあれこれと妄想が駆け巡る。つまりは「もう少し良くできるのではないか」というささやかな欲(悪魔の囁き)が顔を出すのである。美音と云われるものが欲しいと思うのである。

言葉に踊らされているだけかも、とは思いつつ、さらなる高みを目指したくなるのは単なる我欲か人情か。さらば、美音とは一体何か。自分の目指すものを冷静に見極め、きちんとアプローチをしなければ、単なるもの欲しげな童子と変わらなくなってしまう。多様な音源を聴いていて最近思うことは、高音質を謳う音源に不思議なことなのかもしれないが、ちょっと気持ちの悪い不自然さを感じてしまうことがある。自然なトーンやホールエコーとは全く違う肌触りのエフェクトが多用され、音圧もかなり高く設定されている。この音圧を高くする、という処理(コンプレッション)は非常に曲者で、自然界の音が本来もっているぴんぴんと跳ねるように生きている音、瞬発的なリニアリティ(直線性)を削いでしまう。結果として音がすっと違和感無く立ち上がらず、纏わり付くような気持ちの悪さを感じさせるものになってしまうのだ。環境によってはこちらの方が良いケースのあるのかもしれないが、そこまで「過剰に加工」する必要があるのだろうかと疑問を持たざるを得ない。そして、これはますますのびやかな美音とは懸け離れていってしまうことになる。

もちろん演奏される楽器や声をそのまま素直に録音したものだけが良い印象とは限らない。50~60年代の古典的録音はチューブディトーションとリバーブを多用したものが多く、それはそれである種の安定感もあり存外に気持ちよく音楽を聴けることも多い。そこにはどういう違いがあるのだろうか。実はよくわからない。

最近入手した音源で改めて強く感じたのはENYAのDark Sky IslandというCDである。ENYAの初期の頃のアルバム(The CeltsやWatr Markなど)は節度ある加工が新鮮に感じられ、永らく愛聴してきた。またShephard Moonなどは今でも大好きなアルバムのひとつである。しかし、ある時期(A Day Without Rain以降)から音圧の設定がガラッと変わってしまった。Dark Sky IslandでもENYAの曲調はそれほど変わってはおらず相変わらず音楽クリエータとして素晴らしいイマジネーションの持ち主だと思う。しかし、これをCDとして音質評価をしようと思うとちょっと困ったことになってしまうのだ。最終パッケージに至るまでの(ポピュラー系の音楽では特に)いろいろな関係者のセンスと商業的な制約が本来の音楽の良さをスポイルしてしまっていると云えるのかもしれない。

美音あるいは音楽の美しさの基準は人それぞれだと思う。クラシック音楽であっても最早加工のないものなど存在しないかもしれない。しかしながら楽器のもつ音色、ホールの自然な響き、それらが渾然一体となってリスニングルームに展開される時に音楽の愉悦を感じない訳にはいかない。そして、このような音色、響きを堪能させてくれるような音を我がシステムでは目指したいのだ。もちろん、オールディーズと云われるような音楽もノリが良く、楽しく聴けなければならないが。音は飛んできて、何処にも引っ掛かるようなことがなく、また飛び去って行かねばならないのだ。体や耳に留まっていてはいけない。ただただ通り過ぎて行く、それで良い。体と耳がこれはオーディオの音だ、と判断してしまうようでは、それはそこに何らかの引っ掛かりや違和感があり、自然な音楽とは云えないと体が判断しているということではないだろうか。そしてこれは音楽そのものよりも、音源としての出来(含む録音)にも大きく依存してしまうことが多い。あるいは音源とシステムの相性というものも普遍性を目指して頑張ってはみても歴然とあるのやも知れぬ。

このようなことをあれこれ思案しても目指す方向として自分の感覚が正しいのかどうか判らないし、このような我侭(無いものねだり?)をどうすれば実現できるのか未だ皆目検討もつかない状況でもある。

オーディオは単純には簡潔しない趣味であると思う。機器を変えたり、アクセサリーの導入で確かに音の変化は(時に顕著に)ある。しかしこれらは単に変化であって、究極的な美音(ニアイコール自然な音)へと繋がっていくものなのだろうか。周波数レスポンス、ダイナミックレンジ、歪率など基本の要素が改善されればそれがより自然な音へ繋がっていくであろうことは理論的には(理性では)理解できる。しかし、物理特性と感性は同じ次元とは云い切れない。どこかに「それ以上のもの」が無い限り、オーディオの音に留まってしまうのではないだろうか。オーディオをやりつつ、脱オーディオ(的な音)を目指すというのは甚だしく自己矛盾であると思う。だが、どこかでこの矛盾を打破しなければ同じ道を堂々巡りしていることに過ぎないようにも思う。もしそうであれば、目指す道の果てには行き着けないのだ。オーディオ仲間の HP には「余命幾ばく」という表現があちらこちらにあってこれがやけに心に響くのであるが、それは今の自分にとってもう避けて通れないものでもある。

比すれば優しく静かで心に染み渡るような音楽が好きなのであるが、時に荒々しく高揚されるような音楽もまた喜びである。チャレンジしたいことも(お遊びの範疇かもしれないが)まだまだある。ある日突然に自分にとっての美音が降って沸いてくるような僥倖は決してない(僅かに期待はするが、、、)ので、本当にやるべきことはそれが「不全を為す」の類であったとしてもやらねばならぬ。


next index back top