#047 番号のあふれる社会

1999/01/26

<前目次次>


 現代の日本では、様々なところに「番号」があふれている。我々の身の回りにあるあらゆる情報は、すべて番号によって管理されていると言っても過言ではない。

 子供の頃から馴染まされる番号の一つに、学校の出席番号がある。クラス内の生徒の一人一人に、通常五十音順に上から通し番号で割り振られる番号のことである。共学の学校の場合には、このときに大抵男子の方から先に番号が割り振られることから、これが男性優位社会の象徴であると言う識者もいるようだが、それはともかく、学校側がこの番号によって生徒を管理しやすくしていることは確かである。

 大学生にもなると、今度は学生番号というものが割り振られる。今時の大学なら、文系や理系にかかわらず計算機を使う機会が与えられ、電子メールのアドレスなども支給されるものであるが、通常は本人の名字なり名前なりのローマ字読みを基本にしてつけられるネームアドレスも、大学の場合だと学生証番号がそのままネームアドレスにされる場合が多い。そのため数字ばかりのネームアドレスになってしまい、誰のネームアドレスなのか外部の人間にはさっぱりわからない。まあ毎年何百何千とアドレスの改廃をしなくてはならない場合はこの方が管理が楽なのだろうが。

 さらに社会人となれば、運転免許証や銀行口座やクレジットカードやパスポートなども利用することになるだろうが、それらにもいちいち番号が書かれている。場合によっては10桁以上もあり、そんな長い番号は通常必要もないからもちろん憶えているわけがないのだが、たまに書類に書かねばならない場面に遭遇し、咄嗟にはわからず現物も手元になくて困ってしまうこともある。

 もっと身近なところでは、カラオケのリクエストやら、ビデオ録画予約にも番号が使われている。確かに曲名やら予約開始の時刻やらをいちいち入れるよりも、はるかに簡単に入力が可能なので便利である。時々番号を間違えて全然意図しない曲が出てきたり録画を間違えたりということもあるけれど。

 その他、スーパーで売っている商品にはバーコードがついているし、耐久消費財ならば各メーカーがつけた製造番号なんてものもついている。本にはISBNという番号がつくようになっているし、図書館にある蔵書の分類にも10進の番号が使われている。

 電話番号は生活の中でもっともよく使われる番号であろう。最近では携帯電話の爆発的な普及により、携帯電話の番号は早々に11桁となった。大阪エリアもついに10桁化し、市外局番を含めて9桁のエリアはなくなった。それにしても、日本全体で今や携帯電話も含め1億台はある一つ一つの電話を、高々11桁の番号で特定できるのだから、確かに便利な技術ではある。

 そして昨年からは郵便番号も7桁となった。この7桁の番号になると、住所表示の町名字名までが番号だけで特定できるようになる。言い換えれば、そのあとの「1丁目2番地3号コーポ鶴亀106号室」なんてのを「1-2-3-106」などと表すことにより、基本的には数字とハイフン(と若干のアルファベット)だけで、住所表示に漢字仮名を使う必要がなくなるということだ。実際この7桁郵便番号の施行とともに使われるようになった大口郵便用の「カスタマバーコード」というものは、この方法を使って住所を記号化している。だからと言って「162-0013-3-5-2」などと言われてもどこのことだか人間には分からないけれど。

 このように、なぜ我々の生活にかかわるありとあらゆるものに番号がつけられるのか。それはもちろん、番号にすると管理がしやすいからである。番号は極めて情報量を少なくすることが可能であり、特にコンピュータによる管理が非常に楽になる。番号であることがわかっていれば、コンピュータ内部では整数型という文字型とは別の変数型を使い、16bitで65536種、32bitならば4294967296種の番号を扱うことができる。文字型であれば通常32bitでは漢字2文字分にしかならないことを考えると、その効率の良さは大きな利点になる。そしてその簡略化した情報をインデックスにして、本来必要な情報を引き出すのに利用するわけである。

 しかし番号というか数字というものは、個人差もあるが、人間にとっては概して馴染みにくいものである。私はもともと数字が好きな方で、学生の頃から円周率を300桁そらんじることができるという何の役にもたたない特技を持っている人間なので、番号に対する抵抗はあまりないのであるが、こうも番号があふれていると、自分に関係する番号ですらいちいち覚えていられない。昔は30件くらいの電話番号をそらで言えた私も、今では携帯電話かたっぱしから番号登録させるようになり、それとともに他人の電話番号はどんどん忘れてしまっている。郵便番号も7桁化されてからは、他人の住所の郵便番号を覚えることは最初から放棄した。

 かくして今では、電話番号や郵便番号をいちいち検索しては、情報を引き出すということをやる羽目になっている。機械が扱いやすい番号を人間が調べて入力しなくてはならないなんて、やっぱり機械に使われているような気がするなあ。


<前目次次>