2003年11月のミステリ 戻る

ゴールデン・フリース (金の羊毛)
 
1990年作 ロバート・J・ソウヤー 内田昌之訳 ハヤカワSF文庫 296頁
あらすじ
乗員1万34人の大宇宙船<アルゴ>は47光年のかなたにあるエータ・ケフェイ星系第四惑星コルキスへ向かっている。宇宙植民地計画の第一号だ。往復20年かかって地球に戻ってきた時、地球では104年たっている計算。親しい人達はみんな彼岸にいっているはず。それやこれやと往路2年間の缶詰状態とで船には閉塞感と倦怠感がただよいはじめている。
そして地球日付2179年4月17日計画殺人が企てられ完全犯罪は成功するかに見えた。しかし被害者である天体物理学者ダイアナの元夫アーロン・ロスマンはふたつの事象から自殺説に疑問をいだく。
犯人は最初からわかっているというSF倒叙ミステリ。
感想
固い文章をガシガシ読んで読んで「日本語か?コレ」と状況を理解するのにのたうち回り、科学の説明は繰り返し読んでも訳わからず「あーアタシって頭悪いんやな」と自覚させられ、睡魔と戦いといった艱難辛苦を乗り越え疲れ果てるってのがSF小説やなかったの? それがSF小説の醍醐味じゃ?(マゾ気質か) と思っていたのになんて読みやすくて面白いんだ。いわゆる”コア”なSFじゃないから? 
閉鎖空間の「雪の山荘」モノと思っていたら想像を遙かに越えるおっきな話だった。「デッドマン・スイッチ」を仕掛けたのは結局どっちだったのかというシニカルなユーモアがいい。
 
宇宙人とコンタクトとろうとしている人達がいてはるやん。いつも「なんて善人達なん。」って思うの。その熱烈なラブコールに応えてひよっとやって来た宇宙人がものごっつ性悪やったらどうしょとか思わないんかな。地球人みてみ。宇宙人の一員やけどイスラムがどうやらキリストがどうやらユダヤが南北対立が昔あんな事されたとかいつももめているやん。友好的な異星人が来るか? 大航海時代と同じ植民地狙いかも。
というのは作者も同じ思いなのか、「さよならダイノサウルス」「イリーガル・エイリアン」も結構エイリアンに辛い。
おすすめ度★★★★1/2
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昭和歌謡大全集
 
1994年 村上龍 集英社文庫 212頁
あらすじ
昭和歌謡大全集
感想
作者の村上龍氏が「とげとげしい」気分の中で「スカッとした小説を書きたかった」時に書かれた小説で「オタクの少年とおばさんたちの殺し合い」という殺伐とした物語だが「情念とか文学性とか悲劇性とか」とにかくそういった近代文学にありがちな「ドロドロしたものを排除した作品」にしたかったそうだ。そして映画はもう6回見たとか。
ふーん。ラストが映画は違っていたのか。テンポはからっとしているがドロドロとしたものがないとは思えんな。そうそうスカッとしない。高度な読み方が必要なんかもしれん。映画「太陽を盗んだ男」に似ているようなまったく違うような。少年たちにはこの世界にまっとうな居場所がないって所は似てるな。「太陽を盗んだ男」は敵があやふやだったけれど「昭和歌謡大全集」のオタクの少年たちにとって敵は明確だ。そこが違うかな。「太陽を盗んだ男」は昔読んだSF短編小説に似ている。ある男がいて世の中は自分が生まれたから作られた世界と思い込んでいる。つまりその男にとってこの世は自分とともにあるのだ。妄想の世界と言ってもいい。そういう風変わりな世界観を持っている男は不治の病にかかっている。その男にとって自分が死ぬときは世界も終らなければならないのだ。まあ狂人の妄想ならそれですむはずだったが、男は核のボタンを押せるアメリカの大統領だった。
テポドンとかノドンとか聞くたびにこの小説を思い出すのよ。
おすすめ度★★★★
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本格的−死人と狂人たち
 
2003年 鳥飼否宇(とりかいひう) ミステリーリーグ 284頁
あらすじ
「変態」「擬態」「形態」の三講と補講の「実態」の4篇からなる理系本格的推理小説。舞台となるのは綾鹿市(あやかし)のとある理系大学。
感想
作品の完成度と目の付け所のユニークさでは第二講の「擬態」が抜けている。生物学科講師の上手(かみて)は研究対象の擬態を自ら行う。研究者の鏡である。
 
しかし圧倒的な存在感を見せつけるのは第一講の数理学科助教授の増田米尊(ますだよねたか)。増田は「世の中のあらゆる事象を数学的に解き明かしたい」という野望を持っているアブノーマルでありメタモルフィックな変態である。常識的には変質者に近いかもしれん。フィールドワークを最重視するという異端の数学者であり、助手の宮崎相手に「若い女性の性行動のパターン」を自慢げに解析しているシーンに(○_○;)。・・・・・
      「研究のためだ。きっと三浦くんもわかってくれるだろう。」
         「宮崎くん、(相手の男が誰か)気になるかね。ではちょっと想像してみようじゃないか」
おすすめ度★★★★1/2
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システム障害は何故起きたか−みずほの教訓
 
2002年 日経コンピュータ編 日経BP社 190頁
あらすじ
2002年4月合併直後に発生したみずほ銀行のシステム障害を追跡し2002年5月30日に緊急出版した書。第一部はみずほフィナンシャルグループの情報システム障害を徹底検証。第二部は他銀行の情報システム統合の奮闘を追ったルポルタージュ。第三部はみずほの事例から学ぶ教訓という三部構成になっている。
感想
最大250万件の口座振替未処理を起こした直接の原因はプログラムの不具合とテスト不足であった。
口座振替処理ではなく、突貫工事で作った旧3行へのデータ振り分け処理で障害が起こる。そうか。末の末の末席にいるさぼてんでも想像のつく障害だったのである。一見単純であるが繰り返しテストをしなければならない奥が深い処理だと思う。データのフォーマットが各顧客(東京電力、ガス)によって異なっていたためそれぞれ対応するプログラムが必要だったのだ。
 
諸悪の根源と日経コンピュータが断じているのは経営トップ旧3行の頭取。システム統合を現場任せにした情報システムオンチは罪が深い。現場任せにしたら「宴会ではグループ企業のピールしか飲まない」と言われるほど縄張り意識の強い銀行とその後ろに控えているコンピュータメーカー(富士通、IBM、日立)の争いになるに決まっている。誰が考えても。特に第一勧業銀行は各委員会に旧第一銀行と旧勧業銀行出身者を組にして送り込む事が多かったらしく興銀と富士の出席者を驚かしたらしい。一説では「四行合併」というらしい。
 
日経コンピュータはみずほ銀行のみならず「日本の情報システムは危機に瀕している」という。
たとえば銀行の勘定系システムは世界に例がないほど複雑かつ巨大らしい。ATMでどこの銀行へも瞬時に送金でき、しかも口座から自動振替できる。通帳まで出てくる。都市銀行で一億ラインと言われるシステムは(ラインっていうのは一行ね。IF you are NEO ?というので一行)、一人のエンジニアが開発できるプログラムを月に500ライン〜800ラインとすると、単純計算で千人のエンジニアが10年開発して出来上がる数値なのだ。このいたれりつくせりのシステムのためによりいっそう危機がつのる。IT技術とやらがいくら進もうがいまだプログラムは手作りなのだ。しかしそのシステムをお守りする、また新たに作り変えるだけの実力のある後継者がさほど育っていない(この不況の中大規模なシステム開発がない「失われた10年間」)。そして経営トップが情報システムにさほど感心がない。IT技術を魔法の杖と思いこんでいる。
 
読んでいて(わが身にとっても)経営者トップにむかむかするが、よく18日間で復旧したものだと思う。現場の人たちはえらい。こういう人たちが日本を支えているのだな。
経営トップがはたしてこの本を読んでいるのだろうか?「情報システムの問題のかなりが経営(マネジメント)の問題であって技術の問題ではない。」である。重役でもある部門長は読んでないな。いまだに「IT技術を使って経営を動かす(反対だと思うが)」なんて事ばかり言っているもんな。最近は「若手のリーダーを育成する」なんてていよく言って「丸投げの王子様」状態。来年は異動濃厚のため「後はまかせたー(道は作った。<これみんな言うネ)」って感じ。
おすすめ度★★★★1/2
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