ベートーベンは生涯を通じてピアノの音域の拡大を経験し続けたという点で珍しい作曲家ですが、
ベートーベンの晩年はショパンの少年期だったので、
ショパンの少年期の作品に同様な音域拡大が見られます:
譜例1. ショパン7才から16才までの主要作品で使われた音域
ショパンの生家にある
ショパンの少年時代のピアノ(筆者撮影)をよく見ると、
F1からF7までの73鍵のピアノです。
1821年(ポロネーズ第14番嬰ト短調)から1825年(ポロネーズ第8番ニ短調)までの3曲がこのピアノで作曲されたことは間違いないでしょう。
一方1826年のポロネーズ第15番変ロ短調では最下音がD♭1まで達しているので、
この時点でショパンはC1からF7までの78鍵のピアノを手にしたと思われます。
以後はこの音域を逸脱する曲を書いていません。
ちなみに主な大曲の音域を示しましょう:
譜例2. バラード、スケルツォ、ソナタ、幻想曲の音域
これを見るとベートーベン前半のソナタ群と似たようなことが起きています。
すなわち、
調性によらずピアノの音域がめいっぱい使われています。
これは(1)ショパンにとってこの音域は足りなかったか、
(2)与えられた音域をめいっぱい使う習性がショパンにあったかのどちらかを意味しています。
赤字で三カ所「注」と書きましたが、
これはショパンのオリジナル楽譜ではC1-F7をはみだしていないが出版社によってははみだした楽譜がある曲を示しています。
スケルツォ第3番とソナタ第2番については
「ショパン全作品を斬る」1839年の項で説明しましたのでそちらを参照してください。
「幻想曲」についてもいずれ書き加えますが、
音域の問題についてはここで触れておきましょう。
第112小節目、
ほとんどの出版社の楽譜は次のようになっています。
パデレフスキー版でさえもそうなので、
筆者はこれはおかしいと思っていました。
譜例3. 幻想曲第112小節目
しかしヘンレ版だけは次のようになっていて、
C1-F7を逸脱しないようになっています。
譜例4. 幻想曲第112小節目(ヘンレ版)
この部分に関しては、
ヘンレ版は史料として扱い、
演奏用には譜例3を使うのが適当でしょう。
ところで「ショパン全作品を斬る」練習曲作品10の1では
「ピアノの音域不足からショパンが泣く泣く変えたと思われる部分がある」と書きましたが、
譜例表示をしていませんでした。
ここでそれを譜例表示しましょう:
譜例5. 練習曲作品10の1第25小節目
ここだけ上昇下降のパターンが崩れて最高音のところで折り返しています。
(この曲の最後にも似たような部分がありますが、
それは音楽的に明らかに折り返す音型であるべきで、
第25小節目のようにそこ1カ所だけ突然パターンを崩しているのとは異なります。)
ショパンがもっと音域の広いピアノを持っていた場合こうしたであろうと思われる楽譜は次のようなものです。
譜例6. 練習曲作品10の1第25小節目(筆者改変案)
ショパンは最晩年にA6まである82鍵のピアノを手に入れました。
それはユゼフ・カンスキ著/安川加寿子監修・小原雅俊訳「ショパン」第1版、恒文社(1981年) ISBN-4-7704-0452-2に掲載されている現物写真を見ればわかります。
しかしそれでもショパンの全作品は78鍵にとどまっています。
最晩年の作品は内省的なものが多く、
A6までは必要なかったということなのでしょう。
現代のA1-C8の88鍵のピアノを若い頃のショパンに供したかったと思うのは筆者だけではないでしょう。
[2000年9月30日 記]