ショパン全作品を斬る

      

1847年(37才)〜1849年(39才)


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 いよいよ最後のページとなった。 これよりショパン最後の3年は3つのワルツ以外に自ら出版した作品はない。 全部でも8曲しかないので、 最後の3年はこの一つのページにまとめて記載する。
 ショパンは親しかった姉のルトヴィカをはるばるポーランドから呼んだ。 ルトヴィカは臨終に間に合った。 ショパンはルトヴィカとともに故国へ戻るつもりだったが、 病状の悪化はそれを許さなかった。 1849年10月17日、 ルトヴィカに看取られショパンは息をひきとった。 ショパンの遺言どおりモーツァルトのレクイエムのもとに葬式が行われ、 参列者が長蛇の列を作った。 ジョルジュ・サンドは臨終にも葬式にも来なかった。 (しかし誰がそれを責められよう。) そして遺言通り心臓だけはルトヴィカがポーランドへ持ち帰り、 ポーランドの土がかけられ、ワルシャワの聖十字架教会に眠ることとなった。 ショパンの遺骸はパリのペール・ラシェーズ墓地に眠ることとなった。 緑の木々に囲まれた静かなこの墓地にあるショパンの墓にはジョルジュ・サンドの像とショパンの肖像の石碑が造られている。 そしてショパンと親交のあったバルザックやドラクロワも近くに眠っている。 後世の作曲家であるビゼーやエネスコの墓も近くに建てられている。

 ポロネーズに始まったショパンの創作活動はマズルカで終わった。 病身でさえなければその先どんな傑作が生まれるはずだったのか、 そのとき彼の脳には刻まれていたかもしれないその素材も、 今となっては誰にもわからない。 死の直前ルトヴィカを呼んだショパンの手紙から引用してこの連載を終わりたい。
「姉さん、すぐ来てください。 僕は病気です。 旅費が足りなかったら借金してください。 元気になってまた作曲すればすぐ返せます」

(完)


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