ショパン全作品を斬る
1846年(36才)
次は
1847年(37才)〜1849年(39才)
♪ 前は
1845年(35才)
♪
目次
♪
音楽の間
に戻る ♪
詠里庵ホーム
に戻る
サンドと別れた年である。 その前の年の歌曲「なくてはならぬもののなき」そのままに、 ショパンには病気以外何も残っておらず、 サンドと別れたことでショパンの人生も次第に生彩を失って行くことになる。 そんな中で作曲上は最後のひと輝きを放った年である。 この年の大作は3つ、「幻想ポロネーズ」「舟歌」「チェロ・ソナタ」である。
[223] ノクターン第17番 ロ長調 作品62-1
作品62の2つのノクターンは同1846年出版。 R. ドゥ・ケンネリッツ嬢に献呈。
この曲と次のノクターンはあまり自己主張を持たないが、 フォーレの世界につながる柔和な雰囲気に満ちている。
譜例1
この曲で面白いのは再現部で旋律の音すべてにトリルがついて現れるところである。 プロコフィエフのバイオリン協奏曲第1番 (この世ならぬ美しいバイオリン協奏曲) で第1楽章冒頭の主題が第3楽章の最後に現れるとき全ての音にトリルが付くが、 その効果と似ている。
[224] ノクターン第18番 ホ長調 作品62-2
作品62の2つのノクターンは同1846年出版。 R. ドゥ・ケンネリッツ嬢に献呈。
優れた無言歌である。 主題はメゾソプラノのアリアのようだ。
譜例1
中間部は別れの曲に似たリズムの嬰ハ短調である。 主部と対比的なAgitatoであるが極端に激しいわけではない。 不安げな表情を見せ、 主部の再現を引き立てる。
[225] ポロネーズ第7番 変イ長調「幻想」作品61
原題はPolonaise Fantasie(ポロネーズ幻想曲)。 作曲年の1846年出版。 アン・ヴェレ夫人に献呈。
独奏曲としては「舟歌」とともに最後の大曲傑作である。 この「幻想ポロネーズ」は実に素晴らしい作品であるが、 私としては感嘆を通り越してどことなくとまどいさえ感じなくもなかった曲である。 それがなんであるか表現するのは難しいのだが、 言ってみれば、 人間36才にしてここまで枯れるか、 というようなものである。 (もっとも、 31才で死んでしまったシューベルトは最初から枯れていたとも言えるが。) 特にこの曲の前半はつぶやくような地味な幻想曲であり、 それをまた本来快活なはずの「ポロネーズ」で作曲しているものだから、 何か不思議な感じがする。 たとえばスケルツォ第2番を聴けば手放しで開放的快感に浸れるというのとは異なり、 あくまでも落ち着き払った感動を与える曲なのである。 冒頭のカデンツァ風導入からして瞑想の雰囲気に引き込まれる。
譜例1:冒頭
しばらくして現れる主題も、 リズムこそポロネーズだが、 属和音と主和音の静かなやりとりに彩られる旋律は禅問答のようでさえある。
譜例2:主題
副主題はさらに侘び寂びの世界である。
譜例3:主題
このまま終わると気が滅入るような曲になってしまうが、 後半は音楽的にもピアノ技巧的にも盛り上がるので、 最後の開放感を予想すれば安心してこの第一級の音楽作品に接することができる。 しかしどんなに盛り上がっても熱狂的というのでなく、 この曲では知的なまでにストイックなクライマックスが築かれる。
[226] マズルカ第39番 ロ長調 作品63-1
作品63の3つのマズルカは翌1847年出版された。 ロール・チョスノフスカ夫人に献呈。
土俗的な舞曲のようなクヤヴィヤクとマズルのリズムが入り交じったマズルカ。 こんなマズルカこそショパンのエネルギーの根源かも知れない。
譜例1:
[227] マズルカ第40番 ヘ短調 作品63-2
作品63の3つのマズルカは翌1847年出版された。 ロール・チョスノフスカ夫人に献呈。
意識が薄れて行くような力無い短調ワルツやクヤヴィヤクをショパンは晩年にいくつか書いているが、 これはその一つ。 そういうカテゴリーの曲と思えば、 独特の雰囲気が感じられる。
譜例1:
[228] マズルカ第41番 嬰ハ短調 作品63-3
作品63の3つのマズルカは翌1847年出版された。 ロール・チョスノフスカ夫人に献呈。
出だしはワルツ10番ロ短調のようにムードミュージックばりの甘い旋律であるが、 ワルツ10番よりこのクヤヴィヤク嬰ハ短調の方がずっと訴えるものがある。 何が違うのか? 一つは旋律の推移の仕方が違うという他はない。 甘すぎず、練れていることであろう。 もう一つは最後の方で対位法的処理が現れるが、 これがひときわ後味良い印象を残すからと思われる。
譜例1
[229] マズルカ第47番(ヘンレ版第45番)イ短調 作品67-4
第44番(ヘンレ版第42番)ト長調 作品67-1[112]
、
第45番(ヘンレ版第43番)ト短調 作品67-2[240]
、
第46番(ヘンレ版第44番)ハ長調 作品67-3[113]
を含む作品67の4曲は1855年フォンタナ出版。
一聴してワルツ3番路線と思われるであろう。 寂しげなマズルカでありながら、 モダンな感覚に溢れる洗練さも持ち合わせている。 行きつ戻りつゆらゆら揺れる旋律は何か現代人の不安定な心理状態にマッチしている。 MJQ(古いか?)のスローバラード風にアレンジしたら合いそうな曲である。
譜例1
[230] バルカローレ(舟歌)嬰ヘ長調 作品60
作曲年の1846年出版。 ドゥ・シュトックハウゼン男爵夫人に献呈。
独奏曲としては「幻想ポロネーズ」とともに最後の大曲傑作である。 8分の6拍子が多い舟歌をショパンは8分の12拍子で書いている。 それだけ息の長い動機ということで、 より雄大な波に乗る舟歌の感じを出している。 タランテラの草稿をフォンタナに送ったときショパンは 「とりあえず6/8拍子で書きましたが、 ロッシーニのタランテラを調べて下さい。 6/8拍子だったらそのままでいいけれど 12/8拍子だったらこれの清書のとき変えて下さい」 と、 拍子はどうでもいいようなことを書き送っているが、 この舟歌に関しては自らの意志で12/8拍子で書いたと思われる。
3小節の前奏と2小節の先行伴奏の後、 音楽の幕開けにふさわしい次の主題が奏される。
譜例1
休符から始まるテーマはモダンな感じを与える。 バラード第3番第2主題、 バラード第4番第2主題、 幻想曲第1主題、 ソナタ第3番第1楽章第2主題、 ノクターン第13番冒頭などと同様に。 途中嬰イ短調のパッセージを経て主部が終わると、 イ長調の中間部に入る。 ここはリズムが小節4等分を単位とし小刻みになる。 何か急流にさしかかったような感じであるが、 右手は狭い音域をさらに息長く4小節を必要とする旋律を奏でるので、 独特の雰囲気がある。 イ長調主和音はそのままナポリ6和音の機能を与えられ、 テーマ後半はいきなり嬰ト長調に解決する。 続いて同様な繰り返しで嬰ヘ長調→嬰ヘ短調となって自然にイ長調に戻る。 中間部後半第62小節からは動きのある新しい旋律が始まるが、 ここは主部の雰囲気を思い起こさせる。 それも長く続かず第71小節から流れがよどむように速度を落として多少不気味な雰囲気に落ち着く。 第78小節目からリズムがブレイクしカデンツァ気味のレシタティーヴォが嬰ハ長調で奏され、 嬰ヘ長調属七となって再現部に突入する。 主題がスケール大きく奏されたあとすぐに中間部後半の主題がピウモッソで華々しく奏され、 103小節目からはTempo Iでコーダに入る。 よくある激しいコーダとは異なり、 中間部前半の動機を借りた新たな旋律であるが、 主部や中間部との関連を示しながら曲の終わりが近いことを示唆する優れたコーダ旋律だ。 嬰へオルゲルプンクトに乗るこの部分の和声は当時としては非常に複雑で素晴らしい音楽を形作っている。 113小節目からはダメ押しのコーダで右手32分音符の流れる音型のもとで左手が新しい優美な旋律を奏でて終わる。 ところで譜例1の伴奏形であるが、 前奏曲作品28第3番ト長調のリズム練習をするとその類似性に気付く。
譜例2
また私事で恐縮であるが、 この曲には個人的な思い出がある。 イギリスには音楽院をノンプロにも開放する仕組みがあるが、 イギリスに住んでいた頃私もそれを利用し、 レッスンについたり練習室を借りたりしていた。 ある日練習室でこの舟歌を練習していたとき、 弾いている最中にもかかわらず若い男がノックもせずバーンと入って来て 「そこはどういう指使いにしている?」 などと、いきなり話しかけて来るのだ。 日本では考えられない強引さだが、 それをきっかけに親しくなり、 いろいろ情報をもらった。 たとえば、 その音楽院にVovka Ashkenazy (Vladimir Ashkenazyの息子) が教師として来ているから教わるべきだ、 と勧められ、 残っていた3ヶ月の滞在期間中教わることになった。 それもこの学生が強引に侵入して来なかったらなかった話である。
[231] ギャロップ・マルキ 変イ長調(遺作)
1990年出版。献呈はなし。
次項「二つのブーレ」とともに作曲の動機がよくわからないが、 ショパンもおふざけで子供が作るような曲を作ることがあるのだな、 と思わせる。
譜例1
しかし歌曲のための伴奏のスケッチだったのかも知れないと想像を働かせれば、 あながちおふざけでなかったのかも知れない。 マルキとはサンドの飼っていた犬の名。 サンドと別れる前か後かはともかく破綻している年なのに、 題にマルキと付けるとは、 ショパン側からはサンドに未練があったことを示す以外の何ものでもない。
[232] 二つのブーレ(遺作)
1968年出版。献呈はなし。
子供のための練習曲のような単純な曲。 前のギャロップ・マルキとともに作曲の動機がよくわかっていない。 両ブーレとも(弾かれるとすれば)同じ速度で弾かれることが多いだろうが、 第1ブーレは歌のように、 第2ブーレを高速で元気に弾いてもいいと思われる。
譜例1
[233] チェロ・ソナタ ト短調 作品65
翌1847年出版。 オーギュスト・フランショームに「我が友・パリ音楽院教授」という言葉を添えて献呈。
ショパンが作曲した最後の大曲である。 そしてショパンが自ら作品番号を付して出版した最後の曲でもあるので、 この「チェロ・ソナタ」はショパンの白鳥の歌と呼ばれることがある。 チェリストのフランショームは若い頃からの友人で、 彼と共演するために書かれ、 実際にこの二人が初演した。 室内楽であることをさておけば、 これはピアノソナタ第3番ロ短調に続く第4のソナタとも言うべき大変スケールの大きな傑作である。
第1楽章は冒頭から主題がピアノで奏される。 ピアノソナタ第3番冒頭にも似て決然とした主題だが、 ピアノソナタ第3番ほど緊迫感を強いない、 落ち着いた旋律である。 そしてこれがチェロでも繰り返される。
譜例1
しばらくして現れる次のパッセージは経過句にしては性格が強く、 印象に残る。
譜例2
これは協奏曲によく見られる二つ目の第一主題 (たとえばショパンの二つのピアノ協奏曲やモーツアルトの協奏曲では冒頭オーケストラが奏する第一主題に加えて独奏が現れるときに二つ目の第一主題を奏する) と言えなくもない。 それにしては仰々しく現れず出現の仕方がスムーズ過ぎるが、 展開部でも重要な役割を果たすことは確かである。 そして半音階下降を主体とする変ロ長調の第二主題が来る。
譜例3
半音階下降の旋律自体は珍しくなくモーツァルト交響曲第40番第4楽章第2主題にも見られる。 しかしこのショパンの主題はスクリャービン的けだるさが感じられ (ソナタ第5番第2主題やソナタ10番のFメジャーセブンの主旋律を想起されたい)、 どこか近代の響きがする。 そして提示部の終わり、 チェロの長い低音音符に乗りピアノが機関車のような和音連打をラフマニノフのように打つ終結句。 速度を緩めずに盛り上げるこの凄まじい迫力に耳を奪われない者はいまい。
譜例4
展開部は静かな流れを基調とし、 ピアノソナタ第3番第1楽章の展開部の後半のような様相を呈する。 この展開部は第1主題を基調としていることから予想される通り、 再現部は得意の方法、 つまり第2主題から入ってしまう。 そして再現部の終わり、 先ほどの素晴らしい機関車の終結句が主調のト短調でしっかり現れ、 聞く者の期待を裏切らない。
第2楽章はニ短調のスケルツォ。 鋭いセンスが光る。 そもそもチェロの音域でスケルツォを書くのは難しいと思われる。 ショスタコーヴィチの交響曲第5番のスケルツォやサンサーンスのパロディー「動物の謝肉祭・象(コントラバスだが)」のようにおどけた感じを前面に出す手もあるが。 この曲でショパンはシリアスでいながらどことなくウィットにも富んだスケルツォを書くことに成功している。
譜例5
途中の流れるような旋律は例の「一音下がって繰り返すメロディー」である。
譜例6
第3楽章は変ロ長調の緩徐楽章。 チェロのメロディーにもピアノ伴奏にもフォーレを思わせる情感が感じられる。 かと思えばメンデルスゾーン「ピアノトリオ第1番」の第2楽章の雰囲気もあるし、 ブラームスの緩徐楽章的とも言える。
第4楽章はト短調のロンド。 付点リズムと3連符による動きのある主題は短いモチーフを組み合わせて複雑で長い旋律を作っており、 凝ったものになっている。 この旋律は「
カノンヘ短調
」をより研ぎ澄ましたものである。 この他にハ短調で現れるブラームス的第2主題、 それにハ長調で現れる第3主題(あるいは終結句的性格のパッセージ)が組み合わされたロンド形式で、 一貫して途切れない活力で走りきる曲想はフィナーレにふさわしい。 コーダは第1主題と第3主題が入り乱れ、 最後コーダのコーダはチェロの和音連奏に乗りピアノソナタ第3番第1楽章のコーダのような上昇と下降の麗しい音型をピアノが奏して終わる。
次の1847年に作曲し出版されたワルツの作品番号は64であるが、 ショパン自ら番号を付け出版した最後の作品番号は65、 それはこのチェロソナタで、 ワルツと同じく1847年に出版された。 こうしてロンド第1番から始められたショパン自らの出版は、 この最高級の音楽の出版をもって終止符が打たれた。
次は
1847年(37才)〜1849年(39才)
♪ 前は
1845年(35才)
♪
目次
♪
音楽の間
に戻る ♪
詠里庵ホーム
に戻る