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menu タイトル・年表で見る藤井寺市の歴史  site map
古墳時代までのようす
年 代 藤井寺市域と周辺であったできごと 国内一般・世界
旧石器時代




縄文草創期
縄文草期
縄文前期

縄文中期


縄文後期


縄文晩期

弥生前期



弥生中期




弥生後期





古墳前期


古墳中期





古墳後期
2万5千年前


1万3千年前

1万2千年前
前7千年頃
前4千5百年頃

前3千年頃


前2千年頃


前千年頃

前3世紀頃



前1世紀頃

(57年)

(147〜189年頃)




(239年)
国府型ナイフ形石器が使われる。藤ヶ丘のはさみ山遺跡(梨田地点)で竪穴住居に住む人々がいた。
翠鳥園遺跡
(現羽曳野市)旧石器製作のムラができる。青山(青山遺跡)にムラができる。
大阪湾は陸化していた。
府下各地で有舌尖頭器の文化が普及する。

山添村
(奈良県 大川遺跡)にムラができる。
 (※山添村は藤井寺市の友好都市)
生駒山周辺に押型文土器を持つ人々が現れる。土偶信仰が始まる。
惣社
(国府遺跡)にムラができる。
河内平野は内湾
(河内潟)となり、マッコウクジラも入ってきた。(約5千年前)
西大井
(西大井遺跡)にムラができる。
河内平野は泥海化し、瀬戸内系の土器文化が入ってくる。上町台地の東縁の森之宮で海産貝類を
主とする貝塚の形成が始まる。
(林遺跡)にムラができる。
河内湾周縁が淡水化し、大和川水系の河口付近などをはじめとする集落が増えてくる。
磨消縄文の土器が普及、土器の器種が増えてくる。
土師の里
(土師の里遺跡)にムラができる。
河内湾の淡水化が進み、潟湖(河内潟)に変わる。淀川・大和川水系地域に埋甕の風習が伝えられる。
惣社
(国府遺跡)や船橋(船橋遺跡)にムラができる。
環濠を持つ農耕集落が水辺低地に営まれ始める。方形周溝墓が造られ始める。
惣社や船橋のムラがさらに大きくなる。
石器の武器が大量に作られる。
河川氾濫で、埋没したムラもできる。
淀川の北と南に高地性集落が出現する。
青銅器の鋳造が始まる。
瀬戸内・大阪湾沿岸各地に高地性集落が営まれる。
武器・石器が盛んに作られる。土器に凸線文が用いられるようになる。
羽曳野市西浦の銅鐸が作られる。
惣社・船橋・大正橋
(大正橋遺跡)にムラができる。
貨泉
(中国の銅銭)を持つムラがあった
新しい集落が増え、再び高地性集落も営まれる。
大阪湾沿岸で製塩を行う。

玉手山丘陵に前方後円墳が造られる。小山
(小山平塚遺跡)にムラができる。
淀川・大和川水系の見晴らしの良い丘陵上に古墳を築く。
三角縁神獣鏡が副葬される。
津堂城山古墳・岡古墳が造られる。仲津山古墳が造られる。誉田御廟山古墳・西墓山古墳が造ら
れる。市野山古墳・野中古墳・土師の里8号墳が造られる。岡ミサンザイ古墳が造られる。
大阪南部沿岸に大型の前方後円墳が築かれる。
古墳が平地に築かれるようになる。
古市・百舌鳥の二大古墳群の造営が始まる。感玖の大溝が掘られる。
大阪南部で須恵器の生産が始まる。河内湖畔の川縁で馬の飼育が始まる。
峯ヶ塚古墳・野中ボケ山古墳が造られる。一須賀古墳群・平尾山古墳群・高井田横穴群・高安古
墳群が造られる。
陶邑
(現堺市)の須恵器が生産最盛期となる。
横穴石室が普及し、古墳は小型化する。各地に群集墳が形成されるようになる。
各地でナイフ形石器が使われる

ウルム氷期の最盛期
各地で細石刃が使われる、各地で有舌
尖頭器が使われる

B.C4000〜5000 黄河中流域で畑作、長
江下流域で稲作が始まる

気候温暖化による縄文海進


B.C3000頃 メソポタミア・エジプト文明、
B.C2500頃 インダス文明おこる

瀬戸内・畿内・九州・関東など広範な文
化の交流が見られる
集落が現れる

唐津湾や博多湾沿岸地方で稲作が始
まる
石器と金属器が併存したが、生活の利
器は石器が中心である
B.C500頃 仏教成立
B.C221 秦の始皇帝、中国を統一



B.C 37 高句麗おこる
B.C 27 ローマ帝政始まる

倭の奴国王が後漢に朝貢し、光武帝か
ら金印を授けられる
倭国で大乱が起きる





倭の女王・卑弥呼が魏に使者を送って
朝貢する  各地に墳丘墓が出現する
大和に大型前方後円墳が多く築かれる
出雲地方に四隅突出形方墳が出現

346 百済おこる
356 新羅おこる
明石海峡を見下ろす五色塚古墳が築
造される
飛鳥時代以降のようす
支配・合戦 行政・公共施設 教育・保育 鉄道・道路・橋 文化財・寺社 民営事業等 災害・その他の出来事
年・月 和暦 藤井寺市域と周辺であったできごと 国内一般・世界
600. 2
.
1
.
1
604. 
1613.11
616. 
672. 1
684.12
.
1
推古 8


   12
   21
   24
天武 1
13
来目皇子、筑紫に薨ず。土師連猪手を遣わし殯の事、後に河内・埴生山の岡の上(現羽曳野市)に葬る。
藤ヶ丘
(はざみ山遺跡)、北岡(北岡遺跡)に新しいムラができる。
この頃、古市大溝が造られる。衣縫廃寺・船橋廃寺ができる。

土師寺
(旧道明寺伽藍)・拝志廃寺(林地区)が建立される。(羽曳野市の西琳寺も推古朝の創建か)
難波から京に至るまで、大道を置く。

この頃から狭山池の築造が始まる。
この頃、大津道(現長尾街道のもと)・丹比道(現竹内街道)の両道が存在している。
大唐学生土師宿祢甥(菅原道真5代前の先祖)、白猪史寶然ら、新羅を経て帰朝する。
大伴連、土師連ら宿禰姓を賜る。
(14氏に宿禰姓)
 538 百済聖明王により仏教伝来
  593 四天王寺建立
 603 冠位十二階を制定
 604 厩戸皇子、憲法十七条制定
  607 法隆寺建立
  6
18 随が滅亡し、唐が建国
 630 遣唐使が始まる
 645 大化の改新(乙巳の変)
 
660 百済滅亡
 663 白村江の戦いで敗退
 
668 高句麗滅亡
  669 中臣鎌足、藤原姓を賜う
 672 壬申の乱
 
676 新羅が朝鮮半島を統一
 694 藤原京に遷都
708. 1


720. 5
734.
1
739.
1
742.12
和銅 1


養老 4
天平 6
11
14
餌香市(恵我の市 河内国府の近くと推定される)が栄える。林から平城京に酒が運ばれる。
藤井寺市域の国府・惣社地域に「河内国府」が置かれる。岡
(北岡遺跡)に役所が置かれる。
河内国分寺が建立される。
(現柏原市内)

白猪史の氏を改めて「葛井連」とする。
この年、「古市大溝」決壊か。

この頃、万福法師により「河内大橋」が架けられるか。
(天平勝宝6年9月完成)
船連次麻呂は、河内国丹比郡野中郷に居住し、華厳経を読誦できた人物として記録される。
  701 大宝律令完成(翌年施行)
 708 和同開珎の鋳造
  710 平城京に遷都





 743 墾田永年私財法を制定
 752 東大寺大仏殿の開眼供養
 771 東大寺造営が完了
 781 桓武天皇即位








 794 平安京に遷都
  800 富士山噴火
 
875 唐で黄巣の乱
  901 昌泰の変、菅原道真左遷
 
935 新羅滅亡
 
936 高麗が朝鮮半島を統一
 
979 宋が中国を統一
781. 6
782. 5
785.10
788. 3

790.12

791. 1
799. 3

867. 2
天応 1
延暦 1
4
7

9

10
18

貞観 9
土師宿禰古人(菅原道真の曾祖父)15人が「菅原」姓を願い出て、勅許される。
土師宿禰安人らが姓「秋篠」を願い出て、兄弟男女6人に許される。

河内国で30ヵ所の堤防が破壊、延べ30万人7,000余人を動員して修築する。
摂津大夫和気朝臣清麻呂、河内・摂津両国の境に川を掘り、堤を築いて大和川を大阪湾に通じさせる工事
 計画を提出したが、工事は失敗に終わる。

高野朝臣乙継・(妻)土師宿禰真妹(桓武天皇の外祖母)に正一位を追贈し、土師姓を改めて大枝朝臣とする。
菅原宿禰道長・秋篠宿禰安人らに
「朝臣」を、土師宿禰諸士に姓「大枝朝臣」を賜う。(土師氏は四流に分家)
葛井連道依、船連今道らの言上により宿禰姓を賜う。
菅野朝臣真道らが、先祖である葛井・船・津の3氏の墓地は、河内国丹比郡野中寺以南にあり、この地を荒らす
 ことを禁じてもらうように奏言する。

志紀郡林氏神(伴林氏神社)、辛国神社(辛國神社)、官社に預かる。
1020. 1
1023.10
1064. 4
寛仁 4
治安 3
康平 7
この年、源満仲の三男頼信、河内守として古市郡に赴任し、壷井の里に居館を構え、石川源氏始まる。
藤原道長、高野山参詣の帰途、道明寺に至る。
仲哀天皇陵の四至(四方の境界)を定め、射狩樵採(狩猟や木々伐採)を禁止する。 
1016 藤原道長、摂政となる
1051 前九年の役
1054 東西教会が分裂
1075 後三年の役
1096 第1回十字軍遠征
1127 北宋滅亡、宋の復興(南宋)
1156 保元の乱
1159 平治の乱
1180 源頼朝、伊豆で挙兵
    平氏、南都(奈良)を焼き討ち
1185 壇ノ浦で平氏が滅びる
1192 源頼朝、征夷大将軍となる
1221 承久の乱
    後鳥羽上皇、隠岐に流される
1271 モンゴル国号を元と称する
1274 文永の役(蒙古襲来)
1279 南宋滅亡
1281 弘安の役
1299 オスマン・トルコ建国
1318 後醍醐天皇が践祚
1331 楠木正成、赤坂城で挙兵

1332 後醍醐天皇、隠岐に流される
1333 鎌倉幕府崩壊、建武の新政
1336 楠木正成、兵庫湊川で戦死
    後醍醐天皇吉野に脱出、南北朝
    の抗争が始まる
1338 北畠顕家、和泉国石津で戦死
    足利尊氏、征夷大将軍となる
1348 楠木正行、河内国四条畷で戦死
1368 元滅亡 朱元璋、明を建国
1392 李成桂、朝鮮(李氏朝鮮)建国
1246.10

1286.
1
1348.11
1354. 7
1361. 6
12
 
寛元 4

弘安 9
貞和 4
文和 3
康安 1
 
叡尊、土師寺(道明寺)において、河内一国の諸宿文殊供養をとげる。その夜、土師寺において、菩薩戒を
 
236人に授ける。
道明寺蔵の聖徳太子孝養像造立(胎内納入経巻・願文)
幕府、河内国剛琳寺(葛井寺)の寺領を安堵(所領を保証する)する。
後村上天皇、剛琳寺境内での乱暴を止める。
京畿大地震により、四天王寺金堂が転倒し、難波浦に大津波が来る。

「河内守楠木正儀、剛琳寺へ人夫以下臨時非分の課役を停止せしめる。(『藤井寺市史・補遺編 年表』より)





 
1455. 6
1458.
1
. 8

1493. 3
1494. 9
康正 1
長禄 2


明応 2
3
畠山義就、河内道明寺川原(石川)で畠山弥三郎軍と戦う。
春頃、岡村入道反銭未進と称し、剛琳寺に乱入する。
「剛琳寺本寺南都東金堂、岡村兵庫助入道父子の悲法を鳴らし、小守護中村助通丹南郡代桑原某らに奉書を
 下す。
(『補遺編 年表』より)
畠山政長、藤井寺を占拠する。高屋城(現羽曳野市・高屋築山古墳)の攻防が始まる。
朝廷、葛井寺の奉加に太刀を寄進する。 
1404 日明貿易(勘合貿易)開始
1405 オスマン・トルコ再興
1429 尚巴志、琉球統一(琉球王国)
1467 応仁の乱始まる
1510. 88
.11
1575. 4
.11
1580. 4
1582.
1
1583. 8
1594.
1

.12
1601. 1
永正 7

天正 3

8
10
11
文禄 3


慶長 6
畿内に大地震起こり、葛井寺の堂塔伽藍が倒壊する。
葛井寺再建のための勧進帳が作成される。 
織田信長、若江・不動坂・駒ヶ谷・道明寺川原(石川)に陣取り、高屋城(現羽曳野市)を攻める。
信長、道明寺尼僧に帰寺の朱印状を発する。
信長が佐久間甚九郎らに葛井寺に支配と治安を保証した禁制を出させる。
織田信孝(信長の三男)、丹羽長秀に道明寺領を安堵させる。
羽柴秀吉、道明寺に知行100(米の取れ高100石分の所領地)を保証する。
太閤検地の結果、古室村の村高310石余のうち、200石が誉田八幡社領として朱印状によって与えられ、
 
110石余は豊臣直領となる。
秀吉から道明寺に寺領170石2斗の朱印状が与えられる。
豊臣秀頼、葛井寺四脚門
(現西門)を建立する。(南大門として寄進。後に西門として移設。)
1517 .ルター、宗教改革
1543 コペルニクスの地動説
1543 種子島に鉄砲伝来
1549 キリスト教伝来
1575 長篠の合戦、武田軍敗退

1582 本能寺の変、織田信長死す
1583 秀吉が賤ヶ岳で柴田勝家を破る
       秀吉、大坂城を築城開始
1586 秀吉、太政大臣となり豊臣姓に
1590 秀吉の全国統一完成
1592 朝鮮出兵(文禄の役)
1597 朝鮮出兵(慶長の役)
1600 9月 関ヶ原の合戦

1600 英国、東インド会社設立
1603. 9
1612.
1
1614.10

1615. 5


1620.
1
1621. 
1631. 1
1633. 1
1643. 1
1677. 1
1685.
1
1686. 6
1688. 1
1693.
1
慶長 8
17
19

元和 1


6
7

寛永 8
10
20
延宝 5
貞享 2
3
元禄 1
6
徳川家康、道明寺に朱印状を与える。 摂津・河内・和泉の3国は豊臣秀頼領となる。
九条師輔の子孫・本多権右衛門尉正次が、浄土真宗本願寺派の中津山極楽寺(現藤井寺市沢田)を建立。
大坂冬の陣が始まり、道明寺など藤井寺市域は、徳川・豊臣の戦場となる。
豊臣秀頼が葛井寺を再興する。
大坂夏の陣(4〜5月)が起こり、石川・道明寺河原から玉手山(現柏原市)に掛けて後藤又兵衛や薄田隼人ら
 が激戦したが、道明寺に直接的な被害はあまりなかった。

大坂夏の陣が終わり、藤井寺市域は徳川氏直轄領・旗本領及び大小の大名領に分割支配される。
大和川(旧大和川)の大洪水が起きる。
野中村と軽墓村(現羽曳野市)が芦之池(芦ヶ池)をめぐって争う。
 
野中村が飛ヶ城池・今池を藤井寺村に譲渡する。(両池は現在の羽曳野市域に在るが、野中村の所有だった。)
大和川(旧大和川)の大洪水が起きる。
この頃、沢田村で甲州種のブドウの栽培が始まっている。
野中村と軽墓村が芦之池
(芦ヶ池)の所有権をめぐって争う。
野中村と軽墓村が芦之池
(芦ヶ池)の水利用をめぐって争う。
藤井寺村ほか6ヵ村が王水井路の水利用をめぐって誉田村(現羽曳野市)と争う。
野中村と軽墓村が芦之池(芦ヶ池)の水利用をめぐって争う。
大井村の盛光寺が誓願寺と改称する。
1603 2月徳川家康、征夷大将軍となる


1614 大坂冬の陣

1615 大坂夏の陣、豊臣氏滅亡
1616 女真のヌルハチ、後金を建国




1636 後金、国号を清と改称
1637 10月 島原の乱(天草一揆)
1641 長崎出島に商館、鎖国体制に
1642 英国、清教徒革命
1644 清、北京に遷都
1673 三井高利、江戸・京都に越後屋
    呉服店を開店
1679 三田浄久『河内鑑名所記』刊
1685 将軍綱吉 「生類憐れみの令」
1688 英国、名誉革命
1701. 1
1704. 2
1704.10

1716. 6

1722.11
1737. 4

1738.
1
1749. 
1752. 1
1754. 
1

1769. 1
1771.1
1777. 

1781.1
14
17
宝永 1


享保 1

7
元文 2

3
寛延 2
宝暦 2
4

明和 6
8
安永 6

天明 1
葛井寺(剛琳寺)の本尊「千手観音菩薩座像」を喜多川運長が修理する。(依『剛琳寺本尊再興記』)
大和川付け替えの工事が始まる。
(前年の元禄16年10月に幕府が付け替えを決定する。)
大和川付け替えの工事が完了し、新大和川が開通する。大井村では
237石、津堂村では11石の取れ高分の
 土地が河床となって潰れる。。

大和川・石川の決壊で大洪水となり、国府・船橋ほか5ヵ村が被害を被る。(正徳6年6月20日 6月22日改元)
 この年の大水害で、道明寺はほとんどの堂宇を流失する。
(後に国府台地上に移転再建される)
摂津・河内・和泉・播磨の4ヵ国が大坂町奉行の支配下に置かれる。
道明寺に三井家代々の菩提を弔うため得宝院が建てられる。道明寺は水害から復興し、再検地や村改革が行わ
 れた。
道明寺に「天満宮再建万人講」が設立されて、再建がはかられる。
王水樋8ヵ村が王水樋からの取水をめぐって碓井村(現羽曳野市 藤井寺市域の上流)と争う。

王水樋8ヵ村が王水樋からの取水をめぐって碓井村と争う。
道明寺、大坂市中の「似せ糒売店」の取締りを大坂町奉行所に訴える。
王水樋からの取水をめぐって碓井村と争う。
丹北小山村と岡村が王水樋井路からの取水をめぐって争う。
王水樋8ヵ村が王水井路からの取水をめぐって碓井村と争う。
王水樋組合8ヵ村が王水樋からの取水をめぐって大黒村
(現羽曳野市 藤井寺市域の上流)と争う。
小山村と津堂村の王水樋井路からの引水をめぐって争う。

王水樋組合8ヵ村と古市村(現羽曳野市)が石川への治水施設設置をめぐって争う。天明4年に解決。
1702 赤穂浪士たち、吉良義央を討つ
1707 富士山噴火、宝永山出現
1716 吉宗将軍になり享保の改革開始
1732 享保の大飢饉
1734 この年『五畿内志』が完成
1762 ルソー、『社会契約論』
1774 杉田玄白ら『解体新書』
1778 桜島大噴火
1782 天明の大飢饉(〜87)
1783 浅間山噴火、大被害が出る
1787 松平定信、寛政の改革
1789 フランス革命
1798 本居宣長『古事記伝』
1801 英国、グレートブリテン及びアイ
       ルランド連合王国成立
1804 ナポレオン皇帝即位
1806 神聖ローマ帝国滅亡
1829 葛飾北斎『富嶽三十六景』
1830 伊勢へのお蔭参りが大流行
1830 フランス、7月革命
1833 大凶作、天保の大飢饉(〜39)
    歌川広重『東海道五十三次』
1837 2月 大塩平八郎の乱
1838 緒方洪庵「適々斎塾」を開く
1840 清国、アヘン戦争(〜42)
1841 水野忠邦、天保の改革
1848 フランス、2月革命、第二共和制
   マルクス・エンゲルス『共産党宣言』
1851 清国、太平天国の乱(〜64)
1853 6月 ペリー艦隊浦賀沖に来航
    7月 プチャーチン率いるロシア極
       東艦隊が長崎に来航
1854 1月 ペリー艦隊横浜沖に来航
    3月 日米和親条約調印
    6月・11月に大地震発生
    8月 日英和親条約調印
   12月 日露和親条約調印
1855 10月 江戸大地震発生、日仏和親
       条約調印
12月 日蘭和親条約調印
1856 清国、アロー戦争(〜60)
1858 ムガル帝国滅び、英国のインド直
    接統治開始

1858 6月 日米修好通商条約調印
      長崎でコレラ発生、以後大坂・
      京都・江戸で大流行
    9月 安政の大獄始まる
1859 ダーウィン、『種の起源』
1860 清国、英・仏・露と北京条約調印
1860 3月 桜田門外の変
1801.1

1819. 1
1823.
1

1832. 1
1840. 2
1844. 1
1852. 1
1853.
1
1854. 1



1856. 4
. 6
. 7
享和 1

文政 2
6

天保 3
11
弘化 1
嘉永 5
6
安政 1



3

4
丹南郡野村(現羽曳野市)の平田竹軒を中心に白鴎吟社が結成され、藤井寺地域の人々も多く参加、道明寺の
 上田家、林村の麻野林叟はじめ地域に儒学・医学・詩文活動が盛んとなる。
王水樋組合7ヵ村が取水をめぐって道明寺村と争う。文政3年に和解。
王水樋組合7ヵ村が取水方法をめぐって誉田村
(現羽曳野市)と争う。
王水樋組合8ヵ村と碓井村が王水井路からの取水をめぐって争う。文政9年に解決。
王水樋組合8ヵ村を中心に誉田八幡宮(現羽曳野市)の神事能の再建を目的とする「御能狂言講」が組織される。
志紀小山村、与次郎が講元となって30人の村人が伊勢参宮に出かける。善兵衛ら30人が伊勢参宮に出かける。
丹北郡川辺村(現大阪市)・専龍寺と沢田村・極楽寺との間に宗旨改をめぐって争いが起こる。
王水樋組合のうち6ヵ村が取水方法をめぐって誉田村と争う。
大雨、次いで大日照り、大井・北条・船橋・国府村で番水
(灌漑用水を順番で使用)が行われる。
大井村、大地震による被害が大きく、藩から銀一貫匁の拝借を願い許される。
大井村、異国船の大坂湾侵入
により、伯太藩主も動員されて、河内の所領10ヵ村に人夫動員令が出される。
伯太表軍用御用金として全河内の藩領に金4000両が賦課され、大井村930両、古室村4両、林村420両を上納。
王水樋組合の7ヵ村と誉田村が取水方法をめぐって争う。
古室村などと誉田村とが、用水利用をめぐって争う。
大干魃、大井・北条・船橋・国府村で番水が行われる。
24日、この日から大雨、大洪水となる。
 
1862.11

1863. 1
 . 8
1864. 5
. 6
.11
.12

1866. 2
8
1867. 6
1867.
1
1868. 1


. 4
. 5

. 6

. 7
文久 2

3

元治 1



慶応 2

3

4







 
戸田和三郎一行の調査により、これまで小物成山として村人に利用されてきた仲津山が、応神天皇の皇后・
 仲津姫命の陵墓に治定された。
(この頃から各地の陵墓の調査・修築が行われた)
道明寺天満宮で騒動が起こる。
村々に天誅組の同心する者相次いだが、政変が起こり、天誅組は討伐されることとなる。
陵検分。翌年から陵普請が行われる。
6〜7月、日照りが続き、この年も干ばつになる。
大雨、大洪水となり、村々は白海のようになる。
大井村、藩から年貢率を9割にするという通告があり、村人たちが反対の願書を出して、撤回された。
 
大井村、130人の者が伊勢参宮に出かける。
上旬大風雨、大洪水。台風で凶作となる。
この年も8月まで大雨が続くが、日照りとなり、井戸が涸れる。
上田元厚、松永左内、大坂除痘館から種痘分苗所として許可を受け、種痘を地域に普及させる。
京都や淀での戦闘、大井村でも大砲の音が聞こえ、大火の火が見えた。大坂・堺・平野
(現大阪市)から、戦
 火を逃れて 和泉・河内に避難する者が多くなった。幕府旗本組の数人が、大坂騒動で大井村に逃げ込んだ
 が、それを追って、
15日津堂村に来ていた長州藩の兵が大井村に来た。
神仏判然令が大坂裁判所から達せられ、道明寺三之室照快ら大坂で中山忠能
(明治天皇外祖父)に面会する。
大坂府が設置され、司農局が大坂司農局(地域行政府)となる。
淀川・大和川の大洪水、船橋村・北条村・道明寺村・大井村など甚大な被害が出る。
岡村・藤井寺村・船橋村・北条村・誉田八幡領古室村・道明寺領道明寺村が、大坂府司農局の管轄地となる。
大坂府から堺県が独立する。
大坂司農局が河内国を支配する南司農局と、摂津8郡を支配する北司農局に分けられた。
1861 米国、南北戦争(〜65)



1864 7月 禁門の変、第1次長州征討
    8月 4ヵ国連合艦隊下関を攻撃





1867 オーストリア・ハンガリー帝国成立
1867 10月 将軍慶喜、大政を奉還する
    12月 王政復古の大号令
1868 1月 鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争
       が始まる
    3月 「五箇条の御誓文」発布、神
       仏判然令公布
    4月 江戸城開城
    7月 江戸を「東京」と改称
    9月 8日 「明治」と改元、一世一元
       の制が定められる。
1869. 1
. 2


. 8
.11

1870. 3
1871. 7
.10
.11
1872. 2

. 4
. 6
. 7
. 9
.
1
1873. 4

. 6

. 9
1874. 1
. 2
. 3
. 9
.11
1875. 3
. 5
明治 2






3
4


5






6




7




8
 
大阪府から摂津県・河内県が独立する。
道明寺村・北條村・船橋村・古室村・藤井寺村・野中村・岡村が河内県の所属となる。
 大井村・国府村・林村は伯太藩領、沢田村は沼田藩領、志紀小山村・丹北小山村・津堂村は宇都宮藩領。
  (明治初年、現在の藤井寺市域には14ヵ村があり、後に合併をくり返して、現在市域の1つの自治体となった。)
河内県が堺県に併合されて廃止となる。
道明寺村では、堺県役人が村役人に神仏分離を申し渡す。道明寺三之室二之室、京都で中御門経之に面会
 縁起・口演書を提出する。

志紀小山村・丹北小山村・津堂村が宇都宮藩領から堺県の管轄に入る。
大井村・国府村・林村・古室村が伯太県の、沢田村が沼田県、次いで群馬県の管轄となる。
古市村
(現羽曳野市)西琳寺を借りて雛学園が設立される。
大井村・国府村・林村・古室村・沢田村が堺県の管轄に入り、14ヵ村のすべてが堺県の管轄となる。
堺県に区制が施行され、藤井寺市域の村々は第
18・19・21区の所属となる。
大井村氏神が志疑神社と改称する。
道明寺では、仏勤の三之室・松寿院らに役人らが本堂取り払いを命ずる。
道明寺境内にあった天満宮が、土師神社(現道明寺天満宮)と改称して境内地の大部分を引き継ぐ。
21区郷学校が藤井寺村に置かれる。
18区郷学校の本校が柏原村に、郷学出張所が沢田村・大井村に設置される。
この年、古市警察署が設置される。

柏原の郷学校が廃止され、河内国第二四番小学(現道明寺小学校)が沢田村・極楽寺で開校。(後に沢田小学
 →沢田小学校)

小山村郷学校と藤井寺村郷学校が廃止され、藤井寺村に河内国第二七番小学
(現藤井寺小学校)が藤井寺村
 ・剛琳寺
(現葛井寺)で開校。(後に移転 小山小学→小山小学校)
道明寺が土師神社と分離され、現在地に移転。
堺県に大区・小区制が施行され、藤井寺市域の村々は第1大区2小区の1番組から5番組の所属となる。
新大和橋
(大和川 東高野街道)ができる。現藤井寺市域の中では、初めて大和川に架けられた橋。
堺県の村々での地租改正が始まる。
第二四番小学の支校が大井村に設置される。
(後に大井支校)
第二七番小学の支校が野中村に設置される。
(後に野中尋常小学校)
第二七番小学が丹北郡小山小学となって、丹北小山村に新築開校。(後に小山小学校)
第二四番小学が沢田小学と改称され、支校も沢田小学大井支校となる。(後に沢田小学校)
1869 3月 東京遷都、5月戊辰戦争終:結
        6月 版籍奉還
1869 スエズ運河開通








1871 廃藩置県、全国3府302県に
1871 ドイツ帝国成立、パリ・コミューン
    日清修好条規調印


1872 鉄道開通(新橋−横浜)
       「学制」公布、戸籍法施行
    琉球国を琉球藩とする

    富岡製糸場開業
    太陽暦採用



1873 徴兵令公布
    地租改正条例布告
    明治6年の政変




1874 佐賀の乱、台湾出兵
       大阪−神戸間の鉄道が開通
1874 フランス、ベトナムを保護領化



1875 樺太・千島交換条約
    江華島事件
1877. 2
.
1
1879. 6

.10
1880. 4
1881. 2
1882. 4

1884. 7
1885. 7
1887. 4
. 6
.11
1888. 3

. 4

1889. 4
. 5

1890. 3
. 4
. 8
1893. 4
. 7
1895.10
1896. 4

  . 5
10
 
12


13
14
15

17
18
20


21



22


23


26

28
29


明治天皇が京都・大和行幸の途次、土師神社(現道明寺天満宮)を行在所として宿泊する。
この年、道明寺村など
10ヵ村が王水樋についての約定を結ぶ。
6〜9月、コレラの大流行により藤井寺市域で罹患者
34、死者27名が出る。8月には大井村への出入りが
 制限された。
沢田小学が現在地(道明寺小学校)に新築移転。開校式の10月21日が学校創立記念日となる。
藤井寺市域が第1大区2小区の第5・6聯合に編成替えされる。
堺県が廃止され、大阪府に合併される。
岡村が野々上村
(現羽曳野市)・野中村を被告とする水利権訴訟を提起する。8月判決、岡村勝訴、野中村が
 控訴する。翌
16年2月控訴審判決で岡村が勝訴する。同年4月、仲裁により3村が和解する。
藤井寺市域が第
9・45・46・47戸長役場管理区域に編成される。
豪雨禍で大和川が決潰し、藤井寺市域が被災する。淀川・大和川で多数の箇所が決潰し、大洪水となった。

沢田小学校は沢田尋常小学校と沢田高等小学校に、小山小学校は小山尋常小学校と小山高等小学校に分離。
飛ヶ城池からの引水権をめぐる岡村と野中村の争いが決着する。
大阪府から奈良県が分離する。
小山高等小学校が閉校となり、古市高等小学校(現羽曳野市立誉田中学校の前身)に併合される。
沢田小学校簡易小学校が設置される。
沢田高等小学校が閉校となり、古市高等小学校(現羽曳野市立誉田中学校の前身)に併合される。
小山小学校簡易小学校が設置される。
市町村制が施行され、14の村が合併して、長野村・小山村・道明寺村・沢田村の4つの新しい村ができる。
大阪鉄道
(初代)の大阪湊町−柏原間(現JR関西本線)が開業する。
小山村役場が開設される。

道明寺村と沢田村が合併して、道明寺村となる。
前年に町村制施行による合併があり、小山尋常小学校は長野村小山村学校組合立となる。
道明寺村役場が開設される。
野中支校が独立して野中尋常小学校が長野村
(野中村が合併した)に開校。(後に小山尋常小学校に統合)
古市高等小学校から沢田高等小学校が分離独立する。
大阪鉄道
(初代)の天王寺−梅田間(現大阪環状線東部)が開業する。
沢田高等小学校と古市高等小学校が合併して誉田高等小学校
(誉田村・現羽曳野市)となる。
石川・錦部・八上・古市・安宿部・丹南の各郡を廃止して「南河内郡」が設置される。
(近代の再編郡制)
長野村が藤井寺村に改称。
1876 日朝修好条規
    廃刀令
    神風連の乱、秋月の乱、萩の乱
1877 インド帝国成立、英女王皇帝兼位

1877 西南戦争、コレラ流行
1879 琉球処分、沖縄県設置

    教育令公布、義務教育法令化
    米人モース、大森貝塚調査発表

1879 エジソン電灯発明
1881 明治14年の政変、国会開設勅諭
1881 露・清、イリ条約締結
1882 軍人勅諭発布、日本銀行開業

1882 7月 朝鮮で壬午事変起こる
1884 華族令公布、秩父事件
1884 6月 清仏戦争(〜85)
   12月 朝鮮で甲申事変起こる

1885 太政官制度廃止、内閣制度創設
1885 日本・清国、天津条約調印

1886 英国、ビルマを併合
1886 帝国大学令・師範学校令・小学校
    令・中学校令公布

1887 フランス領インドシナ連邦成立
1888 市制・町村制施行・町村制公布
1889 2月 大日本帝国憲法発布
    7月 東海道線全通

1890 足尾鉱毒被害表面化
       府県制・郡制公布
    第1回帝国議会、教育勅語発布
1893 フランス、ラオスを保護国化
1894 朝鮮で甲午農民戦争

1894 7月 日英通商航海条約調印
    8月〜1895年3月 日清戦争
1895 4月 日清講和条約(下関条約)

       露・独・仏の三国干渉

1895 朝鮮王妃・閔妃、日本人が殺害

    独・レントゲン、X線発見
1896 6月 三陸地方で大津波の被害
1896 第1回近代オリンピック大会
   
日清通商航海条約調印

1897 朝鮮、国号を大韓帝国とする
1898 アメリカ、フィリピンを領有

1899 清国・義和団事件
1900 治安警察法公布、北清事変(清)
1903 ライト兄弟初の動力飛行に成功
1902 第1次日英同盟協約
1904 2月〜1905年9月 日露戦争
1904 日韓議定書、第1次日韓協約

1905 日露講和条約(ポーツマス条約)
1905 第2次日韓協約調印(保護国化)
    アインシュタイン特殊相対性理論

1907 小学校令改正、義務教育6年に
1907 第3次日韓協約調印
1908 青年トルコ革命



1910 大逆事件、韓国併合
1910 メキシコ革命
1911 辛亥革命(中国) 
1897. 5
1898. 3

. 6
.11
1899. 5
1900. 2

1907. 9
.11
1908. 4

. 8
1910. 7
1911.
1
30
31



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33

40

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43
44
関西刷子合資会社福原毛植分工場が林(旧林村)で操業開始する。
3月、河陽鉄道の柏原−古市間が開通し、道明寺駅が開業する。4月には古市−富田林間も開業。
 
(現在の近鉄道明寺線と南大阪線の古市駅−富田林駅間 河陽鉄道は後に「河南鉄道」となる)
旧志紀郡道明寺村・小山村、旧丹南郡藤井寺村、旧丹北郡小山村・津堂村を含む南河内郡の郡制が施行。
藤井寺村と小山村が組合村を設立する。
河陽鉄道株式会社の譲渡を受けた河南鉄道株式会社が営業開始。
東京岩谷天狗煙草南河内分工場が大井で操業開始する。
長野村小山村学校組合が廃止され、小山尋常小学校、野中尋常小学校となる。

大山咋(おおやまぐい)神社・志疑神社(10月)・国府八幡神社(12月)が黒田神社(道明寺村)に合祀される。
津堂八幡神社が産土神社(小山村)に合祀される。(前年明治39年8月に神社合祀令が出された)
小山尋常小学校と野中尋常小学校が合併して、小山尋常小学校本校と同校野中分教場となる。
野中神社・長野神社が辛國(からくに)神社に合祀される。(長野神社以外は昭和時代の戦後に復社した)
河南鉄道が玉手山
(現柏原市)に「玉手山遊園」を開業する。
小山郵便局
(後に藤井寺郵便局に改称)ができる。(この区域に初めてできた郵便局で現藤井寺小山郵便局)
この年、更池銀行岡支店が開業。
(後の「三和銀行藤井寺支店」 現三菱UFJ銀行藤井寺支店) 
1915. 6
.11

1916.
1
1917. 6
. 7
.
1
1918. 8
. 9
1919. 3
1920. 2
1922. 4
.12
1923. 4
.10
1924. 6

1925.
1
1926. 7
大正 4


5
6


7

8
9
11

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13

14
15
道明寺の松寿院・三之室が道明寺に合併される。
藤井寺村・小山村組合村は、組合村を廃して両村合併し、藤井寺村となる。
藤井寺村の成立により、組合立小山尋常小学校は藤井寺村立小山尋常小学校と改称する。

大正橋(大和川 現府道旧2号)ができる。
京都帝国大学の浜田耕作助教授らによる最初の国府遺跡の発掘調査が行われる。(縄文人骨などが出土)
東京帝国大学の鳥居龍蔵講師が国府遺跡を発掘する。
初めて電灯線が引かれる。(道明寺・国府・沢田・林・古室地区 「金剛水力電氣(後関西配電)」)
米騒動で大字野中と道明寺村が不穏になる。藤井寺村で米の廉売が行われる。
河南鉄道の延長線
(大阪市天王寺方面)をめぐって誘致合戦が始まる。
河南鉄道株式会社が大阪鉄道株式会社(大鉄)と改称する。
小山村で小作争議が起こる。4月、小作料の減額をめぐって道明寺天満宮と小作人が対立する。
大阪鉄道の道明寺−布忍間が開通し、藤井寺駅が開業する。
初めて電話の加入が始まる。(道明寺・国府・沢田・林・古室地区 局は古市局)
布忍−大阪天王寺(翌年6月から大阪阿部野橋駅)間が開通し、道明寺−大阪天王寺間が電化される。
道明寺−長野(現河内長野駅)間が電化される。
道明寺−柏原間が電化されて柏原南口駅が開業。同時に、藤井寺駅と道明寺駅の間に土師ノ里駅と御陵前駅
 
(昭和8年から応神御陵前駅)が開業。
この年、大阪鉄道が藤井寺村大字岡で
10万8,000余坪の土地を買収する。後に藤井寺経営地を開発。
藤井寺村立青年訓練所、道明寺村青年訓練所が設立される。
 
1912 中華民国成立、清朝滅亡
1912 7月.「大正」に改元
    日本、オリンピック初参加

1914 7月〜18年11月 第1次世界大戦
        パナマ運河開通
1914 鹿児島・桜島大噴火、陸続きに
      日本、ドイツに宣戦布告

1915 日本政府、対華21ヵ条要求
    第1回全国中等学校野球大会
1916 吉野作造「民本主義」
1917 ロシア革命・ソヴィエト政権樹立
1918 米騒動、シベリア出兵
1919 ベルサイユ講和条約調印
    朝鮮で三.一独立運動
    コミンテルン結成

1920 国際連盟設立
1920 5月 日本最初のメーデー開催
    10月 第1回国勢調査を実施
1922 ワシントン海軍軍縮条約調印
    ソヴィエト社会主義共和国連邦が
    成立

1922 全国水平社結成
1923 9月 関東大震災
1925 3月 東京放送局が本放送を開始
     治安維持法・普通選挙法公布
1926 12月 「昭和」に改元
 
1927. 1
1928. 5

.10


1929. 3
1932. 4
1934. 9


10
昭和 2
3




4
7
9

この年から翌年にかけて、藤井寺村は村内対立のため役場の機能が麻痺する。
大阪鉄道の藤井寺球場が開場。大阪鉄道の「藤井寺経営地」計画の一環として造られた。
大阪鉄道の「藤井寺教材園」が藤井寺球場南側に開業。
(1933年休止 敷地は学校用地に転用される)
大阪鉄道・乗合自動車の藤井寺駅−出戸町線が開業。(後の近鉄バス 藤井寺駅−近鉄八尾駅線のもと)
藤井寺村の人口が 5,000人を越え、町制施行で藤井寺町となる。
小山尋常小学校が岡地区(現藤井寺小学校所在地)に移転増改築し、藤井寺町立昭和尋常小学校と改称。
大阪鉄道が建設した石川の玉手橋が竣工。
(※『大鉄全史』では昭和3年3月17日竣工となっている)
昭和尋常小学校が昭和尋常高等小学校となる。誉田高等小学校に通学していた藤井寺町の児童を収容。

21日室戸台風が大阪府を通過。最大風速60mを記録(大阪市)。道明寺小学校では校舎3棟に破損の被害。
 水田被害は藤井寺町約30ha、道明寺村約151ha。国府八幡神社本殿全壊、拝殿半壊。黒田神社の境内社1社
 が全壊、樹木113本に被害。土師神社
(現道明寺天満宮)の樹木40本に被害。
株式会社寿屋
(現サントリー)が道明寺村大字道明寺に大阪工場(後 道明寺工場)を建設し、ブドウ酒・果汁
 の製造を開始。同時に横浜工場のコーリン製造を引き継ぐ。
1927 1月 国民健康保険法実施
    3月 金融恐慌起こる
    5月 第1次山東出兵
1927 4月 中国、南京国民政府樹立
1928 2月 初の衆議院議員・普通選挙
    6月 張作霖爆殺事件

1928 パリ不戦条約調印
1929 10月 世界恐慌始まる
1930 1月 ロンドン海軍軍縮条約調印
1931 9月 満州事変(柳条湖事件)
1932 満州国建国、五・一五事件
1933 日本・国際連盟脱退
1933 独・ヒトラー内閣成立、国連脱退
1934 室戸台風、東北冷害、西日本旱
    害、関西風水害で大凶作
1935 芥川賞・直木賞創設
    天皇機関説が攻撃される

1935 ドイツ、再軍備宣言
1936 二・二六事件、日独防共協定
1937 日中戦争始まる(盧溝橋事件)、
    日独伊三国防共協定
    文化勲章制定
1938 国家総動員法制定
1938 ドイツ、オーストリアを併合
1939 ノモンハン事件、賃金統制令公布
    米穀配給統制法公布、国民徴用
    令公布
1939 9月独・ポ ーランド侵攻、第2次世
      界大戦開始
1940 9月 日独伊三国同盟成立
1940 9月 日本、北部仏印に進駐

1941 4月 日ソ中立条約締結
1941 4月 小学校を国民学校に改称
   12月 アジア太平洋戦争始まる
1942 2月 衣料切符制実施、食糧管理
       法公布、大日本婦人会結成
    6月 ミッドウェー海戦で敗北

1943 9月 イタリア無条件降伏
1943 12月 学徒出陣始まる
1944 6月 北海道で昭和新山誕生

1944 8月 第1次学童集団疎開実施
   12月 南海大地震・津波が起きる
1935. 4
1936. 2

. 4
.
1
. 1
1938. 2

1939. 
1941. 4

1942. 2
. 3
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1943. 2
. 9
1944. 6
. 9


.10
10
11




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16

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18

19


 
藤井寺町立青年学校が昭和尋常小学校に併設される。
二上山地下を震源とする直下型の亀瀬(かめのせ)地震(深さ20km マグニチュード6.4)が発生。南河内郡・
 中河内郡を中心に府内の広範囲で被害が発生。
(死者8名 家屋全半壊49戸 物損は各地で多発)
昭和尋常高等小学校が藤井寺尋常高等小学校と改称。同校内に藤井寺実践女学校が設置される。
大和川に新しい大井橋ができる。(西へ移動した 後に大阪外環状線の新設で新大井橋に替わった)
この年、伴林氏神社の顕彰拡張事業運動が始まる。
産業道路(現・国道旧170号)と河内橋(大和川 国道旧170号)ができる。
府道・八尾古市線(八尾藤井寺線 現・府道186号大阪羽曳野線)ができる。
古林紙器印刷所
(現 古林紙工株式会社)が藤井寺町野中に紙器工場(現 藤井寺工場)を開設。
小学校が、藤井寺国民学校、道明寺国民学校と改称。
藤井寺学園相愛第二高等女学校が開校。(翌昭和17年 藤井寺高等女学校に改称)
伴林氏神社の境内拡張工事が竣工。
更池銀行の三和銀行への営業権譲渡に伴い、岡支店は三和銀行藤井寺支店となる。
藤井寺町愛国婦人会と藤井寺町国防婦人会が解散し、大日本婦人会藤井寺町支部が結成される。
大阪鉄道が関西急行鉄道と合併する。大鉄本線は関急南大阪線となる。
伴林氏神社が府社に昇格する。
関西急行鉄道が南海鉄道と合併(戦後分離)、近畿日本鉄道株式会社が発足。
藤井寺町で学童集団疎開を受け入れる。(大阪市東田辺国民学校児童335名 12月にさらに40名)
道明寺村でも受け入れる。(大阪市平野西国民学校児童249名 極楽寺(沢田)誓願寺(大井)真光寺(道明寺))
全国25の絆創膏製造業者が統合されて日絆工業株式会社(現 ニチバン)が発足、大阪工場を設置。(北岡)
府立藤井寺保健所(現藤井寺丁目)ができる。
1945. 3
  . 6

1946. 7

.12
1947. 4


1948. 4


. 7
1949. 4
. 9

1950. 3
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. 9
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1951. 1
. 9
1952.10
.
1
.
1

1953.12
1954. 3
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20
 
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財団法人菊水学園・菊水中学校(旧制 後に菊水高等学校)が藤井寺駅南(仏供田池一部埋め立て地)に開校。
応神御陵前駅が休止される。(事実上廃駅 昭和49年7月に正式に廃止)
戦後初の第28回全国中等学校優勝野球大会(後の高等学校野球選手権大会)の大阪府予選が、54校が参加し
 て藤井寺球場で開催。この年の全国優勝校は、大阪府代表の浪華商業学校
(後の浪商高等学校)
藤井寺町と道明寺村に農地改革のための農地委員会がつくられる。

学制改革により、小学校の名称が藤井寺町立小学校、道明寺村立小学校となる。
中学校の新制度が発足し、藤井寺町立中学校が藤井寺小学校内に開校。道明寺村の新中学生は、村内に中学
 校がなく、古市町外四ヵ村組合立誉田中学校に通学。
(誉田高等小学校時代から通学していた)
藤井寺高等女学校が藤井寺高等学校に改称。(昭和27年に相愛第二高等学校に校名変更)
藤井寺町・高鷲村
(現羽曳野市)・埴生村(〃)合併問題協議会が設置される。(合併は実現せず)
大字野中
(旧野中村)から藤井寺町からの分離の要求が出る。
自治体警察の藤井寺町警察署と道明寺村警察署が設置される。(昭和30年の都道府県警察制度発足で廃止)
最初の公立幼稚園・藤井寺幼稚園(藤井寺町)が開園。翌年4月には道明寺幼稚園(道明寺村)が開園。
藤井寺中学校の新校舎が完成。(現藤井寺西小学校の場所)
大字大井
(旧大井村)から柏原町(現柏原市)への編入の陳情が行われる。
藤井寺町に公民館(岡地区)が設置される。
道明寺村と藤井寺町が「集会、集団行進及び集団示威運動に関する条例」を制定する。

3日、ジェーン台風が大阪弯を通過。藤井寺町では全半壊16世帯。道明寺村では道明寺小学校6教室が被災。
道明寺村国民健康保険直営道明寺病院が設置される。後に道明寺町営となる。(現市立藤井寺市民病院)
道明寺村の人口が 5,000人を越え、1月1日に町制施行して道明寺町が発足。
藤井寺町営火葬場が小山地区(小山墓地)にできる。
藤井寺町教育委員会が発足する。
11月、府内全市町村に教育委員会が設置される。
新しい大正橋(大和川 現府道旧2号)ができる。
土師神社が「道明寺天満宮」に改称。
学校法人菊水学園・菊水高等学校が閉校。(廃校となり跡地は銀行などの商業用地に転用された)
道明寺水源地(現道明寺浄水場)が完成し、道明寺町営水道が町内への一部給水を開始。
道明寺町・藤井寺町上水道事業
(一部事務組合)が発足。
藤井寺学園を谷岡学園が吸収合併し、相愛第二高等学校が大阪商業大学附属女子高等学校に改称。
津堂駐在所が設置される。(現津堂交番) 
藤井寺町営水道が一部での給水を開始。(大阪府営水道から受水して配水 後に道明寺水源地からも受水)
1945 5月 ドイツ無条件降伏
1945 6月 沖縄守備隊全滅、米軍占領
    8月 広島・長崎に原爆投下
       ソ連対日宣戦布告
       日本・ポツダム宣言受諾
    9月 無条件降伏文書調印
    GHQ、教育改革指令・神道指令
1945 10月 国際連合成立
1946 7月 フィリピン独立
   12月 インドシナ戦争(〜54)

1946 2月第1次・9月第2次農地改革
    4月 新選挙法による総選挙実施
   11月 日本国憲法公布
   12月 南海大地震が発生
    第1回国民体育大会
1947 5月 日本国憲法・教育基本法・
        地方自治法施行
1947 8月 バキスタン・インド独立
1948 イスラエル共和国独立、大韓民国
    成立、朝鮮民主主義人民共和国
    成立、第1次中東戦争

1948 4月 義務教育6・3制が発足
    7月 教育委員会法公布
   11月 極東国際軍事裁判判決
1949 新制国立大学が発足
    法隆寺金堂炎上、湯川秀樹ノー
    ベル物理学賞受賞
    1ドル360円の為替レート設定
    7月 下山事件・三鷹事件
    8月 松川事件
1949 5月 ドイツ連邦共和国成立
      10月 中華人民共和国、ドイツ民
      主共和国成立
       12月 国民政府、台湾へ脱出

1950 文化財保護法制定、金閣寺焼失
    8月 警察予備隊発足
1950 朝鮮戦争始まる(〜53.7休戦)
1951 サンフランシスコ平和条約・日米
    安全保障条約調印
、日本が連合
    国軍の占領から独立
1951 民間放送開始

1952 警察予備隊が保安隊に改組
1952 7月 エジプト革命

1953 奄美諸島返還、テレビ放送開始
1954 アメリカのビキニ環礁水爆実験
    で第五福竜丸が被曝
    7月 防衛庁・自衛隊が発足
1955. 3
. 4

1956. 1
. 5
. 8
1957. 3

. 6
.10

1958.10
.11
1959. 1
. 2
. 4

. 6
1960. 1
.2
. 4



1961. 9
1962. 2

. 3
. 8
1963. 2
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1964. 3
. 5
.10
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新しい石川橋(石川 現府道堺大和高田線)ができる。(府道堺大和高田線の新設に合わせた建設)
最初の公立保育所として町立藤井寺保育所(現市立第1保育所)が藤井寺町にできる。
大阪女子短期大学が開学し、大阪商業大学附属女子高等学校が大阪女子短期大学附属高等学校に改称。
都市ガスの使用が始まる。
藤井寺町営塵埃焼却場が津堂地区(大正橋南詰南側)にできる。(後美陵町津堂焼却場 その後廃止)
「全国高校軟式野球選手権大会」の藤井寺球場での開催が始まる。(昭和55年第25回大会まで続く)
大阪府総務部長、南大阪町
(現羽曳野市)・藤井寺町・道明寺町の3町に合併を勧告する。(実現せず)
沢田駐在所が設置される。(現沢田交番)
小山駐在所が設置される。(後に小山警察官詰所 その後廃止)
藤井寺駅前派出所が設置される。(現藤井寺駅前交番)
日本住宅公団・藤井寺団地の入居が始まる。(現サンヴァリエ藤井寺、さくら町)
府道・堺大和高田線(現府道12号)の沢田191番地−柏原町片山の新道が供用開始される。
藤井寺町と大字野中が和解し、野中に役場分室が設置される。
(後に廃止)
藤井寺市域に隣接する「羽曳野市」が誕生。
大井・北条・船橋地区住民が、住民大会で柏原市への編入を決議する。
(具体化せず)
藤井寺町と道明寺町が合併し、「藤井寺道明寺町」が発足。藤井寺市区域が初めて1つの自治体となる。
藤井寺町立中学校が藤井寺道明寺町立中学校となり、旧道明寺町内の中学生も通学を開始。
大井・北条・船橋3地区分町促進委員会から藤井寺道明寺町議会議長に嘆願書が出される。

藤井寺道明寺町が、公募と市民投票を経て「美陵町(みささぎちょう)」に町名を変更。
日本住宅公団・春日丘団地の入居が始まる。(現サンヴァリエ春日丘、春日丘新町)

藤井寺南小学校が、3番目の小学校として藤井寺小学校から分離して開校。町立中学校が移転した後の校舎
 
(現藤井寺西小の場所)で開校したが、藤井寺小学校と野中分校にも一部児童が分散通学した。
藤井寺南幼稚園が開園。(藤井寺南小学校に併設 小学校と同じ校地内 昭和45年3月までこの場所)
美陵町立中学校(旧藤井寺道明寺町立中学校)の新校舎が完成し、移転。(現藤井寺中学校の場所)
16日第2室戸台風が大阪府を通過。町内255世帯被災南大阪線不通などの被害。美陵町に災害救助法適用
土師の里交差点に町内初めての信号機が設置される。翌年初めには小山交差点にも設置される。
阪南電報電話局が開局。(当時は日本電信電話公社 藤井寺2丁目 現NTT藤井寺ビル)
藤ヶ丘駐在所が設置される。(後に藤ヶ丘連絡所 その後廃止)
町営プールが完成する。(25m 8コース 現藤井寺中学校)
美陵町し尿処理場「美陵浄苑」が稼働開始。(小山地区 後に芝山衛生センターに移転・廃止)
府立河南工業高等学校が開校。(昭和42年に藤井寺工業高等学校 平成17年藤井寺工科高等学校に改称)
美陵町立第2保育所(現市立第2保育所 林3丁目)ができる。
柏原羽曳野美陵消防組合が発足し、柏原消防署に本部を設置。(後「柏原羽曳野藤井寺消防組合)
宗教法人大阪カトリック大司教区が藤井寺カトリック幼稚園を開設。(現学校法人大阪聖マリア学園)
柏原羽曳野美陵消防組合消防本部の新庁舎が土師ノ里駅近くにでき、業務開始。(現藤井寺分署)
藤井寺南小学校の新校舎の使用開始。(現在の場所 昭和41年3月に全面移転完了)
1955 左右社会党統一、自由民主党結
    成、55年体制成立
    8月 第1回原水爆禁止世界大会
1956 6 新教育委員会法制定
   12月 日本・国際連合加盟
    水俣病が問題化
1956 10月 日ソ国交回復共同宣言
       スエズ戦争(〜57)

1957 日本・南極に昭和基地設営
1957 ソ連・初の人工衛星打ち上げ






1959 1月 キューバ革命

1959 メートル法施行
    4月 国民年金法成立
       明仁皇太子結婚式
    9月 伊勢湾台風襲来


1960日米新安全保障条約・行政協定
    調印
、安保改定阻止闘争激化
    カラーテレビ本放送開始
1960 アフリカで17ヵ国が独立


1961 4月 拠出制国民年金が発足

1962 キューバ危機
1962 初の国産旅客機YS−11初飛行





1963 義務教育教科書無償配布法制定
    11月 日米間テレビ宇宙中継実験
        成功

       ケネディ米大統領暗殺

1964 10月 東海道新幹線開通
       第18回オ リンピック東京大
       会開催
 1965. 3
. 6
.10
1966. 6
.11

1967. 4
. 6
.11
  . 

1968. 1

. 3

. 4
. 7
  . 
1969. 1


. 3

. 3
.12
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大井駐在所が設置される。(現大井交番)
美陵町の町章が公募作品の中から決定される。(現在の藤井寺市の市章)
町役場の新しい庁舎(旧市庁舎)ができる。
野中受水場ができる。(現野中配水場U 藤ヶ丘3丁目)
美陵町の人口が40,000人を越え、市制を施行して藤井寺市が発足。市名は町民への葉書アンケートで採用。
『広報ふじいでら』第1号が発行される。
道明寺東小学校が4番目の小学校として開校。(道明寺小学校から分離 国府2丁目)
船橋浄水場ができる。(船橋町)
藤井寺郵便局(現在の藤井寺郵便局)が開局。それまでの藤井寺郵便局は藤井寺小山郵便局に改称。
南常鉄工株式会社
(現 株式会社なんつね)が現工場の建設着手(大井)、 第1期工事竣工。1969年、第2期
 工事が竣工し生野本社工場を藤井寺市に移転。

市内住所の第1次住居表示制度実施。(藤井寺・藤井寺公団・藤ケ丘・藤ヶ丘西・春日丘・春日丘公団・
 野中の各地区、南岡・小山・古室地区の一部 以後第6次まで順次実施される)

藤井寺市国保道明寺病院が一般公立病院となり、藤井寺市立道明寺病院と改称。(現藤井寺市民病院)
紀伊産業株式会社が淀川工場を藤井寺市に拡張移転、大阪工場とする。
(川北)
道明寺東幼稚園が開園。(道明寺東小学校に併設 小学校に隣接 2020年3月31日閉園)
郵便番号制度が実施され、藤井寺郵便局管内(藤井寺市・羽曳野市・太子町)「〒583」番号の使用開始。
中国電線工業株式会社が本社・工場を拡充のため藤井寺市国府に移転。

第2次住居表示制度実施。(南岡・北岡・恵美坂・小山・丹北小山・新小山・小山住宅・藤の里の各地区、
 大井・林・沢田地区の一部)
多田プラスチック工業株式会社が本社並びに藤井寺工場を新設移転。(津堂)
藤井寺インターチェンジができ、初めて南河内地域を通る高速道路として、一般有料道路・西名阪道路(現
 西名阪自動車道)
の一部(第1期)が開通。
藤井寺幼稚園の新園舎が完成し現在地に移転。
大阪外環状線(現国道170号)の沢田交差点以北が開通。新大井橋も開通。
1965 2月 米・北ベトナム爆撃開始、ベト
      ナム戦争激化(〜73)

1965 日韓基本条約調印
    名神高速道路開通
1966 日本の人口1億人を突破
    「建国記念の日」を制定
1966 中国・文化大革命始まる(〜76)

1967 イタイイタイ病が問題化



1968 4月 小笠原返還協定調印
    東大・日大等大学紛争激化
1968 ソ連・東欧5ヵ国軍、チェコ侵入








1969 東名高速道路開通
1969 米宇宙船アポロ11号・人類初の
    月面着陸成功、
    中ソ国境紛争
 
  1970. 3
4





. 7

.10
.12
1971. 4
. 8
.11


1972. 2
3
. 5
.12

1973. 1
. 2

. 4




. 7
. 8
. 9

.10
.11

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1974. 1
. 3
. 4
. 7
.11
. 
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大阪外環状線の沢田−野中東、及び、府道・堺羽曳野線(現府道31号)の野中東−野中が開通。
藤井寺西小学校が5番目の小学校として開校。(藤井寺南小学校から分離)
道明寺中学校が2番目の中学校として開校。(藤井寺中学校から分離)
藤井寺西幼稚園が開園。(藤井寺西小学校に併設 小学校内に仮設 2020年3月31日閉園)
藤井寺南幼稚園が藤井寺南小学校内に移転。(翌昭和46年11月に新園舎が小学校前に完成し移転)
藤井寺市が加入して、柏原市羽曳野市藤井寺市清掃施設組合が発足。
藤井寺市の人口が50,000人を越える。(50,516人)
第3次住居表示制度実施。(大井川北・大井・美陵住宅・北條・船橋・梅が園・惣社・国府・林東・林西・
 沢田・古室・道明寺南住宅・道明寺・土師の里・津堂の各地区)

社会福祉法人南大阪福祉協会のひかり保育園(大井5丁目)が創設される。(12月開園)
藤井寺西幼稚園の新園舎が完成し移転。(鉢塚古墳周濠跡地 それまでは小学校内に仮設) 
市立第3保育所(藤井寺1丁目)・市立第4保育所(道明寺6丁目)ができる。
藤井寺市柏原市学校給食組合の給食センターができ、10月1日から両市の全小学校で給食開始。
市の木「梅」、市の花「菊」が制定される。
市内初の大型スーパー「ニチイ」が開店。(後に「サティ」その後閉店撤退 岡1丁目)
藤井寺南幼稚園の園舎が完成し現在地に移転。(それまでは藤井寺南小学校内に仮設)
『広報ふじいでら』がこの月から毎月発行となる。
府道・堺羽曳野線
(現府道31号)の野中−美原ロータリーが開通。
6月にかけて市内数か所で光化学スモッグ特別調査を実施(前年9月に市内小学校で児童多数が症状を訴え)
土師の里交差点で市内初のスクランブル方式が始まる。後に藤井寺駅西交差点でも開始。
西名阪道路の一部
(第2期)が開通。
市民総合会館分館(土師の里支所)ができる。(沢田3丁目 土師の里交差点横)
市役所−支所間連絡バスの運行開始。(1日8往復便 後に現在の公共施設循環バスに替わる)
近鉄球団の藤井寺球場ナイター実施計画が報道され、以後約10年間続く「ナイター問題」が始まる。
道明寺南小学校が6番目の小学校として開校。(道明寺小学校・道明寺東小学校から分離)
道明寺南幼稚園が開園。(道明寺南小学校に併設 小学校に隣接)
西名阪道路が、「西名阪自動車道」として高速自動車国道に昇格編入される。
藤井寺市と近畿日本鉄道の間で、球場改修工事等に関する確認書・協定書の調印。これによって、藤井寺
 球場のナイター化改修工事、藤井寺駅の移動・橋上駅化工事、駅北広場新設工事などの計画が開始。

藤井寺南小学校と道明寺東小学校で市内で、初の学童保育「留守家庭児童会」を開設。(現放課後児童会)
公害反対連合会のナイター化工事差し止め仮処分申請が大阪地裁で認められる。これにより工事は中断。

市内の各小学校にVTRと全教室のテレビ放送システムが設置される。(ソニー・校内親子放送システム)
青少年運動広場が大井地区にできる。(大井1丁目 後の市民総合体育館・プール用地)
第4次住居表示制度実施。(沢田・古室地区の残り)
市立市民総合会館本館ができる。(現 愛称「パープルホール」北岡1丁目)
「市民憲章」と「市歌」を制定。
「ダイヤモンドシティ・ジャスコ藤井寺店」が開店。(後「イオンモール藤井寺」 後に閉店解体 岡2丁目)
藤井寺駅南の佛供田池跡地に「ちびっこ広場」ができる。(現「ブクンダ公園」)
野中浄水場が完成。(6月より通水開始 現・野中配水場T 藤ケ丘4丁目)
府立藤井寺高等学校が開校。(津堂3丁目)
市立第5保育所ができる。(国府1丁目)
近鉄藤井寺駅の橋上式新駅舎が完成。(旧駅舎より約50mほど西へ移設された)
大阪外環状線(現国道170号)野中東−白鳥北(旧170号との連絡線)の全車線供用が開始。
1970 日本万国博覧会開催(大阪府)
    日航機よど号ハイジャック事件
    三島由紀夫、割腹自殺事件
1970 6月 日米安保条約自動延長








1971 6月 沖縄返還協定
   1
0月 国連総会、中国を招請、台
        湾を追放

1971 NHK総合テレビ・全放送カラー化
       イタイイタイ病訴訟、原告勝訴
    新潟水俣病訴訟、原告勝訴
       12月 円の大幅切り上げ(308円)
1972 1月 グアム島で元日本兵発見
    2月 札幌冬季オリンピック開催
            連合赤軍浅間山荘事件
       モンゴル人民共和国と国交樹立
    沖縄・日本に復帰、沖縄県復活
       高松塚古墳で彩色壁画発見
       四日市喘息訴訟で原告勝訴

1972 2月 米中共同声明
       
日中共同声明、日中国交正常化
1973 1月 ベトナム和平協定調印
    10月 第4次中東戦争、石油危機
1973 2月 円が変動相場制に移行
    3月 熊本水俣病訴訟で原告勝訴
    5月 東ドイツと国交樹立

   
8月 金大中拉致事件
    9月 北ベトナムと国交樹立
   10月第1次石油ショック、 異常イ
       ンフレ・狂乱物価起こる







1974 3月 ルバング島で元日本兵発見
1974 1月 日中貿易協定調印 
 1975. 6
. 9
1976. 3
. 4


. 7

1977. 4
. 5

1978. 4


. 9
.12
1979.
1
. 6
. 8
50

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藤井寺駅北駅前広場(駅前ロータリー)ができ、都市計画道路の藤井寺駅北線が開通。
第5次住居表示制度実施。(東藤井寺町・藤井寺・春日丘・藤ヶ丘・西古室・小山地区の一部)
1級河川落堀川の改修工事が完了。
藤井寺北小学校が7番目の小学校として開校。(藤井寺小学校から分離 小山3丁目)
藤井寺北幼稚園が開園。(藤井寺北小学校に併設 小学校に隣接)
市民総合体育館・市民水泳プールができる。(大井1丁目)
藤井寺市の人口が60,000人を越える。(60,138人)
清掃事業所ができる。(後の環境事業所 現清掃課所在地 小山7丁目・美陵浄苑跡地)
市立第6保育所ができる。(小山1丁目)
市立老人福祉センター「松水苑」ができる。(国府2丁目)
大阪ガスの天然ガスへの転換が行われる。 
各中学校に語学学習システムのLL教室を設置。
三ツ塚古墳の周濠跡地の発掘調査で、古代の木ぞり「修羅」が発見される。
藤井寺小学校に学童保育「留守家庭児童会」を開設。(現放課後児童会)
石川河川敷で、復元修羅の牽引実験が行われる。(朝日新聞社・朝日放送主催)
市立休日急病診療所ができる。(現藤井寺市商工会館の建物 岡1丁目)
大阪外環状線(現国道170号)の富田林市総合体育館前以北が開通。(藤井寺市内の一部区間が未開通)
27〜29日の集中豪雨で、藤井寺市内でも1,124世帯で床上床下浸水、田畑の冠水250haなどの被害が出る。
朝日新聞社から寄贈された復元修羅の展示が道明寺天満宮境内で始まる。
1975 4月 ベトナム 戦争終結


1976 ロッキード事件
1976 ベトナム社会主義共和国成立







1977 「君が代」を国家に制定



1978 5月 新東京国際空港開港
    6月 宮城県沖地震発生
    12月第2次石油ショック始まる
1978 8月 日中平和友好条約調印
1979 国立大学・初の共通1次試験
    6月 元号法成立

1979 1月 イラン革命、米中国交正常化
    2月 中国・ベトナムの戦争
      10月 韓国、朴大統領暗殺される
      12月 ソ連軍、アフガニスタン侵攻
 
1980. 4


. 5
. 7
. 8
1981. 4
. 5
. 8
. 9

1982. 4
. 8
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1983. 4
. 5

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1984. 4
. 5

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第三中学校が3番目の中学校として開校。(藤井寺中学校・道明寺中学校から分離 林1丁目)
府立藤井寺養護学校が八尾市仮校舎で開校。(翌昭和56年4月川北新校舎の使用開始 現藤井寺支援学校)
大阪外環状線(現国道170号)の未開通区間、応神陵前−軽里北が開通。これで南は富田林市までが開通。
大和川河川敷運動広場ができる。(船橋町 野球場1面・テニスコート4面・自由広場2面)
第6次住居表示制度実施。(青山地区)
第1回市民まつりが開催される。(会場は駅北ロータリー横駅前駐車場 現ソリヤ敷地)
市立第7保育所ができる。(藤ヶ丘4丁目 2010年4月民営移管で「なな保育園」となる 現「ななこども園」)
市立スポーツセンターができる。(林1丁目 第三中学校東側)
市立図書館(それまでは市民総合会館内)ができる。(林1丁目 第三中学校東側)
第1回市民総合体育大会が開催される。
大阪外環状線が一般国道170(高槻−泉佐野)に制定施行される。
台風10号の集中豪雨で、市内でも477世帯に床上床下浸水のほか、田畑・道路の冠水などの被害が出る。
道明寺小学校と藤井寺北小学校に学童保育「留守家庭児童会」を開設。(現放課後児童会)
市営藤井寺駅前駐車場(現藤井寺市立藤井寺駅南駐輪・駐車場)がブクンダ池跡地の一部にできる。
市民総合会館別館が本館の隣りにできる。(岡1丁目)
大和川河川敷西運動広場ができる。(小山7丁目 テニスコート・ゲートボール場・150mトラック各2面)
道明寺南小学校と藤井寺西小学校に学童保育「留守家庭児童会」を開設。(現放課後児童会)
昭和
48年大阪地裁仮処分決定に対する近鉄の異議申し立てが認められる。中断していた工事が再開。
藤井寺球場の近鉄バファローズ公式戦で、夜間試合が始まる。(4月6日 対西武戦)
市民野球場・野外活動広場ができる。(津堂3丁目 現津堂市民野球場)
公害反対連合会の大阪地裁への控訴が棄却される。

「藤井寺市民音頭」が制定される。(9月23日 第5回市民まつりで発表)
生活プラザができる。(岡2丁目 駅北ロータリー北側 後廃止)
奈良県山添村との友好都市交流提携が始まる。
1980 9月 イラン・イラク戦争(〜88)
    モスクワオリンピックをボイコット
1980 6月 初の衆参同日選挙実施
    自動車生産台数が世界一になる




1981 中国残留孤児、初の正式来日





1982 東北新幹線・上越新幹線開通
    12月 カード式公衆電話設置開始


1983 3月 中国自動車道全線開通
    6月 日本海中部大地震発生
1983 9月 大韓航空機撃墜事件



1984 10月 インド、ガンディー首相暗殺
1985 4月 NTT・日本たばこ産業が発足
    5月 男女雇用機会均等法成立
    8月 日航ジャンボ機墜落事故
       日本人平均寿命世界一に
1985 3月 ソ連、ペレストロイカ開始
1986 2月 フィリピン、ピープル革命
    4月 チェルノブイリ原発爆発事故
1986 7月 衆参同日選挙
   11月 伊豆大島・三原山噴火
1987 4月 国鉄分割民営化、JR発足
   11月 日本航空民営化、地価高騰
1988 3月 青函トンネル開通
    4月 瀬戸大橋開通
    6月 リクルート事件
1989 1月 昭和天皇崩御、平成に改元
    4 消費税(3%)が始まる
    11月 連合と全労連が発足
    文部省、国旗・国歌を義務化
1989 6月 中国、天安門事件
   11月 ベルリンの壁撤去
   12月 東西冷戦終結宣言
 
  1985. 4
. 7
. 9
.10
1986. 2
. 4
. 5
.11
1987. 4

  . 9
1988. 6
60



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大水川散策公園「翠花堤苑」ができる。
藤井寺郵便局の新局舎が完成。(同じ場所で全面改築された)
藤井寺市議会が「平和都市宣言」を決議する。

第1回市民運動会が開催される。
藤ヶ丘のはさみ山遺跡
(梨田地点)で旧石器時代(約22,000年前)の住居跡が発掘される。
大水川散策公園「彩花堤苑」ができる。
市立保健センターが現在地に完成、休日急病診療所もここに移転。(小山9丁目)
藤井寺市公共下水道の市内で最初の供用が始まる。(大井地区の一部)
市立道明寺病院が増改築工事を終えて、「市立藤井寺市民病院」と改称。
社会福祉法人神愛福祉会のラミー保育園が開園。(小山9丁目)
株式会社大阪前田製菓が藤井寺工場を建設、本社を移転。(小山6丁目)
小山雨水ポンプ場ができる。(6月4日通水式 前日の3日に大雨洪水警報が発令され初のポンプ運転実施) 
1992. 4
8
1994. 7
. 8
.12
 
1995. 4
1996. 1
1997. 9
.10
1999. 3
. 4
.10
2003. 4
2004.10
2005. 1
. 6
. 8

2008. 3

2009. 4
2010. 4
.11
2011. 4
2014. 2
 . 4
2016. 4
2017. 3
4
 

. 7
2018. 1
3
2019. 3
 平成 4

6



7
8
9

11


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16
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20

21
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23
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30

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大阪女子短期大学附属高等学校が大阪女子短期大学高等学校と改称。
1級河川・大水川の藤井寺市部分の改修工事が完了。

市立生涯学習センター「アイセル・シュラホール」が開館。(藤井寺3丁目 新池埋め立て地)
大阪外環状線(国道170号)が泉佐野市まで全通。
柏原羽曳野藤井寺消防組合消防本部の新庁舎ができる。(青山3丁目) 前の本部は藤井寺分署となる。
公共施設循環バスの運行開始。
市役所の新しい庁舎が完成し、5月8日より新庁舎で業務開始。(岡1丁目 旧庁舎跡)
大和川下流東部流域・大井処理場が下水処理事業を開始。(現在の大井水みらいセンター)
野中跨道橋(国道170号・府道31号堺羽曳野線)が、藤井寺市内で初めての跨道橋として完成。
第52回国民体育大会「なみはや国体」が大阪府で開催され、藤井寺市は剣道競技(少年男女)の会場となる。
北条雨水ポンプ場ができる。(北条町)
史跡津堂城山古墳に、ガイダンス棟「まほらしろやま」ができる。(小山6丁目)
7日、大阪近鉄バファローズ1軍公式戦の藤井寺球場での最後の試合が行われる。以後は大阪ドームへ。
社会福祉法人そうび会の惣社保育園が開園。(惣社1丁目)
サントリー道明寺工場が操業を停止。その後施設が解体され、2018年に福祉施設「どうみょうじ高殿苑」が開業。
藤井寺球場が閉鎖され、翌2006年春には解体により姿を消す。
「さよなら藤井寺球場・藤井寺市民フェスタ」を、市民まつり・市民運動会との合同企画として開催。
1日、地区名「藤井寺公団」が「さくら町」に変更。UR都市機構「藤井寺団地」が建て替え高層化により
 「サンヴァリエ藤井寺」に改称。
1日、地区名「春日丘公団」が「春日丘新町」に変更。UR都市機構「春日丘団地」が建て替え高層化によ
 り「サンヴァリエ春日丘」に改称。
藤井寺球場跡地に四天王寺学園小学校・四天王寺大学藤井寺駅前キャンパスが開校。(後キャンパスは閉校)
社会福祉法人種の会の「なな保育園」が開園。(市立第7保育所を民営移管 藤ケ丘4丁目 )
古市古墳群が百舌鳥古墳群と共に、ユネスコの世界遺産暫定一覧表に記載される。
近鉄土師ノ里駅の駅前広場が完成し、駅の全面改修工事が完了。(新駅舎は前年10月より使用開始)
イオンモール藤井寺」が閉店。その後解体される。
小学校に併設されて四天王寺学園中学校が開校。
市立道明寺こども園が開園。(道明寺幼稚園と第2保育所が統合され幼保連携型複合施設となる)
ESR株式会社のレッドウッド藤井寺ディストリビューションセンターが竣工。(津堂4丁目)
四天王寺学園小学校が四天王寺小学校と改称。
四天王寺学園中学校に併せて四天王寺学園高等学校が開校。
大阪女子短期大学高等学校が大阪緑涼高等学校と改称。
文化審議会世界文化遺産部会で、世界文化遺産国内推薦候補として百舌鳥
古市古墳群が選定される。
ニチバン株式会社が大阪工場を閉鎖、愛知県安城市に移転。
大阪女子短期大学が閉学。
63年の歴史を閉じる。(同大学校地には大阪緑涼高等学校が存続)
美陵ポンプ場(大阪府広域水道企業団)内に保存されていた「藤の森古墳」横穴式石室をシュラホール前庭に移築。 
1990 1月 大学入試センター試験開始
    4月 株価が大暴落
     日本人初の宇宙飛行(ソユーズ)
1990 8月 イラク、クウェート侵攻
   10月 東西ドイツ統一
1991 1月 湾岸戦争(〜2月)
   12月 ソビエト連邦解体

1991 ペルシャ湾に海上自衛隊が出動
    6月 雲仙賢岳大火砕流
    バブル 経済崩壊
1992  国連平和維持活動協力法成立
   10月 自衛隊をカンボジアへ派遣
1992 8月 中国・韓国、国交樹立
1993 6月 徳仁皇太子結婚式
    8月 非自民連立・細川内閣発足
       (55年体制の崩壊)
        プロサッカー・Jリーグ発足
1993 9月 EU発足
1994 6月 自・社・さ連立内閣発足
       戦後初の1ドル100円突破
    9月 関西国際空港開港
1995 1月 阪神・淡路大震災発生
    3月 東京 地下鉄サリン事件
1997 4月 消費税が5%に上がる
1997 7月 英領香港、中国へ返還
1998  長野冬季オリンピック開催
1999  国旗・国歌法、通信傍受法成立
1999 12月 ポ領マカオ、中国へ返還
2000 3月有珠山噴火、7月三宅島噴火
2001 9月米国、同時多発テロ事件
2002 4月 学校週5日制開始
   10月 北朝鮮拉致被害者5名帰国
2003 3月 米英軍、イラクを攻撃
2004 1月 自衛隊をイラクへ派遣
2005   中部国際空港開港
2011   東日本大震災発生、原発災害
2014 4月 消費税が8%に上がる
2016 4月 熊本地震発生(熊本・大分県)
 
2019. 7
. 9
2020. 3
  .4

2021. 3
4
2024. 3
令和 1

2


3

6
第43回ユネスコ世界文化遺産委員会で、「百舌鳥古市古墳群」の世界文化遺産登録が決定。
イオン藤井寺ショッピングセンター」がイオンモール藤井寺の跡地に開店。(岡2丁目)
藤井寺西幼稚園・道明寺東幼稚園・藤井寺南幼稚園野中分園が閉園し、他の幼稚園区に統合・再編。
四天王寺学園中学校・四天王寺学園高等学校が、四天王寺東中学校・四天王寺東高等学校と改称。
社会福祉法人そうび会のふじみ保育園が開園。
(小山藤美町)
 
藤井寺北幼稚園が閉園し、藤井寺幼稚園に統合。市立幼稚園は4園体制となる。(道明寺幼稚園はこども園)
藤井寺市営水道の事業が大阪広域水道企業団に移転統合される。
市立藤井寺市民病院が3月末で閉院。藤井寺市役所の支所(土師ノ里駅北西)も3月末で廃止。
2019 5月 天皇退位、「令和」に改元
      10月 消費税が10%に上がる
2020 3月 WHOが新型コロナウイルス
       は「パンデミック」と表明
       オリンピック東京大会の1年
       延期が決定される
2020 4月 7日に7都府県に緊急事態
       宣言
2021 7月 第32回オリンピック東京大会
       が開会
2022 2月 24日ロシアがウクライナへの
       全面的な軍事侵攻開始
 
 ※1 江戸時代末までの事項については、主として『藤井寺市史・補遺編 U年表』を参照して構成しました。
 ※2 近代以降については、『藤井寺市史』各編をはじめ、『広報ふじいでら』、関連組織・法人・学校等の沿革史などの資料を集成・
    補完して構成しました。
 ※3 「国内一般・世界」欄の事項については、主として『
ビジュアルワイド 図説日本史』(東京書籍)の年表を参照しました。

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