日日雑記 February 2002

04 奥村書店で買った『銀座復興』、久保田万太郎の日々
05 梅見の季節
12 スムースと『喫茶店の時代』と北沢書店、豊田書房お買い物メモ
14 フォリオで買った冨山房百科文庫の『「あまカラ」抄』
22 茅場町での展覧会:チェコのアヴァンギャルド
26 先週末の『菅原伝授手習鑑』通し見物のこと
28 ふたたび、東京国立近代美術館へ

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2月4日月曜日/奥村書店で買った『銀座復興』、久保田万太郎の日々

戸板康二は、昭和19年から昭和25年までの6年間、
日本演劇社という会社で演劇雑誌の編集者をしていて、
敗戦色ひしひしの日々、敗戦、占領下、という感じの、
演劇界の激動のまっただなかで、演劇ジャーナリストととして、
歌舞伎、新劇のありさまをつぶさに見ていた。
大学在学中から「三田文学」に劇評を書いてはいたものの、
卒業後は明治製菓の「スヰート」の編集をしたり、教壇に立ったりしていて、
プロの演劇人として活動するのは28歳、昭和19年を待たなければならない。

自らが社長の職にあった日本演劇社に、戸板康二を誘ったのが久保田万太郎だった。
久保田万太郎が、戸板康二が演劇ジャーナリズムの現場に入るきっかけを作ったということになる。

さて、演劇人・戸板康二にとっての特別な一日のひとつといえそうなのが、昭和20年1月2日。
子供の頃から仰ぎ見るように見ていた、六代目菊五郎に路上で遭遇した日。
『回想の戦中戦後』[*] に描かれている、そのシーンの描写はとても感動的だ。

昭和20年がやってきて、1月2日に築地の日本演劇社にて、新年の顔合わせが行われる。
そこで、編集部の二人が口論を始め、場が白けてしまい、
その場にいた久保田万太郎が、「浅草の焼け跡を見に行こう」と
戸板康二を誘って、外に出ることにした。その路上で、菊五郎に遭遇する。

《風船爆弾工場になっていて興行はしていなかったが、歌舞伎座も、まだ焼けていない。
その向い側の銀座松竹という映画館の前まで来ると、向うから大きなマスクをかけ、
カーキ色の偉丈夫が供を二、三連れて歩いて来る。「万ちゃん」と呼びかけた。
「マスクをとって下さい」と久保田さんが、やや甲高い声でいった。
「ぼくだよ」とマスクをとると、六代目尾上菊五郎だった。
「ことし、何かやろうよ」といって、菊五郎は澄んだ目でキッと見ると、
これから出演する新橋演舞場の方角へ歩きだした。
ぼくは、しばらく、呆然としていた。》

矢野誠一さんが、短篇小説の一節みたいだと書いていたけれども、
さりげない文章のなかで、敗戦色の濃い東京の街かどといった時代の空気とか
演劇ジャーナリストとして演劇の現場のまっただ中で
激動の時代を体験している戸板康二の姿が鮮やかに感じ取れるような気がする。

昭和20年1月2日から数カ月後、戦争が終わり、
その直後の10月3日に、帝国劇場の幕が開いて、
菊五郎一座で、『鏡獅子』と『銀座復興』が上演された。
1月2日に「万ちゃん、ことし、何かやろうよ」と菊五郎が言っていた通りに、
『銀座復興』は水上瀧太郎の原作を久保田万太郎が脚本におこしたもの。

……などと、例によって、前置きが異常に長くなってしまった。

年末以来、久保田万太郎に夢中になっていて、
そのタイミングで、先月は文学座のアトリエで『大寺學校』を観劇、
久保田万太郎の戯曲の実際の舞台を観ることができたのが嬉しいのはもちろん、
文学座アトリエはなんとまあ、素敵なたたずまいだったこと! なにかと胸がジンとなった。
そんなわけで、万太郎熱がさらにヒートアップ、そんな折も折、
久保田万太郎の未読本がなくなってしまったので、渇いたのどを潤そうと、
松屋裏の銀座三丁目の奥村書店へ、久保田万太郎の『銀座復興』を買いに行った。

通りがかる度についのぞいてしまう奥村書店なので、
ここに久保田万太郎の本が何冊か売っているということは前々からよく知っていて、
戸板康二を知ってからというもの、いつの日か万太郎にも接してみたいなと、
つねづね思っていて、奥村書店に入る度に背表紙の久保田万太郎という文字を見て、
「いつかきっと」とずっと思っていた。それに、たまにひょいと
久保田万太郎を引っこ抜いてみると、とても愛らしい装幀でうっとり、ということもよくしていた。
そんなわけで、機が熟して、奥村書店で久保田万太郎を買うことができる、
そんな些細なことがとても嬉しいことだったのだ。
さらに! 『銀座復興』のモデルとなっている小料理屋「はち巻岡田」は、
松屋の裏にあって、銀座三丁目の奥村書店のすぐ近くでもある。
なので、奥村書店で『銀座復興』を手にするのはあまりにも似つかわしい感じなのだ。

というわけで、予定通りに、久保田万太郎著『銀座復興』を買ったのは先週のこと。
銀座三丁目の奥村書店には、思っていたよりは、
久保田万太郎がそんなにはたくさんあるというわけではなかったのだけれども、
『銀座復興』は無事に買えたので、よかったよかった。

久保田万太郎著『銀座復興』(演劇文化社、昭和22年)。
奥村書店ならではな感じで、丁寧にナイロンでカバーがしてあり、
紺の縞をあしらった本体のデザインがとても素敵。
ちょいと小振りで、手にとった感じがとてもいい感じで、
たぶんカバーなしの本のせいか、値段もとてもお手ごろだった。
水上瀧太郎原作の『銀座復興』を久保田万太郎が脚本におこしたものと、
あと、短篇が3つ、『霜しずく』『子役と雪』『とある話』が併録されている。

わたしはいつも、久保田万太郎の本を手にすると、一気に読んでしまう。
もったいないと思いつつも、久保田万太郎の独特の間とか言葉遣いとか、
読んでいてとても気持ちのよい会話文のところとか、全体の澄んだところとか、
いろいろなものの融合としての、久保田万太郎の文章世界に接すると、
心にスーッと浸透するような感じがして、その感覚がたまらない感じで、
この感覚は、チェーホフを読んでいる時間ととてもよく似ている。

今回の『銀座復興』は、まず表題の『銀座復興』から読んで、続いて3つの短篇を読んだ。

『銀座復興』の舞台は関東大震災直後から11月朔日までの銀座の2ヵ月間を描いたもの。
この戯曲が敗戦直後に上演された意味というか、そんな情勢のことを思うと胸がいっぱいになる。
大詰めの第五幕の途中、電気がパッと灯るくだりを目にしたとき、
実際の劇場の、薄暗い舞台が急にパッと明るくなる瞬間が目に浮かぶようで、涙が出そうになった。
尾上多賀之丞が演じたという、女房おとくの姿がとてもよかった。
幕開けの女が最後に再登場する展開も、好きなところ。
そして、なんといっても、万太郎による、東京言葉を追っているひとときの、素晴らしいこと!
実のところ、これに尽きるような気がする。久保田万太郎の戯曲をもっともっと読みたい。

とかなんとか、戸板康二の文章で目にした、
菊五郎の「万ちゃん、ことし、何かやろうよ」から、
敗戦直後の帝国劇場での『銀座復興』、この一連の展開が前々から好きで、
今回実際に久保田万太郎の脚本に接したこと、そのよろこびについて書きたかった。
あとで、三島由紀夫の『芝居日記』(中央公論社)をめくってみると、
平岡公威青年は、10月10日に帝劇を訪れている。
その生々しい観劇ノートもとてもよかった。当時の情勢をよく伝えている。

『銀座復興』に併録されている3つの短篇小説も、どれも好きな文章だ。

『霜しずく』は全編、結婚を控えた娘さんに宛てた中年男による独白体の文章となっていて、
久保田万太郎の作品によく見るような気がするモチーフ、
なんといったらいいのか、人生に諦めたような感じ、
時が過ぎて気がついてみれば何もかもが変わっていて、
自分だけが置いていかれた、という感じのモチーフとなっていて、
こういう感情を扱う万太郎の筆は、どこまでも澄み切っている。

久保田万太郎のエピソードを見てみると、ちょっと垣間見ただけでも、
公私ともに悪評プンプンでとってもドロドロ、なんだかすさまじい感じなのだが、
万太郎の文章や俳句などは妙に透明で軽やかで繊細で、切なくなってしまうほどだ。
『霜しずく』でも、そんな久保田万太郎の典型を見ることができる。
もしかしたら、万太郎自身の独白でもあるのかもしれない。

《つまり、おじさん、こまったあわてものなのだ。
……随分用心してあるくつもりでも、石にでも、木の根にでも、
うっかり躓くと、必要以上に、すぐカッとしたり、アタフタしたり、
もッとわるいときには、その場を去らず、もう目がみえぬようになってしまったりするのだ。
それで、おじさん、若いとき、どれだけ自分をしくじらせたことか。
……だんだんそれに懲りたり、怖くなったり、自分で自分がいとしくなったりした揚句、
これは何んでも臆病に立ちまわるに限る、はじめッから逃げてかかるに如くはないと気がつき、
うそにも遁げるとすれば、ちッとでも、身がるなほうがいい、
よけいな足手纏いのないほうがほんとだと、
とッくりと胸に手をあてた末たどりついたのがいまの一所不在の生活だ、
一人もののいさくさのないあけくれだ、》

《……けさは寒く、おどろくほど霜が強かった。どこもかも一めんに真っ白だった、
そして、くッきりと、そういってもみごとに富士が晴れていた。……が、
だんだん日が高くなり、霜がとけはじめ、木の葉、草の葉の眩しくかがやきだすや、
いつかまた富士に雲が懸ってしまった。
霜と雲、いつもキマリでそうなのだ。
でも、天気は上々だ。》

それから、『とある話』でも久保田万太郎の作品でよく見るモチーフ、
終始登場しない不在の誰かがそのストーリー全体を覆っているという感じ、
たとえば『春泥』における若宮のような存在を見ることができて、とてもよかった。

あと、『とある話』で、登場人物が麻布十番の永坂更級でソバを買っていて、
ひさしぶりに、永坂更級に行きたくなってしまった。



久保田万太郎を読もうとすると、ほとんどが絶版で、すっかり過去の人と化している。

本屋さんで目にしやすい本だと、『大東京繁昌記 下町篇』(平凡社ライブラリ)の
「雷門以北」を久保田万太郎が執筆していて、
小村雪岱の挿絵が、いかにも久保田万太郎に似つかわしい。

前々から戸板康二を通して、その存在は気になっていたものの、
わたしが初めて、久保田万太郎が本格的に気になりだしたのは、
歳時記で垣間みた俳句がきっかけで、
去年、梅見の真似事をすべく、鎌倉ピクニックに繰り出した直後に見つけた万太郎の句、

青 ぞ ら の い つ み え そ め し 梅 見 か な

この句がいたく心に残って、歳時記で万太郎の俳句を一生懸命さがしては悦に入っていた。

そのあとに、戸板康二の『久保田万太郎』[*] を初めて通読して、
なんだかもう、胸がいっぱいになってしまった。
とにかく、戸板康二の著書の中でも指折りの名著だと思った。

それからちょっとたって、ふらんす堂発行の、美しき小さな句集、
『久保田万太郎句集/こでまり抄』(成瀬櫻桃子編)を東京堂で買った。
この本がたぶん、新刊書店で手に入る唯一の久保田万太郎。
ベッドサイドの本棚に並べて、低音量で音楽を聴きながら
句集のページを繰るその至福! という感じだった。
小島政二郎の著書に、青山二郎の装幀が素敵な、
『俳句の天才 久保田万太郎』(弥生書房、1997年)というのがある。
説明しようとすると、とてもうまく言葉にできそうもないのだけれども、
わたしもしみじみ久保田万太郎を「俳句の天才」だと思う。

それから、何ヵ月かたって、去年の年末の国立の古本屋の軒先で、
角川書店の日本近代文学大系『久保田万太郎 山本有三集』を300円で買った。
戸板康二が解説をしていたことと、俳句が少し載っていて、
俳句の解説を欲していたので、これはよい機会、とよろこびいさんで買った。
この図体ばかり大きい全集の端本、久保田万太郎の作品は、
小説『春泥』と戯曲『短夜』と、俳句を収録している。
目当ての俳句コーナーもよかったけれども、『春泥』が素晴らしくて素晴らしくて、
メロメロになってしまって、そして戯曲の『短夜』も素晴らしくて素晴らしくて、
とにかくもう、一気に久保田万太郎に夢中になってしまった。

2002年が明けた直後、文学座で久保田万太郎の芝居がかかることは前々からチェック済みだったので、
おおいそぎで、岩波文庫の『大寺学校・ゆく年』を取り寄せて、さっそく読みふけった。

すべて絶版だけれども、岩波文庫の久保田万太郎は今まで計3冊出ている。
● 『大寺学校・ゆく年』
● 『春泥・花冷え』
● 『末枯・続末枯・露芝』

すぐに取り寄せて、届くと同時にすぐに読みふけって、どれもこれもが大好きな作品となった。

……と、この一年間というもの緩やかに久保田万太郎の世界に親しんではいて、
そして、去年の年末から急にヒートアップして、久保田万太郎に夢中の現在。

これから先も、ゆっくりと、久保田万太郎の作品に接していこうと思う。
個人的には、戯曲をもっと読んでみたいと思っている。
そして、戸板康二の『久保田万太郎』[*] をまたじっくりと再読してみようと思う。
去年読んだときよりも、格段に久保田万太郎への親しみが増しているので、
読後感はまた少し変わってくるだろうし、もっと違う視野を得るであろう。

戸板康二の師として名前の挙がるのが、折口信夫と久保田万太郎。
久保田万太郎の世界に親しむことができたことは、戸板ファンとしても嬉しいことだ。
(折口学の方は、あえなく挫折していたが、こちらはまた日を改めて、接近を試みることにして……。)




  

2月5日火曜日/梅見の季節

年が明けて、一番最初に梅の花を見たのは、先月の中旬のこと。

とある土曜日、庭園美術館にて《旧朝香宮邸のアール・デコ》を見物したあと、
青い空の下、美術館のまわりのお庭をぶらぶら歩いていると、
梅の花が半分くらい咲いているのに遭遇して、おおはしゃぎしてしまった。

思わず、咲いている花に近づいてみると、
かすかに梅のにおいがプーンとしてきて、
咲いている花もまだ蕾みの花も、紅梅も白梅も、
どれもこれもがなんて愛らしいこと! 
それでいて、たたずまいはとてもつつましく、
それから、梅の木の曲線はなんて美しいことだろう。

これからしばらく梅の季節が続くと思うと嬉しい。

思えば、毎年2月は心身ともに冬眠モードで思いっきり冴えないし、
3月に入れば花粉症の諸症状にみまわれ、さらに冴えない日々が続く。
そんな鬱屈した日々のなかでの唯一のよろこびは梅の花だ。

「夜ふけと梅の花」という感じに、
家路をたどっているときにふらっと遭遇する梅の木など、
初春の日々の大きなよろこびといってよいし、
大げさに天神さまに行くではなしに、
ほんの散歩の道すがらに梅の木に遭遇して、
ちょっとした梅見気分を味わうのが一番のよろこび。

今日、図書館で『久保田万太郎全句集』(中央公論社、昭和46年)を借りた。
久保田万太郎のすべての俳句が季題別に収録されている、いつか欲しい夢の一冊。

……と、そんなわけで、来るべき梅見気分を盛り上げようと、久保田万太郎の「梅」の句を抜き書き。


梅 は 春 は 塔 に 浅 か る 嵐 か な(明43)

梅 が 香 の さ び し や 鯛 の や き ざ ま し(大6)

梅 が 香 に 火 の な き 火 鉢 な ら び け り(大8)

今 年 ま た 梅 の 句 つ く る よ す が か な(大8)

パ ノ ラ マ は す た り て 梅 の さ か り か な(大8)

白 足 袋 の 爪 先 さ む き 梅 見 か な(大11)

青 ぞ ら の い つ み え そ め し 梅 見 か な(昭5)

夜 の 梅 を り か ら 時 計 鳴 り に け り(昭10)

友田恭助君と語る
梅 の 中 池 つ ぶ さ れ て ゐ た り け り(昭11)

ま た も と の 土 手 に い で た る 梅 見 か な(昭12)

ひ と と こ ろ 硝 子 戸 あ い て を り 梅 に(昭12)

咲 き す ぎ し 梅 た そ が る る 白 さ か な(昭12)

梅 な ま じ 咲 い て ゐ て 園 哀 し け れ(昭12)

梅 が 香 の か よ ふ 薄 氷[うすらひ] む す び け り(昭13〜17)

枯 芝 に 薄 紅 梅 の 匂 ふ か な

一月下旬、上海より帰り、ただちに大仁におもむく、温泉にのみ浸りて数日をすごす
梅 咲 い て ふ た た び 霜 の つ よ き か な(昭19)

木島榛名逝く
紅 梅 の 乏 し き 花 を み よ と の み(昭20)

たまたま大町の裏通りをすぐ
梅 寒 き 一 中 ぶ し の 稽 古 か な(昭21)

北鎌倉に真船豊を訪ひて、二句
お の づ か ら 雨 中 の 梅 と な り に け り(昭22)
掻 い く ぐ る ご と く 来 れ り 梅 の 中(昭22)

雑誌「苦楽」の寄席特集にこたへ、そこはかとなき少年のおもひでを語る
梅 咲 く や 小 さ ん と い へ ば 三 代 目(昭22)

北鎌倉をすぐ
さ り げ な く 咲 き た る 梅 の さ か り か な(昭23)

一月二十六日、松本幸四郎、文部大臣賞をうく
み づ は さ す 八 十 路 の 老 い に 梅 し ろ き(昭24)

下 り し バ ス や り す ご す と き 梅 咲 け り(昭24)

屋 敷 こ と し の 梅 を 咲 か せ け り(昭24)

井上正夫を悼む
さ が み 野 の 梅 ヶ 香 黄 泉 に か よ ひ け り(昭25)

二月二十七日、 "ラジオ東京" の羊軒、高田保追悼座談会
大 磯 の 梅 し ろ け れ ば 哀 し さ よ(昭27)

二月十九日、毎年のことにて、鎌倉建長寺内稻田龍夫邸に招かる 二句
め ッ き り と 園 主 老 い た る 梅 見 か な(昭31)
梅 み ご ろ 谷 戸 さ し わ た る 日 に み ご ろ(昭31)

書 き つ く る 梅 の 一 句 や 箸 紙 に(昭31)

中村福助、新婚
こ こ に 二 人 梅 に 紅 白 あ る ご と く(昭31)

三月十一日、神西清君の訃に接す
梅 寒 し あ と か ら あ と と 人 の 死 に(昭32)

杵屋栄蔵師匠、湯島にうつり来る
つ た へ け り 梅 の 湯 島 の 家 元 と(昭32)

二月二十日、耕一、三回忌、二句
梅 の 句 を 染 め し 供 養 の ふ く さ か な(昭34)
何 お も ふ 梅 の し ろ き に な に お も ふ(昭34)

風 や み ぬ つ ぼ み も つ 梅 も た ぬ 梅(昭34)

散 り き れ ぬ 梅 の み れ ん よ わ が 老 い よ(昭34)

雨 の 中 観 梅 列 車 着 き に け り(昭36)

さ き の こ る 梅 の な げ き を わ か て と や(昭37)

梅 の 句 を も っ て 結 び し 弔 辞 か な(昭37)





  

2月12日火曜日/スムースと『喫茶店の時代』と北沢書店、豊田書房お買い物メモ

連休初日の土曜日は早起きして大掃除にいそしんで、
気分は爽快、お昼ごはんを食べたあと、神保町に行った。
午後六時から国立劇場の文楽公演を観劇することになっていて、
それまでの時間、本を何冊か買って、喫茶店を二軒はしごという、
そんな感じにひとりでのんびり神保町の休日、というのはとってもひさしぶりで、
コーヒーが美味しくて雰囲気もよい喫茶店を新たに発見したりもして、
それになによりも、買った本がどれもこれもよかった。
なんだかもう、言うことなし、という感じだった。
そして、文楽が好きで好きで、文楽が東京に来ると、
待ち切れずにたいていいつも初日に行ってしまうのだけれども、
土曜日に観覧した、玉男さんと蓑助さんによる、近松の『冥土の飛脚』が
素晴らしくて素晴らしくて、文楽に夢中になったばかりの頃のような、
新鮮な気持ちを取り戻して、敬虔な気持ちでうっとりと堪能した二時間だった。

先週、スムースの最新号が届いて、特集は「パリ本の魅力」。
スムースのつくりはどこまでも洒落ていて、現在唯一、発売が待ち遠しい本の雑誌だ。

洲之内徹の本で最も心が揺さぶられた文章のひとつが、
海老原喜之助の《ポアソニエール》のところで、
今回届いたスムース最新号では表紙を開いた瞬間に、
海老原喜之助による挿絵(タイトルは「古本市」←セーヌ河岸)が
ささやかに印刷されているのを見ることができたりする。

わたしにとっては、特集で紹介される本が、
もとから知っていた本だったということはわりかし少なくて、
特集の中身も今まで知らなかったことばかり書いてあったりして、
そこから生じる適度な距離感というか、適度な「うっとり眺める」感が、
とても程よくて、わたしにとってのスムースの一番の魅力はそこにある。
そして、いつも古書への新しい切り口を教えてもらったような気分になる。
その適度な距離感でもって味わう書物そのものへのあこがれとか、
書物のかもしだす空気に身をひたす快楽を思い起こさせてくれるところとか、
スムースを手にしている瞬間に味わう関西へのあこがれとか、
なんだかうまく言葉ではいえないのだけれども、
スムースを手にしているときの重層的な気分は格別。

今回のスムースでとみに味わったのは、旅行への誘い。
11月朔日の京都散歩 >> clickのことをいろいろ思い出したりもして、
今年はひさしぶりにパリに行きたいところだけれども、実現するかどうか。

さてさて、土曜日に買った本のうちの一冊が、スムースの編集人の
林哲夫さんの著書『喫茶店の時代』(編集工房ノア、2002年)という本。
この本が発売になったということを知って以来、楽しみで楽しみで、
ぜひとも土曜日の神保町で買って、そのあとコーヒーを飲みながら読みふけろうと決めていた。
そして、期待に違わず、「ハートに直撃」という感じの一冊だった。

前書きでは「ひとつのコレクション」という言葉で本の内容を説明していて、
《喫茶店という文字を見つけると嬉しくなってメモしていく。
喫茶店の写真や絵もできるだけ手許にためこんでいく。
そういった遊びの延長にできあがったのがこの本なのである。》
というふうに書いてあって、古書道の合間に垣間見る喫茶店リストともいえそうで、
『喫茶店の時代』は「あのときこんな店があった」というサブタイトルが示すように、
喫茶店という切り口で古書を読む、という体裁の本といえそう。

石神井書林や月の輪書林の目録の昭和初期モダニズムの空気にうっとりしている瞬間のような、
ふだん何気なく読んでいる本に登場する、都市風景を頭の中に思い描いている瞬間のような。

脚注に、モダーンな装幀の古書やよい雰囲気の挿絵を眺めることができて、
そして、何よりも、『喫茶店の時代』に紹介されている数々の本の引用とか、
具体的な喫茶店や酒場の描写など、なにかと「ハートに直撃」なのだった。
「らんぼお」の評判の美少女、鈴木百合子さん登場のところは「やられた!」という感じだった。

この『喫茶店の時代』は、土曜日の神保町、初めて行ったとある喫茶店で読んだ。
窓の外では、ハラハラと粉雪(だと思う)が太陽光線とともに舞っていた。

スムースには毎回素敵な付録が挟まっているのだけれども、
今回の「パリ本の魅力」の付録は、セーヌ河岸のブキニストを写したセピア色の絵葉書。

今、スムース最新号を手にして、この絵葉書を見ていたところで、
これを見て、突然、北沢書店の絵葉書のことを思い出した。

北沢書店、はるか昔の女学生の頃からのあこがれの洋書屋さんで、
今でも、土曜日の午後の神保町の定番コースのひとつ。
前を通ると必ず軒先を眺めて、中の棚も眺める。
買い物することは最近は特に少なくなったけれども、
北沢書店に足を踏み入れる瞬間の昂揚は今も昔もまったく変わらない。
で、北沢書店には、特製のポストカードが何種類か売っていて、
ヨーロッパの古書の挿絵をあしらったポストカードはとても素敵で、
わたしはこのポストカードの大ファンだった。
急に、うるわしのポストカードのことを思い出してしまって、
引き出しの中を探してみたところなのだが、
気に入っていたあまりにお友だち宛に使ってしまったことが多くて、
ほとんど残っていなくてがっかり。
今現在、わたしの引き出しにある北沢書店の絵葉書は1枚だけ、
《ダフニスとクロエ》の絵柄のもの。
最近の北沢書店ではあまり売っていなかったような気がする。
でも、単に見逃しているだけという気もする。一セット手許においておきたいところ。

まあ、スムースと『喫茶店の時代』と北沢書店、
それぞれを通して味わった書物へのあこがれで胸を満たす時間はひとしおだなあと、
文章が全然まとまっていないのだけれども、なにかと上機嫌なのだった。



ここから先は、先週の土曜日の午後の神保町ショッピング記録・前編。

【豊田書房お買い物メモ】

豊田書房も、土曜日の午後の神保町の定番コースなのだが、
眺めるだけのことが多くて買物したのはひさしぶり。
軒先に、筑摩書房の現代日本文学大系の端本が何冊か出ていて、
そこで里見とんと久保田万太郎の巻を発見。
この本の存在は前々から知っていて、里見とんも好きな作家なので、
久保田万太郎の未読の作品を読めると同時に里見とんを読めるという点でも嬉しい。
こういう大きな全集の端本を買うのは結構好き、ワオ! と手にとって、店内に入った。

何ヵ月も前から豊田書房の棚で、
戸板康二の『いろはかるた随筆』[*] が売っているのを見ていた。
その造本にうっとりだった。前々から読みたいと思っていた本だったのだが、
なかなかタイミングがあわずずっと買い損ねていた。
現代日本文学大系片手に『いろはかるた随筆』のあたりの棚に行ってみると、
無事在庫していてよかったよかった。実は、今日こそこの本をと思っていて、
今回の神保町来訪の大きな目的のひとつが『いろはかるた随筆』だったのだ。
そんなこんなで、予定通りの『いろはかるた随筆』と
予想外の久保田万太郎というふうに、ひさしぶりに豊田書房で買物できて嬉しい。
お買い物すると、お会計のときご主人とちょろっとお話できるのも実は嬉しかったり。

そのあともぶらぶらと本屋さんをいくつかのぞいて、
最後に、東京堂をのぞいたあと、向かいの喫茶店のフォリオで一休みした。

● 現代日本文学大系『里見とん 久保田万太郎集』(筑摩書房、昭和47年)

久保田万太郎の作品は、『末枯』『続末枯』『寂しければ』『花冷え』
『市井人』『三の酉』『大寺学校』『流寓抄』を収録している。
わたしが久保田万太郎に夢中になったのは、年末の国立で買った、
角川の日本近代文学大系の端本で『春泥』を読んだのがきっかけで、
こんな感じに、ひょいと軒先で全集の端本を買って、そこの未読作品を読んでみる、
というスタイルも予定外の読み物を読む機会というわけで、結構好きなのだ。
図体ばかり大きくて、無駄な買物をしているなあとわかってはいるのだけれども。

フォリオでさっそく、句集の『流寓抄』を読みふけって
胸にじんわりと、しみじみとよい時間を過ごすことができた。
戸板康二著『五月のリサイタル』[*] に「久保田万太郎遺跡」という文章があって、
久保田万太郎が住んでいた場所を時系列にめぐって紹介してくれていて、
戸板さんだからこそという感じの、万太郎の生涯とか筆者の実感とか
東京の変遷とかが絶妙に交錯して、実にすばらしい一遍となっている。
そこで、戸板さんは、万太郎にとっての鎌倉は新鮮な生活だったとして、
《先生の鎌倉の句は、いずれも、その土地に対する愛着を思わせる》
というふうに書いていて、ここを目にして、久保田万太郎の鎌倉の句が気になるッと
ずっと思っていたのだけれども、『流寓抄』の序文は、

《昭和二十年十一月、ぼくは、東京を捨てて鎌倉にうつり住んだ。
……そのとき以来である。ぼくに、人生、流寓の旅がはじまったのは……
そして、そのあと、早くも十余年の月日がすぎた。
そのあひだで、ふたたびぼくは東京へかへるをえた。
が、ぼくの流寓の旅は、それによって、決して、うち切られなかった。》

という書き出しになっていて、この序を読んだあとに、
句集のなかへと入っていって、そこにあらわれる材木座海岸の波の音、
鎌倉の曇り空、鎌倉文士との交流といったような、鎌倉の句の連鎖にとにかく胸がいっぱい。
まったくもって、久保田万太郎の俳句はすばらしい。

たとえば、昭和24年に還暦を迎えた万太郎の新年の句、

年 寒 し う つ る 空 よ り う つ す 水

一読して、しばらく顔をあげて、その余韻にぼーっとしてしまう句がとても多い。

それから、「鏑木清方先生を訪ふ」として、

長 き 夜 や ひ そ か に 月 の 石 だ た み

この句を目にして、急に雪ノ下の鏑木清方美術館のたたずまいを
ヴィヴィッドに思い出す。桜の咲く前に、ひさしぶりに鎌倉へ行きたいな。

残りの、未読の『寂しければ』『市井人』『三の酉』の三篇は、
少しずつ、就寝前のソファで読みすすめる予定。
久保田万太郎中毒の身としては、新しい本を買えたのはよかった。


● 戸板康二『いろはかるた随筆』(丸ノ内出版、昭和47年)[*]

フォリオに入って、まっさきに読みふけったのが、この『いろはかるた随筆』。
段ボール状のケース入りで、A5 変型で正方形っぽい判型、
戸板康二の著書にいかにもふさわしい感じで、まずは本全体がとてもいい感じ。
そして、本の中も実に洒落ていて、中身もいかにも戸板康二の著書という感じ。
最近、戸板康二の「表」名著を10冊挙げるとしたら何がよいだろう、
ということをよく考えるのだけれども、この『いろはかるた随筆』は、
「裏」の名著を10冊ずリストアップするとしたら、必ず入る本だと思った。ケッサク。

去年の5月に初めて、戸板康二の『いろはかるた』[*] という本を読んだ。>> click
面白くて面白くて、当時大興奮していたのだったが、『いろはかるた』は、
『いろはかるた随筆』のエッセンス的な内容だったということがわかった。
なので、本家本元の『いろはかるた随筆』は、そうりゃあもう、
面白くないわけがないッ。読んでいるうちに、心がスイング。

本家「いろはかるた」の一般的紹介のあとは、
色々な人が作った色々なカルタを紹介している。
そのあと、戸板康二個人の話しとなるわけだが、
《国文科に進学して、折口信夫先生の教室にかよい、にわかに沖縄に関心を持った。
……突然かるたを作りたくなって、こんなものをこしらえた。》
というところから、沖縄カルタを最初に、戸板さん私製のカルタのお話になる。
にわかに沖縄に関心を持った、ということは、初耳でびっくりしてしまった。

戸板さん作成のかるたのことと交えて、
色々な人の色々なカルタを紹介していて、
ページの指を止めることができないくらいに面白くて面白くて。

たとえば、古川ロッパが一座の座員に
「舞台人の心得」を教えるために作ったカルタがあるのだそうで、
戸板さんによると、教訓を旨としているのでスカッとしないのも多々ありなのだそうだが、
そのなかでは「ろんより稽古」というのに思わず笑ってしまった。
小沢昭一も同じように、若い俳優に寄せたカルタをこしらえていて、
「ほ:ほめられないうちが華」というのが秀句として紹介されている。
戸板さんが一番笑ったのは「や:止めるなら、今だ」なのだそう。わたしも笑ってしまった。
それから、高田保が作った「文壇いろはかるた」とか双葉十三郎による「映画いろはかるた」
矢野目源一が作った「スターいろは歌留多」など色々あって、それぞれがほんわかと楽しい。
佐分利信を評した「ぬ:ぬうっと顔を出してスターなり」がわたしのお気に入り。

そして、この本の圧巻は、戸板康二特製の「歌舞伎のセリフ歌留多」。
吉田千秋の写真の図版も用意されていて、なんともぜいたく。嬉しい。

戸板さんが風邪で臥せっているとき、吉田千秋の撮った写真を見ているうちに
ふと思いついて、写真をアルバムに貼って、セリフのいろは順に並べてみたとのこと。
その完成品が吉田千秋の写真ともに、この本に掲載されたというわけで、
戸板さんによると、《多少自慢できるのは、写真が、すべてのその脇の文字のセリフをいっているか、
その(義太夫その他の)詞章で動いているかに限定されている点にある》。

たとえば「か:鰹は半分もらってゆくよ」の札の写真はちょうど、
『髪結新三』の家主守田勘弥がそのセリフを言っている瞬間をとらえていて、
ちなみに一緒に写っている、新三は勘三郎、勝奴は富十郎。
「て:でかしゃったなア」の札は、歌右衛門の政岡が手を振りあげている瞬間。
この歌留多、実際の写真と照らし合わせて、ひとつひとつ歌留多の文句を追ってみるととにかく圧巻。

……とかなんとか、「いろはかるた」をめぐるあれこれ、
文字通りの「いろはかるた随筆」のこの本、、実に面白い本だった。
酒場で談笑している気分になるような感じで、
そして、「洒脱」という言葉が実感を持って迫ってくる。
ブラボー! 戸板さん! と、嬉しくなってしまった。





  

2月14日木曜日/フォリオで買った冨山房百科文庫の『「あまカラ」抄』

さて、今日の日日雑記は、先週の土曜日の神保町お買い物メモの後編を。

冨山房百科文庫から『「あまカラ」抄』全三巻というのが
出ていることを知ったのは、わりと最近のこと。
ジュンク堂の棚をめぐっていた折に、
冨山房百科文庫の棚で見つけてびっくりしてしまった。
こんなものが出ていたなんて! 今まで見逃していたのはとんだドジだった、
と思ったのだけれども、よくよく思い起こしてみると、
「あまカラ」という雑誌のことを意識するようになったのは先月の中旬ぐらい、
ごく最近のことだった。今まで見逃していたのはいたしかたなかった。

その執筆陣の名前を眺めるだけでうっとりの「あまカラ」という名の、
食味随筆を載せた、洒落た小さな雑誌がかつて出ていて、
昭和27年8月に創刊、昭和43年4月の200号と翌月の続200号を持って終刊、
「あまカラ」は大阪の甘辛社が発行、発行人はお菓子の老舗鶴屋八幡の経営者、
といっても、「あまカラ」は鶴屋八幡の PR 誌というわけではない。
創刊号以来毎月のように連載されたのが小島政二郎の「食ひしん坊」。

……というような、「あまカラ」についての二、三の事柄をきちんと知ったのは、
今回購入した、高田宏編『「あまカラ」抄 1』(冨山房百科文庫)の解題を通して。

編者の高田宏は、蔵原伸二郎のエッセイの冒頭の、
《「あまカラ」という雑誌は未だ来ないかと、いつも待ち遠しく思う本である。
それが来ると、何をおいても隅から隅まで一気に読んでしまう。
読んだ後、生きていることが何とはなしにうれしくなる。》
という一節をひいて、「あまカラ」掲載のエッセイのアンソロジー全三巻を
こしらえるにあたっての気持ちを、代弁させている。

蔵原伸二郎の文章は、わたしのスムースに対する気持ちとまったくおんなじで、
それから、暮しの手帖社から毎年10月に出る「御馳走の手帖」も同様。
待ち遠しい雑誌がひとつでもあるということは、人生の大きなよろこびだし、
かつて、こんなに素敵な雑誌が出ていたなんて! 同時代に居合わせたかった!
というような雑誌に思いを馳せる時間も格別。
いざ、『「あまカラ」抄 1』(冨山房百科文庫)を実際に手にして、
次々にいろいろな書き手によるエッセイを読み進めているうちに、
まさしく、生命が延びるような気がするね、という気分になってきた。

ところで、わたしが初めて、「あまカラ」という雑誌のことを意識したのは、
先月の中旬の三連休のとある日に、横浜に出かけた折りのこと。

映画を観た帰り道に通りがかりの古本屋さんで、大岡昇平の本を二冊買った。
講談社文芸文庫の『わがスタンダール』と三月書房の小型本『スコットランドの鴎』。
両方とも探していた本なので、とても嬉しかった。
で、後日さっそくエッセイ集、『スコットランドの鴎』を読みふけっていて、
そこに載っていた「巴里の湯豆腐」と「ヤガラの味」というエッセイの末尾に、
初出誌の名前が「あまカラ」となっているのを見て、「あっ」と思ったのだ。
なぜ「あっ」と思ったのかというと、同じく三月書房発行の
戸板康二のエッセイ集でも、見たことのあった雑誌名だったから。
大岡昇平のエッセイも載っていれば戸板康二のエッセイも載っている雑誌とは、
それだけでなにやらただものではない気配、などと思って、
ふむふむ、とりあえず名前だけは覚えておこう「あまカラ」というわけで、
名前だけは覚えておいたところで、ジュンク堂の棚で見つけてびっくり、
『「あまカラ」抄』なる書物が発行されていたなんて! と大喜びしていた次第。

戸板康二のエッセイで「あまカラ」初出のものは、
今ちょっと探してみたところでは、たとえば『ハンカチの鼠』[*] 所収の、
「ともに食べる」「悲食記」というエッセイがあった。
『ハンカチの鼠』の初版は、大岡昇平の『スコットランドの鴎』と同じ判型の、
文庫本サイズくらいの函入りのハードカバーの小型本で、
三月書房は何冊も同じ判型の様々な著者による随筆集を刊行していて、
わたしは、この小型本の大ファンなのだ。

そして、三月書房のエッセイ集では、それぞれのエッセイの後ろに、
初出誌の名前と掲載された号数を記してくれているというわけで、
そのエッセイが掲載されていた雑誌に思いを馳せることにもなって、
三月書房がきちんと雑誌の名前を記していてくれることは、
なんてありがたいことなのだろう! ということを今回とみに思った。
たとえば、戸板康二のエッセイを読んでいて、その掲載誌が、
大好きな「花椿」だったことを知ったときはほんわかと嬉しかった。
掲載誌のカラーでもって微妙に文体を変えていることが伺えたりもして、たのしい。

というわけで、三月書房の素敵なエッセイ集を通して知ったのが、「あまカラ」だった。
ジュンク堂で、冨山房百科文庫の全三巻の『「あまカラ」抄』を見たとき、
思わず買い占めたい衝動にかられたのだけれども、
他に必要な書籍を買う予定だったのでそうも言っていられず、
その日は諦めることにして、そして思いついたのが、
そうだ、神保町のフォリオで、冨山房百科文庫がテーブルに並んで売られているので、
これから、フォリオに行く度に、一冊ずつ買っていくことにしようということ。
この思いつきはたいそうわたしをワクワクさせていて、
そんなこんなで、先週の土曜日、その一冊目の『「あまカラ」抄』を購入したのだった。

『フォークナー全集』の版元の冨山房が経営していた本屋さんが、
何年か前までかつて東京堂の向かいにあった。
同じ本を買うならこのお店で、と思うお店の二大柱が、冨山房書店と東京堂だった。
冨山房の本屋さんが閉店して、ドラッグストアになってしまったあとも、
地下の、出版社冨山房経営の喫茶店フォリオはそのままで、
冨山房の本屋さんへの郷愁とともに、ウィーン風ミルクティを飲みながら、
買ったばかりの本のページをめくってフォリオでのんびり、が、わたしの定番コースのひとつ。

冨山房百科文庫が並んでいるテーブルを、字面がいい感じだなあと、
いつもなんとはなしに眺めてはいたのだけど、実際にお買い物したのは今回がはじめて。
お買い物して、店員さんがビニール袋に入れてくれ、
そのビニール袋はかつて冨山房の本屋さんで使っていたものと
まったくおんなじもので、んまあ! と大感激だった。

実は、フォリオの一角は、冨山房書店なのだ。冨山房書店は健在なり。
またここで、冨山房百科文庫を買おうと思う。
「あまカラ」抄の二巻と三巻の次は『秀十郎夜話』の予定。お楽しみはこれからだ。

● 高田宏編『「あまカラ」抄1』(冨山房百科文庫50、1995年)

全三冊の『「あまカラ」抄』のうち、今回買った第一巻は作家篇。
幸田文、武田泰淳、獅子文六、大岡昇平といったおなじみのひとから、
梅崎春生や大佛次郎など気になる名前がいくつもあって、
雑誌「あまカラ」の執筆陣がいかにぜいたくだったかを教えてくれる目次となっている。

ちなみに、第二巻は学者・評論家篇、第三巻は諸家篇とのこと。
ちらりと目次を眺めたところ、残りの二冊の執筆陣の並びもとてもいい感じだった。
(戸板康二の名前は見当たらず、ちょっびり残念……)

獅子文六など、いかにも「あまカラ」に似つかわしい感じで、
収められているのは「ナプキン」というタイトルのエッセイ、
獅子文六の随筆をひさしぶりに読み返したくなってしまった。
大岡昇平は『スコットランドの鴎』所収の「巴里の湯豆腐」。

獅子文六は『食味歳時記』で、さんざん食べ物について書いたあと、
《長々と書き連ねたが、なにが好きだの、かにがウマいのと、人に語ることが、
あまり、意味のあることとは、思っていない。一人で、自由に食っていれば、いいのである。》
という結んでいる。そのことは百も承知、ということがエッセイの根底にあって、
でもでも書いているうちに筆がすべってすべって、という気配に満ちていると同時に、
実はクールに客観視しているもう一人の自分がいて、という文章が、
獅子文六にかぎらず、他の食べ物随筆には多いように思うし、
面白い食べ物随筆はすべてそんな性質の文章だということにも気付く。
そんなエッセイの数々は、ほんわかといい感じにユーモラスで、読んでいるこちらも頬が緩む。

わたしは食そのものに対する関心は実はあんまり高くないというのに、
食べ物に関するエッセイを読むのが大好きなのはなぜだろうとずっと思っていたのだけど、
『「あまカラ」抄』を読んでみると、その理由がおぼろげに見えてくる感じ。
それぞれの書き手の文章に見られる、遠い日本の生活がなんだかとても愛おしいのと、
食味エッセイを通して味わう、それぞれの上質のユーモア。

というわけで、典型的な「アンソロジーの快楽」がこの本には詰まっている。
アンソロジーの快楽というと、読んだことのない書き手の文章が案外気に入って、
その本を通してでなくては絶対に触れることのなかった書き手との出会い、
というのがあるが、出会いというには大げさなささやかなところでは、
今回の『「あまカラ」抄』は、有吉佐和子の文章がなんだかよかった。
有吉佐和子は今までまったく読んだことがなく、というか読まず嫌いで、
今後もあんまり読む機会はないとは思うのだが、
『「あまカラ」抄』に載っている有吉佐和子のエッセイは、
たぶん現在のわたしと同じぐらいの年齢のとき書いたものだと思う、
そのちょいと生意気な才女気質がなかなか微笑ましかった。
あと、モダン都市横浜の空気を肌で感じることのできる、大佛次郎のエッセイがとてもよかった。




  

2月22日金曜日/茅場町での展覧会:チェコのアヴァンギャルド

日が暮れた頃、茅場町へ。タグチファインアートというギャラリーへ行った。

《チェコのアヴァンギャルド:写真とブックデザイン》という、
タイトルを聞いただけでワクワクの展覧会が開催中らしい、と
さる方に教えてもらっていて、さっそく足を運んだのだった。

ギャラリーは、隅田川の支流の川沿いの建物の4階にあって、
まずはこの建物が見ものだった。
いつごろの建物なのかはっきりはわからないけれども、
小津安二郎の映画にでも出てきそうなかなり古めの建物、
川沿いに建っているそのたたずまいがなんだかよかった。
狭い階段をのぼって、4階のギャラリーにゆくのだが、
ふと洲之内徹の現代画廊のある銀座の建物のことを思い出してしまった。
洲之内徹在りし日の現代画廊に入るまでの道のりも、
きっとこんな感じだったに違いないなと、
そんなことを思うと、どうしても胸が高まる。

そして、展示もとてもよかった。
《チェコのアヴァンギャルド:写真とブックデザイン》という名前の通り、
1920年代のチェコの写真、雑誌、書籍を見ることができる。

まずは写真、ヤロミール・フンケ(1896-1945)の白黒写真がさっそくかっこよかった。
被写体のフォルムと光と影の交錯具合や静物の構図が「写真」というよりは
「デザイン」という感じで、眺めて楽しい。

さっそく「眼の歓び」だったところで、次に見ることになったのが、
『ReD』という1920年代のチェコの雑誌がズラッと並んでるところ。
『ReD』は表紙に、モダンカルチャーの月刊誌というようなことが書いてあって、
バウハウスとかいかにもな特集が組まれていたみたいで、
ここでも、うるわしの1920年代という感じで、ワオ! とかっこいい。
さらに、それらの表紙デザインは、すべてカレル・タイゲによるものだと気付いて、
さらに、ワオ! と興奮してしまった。

部屋の本棚にある SEG 出版の、チャペックの『ダーシェンカ』のことを思い出した。
A4 判の装幀の素敵な造本にうっとりしつつ、この保川亜矢子訳版は、
チェコでの初版のカレル・タイゲによる装幀をそのまま踏襲したもの、
という説明書きを目にし、そのときにカレル・タイゲの名前を知った。
そして、1998年にプラハに小旅行に出かけた前後に、
チェコ文献をいろいろ追いかけていたときにも、
何度もカレル・タイゲの名前が登場していたことも鮮やかに思い出した。
プラハへの憧れの大きなきっかけを作る人物のひとりだったことは確か。

展示会場では、『ReD』と同じ部屋に、
L'Enfant terrible of the Czech Modernist Avant-Garde という名の、
MIT から出ている大判のカレル・タイゲ研究本が置いてあったりもする。
カレル・タイゲは1900年生まれで、1920年にアヴァンギャルドグループを形成する。
ロシア・アヴァンギャルドとも共通点の多いそのグループの名前は「Devetsil」、
チャペック兄弟による命名だった。それから、次第にポエティスムの傾向が強まり、
チェコの前衛グループは1930年代にはシュルレアリスムへと移行し、
アンドレ・ブルトンといった人物との関わりも生じてくる。
1939年にはナチスのチェコ占領、カレル・タイゲ自身は1951年に自殺、
共産党の秘密警察に逮捕される直前だったという。
チェコの激動の歴史がどうしてもつきまとう。

1920年代後半の『ReD』の表紙デザインに胸を躍らせたあと、
隣の部屋では、いよいよ書籍の展示を見ることができるのだけれども、
ポエティスムからシュルレアリスムへの流れという文脈でもって、
今回の展覧会は企画されていて、そのことを書籍の展示は見事に視覚化してくれているのだった。

白い壁とともに、整然と展示されている本を次々に眺めていくこの至福。
本を「かたち」として眺める時間はそれだけでとてもたのしい。
ここでもカレル・タイゲによるブックデザインがとても多く、
それから、詩人のネズヴァルの書物が多かったように思った。

個人的なことを書くと、1998年にプラハへ小旅行に出かけたとき、
もっとも胸が躍った場所のひとつが、ヴィシェフラト。
ヴィシェフラトに行った目的はチャペックのお墓参りだったのだが、
墓地に行く前にピクニックした高台のなんと風光明媚なこと!
丘のてっぺんからのぞむヴァルダ川の流れとその向うのプラハの遠景の見事なこと!
ヴィシェフラト墓地では予定通りチャペックのお墓を見つけて大感激で、
そして、ヴィシェフラト墓地にはチェコの生んだ芸術家が多く眠っていて、
墓地の門の文様など、さりげなくたのしみの多い場所だった。
さながらチェコ文化入門の様相を呈してもいて、ネズヴァルのお墓もそこにあった。
そして、家に帰って、図書館でネズヴァルの詩を探してみると、
カレル・タイゲに捧げたプラハの情景をうたった詩を見つけたりして、
とびっきり素敵な詩だった。カレル・タイゲとネズヴァル!

と、そんなわけで、今回の展覧会は、かつての旅行のおみやげだったはずの、
チェコの人物あれこれ、に関していろいろ思いを馳せることができて、大収穫だった。

それにしても、書物のデザインを眺める時間はそれだけで楽しい。
装幀を眺めるたのしみはもちろんのこと、タイトルの字面を眺めるのも楽しい。
たとえば、ネズヴァルの本、『一条の雨降るプラハ』『往復乗車券』『パントマイム』、
『絵葉書のための歌』『カーニヴァル』などタイトルだけでも一遍の詩を見る気分。

『ReD』と共通している幾何学的デザインがかっこいい、カレル・タイゲの装幀の、
ビーブルの『紅茶とコーヒーを運んでくる船とともに』というタイトルがなんだか好きだ。

それから、ボードレールやアポリネール、スタンダールにハイネなどの本を見ると、
外国の文学の受容という点で、日本といろいろ比較して楽しい。
バーナード・ショーの本が何冊かあって、シニカルな感じのブックデザインが面白かった。

実は、スムース最新号に載っていた河上進氏を囲む鼎談記事の、
プラハ本屋めぐりのくだりがとてもうらやましくて、
ちょっとプラハ熱が再燃していたところだったので、
その点でも今回の展覧会はグッドタイミングだった。

「チェコの本はデザインがすごくいいですよね」という発言を受けて、
河上進氏が言うことには《決して華美ではないし、色数も少ないのに、
なんだかとてもキレイなんですよね。チェコ人ってイラスト好きなのか、
美術書や小説だけでなく、研究書や実用書の表紙にもイラストが多用されています》。
チェコ小旅行で買ってきた本のなかで、なぜかチェコ語の小さい辞書があるのだが、
この本もさりげなくよいデザインなのだ。またいつか、プラハに行きたいなと思う。



よい展覧会を見る機会を得ることができて、本当によかった。
教えてくださった人に感謝しないとと思いつつ、タグチファインアートのある建物から外に出た。

夜空の下、橋の上から鴨の泳ぐ水面を少し眺めて、それから人形町方面へぶらりと散歩。

学生の頃、人形町のとある企業へアルバイトに通っていた時期があって、
その折に、人形町の路地をいろいろ練り歩いた。人形町は路地が好きだ。
というわけで、人形町にたどりついて、わざと細い路地を歩いてみると、
しばらくして、パン屋さんの「まつむら」の前に出て、まあ! と興奮。
わたしはまつむらが大好きで、ここでパンを一つ買って、
併設の喫茶コーナーで、瓶の牛乳とともにパンを食べるのが好きだった。
おじいさんの店員さんがいい雰囲気で、何でもない普通の菓子パンがとにかく美味しい。
そして、東海林さだおの名編「ビンの牛乳」を思い出しつつ、牛乳を飲むよろこび!

……などと、思わず追憶にひたってしまうのだったが、まつむらはもう閉まっている。
前にお友だちが教えてくれた裏道の喫茶店で本を読もうと思ったのだけど、
いざ行ってみると、「本日五時閉店」の札が出ていて、あら残念。

今日はなんだか暖かいので、夜風にひたっているととても気持ちよい。
しばらく人形町を散歩した。歩いているうちに急に洲之内徹の文章を思い出した。
洲之内徹の文章に人形町を練り歩いている文章があって、
そこで、適当に歩いていたら谷崎潤一郎生誕の地のプレートを見つけた、というくだりがあって、
わたしもおんなじように偶然、谷崎のプレートを見つけたことがあったので、ちょっと嬉しかったものだ。

というようなことを思っているうちに、自宅の隣駅の古本屋さんに、
洲之内徹の気まぐれ美術館シリーズの『セザンヌの塗り残し』が売っていたのを思い出し、
こうしてはいられない、今日こそあの本を、と、いそいそと地下鉄に乗った。

新潮文庫の三冊の洲之内徹の何度か読み返して、
しばらく洲之内読みが中断していたのだが、いよいよ再開を決心。

ここ最近、激しく洲之内徹モードになっていたのだけど、
それは、先週の金曜日に見学した、東京国立近代美術館
《未完の世紀―20世紀美術の残すもの》という展覧会の余波。

東京国立近代美術館は木曜日と金曜日のみ夜8時まで開館しているので、
ふらりと足を運んだのが、先週の金曜日。広い会場を贅沢にめぐる時間はそれだけで至福。
絵を見るのってなんて楽しいのだろう! と、むやみやたらに感激してしまった。
20世紀を時系列に追っている展覧会では、洲之内徹の本で目にした色々な事柄が
次々に胸に浮かんで、家に帰ると、まっさきに洲之内徹の再読の時間となった。

時間がなくて、最後まで見通せなかったので、東京国立近代美術館はもう一度足を運ぶつもり。
今度は休日に行って、工芸館の方も見学したいけど、どうなることやら。

先週の金曜日は東京国立近代美術館で、先々週の金曜日は原美術館に行った。

原美術館では現在、《オーストリア・デザインの現在》展が開催中で、
ウェブで予告を目にしたときからずっと楽しみにしていた展覧会だ。
ウィーン応用美術大学助教授のライナー・ツェトル氏のレクチャーがあって、
8日金曜日の夜は、これを聴きに行った。久しぶりに夜の原美術館、とてもよかった。

デザインの展覧会はそれだけで楽しいのだったが、
これから先も何度もウィーン旅行に行きたいと思っている身からすると、
原美術館の展覧会は、現代ウィーン入門の様相を呈していて、とても刺激的。
ツェトル氏のお話によると、今回の展覧会は1998年のリスボン万博の
オーストリアコーナーが端緒となっているのだそうで、そう言われると、納得。

……などなど、日日雑記には書き損ねてしまっていたけれども、
金曜日の夜、3週間連続で、美術館に行っていて、
2月の冴えない日々のさなか、夜の美術館のおかげで、よい気分も味わうことができた。




  

2月26日火曜日/先週末の『菅原伝授手習鑑』通し見物のこと

先週末、歌舞伎座の『菅原伝授手習鑑』の通し上演を昼夜連続で観覧した。

わたしは、文楽でも歌舞伎でも、近松没後のいわば浄瑠璃の黄金時代、
18世紀成立の代表的な浄瑠璃の通し上演というのが一番嬉しい。
上演を知ると、かならず昼夜連続の通しで見物している。
五段形式の浄瑠璃の宇宙(のようなもの)に身をうずめる快楽。
初めて通し見物を体験したのが、1999年5月の『妹背山』の文楽公演で、
あのときはおそるおそるという感じだったのだが、
実際に体験してみると、通し見物には忘れられない陶酔があって、もう病みつきだった。

通し見物は一日仕事になるので、前の日からちょっと緊張していて、
その緊張感がとても心地よい。そして当日は、いつもとは打って変わって早起き早起き。

夏目漱石の『硝子戸の中』の一篇に、漱石少年の姉の芝居見物のくだりがある。

その頃の芝居小屋はすべて浅草の猿若町にあって、
電車も俥のない時分に、高田馬場から浅草に朝早くに到着する必要があるので、
たいていのことではない。姉たちはみんな夜中に起きて身支度、
物騒なので下男が着いていって、彼らは神田川を船で柳橋まで行って
隅田川にでて吾妻橋を通って、やっと芝居小屋へ。
帰りはその行程を逆にたどって、帰宅は真夜中。

「芝居見物」というよりは「物見遊山」というおもむきの、
江戸から明治にかけての芝居小屋行きに関することは、
『硝子戸の中』に限らず、いろいろな本で目にする光景で、
そんな感じの、船にゆられて芝居見物へ、の行程を思うと、
ヴィヴィッドに、かつての水の都・東京の姿が見えてくるような気になる。

……と、そんなわけで、水辺の東京を勝手に想像してよい気分になって、
通し見物のたびに「物見遊山」気分でつい早起きしてしまうのだ。

そして、心地よい疲れとともに部屋に帰ると、いつもソファで、戸板康二の本をめくっている。

土曜日は、『すばらしいセリフ』[*] をペラペラとめくった。
『寺子屋』の松王丸のセリフ「思い出づるは桜丸」のところの、

《「思い出づるは桜丸」というセリフは、
何かというと回想に浮んで来ずにはいられない。
それも夭折した友人を悼む時にいうものらしく、
久保田万太郎は、「花冷え」という小説で、うまくこれを使っている。》 

という一節を目にして、もうたまらない気持ちになって、
土曜日の夜、ソファで『花冷え』を読みふけって、『手習鑑』通し見物の幕となった。

『花冷え』は不在のある人物が物語全体を覆っているという構成の、
久保田万太郎によくあるモチーフが使われていて、
初めて読んだ日も胸がいっぱいになった大好きな作品なのだ。
そういえば、最近読んだ『寂しければ』もそんな要素があった。



今、洲之内徹の『セザンヌの塗り残し』を読みふけっている。

《なにかの拍子にふと心に浮んで、
このことはあとでゆっくり考えてみなければと思いながら、
その場限りで、すぐ忘れてしまうのが私の悪いクセだから、
そう思ったらすぐ、どこかへ書いておくといいのだ。
ここでも、初めに、ひとつ、その種のことを書いておく。》

……という書き出しの文章があって、いいないいなと思って、
そうだ、わたしも『手習鑑』通し見物の感想を書かなくては、と、
機械のスイッチを入れたのだったが、どうでもいいことを書いているうちに時間になってしまった。

今回の歌舞伎座の『手習鑑』は、ここ一年間の歌舞伎の通し見物、
去年3月の『忠臣蔵』、11月の『義経千本桜』と続いた、
三大名作の円環を締めくくるにふさわしい充実度であった。
昼夜通して、役者が充実していて、どの場もそれぞれとてもよかった。
昼は仁左衛門、夜は吉右衛門が、期待していた通りに素晴らしい。
昼夜通して、日頃からのごひいき富十郎が活躍していたのも嬉しい。
いつも吉右衛門と富十郎の共演が一番好きだと言っていたけど、
今回の『寺子屋』はその究極のものだった。劇場全体を覆う緊張感。
桜丸の梅玉もよくて、福助もよい。昼の芝翫さんと雀右衛門も好きだ。
そして、玉三郎が先月の定高といい、すさまじいぐらい。

と、そんなわけで、観劇中はかつてないくらい激しく、ノートをとってしまった。
5月の文楽公演までには、整理しておこう。(と言いつつ、いつもそのまま)
歌舞伎座二階に特設の天神さまで、行き損ねていた初参りをした。
今年はよい一年になりますように。

全然関係ないけど、今、ラドゥ・ルプーのディスクで、
シューベルトの《即興曲集》を流していて、
「ロザムンデ変奏曲」を聴いて、激しく心が揺さぶられてしまった。
このことをどこかへ書いておかないとと思ったので、ここに書いてしまう。




  

2月28日木曜日/ふたたび、東京国立近代美術館へ

洲之内徹の『セザンヌの塗り残し』をよい気分で読み終え、2月も今日でおしまいだ。

神奈川県立近代美術館で仕事をしていた土方定一が、
洲之内徹のことを「この洲之内君というのは文学青年でね、
文章がうまいのよ、だから、変なことをグニュグニュグニュグニュッと書いて、
うまあく読ませてしまうのよ」というふうに紹介していたとのことで、
洲之内徹も書いていたけど、実にうまいことをいうなあという感じ。
本当にもう、グニュグニュグニュグニュッとうまあく読まされてしまって、
グニュグニュグニュグニュッとなって洲之内徹に身をしずめる時間。至福。

そんなこんなで、思い出づるは先々週の金曜日に見学した東京国立近代美術館のこと。

あの日は駆け足になってしまったけど、いろいろ好きな絵を見つけて実に楽しい時間だった。
ぜひとも再訪して今度はゆっくり練り歩こうと思っていたのだが、
最終日は3月10日、それまでに行かれる見込みが薄くなってしまい、残念。
というわけで、木曜日と金曜日は夜8時まで開いているッ、
今日を逃してはならぬと急に思い立って、あわてて竹橋へ行った。

と言っても、今日は先々週の金曜日以上に、見学時間に余裕がなくて、
結局は、先々週に好きだなあと思った絵をもう一度見に行く、
という感じの、ピンポイント式見物になってしまった。
そして、『セザンヌの塗り残し』の余韻がフツフツとしているさなかなので、
純粋に絵を見るというよりは、絵を通して洲之内徹の言葉を思い起こすひとときになった。
『セザンヌの塗り残し』読了記念の夜の過ごし方としては、
なんてまあ、贅沢な時間だったこと! と、いたく上機嫌なのだった。

一言でまとめると、スノウィッチ・トオルスキー氏の余韻にひたりながら、
駆け足でめぐってはワクワクしっぱなしの展覧会だった。

それにしても、『セザンヌの塗り残し』を読んでいる時間のなんと至福だったこと!
今日の展覧会の余韻を胸に、一刻も早く「気まぐれ美術館」の続きが読めますよう。



東京国立近代美術館リニュウアル記念、
《未完の世紀―20世紀美術がのこすもの》はその名の通り、
20世紀を時系列に展示していて、
展示会場は広々と4フロアにわたっていて、
じっくりと個々の作品を見ることができてよかった。
かつての展覧会で目にした大好きな絵に再会したり、
本を通してだけで知っていた作品を見て、
思いがけない収穫があったりで「おっ」と感激しているうちに、
刻一刻と閉館時刻が迫ってくる、ということになってしまった。

全体の構成をここに書き写すと、

  1. 文明と美術 1900年代
  2. 芸術家の近代 1910 - 1920年代
  3. 都市空間の成立 1920 - 1930年代
  4. 戦時と「戦後」の美術 1940 - 1950年代
  5. 文明の反ユートピア 1950年代
  6. 加速する社会と芸術 1960年代
  7. 人間と物質 1970年代
  8. 芸術と歴史 1980年代以降
というふうになっている。

展示会場をめぐっていて、初めて「まあ!」と感激したのが第2章「芸術家の近代」で、
アヴァンギャルド芸術と大正リベラリズムといった現象が織り成す作品群。

去年の4月に神奈川県立近代美術館で見た《岸田劉生展》に
いたく心が動かされていたので、そのときの感動が胸によみがえった時間だった。
ながらくわたしにとっては「麗子像をかいた人」という認識しかなかったのが、
岸田劉生に関心を持つきっかけになったのが、例のごとく戸板康二で、
戸板康二を読み始めたまなしのころ手にとった『歌舞伎の話』[*] で、
劉生の『演劇美論』という書物のことを知ったのがきっかけだった。
鏑木清方のときとおんなじように、絵よりも先に文章でその画家に関心を持った。
日記でみる突っ込みどころ満載のキャラクターもなかなか味わい深いけど、
やっぱり一番惹かれるのが、大正ベルエポックを体現するような人物であったこと、
銀座生れの「モボ・エッセイ」という感じの文章と絵がとても好きだ。
それが、去年の《岸田劉生展》で初めて、作品を通してその生涯を見通したわけで、
ますます岸田劉生に関心を抱いて、それから、ちょこちょこと劉生の作品を
いろいろなところで見ることができると、そのたびになんだかとても嬉しかった。
最近だと、長谷川町子美術館で見た《麗子像》のきものと背景の色合いが好きだった。

と、そんなわけで、今回の《未完の世紀》では、明治から大正への流れ、
第一章を見たあとで第二章の作品群を見ると、しみじみ「いいなあ」と思うのだが、
洲之内徹の『セザンヌの塗り残し』のなかにこんな一節がある。
鎌倉の近代美術館で「日本近代洋画の展開」展を見た日のことを書いている。

《私はその会場で、岸田劉生の歯ぎしりの音が聞こえるような気がした。
明治洋画のエリートたち、黒田や藤島たちを尻目に見て、
劉生は、西洋というものは洋行帰りのお前さんたちが
得意になって見せびらかしているような、そんなもんじゃないよ、
と言っているのだという気が私はする。そして、本当の西洋はこれだということを、
デューラーやファン・アイクに傾倒して見せることで示そうとしたのではなかったか。
そのくせ、彼自身はついにいちども西洋へは行こうとせず、
白樺イズムの草土社からやがて宋元画のグロテスクヘ、
でろりとした美の肉筆浮世絵と、のめりこむように傾斜して行くが、
そうなっていっそう孤立化してしまった劉生の口惜しさが、
こういうふうに絵が並ぶと、ありありと私の眼に見える。
大正ということで考えるなら、ここには、岸田劉生の姿を籍りて現れた、
明治に対しての、やはりひとつの大正がある。》

《未完の世紀》展の「芸術家の近代」と称した第二章は、
セザンヌやピカソ、オスカー・ココシュカやムンクなど西洋絵画を交えた展示で、
思いがけなくウィリアム・ブレイクを観られたのがとりわけ嬉しかった。
劉生の《B.L. の肖像》という1913年の作品はセザンヌ風の明るいタッチが素敵で、
バーナード・リーチとの交流が伺えるような展示がたのしかった。
劉生の作品は、去年の神奈川近代美術館のときに感激していた、
《壷の上に林檎が載って在る》という1916年の静物画と、
有名な1915年の《道路と土手と塀(切り通しの写生)》に再会できて大感激だった。
ふたつとも見れば見るほど、見ている自分自身が絵とすーっと溶け合ってしまうような気分になる。
《切り通しの写生》に関連して、洲之内徹が『セザンヌの塗り残し』のなかの、
「甘酒横町の夜」という文章で、とても印象的なことを書いていて、
絵を見ながら、彼の文章のことを、思ったりもしていた。
それから、この二つの絵、劉生のRをあしらったサインがかっこよかった。

それから、陶器の展示もとても素敵で、柳宗悦に関する展示のところで、
去年11月に松濤美術館で見た《眼の革命》という展覧会のことが胸によみがえって、
そのときに決心した、日本民芸館行きを近いうちに実行に移さねば、とふつふつと思った。

第二章のところは他にもよろこびがふんだんに詰まっていて、
関根正二の絵が二つ展示してあって、《少年》と《三星》という絵、
この絵がとても素敵で、絵の対象と背景との溶け合い具合を見ていると、
そのソフィストケートされた絵全体にうっとりしてしまう。
なんて素敵なんだろう! と画家の名前を確認すると、
その名前は、『セザンヌの塗り残し』で印象的だった関根正二なので、
あらまあ! と、ここでも洲之内徹の文章を思い出して、
そして、林倭衛の《出獄の日のO氏》、大杉栄を描いた絵は、
これまた洲之内徹が取りあげいていた絵そのもの。
大杉栄というと、六代目菊五郎との関連について
渡辺保さんが面白いことをおっしゃっていたを思い出した。近代とは?

……などと、第二章の1920年代のことを思い出すと、とめどなくなってしまった。

東京国立近代美術館の《未完の世紀》で印象に残ったことは、
とても書ききれないのだけど、あともう一つ、第三章の「都市空間の成立」について。
ここは、日頃からこよなく憧れる昭和初期モダニズムと都市文化なので、
それだけで胸はいっぱいで、よろこびはどこまでも止まらない。

村山知義や柳瀬正夢など「おっ」という感じで、
それから、木村荘八の『墨東綺譚』の挿絵を見るのは、
江戸東京博物館の《荷風と東京》展、去年夏の《水辺のモダン》展に続いて三回目。
さらに、またもや『セザンヌの塗り残し』で、
木村荘八の挿絵に関連して洲之内徹が書いていたことがとても印象的で、
その余韻が鮮明なときにまたもや『墨東綺譚』に再会したことが嬉しい。
《水辺のモダン》展との再会というと、織田一磨の描いた東京風景もある。
今回見ることになったのは《画集銀座》から二枚、歌舞伎座と千疋屋。
1928年の銀座の風景を見て、よい気分になって、
この頃は戸板康二の少年時代、戸板康二の見た風景だと思うと、さらによい気分だった。
本を通してしか知らないかつての東京の風景を別の角度から見ることは、
荷風の『墨東綺譚』の挿絵もそうだけど、なんて楽しいのだろう! と思う。

同じフロアに展示してあった、藤田嗣治の《五人の裸婦》もとても素敵で、
眺めているうちにドビュッシーのピアノ曲を聴いている瞬間のような心地よさ。
五人の裸婦とベッドとカーテンと寝具と布と猫と犬(だったと思う)が
一気に一枚の絵に押し込まれていて、カーテンや布地の柄などが典雅な色合いで、
眺めて幸せなのだが、今日再見すると、またもや『セザンヌの塗り残し』の
洲之内徹の文章が胸によみがえる。ここで言及されていたのは他の静物画。

《フジタの静物の材料は、セザンヌのように画面構築のための要素ではなく、
画面を舞台と考えれば、できるだけ舞台を楽しくするための登場人物のようなもので、
……ここは舞台なのだから、日常生活の必需品であっても、
生活的な匂いはあまりせず、どこか遊びの雰囲気を持っている。
そして、当然のことながら、厳格な構図の法則などには頓着なく、
適当に散らばっている。あのブーシュの絵のように。》

などと、ますますとめどなくなってしまうのだが、
ここから先も、鏑木清方の《圓朝像》に去年の夏以来に再会したり、
小出楢重の絵を見て「いいなあ」と思ったり、
梅原龍三郎の絵を見て、洲之内徹の『絵のなかの散歩』の「岡さんとの対話」を思い出し、
恩地孝四郎の朔太郎像を見て、遠い昔の女学生時代に思いを馳せ、
思いがけなく、モンドリアンの作品を見ることができて嬉しかったり、
ほかの章でも、靉光の《眼のある風景》の被写体と画家との一体感で
すーっと絵の中に吸い込まれそうになったり、
松本竣介の《Y市の橋》を見て胸がいっぱいになったり、
1950年代の麻生三郎と海老原喜之助の絵が並んでいる場所でしばし立ち止まり、
斉藤義重と今井俊満の抽象画が並んでいる場所でもしばし立ち止まる。
その近くに白髪一雄の作品があるのを見て、『セザンヌの塗り残し』の余韻にひたる。

それから、1970年代のフロアで、思いがけなく
フランシス・ベーコンの絵を見られたのも嬉しかったこと。




  

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