サティパッターナ・スッタ (Satipatthana Sutta) 大念住経 又は 大念処経 |
一 身体のサティパッターナ
5. 元素 の観想 [ENGLISH] そして、身体がどのような構造になっていようとも、主要元素で構成されているものとして、まさにこの身体をじっくりと調べて観想します。 「この身体は地の元素、水の元素、火の元素、風の元素でできている」 と。 腕の良い屠殺人かその弟子が、牛を屠殺して肉片に解体し、大道の 四辻 に座っているように、修行者も身体がどのような構造になっていようとも、主要元素で構成されているものとして、この身体をじっくりと調べて観想します。 「この身体は地の元素、水の元素、火の元素、風の元素でできている」 と このように、自分にとって 身体 は身体にすぎない、わたしのものでもなく、わたしでもなく、自分でもなく、現象にすぎない、といつも感じて生きるのです。 他人にとっても 身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。 自分にとっても他人にとっても 、身体は身体にすぎない、といつも感じて生きるのです。 身体が存在する原因と、身体が実際に存在しているのを、いつも感じて生きるのです。身体が存在する原因と、身体が実際に消滅するのを、いつも感じて生きるのです。 身体が実際に存在し、実際に消滅する のを、 原因 とともに、いつも感じて生きるのです。 つまり、魂でもなく、自分でもなく、わたしでもなく、身体のみが存在するという事実を、はっきりと自覚するのです。この自覚が、洞察や気づきを着実にもたらすのです。修行者は、渇望や 間違ったものの見方 から距離を置き、 世の中 の何ものにも執着しないで生きるのです。 * (注 ) これが身体は身体にすぎない、といつも感じて生きる方法なのです。
(元素の観想 了)
|