しらさぎ小麦の里から 連載第1回・種まき

大倉 秀千代


<田んぼの風景>

土作り

 12月初旬の田んぼは、11月上旬の稲刈りのあと種まきした麦の芽が、一面にはえだし、次第に緑色を増してきている。この時期には、貴重な緑色だ。ここ長船町*1は、ビール麦の産地でもあり、多くの田んぼで栽培している。
 私の田んぼだけは、うどんを作るために「しらさぎ小麦」*2を作っている。小麦はビール麦より種まきの適期が1週間ほど早いため、この近辺では私が一番早く種まきした。最初に作った年には、長船町で小麦は珍しいということで、農林水産省の職員が二人、わざわざ田んぼを見に来た。思わず「何か悪いことをしています?」と尋ねてしまった。
 来年6月の刈り取りまでの8ヶ月間、秋・冬・春・夏の四つの季節を経て、麦はじっくりと成長していく。


<田舎暮らし>

種まき

 東京で20余年間暮らしているうちに、私はいつしか田舎の暮らしにあこがれるようになっていた。だから、年2回ほど岡山の実家に帰省したとき、私は都会者の目でふるさとの野山を眺めていた。
 母の病気を期に、東京の会社を辞め、岡山の実家でうどん屋を引き継ぐようになって4年と5ヶ月、この田舎の風景もだいぶ見慣れたものになってきた。最初の頃のような新鮮な感動も、あまり感じなくなった。移動のほとんどが車ということも影響しているのだろうか。
 でも、田舎の景色は美しい。

 ああ、田舎ってやっぱりいいなあ。


<お百姓さん>

 せっかく、田舎暮らしするのだから、百姓もやりたい。実家はもともと農家で、農地も7反(70アール)ほどあるが、ずっと他人に作ってもらっていた。ところが、私が帰る2年前からその人が作るのをやめたため、田んぼは、草が生え放題になっていた。
 私の農作業の第一歩は、自分の背丈ほどもある雑草の草刈りから始まった。草刈り機を肩に掛け、うどん屋の暇をみては田んぼにはいった。まるで、北海道の屯田兵気分だった。 あれから4年、自分では一人前の百姓になった気でいる。


<人口増加率岡山県1位>

 人口12000人余の長船町は、岡山県下で人口増加率1位2位を争っている。岡山市中心部まで電車・車ともに30分ほどでいけ、しかも地価が相対的に安い(坪15万〜20万位)からのようだ。
 そのため、農地が無計画に宅地に変わっている(このことを乱開発と呼んでいる)。農地の中に家が建つと、生活排水で用水の水が汚れる。建物のかげで、日当たりが悪くなる。薬剤散布などの農作業がやりづらくなる。においのきつい有機肥料の場合、特にそうだ。
 農地の中に一軒家が建つと、細胞が分裂していくようにその回りにしだいしだいに家が増え、やがて団地になっていく。
 農地が一度宅地になると、もう二度と農地には戻らない。だから、計画的にやらなければならないのだ。
 私が大金持ちなら、町内の売りに出される農地を全て買い占めてやるのだが・・・。


<私の一日(農閑期編)>

 朝、6時30分起床。洗面のあと犬の散歩。
 そのあと車で3分の「一文字」(うどん屋の屋号)に行き、だしの火入れと、うどんの練り込み。7時30分頃帰宅して朝食。8時一文字の正規の仕事開始。10時開店。一時過ぎ、店のうどんで急いで昼食。2時30分頃から1時間ほど休憩(主に昼寝)。そのあと5時まで事務所で仕事、買い物、農作業など。5時から再び一文字で仕事。7時閉店。そのあと8時過ぎまで後片づけ。帰宅はだいたい8時30分位。入浴後、9時過ぎより夕食。10時頃子供を寝かせながら、読書・お勉強、11時過ぎ睡眠。
 休みは毎週水曜日のみ。その他に、夏休み3日間、年始休み5日間のみ。
 ウーン、働きすぎー。もっとのんびり、田舎暮らしを楽しみたーい。(つづく)


*1 長船町: 岡山県邑久郡長船町。岡山市から東へ約20kmのところに位置する。

*2 しらさぎ小麦:小麦の一品種。筆者・大倉さんによると、「かつては、讃岐うどんもこのしらさぎ小麦を使っており、うどんには一番あうという小麦です。」「小麦は八八%を輸入にたよっています。一二%の国産小麦の中でもしらさぎ小麦は国産全体の〇.六%(そのほとんどは西大寺地区で作られている)の生産量にすぎません。」とのこと。


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