「世界文学会」連続研究会「世界の古典再読」

2009.4.25 中央大学駿河台記念館)

 

再読『カラマーゾフの兄弟』

「父親殺し」がはたして主要テーマか? 亀山郁夫の解釈を批判しつつ、主題構成について考える

                         木下豊房  

 

 

今日はこの歴史ある学会の席でお話させていただくことを、大変、光栄に、また嬉しく思っております。まずドストエフスキーとのかかわりで、補足的に自己紹介をさせていただきますと、私は河出書房新社の全集で有名な米川正夫先生の最後の教え子、といった関係になります。

私が修士課程を了えると同時に、米川先生は早稲田大学を定年退職されました。その後の博士課程は、ソビエト文学を専門とされた黒田辰夫先生のゼミに入れていただきました。

米川先生没後、河出書房新社の「愛蔵決定版全集」全20巻の刊行が始まりました。これは正夫先生の長男・米川哲夫氏が陣頭指揮をされて、私たち弟子が協力して、それまですでに刊行されていた米川訳全集を、あらためてロシア語原文のテクストと照合し、訳し落としの個所をチェックしたり、新しい読者に合わなくなった漢字をひらがなに開いたりの作業を行いました。私は「作家の日記」を担当しましたが、これは大変勉強になる経験でした。

 私は60年代のその頃、オーバードクターで、教職の口もなく、ソ連のノーボスチ通信社東京支局というところで、日本の新聞社などに配信するニュースの翻訳をやって給料をもらっていました。一方、大学では紛争が始まって、セクト同士の対立があり、大学がロックアウトされるという事態が頻繁になっていました。そういうなかで、その頃あったキルケゴール協会の例会に二、三度出席した経験から、私が早稲田大学露文科の新谷敬三郎先生に話しをもちかけ、確か、その頃、東京工大に教職を得られたばかりの翻訳家の江川 卓さん、東大のロシア史の先生、米川哲夫さんと相談して、「ドストエーフスキイの会」を、今から満40年前の19792月に立ち上げました。米川正夫先生の業績を記念するという意味からも、いろいろな表記がある中で、「ドストエーフスキイ」を採用することになりました。そして組織の原理としては、従来型の硬直しがちな組織原則の批判という意味からも、ピラミッド型ではなく、あくまで水平的な、ネットワーク的な活動スタイルを採用することになりました。研究者も愛読者も同じ資格で参加する市民的な場で、二月に一回程度の例会と時に応じて文芸講演会、レジメを中心とする機関紙の発行を主たる活動の目的とし、その実行に必要な事務局だけを置くというものです。したがって、会長とか理事というものは存在せず、対外的に必要な場合に限って、「代表」を立てることになっています。かつては新谷敬三郎先生でしたし、現在は私がその役をつとめています。こうした会のありかたの背景には、ミハイル・バフチンのドストエフスキー論の思想の影響もあります。バフチンは「ドストエフスキー自身の世界観の精神における形象を求めるとすれば、溶け合うことのない魂の交流する、罪人も義人も集まる教会である」とのべていて、このような対話的な場こそ会のあり方にふさわしいと、私はその当時から考えていましたし、いまも変わりません。

 こうして「ドストエーフスキイの会」は発足より40年間、現在までに191回の例会を重ねてきました。

 補足的な自己紹介はこのくらいにして、本論に入る前にもう少し前置きを重ねます。

 「カラマーゾフの兄弟」について私に話すように声をかけていただいたについては、この2年ばかりの亀山郁夫訳のブームと無関係ではなかろうと思います。昨年1022日号の「週刊新潮」の記事や「ドストエーフスキイの会」のホームページの私のサイトをご覧になった方は、私が亀山訳に対しては、極めて厳しい、批判的な態度をとっていることをご存知のことと思います。私はもともと、光文社文庫の亀山訳が出る少し前に、亀山郁夫がみすず書房から「理想の教室」と題する高校生向きのシリーズで出した「『悪霊』神になりたかった男」という本を読んで、仰天しました。彼はその本で、「世界的な発見」と冗談めかしく自慢しながら、スタヴローギンという主人公に凌辱された可哀そうな12歳の少女、マトリョーシャをマゾヒストにし立てあげているのです。継母に鞭打たれて悲鳴をあげる少女の声に快感が聴き取れると亀山は書いているのですが、これは語学的にどう解釈してもありえないことなのです。私はドストエーフスキイの会のホームページに批判文を書きました。しかし、会内にはすでに亀山にシンパシイを感じる人もいて、またロシア語原文は分からぬままに亀山を擁護する人もいて、ホームページでは「フォーラム」という体裁で、批判派と擁護派、中間派の三者の見解を出しました。それは現在でもHPで読むことが出来ます。私は、亀山のロシア語解釈のでたらめさの背後に、ロシア語を解せぬ素人をあざむく、もっぱらセンセーショナルで新奇をてらった偽装を感じました。ちょうど、耐震偽装の姉歯問題が起きていた時なので、それにひっかけて批判しました。http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost119.htm

 その後、亀山訳『カラマーゾフの兄弟』がベストセラーでマスコミの話題になるわけですが、私は彼の仕事を信用する気にはなれないので、見向きもしないでいました。ところが一昨、2007年の11月末頃、会員の中のロシア貿易にたずさわる商社マンで、モスクワ駐在中、ロシア人チューターを相手に『カラマーゾフの兄弟』を音読で読破したというつわ者がいて、彼とのたまたまの電話の話で、いかに亀山訳がひどいものかを聞かされ、ロシア文学者は何をしているのだと、発破をかけられました。彼はドストエフスキーの研究者で現在、ロシア文学会の会長である井桁貞義氏の教え子で、50歳くらいの人ですが、亀山訳のひどさを恩師に訴える手紙を出したのに、何の返事もないというので、いらいらしていたのです。そこで私は提案して、彼がリストアップした誤訳、不適切訳を先行訳と対置しながら、会のHPに公表することを提案しました。

 こうして20071224日に、NN氏による亀山訳「検証」と題して、HPにアップしました。http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dos117.htm

そこでは全分冊5冊のうち第1分冊に限ってではありますが、文庫本第1422頁中、75箇所に誤訳、不適切訳を発見しました。年が明けて2008年の正月早々、「検証」を読んだ北九州市の一読者から(ペンネームで森井氏)私宛に手紙が舞い込みました。この人はロシア語の知識はないながら、ドイツ語訳を読めるのと、先行訳との対比、そして長年、高校の国語の教師をしてきた言葉の勘から、さらに48箇所の誤訳、不適切訳を指摘してきました。これらの個所を私とNN氏はロシア語原文と照合して、森井氏の指摘が正当であることを確認し、「検証」とは別に「一読者の点検」と題して、HPにアップしました。http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost120a.htm

こうして、422頁中、実に123箇所もの問題点が明らかになったのです。森井氏はNN氏の「検証」を読む以前に、単独で光文社編集部に電話し、読者として不審点を直接に指摘したりもしていたのです。それを受けて光文社はすでに7箇所の訂正を増刷で行っていたのですが、さらに姑息なことには、NN氏の「検証」アップ1ヶ月後の130日の増刷20刷で、指摘された75箇所中26箇所の訂正をひそかに行い、さらに315日の増刷22刷で、森井氏の「一読者の点検」で指摘された48箇所中12箇所の訂正をひそかに行いました。こうして誤訳を指摘した私たちには何の挨拶もなく、増刷でなし崩しに訂正いていく出版社のやり口は読者への背信行為にほかならないと私は感じて、昨年5月はじめに、朝日新聞の「私の視点」欄へ投書しましたが、これは没にされました。

http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost127.htm

その頃、「週間新潮」の記者から取材を受ける機会をえました。それが522日号の記事です。この記事も「ドストエーフスキイの会」のHPから、「管理人T. Kinoshita」のページに跳んでいただくと見ることが出来ます。

http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost126.htm

 ちなみに今回、ロシア語テクストを読み返しながら、私は第1巻にあらたに亀山訳の12か所の誤訳、不適切訳を発見しました。

 http://www.ne.jp/asahi/dost/jds/dost130.htm

この事実はまだ公開していなくて、ここではじめてご披露することです。二,三を紹介しますと、ドミトリーの叔父に当たるヨーロッパかぶれのミューソフという人物が、小話といった形で、「もう数年前、例の12月革命の直後のことですが、パリで」と、1851122日のルイ・ナポレオンのクーデターを指しているのに、亀山訳は「今から数年前、パリでのことです。例の2月革命から間もない時期に」とやって、1848年の2月革命ととり違えています。これでは小説の時代背景が狂ってしまいます。またイワンが学生時代に貧乏で、アルバイトにゴシップ記事を書いて新聞に売り込んでいたという話で、その記事が面白いので、すぐに採用されたとのべられている個所で亀山訳は「それらの記事はいつもたいそう面白く、読者の好奇心をそそるような書き方がなされていたので、新聞はたちまちのうちに売り切れたらしい」(Статейки эти, говорят, были так всегда любопытно и пикантно, сто быстро пошли в ход…»)と、テクストにはありもしない訳をつけています。また「ロシアの長老制度という工夫(изобретение)」を「この公案、すなわちロシアの長老制度は」とやっていて、制度上の発明、工夫を禅問答の「公案」と勘違いしています。これはおそらく新潮社文庫の原卓也訳が「この発案、すなわち長老制度は」となっているのをそっくりなぞつて、「発案」を「公案」に変えた結果の失態だと思われます。

 また滑稽なのは、フョードルの屋敷の風呂場にしのびこむリザベータ・スメルジャーシチナの行動についての、信じがたい訳です。

 

「リザベータは、その夜、カラマーゾフ家の塀も勢いよくはい登り、身重のからだに害がおよぶのも承知で飛び降りたのである」(1−p263

 

 原文ではкак-нибудь (「どうにかこうにか」)であって、「勢いよく」とは、出産直前の身重な女の行動とは、とうてい考えられません。

 

 こうした非常識的な例から見ても、亀山新訳なるものは、訳者が丹念にテクストをきちんと読んで、訳しているのではないということがわかります。おそらく光文社編集部が亀山訳のプロジェクトを主導し、まず一般受けするように読みやすくリライトとしたのは編集部の集団的作業であったろうと推測されます。私の知人である某有名出版社の元ベテラン編集者の話によりますと、光文社は戦後「カッパブックス」でベストセラーを出していた当時から、日本人著者のオリジナルな原稿を勝手に書き換えるので、有名だったそうです。その伝でいけば、編集部が米川訳、原訳、江川訳などの先行訳を土台に、もっぱら読みやすさを狙ってリライトし、原文にはない行がえを勝手にやるなんぞは、それこそ屁の河童であったにちがいありません。編集部の主導で、とにかく活字を大きくして、行がえをどんどんやり、先行訳を読みやすく砕き直す。その後で亀山が原文と照合してチェックしたでありましょうが、チェックしきれないぼろが各所に見え隠れしているのが実態ではないかと想像します。

 光文社はとにかく読みやすいということで、読者を引きつけ、いろんなマスメディアを利用してキャンペーンを張り、亀山郁夫を偶像化していった。また亀山自身、NHKや商業新聞を利用し、自分を売り込むことに稀有の才能を持っていたというべきでしょう。そして空前のベストセラーということで、亀山は挙句の果てには毎日出版文化特別賞、さらには、ロシアでプーシキンメダルまで授与されてしまうのです。ここにあるのはもはや文化の問題というよりは、社会問題としての亀山現象とでもいうべきものでしょう。私は亀山はさることながら、出版業界のご機嫌をうかがいながら、無責任に賛辞やお世辞をふりまいた、批評精神も思想性もない書評家、作家や評論家と称する物書きの人達の責任ははなはだ重大だと思います。

 亀山郁夫がいかに『カラマーゾフの兄弟』のテクストを読みきれていないかを批判しながら、本論にはいっていくことにします。興味深い資料があるのですが、亀山郁夫は平成20215日に文部科学省で開かれた「学術研究推進部会・人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第九回)」に、外部有識者として東京外国語大学長の肩書きで出席し、14名の委員と、研究振興局長や審議官、課長など役職者11名その他の関係役人を前にしゃべっています。

 

資料

http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/gijyutu/gijyutu4/gijiroku/015/08100707.htm

学術研究推進部会・人文学及び社会科学の振興に関する委員会(第9回) 議事録

1日時 平成20215日(金曜日)1618

2.場所 文部科学省 3F1特別会議

3.出席者 (委員) 伊井主査、立本主査代理、井上孝美委員、上野委員、中西委員、西山委員、家委員、伊丹委員、猪口委員、今田委員、岩崎委員、小林委員、深川委員、藤崎委員

(外部有識者) 亀山 郁夫 東京外国語大学長

(事務局) 徳永研究振興局長、藤木大臣官房審議官(研究振興局担当)、伊藤振興企画課長、森学術機関課長、松永研究調整官、袖山学術研究助成課企画室長、戸渡政策課長、江崎科学技術・学術政策局企画官、後藤主任学術調査官、門岡学術企画室長、高橋人文社会専門官 他関係官

 

そこで彼は「教養知」「最先端研究」という言葉を持ち出して、自分に照らしてそれを提示したいと、切り出します。その個所をそのまま引用すると、こうです。

そこまで君はナルシストかとのそしりを恐れつつも、自分なりにひとつ言いたいことがあるんですね。私がドストエフスキー研究に入り込んだのは、この過去56年です。結局、ドストエフスキーの研究は、私の研究は今最先端だと自分なりに自負しているんですね、少なくとも日本においては。問題は、なぜそう自負できるか、という点にあります。」

そう自負できる点の説明を彼は、ロシアアバンギャルド研究の後にスターリン研究を8年ばかりやってきて、「そのスターリン文化研究の構造をそのままドストエフスキー研究に持ち込んでみた」というのです。その意味はスターリン時代の知識人は独裁権力のもとで、二枚舌で生きざるをえなかった。「ドストエフスキーも皇帝権力のもとで死刑宣告まで受けた作家ですから、当然、彼の文学のテクストというものも、やはり権力への賛美——権力への賛美というのは、皇帝賛美、ロシア正教賛美という形で出てくる権力賛美ですね、その賛美の下に、若い時代の彼が経験したユートピア社会主義者としての一面、革命家としての一面とでもいいましょうか、いわゆる反体制的な言説が、作品の内部にどのような形で織り込まれていくかという、この二重構造を見きわめる作業になっていくわけですね。
 ところが、そういう、ごくあたりまえに思えるような研究すらも、過去のドストエフスキー研究では全くやられてこなかった。芸術と権力、文学と権力といった、一種の二項対立的な枠組みのなかでの研究を、最先端と呼ぶのか、ロシア文学はやっぱり甘いんじゃないかというふうに思われている方も多分いらっしゃると思いますが、しかし、最先端の研究というのは、何も、精緻をきわめるテクスト分析やテクスト研究だけでなくていいんです。」

 亀山のこの言葉を読むと、彼が100年以上にわたるドストエフスキー研究の歴史、現在の状況についていかに彼が無知かをさらけ出しています。亀山のいう「芸術」、「文学」と「権力」の関係は20世紀初めから1969年代のソヴィエト時代までのドストエフスキー研究で、作品の解釈に作家の伝記の無媒介の反映を持ち込む方法として、一般的であった手法で、これをいまさら「最先端」と持ち出すところに、彼の無知とアナクロニズムが現れています。彼は「テクスト分析」や「テクスト研究」を硬直化したアカデミズムといってけちをつけるのですが、1960年代以降、バフチンやその流れを汲むD.リハチョフなどによって明らかにされたドストエフスキー小説の語りの構造理論、すなわち、19世紀ロシア文学に優勢であったツルゲーネフ、レフ・トルストイ、ゴンチャローフなどいわば自然主義的なリアリズムとは異質なドストエフスキーの創作方法の研究を足蹴りにすることによって、現在の世界のドストエフスキー研究の流れからも大きく外れているのです。権力に対する「二枚舌」理論で解明できるほど、ドストエフスキー文学の本質は単純ではありません。

 さて同じ文科省の委員会で、亀山は『カラマーゾフの兄弟』についてこういうことをいっています。

もう一つ言いたいのは、『カラマーゾフの兄弟』には、たしかに世界文学の最高峰というレッテルが貼られてきましたが、それ以上の何ものでもなかった。『カラマーゾフの兄弟』が「父親殺し」という極めて根源的な、現代に通じる、通底する、テーマを扱っているらしいという情報がそこにつけ加わるまでに何十年とかかってきたわけです。つまり、ドストエフスキー作『カラマーゾフの兄弟』というタイトルは知っています。そこからさらに、何十万人の人が、『カラマーゾフの兄弟』は「父親殺し」を扱っていますよということを知るまでには何十年かかっているんですね。いや、かかってきた。しかし、インターネットの時代に入って、第二段階での情報が付加されるまでに時間がかからなかった。もしインターネットがなかったら、ここまでは広がらなかったと思います。次に、第三段階の情報がそこに加わった。もう一つのモメント、『カラマーゾフの兄弟』がミステリーである、という情報です。これもインターネットによって加速的に広まっていった。
 1990年代の前半までは、いかにすぐれた翻訳があっても、『カラマーゾフの兄弟』というのは本屋で並んでいる文庫本の1冊にすぎなかった。本屋さんに入って、文庫コーナーの前にたち、『カラマーゾフの兄弟』を前にしても、それが「父親殺し」を扱った「ミステリー」でもあるという連想は全く働いていないということです。今はおそらく本を買う人以外の何十万人という人が、『カラマーゾフの兄弟』は父親殺しを扱っている、ミステリーだということを知っている可能性があるんですね。それが大事なんです。将来的には、おそらく何十年たてば、読む人はもっともっと増えていくだろうと想像されることで、現在の『カラマーゾフ』の現象は、想像以上の効果が将来的に生まれるだろう、と予想しています」

 亀山のこのおしゃべりを皆さんはどう思われるでしょうか。私は噴飯物としかいえません。『カラマーゾフの兄弟』を「父親殺し」のテーマにおいて論じたのは、ご存知のように心理学者のフロイドで、1928年のことです。亀山自身、1985年頃に書いた論文で、フロイドを絶賛し、『カラマーゾフの兄弟』で「ドストエフスキーの描く心理的ドラマが、結果的に見れば、フロイト理論を極めて忠実になぞっていることを意味している」(「スタヴローギン −使嗾する神」)とのべているくらいですから、「父親殺し」のテーマがこの数十年の間に新しく知られるようになったという彼のセリフは、何かのためにする言い草です。ましてこの長編がミステリーとしても読めるなどといことを、いまさららしく持ち出す神経が理解できません。フロイド的な「父親殺し」の視点での読み方も、ミステリー、つまり推理小説としての読み方も、研究者の間だけではなく、一般の読者のレベルでも、すでに歴史的にとっくに卒業されているはずのものです。要するに、いままでドストエフスキーを読んだことのない読者に自分の訳を売り込むために、大衆化するために、乱暴に単純化した古臭い読み方を、文科省の研究推進委員会で、「先端研究」として、亀山はうそぶいているのです。

亀山は『カラマーゾフの兄弟』の訳者として、きちんとテクストを読んでいないと私は先程申しましたが、亀山は『カラマーゾフの兄弟』第一部、というのは現存する作品のテーマを「父親殺し」と単純化し、ドストエフスキーが書かなかった、続編第2部のテーマを、自分で空想して、「皇帝殺し」と設定するのです。彼は「『カラマーゾフの兄弟』続編を空想する」という題で、光文社文庫の一冊を出しました。現存する小説(第1部)で登場する少年たちの年長のリーダー格のコーリャ・クラソートキンという少年が、第1部から13年後に皇帝を暗殺するというのですが、そのテロ行為を使嗾する(そそのかす)のがアリョーシャだというのです。この筋立てを誘導するために、彼は現存する小説の最後の場面において、重大なテクストの偽造をこっそりと行いました。

 小説の最後の場面は、結核で亡くなった少年イリューシャを弔う場面ですが、そこの集まった少年たちとアリョーシャの会話の中で、アリョーシャの兄ドミトリーが裁判で有罪になったことを話題になります。その時、亀山説によれば、将来皇帝暗殺を行うコーリャが「それじゃお兄さんは、真実のために無実の犠牲になって滅びるんですね」「ああ、僕もせめていつの日か、真実のためにこの身を犠牲にできたらな」(«О, если б и я мог хоть когда-нибудь принести себя в жертву за правду»「全人類のために死ねればとは思いますけど」(«я желал бы умереть за всё человечество» といったセリフを連発します。イリューシャの埋葬が終わった後、アリョーシャは自分もこの町を間もなく永久に去らなければならない、と告げ、「このイリューシャの石のそばで、僕たちは第一にイリューシャを、第二にお互いにみんなのことを、決して忘れないと約束しようじゃありませんか」と、心をこめて呼びかけます。ここでアリョーシャは少年たちに向かって、「思い出」の絶大な教育的意義について語ります。人が生きるうえで、「何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。<・・・>少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生をつくりあげるなら、その人はその後、一生、救われるでしょう」と、アリョーシャは演説します。この場面は小説全体の中でも、もっとも美しい感動的な場面であり、作品の中心的なイデーが見事に表現されている個所であると、私は思います。

そこでアリョーシャは、少年時代のそのような美しい思い出に育まれた人間ならば、コーリャが先程叫んだ、「すべての人々のために苦しみたい」という人々を嘲笑するようなことがあったとしても、最後の悪の一線からは踏みとどまるだろうと、のべます。ここで注目すべきは、実はコーリャが「全人類のために死ねればと思う」といったセリフを、アリョーシャは「すべての人々のために苦しみたい」(«Хочу пострадать за всех людей») と、あえて言い換えている事実です。ここに作者は「他者の苦しみを共有するという」アリョーシャのイデーの立場を反映させています。

 ところが亀山はテクストのこのデリケートな差異を無視して、アリョーシャに「コーリャ君は、『全人類のために死にたい』と叫びましたが」と、テクストとはまったく異なる訳を付けているのです。これは明らかな作為というほかはなく、つまり、書かれなかった『カラマーゾフの兄弟』の二部で、13年後に、アリョーシャに使嗾されたコーリャが皇帝を暗殺し、処刑されるという、亀山の「空想」を展開するための伏線と考えられるのです。

 『カラマーゾフの兄弟』という小説は、確かに、序文の「作者より」を読むと、第一部と二部に分かれ、現存する作品は第一部に相当するもので、これは第二部の13年前の物語であり、書かれずにおわった第二部こそ現代の、つまり1870年代〜80年代の主人公(アリョーシャ)の物語であるとのべられています。また同時代の回想や噂から「アリョーシャは修道院を出て、将来、革命家、社会主義者になる」という構想をドストエフスキーがもらしていたというのも確からしいのです。しかし、書かれなかった物語の続きを空想するにしても、まず現存する作品に対する誠実な読みが前提とされなければなりません。ところが亀山は第一部「父親殺し」、第二部「皇帝殺し」のフロイド的な図式を適用するために、アリョーシャについて、またイワンの「大審問官伝説」のキリストについて、はなはだしく乱暴な解釈をほどこすのです。極めつけは、「大審問官伝説」に登場するキリストを潜称者であるかもしれないとし、キリストの大審問官へのキスを、無神論的立場への「承認のキス」と解釈していることです。なぜキリストを「潜称者」と見るかといえば、イワンの叙事詩の場面では確かに、亀山がいうように、「キリスト」と固有名は一度も出てきません。すべてロシア語では、「彼」の意味のОН です。そこで亀山は自分の発見のように自慢し、「ぼくの訳以外はすべて「キリスト」と名指ししている。じつはこれは変なんです。ぼくのなかには、これは、もしかすると、キリストの名を騙る悪魔ではないかという予感めいたものがあるからです」(「ロシア 闇と魂の国家」亀山・佐藤優 文芸春秋新書)といい、書評家の斉藤美奈子が「今回の『カラマーゾフの兄弟』の成功は、ここの部分を、キリストと明示しなかったことだ」といってくれたと、自慢げに言っています。

 ところがここがテクストの重要なポイントで、私は漱石研究で有名な佐藤泰正さんから電話で質問を受け、調べて分かったのですが、実はこの「彼」(ОН)は雑誌発表当時は大文字で表示されていたということです。ロシアでは20世紀に入って出版された全集などのテクストでは、この表記小文字に改変されてしまいました。これはソ連時代の無神論思想の影響で、一種の検閲がほどこされていたと見ることが出来ます。いま私たち研究者が権威あるテクストとして、論文の引用で用いる科学アカデミー版30巻全集、またそれ以前の1920年代に出て、米川、小沼訳などの底本となった、トマシェフスキー、ハラバーエフ版でも、表記は小文字でなされていたのです。これだけで見ると小文字のонはただの「彼」であって、キリストとは特定できないという理屈もなり立ちます。しかし小文字ではなく大文字のОН(あの方=キリスト)であるとなると、作者の意図から見ても、キリストを意味することに疑問の余地はありません。このことが突きとめられたのは、現在、ザハーロフという研究者の監修のもとで、ドストエフスキーが雑誌に発表した初出のままのテクストをスキャナーで撮って全集編纂を進めているものがあって、しかもそのテクストのコンコーダンスがインターネットで公開されていて、誰もが確認することが出来るからです。ちなみに英語版はどうかと覗いてみると、すべて大文字のHeで表記されていますから、おそらく独、仏の欧文訳でもそうなっているとはずです。

 

 (425日の「世界文学会」報告では落としていましたが、もう一つ追加して、亀山郁夫による重大な誤訳、もしくは意図的な歪曲を指摘しておかなければなりません。それは、同じ「大審問官」の章で、獄舎を訪れた大審問官がキリストに語りかける時の最初の一語です。ロシア語原文(括弧内英訳)によると、ソ連時代の版では、やはり検閲の影響があって、 «Это ты?» (Is it you?)(直訳=「これはお前か」)で、小文字で表記されていますが、雑誌初出版では «Это Ты?»(英訳・ガーネット版 Is it Thou?)と、«Ты»«Thou» が大文字で表現されており、直訳すれば、「これはあなたか?の意味になります。この表現を見ると、大審問官の意識に明らかに相手(キリスト)に対する畏敬の念があったことは疑いありません。

ところがあろうことか、亀山は、『おまえがあれなのか?あれなのか?』と、まったく、見当違いの訳をつけているのです。すなわち、目の前にいる相手を「あなた」として畏敬を表現するのではなくて、「あれ」として三人称化し、人格を阻害することによって、暗に相手はキリストではなく、「潜称者」でることを匂わせようとする魂胆が透けて見えるのです。)(2009516日)

 

 亀山はテクスト確認の最低限の手続きを怠るどころか、このようにテクストの捏造さえもおこなって、自分の疑わしい仮説を押し通そうとします。潜称者・偽キリストは大審問官の無神論的立場にキスによる承認を与え、また偽キリストを模倣したアリョーシャは、イワンに対して「父親殺し」の犯人は「あなたではない」といいながら、実は「あなたなのだ」と暗示をかけているのだなどといいだすのです。小説に登場する人物たちの中で、もっとも透明な人物であるアリョーシャに二枚舌的な陰影をあたえて、第二部で皇帝暗殺の使嗾者のイメージにつなげていく、という魂胆が透けて見えるのです。こうした作為的な解釈の結果として、さらなる重大な誤訳を亀山は犯します。それはアリョーシャがイワンにいうセリフで、犯人はあなたではないということを、「自分の一生をかけていったのです」(«Я тебе на всю жизнь это слово сказал») を、亀山は、犯人はあなたではないということを、「ぼくはあなたが死ぬまで信じ続けます」とやるのです。ネットでも公開されている有名なガーネット訳では、I tell you once and for all, it's not you. You hear, once for all!です。ロシア語のна всю жизньをガーネットはonce for allと訳しているのです。

 

このようにフロイド主義者の亀山郁夫は『カラマーゾフの兄弟』を「父親殺し」−「皇帝暗殺」の図式に無理やりに押し込めようとして、テクストの捏造までおこなって、正確なテクスト解釈からは遠く逸脱していきます。小説には確かに「父親殺し」が小説の一つのテーマとしてあるとしても、それは作者ドストエフスキーの視野に置くならば、彼が1860年以降の社会現象として、懸念し、警告していた「父親不在」「家庭崩壊」の現象に関連づけてとらえられるべきはずのものなのです。ドストエフスキーは「偶然の家庭」(«случайное семейство»)という言葉で当時の家庭崩壊の現象を表現し、小説『未成年』でこれを主題としました。それに続く『カラマーゾフの兄弟』でもこの問題が基本的な主題となっていることは明らかです。

 

カラマーゾフの兄弟』の真の主題

 

ドストエフスキーのいう「偶然の家庭」の問題とは何かといえば、怠惰な父親の無責任からくるもので、「家庭に対する父親たちの怠惰のもとで、子供たちはもう極端な偶然にまかされるのだ!」と作家は『作家の日記』でのべています。第一部第一編「ある家族の歴史」の章では、父親フョードル・カラマーゾフのもとでの、ドミトリー、イワン、アリョーシャの三兄弟の、幼児の時からの、他人に引き取られての離れ離れの生い立ちがかなり詳しく述べられています。そこに描かれているのはまさに父親の無責任による家庭崩壊の姿そのものです。この三兄弟は父親の手の届かぬところで、離れ離れに育って、長男ドミトリー28歳、次男イワン24歳、三男アリョーシヤ20歳という年頃に、それぞれの理由で図らずも、父親フョードルの住む町で際会することになりました。そうして小説の時間がはじまります。次男イワンと三男アリョーシャは、フョードルの二番目の妻ソーニャから生まれたのですが、父親のフョードルは二人が同じ母親の子であるという事実さえ、うっかり忘れていたりします。

長男のドミトリーはアデライーダというフョードルの最初の妻との間の子供ですが、母親名義の財産をめぐって、さらには同じ一人の女グルーシェンカをめぐって、父親と骨肉の争いを演じています。この親子の骨肉の争いが小説の表面上の主題で、「父親殺し」というテーマを構成します。しかし、このテーマは、敢えていえば、読者にとっての一つの筋立てに過ぎません。

 

ドストエフスキーの長編小説は、実は複数の主題から構成されていて、その連関をとらえなければ読み解くことになりません。椎名麟三は日本の文学者のなかで、ドストエフスキーの影響を強く受けた人として知られていますが、彼は戦後、作家として登場する以前、作家修行を始めた頃の昭和17年に、「ドストエフスキーの作品構成についての瞥見」という短いエッセイを書いていますが、そこでなかなか深い、鋭い洞察も見せています。椎名によれば、ドストエフスキーの作品の主題というのは、人物化した思想であって、「一つの観念の生命がその人物の生命となっているところの人物」であり、そのように人物化した思想の中に事件がとり入れられると、それらの事件が「小説的な生命をもち、何かへ発展しようとする機能をもつにいたる」というのです。また作品には主題が「人物と同じ数だけ」あって、その軽重は人物の位置によって決まるが、「その主題群は相互に連関を欠いているので、ドストエフスキーはその主題の間を緊密にし、全体的な主題の下に制約しようとした」ともいっています。

現在の世界のドストエフスキー研究に大きな影響をあたえたバフチンも同じようなことをいっています。バフチンによれば、「ドストエフスキーのすべての主要主人公たちは、・・・・めいめい「大きな未解決の思想(イデー)」をかかえ、まず必要としているのは「思想(イデー)を解決する」ことである。・・・。もし彼らが生きている場であるイデーを無視してしまったら彼らの人物像は完全に壊されてしまうだろう。いいかえれば、主人公の人物像はイデーの像と密接に結びつき、彼らから切り離せない」

作品の主題が人物化した思想であるという問題を、『カラマーゾフの兄弟』に即して、具体的に見ていくことにします。

 

1.「偶然の家庭」、記憶、思い出の教育的役割

 

父親フョードル・カラマーゾフの息子たちとの関係が、幼少のころから家族の絆を失った、当時、社会問題であった「偶然の家庭」であることに先程ふれました。フョードルは「怠惰な父親」の典型です。そこでドストエフスキーが『作家の日記』で特に危惧して警告しているのは、そうした親の下で、子供がどのような思い出、記憶をもって育つかということです。その結果として、引用:

「子供たちははるか老年になっても、父親たちの心の狭さや家庭内でのもめごと、非難、にがい叱責、さらには彼らに対する呪いさえも思い出す(воспоминают)<・・・>そしてその後も人生において長いこと、もしかしたら一生、その思い出の汚濁(грязь воспоминания)を緩和するすべもわからぬまま、自分の子供時代からは何一つ受けとることが出来ないで、そうした昔の人々を無闇に非難することになりがちである」

「人間は肯定的なもの、美しいものの胚子を持たないで、子供時代を出て人生へと出発してはいけない。肯定的なもの、美しいものの胚子を持たせないで、子の世代を旅立たせてはいけない」(2581

このようなわけで、『カラマーゾフの兄弟』の背景を成す一八七六一八七七年の『作家の日記』の主要なテーマの一つは思い出、とりわけ子供時代の思い出の意味づけにあるといつても過言ではありません。そしてこれは『カラマーゾフの兄弟』のアリョーシャ、ゾシマ長老によって担われる主要なイデーの一つに対応しているのです。

カラマーゾフ家の「偶然の家族」のなかで、人間の将来の人生にとっての思い出、幼年時代の記憶の重要な意味を体現するのがアリョーシャです。それは幼児の時、彼の記憶に刻みこまれた母親の顔で、「彼はまだほんの数え四歳の時に母親に先立たれたが、母親の顔、愛撫を生涯、覚えていて、<まるで母が私の前に生きて立っているかのようで>あった」(1418)ここで語り手は幼児の頃の思い出の深い意義について強調します。

「このような思い出は早い年齢、二歳頃からでさえも記憶に残り(このことは誰も知っている)、暗闇のなかの明るいスポットのように、絵のキャンバスの一断片  その断片を除いて、全体が消え、消滅してしまった大きなキャンバスの断片のように、生涯を通じて、ひたすら浮かびあがるのである」(同)

語り手は、アリョーシャが修道院へ入るにあたって、幼時の思い出が影響した可能性さえほのめかします。「彼の幼時の思い出のなかに、母親に連れられて礼拝に行ったわが郊外の修道院についての何かしらが残っていた可能性がある。ヒステリー女の母親がアリョーシャを抱えて聖像画に向かって差し伸べた時に、聖像画に射しこんでいた日没の斜めの光線が影響したのかもしれなかった。もの思いがちな彼はその時、もしかしたら、ただ一目見るためにわが町にやってき<・・・>そして  修道院で長老に出会ったのである」(125-26

このように、アリョーシャは幼児の時の母親の思い出に導かれて、ゾシマ長老に出会い、長老の没後、回想録という形式で、生前の長老の言葉を聞き書きを残します。このアリョーシャが記憶をたどって記録したゾシマ長老の説話の中でも、さらに、若くして死んだ長老の兄マルケルの思い出などが、入れ子式に重要な役割を担っています。ゾシマ長老は人間にとっての幼い頃の思い出の重要さを次のように強調しています。

「両親の家庭から、私は大切な思い出だけをたずさえて巣立った。なぜなら、人間にとって、両親の家庭での最初の幼時期の思い出くらい貴重な思い出はないからである。それはほとんどいつもそうなのであって、家庭内にほんのわずかな愛と結びつきさえあれば足りるのである。もっとも劣悪な家庭の生まれであったとしても、大切な思い出というものは、本人の心がそれを探し出す力をもっているならば、心に保たれているものなのである」(14264

ゾシマ長老のこの遺訓をあたかも実践するかのように、小説の最終場面で、アリョーシャは石のそばで少年たちに演説します。この感動的なパッセージは先程、ご紹介したのですが、もう一度くりかえします。「何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。<・・・>少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生をつくりあげるなら、その人はその後、一生、救われるでしょう」15195

このイデーは『カラマーゾフの兄弟』という幾つもの主題からなる長編小説の最も奥深い基礎的な大主題であると思われます。亀山がいうように、このイデーの担い手アリョーシャが、13年後の革命家の群れに投じ、皇帝暗殺に加担するとは、作品の論理として考えにくいのです。

ところで、このアリョーシャとは対照的に、同じ母親の腹から生まれ、幼児の頃は同じ環境で育ったはずの3、4歳年上のイワンには、「思い出」や「記憶」というものの意味はまったく与えられていません。また父親殺害の嫌疑に包まれたドミトリーは、決定的な瞬間に母親が祈ってくれたとのべて、記憶の中での母親の存在の重みを暗示しますが、これ以外には、彼にとって、「記憶」「思い出」の意味は出てきません。ではこの二人の兄弟の担う主題は何でしょうか?

 

2.イワンの主題(理論的知性のカント的アンチノミーの悲劇)

 

イワンの主題は思想的な主題としては、父親殺害の筋立てと並行して、小説の中心に位置するものです。彼は表向き無神論者で、神が創造したこの世の数々の不条理、何の罪もない子供が苦しみ、犠牲にならなければならない現実、その社会的な数々の事件を、新聞報道の社会面から拾い上げてアリョーシャに指摘し、神の存在は認めるとしても、神の造った世界は認めないと語ります。イワンのこの神への反抗のテーマは、父親殺しという「読者にとっての筋立て」、すなわち低次のテーマに並行する形而上学的な高次のテーマです。私はスターリン時代、苦難の人生を送ったギリシャ古典文学の研究者であるヤコフ・ゴロソフケルという人の「ドストエフスキーとカント『カラマーゾフの兄弟』とカントの『純粋理性批判』についての一読者の思索」という本を訳して、1988年に「みすず書房」から出版しましたが、この本でもっぱら論じられているのは、この形而上学的な高次のプランなのです。

『カラマーゾフの兄弟』をこのように複合的なプランで読む読み方は、20世紀初めのロシア象徴主義の詩人ヴャチェスラフ・イワーノフという人から始まっていて、バフチンのドストエフスキー論の母胎ともなったものですが、ゴロソフケルはこのラインで、イワン・カラマーゾフにカントの『純粋理性批判』のアンチノミー(二律背反)的主人公を読み込んでいるのです。小説の中で、イワンのアンチノミー(二律背反)的性格がどのような形で描かれているかを具体的に見ますと、イワンは「神がなければすべてが許される」「人間に不死(霊魂の不滅)がなければ善行もない」と無神論的な言葉をはき、スメルジャコフに深刻な影響を与える一方で、アリョーシャに対しては、この地上では二本の平行線は交わることのないというユークリッド幾何学式の、つまり地上的に造られた自分の知性では、神がありやなしやなんて理解できるわけがない、自分は論理以前に、「ねばっこい春の若葉やるり色の空」を愛したい、自分には「報い」が必要なのだと、倫理的、心情的な告白をします。

予言的な能力をもったゾシマ長老は小説の発端の場面、カラマーゾフ親子一同が長老の庵室で会した場面で、イワンの「不死がなければ善行もない」というイワンの思想を耳にして、「自分ではその論法を信じないで、胸の痛みを感じながら、心のなかではその論法を冷笑しておられる」と、イワンがこの問題で宙吊りの状態にあることを見抜きます。そしてこの問題は「もし肯定のほうへ解決できなければ、否定のほうへも決して解決できない」と、イワンの思想のまさに「二律背反」の状態を指摘するのです。

このようなイワンの精神の宙ぶらりんの状態を踏まえて、ゴロソフケルが推論するところによりますと、カラマーゾフの父親殺しの真犯人は、イワンの二律背反的な知性に潜む「悪魔」であるというのです。その悪魔はイワンのカント的なアンチテーゼ(これは無神論の立場を意味する)の傾きに沿って、まず下男のスメルジャコフに変身して登場し、父親殺しの犯行に及びます。スメルジャコフの自殺の後では、幻覚に陥ったイワンの目の前に悪魔自身が紳士の姿で現れ、イワンを嘲笑し、発狂させます。というのも、イワンはアンチテーゼの側に傾くと同じ程度にテーゼ(これは道徳、信仰の立場を意味する)の側への強い渇望を持ち、テーゼとアンチテーゼの両端からなる天秤棒の上で、振子のように小止みなく揺れ動くカントのアンチノミー的主人公であるからです。

ゴロソフケルはこのような高次の形而上的プランでの読みの結論として、ドストエフスキーはイワン=悪魔の形象において西欧批判哲学の理論的知性の宿命的な悲劇性とヴォードヴィル性を描き出し、カントに代表される西欧批判哲学との決闘おこなったといっています。

 

3.ドミトリーの主題(二つの深淵の同時受容)

 

そこでイワンに対置されるのが父親殺しの無実の嫌疑をうけて有罪とされるドミトリーで、彼が担う主題は二つの深淵の同時に受容という、ロシア的とも言うべき宗教的心情のイデーです。ドミトリーはアリョーシャに対して心情告白という形で語ります。自分は虫けらのような情欲を持ち、悪臭と汚辱にまみれながら、神様への賛歌をとなえる。「悪魔の跡へついいて行こうとも、おれはやはり神様の子だ。神様を愛する」とのべます。さらにドミトリーがいうには、カラマーゾフ一族の血には虫けらが巣食っていて、情欲の嵐を巻き起こす。美というものは恐ろしい謎で、両極端が一緒に出会い、あらゆる矛盾が一緒に住んでいる。自分が我慢できないのは、「美しい心とすぐれた理性を持った立派な人間が往々にしてマドンナの理想をいだいいてその一歩を踏み出しながら、結局ソドム(悪行)の理想をもって終わるということだ。いや、まだ恐ろしいことに、ソドムの理想を心にいだいている人間が、同時にマドンナの理想も否定しないで、純潔な青年時代のように、美しい理想のあこがれを心に燃やしていることだ。人間の心は広すぎる。できることなら少し縮めてみたい。理性の目には汚辱と見えるものが、感情の目にはりっぱな美とみえるんだからなあ!」「美は恐ろしいばかりではなく神秘なのだ。いわば悪魔と神との戦いだ。その戦場が人間の心なのだ」

ドミトリーは中学も終えないで陸軍の幼年学校に入り、コーカサス地方の軍隊に将校として勤めたものの、決闘騒ぎを起こして、兵卒に降等処分を受け、ようやく勤めあげて将校の身分に復職したという経歴の持ち主、とにかく放蕩の限りを尽くした、金遣いの荒い男と設定されています。決して教養のある人間とは、世間的には見えないのですが、ドストエフスキーはこのような男に、深遠な思想をのべさせているのです。これはイワンの理性から発する知的な論理とは対極に位置する、心情から発するところの民衆のメンタリティを表現する言葉といえるでしょう。このような両極端に走るロシアの民衆の宗教的ともいえは感情にドストエフスキーはたびたび言及します。

思い出されるのは、『白痴』でムイシュキン公爵が語るエピソードです。ある田舎の宿屋に同宿した二人の百姓の間に起きた殺人事件で、相手の持っている銀時計が欲しいばかりに、神に悲痛な祈りを捧げ、十字を切ったあとに、相手を殺害したというのです。また『地下室の手記』の主人公は、自意識家の自分とは正反対の直情的なロシアのロマンチストを評して、「ただわれわれの間においてのみ、札付きの卑劣漢がその魂において完全に高潔ともいえる潔白さをもちえるのである。それでいて卑劣漢であることをやめない」とのべています。

 

4.心理学的分析への批判(弁護士の視点、作者のリアリズム観)

 

ドストエフスキーはこのような両極端を併せ持つ、人間の心を描くには、通常の心理学的アプローチでは不可能だと考えていたようです。人間の心理を不確定な、両義的なものとしてとらえる人間観はドストエフスキーに固有のもので、人間の心理を第三者的な立場から、客体化して観察し批評することには、ドストエフスキーの作品の主人公自身が反発します。これはすでにドストエフスキーの処女作『貧しき人々』の下級官吏ジェーヴシキンの意識に見られる特徴でした。バフチンが指摘していることですが、『白痴』でムイシュキン公爵が相愛のアグラーヤという女性に対してイポリートの自殺未遂の動機を分析して見せる場面があります。アグラーヤはムイシュキンのその心理分析を人間の魂を対話的ではなく、客体化した「不在の分析」に対する批判であるとして、反発するのです。「あなたがイポリートを批判したように、そんなふうに人間の魂を眺め批判するなんて、とても乱暴だわ。あなたには優しいところがないのね。真実一点ばりで、それじゃ不公平になっちゃうわ」。同じくバフチンが指摘しているのが、『カラマーゾフの兄弟』の中の人物、イリューシャ少年の父親で、ドミトリーから侮辱を受けて自尊心に苦しむスネギリョフ大尉が、差し出されたお金を踏みにじる行動をめぐってのアリョーシャとリーザの会話です。アリョーシャがスネギリョフの精神状態を分析して、彼はあとできっとお金を受け取るに違いないと予測するのに対して、リーザが次のように反発します。

「そういう考え方に、その不幸な人に対する軽蔑は含まれていないかしら・・・つまり、」あたしたちが今、まるで上から見下すみたいに、その人の心を分析していることに?・・・・お金を受け取るにちがいないなんて、今あれほど断定的に決めてかかったことに」

またコーリャという14歳の少年、−亀山郁夫が将来の皇帝暗殺者と想定しているは、仲間にある行為の内面の動機を指摘された時、「僕は自分の行為を分析するような真似はだれにだってさせちゃおかないからね」と切りかえします。

このように人間をあらゆる外部からのアプローチや観察、規定に反発する自意識的存在、人格において自由な存在として見るドストエフスキーは、『カラマーゾフの兄弟』の最後のドミトリー裁判の場面で、検事イッポリートの論告に見られる「心理分析」に対して、弁護士フェチュコーヴィチを通して、批判をおこないます。

では検事イッポリートの論告はどのようなものであったか? まず検事は父親不在、父親の無責任という家庭環境、「偶然の家庭」の社会問題から始まって三人の兄弟の性格づけをおこないます。イワンの「ヨーロッパ主義」、アリョーシャの「民衆の原理」に対して、被告のドミトリーはあるがままのロシアを表現しているといいます。ロシア全体を表現しているのではないが、「それでもここにはわがロシアがある。母なるロシアの匂いがし、声が聞こえるのです」「彼は直情的な人間です。善と悪のふしぎな混合物です」とのべます。そして、ドミトリー自身のアリョーシャへの告白で読者がすでに知っている、二つの深淵の同時受容、すなわち「頭上に広がる高邁な理想の深淵と、眼下にひらける低劣な悪臭ふんぷんたる堕落の深淵」を、これこそが「カラマーゾフ的性格」だとして特徴づけます。検事のこの見解はアリョーシャの友人でジャーナリスト志望のゴシップ屋ラキーチンという青年からの受け売りで、小説を読んできた読者はすでに共有している視点です。

フョードル・カラマーゾフ殺しの犯人は、状況からいって、ドミトリーでなければ下男のスメルジャコフの犯行という二者択一以外にないのですが、世間の見るところ、スメルジャコフはフョードルに正直者として信用されていたし、臆病者で、事件の時は癲癇で寝込んでいて動けなかった、それに第一に動機がないというわけで、検事はこれも読者が共有する理由をあげています。他方、ドミトリーにはグルーシェンカという女をめぐっての父親への猛烈な嫉妬心があり、女を自分のものとして連れ出すための金に困っていた、また父親が自分に権利のある母親の財産を横領しているという怒りがあった、さらに決定的なのは、父親殺害を予告する彼のカチェリーナあての手紙があった、さらに犯行現場で、ドアは開いていたという下男グリゴーリイの証言(実は錯覚)があった。

検事の論告内容は、読者がたどってきたドミトリーの状況のおさらいであり、総まとめですが、情況証拠としては、ドミトリーには不利なものばかりです。世態風俗小説のリアリズムのレベルでいれば、ドミトリー犯人説は動かしがたいところです。陪審員制度の裁判のもとで、陪審員達は、有能な弁護士フェチュコーヴィチの弁論にもかかわらず、ドミトリーは有罪となります。そこで、弁護士フェチュコーヴィチの弁論はどのようなものであったか?

おそらく弁護士の視点は作者ドストエフスキーの見方を代表していると思われます。その視点とはこうです。「数々の事実の圧倒的な総和は被告に不利であっても、その反面、それらを一つ一つそれ自体検討してみると、批判に堪えるような事実はただの一つもない」「心理学は深遠なものであはるが、両刃の刀に似たところがある」(Палка о двух концах)

弁護士は検事が動かない証拠としてとりあげた事例のひとつひとつについて、反対の解釈が成り立つことを解き明かしていきます。弁護士の指摘によれば、深層心理の洞察が始末に困るのは、被告に対して何の偏見もなく、ある種の芸術的な遊びの精神、芸術創作欲というか小説創作欲にかられてなされる場合であって、心理分析の才能がすぐれている場合にはなおさらである、ということです。読者はこれまでの小説の読みを通して、イワンのアンチノミーの深刻な思想的葛藤や「神がなければすべてが許される」というアンチテーゼのスメルジャコフへの影響、さらにはイワンとドミトリーのアリョーシャへの心情告白などの場面を通して、小説の主題の高次のプランに触れてきただけに、弁護士の静かな口調での反論に、真実の深さを感じとることができます。真実は弁護士の側にあることを読者は了解します。

とはいえ通俗的な意味で、迫力を感じさせるのはどちらかといえば、検事イッポリートの論告です。小説の高次のプランと無縁な世間の人々、世俗的な、低次の筋立てのプランのレベルで生きる作中の人物達にとっては、説得力があるのは、検事の論告だからです。世間の情報や噂話がより真実に聞こえ、事件についてのストーリイがすでに作られるという状況があって、その中で活躍するのが、ラキーチンやホフラコーワ夫人といった人物なのです。

ラキーチンはアリョーシャの友人で、町中のことにかけては何でも知っているという情報屋ですが、検事の論告の多くはこのラキーチンの証言に依拠しています。ラキーチンは「この犯罪の悲劇を、農奴制の、そしてそれに対応すべき制度を持たずに苦悩して無秩序に落ち込んでいるロシアの、根強い風習の産物として描き出した」と、社会批判の視点から始めます。「この裁判以来、ラキーチン氏ははじめて自分を売りだし、認められるようになった」と、ラキーチンがこの事件をジャーナリズムへ売り込むための足がかりにしたことがのべられています。ホフラーコワ夫人というのはこの田舎町の社交界の物見高い、好奇心の強い、噂話には目が無い女性で、言葉と行動の支離滅裂な人物ですが、裁判の前から、ドミトリーは有罪ではあるが、「心神喪失」という医者の鑑定を受けて無罪放免になるだろうと想定しています(実際はならなかったのですが)。いわば世間の公約数的な見方の代表です。

ドストエフスキーはこの頃すでに世論を形成するこうしたジャーナリスティクな言説や風説、噂の機能にも目を向けていて、現象の奥にある真実、真相に迫るには、ありきたりの一元的なリアリズムではだめだと理解していました。ですからこのドミトリー裁判での検事と弁護士の対決の場面の主題は、ドストエフスキーのリアリズムについての考え方の展開という側面をもっていると考えられます。ドストエフスキーは自分のリアリズムの特徴をこうのべていました。

「完全なリアリズムをもって人間の内なる人間を見出すこと。・・・私は心理学者だといわれるが、間違っている。私は要するに最高の意味でのリアリスト、つまり人間の魂のあらゆる深淵を描くのである」 バフチンはドストエフスキーのこの言葉に注目して、この時代の心理学に対して、それが学問上であろうと、文学的であろうと、裁判審理上であろうと、ドストエフスキーは否定的であったといっています。その理由は人間の魂の自由、不確定さ、不完結性を見ないで、モノとして客体化してしまうからだというのです。ドストエフスキーは常に、「最後の決断のどたん場に立たされて、魂の危機と不安定な予測もつかぬ転換のある一瞬にある人間を描く」とのべています。

 

5.幼児の苦しみと罪の意識(イワンとドミトリーの場合)

 

ドストエフスキーの人間観の立場からいえば、理論的知性の経験論(アンチノミーのアンチテーゼ)の立場では物事の本質は見えてこないということでしょう。理論的知性であるイワンは「神はありやなしや」、「大人の罪ゆえに、なぜ何の罪も無い幼児が苦しまなければならないのか?」という問題にも、あくまで論理的な解決を求めました。イワンは幼児虐待記事の収集家で、外国や国内の残忍な幼児虐待の数々の事例をもちだして、何ゆえにこのような不合理が作り出されたのか、一つ説明しくれないか、とアリョーシャに迫ります。このような子供の無辜の涙の上に築かれる人類の「調和」への入場券を自分は謹んで返上する、とのべます。そしてイワンは、「ぼくは事実にとどまるつもりだ、<>何か理解しようと思うと、すぐに事実を曲げたくなるから、ぼくは事実にとどまろうと決心したのだ」と告げ、あくまで地上的な経験論の立場にとどまろうとします。それでいて、いっさいは「流れ流れて」(つまり因果の系列で)罪人はいないという、「ユークリッド式の野蛮な考え」によって生きていくのは承知できない。自分には「報い」が必要なのだと、まさしく二律背反(アンチノミー)の逆転の論理を展開します。イワンがあくまで理論的知性としてアンチテーゼ(無神論の立場)にしがみつこうとしたことが、彼の悲劇の一切の原因で、スメルジャコフの犯行の思想的共犯者として罪責感にさいなまれ、譫妄状態で悪魔の幻覚に苦しめられ、発狂することになります。これはイワンが受身で追い詰められた結果といえるでしょう。

イワンと対照的なのが、ドミトリーで、彼はフョードル殺害事件の直後、グルーシェンカの後を追って行ったモークロエ村の宿屋で、グルーシェンカの愛をめぐって絶望から希望への劇的な急転回を体験した直後、父親殺しの容疑で、捜査当局に襲われます。その取調べの合間にまどろむ瞬間があって、ドミトリーは「幼児」の夢を見ます。この「幼児」というロシア語は通常の「幼児」«Дитя»という言葉ではなく、 夢の中で御者が使った俗語«Дитё»で表記されているので、翻訳では「餓鬼」(米川訳)とか「童」(原訳)などが当てられています。彼が見た夢というのは、11月の初めの頃、みぞれの降るなかを馬車で走っていると、焼け焦げで真っ黒になった百姓家が立ち並ぶ村があって、道端にはやせ衰えた女達が並んでいる。その中で20歳くらいの若い女の腕の中では赤ん坊が泣き叫んでいる。母親の乳房はしぼんでしまい、一滴の乳も出ないらしい。そこでドミトリーは御者にいいます。「なぜ焼け出された母親たちはああして立っているのか。なぜあの人達は貧乏なんだ。なぜ赤子はあんなに可哀そうなんだ。なぜこんな裸の荒野があるんだ。どうしてあの女たちは抱きあって接吻を交わさないんだ。なぜ喜びの歌をうたわないんだ。なぜ不幸な災難のために、あんなにどす黒くなってしまったんだ。なぜ赤子に乳をやらないんだ?」

ドミトリーはこの疑問を通して、自分の中に強く湧き上がるものを感じます。彼はイワンが論理でもって神に抗議して、あんなにも拒否した万人への罪の意識を積極的に引き受けるのです。ドミトリーは目が覚めたあと連行される直前に、こう語ります。

「みなさん、わたしたちはみな残酷です。悪党です。わたしたちはみなの者を、母親や乳飲み子を泣かせています。<・・・>その中でもわたしが一番、汚らわしい虫けらです。<・・・>今になって悟りました。自分のような人間には鞭が、運命の鞭が必要なのです。<・・・>わたしはあなたがたの譴責を、世間一般からの侮辱の苦痛を引き受けます。わたしは苦しみたいのです。苦しんで自分を清めたいのです」

とはいえ、ドミトリーは父親殺しの実行についてはきっぱりと否定して、こういいます。

「わたしは親父の血に対しては罪はありません。わたしが刑罰を受けるのは、親父を殺したためではなく、殺そうと思ったためなんです。<・・・>わたしは最後まであなたがたと争って、その上は神様の思し召し次第です!」

またこのあと刑務所に収監されたドミトリーは、面会に訪れたアリョーシャに切実な思いをこう告白します。

「なぜあの時、あのような瞬間に、おれは『赤子』の夢を見たんだろう?『なぜ赤子は可哀そうなんだ?』 あの瞬間、あれはおれにとってお告げだったんだよ!『赤子』のためにおれは行く。なぜなら誰もがすべての者に対して罪があるんだからな。すべての『赤子』のためにさ、というのは小さい子供達と大きい子供達がいて、みんなが『赤子』なんだよ。みなのためにおれは行く。なぜなら誰かがみなのために行かなければならないからさ。おれは親父を殺しはしなかった。でもおれは行かなければならないんだ」

 

ここでもはっきりと、低次のプラン、つまり、フョードル殺しの実行犯は誰かという世俗的主題と高次のプラン、つまり、手を下しはしなかったものの、自分にも罪があるという、形而上的主題が提示されていることが分かります。イワンの場合、「神がなければすべてが許される」という自分の思想がスメルジャコフによって戯画化されて現実化され、それに苦しむイワンが幻覚の悪魔にからかわれるという、自己意識の分身化の出口のない葛藤、悲劇であるとすれば、ドミトリーは、イワンのような経験論的な価値判断を超えた、超越的な神の意思にすべてをゆだねようとします。

 

6.ゾシマ長老の思想(世界認識の問題)

 

ここでドミトリーの主題はアリョーシャが回想記の形で復元した、ゾシマ長老の説話の中心的な思想とつながるのです。ゾシマ長老の説話では、長老の思い出の形で、いくつかのエピソードが語られます。若くして病気で亡くなった兄が、病床で窓辺に庭に飛んでくる鳥たちに向かって、自分の罪のゆるしをこうた話や、長老自身が若い頃、決闘騒ぎを起こして、自分の射撃の番になった時、神によってあたえられた周囲に広がる自然の美しさや自分たちに恵まれた人生を汚す愚かさに気づき、ふいに気が変わってピストルを放り投げてしまい、それをきっかけに修道院入りをしたという話や、かつて殺人事件を犯して、犯行が誰にも露見せず、その後、幸せな家庭を築き、財産を成して、社会的にも尊敬されるようになった紳士が、結局のところ良心の呵責に堪えることができず、逡巡を重ねた後、僧職のゾシマに犯行を告白したという話しです。(この紳士は社会的には狂人扱いにされ、間もなく亡くなったということです)(「謎の客」)

 このような世俗的な論理を超えた人間の心の神秘的な動きを認識するための根拠として挙げられているのは、おそらくゾシマ長老の次のような言葉です。

「この地上においては、多くのものが人間から隠されているが、その代わりわれわれは他の世界−天上のより高い世界と生ける連結関係を有しているところの、神秘的な尊い感覚が与えられている。それに、われわれの思想、感情の根源はこの地にはなくして、他の世界に存するのである。哲学者が事物の本質をこの世で理解することは不可能だというのは、これがためである。神は種を他界より取ってこの地上にまき、おのれの園を作り上げられたのである。そして人間の内部にあるこの感情が衰えるか、それともまったく滅びるかしたならば、その人の内部に成長したものも死滅する。そのときは人生にたいして冷淡な心持になり、はては人生を憎むようにさえなる」

 ドストエフスキーは人間の魂や意識の土壇場での急転回、神秘的な動きを、経験論の立場を超えた、物自体の領域、天上と地上が響き合う領域でとらえようとしたと思われます。ゾシマ長老の言葉に、「いっさいは大海のようなものであって、ことごとく相合流し相接触しているがゆえに、一端に触れれば他の一端に、世界の果てまでも反響するのである」とありますが、これも物事のそうした本質を伝えようとしたものと思われます。ドミトリーのいう「ソドムの理想」と「マドンナの理想」の二つの深淵を同時に受け入れる、虫けらのような情欲を持ち、悪臭と汚辱にまみれながら、神様への賛歌をとなえるという両極端が反響し合う関係も、こうしたゾシマ長老の見方、引いては「人間の内なる人間を見出すこと」というドストエフスキーの「最高のリアリズム」によってこそ、解明されるものなのでしょう。

 

7.スメルジャコフの主題(虚無的自己否定と去勢派の禁欲)

 

思想的な高次の読みの文脈で見る限り、スメルジャコフはイワンの影であり分身であり、独立した人格とはなりません。しかし、低次の読者の筋立てで読めば、彼もれっきとした社会的存在です。スメルジャシチナという白痴同然の女性が母親で、カラマーゾフ家の風呂小屋にしのびこんで出産したこともあって、淫蕩なフョードル・カラマーゾフの子ではないかと噂されています。カラマーゾフ家の下男グリゴーリイ夫婦に育てられて、いまや下男として料理人をしています。料理人としての腕は確からしく、コーヒーとピロシキ、魚のスープ(ウハ)が得意で、フョードルからも信頼を得ています。もし事実、フョードルの息子だとしたら、カラマーゾフ兄弟の4男で、「偶然の家庭」の一構成員ということになります。

ゾシマ長老やアリョーシャがいうように、人間形成にとって子供時代の思い出が重要というならば、スメルジャコフはその点では最も遠いところに位置する不幸な存在です。少年時代は猫を縛り首にして葬式遊びをするのが好きだったという陰気な性格で、育て親のグリゴーリイも少年の人好きのしない態度につらくあたり、「お前は人間ではない。風呂場の湯気の中から湧いて出たんだ」といわれて、のちのちまで、スメルジャコフはこの言葉を絶対に許すことができなかった、と記されています。この一例からも、彼が子供時代から、マイナスの思い出しかない状況で育ったことが想像されます。12歳の頃、育て親のグリゴーリイが宗教教育として天地創造の話をした時、少年は冷笑的な態度をとったため、びんたを食らわされますが、その時期を同じくして癲癇の発作を起こし、その後彼の持病となりました。

少年には潔癖、きれい好きという一面があって、それを見込んだフョードルが料理人にすることに決めて、モスクワへ修行に出しました。何年かして帰ってきた時には、すっかり面変わりしていた。「年に似合わない老けこみようで、しわがよって黄色くなったところは去勢された男(стал походить на скопца)のようだった」と、記されています。ここで「去勢された男」という表現は、ロシア語では「スコペーツ」で、分離派教徒のセクト「去勢派」の意味でもあります。ですからここは「去勢派教徒のようだった」とも訳せるわけです。もしスメルジャコフが去勢派教徒であったとすれば、フョードル殺しの動機の一端、あるいは正当化の理由の一端がこの点にあったのではないかと思わせるものがあります。去勢派というのは鞭身派というセクトから派生した一派です。

資料

鞭身派(フルィスティ):教会分裂した頃からの古いセクト。創始者はダニーラ・フィリッポフという農民。儀式の際に手や鞭(フルィスト)で叩き合い、集団恍惚の状態に入ることから「鞭身派」と呼ばれた。イコンや十字架の礼拝を否定し、聖体礼儀その他の勤行をも否定した。「罪の教理」という異端的な教え。真の救いを得るために、罪の償いをするために、徹底して罪を犯す。婚姻を罪とし、禁欲を求めながら、儀式で乱交を行う。儀式は「シオンの山」、「エルサレム」と称する地下室で行われる。白い上着,色のついた帯をしめた信者が円状に座り、独自の聖歌を歌い、何人かが踊り始める。皆が歌い、ひざを打ち、興奮が高まっていく。狂信的な興奮状態のなかで、禁欲は一転して乱交状態に陥る。その時身ごもった女性は「マリヤ」とされる。キリストも複数存在することになる。

去勢派(スコプツィ, скопцы

鞭身派から分かれた派。禁欲を唱えながら、実際には淫乱がはびこっていることに疑問を感じた逃亡農奴アンドレイ・ブローチン(別名、コンドラーチ・セリヴァーノフ)が、禁欲を徹底させるために、去勢を教義の中心としたセクトを18世紀70年代に始めた。19世紀には、両替商を中心とする富裕商人や貴族の間にも広がった。

去勢には二種類あり、完全な去勢を大ペチャーチといい、これを受けた者を「白鳩」と呼ばれた。もう一段低い去勢を小ペチャーチといい、「白がちょう」と呼ばれた。女性の場合は、前者が乳房、後者が乳首の切除であった。

 

私が注目したいのは、去勢派が鞭身派の反動として生まれてきたセクトだということです。禁欲を唱えながら実際には淫乱に陥っている鞭身派に対して、去勢派は禁欲を徹底させるために、去勢という過激で異常なまでの自虐的な行為を教義としました。スメルジャコフがこの過激な禁欲のセクトに近づいた理由もうなづけます。つまり、誰とも知れぬ男の性欲の衝動のままに犯された白痴同然の女から生まれてきた自分の血を彼は呪っていたに違いありません。育て親のグリゴーリイの不用意の侮辱的な言葉を「絶対に許すことができなかった」と記されているのはその証拠です。スメルジャコフの父親が誰であるかについては、その頃町をうろついていた脱獄囚の<ねじ釘のカルプ>と呼ばれた男だという可能性もあり、フョードル・カラマーゾフだとは必ずしも確定されていません。しかし、フョードル本人は否定していたものの、噂は残り、スメルジャーシチナがフョードルの庭の風呂小屋にしのびこんで出産し、従僕のグリゴーリイ夫婦が生まれた子を引き取って育てるにいたり、スメルジャコフは自然とカラマーゾフ一家の一員になっていったのです。父親の名に由来する父称もフョードロヴィチ(パーヴェル・フョードロヴィチ)と呼ばれるようになったというのですから、スメルジャコフ本人はフョードルが自分の父親だと思っていたはずです。そのカラマーゾフ的な血の本質をなす「淫蕩」「淫乱」(разврат)は、去勢派の教義からすれば最も罪深いもので、その洗礼を受けた立場からすれば、許しがたいものだったでしょう。

スメルジャヤコフは自分の「父親」である主人に、正直者で料理の腕の立つ忠実な下男として仕え、信用を得ながらも、自分の出生にまつわる運命について、たえず考えるところがあったはずです。彼が漠然とした、自分でも明確に輪郭をとらええない、印象とでもいうべきイデーにとらえられて瞑想する人間であったことが、クラムスコイの絵「瞑想する人」に描かれた森の中の百姓の姿の喩えで、のべられています。彼は恋人のマリヤ・コンドラーチェヴァに向かって、こういうことを話します。自分はスメルジャ−シチナの産んだ父なし子で卑しい人間だと世間に馬鹿にされてきた、生まれてこずにすむんだったら、腹の中にいるうちに自殺したかった、自分はロシア全体を憎む、ナポレオンが1812年遠征で、この国をやっつけてくれれなかったのは残念だ、自分にまとまった金があればこんなところにいない。

スメルジャコフは自分の血を呪い、ロシアを憎み、自分の料理の腕だけを自慢して、運が向けばモスクワの中心街でレストランを開いてみせるといいます。そして、何の役にもたたないのに、大金を浪費するドミトリーを馬鹿にしています。

彼はイワンとの最後の面談で、自分が犯人であることを告白した際に、フョードルから奪った3千ルーブルの大金で、モスクワか外国で生活を始めようという考えがあったことを打ち明けます。彼がフランス語の独習書にとりくんでいたというデテールの意味もここで明らかになります。しかし、この動機は彼が自殺してはてることにより、裁判では表ざたにはなりませんでした。知るのは打ち明けられたイワンと読者だけです。スメルジャヤコフはここで、すべてはイワンの言葉、「永遠の神がなければ、いかなる善行も存在しない、すべては許される」が原因なのだと、責任をイワンに押し付けます。イワンの言葉はスメルジャコフの内部で鬱屈していたものに火をつけて爆発させる導火線だったという見方もできます。

このようにスメルジャコフの人物像を細かく見てくると、彼がイワンの影、分身、悪魔の身代わりといった抽象的な存在にとどまらず、社会的な背景をもった存在として描かれていることが分かります。彼も根本で「偶然の家庭」の主題につらなり、精神的な支柱となるべき子供時代からのよき思い出を奪われているばかりか、むしろマイナスの記憶や印象に苦しんできた、限りなく虚無的な、自己否定的な人物であり、社会に対して復讐心をもっていたことが推測されます。子供時代の思い出の肯定的な意味を説くアリョーシャ=ゾシマ長老とは反対の極に位置する人間です。

 

8.スネギリョフ一家の主題(家族の絆)

 

「偶然の家庭」の問題をこの小説の大きな主題として見る時に、貧乏で慎ましやかな退役将校スネギリョフ二等大尉の家庭は、対照的な意味で、小説の結末に光を添えています。イリューシャ少年の死によって、一家は悲しみにつつまれるのですが、父としてのスネギリョフの存在は、家族に精神的や安定をもたらしています。

スネギリョフはフョードル・カラマーゾフとドミトリーが財産争いをしている渦中に、フョードルに依頼されて代理人の役をしたために、腹をたてたドミトリーが、飲み屋で、スネギリョフのへちまたわしのようなあごひげをひっぱって往来に連れ出し、公衆の面前で侮辱した。その時息子の少年イリューシャがいて、「大声で泣き叫び、父親のために許しをこうた」。この一件が物笑いの種になり、中学生の少年仲間でも、イリューシャは「へちま」とあだ名されて、いじめの的になります。いろんな経緯(略)を経て、アリョーシャはスネギリョフ親子への兄の行為の謝罪もとげ、少年たちをも和解させ、結核で死の床についたイリューシャを少年たちが見舞う感動的な場面が小説の結末に描かれます。

父親のスネギリョフ大尉は仕事もろくになくて、家族は貧乏のどん底にあり、決して権威のある父親とはいえません。むしろ息子のイリューシャが「父親の名誉のために、侮辱をはらすためにたちあがった」(アリョーシャの追悼の言葉)。父親はまた息子の目を意識して、息子に恥ずかしくない行動をとろうとします。いずれにせよそこには、父と子の精神的一体感、家族同士の絆が描かれています。物質的な条件や欲望の充足を超えた家族の結びつき、精神的に支え合うけなげな姿が浮かびあがるのです。

そこでアリョーシャの少年たちを前にしての言葉が響きます。

「立派な少年でした。親切で勇敢な少年でした。父親の名誉とつらい侮辱を感じとって、そのために立ちあがったのです。だから、まず第一に、彼のことを一生忘れぬようにしましょう。みなさん、たとえ僕たちがどんな大切な用事で忙しくても、どんなに偉くなっても、あるいはどれほど大きな不幸におちいっても、同じように、かってみんなが心を合わせ、美しい善良な感情に結ばれて、実にすばらしいときがあったことを、そしてその感情が、あのかわいそうな少年に愛情をよせている間、ことによると僕たちを実際以上に立派な人間にしたかもしれぬことを、決して忘れてはなりません」

この言葉のあとに続くのが、アリョーシャの「これからの人生にとって何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。<・・・>少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそ、おそらく、最良の教育にほかならないのです。そういう思い出をたくさん集めて人生をつくりあげるなら、その人はその後、一生、救われるでしょう」というあのパッセージです。

 

結び

 

こうして見てくると、アリョーシャ=ゾシマ長老による子供時代の思い出、記憶の教育的意義の強調の根底には、家族の絆ばかりではなく、仲間同士の連帯、共有感情、引いては小鳥や植物など自然との交感、他者との関係性における経験的自我の克服を通しての世界の神秘的領域の認識への志向といった複合的なイデーが含まれていて、これが小説の統括的な主題であると、考えられます。このポジチヴな主題を、逆説的にネガの形で浮き上がらせるのが、フョードルの主題(カラマーゾフ的淫蕩)であり、イワンの主題(理論的知性のアンチノミー)であり、ドミトリーの主題(ソドムの理想とマドンナの理想の同時受容)であり、スメルジャコフの主題(自己否定+去勢派的禁欲+イワンのアンチテーゼの戯画化)であって、『カラマーゾフの兄弟』というこの大小説はこれらの主題を複合的に構成して成立していると見ることができます。