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亀山訳『カラマーゾフの兄弟』第1冊、誤訳・不適切訳「点検」補遺 木下豊房 私は最近、ロシア語原文(アカデミー版14)を再読する機会があって、先に公開したNN氏の「検証」、森井氏の「点検」では漏れていた新たな誤訳12個所に気付いた。いずれも初学者か大学生レベルの、「どうしてこうなるの」という首を傾げたくなる誤訳ばかりである。5月3日付の「毎日新聞」読書欄では「東京外大出版会」が刊行を開始し、その第一弾に「ロシア文学の第一人者として知られる同大・亀山郁夫学長」がドストエフスキー論を出したと、報じているが、私達が具体的に指摘してきたような誤訳の山に埋もれた仕事に出版文化特別賞を与え、いまなお「ロシア文学の第一人者」などと持ち上げる「毎日」の文芸記者のほめ言葉は、真実を知る読者には、ほとんど皮肉か冗談としか聞こえないであろう。公器を利用しての読者をあざむく行為というほかはない。 (2009年5月5日) |
新訳29 |
まさにこうした事情こそがのちの悲劇を生み、その悲劇を叙述することが、わたしのこの導入的な意味を持つ第一部の主題ないし、より正しくは骨格をなしているのである。 |
原文 |
Вот это-то обстоятельство и привело к катастрофе, изложение которой и
составляет предмет моего
первого вступительного романа или, лучше сказать, его внешнюю сторону. |
コメント |
まず「外的な側面」<внешнюю сторону>を「骨格」と訳すのは間違いであろう。 Предметは一義的には「対象」「出来事」であって、「主題」<сюжет>の意味からは遠い。 原訳:「その悲劇の描出がまた、わたしの第一の導入部的な小説の題材、より正しく言うなら、小説の外面となってもいるのである」(24)。「小説の外面」、「題材」は適訳 |
新訳33 |
彼女が死んだとき、アレクセイはまだ数え四歳でしかなかったが、不思議なことに彼はその後、一生、むろん夢をとおして母親の顔を覚えていたという話をわたしは知っている。 |
原文 |
Когда она померла, мальчик Алексей был по четвертому году, и хоть странно
это, но я знаю, что он мать запомнил потом на всю жизнь, - как сквозь сон разумеется. |
コメント |
まず「むろん夢をとおして母親の顔を覚えていた」という表現が文脈を踏まえていない不自然な日本語であり、様態を示す「〜のように」(как)を訳しきれていない明らかな誤訳。 文脈は「数えの四歳ではあったが、母親の顔を覚えていた。むろん夢の中でのように」である。 原訳:「実に不思議なことではあるが、彼がそのあと一生、もちろん、夢の中のようにぼんやりとにせよ、母親をおぼえていたのを、わたしは知っている」(26) |
新訳38 |
聞くところによると、それらの記事はいつもたいそう面白く、読者の好奇心をそそるような書き方がなされていたので、新聞はたちまちのうちに売り切れたらしい。 |
原文 |
Статейки эти, говорят, были так всегда любопытно и пикантно составлены,
что быстро пошли в ход,
и уже в этом одном… |
コメント |
「記事が早速、使われるようになった」で、「新聞がたちまちのうちに売り切れたらしい」というテクストは原文のどこにも存在しない、完全なでっちあげ。 原訳:「なんでもこの記事はいつもおもしろく、興味をそそるように書かれていたため、すぐに採用されるようになったという」(30) |
新訳70 |
この公案、すなわち長老制度は、なんらかの理論によって構築されたものではなく、東方正教会での千年にわたる実践の場において生みだされたものである。 |
原文 |
Изобретение это, то есть старчество, - не
теоретическое, а выведено на Востоке из практики, в наше время уже
тысячелетней. |
コメント |
「公案」なる訳が当てられている<Изобретение>は「工夫」、制度上の「工夫」、「発明」であって、禅の公案や公文書の下書とは何の関係もない、はなはだ見当違いの誤訳である。 原訳「この発案、すなわち長老制度は・・・」(51)を間違って剽窃したものではないのか? |
新訳174 |
いまから数年前、パリでのことです。例の二月革命からまもない時期に |
原文 |
В Париже, уже несколько лет тому, вскоре после декабрьского переворота, |
コメント |
原文は「十二月革命」。 原訳にはわざわざ「1851年12月2日、ルイ・ナポレオンの行った革命」という割注まで付けてある。(124)。 |
新訳227 |
彼は自分がしでかした嫌がらせをねたに、一同にはらいせがしてやりたくなった。<・・・>「たしかに彼はわたしに何も悪いことはしなかった。でもかわりにこちらから、とてつもない恥知らずな嫌がらせをひとつしてさしあげたのです、で、それをすると、たちまちわたしはそのことで彼が憎らしくなったんです。 |
原文 |
Ему захотелось всем отомстить за собственные пакости.<・・・> «А вот за что: он, правда, мне ничего не сделал, но за
то я сделал ему одну бессовестнейшую пакость, и только что сделал, тотчас же
за то и возненавидел его» |
コメント |
嫌がらせ」と訳されているпакости は「忌まわしいこと」「汚らわしいこと」「下劣なこと」といった意味で、「嫌がらせ」という相手を前提とした意味は希薄である。自分の道化ぶりを徹底させるために、醜悪の行為に走って、それに対する相手の反応、嫌悪に対して復讐するという、道化的破廉恥(シニシズム)の屈折した心理を表現したもの。初手から相手にからむ「嫌がらせ」という訳は不適切。 原訳も「彼は自分自身のいやがらせに対する腹癒せを、みんなにしてやりたくなった」(162)で適切とはいえない。米川訳「彼は自分自身の卑しい行為にたいして、すべてのひとに報復しようという気になったのである」(99)のほうが、正しい。 |
新訳259 |
(リザベータは)さすがに冬になると毎日やってきたが、ただしそれも夜遅くのことで、寝場所と言えば玄関とか牛小屋だった。 |
原文 |
по зимам приходила и каждый день, но только лишь на ночь, и ночует либо в сенях, либо в
коровнике. |
コメント |
原文には「夜遅く」という表現はない。「夜にそなえて、寝るためだけに」といった程度の意味である。 原訳:「冬になれば毎日くることもあったが、それとて夜寝るときだけで」(183) |
新訳263 |
リザベータは、その夜、カラマーゾフ家の塀も勢いよくはい登り、身重のからだに害がおよぶのも承知で飛び降りたのである。 |
原文 |
(Лизавета) забралась как-нибудь
и на забор Федора Павловича, а с него, хоть и со вредом себе, соскочила в сад
, несмотря на свое положение. |
コメント |
「勢いよく」とはありえない訳である。как-нибудьは「どうにかこうにか」、「なんとかして」であり、身重の女の動作ではない。滑稽きわまりない、いい加減な誤訳としかいいようがない。 原訳:「リザベータは、フョードルの塀になんとか這いあがり」(186) |
新訳270 |
ちなみにこの最後のところは、まったくの偶然から町の生き字引である友人のラキーチンに聞いた話だったが、 |
原文 |
О последнем обстоятельстве Алеша узнал, и уже конечно совсем случайно, от
своего друга Ракитина,
которому решительно всё в их городишке было известно, и |
コメント |
ラキーチンは町のことはなんでも知っている情報通と書かれているのであって、「町の生き字引」では意味が通らない。不適切な訳というより誤訳である。 原訳:「もちろんまったく偶然に、町のことならおよそ何でも知っている親友ラキーチンにきいたからだが」(191) |
新訳369 |
ほら、おまえの聖像だ、<・・・>おまえはこれを奇跡の泉みたいに考えているようだが、おれはいまおまえの目のまえでこれに唾を吐きかけてやる |
原文 コメント 新訳386 原文 コメント 新訳428 原文 コメント |
вот вой образ<・・・>Смотри
же, ты его за чудотворный
считаешь, а я вот сейчас на него при тебе плюну 「奇跡の泉」と意訳(?)する必然性があるのか?無意味な空想がもたらした誤訳である。直前の「聖像образ」を受けて「奇跡の聖像」と訳すのが自然である。 原訳:「ほら、見ろ、お前の聖像だぞ、<・・・>お前はこれを奇跡の聖像と思いこんでいるらしいが、俺が今お前の目の前でこいつに唾をひっかけてやる(260) アリョーシャがカテリーナの家に入ったときは、すでに七時を過ぎていてあたりは夕闇が迫っていた。 Было уже семь часов и смеркалось, когда Алеша пошел к Катерине Ивановне, これは大学生でもやらない誤訳である。「アリョーシャが出かけたпошел」を到着(「入った」)と訳すのは初学者でもやらないミス。 原訳:「カテリーナのところへアリョ−シャが向かったときは。すでに七時で、暗くなりかけていた」(273) わたし、あなたを心の友って決めたんです。あなたと一緒になって、年をとって、一生をともに終えると。 Я вас избрала сердцем моим, чтобы с вами
соединиться, в старости кончить
вместе нашу жизнь. これも大学生でもやりそうにない誤訳である。「私は自分の心であなたを選んだ」であって、「あなたを心の友って決めた」は見当ちがいもはなはだしい。 原訳:「あなたと結ばれ、年を取ったらいっしょに人生を終えるため、あたしの心があなたを選んだのです」(303) |