ローラースケート
僕のサーフヒストリーを語る上ではずせないのが、
1979年〜1983年に流行した"第2次ローラースケートブーム"です。
"第1次ローラースケートブーム"とは、
1972年〜1975年に、東京12チャンネルで放送された"ローラーゲーム"が大人気となり、
日本でも"東京ボンバーズ"が活躍した時期です。
"ローラーゲーム"は、あまりにもエンターテイメント性の強いスポーツ
(ゲームの勝ち負けより、そこに到るまでのシナリオを八百長的に見せる傾向)であったため、
急上昇した人気は、急降下して、ブームも終わりました。
"第2次ローラースケートブーム"とは、
アメリカで流行した"ローラーディスコ"が日本に飛び火して発火、そのストリート系という感じで、
週末の代々木公園(東京)の歩行者天国(通称ホコ天)で、ローラースケートが流行した時期です。
日曜日の歩行者天国には、
原宿駅付近から順に、『ロックンローラー族』、『竹の子族』、『ローラースケートチーム』が占拠し、
ある意味"社会現象"のようになっていました。
ローラースケートチーム『代々木FLIPPER(フリッパー)』は、総勢30人以上のチームで、
路上にパイロンを立ててスラロームの演技をしたり、大型ラジカセをかついでローラーディスコを踊ったり、
代々木公園では最もパワフルに活動していました。
スケートシューズは、原宿竹下通り"ムラサキスポーツ"で調達、
皮のブーツに"クリプトニクス製"のウィール(タイヤの部分)がお約束でした。
|