『S−Report』  10/17 キューポラの消えた街 − 小さな火を灯し、街を織る 


 キューポラを知っていますか。キューポラは鋳物をつくるために鉄を溶かすコークス炉のことで、屋根には独特の形の煙突がありそれが特徴的です。
 このキューポラが知られるようになったのは早船ちよの小説やその小説を映画化した「キューポラのある街」(浦山桐郎監督)のヒットでした。
 「キューポラのある街」は1950年代後半の埼玉県の川口市で鋳物職人を父に持つジュンが父親の失業により高校進学を断念しても明るく生きていく物語でした。この物語のヒットの原因は不況に喘ぐ時代に明るく生きる主人公ジュンの姿が共感を呼んだのではないでしょうか。

 川口市はかつて、鋳物の製造日本一でした。市内に点在する数多くの鋳物工場の屋根からは真っ赤な火柱が上がり、夜などそれは美しいものでした。
 さて、川口の鋳物はいつ頃から盛んになったのでしょうか。由来については天慶年間説、建久年間説、暦応年間説、室町時代末期説など様々な説があり、はっきりしていません。いずれにしても荒川や芝川の砂と粘土が大きく関係していたことは事実でしょう。ちなみに川口鋳物の作品で記録に残っている最古のものは天正4年の鰐口です。川口の鋳物工場の数ですが、最も多かったのが昭和38年頃で、鋳物工場700軒、関連工場600軒。会わせて1300軒もの工場が操業していました。現在はすっかり下火になってしまいましたが、今でも市内にはいくつかの工場を見ることが出来ます。
 http://www.coconut.ne.jp/update/listview/topdetail.cgi?area=kawaguchi&sp=2

 このように伝統のある川口市の鋳物産業も全国規模で進行している産業空洞化に伴い衰退し、キューポラも少なくなり、その火も消えています。

 また、倒産は少なかったものの、埼玉川口地域、東京大田地域など都市部を中心に余力あるうちの廃業の動きが強まっているほか、地方でも、業歴の長いく経営者が高齢な企業で後継者がいない企業を中心に廃業の動きが加速。
 「管内産業集積地の動向」「地域経済の動向について」経済産業省 平成14年2月6日

 さらに厳しい不況の進行する現在、川口の既存企業では「余裕のあるうちの廃業」や海外進出が行われています。 (同じ埼玉県では「日本の製造業が生き残る道は、『中国工場進出』か『中国部品輸入』しかありません。」と言いきるコンサルトが活躍しています。−「身近で切実な「国際化」の時代」1/17号))
 その一方、川口市は2003年2月にNHKラジオ放送跡地にできる先端映像拠点施設「SKIPシティ」の完成を機に鋳物の街から高度情報産業の拠点都市に変貌をどけようとしています。 (「エキストラから−メディアのパラダイムシフト(3)」3/14号)

 こんな中、川口市本町・金山地区で10月12日から14日まで「Discover 川口宿」というイベントがまちづくり集団・かわぐち塾により行われました。
 今年は「時空の旅路・旧日光御成道の宿場の再発見」をテーマに建築の専門家や講談師の解説による街歩きや蔵を活かしたギャラリーの展示がありました。また、街中で若いアーチストの作品を街に展示する「町かどアート」や「町かどミュージック」「町かど大道芸」のイベント、銭湯を使った「亀の湯寄席」などと川口神社で行われるフリーマッケット等の「御成市」と盛りだくさんでした。
 まちづくり集団・かわぐち塾はこのような活動で寂しくなった街を元気しています。もちろん、まちづくり集団・かわぐち塾は中心市街地の空洞化、蔵の保存、木造住宅密集地の防災の問題や「子供に店を継がせて苦労させたくない」という商店の実状など切実な問題にも直面しています。それでも楽しくそれらを考えて行きたいというのがまちづくり集団・かわぐち塾楽しい活動をモットーです。
 
 どこに街でもそうですが、このような産業の衰退や切実な問題を一挙に解決することは難しいところがあり、問題が大きすぎて公式的な「まちづくり」も進まない場合も数多くあります。
 だからこそ、公式的な「まちづくり」活動ではできない、このように小さくとも出来ることをとにかくやる、つまり、街に小さな火を灯すようなことが重要ではないでしょうか。

 川口の風景の中で、キューポラに変わって目立つのは高層マンションです。川口市は東京都北区の隣で近いこともあって高層マンションが多く立っています。
 都心や郊外の高層マンションの建設ラッシュの背景にはバブル崩壊以降の長期地価下落と民間の住宅ローンの競争の激化の影響などがあります。

 この川口市と同じように風景の中で高層マンションが目立つところに埼玉県所沢市があります。所沢市は東京ベットタウンとして発達し、川口市と同じように、近年は中心市街地への高層マンションの建設ラッシュが続いています。

 所沢は、戦前まで織物の町としてその名を知られ、明治大正期には所沢飛白(かすり)と称する木綿の紺絣が盛んに生産されました。最盛期は明治30年代で、当時は西の久留米絣や伊予絣に匹敵する勢いで全国に出荷されたそうです。大正時代には、染織を志す青年たちの手で湖月縮と称する夏物の婦人着物地が創作され、京阪神を中心に高い人気を得ました。こうした織物の灯は、第二次世界大戦によって消されてしまいましたが、所沢のマチ場には、かつて織物産業に関わっていた糸商や染料商、縞屋(仲買商)の蔵が随所に残るとともに、職人気質や「いき」を尊ぶこころとして残されています。今回の織物展、まちの資料展の会場となる蔵もその当時の店蔵と綿糸を保管していた蔵です。  今回のまちづくり展は、まち全体を舞台にして、商店街、まちづくりのグループ、青年会議所、福祉団体、建築家グループなどのさまざまなグループが同時多発的に連携して開催します。必ずや「粋なところざわ」のにおいといったものを感じていただけると思います。
 「粋なところざわ」TISパートナーシップ  

 さて、所沢市御幸町周辺では9月15日に「粋なところざわ」(所沢青年会議所「らぶとこフェスタ2002」とのジョイントイベント)がTISパートナーシップによって行われました。
 今回は「粋なところざわ」をテーマに建築の専門家の解説による「ところざわ蔵めぐり」、店蔵を活かした「ところざわ建物帳・資料展」、さらには3階建ての土蔵を活かした「ところざわ織物展」や「機織り実演」「ミニコンサート」「所沢昔語り」と盛りだくさんでした。

 TISパートナーシップは所沢市のT、入間市のI、狭山市のSという各市の頭文字をとった広域のまちづくりのグループでまちづくりのプロばかりでなく、主婦、市職員や普通の市民がメンバーの団体で幅広いまちづくりを展開しています。  所沢でも川口と同じように中心市街地が空洞化し高層マンションが林立し古い街並みが失われるつつあり、古いものを残していくことには困難があります。

 今回のイベントも蔵の持ち主には最初は「わけのわからないグループ」だと思われながら地道な活動でこのようなイベントによる交流ができ街の歴史・文化の再確認ができました。TISパートナーシップの活動は青年会議所や多様な団体と連携していくことばかりでなく、蔵の持ち主やマンションの新住民などまちづくりと縁遠かった人たちの交流が図れたようです。  

 二つの地域とも、旧来の産業が衰退し高層マンションが立ち、街は大きな変貌を遂げています。まちづくり集団・かわぐち塾とTISパートナーシップは直接は関係なく、自らの創意工夫によって公式的な「まちづくり」活動ではないこのような試みをしています。

 このように「街に小さな火を灯し」、人々と交流し多様な団体との協働によって「街を織る」ことが今あちこちで行われています。
 しかし、重要なことは街並みや古い蔵を保存することだけでなく、そこで培われた文化(川口の「再発見」)や気質(所沢でいえば「いき」)を発掘し伝えていくことではないでしょうか。

   イベントの紹介


 こちらも、炭坑の「街に小さな火を灯し、街を織る」すばらしい活動です。

「まち・まるごと博物館」を目指して−三池炭鉱施設群の保存・活用を考える−

10/27(日) 13:00〜16:10

大牟田市労働福祉会館 中ホール

主 催 大牟田・荒尾 炭鉱のまちファンクラブ  TEL 0944-57-5930

参加費(資料代):\300 当日受付にてお支払いください

http://homepage2.nifty.com/omuta-arao_fun/index.html


 ・プログラム   
  開会のあいさつ   
  三池炭鉱の歴史を知る(ビデオ鑑賞)   
  講演「炭鉱施設の魅力とまちづくり」(仮題)    
  講演者:藤原惠洋氏(九州芸術工科大学助教授)  
  パネルディスカッション  
  テーマ「まち、まるごと博物館の創造へむけて」  
 会場参加者とのディスカッション  
 まち、まるごと博物館の創造へむけての提言



 ご購読・ご利用規約
 
 ご意見、ご感想、ご要望をお聞かせください。
 掲載された記事を許可なく使用することはご遠慮ください。
 ご紹介または転載等のご相談は下記までお願いします。
 掲載している情報は各人の責任においてご利用ください。
 『S−Report』は既存の配信システムや問題になっているマイクロソフト社のメーラーを使わず「独自の配信システム」で配信しており、ホストマシン自体にもファイヤーウォール、「最新のワクチン」を導入し必ずチェックを行い対策を とっておりますのでご安心ください。