『S−Report』  7/25  ユリの木は残った  −多摩平の森で生まれ変わったこと

 
  団地というとどんなイメージがありますか。いろいろなイメージ をお持ちでしょうが、一般には「仮の住まい」とか「家賃がリーズナブル」というイメージがあります。

 東京都日野市に多摩平団地という団地があります。多摩平団地は1958年から入居が始まり、募集当時のパンフレットには 「富士の見えるニュータウン・40万坪の緑の街」と紹介された団地でした。
 1955年に設立された日本住宅公団(当時・現在の都市基盤整備公団、以下「公団」)は都市周辺の住宅不足解消と住宅整備のために団地を作り続けましたが、1980年代から初期団地の老朽化・入居者の増加にともない建て替え事業を開始しました。
 ところが立て替え後の賃料倍増の問題があり、各地の初期団地の入居者から反対運動が多発しました。しかし、多くの団地では公団側によって立て替えが強行されました 。
 多摩平団地でも公団より立替の調査が行われたのに反発して、入居者や市民からなる「多摩平団地の建て替えと緑を考える市民の会」が結成されました。
 この市民の会では単なる入居者の立て替え反対運動に終始せず、単なる入居者の問題してでなく広く日野市民の問題としてとらえ、自然環境の問題も含めて「多摩平団地の建て替えに市民は提言をする」という提言を日野市や広く市民にしました。
 (この提言書の最後には「この冊子[提言]が森を末永く育てる 一助となって欲しい。」とあります。)  

  このような状況で公団側も多摩平団地を立て替え指定をせず、 保留状態続きましたが、住民と日野市、公団の三者で「三者勉強 会」を開催して話しあいを持つことになりました。
  もちろん、「三者勉強会」は単なる勉強会ではなく、お互いに立て替えを勉強しながら話し合いを行うというものでした。
 こういう地道な話し合いと同時に、住民が住民案検討委員会を結成し調査やワークショップを重ねて「仮の住まい」を良くしていく ことを検討し、ついに今年3月に三者の思いが結実した「多摩平の森」(第一期立て替え後の団地)が出来ました。 (この団地の建物には住民の案が多く反映されており、また「多摩平の森」という名称も住民が提案したものが採用されたそうです。)

 先日、多摩平団地のユリの木集会所で開かれた「まちづくり交差点/多摩平の森で生まれ変わったこと」(まちづくりフォーラム・ ひの主催)に出かけました。

 今回、改めて多摩平団地のまだ立て替えされていない地区を見てこのように木や緑の多い団地は見たことが無く感動的でした。四十数年 の歳月を経て成長した木々のすごさを実感しました。
 (公団は立て替えの際にどこの団地でも木を切り倒して更地にして建直していました。実際に所沢の団地で容赦ない木の伐採の現場を見たときは胸が痛みました。)

 当初の設計者が富士を見えるように道路を考えると同時に木を育てる計画を立てていたのだと思いますが、やはり自然の力を感じました。この緑があればヒートアイランド現象や環境悪化にも耐えられるなとど一瞬夢想したくなるほどでした。
 しかし、確かに歳月を経て自然に成長した木々はすばらしいですが、今や自然の固有の力だけではどうにもならなくなっています。
 実際にユリの木集会所の前には大きなユリの木がありこれを計画段階から木を切らずに生かすようにつくられており、また、この催しでは「仮の住まい」に住む住民の方々から自らその緑を保全する日々の努力をお聞きすることが出来ました

 このように「多摩平の森で生まれ変わったこと」はもちろん老朽化した建物や緑が「生まれ変わった」だけでなく、住民ばかりでなく公団や市もつまり、関わった人々が「生まれ変わった」ことようです。
 また、山本周五郎の「樅の木は残った」のように多摩平の森に「ユリの木は残った」のは、もちろん多摩平の人たちが「ユリの木を残した」 からなのですが、その影にはいろいろな人たちの力もありました。

 最後に、そのことをお話頂いた多摩平自治会長の笹原武志さんの文章で今回のレポートを終わりたいと思います。

 尾崎先生は弁護士で、多摩平団地のテラスハウス増築問題で公団と裁判になった時の住民側の弁護人です。
 尾崎先生は、亡くなる一週間前、多摩平自治会長になったばかりの私を大学病院の枕元に呼んで「多摩平団地の立て替え問題は最初から裁判でやるべきではなかった。自治体を巻き込んだ住民運動を展開 したらどうだ。裁判には限りがあるが、住民運動には限りがない」と遺言されて亡くなりました。私はそれが何なのか・・・と、・・・随分悩みまし た。今では「立て替え三者勉強会」こそこれだと気づいています。

   「多摩平の森」都市基盤整備公団  

   サイトの紹介 


 団地百景  http://www.kiwi-us.com/~satoshi//danchi/  

 集合住宅はその後も様々な形に変化しながら今日に至っていますが、 この当時生まれた”団地”は老朽化も進み、取り壊されたり改装されて いくものも多くなっています。
 というわけで、当時の庶民の”夢”であった団地が消えゆく前にその姿 を記録に残すべく写真コレクションとしてみました。

 


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