Cyber Japanesque   歌舞伎日記


私の日記より歌舞伎関連のものを抜粋します。歌舞伎座で行われたものなど、一部は日本舞踊と重なっています。      1999年〜2003年の歌舞伎日記はこちら

演劇チケットなら@電子チケットぴあ が便利です!

2008/11 ★★★★☆  シネマ歌舞伎 ”人情噺文七元結”

 シネマ歌舞伎が、歌舞伎の記録映像 から 物語のある映画の粋へ進化を遂げた・・・
 
 SONYビルの”シネマ歌舞伎展”を見たせいもあるが、銀座 東劇で シネマ歌舞伎の”文七元結”を観た。
 

2008/10 ★★★☆☆ 銀座 ソニービル ”シネマ歌舞伎”展

 

 9/20〜10/22まで、銀座のソニービルで変わったイベントを行っている。名付けて”シネマ歌舞伎”展。SONYと歌舞伎というと、変わった組み合わせに思えるが、松竹のシネマ歌舞伎を撮るのに、SONYのハイビジョンカメラを用いているからということらしい。入場無料で、ふらりと銀ブラの途中に寄れる、良い展示企画。

 まず、”SONY meets KABUKI”というパンレットがなかなか良い。勘三郎の舞台の写真も載っている冊子が無料にしては良い。

 2Fには、舞台衣装とか、”文七元結”の舞台の一部を展示。厚さ3mmのSONYの有機ELテレビも大活躍。

 そして、8Fのミニシアターでは、200インチの画面で、シネマ歌舞伎の今までの作品全ての抜粋版を観られる。23分の作品で、毎時 0分と30分から上映。いやぁ、200インチ画面は迫力があります。しかも、音が良い。良いというか、SONYの映画やロックに合わせてある少々メタリックで低音が強調された音なので賛否はあるだろうが、少なくとも四階の一幕見席で見ている私からすると、この明瞭な音は衝撃(笑)。迫力がりますぜぃ。

 この展示は、見ている人に外人もやたら多かった。もっとせっかくSONYがやっているのだから、若い人も行くべし!




2008/8/26 8月大歌舞伎 勘三郎×野田秀樹 ”アイーダ”

 ★★★★☆ 8月大歌舞伎 ”愛陀姫”(あいだひめ)

 
 元々私は、歌舞伎に、オペラから入った私に。そしてオペラの中でもベルディ作品が一番好きである。
最初は歌舞伎を観る心で行ったが、途中からはベルディの美しい旋律にも酔わされ、歌舞伎とオペラを超越したものと頭の中でなった。
オペラが旋律と歌で酔わせるものを、野田秀樹と役者達が、言葉で酔わせたのはさすがだと感じた。おそるべし!

 イタリアのロマンチックなオペラの巨匠ベルディを、野田秀樹と勘三郎と役者陣が言葉と演技で日本の浪漫を表現!

 8/26(火)は雨であったが、仕事を終わらせてから歌舞伎座に向かう。7:50開演、7:30一幕見席入場開始のところを、6:45に行って並んだが立ち見である。
私の後も列は長くなり、並んだが定員オーバーで入れなかった人もいるらしい。若い人も多いので、勘三郎人気だけではなく、野田秀樹ファンも多いのであろう。


 演技に関しては、勘三郎は、疲れていたのか、演技なのか、オーラが無いと感じた。
演技は、七之助と橋之助と三津五郎が、前半の笑いの多い場面から、後半のシリアスな場面になってから特に良かった。
言葉の演技で、場をシリアスな恋愛苦悩劇に持っていった。

ということで、今回は他の野田歌舞伎よりも良かったと思う。ただし、それが元オペラファンだった私だからかは、正直わからないが。

プロデューサとしては、勘三郎はがんばったのだと思う。未来に向けては良いことだと思う。やはりベルディは凄いな・・・。


 *ベルディの”アイーダ”を、パバロッティが演じています。 

2008/7 7月大歌舞伎 玉三郎、海老蔵 ”高野聖”

 ★★☆☆☆ 七月大歌舞伎 ”高野聖”

期待が大きかった分、歯車が狂った時の落胆も大きい。耽美の美は絶妙なバランス感覚の上に成り立つ。玉三郎と海老蔵でも・・・。

 玉三郎と海老蔵が耽美の泉鏡花の世界を表現するというので、期待が膨らんだが・・・。
正直に言って少し期待はずれ。

@ 海老蔵の表情が固すぎた。泉鏡花の原作を読むと、もう少し 修行僧も、玉三郎演じる妖艶な女に心が揺らぐのだが。海老蔵は、表情が固く、これでは欲望も何も無い達観した様子に見える。

A 観客が耽美に酔っていなかった。海老蔵と玉三郎が、川に湯浴みをする場面があったが、そこで観客から笑いが出たので、少々舞台の雰囲気が壊れた。これは観客の問題か、それとも観客を没入させられない演技の問題か。両方であろうが。

 ということで、耽美な作品は、もう少し小さい小屋で上演された方が良いかもしれないと、思いました。





 2008/6/29 ★★★★☆ 坂東玉三郎 シネマ歌舞伎 ”ふるあめりかに袖はぬらさじ”

 シネマ歌舞伎の5作目にあたる”ふるあめりかに袖はぬらさじ”を見た。今まで見たシネマ歌舞伎の中では、舞台の全景や役者のバストショットだけでなく、玉三郎の顔をスクリーン一杯にクローズアップするショットにより、その迫真の表情が見られて、実際の舞台と異なる映画の良さだと一番感じた。

 玉三郎の表情は、歌舞伎座も良いが、映画のスクリーンで味わうのも、また人生や哀しみを深く味わうのにふさわしい

 
”ふるあめりかに袖はぬらさじ”という演目は、舞台でも観たことが無く、今回 初めて見た。正直に言って、タイトルが何のこっちゃであり、意味がわからず不安だった。原作が有吉佐和子というのも、正直に言って"複合汚染”や”恍惚の人”のように社会・政治的に重かったらどうしようという不安もよぎった。

 舞台は、横浜の遊郭での幕末から維新にかけての、儚い遊女と彼女を支える芸者の話。七之助の演じる薄幸の遊女が病床に伏せっている場面から始まるが、七之助は、完全に声が女の美しい声で、上手いと再認識。彼女に想いを寄せる青年を、獅童が演じているが、2007年12月の舞台にしては、随分と肌艶が良く、少し頬がふくよかな感じもして、意外と週刊誌ネタに負けていないなと認識。肌の細かい部分までわかるのは、シネマ歌舞伎の良さか(笑)。

 七之助の演じる遊女 亀遊(きゆう)を支えるのが、玉三郎の演じる芸者 お園。最初は、随分と世話焼きのおばさん的なくだけた演技を見せるが、時に 薄幸の亀遊をはかなみ、三味線を爪弾きながら海を見たり、最後の幕で白地に龍の描かれた着物でお座敷あがる時の、その哀愁を感じさせる演技が凄い。”華”の凄さは今までの玉三郎では何度も見たが、”哀”が静かににじみ出るが、ゾクリとさせる演技は、始めて感じた。阿古屋などの悲哀一直線とは違い、笑いやバタ臭さを見せた後で、フッと見せる哀しみの方が、心には深く染み入るのかもしれない。

 本物の舞台も良いが、異なる凄みを伝えるシネマ歌舞伎も、独自の良さを確立してきたかなと感じた。

*玉三郎の全てが詰まったDVDも凄し → 



2008/2/26 大阪松竹座 坂東玉三郎 特別舞踊公演

玉三郎さんに、海老蔵と菊の助という超豪華な組み合わせなので、2/16に大阪まで観に行く。少し遅れましたが、感想書きます。


★★★☆☆  連獅子

出し物は、前に 海老蔵と尾上右近での”連獅子”が最初。
若い爽やかで、キビキビとした連獅子。
海老蔵さんも、10代で子供を作ったかという若い身振りが眩しい。
親としての重みや威厳が無い所は、賛否両論あるだろう。

尾上右近さんというは、初めて見たが、踊りの切れが良く、良いと思いました。

長い髪の振り方は、海老蔵が少々カクカクとテコの原理を使うように回すのに対して、
右近さんは効率は良くないが誠実に綺麗な円を描いていた。
性格の違いが、振り方に出ていたかもしれない。

二人の初々しさと爽やかさを楽しむ出し物であった。


★★★★☆  二人道成寺

玉三郎と菊之助の二人による道成寺。

菊之助に対して、影のように沿う玉三郎。二人で清姫を演じる。
大蛇の変化とはいえ、可愛らしさ・初々しさの残る菊之助に対して、時折見せる鋭い眼差しに怨みが交じる玉三郎。
その二人のわずかだがくっきりとした違いが奥ゆかしく、美しさを増す。

最後の方で、鐘を我が物とし、鐘にのぼるのだが、その際に清姫は隈取をする。
恐ろしい蛇の隈取をする道成寺を見るのは初めてかもしれない。今までは、女性の顔のまま鐘に登る清姫を見てきた。
正直に言って、隈取の無いほうが、女性の怨念が素直に表されて良いと感じた。
今までの美しい二人が、いきなり隈取をすると、怖すぎて引いてしまう(苦笑)。

そして、予想外に凄かったのは、最後に押し戻しで出てきた海老蔵 大館左馬五郎。
これも赤い隈取をして出てくるのであるが、あの眼力プラス目の盛り上がりで、迫力満点。
声も良く、オーラが身体から溢れていた。
さすが、おそるべし海老蔵。玉三郎の漂わせた抑えたオーラを、圧倒的に上回る荒ぶるオーラ。

ということで、豪華な布陣の舞踊公演を堪能した。



2008/2/14 歌舞伎座 二月大歌舞伎  松本白鸚追善

仕事で頭が沸騰した後に、歌舞伎座で頭をリフレッシュ。

★★☆☆☆  熊谷陣屋

 歌舞伎座の中に入り、席につくと、ざわざわとした柔らかい話し声。
客席が暗くなり三味線の音が聞こえ、舞台の桜を見ると、ビジネス脳が和風脳に変容しはじめる。

 忠義ゆえの不条理、 今で言うと企業戦略や株主利益のための苦渋の選択、にあえぐ・・・宮仕えなりぃ

 出し物は、松本幸四郎さんが熊谷を努める”熊谷陣屋 一谷嫩軍記”。
忠義として、皇族の子を守るため、自分の子供を身代わりに差し出すという、哀しい物語。
そして、わが子の首を身代わりに差出し、熊谷は頭を丸め、仏門に旅立つ。
 最後の熊谷の「十六年は一昔、夢だ・・・夢だ・・・」という言葉が、哀しさと諦観を交えて、心に染み入る。

 ・・・のだが、今回残念だったのは、幸四郎さんが、発声を凝りすぎて、言葉をこねくり回しすぎ、聞き取りずらかった点。最後の無情、無常の言葉は、間は凝っても良いが、ストレートに聞こえ、ストレートに心に響くように言ってほしかった。

 とはいえ、久しぶりに見た芝翫さんが、熊谷の妻の相模役をやっていたが、いつもよりは女として違和感なく(笑)、舞台全体は味わえました。

そして、仕事で様々な価値判断がある中で、時には苦渋の選択をしなくてはいけないビジネスマンで会社社員であるわが身ではあるが、我が子を殺さざるを得ない状況の熊谷よりは増しだと、少し元気をもらいました(苦笑)。




2007/11/24 坂東玉三郎 特別舞踊公演 at 兵庫県立芸術文化センター 大ホール

 
”坂東玉三郎 特別舞踊公演”を、兵庫県芸術文化ホールまで見に行く。すっかり追っかけの気分である(笑)。


★★★☆☆ 阿国歌舞伎夢華(おくにかぶきゆめのはなやぎ)

 まさに華やかな踊りの演目。
 久しぶりに笑三郎さんも見た。元気そうで安心した。そして一緒に玉三郎さんの横で踊っていた春猿さんも美しかった。

 玉三郎 阿国が、段治郎演じる恋人の名古屋山三と踊る祭に、口元にも笑みを浮かべながら踊っているのが印象的であった。
 楽しそうに踊る玉三郎を見るのは、初めてかなと感じた。


★★★★★ 鷺娘
 
 究極の美というものは、何度見ても、人を厳かな絶望の淵に落とすのだろうか


 何度目の”鷺娘”であろうか。

 幕が上がると、歌舞伎座の深海の底の様な深い青い世界ではなく、背景は水色だが舞台の照明の青さはそれほどでもない。
 神聖な雰囲気には欠けるが、細部は見やすい。

 舞台が徐々に明るくなってくると、白無垢の玉三郎が佇んでいる。
 裾の間から、鷺の脚をする振り付けが、照明が明るいせいか、くっきりと見え、リアルに見える。

 コンサートホールなので、音響が良く、歌舞伎座に比べて多少残響が残るが、逆に余韻が心に響く。
 よりドラマチックに聴こえる。


 それにしても、鷺娘の人生は儚い。
 華やかな夢の様な舞を、ずっと見続けていたいと思うのに、傘の間から見える血のような真紅の鷺娘が露れ、そして白い傷を負う鷺娘が表われてしまう。

 最初は周りで関西弁で公演中も聴こえる声で会話していたうるさい女性陣もいたが、いつしか声は静まり、最後のシーンではすすり泣きの声も聴こえる。
 以前歌舞伎座でも、フランス人であろうか、やはりおしゃべりが止み、最後に”Bravo!”と叫んでいた人もいたが、”鷺娘”は和洋の東西を問わず凄い演目である。

 
 美しさに心打たれるのか、鷺娘の人生の儚さに心打たれるのか、それとも自分の人生を重ねて心打たれるのか。人それぞれに色々な味わい方ができる凄い演目である。



2007/10/21 歌舞伎座 芸術祭 十月大歌舞伎

久しぶりに見た歌舞伎が怪談 牡丹灯籠 だった。8月に見た菊之助の映画”怪談” に続き三遊亭円朝の怪談話が基になる。仁左衛門と玉三郎を含めた3組の男女がそれぞれに手をかけ相手を殺してしまう、というゾクッとする内容。ゾクッには、艶めかしさや美しさも加わる。でも冷静に考えると一番のメッセージは、強欲さや苦労しないで得る金は、人を不幸にするという教訓かな。現代でも、円天やサブプライムとFX、年金着服など、変わらないテーマ。それを、わかりやすく気づかせる歌舞伎に感心。
さて、毎日仕事に忙しいが忙しいが、誠実に働こう(笑)

★★★★☆ ”怪談牡丹灯篭”


 働かずに手にする”大金”と”権力欲”は、人の運命をもてあそび、壊していくという教訓を美しく描く

 いつの世もねずみ講的に金の欲にくらみだまされる話があるが、つい最近も”円天”なぞという話が世をにぎわす。
そんな教訓を、歌舞伎は昔から描いているのだなぁと関心。それも、コミカルさの後に、ゾッとさせ、少し官能性も交じる死の美しさも交えて描く。


 物語には、3組の男女が描かれる

 @愛之助 新三郎に恋焦がれる、一途な幽霊の七之助 お露
 A権力と金に眼がくらみ、主君を殺して、自分たちも狂っていく吉弥 お国と錦之助 源次郎 。
  そして、
 B貧しいがお互いを思いやる夫婦が、お金にせいで破滅していく、玉三郎 お峰と仁左衛門 伴蔵 。

 3組の男女の運命が絡み合う様は、解説を読んでもわかりにくいが、劇場で見るとすうっとわかりやすいのは歌舞伎ならではか。

  お国と源次郎は、自分達が殺めた女の妹が偶然身近にいるのを知り、その一周忌に蛍に包まれて狂う。殺生の重さにまず狂うのは男で、刀が腹にささった恋する男を抱きしめた瞬間に女は息絶える。その美しい意表をついた死に様に、ゾクリと背筋が震える。
 
 そして、コミカルで気丈な妻を演じる玉三郎が、いつしか金で女を囲おうとする仁左衛門に女の嫉妬と業を抱える。旦那が改心し、二人で出直そうと告白され、幸せの絶頂にいた玉三郎は、突然、仁左衛門に裏切られ斬り掛けられる。驚き、抵抗するのだ。美しい玉三郎が、逃れ、帯をとかれても、傘で抵抗する。でも、川端で息絶える。ハッと我に返った仁左衛門は、妻の玉三郎を抱きしめ、その名を呼び、号泣する。
女の恋と男の金銭欲は、人の破滅の輪廻をかもし出す。

 久しぶりに歌舞伎を見たが、仕事にささくれ立った心に、血の通う人間の生き様を感じさせてくれた。そして誠実に働くことも意識させてくれる。”歌舞伎は良いなぁ”と、しみじみと思う。




2007/8/6 菊之助の映画”怪談”

★★★★☆  
映画”怪談”

尾上菊之助の映画”怪談”を見た。原作は三遊亭円朝の”真景 累ヶ淵”。
最近 女形として成長著しい菊之助の、美少年役を見たかったのだ。

煙草売りの菊之助が、小唄のお師匠さんである年上の黒木瞳と恋に堕ちるが、優しい性格が災いして、お師匠さんは嫉妬に狂ううちに死んでしまう。死の間際に菊之助の許に訪れるお師匠さん。そして、すうっと消えた跡に・・・。
背筋のゾッとするシーンが、上手く配置される。

最後は、歌舞伎の”かさね”を思い出すような、凄絶な場面。うーん、一度だけテレビで観た、仁左衛門と玉三郎の”かさね”を思い出す。

傷を負った菊之助が川の中を逃れて歩きまわる。その時の鬼気迫る顔が、一瞬 海老蔵に見えた。これも、歌舞伎オタクならではの、ゾッとする場面か(笑)。

そして、恋の執念は時空を飛び越える。美しく優しい男 菊之助は、女達を不幸にしていくが、最後は、お師匠さんは菊之助を独り占めをする。

私はホラー映画が嫌いで普段は観ないが、夏ならではの涼しさを感じて、菊之助も堪能でき、異次元の時間を楽しめた。
あなたも、菊之助が海老蔵に変わる瞬間を見たくないか!?




2007/7/7 大阪 松竹座 七月大歌舞伎



 電脳和風_松竹座 大阪にて歌舞伎を見た。
 初めての大阪での歌舞伎に、最初はなんば駅近くの”新歌舞伎座”に行く。
 なんと小林旭の”無法末の一生”  (汗)。

 あわてて人に聞き、”松竹座”に走る走る。”遅かりし由良の助”とはならず、なんとかぎりぎりで飛び込んだ。
 しかし、紛らわしい名前である。

 大阪・松竹座の印象:
 ・大阪の松竹座は、まだ歌舞伎座に比べて新しいせいか、またはそれほど広くないせいか、音の良さは抜群であった。役者の声も、三味線の声も臨場感がある。素晴らしい。
 ・大向こうは、歌舞伎座よりも少ない。拍手は温かい。特に、仁左衛門の人気はさすが関西が凄い。海老蔵よりも人気有。
 ・着物姿は、歌舞伎座よりも少ないと感じた。新歌舞伎座は、結構 着物姿がいたかも。

 ということで、歌舞伎を観よう。

★★★★★ 鳴神

 はい、十八番ということで、コミカルなわかりやすい歌舞伎でそれほど高い期待をしていなかったのだが・・・。

 私の見た中で”怒り度”No.1。荒ぶる海老蔵の指先から、全身から、怒りのオーラが出まくりの、演技に度肝を抜かれた・・・。

 始まりは、少しチャキチャキした孝太郎 雲の絶間姫が、海老蔵 鳴神上人に、”ヲンナ”の手練手管で口説いていく。
 酒の飲めない鳴神上人に、祝言の酒を飲ませ、一杯だけでなく、二杯目、三杯目を飲みなさいという孝太郎の勧め方が、少々高音でキーキーとヒステリックなS的。本当は、もう少し美人の艶が欲しい。
 
 でもここら辺までは、まぁ三つ星の演目かなと高をくくっていた。

 酒に寝ている間に、竜の封印をまんまと解かれたと知った海老蔵 鳴神上人。するすると御簾が上がり、髪を逆立ててうつむいて呻く。そこから顔を上げると、ハンサムな顔に、ウルトラマンのような隈取。言葉の音圧の迫力も凄い。そして、引き抜きで、白い装束に、ホットロッドのような炎の印が出た後は、怒涛の怒りのオーラが出まくっていた。
 私も随分と歌舞伎を見てきたが、怒りが全身から出て、空気をも震わし、観客席まで伝わり、背中がゾクゾクとした体験は初めてだった。歌舞伎で玉三郎の美しさに、オペラでソプラノの美声にゾクリとしたことはあるが、怒りのゾクリは初めてだ。近い感覚は、オペラでムソグルスキーの”ボリス・ゴドノフ”を、やはりロシアのゲルギレフが率いるキーロフ歌劇団が演じるのを聴いた時のゾクゾクに近い。キーロフ歌劇団の、バスが充実した大人数の合唱団の、圧倒的な太く厚く重いパワーに、背中がゾクゾクした感覚に近いかもしれない。

 鳴神上人が花道を引っ込むときも、海老蔵は身体がしなり、開いた手首も逆にしならせ、アクロバティックなバレーのように、歌舞伎ではしならせ過ぎかと思われるくらいに身体を柔軟にして、怒りをぶつけ宙を飛びように引っ込んでいった。あれも、賛否はあるだろうが、若さと切れと勢いがあり、海老蔵凄しと思わせた。

 凄い演技を見てしまった。普通の歌舞伎を、一段飛びぬけて普遍的に凄い、鳴神であった。まさに、神を見た。


★★☆☆☆ 橋弁慶

 端正な愛之助さんが、弁慶役。関西では特に人気有。やはり、二枚目役が見たいかな。★2.5の普通のレベルはありました。


★★★★★ 義経千本桜 渡海屋・大物浦

 これは、予想外の出来事も効果を出して、仁左衛門 知盛の最後の場面が良かった。

 パイレーツ・オブ・カリビアンの次々と繰り出されるエピソードと場面展開も良いが、知盛の自害に30分かける歌舞伎は凄し。

 これも鳴神同様、何度も見た演目であった。正直途中までは普通であった。

 そして、予想外の出来事は起こった。安徳帝を演じていた子供が、典侍の局に抱かれながら、コクリコクリと眠ってしまったのである。遠くから見ていて、子供の顔がやけに斜めになるなと思っていた。皆に見られながら、ライトを当たる中で眠る度胸は凄い。しかし、このまま舞台がどうなるのだろうか? 典侍の局の腕から、眠ったまま転げ落ちたらどうなるか!?こうなると、見ている方が緊張する。歌舞伎の舞台が、子役が眠り、台詞を話せず、転げ落ち泣き、中断し破綻するのか!?そんな歴史的な瞬間に立ち会うのか!?

 観客からも失笑が上がる。

 なんとか、台詞をしゃべると、思わず拍手があがる(苦笑)。

 無事に引っ込んだ後に、舞台の脇より、”ウェーン”と泣き声が上がっていたので、きっと怒られたのだろう。しかし、あの度胸は、将来大物になるに違いない(笑)。



 と、ここで弛んだ舞台を、全身に矢や刀がささり、血まみれの仁左衛門 知盛が登場のところから、また引き締まる。

 最近3本目が大人気を呼んだキーロフ キーロフ キーロフ キーロフ キーロフ ”パイレーツ・オブ・カリビアン”も、海の男達の物語で、海戦のシーンもふんだんにある。この千本桜の大物の浦も、海の戦いである。

 知盛がよろよろとしながら、槍を振り回し、追っ手と戦う。

 そして、海老蔵 義経の一行が取り囲み、安徳帝が義経の手に渡り、知盛の妻である典侍の局が自ら命を絶つ。妻の自害を目にして、手を伸ばすが届かない。義経に切りかかろうとするが、弁慶に遮られ、自らの命を絶つように勧められる。”恨みはらさで、おくべきか・・・・”と、藤子不二雄の”魔太郎がくる”の言葉を吐く(少々古いか・・・苦笑)。

 よろよろと坂を登り、自分の身体と同じ大きさもある重い碇(いかり)を手に取る。碇が動かせない。傷ついて弱った身体に鞭を打ち、碇を動かし、碇の綱を自分の胴に巻きつける。そして、重い重い碇を持ち上げようとする。持ち上がらない。呻きながら、最後の力を振り絞り、持ち上げる。そしてそれを海に投げ込む。碇が凄いスピードで沈んで行き、綱が海に吸い込まれていく。その綱に知盛の身体が引っ張られ、手を組んだ知盛が海に飛び込んで自害する。
 
 源氏と平家の争いの運命にもてあそばれ、策を練って義経を討ち取ろうとして失敗し、自らも傷つき、妻の自殺を目前で見て、敵の前で自害をしなくてはいけない。運命といえば運命だが、血潮に塗れたその姿と、仁左衛門の恨みと哀しみのこもった演技に、ついほろりと涙ぐんでしまった。歌舞伎を観ながら涙ぐむことも、ほとんど無いので、その脚本と演技の凄さが光る。
 パイレーツ・オブ・カリビアンのように、これでもかこれでもかと、エピソードや戦いのシーン満載のハリウッド手法も一つのエンターテイメントだが、この知盛の場面のように、じっくりと自害のシーンだけに30分かけるのも、人生と運命を描いて心にしみじみと伝わる。

 歌六さんの弁慶が、知盛自害の後に、法螺貝を2回吹き、厳かに知盛が沈んだ海に礼をする姿も感動であった。




2007/5/18 歌舞伎座 五月大歌舞伎

★★★★☆ 五月大歌舞伎:与話情浮名横櫛

 色々な浮名の絶えない海老蔵を久しぶりに観た。しかし、さすが匂い起つ色気がありますね。男でも惚れ惚れするオーラ有り。

 あの独特なまるで助六の時の様な、高い声も交える台詞回しは、彼だけのものだろうか。以前、仁左衛門さんの舞台を観ていますが、違ったような記憶が。とても形式的ではあるが、でも、あれはあれでカッコ良い。

 そして、菊之助さんとのコンビも良い。
 ”木更津海岸見染めの場”の、初めて出会うシーン。海岸で初めて目を合わせての、恥ずかしげに一緒に身を縮める。次に、手が触れ合い、思わず手を引っ込めるが、ドキリとする。二人が同じ仕草を重ねる。
 そして、藤色の色がおそろいの着物。菊之助を見送る海老蔵さんの羽織の裏には鮮やかな桃色の牡丹の花があるのが粋である!

 菊之助さんも、玉三郎のような、どっしりとした落ち着いた色気も出てきた。”源氏店”での紅を塗る時の艶やかさよ。

 一つ残念なのは、以前 2003年に仁左衛門 与三郎と玉三郎 お富の浮名の横櫛を見たときには、与三郎が切られる”赤間別荘の場”が上演された。ストーリーのわかりやすさでは、ここが合ったほうがベター。いきなり見た人は、イヤホンガイドをしていなければ、流れがわからないのではないかと思う。(詳しくは、2003/3/21の徒然日記を参照)

 いずれにしろ、仁左衛門に玉三郎のように、海老蔵に菊之助というは、唯一無比の素晴らしい組み合わせであり、これからも二人の演技を追いかけて味わいたいと思う。


 2007/5/4 東京ミッドタウン ”MICK ROCK meets 中村勘三郎写真展

 ★★★★★

オープンしたてで人が溢れる”東京ミッドタウン”。人、人、人の海。その中で、人が少なくゆったりと過せた素晴らしい空間。やはり、勘三郎といえども、ミーハーな流行を追う人たちの中では、まだまだマイナーかな(苦笑)。

でも、Queenやデビッド・ボウイなどのロックアーティストを撮り続けるミックロックという写真家と勘三郎のコラボレーションは素晴らしい!

 歌舞伎はアバンギャルドで、反骨精神はロックミュージックと同じなりぃ! そして、世界に誇れる藝術なぁーりぃー!

今回改めて感じました。歌舞伎には、世界に誇れるコンセプトとオリジナリティとアバンギャルドな精神が息づいている。

デビッド・ボウイ vs. 中村勘三郎:

 展示会の終わりのスペースに、背の高さほどある大判の顔写真が飾られている。それは、Queenのフレディー・マーキュリーであり、イギー・ポップであるのだが、その真中に、デビッド・ボウイの写真と、勘三郎の写真が向かい合って飾られていた。

 私は20代後半の大人になってから歌舞伎を観始めて、面白さにのめり込んでいるわけだが、確かに小学生からQueenやボウイなどのロックを熱心に聴いていた。渋谷陽一のロッキンオンというラジオ番組が好きだったな。その時代は、ローリング・ストーンズの反骨精神一直線から、Queenの”ボヘミアン・ラフソディー”のような音の美しさが入ってきたり、ボウイのグラムロックのように見た目の美しさが入ってきて、熱かったのであった。その時にDNAに刷り込まれたものが、私を歌舞伎に引き合わせてくれたのか!と妙に納得。 

 確かに考えてみれば、KISSなんて、歌舞伎の隈取を取り入れて、世界的にヒットしてしまったよね。改めて、”歌舞伎恐るべし”と思いました。

○”夏祭浪花鑑”のアバンギャルド性:

 NYでも上演された”夏祭浪花鑑”。私はコクーン劇場で観たのだが、あの舞台の串田和美さんの演出は、素晴らしかったと改めて思う。笹野高史の舅の本泥を使っての怪演も凄かった。そして、不条理を演じて見せた勘三郎もスゴカッタ。勘三郎は、”赤唐辛子”を額につけていたのか。本泥に塗れる笹野高史の間近での様子も見られる。

 あの唯一無比の舞台が、どう作られていくのか、詳細に見られるのだ。もちろん舞台で見て、テレビのドキュメンタリーでも見たのだが、写真として切り取られると新たな良さが見える。無音で語る写真を見ていると、頭の中で ”長町裏の場”の、勘三郎 団七が、舅殺しをしてしまい、その不条理の呆然とする中で、遠くから祭囃子が聞こえて来て、震えながら刀を鞘に収めた瞬間に、祭りの一段が脇を通り抜ける、緊迫とエネルギーが蘇る。それは、音の無い、瞬間を切り取った写真であるから故に、自分の想像の中で、シーンと登場人物の胸中が再構築される。恐らく実際の舞台よりも、さらにドラマチックに再現される。それが、写真の威力なのだと、気づかされた。もちろん、それだけのパワフルなミック・ロックの写真のせいもあるだろう。

 荒木経惟ことアラーキーも勘三郎を撮っており、それはそれでアバンギャルドをさらに誇張するような撮り方で、勘三郎を魅せている。今回のミックロックも、似ている面も多いが、丁寧に勘三郎以外の役者も撮っており、”歌舞伎”そのものにも魅せられていて、その面白さを彼なりの方法で解き明かそうという面があるのが良かったと思う。

 ということで、歌舞伎の面白さを、まったく別の観点から切り取ってくれた、凄い写真展であった。Bravo!


2007/4/22 国立文楽劇場 ”加賀見山旧錦絵”


 ★★★★☆ 文楽 ”加賀見山旧錦絵”

文楽文楽をついにきちんと観る事ができた。

これは、美という観点でも凄いし、アバンギャルドでもある!

批判を恐れず、自由に感想を書いてみよう。

”美女を美しい顔の人形が行い、人の想像力を駆使させる文楽は、ある意味 年齢がいった男性女形が美女役をやる歌舞伎を超えるかもしれない”

観たのは、”加賀見山旧錦絵”という、歌舞伎でも良く上演されるもの。
大阪の文楽の総本山 国立文楽劇場で見たのだが、加賀見山のストーリーの舞台は、なんと鎌倉の八幡宮。
なんか、大阪で地元の話を見るのも、不思議な感じ。

文楽○観劇前に、資料室で、人形を抱いてご満悦!
 同じたてものにある資料室にて、130cmで3Kg以上ある文楽人形を、実際に手を入れ担いで、動かすことができる。
 ずしりと重い人形を抱いて、人形と自分の2人でポーズ。女性の人形なので、つい恋人気分になる(苦笑)。

○初心者向けの解説もよろし

 金曜日の夜に”社会人のための文楽入門”ということで、加賀見山の前に北浜の料亭・花外楼の女将さんが、解説をしてくれた。
 文楽初心者にとっては、緊張をほぐす良い企画であった。加賀見山は、”いじめ”をテーマにした物語で、現代に通じるものがあるという解説はなるほど。
 そういう見方もあるのだと納得。
 
 
○スターウォーズのダースベーダーか、黒墨に彩られたイカ星人か!?
 「とざい、東西〜」で始まる口上は、黒子がつとめる。歌舞伎の黒子と頭の形が異なり、形がイカの様な王冠をかぶっているようである。
 実はとても目立っている。姿を消すという任務を与えられながら、本心は目立ちたいという心根が見えているようである。
 脇役も、人形が相手だと、自己主張をしたくなるのか・・・!?

○人形に生命が宿る!
 最初は無表情に見えていた人形達であるが、物語が進み、浄瑠璃の唸りが身体に染み渡ると、そこに生命が宿ってくる。
 ある意味、30年以上前辻村ジュサブローの”八犬伝”をNHKで見たのを思い出した。
 正直に言って、最初 八幡宮の場面では眠かったのである。そのうちに、謀反をたくらむ岩藤が、秘密を握る尾上を、八幡宮の境内で罵倒し、草履で打ち据える。
 その時にお家のために屈辱に耐える尾上の美しさ。人形の無表情なはずの顔に、確かに妖しいゾッとするような凄みのある美しさが浮かび上がった。
 眠気が一挙に吹き飛んだのは、言うまでも無い。

○本当は大向こうをかけたかった!
 歌舞伎でも加賀見山を見ているせいであろうか、そして、浄瑠璃の語りと三味線があまりにも上手いせいであろうか、どうしても”やまとや!”とかと、大向こうをかけたくなる。
 歌舞伎を見るときに、自分の感動の心を、役者への感謝も含めて”大向こう”として声をかけるのが習慣になっている。
 逆に感動が高まっている時に、見得のようにストップモーションになった瞬間、大向こうをかけられないというのは、結構フラストレーションであった(苦笑)。
 尾上に仕えるお初が、主人に何か不吉なものを感じて戻り、屋敷の廊下を駆け続ける


ということで、非常に完成度がさすがに高い。
そして、実は現代の人も好きになる要素が大いにあると感じた。


2007/2/23 二月大歌舞伎 仮名手本忠臣蔵 五段目、六段目


 ★★☆☆☆ 忠臣蔵 五段目、六段目

 五段目の斧定九郎ファンとしては、忠臣蔵が通しでかかっている月は行かねばなるまい、ということで一幕で鑑賞。平日の16:30からの幕だったが、一幕で立ち見が出ている盛況ぶりは驚き。結構 欧州やアジアからのお客様も多いな。四階でもイヤホンガイドが可能になったおかげもあるかな。海外の方にもわかりやすいことは素晴らしい。

 さて、定九郎は梅玉さん、勘平は菊五郎さん、そしてお軽は玉三郎さん。玉三郎さんが出ているとは知らなかったので、素直に嬉しい。

 1)全体的に演出があっさりしているかなという印象。
 例えば、五段目の始まりで、勘平と弥五郎が出会った場面でのヒソヒソ話の際に、久しぶりに会った興奮に声が大きくなる勘平を、弥五郎が声を小さくと諌める場面が無し。
 定九郎が、猪と間違えて撃たれて死ぬ場面も、梅玉さんは、苦しみを手を握って演技していたが、手は開いていたほうが良いと感じるし、もっと苦しみに悶えて欲しかった。
 
五段目、六段目は、途中が少しテンポが落ちるので、見せ場はもっと盛り上げて欲しいと感じた。

 2)(これは私だけの感じかもしれませんが)若い女性役は顔の皺は、なるべく無いほうが良い。
 海老蔵の定九郎を見ているせいと、筋からすると定九郎は若いので、梅玉さんの白塗りの皺は、少し興ざめという感じがした。菊五郎さんも、少しずつ皺が出てきた印象。確かに演技力でカバーできる部分もあるが、なるべくストーリーに合った年齢層のほうが見ている方は、同化しやすいと思う。
 
 こういうことを書くと、当然 異なる意見の方も多数おられると思うが、他の歌舞伎でも、若い美女役を皺々の年配の女形がやるのは、私はあまり好きではないのである。(実世界で、色々な人生経験を表す女性の皺は、美しいと思います)

 そういう意味で、久しぶりに見た玉三郎さんが、まだまだ美しく、匂いたつ動きであり、安心した。 

演劇等のチケットはこちら→


2006/12/24

十二月歌舞伎に、プチ和風投資で得たお小遣いで行ってきた。

年末が近いせいか、着物姿の女性も多い舞台。

★★★★☆ "八重桐廓噺"

 期待が少なかったせいかもしれないが、菊之助の上手さと、近松門左衛門の脚本の良さで、とても面白かった。

 菊之助が年齢を重ねた女性から、凛々しい女性まで、見事な演技と口上で表現する。ついに福助さんを超えたか!?

 菊之助 八重桐の昔の夫の、團蔵 坂田蔵人は、今は煙草売りに身をやつしている。
 二人しか知らない歌をうたう声に引き寄せられ、八重桐は、夫の蔵人が煙草を売っていた屋敷に入り、昔の夫と再会する。
 屋敷のお姫様に請われ、夫をめぐる恋の争いの物語を、語る八重桐。
 実は親の敵を探すために旅立った蔵人は、自らの腹を切り、命を絶って、八重桐のお腹に自らの子供を授ける。
 屋敷襲ってきた敵に、八重桐が凛々しく立ち向かう・・・・という物語。

 ・菊之助 八重桐の登場は、屋敷の外で、頭に頭巾を纏った旅の元 傾城という、しっとりとした落ち着いた役回り。
  大人の落ち着きと、過去に艶めいた世界にいた、仄かな色気が漂う。声も艶がある。
  若い菊之助が、上手く表現をしていた。

 ・最後の敵との、菊之助 八重桐の立ち回り。
  戦いの途中に、八重桐自身と、切腹した段なの蔵人の霊が乗り移る男役の声色との、男女 両方の表現が現れる。
  そして、最後は顔が幼く凛々しく、キリリとして登場。
  この顔が、八重桐と蔵人と、そして腹に宿る男子の3役が混ざっての表現だとすると、菊之助恐るべし。

 菊之助は、確実に上手くなっている。元々の母親譲りの美しい顔に加え、声の良さ、そして最近の芸の広さ。
 玉三郎は別格だが、菊之助は、ついに福助さんを超えたと、今回は感じた。


★★★☆☆ "忍夜恋曲者(将門)" "芝浜革財布" "勢獅子"
 
 "忍夜恋曲者(将門)":最後の、蝦蟇蛙(がまがえる)も交えての、ダイナミックな盛り上がりは良かった。猿之助さんの舞台を思い出した。
 "芝浜革財布" :シンプルな物語だが、最後はハッピーエンドで、お正月が舞台に現れるのも、おめでたく良かった。
 "勢獅子"  :雀右衛門さんが、微笑みながら踊るかわいいお婆さん芸者として踊るのが、幸福な気分にさせてくれた。

ということで、来年も歌舞伎を楽しみませう。



 2006/10/18

 ★★★★★ 芸術祭 十月大歌舞伎 "仮名手本 忠臣蔵" 五段目、六段目 

 仁左衛門の勘平の、最後に微笑む姿に目が潤む。 海老蔵 定九郎は、以前の演技のほうが良かったぞ。

 海老蔵の歌舞伎16:30開始なので、会議の合間を縫って、歌舞伎座へ。不良社員(苦笑)。

 私の見たかったのは、海老蔵の斧定九郎。今までに3度は見たであろうか。
 歌舞伎における妖しい美しさの3本指に入るシーン。
 忠臣蔵の五段目は、今回も幕開けから、トップギア。いきなり見所へ。
 
 稲束の間から白い手がヌッと現れ、旅人を殺し、50両を奪う。
 三味線の単音が、緊張感を煽る。
 そして、黒紋付の海老蔵 定九郎が現れる。
 ウルトラマンのような白塗りに、黒目のしっかりした鋭い眼光。
 
 50両を奪って喜んだのもつかの間、猪と間違えて、鉄砲に撃たれる。
 口からデロリと流れる鮮血。白いももにポトリ、ポトリと垂れて、白と紅のコントラストが美しい。

 今回の演技で今までと異なったのは、死ぬ間際の演技。
 今回は両手を交互に自分に向かって引いている。
 以前は、右手を伸ばして、虚空をつかむような形だった。あの時間の止まったような間合いが、人生の儚さを感じさせて良かった。
 ここは少し残念!

 
 逆に、仁左衛門 勘平は、後半の哀れさが素晴らしい。
 二枚目の仁左衛門が、妻の父を殺してしまったかもという猜疑心に、悩む姿。
 そして、自分の腹を切る。手についたが、頬にもつく。
 最後の幕切れに、死んでいく時に、疑いが晴れ、敵討ちの血判に名を連ね、満足して微笑むんだ。
 哀しくも美しい最期。目が潤んでしまう。

 素晴らしく凝縮された、濃密な1時間半であった。
 人生は儚い。不条理にも満ちている。だから、一所懸命、悔いなく生きるべきである。そう思えた時間であった。

                               →忠臣蔵を扱った品々はこちら


2006/9/24

  籠釣瓶を再度観るために、久しぶりに一幕見以外に1等席に座りましたので(苦笑)、軽く報告を。

 ★★☆☆☆ 九月大歌舞伎 "菊畑"

 染五郎の牛若丸が、舞台登場の前半はなよっとした皆鶴姫に想われる美男子、後半はきりりとした意思決定者ということで上手い。美男子役は匂うような色気もあり。劇団新幹線なんかが好きな若い女性が、こういうのを見て、歌舞伎を好きになってくれると良いな(笑)。染五郎に関して、最後の紅葉狩で女形を演じたことも含め芸域が広いと感心。

★★★★★ 九月大歌舞伎 "籠釣瓶"

 今回は吉右衛門 佐野次郎左衛門の声がよく聞き取れたこともあり、五つ星。上演回数が進み声が乗ってきたのか、私の前回の評を見てくれたせいか、4階と2階の差か!?(笑)。

 福助 八つ橋花魁は、オペラグラスで詳細を見ると、最初の花魁道中のところは少々皺が目立ち絶世の美女とは残念ながら言い難いが、座敷の場面は切なさ、儚さが出ていて上手い。何度観ても、ゾクリとする名作。

 ★★★☆☆ 九月大歌舞伎 "鬼揃紅葉狩"

 籠釣瓶で男と女の間に流れる深い川と、人生の不条理を味わい、心が少し重たくなった後で、紅葉も綺麗なスカッとする出し物。

 某大学教授が再度高校生に痴漢をして捕まった時に、深夜に女子高生が歩いているのも危ないのではないかと問題提起をする人があったが、昔もこの紅葉狩のような舞台を観て、山には鬼や山賊が潜んでいるから注意しろというメッセージもあったのであろうか。それとも、飲酒運転による事故の恐ろしさが昨今取りざたされているが、酒に酔うのは注意という教訓であろうか。広く見せたいわかりすい歌舞伎である(笑)。


2006/9/18  ★★★★☆ 九月大歌舞伎 "籠釣瓶"

何度観たであろうか。
私の中では、"籠釣瓶"、"忠臣蔵 五段目"、"鷺娘"を勝手に、歌舞伎耽美3演目と位置づけている(苦笑)。
籠釣瓶は、耽美よりも不条理に分類されるかな。恋に狂う姿が、何度観ても現実離れしているが、なぜか美しい。

勘九郎と玉三郎の籠釣瓶が最高のものだと思っているが、今回の吉右衛門と福助の籠釣瓶も悪くはない。
脚本と台詞がしっかりしているので、今回も5度くらいゾクゾクと背筋に来るような良さがあった。

花魁道中で、福助 八つ橋が、あばただらけの田舎者の吉右衛門 佐野次郎左衛門をちらりと見るところ。
斜めにちらりと見ながら、口を歪めて笑うところは、惚れて通えるものなら通ってごらんという誘いの感じが出ていた。
玉三郎 八つ橋の時には、もう少しあっさりと笑うだけだったと思うな。これは福助さんの勝ち。

福助 八つ橋は、玉三郎に比べて、ジトッとやつれたような刹那さが出ていたと思う。色気は福助さんの方があるかな。
宴会の最中に、愛想尽かしをした後で、部屋を出た後に後ろ髪を引かれる演技。
福助 八つ橋は、佐野次郎左衛門に謝るところが強調されているが、玉三郎 八つ橋はキリリと顔を上げ思い切るところを強調している。
これは、玉三郎の方が、瞬間的にゾクリとするので、玉三郎さんの勝ち。

というように、福助さんも健闘。

最後に、佐野次郎左衛門が八つ橋を切り殺し、"籠釣瓶は、よく切れるなぁ"と不気味に笑うシーン。
吉右衛門さんは、少々間延びした台詞で聞き取りにくく、勘九郎の演技で出てくる最後のニヤリという狂った笑いが無い所が残念。
やはり佐野次郎左衛門は、勘九郎の方が良いな。

とはいえ、背筋がゾクリとするような舞台を、一幕観席だと手軽に観られるのは感涙もの。
来月は、忠臣蔵 五段目が海老蔵で上演されるし、秋の歌舞伎はいと楽し。



2006/7/11

★★★☆☆ 七月大歌舞伎 "天守物語"

 玉三郎さんと海老蔵さんのコンビにワクワク。
 一幕見席に並んでいると、スペイン語、英語、中国語が飛び交うインターナショナルな世界。日本人も歌舞伎見るべし。

 泉鏡花らしい奇異な筋立て。前半で、玉三郎 富姫と、春猿 亀姫が、突き出された死んだ人の頭の部分を見ながら、楽しそうに語らうのも妖しい。
 サロメのヨカナーンよりも、日常的に吟味するところから、鏡花の異常さが醸し出される。
 
 玉三郎 富姫と、春猿 亀姫のレズビアン的なナヨッとした親しさが、後半の海老蔵 図書之助の凛々しさを引き立てる。
 海老蔵さんは、わずかに痩せかな。顔が精悍になっていた。台詞回しも良い。

 そして、二人が、身代わりの獅子の目がつぶされ、二人の目が見えなくなった時の愛の気高さは、涙ものである。

 でも最後に、獅子を作った工匠が表れ、目を元に戻して、二人が抱き合い永遠の愛を誓い合う・・・という終わり方は、あまりにも唐突なハッピーエンド感を否めない。

 しかし、玉三郎と海老蔵が見つめ合うと、独特なオーラに包まれるね。今月は、泉鏡花を4作行っているので、どれか一作は見るべし。


2006/6/19

★★★★★ 六月大歌舞伎 "暗闇の丑松"

 実は6月歌舞伎はあまり期待していなかったので、この"暗闇の丑松"の良さにノックアウトされた。

 恋女房を愛するあまりに、堕ちていく不条理の世界。幸四郎が人を殺め続ける不気味な世界。

 脚本も良いし、幸四郎も良いし、そして音の使い方が上手い。女郎屋で夜の豪雨の音。夏の昼間の蒸し暑い蝉の鳴き声。
 そんな音が、舞台に緊張感をもたらす。

 光では、蝋燭2本での演技も凄みを増す効果あり。

 堕ちていく女 お米を演じる福助さんも、女郎に身を落とした姿を旦那に見られ、首を括る前に最後の盃を交わす場面での、ゆったりとした喋りの口調が、追い込まれた切なさを高める。

 そして幸四郎も、"籠釣瓶"では勘三郎の方が狂った凄みが宿っていたが、この丑松では、本来爽やかで一途な料理人の役がはまっている。

 男と女の運命が弄ばれるさまを、抑制された演出が、逆にリアルさと不気味さを深めるなかなかの作品。
 まるで、ヌーベルバーグの一本の映画を見るような充実感。凄し!


★★★★☆ 六月大歌舞伎 "身替座禅"

 仁左衛門さんの女形はどんなだろうと不思議に思っていたが、この菊五郎 右京と、仁左衛門 奥方のコンビは最強で笑える。
 
 夫にまとわりつく憎々しい奥方を、コミカルに笑いを引き出すように演じた仁左衛門が上手い。感心しました。


2006/4/23

★★★★★ シネマ歌舞伎 "日高川" "鷺娘"

 銀座の東劇で、坂東玉三郎の"日高川"と"鷺娘"のシネマ歌舞伎を観た。

 どちらも舞台で実際に見たことがあったが、続けて、そして細部までクローズアップや効果を付けられる映画という形式も、別の良さがあった。

効果1:日高川→鷺娘という流れの良さ:

 "日高川"は、道成寺の前にの物語で、安珍を追ってくる、恋に狂った清姫。白蛇にまで変わり、自分から逃げようとする安珍への怨念もこもる気迫。そういう若い時代から、白無垢で現れ、そんな若い頃を回想し、息絶えていく"鷺娘"。そこには諦観すら漂う。そして、両者で人生を感じた。

効果2:映画ならでは音の味付け:

 "鷺娘"では、舞台の生の音と異なり、ホールの様な残響と、音が前に迫る効果が付けられていた。それが最初の出だしから、地獄の底の様な、不気味な迫力を演出していた。三味線も、迫真に迫る。異次元の世界に誘われた。

効果3:細部まで見えるズームアップ:

 恥ずかしながら今までに3回ほど鷺娘を見たのだが、(一幕見席からのせいか(苦笑))、最後の白鷺になり地獄の責め苦を受ける中で、左肩に切られた傷を受けているのことを知らなかった。白い衣裳に、赤い1本の傷口が、くっきりとついていた。 もちろん目線から、肩の微妙な演技まで、より迫真の演技を感じることができた。

 様々な効果もあり、鷺が恋の回想をした果てに、雪が深々と降る中で息絶える姿は、たまらなく切なく感動的だ。 桜吹雪のように舞う雪が、どこまでも幻想的だった。


2006/2/18

二月大歌舞伎を、久しぶりに昼の部、夜の部とも観た。

★★★★★ 歌舞伎座 二月大歌舞伎 夜 "京鹿子娘二人道成寺"

 美しさの中で死んでも良いと思える人生には瞬間がある。これほどに恋の炎を燃やせる人生に乾杯!

玉三郎と菊之助。玉三郎の怨みの心の演技に、菊之助の恋の心の演技。鐘を見上げるときの二人の視線の違いが、痛いほど心に突き刺さる。

白い肌、姿勢の美しく、顔も整った二人。首の長さが、玉三郎をさらに綺麗に見せる。声は菊之助が美しい。美の競演というところでしょう。でもこういう絶対的な美は、批評的に見るのではなく、美に耽溺するのが正しいと思う。

そして、女心の二面性を表しているが、そんな女心の複雑さに想いを寄せる。かの日経新聞の評には"レズビアンのような・・"とまで書いてあった、艶めいた二人の演技。同じ動きをする時がほとんどだが、鐘の下で玉三郎が菊之助の胸元に手を寄せる。柔らかい指使いで。

こんなにも美しい女性に、恋焦がれる安珍を、羨ましいと心底思い、でも恋の重さにゾクリともした。

 

★★★☆☆ 歌舞伎座 二月大歌舞伎 昼 "幡隋長兵衛"

 吉右衛門の貫禄のある親分肌の演技が良い。吉右衛門は、演技しすぎが鼻につくことがあり、あまり好きではなかったのですが、この幡隋長兵衛は、敵討ちにはやる子分を抑えながら、家族への愛もにじみ出て良かった。

 しかし、この幡隋長兵衛を初めて観たのですが、結局 風呂場で卑怯な水野十郎左衛門に殺されてしまうのですね。夜の最後の出し物の、"小判一両"も、落ちぶれた侍が自害をして哀しく終わるし・・・。歌舞伎の最後の幕は、スカッと正義が勝って終わってくれると、歌舞伎座を出て現実に戻る時にも、気持ちよいのですが。久しぶりに一幕以外で観ると、意外な事に気づくものです(苦笑)。


2006/1/23

新春大歌舞伎を一幕で観た。

★★★★☆ 歌舞伎座 新春大歌舞伎 "伽羅先代萩"

 "伽羅先代萩"を観た。女形の演目としては非常に有名な演目であるが、正直に言って以前 玉三郎の政岡を観たときには、それほど感動をしなかった。
今回は襲名した藤十郎さんで政岡を観たのであるが、今回は感動した。私は玉三郎 命!であるが(苦笑)、やはり演目により適性はあるのですね。驚き。

藤十郎 政岡に対して、憎々しい梅玉 八汐の対比も良い。我が子を殺されても、凛としているが、時にガクリとうなだれる政岡。葛藤と哀しみの様子が、玉三郎よりもストレートなのが良いのだろう。
梅玉さんの八汐も、政岡の子を殺す際に、ぐりぐりと首に刃を立てるシーンなど、容赦無い悪さが上手いと感じた。

そしてホロリとさせておいて、最後に仁木弾正の幸四郎のカッコよさ。蝋燭に映る影さえも決まっている。
残酷さが中和されて、凛として終わる。

面白かった。お勧めです。やはり藤十郎さんは上手い。恐るべし。


2005/10/22

 芸術祭の10月歌舞伎に行ってまいりました。暑さも一段落して、着物姿の女性も多く華やかでした。

★★★★☆ 十月歌舞伎 "日高川入相花王"

 玉三郎が人形振りを見せる"日高川"。以前、淡路島の"人形浄瑠璃館"で、人形で観た演目で、それとの比較もでき、興味深い。踊りの道成寺の前の話で、清姫が安珍を追い日高川を龍となり渡っていく話。人間を、人形で模し、その真似を人がするという"人形振り"の面白い趣向。人形遣い役の菊之助が端正なハンサムさを見せるのも良い。少々宝塚の麗人の様。

 そして、袖から出す手を少なくして、関節で演技をする玉三郎。確かに浄瑠璃のようでした。菊之助の人形遣いとの息も合い、黒子の手も借り、人形の玉三郎が宙を舞う一瞬もあり。川を渡っていくときの苦しみの表情。それがいつしか龍になり。渡りきった時の怨念の眼光。でもその前の一瞬に、哀しみの表情が漂うのが良い。

 珍しい演目でしたが、素晴らしい時間でした。

 

★★★☆☆ 十月歌舞伎 "心中天網島 河庄"

 こちらは藤十郎に改名前の雁治郎さんの最後の舞台。初めて見ましたが、籠釣瓶の勘九郎の治郎左衛門の真面目な情けなさとは異なる、関西風のボンボンらしいしゃなりとした情けなさ。意外と松竹新喜劇の藤山寛美のように、笑わせるシーンも多かった。浪花の粋(すい)というやつでしょうか。まあ、可笑しみと情の両方ともある楽しい演目でした。


2005/8/28

 8/25(木) 台風11号が関東を直撃すると言われた夜に、この日なら勘三郎の演目でも一幕見席に入れるだろうと判断をして、仕事の後歌舞伎座に行ってまいりました。電車が止まるかもしれないと、夕方から会社によっては帰宅命令の出る中での、決死の観劇です(笑)。

★★☆☆☆ 八月納涼歌舞伎 "法界坊"

 仕事の関係で、18時より一幕目のところを、私は遅れて18:25から観ました。 

 うーん、平成中村座、コクーンと見られなかったのですし、以前はアラーキーが浅草で撮った極彩色のポスターも印象に残っていたし、期待は大きかったのですが・・・・。少々期待はずれでした。前提として、1)私は歌舞伎座版を観ましたが、平成中村座やコクーンと同じ内容かはわかりません、2)25分遅刻したので、その間に勘三郎 法界坊の悪さのダイナミックな演出があったのかもしれません、がそこはわかりません。

 期待外れと感じた理由を挙げてみると、

1)私の期待の中では、勘三郎は"悪の美学"のようなものを圧倒的に演じてくれるだろうという期待があったこと:

 しかし、舞台の中では確かにだましたり、七之助 野分姫を斬り殺したりしますが、そこの演出が随分とあっさりとしていて、心が入っていないように感じました。夏祭浪花鑑の義父を殺す場面や、籠釣瓶での花魁を狂って殺す場面のような、そういうねっとりとした演出が一箇所あっても良いと感じました。

2)珍しく男役の福助さん演じる要助が、女形出身の良さを出せていなかったこと:

 きちんとした歌舞伎の演目では、初めて福助さんの男装姿を見ました。要助という、お家再興の指名を持ち、七之助 野分姫を許嫁に持つが、扇雀さん演じるお組と恋仲になってしまうという、情けない優男役。刀をさすが喧嘩は弱そう。お組と一緒に逃げるのであるが、もっと"やつし"の雰囲気が出ても良いと感じた。法界坊に苛められるシーンもあるのに、仁左衛門さんのような匂いたつゾクリとするような色気がでても良いと感じた。せっかく女形の福助さんがやるので、もっと追い詰められた心境とか、野分姫が殺された哀しさを心から演じると、もっと上手いと思いました。

 ということで、まだまだ改善の余地のある演目という印象です。前半のドタバタは良いので、中盤から後半を、勘三郎なら、もっと凄いものにできる!という期待を込めて、今回の感想はこれにて終了。


2005/5/29

★★★☆☆  題名のない音楽会 5/29 "歌舞伎 meets クラシック"

 日曜日朝のTV番組 羽田健太郎氏が司会をする"題名のない音楽会"で、歌舞伎とクラシック音楽の融合をテーマとした特集があった。 歌舞伎は中村福助さんが挑戦。

  まず ビゼーの"カルメン"。有名な序曲をオーケストラが演奏した後、"ハバネラ"で常磐津の演奏に乗り、福助さん登場。低音を強化するために、箏は17弦と多いものを使用とのこと。深紅の着物をまとった福助さんが、カルメンの化粧をしているシーンであろうか、鏡で自分を写しながら、口紅を溶き、つける仕草をする。撮影のアングルで、福助さんを、サッカーのゴール付近や、コンサートの舞台撮影に使用されるような、クレーンをもちいて斜め上から撮ったシーンが、印象的。福助さんが楚々と向かってくる姿を、斜め上から舞台を俯瞰しながら、情感溢れる女性が迫る姿として撮った映像が印象的。そういえば、歌舞伎や舞踊の舞台中継で、こういうアングルって見たこと無かったなと、とても感心。さすが民放、大胆な映像である(笑)。

 次にヴェルディの"椿姫"の後半、ヴィオレッタの病床のシーンを、悲しく美しい音楽にのり、福助さんが朗読をするというもの。福助さんは普通の着物で淡々と語るのだが、これが意外に、ゾクッとする艶があり、良かった。不思議な光景だが艶があった。

 最後は、チャイコフスキーの"胡桃割り人形"の中の"金平糖の踊り"を、藤間勘十郎さんと福助さんが、"二人椀久"をイメージしながら素踊りで踊るというもの。事前に解説で勘十郎さんが「二人椀久を参考にしました」と言ったのを聞いたので、2月に歌舞伎座で見た仁左衛門さんの二人椀久が頭に浮かび、少々イメージが混乱。女形系の素踊りは、やはり衣裳をつけたものに比べ、インパクトの面で難しいですね。

 ということで、チャレンジ精神溢れる福助さん企画も、これはこれで面白かった。実際にもっと観客を集めてやってもコラボレーションという意味で良いかもと思いました。(うーん、久しぶりに聴いた、椿姫も良かった。)

2005/5/10

会社を抜け出して、17:50には歌舞伎座に行きました。18:05発売開始の二幕目"鷺娘"に期待したのに・・・。入れず 涙。仕方ないので、1時間以上待ち、三幕目の研辰を見ようと思いました。(仕方ないというは、前回の時に、まぁまぁという印象だったので。失礼)

★★★★ 勘三郎襲名披露 五月大歌舞伎 "研辰の討たれ"(とぎたつの うたれ)

 ドタバタの前半から、衆愚と名誉と責任と生と死が入り混じるカオティックな終わり方。勘三郎に、藤山寛美とチャップリンが乗り移る。

2001年8月以来の研辰。その際の感想くは、以前の日記を。

正直に言って、歌舞伎を壊すドタバタかなと斜に構えて見始めましたが、汗だくで身体をはった勘三郎の熱演と笑いに、まず舞台に引き込まれました。そして、研辰が泣き叫び、自分を犬畜生にたとえ、見物人と丁々発止を繰り広げるところから、"死"について考えさせられる。

胡弓の切ない音が、勘三郎の演技をさらに盛り上げる。観客は彼に集中する。そして、汗だくに、本当に汗だくになりながら、場を支配する。大声で笑っていた場内の観客が、次第に勘三郎の言葉に吸い込まれていく。

そして、敵討ちから助かったと思った瞬間、ばっさりと切られて死ぬ、この不条理。天井からハラハラと舞い落ちた大きな紅葉の葉が、ぴたりと勘三郎の頬の上に落ちる。今回は、少しだけ涙腺が緩む。恐るべし勘三郎。

そう、恐るべし勘三郎。チャップリンの"殺人狂時代"のシニカルさと、藤山寛美の熱い情が混ざり合い、終わりに向けての考察と疾走を生み出している。恐るべし・・・・勘三郎。


2005/4/16

★★★★★ 勘三郎襲名披露 四月大歌舞伎 "籠釣瓶花街酔醒"(かごつるべ さとの えいざめ)

恋に狂う男。私も恋の妄執で女を殺してしまうのではないか・・・とトラウマになるような丹念な描写と迫力。

 再度見たかった籠釣瓶にやっと行けました。一幕で行ったのですが、夜の一幕目の毛抜きから、続けて見る観客が多いとの噂を耳にして、二幕目の口上の入場開始の20分前から並んだのですが、なんと一杯で入れなかった。口上が一番人気というのも、ちと変な気がするが。3幕目にそのまま並び、何とか入れました。良かった。"鷺娘"とともに、"籠釣瓶"を観るために生きているようなものですから。

 しかし、前回の勘九郎と玉三郎の"籠釣瓶"も、勘九郎の狂気の演技が凄かったが、今回はさらに細部が研ぎ澄まされ、凄い緊張感だ。

 世の中一般では、籠釣瓶の良さは、最初の見初めと、縁切の"おいらん、そりゃちとなかろうぜ"という言葉だけが取り上げられる。しかし、私は勘三郎(勘九郎)の籠釣瓶に関しては、あれはほんの良さの一部分にしかすぎないと思う。もちろん 勘三郎 次郎左衛門、玉三郎 八つ橋に、仁左衛門が間夫(まぶ)の栄之丞を演じるのも、完璧さを作り出している。

 凄いシーン:やはり、最後の"籠釣瓶は良く斬れるなぁ"という、狂気の場面である。途中の籠釣瓶という妖刀の説明幕をカットされて、物語の流れと関係の無いシュールな不条理な言葉。しかし、逆にこのシュールさが、狂い方をさらにくっきりと明確にして、極めて現代的である。現代のホラーよりもよほど怖い。今回の演技では、以前よりさらにこってりと見せながら"籠釣瓶は・・・良く・・・斬れる・・・なぁ"と、これでもかと迫る。

 凄いシーン:縁切りの後で、皆が去り、御茶屋のお上さん(?)の手を借りながらよろよろと立ち上がるときに口にする言葉。惨めに弱気になりながら、一言 "もしかすると、そのうちに・・・"と、八つ橋への怨念で、顔が一瞬阿修羅の形相になる。ゾッとする怖さ。ここまでの怖さは、前回は無かったか、気付かなかった。

 凄いシーン:縁切りの場面が終わり、玉三郎 八つ橋が部屋を出て行くシーン。(前も書いたような気がするが、)玉三郎が"もう、わしは、いやになりんした"と、勘三郎 次郎左衛門が嫌になったことと、客と間夫の間で揺れるような自分の人生に嫌になったことの、両方を嘆く。そして、部屋を出て、苦悩と次郎左衛門への詫びの仕草を見せて頭を垂れた後、スクッと、キリッと頭を上げ、堂々と廊下を歩いていく。その瞬間の潔さが凄いんだ。女が、きちんと自分の人生と向き合っていく決然とした姿勢が、ゾクリとする。業を背負うが、きちんと逞しく生きていく。ああいう、場の空気を一つの仕草で動かしてしまう玉三郎に感服。

 凄いシーン:縁切り後の皆が出て行く際に、最後に男の芸人2人が、吉原のテーマのような三味線の音に乗せて、"エーーーー"と声明(しょうみょう)のような胸に突き刺さる音を響かせながら去るシーン。

 凄いシーン:次郎左衛門が4ヵ月後に吉原に再度戻って来た場面で、2人で話すにはだだっ広い部屋で、鏑木清方の浮世絵の様に美しい姿なのに、途中から"この世の別れの杯だ"と一瞬のうちに男が狂気を表面に出す静と動の落差があるシーン。

 他にも細部までが面白い。脚本も完璧だし、それを演ずる役者も凄い。凄すぎて、この舞台にこんなに感動して心が入り込むということは、私も女と恋に狂えば、殺しを働いてしまう可能性もあるのだろうかと、ゾッとさせてくれるまで昇華されている。自分の心の深層心理や奥深い部分まで、覗き込ませゾクリとさせる、こんなに凄い作品と配役は、最高である。狂気に乾杯!


2005/2/25

★★★★★ 二月大歌舞伎 "二人椀久"  歌舞伎座 (二回目!)

 "鷺娘"の美と、"籠釣瓶"の狂気が交じわったような妖しい傑作!

 最終週に一幕見席で観た"二人椀久"があまりにも素晴らしかったので、千秋楽にまた観に行きました。

 前回の訂正を。四階から見ると、舞台背景に描いてある桜の木が見えなかったのですが、"金の粉雪"と記したのは、桜の花びらを表したものでした。仁左衛門さんが踊りの中で使う扇子にも、片面は満開の桜の木、片面は満月が描いてありました。

 そして、仁左衛門さんと孝太郎さんは、親子で初めて二人椀久を踊ったようですね。孝太郎さんの、右胸の半襟がわざと曲がって折れた状態で、下の紅い襦袢が見えているのも、妖しさを醸し出している要因ですね。ぎりぎりの線で崩して着ていました。

 踊りの真中辺で、"身を寄せて・・・・"というところで、仁左衛門さんが低く座り込み、身体を丸めて見得を切っていたのは、とても柔らかく艶がありましたね。

 そして、途中から不吉な横笛が朗々と鳴り、孝太郎さん演じる遊女は、御簾の向こうで桜の花の散る中で、最後はくるくると回りながら、奈落へ引き込まれていく。そして、最後の狂気のシーン。羽織を遊女と間違い、抱きしめて眠るシーン。終演後も暫く、私はゾクゾクとしていたのでありました。

 勘九郎の襲名ばかりが話題ですが、このような濃密な小品も素晴らしい。この日は四階に外人さんが多かったですが、皆満足したように急な階段を下りていました。


2005/2/23

★★★★☆ 二月大歌舞伎 "二人椀久"  歌舞伎座

 孝太郎の醜と美のぎりぎりの艶が、思いがけない儚い舞台を作り出した。美の狂気が宿る

 実際にはあまり期待をしないで仕事帰りに見に行った。仁左衛門さんは良いとして、孝太郎さんが太夫役だったので。どうも孝太郎さんは、ちらしに載っている眼鏡の印象が強くて、美しい女形はどうだろうと感じていた。しかし、ちょっと口元まわりが醜にくい気がするが、目の周りの紅が艶を醸し出す。そして、仕草の少しゆったりとした様が、美しいのであった。あの微妙なたおやかな動きは、玉三郎とも芝雀さんとも異なる品と艶があった。すばらしい。

 そして、仁左衛門さんと二人の踊りも息がぴったり。 後半で金の粉雪が降るのも、儚く美しい。透明な御簾の向こうで、はらりはらりと舞う雪の中で舞う孝太郎さんが、息を呑む色気がありました。今まで見た玉三郎さんの"鷺娘"が完璧な美だと思っていましたが、今回もそれにほぼ匹敵する少々崩れた美がありました。

 最後に、仁左衛門さんが、太夫に見立てた自分の上着を抱きしめながら眠るシーンで、私はゾクリと人生の美と儚さを感じたのでした。美の狂気が宿っていました。凄い舞台でした。


2004/11/6

★★★★☆ 十一月顔見世 歌舞伎座 "吉田屋 廓文章"

 上方の和事スタイル、女に身をやつすボンボンの話を、こってりとおかしみを混ぜて演じる雁治郎。匂い立つオーラ有り。

 久々の歌舞伎であった。顔見世興行という割には、吉右衛門さん、仁左衛門さんもいるが、人も演目も少々こじんまりとしている感じを受けた。しかし、上方の和事スタイルを、じっくりと初めて観た、"吉田屋 廓文章"が良かった。この1年ほど、仕事で大阪出張が多く、東京とは異なる、人情味ある大阪の人や文化に惹かれているところでもあるので、興味深く観た。廓文章を初めて観たが、雁治郎さんがいいねぇ。情けなく落ちぶれて舞台に現れた時でさえ、福々として白い顔から、匂うオーラが出ているのだ。何というか、新之助なんかの直線的な後光ではなく、フワッとした柔らかい光である。あのちょっとプクッとした頬っぺたのせいもあるのだろうか・・・笑。

 雀右衛門 夕霧に恋焦がれ、恋敵のお座敷に出ているのに、嫉妬に地団駄踏んでいるくせに、いざ夕霧が訪れてくれると、わざと冷たいつれないフリをする。こういう男女の駆け引きも、上方風なのかな。そうして結局は、お互いに熱くラブラブ状態となる。そうして、最後には勘当も解かれるという、無理やりハッピーエンドというのも、大阪らしく笑いを誘う。40歳を超えると、あのこってりとして、ホロリとさせ、人情味を感じる人間関係はええのぉ・・・。上方歌舞伎、面白し。


2004/8/16

 記録的な真夏日も一段落をした日に、歌舞伎座に向かった。

 ★★★★☆ 八月歌舞伎座 東海道四谷怪談

 夏といえば、"四谷怪談"であろうか。2000年の夏にも、橋の助−勘九郎、三津五郎(当時は八十助)−福助の黄金のカルテットの四谷怪談を見ている。前回カッコ良さが心に残った橋之助ももちろん良いが、今回は勘九郎のさんの上手さが光る。

 圧巻は、隣家であり夫 伊右衛門を奪おうとたくらんでいる伊藤家より届けられた毒入りの薬を、有難そうに飲むシーン。姦九朗が、これでもか、これでもかと、病気が良くなる期待にうち震える姿を演じる。"伊藤様・・・"と手を合わせて拝むシーンから、薬の粉を一さじ残らず飲もうと、薬を包む紙までも、縦にして、横にして、粉を大切に飲むシーン。ねちっこい演技が、上手い。いやぁ、このネチネチと感謝を演技で表すところはさすが。 そして、恐ろしい顔にお歯黒を塗り、髪を梳くと抜け落ちる姿。観客を一気に怖がらせる演技。

 大詰めで、観客席に幽霊が隠れていて観客を脅かすのも、以前は1回だけだったが、今回は6回程度"キャー"という歓声が上がる。ここら辺は、勘九郎さんのサービス精神の表れかな。

 ということで、NY公演を無事終えた勘九郎さんが、ますますその世話物的な役での演技の華を咲かせている。是非皆様、ご覧下さい。


2004/7/19

 2ヶ月ぶりに歌舞伎座へ。歌舞伎に初めて行く友人と一緒に行ったので、一幕見席ではなく、B席をとったのだが、これがカメラマンの篠山紀信に邪魔をされて残念な結果に終わった。

 ★★★☆☆ 七月歌舞伎座 桜姫東文章

 有名な演目だが、私は観るのが初めてだった。しかもいつもは一幕見席なのだが、今回は歌舞伎初体験の友人とということで、奮発してB席へ。一階の真中の後ろだった。ところがこれが大失敗。TVカメラ2台の横に、頭の大きい篠山紀信が2台のカメラをさらに並べ、バシバシと通路の真中で写真を撮る。玉三郎を追っていて、私も玉三郎さんが好きなので、玉さんが出てきて気分が盛り上がると、バシバシと大きい音で写真を撮る。今の一眼レフは音が小さいが、きっと6×7あたりで撮っているのだろうが、とにかく音が大きい。おいおい、若い女性の裸をスタジオで占有で写真を撮っているのと違うんですよ。しかも、下手だと思ったのは、とにかく筋の展開とは関係なく、5秒に一回は、バシッバシッとシャッターを下ろす。筋を先読みしてくれて、静かなシーンとかは遠慮をしてくれるならば、まだ有難いが、一定の間隔でシャッターを下ろすので、気が散ってしまう。 あれだけシャッターを下ろして、ドテンと一番良い場所を確保をすれば、誰でも良い写真が撮れると思いました。隣の隣の1名の方は早々に怒って帰ってしまい、隣の方は文句を言って席を替わってもらったようです。松竹さん、きちんと同じお金を払っているのですから、カメラマンを隔離するか、事前に周りに了解を取るか、祝日を避けるか、配慮が必要なのではないでしょうか。

 ストーリーは確かに荒唐無稽で、これぞ歌舞伎という変化自在。段治郎さんも、背が高く玉三郎さんと釣り合い、橋之助ばりの悪人役が、似合っていました。新たなスター誕生という感じがしました。玉三郎さんも、女郎屋帰りから声のトーンが低くコミカルになり、しかし要所では少年美に近い純な美しさを醸し出していて、さすがです。昼の桜姫東文章の上の巻も、是非観たいですね。玉三郎と段治郎に大きな拍手を!集中できれば、四つ星はいったでしょう。

 ★★☆☆☆ 七月歌舞伎座 義経千本桜

 うーむ、玉三郎さんが出ないので、篠山紀信は消えたが、ちょっと途中で鼓と別れるシーンの引っ張り方が、少々だれました。右近さん、一本気な演技は良いが、シンプルにしても良いと感じました。まぁ、千本桜の狐忠信の幕は、もう猿之助さんから数えて5回目くらいだと思うが、スピード感が必要だと感じました。初めて見た友人も中間は、少々眠くなってしまったとのことでした。 やはり七月は、一幕見で桜姫を見ることをお勧めします。


2004/5/25

 久しぶりに仕事がはやく終わり、千秋楽の歌舞伎座へ逃亡。しかし、勧進帳は少し遅れていったら、既に入れなかった・・・涙。成田屋の半被を着た、一幕見席のお兄さんに聞いたら、魚屋宗五郎でも新之助が最後に出るというので、気を取り直して30分後に列に並ぶ。

 ★★★★☆ 五月歌舞伎座 十一代目海老蔵襲名披露 "魚屋宗五郎"

 以前勘九郎の"魚屋宗五郎"を見たことがあり、その軽妙洒脱な演技が頭に残っている。元坂東流ということで、三津五郎さんを贔屓にしたいが・・・苦笑。最初から三津五郎さんの言い回しの影に、どうしても勘九郎が重なる。正直に軽い庶民的な口調は、圧倒的に勘九朗が上手いですね。お酒を飲んで、目が座ってきたところからは、真面目さが漂う三津五郎さんも独自の味が出てくる。完全に顔を動かさず、目も動かさず、正統な凄みがあるね。

 殿様のお屋敷に行って、玄関で酔っ払い暴れるシーン。ここも自然に勘九郎が脳裏に。「ご家老さま・・・・ご苦労さま」なんていう勘九郎が言っていたオヤジギャグを、三津五郎が言うかドキドキしていたが、今回は言わなかった。(苦笑)。顔にかかるほつれ毛が、ちょっと三津五郎さん色っぽいぞ。でも酔っ払っていた場面から、ご家老様の前で正気に戻るところは、少々服装も含めてやつれ過ぎかなと思った瞬間、海老蔵の殿様登場。これが薄水色の着物で、凛々しいのだよ。三津五郎演じる宗五郎の妹を手打ちにしてしまったことを、潔くわびるかっこよさ。オーラが漂っていたね。千秋楽だったが、海老蔵の声の通りも良かったので、一安心。"大和屋" "成田屋"という大向こうも何度かかけて、すっかりストレス解消をさせてもらいました。

 襲名公演、千秋楽の凛々しい殿様役での幕が下りてくる最後の瞬間、海老蔵の顔が、ちょっと疲れが漂っていたが、口元に一瞬不適な笑みが走ったのを私は見た。来月の"助六"に期待!

040525-233139.JPG - 4,508BYTES 040525-233226.JPG - 7,267BYTES


 2004/2/12 

 今月も歌舞伎座に玉三郎登場。それに仁左衛門に団十郎と豪華舞台。

 ★★★★☆  "三人吉三巴白波"

 一幕見席で三幕目と大詰を見ました。大詰で、深々と雪が降る中での、玉三郎、仁左衛門、団十郎の立ち回りが素晴らしい。舞台を見ているうちに陶酔をしてしまいました。

 本当は、序幕から通しで見られると、この込み入った黙阿弥の世界を、よりストーリーが楽しめるのかな。そして、玉三郎初役の、男が女装をして盗賊をしているお嬢吉三が、ちょっとドスの効いた声で、たまに少しだけ色気を放ち素敵だ。仁左衛門 お坊吉三と二人で、死のうと決意して、玉三郎 お嬢吉三の紅い襦袢に紫の振袖が、ひざを立てて座った仁左衛門 お坊吉三の肩にハラリとかかった見栄の美しさ。ただし、三幕目は少々団十郎 和尚吉三が、少々でくの坊的な大味な演技かな。玉三郎と仁左衛門が繊細なので、大雑把に映るのかな。

 ところが大詰めのこの完璧なる美は、筆舌に尽くしがたい。是非 オペラグラスで、玉三郎の表情に注目をして見るべきである。離れ離れになった愛しき仁左衛門 お坊吉三とめぐり合ったうれしさ、恩のある団十郎 和尚吉三を救おうというキリッとした決意の表情、そして、追っ手に縄を用いて捕らえられそうになる苦悩の表情。紅い振袖で、必死に立ち向かい、慣れない手を振り?追っ手と戦う姿が必死で、愛しい。そんな合間に描かれる、仁左衛門 お坊吉三が屋根の上で戦う際の、水色の布とニヒルな表情に、こちらもため息が出る、かっこ良さである。

 最後は大団円で、幸も不幸も結論づけず、余韻を残して終わるところもいいな。観客の心の中で、彼ら三人にネバーエンディングストーリーが続くのだろうか。

 是非 一幕見で、雪降るシーンの大詰めだけでも、双眼鏡で表情をじっくりと見ながら、味わって下さいな。


2004/1/31

 1/18に歌舞伎座に"二人道成寺"を観に行って、まだ報告をしていませんでしたね。失礼!

 ★★★★★ 寿初春大歌舞伎 "京鹿子二人娘道成寺"

 一幕の人気も凄かった・・・。20分前に行きましたが、長蛇の列。天気の良い日曜日の夜だったせいか。列がいったんくぎられて、入場者数をカウントして、余り席20人分ということで、何とか滑り込みました。私の後ろにも列は長かったが・・・。

 菊の助と玉三郎の二人の舞の競演は、煌(きら)びやかで、眩暈がするような眩(まぶ)しさであった。

 どうしても二人で出てくると、比較をしながら見てしまうのだが、やはり私は玉三郎の美しさにゾッとして惹かれてしまう。ということで贔屓目があればご容赦を。

・二人が手を胸の前に持ってくるときには、菊の助に比べ、玉三郎の方が下で手を添えるのは、役のうえの年齢設定でしょう。でも、二人がまったく同じ衣装を着けているので、よくそれがわかる。これは、日本舞踊で習った通りかな。

・例えば鞠をつくような仕草の時に、上半身を前に出すシーンでは玉三郎の方が所作が綺麗だ。上半身を曲げるときに、まず微妙に胸を前に出して、その後に頭を下に持っていく。こんな細かいところが、玉三郎の醸し出す色艶の秘密か。(まぁ、玉三郎の色艶も賛否両論あるが、私はもちろん賛成である)

・化粧のせいか、元々の表情のせいか、眼の強さのせいか、菊之助は顔が平板に見えてしまう。踊りの中で、たまに鐘を見上げるときだけ、玉三郎の眼光が恋に焦がれての憎しみのせいか、ギラリと光るんだよね。最後の下がってきた鐘に登っての大見得のシーンでも、あの眼光のビームを見るだけでも、玉三郎の表現力は凄い。それに引き換え、菊之助は表情がいつも同じかな。

・全体的には、さすがに二人がきらびやかな衣装を着て、二人がそろって舞うと、眼がつぶれるかと思うくらいキラキラと美しい。並大抵ではなく、このオーラと美のレベルは高い。別の世界に入ってしまうかと思ったくらいだ。

 ということで、正月らしい豪華絢爛な企画。一回しかいけなかったので、もっと何度も味わいたかった濃密な時間。


2004/1/5

 お正月の雰囲気も残り、着物姿の女性もいつもより多い歌舞伎座。

 ★★★☆☆  寿初春大歌舞伎  "仮名手本忠臣蔵  九段目  山科閑居"0105_KABUKI.JPG

 新春らしい豪華な配役。幸四郎 大石由良之助の息子、新之助 力弥に嫁入りを願いに来た、娘の菊之助 小浪と義理の母 玉三郎 戸無瀬。菊の助と玉三郎を邪険に扱う由良の助の妻 勘九朗 お石。そして、菊の助の父 玉三郎の夫であり非業の死を遂げる団十郎 加古川本蔵。これだけのメンバーだけで芝居をするのだから、大向こうも各種かかる。

 菊の助、玉三郎、勘九朗の三者が演じる夫々の女性像を見比べるのが面白い。嫁入りを拒否された後の、菊の助と玉三郎の二人の美しさ。白無垢の菊の助と、真紅の玉三郎の紅白の対比の美しさ。深刻な顔の似合う菊の助の顔立ちの端正さが似合う。二人が向かい合い両手を握り合い、互いに顔を見合わせながら身体を揺らすさまは、二人とも悲しみと揺らぎかねない自決への決意も込められ、見とれてしまう。二人とも声が通るところも、一幕見席の私にとってはありがたい。

 この二人に夫の首を差し出せと絡む勘九朗も、討ち入りで死に行くであろう息子に嫁がすわけには行かないと心に秘めつつ、意地悪な様子の演じ方が良い。勘九朗の女性役は、道成寺のような美しい女性役よりも、意地の悪い役が上手いねぇ。味わいが出る。

 そうして、出番は少ないが、新之助の演技も基本どおりで良い。初々しさ、清々さも残り、少しだけ頬に赤さも浮くような、若者。そうして、憎き吉良邸の図面を団十郎から贈られ、その攻略方法の試しということで、庭の竹を使い窓を破ってみるさまの、綺麗な見得も決まる。主役ばかりでなく、脇役でも基本動作に忠実に、そしてそんな中でも存在感を示す姿は、奥の深さを感じました。今年の襲名に期待がかかる。

 ということで、今年も一幕でふらりと歌舞伎を楽しもうと誓った一日でした。


2003/11/9

 NHKの大河ドラマでは、ついに寺島しのぶ あやを破り、写真集SHINNOSUKE1.JPG - 4,479BYTESに加え、SHINNOSUKE1.JPGまで出した新之助。"新悪名"なる1962年の大映映画を見たのだが、そこに出てくる若い勝新太郎にとても似ていると思ったな。勝新太郎は復員帰りのいがぐり頭。新之助はスキンヘッドだが、両者似ているか(笑)。そうそう、新悪名には、つい大往生を遂げた お杉婆 中村玉緒の若き日の姿も、出ておりました。中村玉緒が取り持つ、勝新と新之助。これも何か不思議な縁か。

 ★☆☆☆☆ 宮本武蔵    at 新橋演舞場

 私は新之助ファンであるのだが、残念無念ながら歌舞伎として、演劇として、一つ星。脚本と演出が悪いと思う。それとも一般の新劇好きとかの人には、こういうのが良いのかな? それとも、視聴率で苦戦をしているテレビNHK大河ドラマだけども、それとの比較で感じるのだろうか。

 関が原の戦いで、又八と共に、屍累々の場からムクリと起き上がるところはテレビと同じ。又八の堤真一は、なかなか大胆でユーモラスだからな。舞台で、又八が武蔵に無理やり連れてこられた文句を言うところから、人間の小ささを感じてしまい、普通の人間のドラマになってしまった。そうして、最後の巌流島では、お杉婆がなぜか武蔵を許してしまうし。中村玉緒の意地悪ぶりと、そこに潜む童心のかわいらしさの絢が良いのに。等々。

 星ひとつの理由は、

1)NHK大河ドラマの役者の好演者との比較。いくら視聴率が悪くとも、さすがそれなりの役者を揃えているか、NHK。又八、お杉婆、そして、沢庵和尚も、やはり大河ドラマの方が良いなあ。ああでも、小次郎役の片岡愛之助は、クールな松岡昌宏に対抗して、良い雰囲気を醸し出していた。

2)ストーリーに理由も脈絡も無く飛ぶ面が多々。無理に一条下り松の闘いと、巌流島に持っていっている。結局 どこの場面も丁寧に描かれていない。せっかく扇雀さんの吉野太夫が美しい舞を見せるのに、例えばあそこだけでも、もう少ししっとりと描くと良いのに。せめて、武蔵が去っていくときに、吉野太夫と武蔵が、籠釣瓶の八つ橋と次郎左衛門の如く、目を合わせるだけで、物語が生まれるのに。

3)新之助も、こういう芝居も、表情はテレビの方が良く見える。やはり芝居それも新歌舞伎と名乗るのならば、歌舞伎の如く、大きい所作や見得が無いと、ただメリハリ無く流れる感じがする。スピード感の変化が無いのだ。一条下り松も、最初から最後まで一対一での斬りあいに終始するし。もっと例えば、コクーンの夏祭浪花鑑の様に、うねり押し寄せるような集団のパワーを出せば良いのに。

 とまあ色々ありますが、歌舞伎好き、又は大河ドラマを見て来た人にとっては、残念ながら肩透かしだった。新之助一人が、テレビ同様のテンションでがんばっていました。(でももしかして、例えば新宿コマ劇場などでやっている五木ひろしなんかの演歌歌手のリサイタルで行う時代劇というのは、このような主演者一人を立て、ストーリーや演出は気にしない世界なのだろうか・・・・) 

演劇チケットなら@電子チケットぴあ が便利です!


[Cyber Japanesque Home]