Cyber Japanesque 歌舞伎日記 1999〜2003


私の日記より歌舞伎関連のものを抜粋します。歌舞伎座で行われたものなど、一部は日本舞踊と重なっています。   歌舞伎日記2004以降はこちら

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 2003/10/25

 2ヶ月ぶりに歌舞伎に行く。いやぁ、禁断症状が・・・苦笑。

★★★★☆  お染久松色読販(おそめひさまつうきなのよみうり)    at 歌舞伎座

 仕事が終ってから、残り少ない10月公演に向かう。18時半には歌舞伎座に行く予定が、仕事で延びなんと着いたのは20時50分。玉三郎さんが出ている貴重な舞台なのに、泣きそうになりました。東銀座駅の階段を駆け上がり地上へ。一幕見席の入り口になんと"お詫び"の看板が。むむむ、販売終了? 不安になりつつ四階へ上がる。「チケットを下さい」、と言うと、「本日はもう入れません」と言う。「いや、階段で帰る人一人とすれ違ったので、満員じゃないはずです」と食い下がると、「消防法で150人に限定されており、たとえ帰った人がいても、その前に並んで入れなかった人に不公平なので、入れません」と冷たく言われた。うーむ、理屈もわからないでもないが、もう少し柔軟にしないと、顧客満足度を落とすような気がするが。「また別の日に来てください。あと2日しかないですけれど」と言われても・・・。

 途方に暮れ階段を下り、外に出た。さすがに当日の券は無いだろうな、と思いながら正面入り口をうろうろしていたら、ちょうど出て帰ろうとされる夫婦がおられた。「帰られるのですか? 券を売ってください」とすがるような目で訴えると(苦笑)、「おお、帰るから、いいよ、あげるよ」と天使のような声が。ということで、最後の大詰を40分くらい、一等席で見ることができました。本当に券をお譲り下さった方、私は感謝感激観劇です。この場を借りて、深く御礼申し上げます。玉三郎さんの舞台は、正月公演も満員で入れないことがあったし、まず観るまでもドラマがあるねぇ。

 大詰めでは、まず玉三郎が久松になり登場。さわやかな男役を見られるのは、珍しい。いつもは玉三郎の手や指の演技に目が行くが、この日は"目"の演技に心奪われた。憂いと怒りを、瞬時に切り替えての演技なのだ。確かに道成寺の最後の龍の目のきつさは凄かったからな。でも、キッとした目なら、例えば新之助のように一瞬のパワーでできるかもしれないが、瞬間的に憂いと怒りを表現するのは、またレベルがもう一つ難しそうだな。

 もう一つこの日に感じたのは、"玉三郎と一緒に歳をとる幸せ"ということだ。最近読んでとても心惹かれた 藤田宜永の「艶めき」(講談社文庫)のカバーが「女のほんとうの恋は40からかもしれない」と40歳になった私をドキリとさせるコピーがあるのだが、この短編集の中に人生の経験と味わいを重ねたからこその男女の恋が描かれている。玉三郎は確かに容姿は絶世期はそろそろ越えているのかもしれないが、容姿の美しさから、演技と細部の深みを増していくのを、きちんと一緒に時を重ねながら観ていけるという幸せ。40歳にして、歌舞伎のまた違った面白さに気付かされたような気がする。歌舞伎への恋か、玉三郎への恋か。こう考えると、玉三郎もイトオシク、慈しみたくなるねぇ。

 そうして最後は、白に藍色で牡丹?を描きこんだ着物をさっそうと纏った、お六姐さんが登場し、大和屋番傘の中での大団円を迎える。清々とした気持ちの良い終りかた。このお六姐さんが、すらっと背が高く、さっそうとしており、それはもう美しカッコよいのであった。タランティーノの新作"キル・ビル"ルーシー・リューの雪の中の立ち回りも似ていそうだが、タランティーノにこの玉三郎のお六姐さんを見せたら、涙を流して観劇するに違いない。


2003/8/23

 ある方から券をいただき、久しぶりの夏の盛りのような暑い週末、八月納涼歌舞伎の昼の部に行って参りました。

★★★☆☆  怪談 牡丹燈籠    at 歌舞伎座

 二組の男と女の運命が絡みあい、他の命を巻き込みながら、ゆっくりと凄絶に堕ちていく・・・。その不条理とゾクリとする美が、暑い夏の夕方を彩り、頭を異次元へ誘う。

 主を裏切り幽霊に殺させ、その幽霊から百両をせしめる三津五郎 伴蔵と、女房の福助 お峰。やはり主君を殺害した橋之助 源次郎と、それをそそのかした扇雀 お国。それぞれが主君を裏切らなくてはいけないドラマと葛藤を前半は見せる。そうして、怪談らしく幽霊も登場。時には、場内を徘徊し、お客に叫び声をあげさせる(笑)。

 後半は、二組の転落の様子を最初は静かに、最後は凄絶に見せる。百両を元手に、商売を営み繁盛させる三津五郎 伴蔵。しかし彼は、命からがら逃げてきて、芸者になった扇雀 お国の元に通う恋仲に。そして、金持ちにはなったが、心離れを恨む女房の福助。そんな扇雀 お国に、嫉妬心を抱く橋之助 源次郎。

 そうして、扇雀 お国と橋之助 源次郎は、ころした主君の幽霊により気が違い・・・・橋之助 源次郎は嫉妬する女房の福助を、豪雨の中で殺そうとして、一緒に川の中に引きずり込まれていく・・・。そんな二組の男女の、死していく物語を、歌舞伎らしくドラマチックに見せる。

 やはり、鼠小僧のように、何かこじんまりとまとめるのではなく、ダイナミックにシュールにまとめて欲しいねぇ。こんなシュールな物語を、美しい女性達が、着物で着飾り一生懸命見るというのも、よく考えると不思議な光景かな・・・笑。でも江戸文化の先進性もあると思う。扇雀さん、中々強い女、情のある女を上手く演じていました。粋で艶があった。

 あと、私自身にとって、途中の世話物のような淡々とした舞台の場面を、男と女の痴話話や心の機微を描く場面を含めてけっこう面白く見られた事にも、初体験なので少々驚き。美しいとか、ダイナミックとかそういうのだけではなく、ただの男と女の会話も、楽しめるだけ大人になったという事でしょうか。最近40代になりましたし・・・苦笑。勘九郎も、もう藤山寛美だね、芸域が。あれも大人がなせる業か・・・笑。

 夜の"野田版鼠小僧"は今ひとつでしたが、この牡丹燈籠はなかなかおもしろかった。改善点は次の2点。 1)少々幕の話と話のつなぎがバラバラな点があり、もう少し全体の流れる統一感が欲しかった。 2)福助演ずるお峰が、旦那役の三津五郎 伴蔵と、幽霊を迎える場面の、怖さを表現することろが少々ふざけ過ぎでこっけい。 

 まあでも、久しぶりの一階からの観劇を堪能しましたぜ。 あなたも暑い日に如何!? 


2003/8/16

  6月の夏祭りがとても面白かったので、期待をしていったのだが・・・・。

★★☆☆☆  野田版 鼠小僧  at 歌舞伎座

野田ファンには約束された面白さも、ちょっと受け狙いの底の浅さが見えてしまった・・・残念。やはり歌舞伎のスケールに比べれば、小手先が目立つか。

 6月のコクーンにての勘九郎"夏祭り"が存外に面白く、しかし 同じ6月の歌舞伎座にての玉三郎"藤娘"は、昼の部だったので千秋楽にと会社を抜け出し勇んでいったら、実は前日に終っていたことにショックを受け、歌舞伎はそれ以来。昨年の勘九郎"野田版 研辰の討たれ"は、舞台一杯に使いスピード感はあるも、どうも何かしっくり来なかったが、コクーン夏祭りが面白かったので、今回の勘九郎の挑戦は吉と出るか凶と出るか、期待と不安の入り混じったまま歌舞伎座へ向かった。

 いきなり劇中劇で、勘九郎が飛び出し、屋根のセットの上を飛び回るスタートダッシュは良かったのだが。どうもその後、やはりしっくり来ない。

 理由は、

1)どうも不必要なちょこちょこした動きが、鼻につく。・・・・・・後家役の福助に、手首をクルクル回させて、そんな所で笑いをとろうとされても、出るのは冷笑か。

2)最初はドタバタで、最後はほろりと泣かそうという演出も、歌舞伎の不条理性に比べれば、今ひとつ。・・・・・・昔の藤山寛美の松竹新喜劇でもそんな展開がパターンとしてあったが、歌舞伎はもっと不条理でよろし。 確かに、脚本の細部の設定は凝って重層構造になっている部分もあるのだが。

3)最後にホロリとさせようと鼠小僧を演じてしまった勘九郎演じる棺桶屋の三太に屋根の上で事切れる際に語らせるが、今ひとつメッセージわからず。・・・・クリスマスの日に小判が降ってくることを楽しみにしている子供の為に、命を張って金をばら撒こうとする三太が、刀でやられて息絶える際の語りが、ちょいとわかりませんでした。これは四階の幕見席のせいかもしれないが、無理にストーリーにひねりを入れようとしていないかな!?

 ただし、けっこう笑ったことは確かですよ。勘九郎の上手さも味わったことも確かですよ。でも、何か終った後に心に残るものが、浅いような・・・・。ご自分の目で確かめて下さいな。


2003/6/21

  いやぁ、久しぶりの日記、久しぶりの歌舞伎だったが・・・・爆発的な面白さだったぜ。

★★★★★  夏祭浪花鑑  at コクーン

 その爆発的な面白さを観て、なぜかレッド・ツェッペリンのライブを思い出した・・・これが庶民の猥雑なる歌舞伎だ

 不条理の美学。荒木経惟の撮ったニヒルな勘九郎の顔に、集約されているような不条理の虚無感。それにダイナミックな演出が華を添える。終わってみて、暫くして思い出すと、勘九郎 団七が、舅の劇団自由劇場出身の笹野高史 義平次を凄絶に惨殺するシーンの印象がやはり強い。

 最近仕事が無茶苦茶に忙しくて、脳内が沸騰状態にある。18:30の開演めざし、会社から渋谷に駆けつけ駅に降りる。渋谷駅前の交差点から、東急本店まで、無機質な若者でひしめく。人が多数いるのに、私は孤独と無力感を感じた。少し遅れてついたので、そのまま暗い舞台にすぐ入り込む。

 そんな気分と状況の中で、団七が義平次がだまして連れ去った琴浦の籠を追って、池のほとりへ向かうシーンになった。蝋燭が勘九郎 団七と、笹野 義平次の周りを囲む。昔の歌舞伎小屋に想いを馳せる。いやらしさの中にも、ほんの少々コミカルを交えた、義平次が、団七をなぶる。いや、この徹底したなぶり方もいいねぇ。歌舞伎役者にはない下品さがあるぞ。そして、次第に耐えられなくなる団七。刀を抜こうとする。もみ合う。池に突き落とす。泥だらけになる。ついに切り捨てる・・・・・。

 遠くから祭囃子が聞こえてくる。最初は、小さく。近づいてくる。団七は血を洗い流し、刀を鞘に収めようとするが、手が震える。祭囃子が近づいてくる。刀が鞘にあたり、カチカチと音がする。近づいてくる。刀が収まった瞬間、怒涛のごとく祭囃子が駆け抜ける。豊穣なる明るい光と白い半被姿の人々が駆け抜ける。掛け声と共に、会場を駆け抜ける。怒涛のエネルギーが駆け抜ける。そして、その場にはただ独り団七がポツンと残る。

 歌舞伎においても、この音が遠くから聞こえてきて、団七が焦るシーンは、ドキドキするものだが、今回は、舞台装置と人を巧みに使った演出に、静と動がくっきりと際立ち、Bravo! 串田和美の勝利。 私はその時、なぜか随分と昔のハード・ロック(歳がばれるか・・・苦笑)の、レッド・ツェッペリン"狂熱のライブ"を思い出した。1973のマジソンスクエアガーデンでのライブの様子が映画になっている。"天国への階段"のロバート・プラントの澄んだ声。そんな静の状態の歌と、ジョン・ボーナムの10分間の延々のドラムソロが冴え渡る"モービィ・ディック"に、ジミー・ペイジのギターリフが炸裂する"ロックン・ロール"。ロック全盛時代のモンスター公演の熱気と、今回の夏祭浪花鑑の熱気と終わってからのいつまでも続くスタンディング・オベーションは近いものを感じた。

 そう、庶民の楽しみであり、反権力志向の歌舞伎が、現代にその一端を垣間見せた凄い公演であった。とにかく、素直に楽しみやしょう。

 *獅童 磯之丞は、いつもよりもオーラが少なかったかな。 坂東弥十郎演じる釣船三婦親分が羽織る、雷の中の龍が描かれた着物がカッコいいぞ。痺れる。必見!

 


2003/3/21

  今月は、2回 歌舞伎座の夜の最終幕を一幕見で見ました。遅くなりましたが、そのレポートを記します。

★★★★☆  与話情浮世横櫛  at 歌舞伎座

 艶やかな仁左衛門と玉三郎の演技と対照的に、豊かな表情で笑いを取る勘九郎は加藤茶なりぃ

 3月は非常に素晴らしいことに、仁左衛門と玉三郎のゴールデンコンビに、勘九郎がからみ、しかもその"浮名の横櫛"という演目が最終幕にあるので会社帰りに見られるという、滅多に無い幸運。同じトリオによる昼の"源氏物語 浮船"も新聞の評価は高い。

 "浮名の横櫛"は、私にとって新鮮な面白さを感じた。理由は2つ。

1) こんなにエロティックなものを人前で上演していいのだろうか・・・という位素晴らしい

 一目で恋に落ちた仁左衛門 与三郎と玉三郎 お富が、一目を偲んでひと時の逢瀬を持ち、お富の旦那に見つかって、与三郎が身体中切られ、お富が海に身投げをする"赤間別荘の場"。ここの場は、普段はどうも上演をされないらしいが、この場が入ることで、最終場の生き残った 与三郎とお富が再会する場面が、非常につながり、活き活きとしてくるのは事実。 そして、この"赤間別荘の場"が一番印象的で素晴らしかったのだが・・・歌舞伎ならではの公序良俗には反している艶っぽい内容が良い(笑)。

 クールで美しい玉三郎 お富が、あのクールでハンサムな2枚目の仁左衛門 与三郎の手をそっと取って、寝室に導くシーンが、これが美しいのだよ。女が男を閨に導くなんて、そしてその完璧に美しい二人に匂い立つようにされると・・・背中がゾクリとするぜ。

 そして、お富の旦那に見つかった与三郎が、まず旦那の子分に、眉間を刀の先で十字に傷つけられて、身体中を切り刻まれる。これも、グロテスクな描写だ。

 美しさも、グロテスクさも、非日常的でエロティックさ。

2) 勘九郎の自由奔放の、加藤茶や志村けんの如くの笑いが・・・素晴らしい

 最終場の"源氏店の場"で、与三郎を引き連れ、生き延びた勘九郎 蝙蝠(こうもり)安が登場する。 無精ひげが口の周りに濃く残り、太く描かれた眉毛を上下に動かし、威勢の良い言葉がちょっとかわいらしく(失礼!)ポンポンと飛び出し、その表情がとても大きい。そんな姿は、往年のドリフターズの加藤茶(最近はキャッシュワンのCMに出ている)や志村けんを彷彿とさせる。もちろん普段も芸達者で笑いを取るのは一流の勘九郎だが、今回の役は、特に楽しんで大らかに演じているように見えた。

 

 ということで、美しさ、グロテスクさ、エロティックさ、そしてユーモアと笑い・・・いかにも大衆芸能である歌舞伎の面目躍如の、3人と演目であり、お勧めである。


2003/2/23

 ★★☆☆☆ 通し狂言 義経千本桜   "川連法眼館"   at 歌舞伎座

  戦いや立ち回りさえもコミカルに見せてしまう、歌舞伎の抽象化力は偉大なりぃ

  狐忠信自身は、猿之助をはじめとして、右近、勘九郎、そしてTVで獅童と色々見てきたが、今回は菊五郎。いよいよ決算期を向かえ、仕事がヒートしてきて、一幕見席に駆け込んだのも始まって7分くらい経過してから。空いている席を見つけて、座ってから、義経と忠信のやりとりでは、すっかり眠ってしまいました(笑)。真紅のあでやかな着物を纏った芝雀 静御前が出てきたころから、少し眠気が覚め、菊五郎さんが源九郎狐に変身しても少々眠気が残る。 仕事の疲れのせいも大きいが、菊五郎さんの源九郎狐も、少々技の切れという面では、少々劣るかなと感じる。菊五郎さんの持ち味の、ちょっと哀しげな匂い立つような艶が、源九郎狐には、ちょっと似合っていないかもと思いました。切々と自分の親だと訴えるところはいいが、その後に鼓をもらい爆発的に喜ぶところとか、やはり若さとパワーかな。

 すっかり世の中は新之助の隠し子騒動で盛り上がり、挙句の果てには右近さんまで巻き添えになり(苦笑)、それをバネに視聴率のさらに上がる"武蔵"の、ダイナミックな剣の勝負が眼に焼きついているせいか、最後に鼓をもらって感謝の印に義経の追手を打ち破る、ホノボノとした立ち回り が新鮮でしたぜ。忍者のような灰色の全身を覆う服を身に着けて、腰を落として足を交互に上げてロシアダンスのようにコミカルに踊りながら出てきて、竹のしないでさらに3人で踊りながら狐とからむ、立ち回り。例えて言うなら、チャイコフスキーの"くるみ割り人形"の"行進曲"をバックにしたような立ち回り。(これで、想像がつきますかしらん!?) リアルにリアルに表現するテレビドラマに対して、臨機応変に立ち回りさえもコミカルに抽象化する歌舞伎の力は凄しと、改めて思ったしだいです。

 ああ、新之助も眼力とその迫真の演技は凄いが、肩の力を抜いた余裕や、おかしみ、こっけいさを身に着けるのはこれからかな・・・と世俗の話題に想いを馳せた夜でした。


2003/1/6

★★★★★ 寿新春大歌舞伎 京鹿子娘道成寺   玉三郎

 鐘の上にて悲しみから怒りに変わるその凄まじき美しさよ

 やっと、念願の一幕を見られました。坂東玉三郎の道成寺、これは私にとっては完璧なる美です。もちろん、その踊りと形態の美しさ、これでもかこれでもかと押し寄せる衣装を変えて、踊りの内容を変えることもあります。 しかし、これが究極の美であるというのは、途中にチラチラと鐘を見る時の、その眼光の凄まじさと、ラストシーンの鐘の上にある。蛇が顔を上げていくシーンで、最初は実に哀しそうな苦悶を表情を浮かべ、あれっと思わせておいて、次にこれまた凄まじい怒りと睨みの顔に変身していく時の為に、今までの美しい踊りがあったことにより、美は完成したと感じました。

 これは、"鷺娘"も凄いが、怒り恨みの美という観点で、道成寺も凄いぞ。必見!


2003/1/5

 掲示板にも1/4に歌舞伎座前からも書きましたが、参りました。1月大歌舞伎の玉さんの"道成寺"を一幕で見ようと歌舞伎座に行ったのですが、なんと一幕見が定員オーバーで札止め。入り口では、入れなかった着物を着たお客さんと歌舞伎座職員で小競合いが・・・。

ちなみに歌舞伎座の人と話をして得た情報では、

・1/3の雨模様の時は人がまだ少なかったが、天気が良い本日は凄い。
・1/2も札止めだった。
・最近は 三階席の満席情報の流れるのがはやいので、三階席を求められなかった人は、朝から一幕見でずっと見る

・ちなみに、道成寺の次の"白浪五人"も30分前には、一幕見で札止めでした。

寿 新春大歌舞伎

★★★☆☆ 弁天娘女男白浪

 様式美と言葉の波の快感

 鎌倉の稲瀬川など、私の住まいの近所が舞台にも関わらず、実は観るのは初めてである。ということで楽しみであった。

 菊五郎 弁天小僧と団十郎 南郷力丸の登場。おお、久々の菊五郎さんの若い娘役。肌は少々衰えている気がするが、なんとも言えぬ艶があるのぉ。
 "しらざぁ、言ってきかせやしょう"の名文句も良いが、その後 男だとわかってからの変身振りが気風良く、気持ちよい。赤い襦袢をパタパタと、肌けて見せて、褌・さらしまで。小粋の良い男ぶりが、Bravo!

 後半の五人衆が並ぶ中では、菊の助 赤星十三郎 が、普段の女形の雰囲気は残しつつ、声も通り、実は清々しく初々しくカッコ良し。

 団十郎も、このような一本調子の作品は上手い。息子に刺激されたか、いつもより肌が若々しい気がするぞ。眉の太さと角度も素晴らし。

 ということで、華やかでおめでたい作品でしたぜ。

★★★★★ 菅原伝授手習鑑 寺子屋

 心の琴線に触れる完璧なる忠義の美の世界

 何度も何度も演じられている作品ですが、寺子屋の後半も間延びがせずに、ずっと緊張感が維持されていた。幸四郎 松王丸は、最初の咳をするシーンから、顔の表情と声で、凄い演技を感じさせる。我が子が、忠義の為と聞き、微笑みながら首を差し出したと聞き、涙を流すシーンでも、上手い! そしてパートナーである、玉三郎 千代が、これが身体を最小の動きで全てを表現する演技。うーむ、ついに別次元の完成度に到達してしまいましたね。黒い着物に白塗りの顔、シンプルな構成ですが、腕なんかも、わざと抑えて演技をしていると感じました。それで、例えば子供の供養をして、お焼香をする場面で、その時だけ人差し指と中指の角度を微妙に変えて、非常に美しい角度を作り出す。それが哀しさと、丁寧に弔う気持ちを、よく表している。思わず、私の涙腺が刺激されました。あと、伴奏も素晴らしかったです。

★★☆☆☆ 保名

 一面の菜の花に舞う・・・・ムムム

 どうも芝翫さんは、顔の長さとその皺のある顔が生理的に駄目でしたが、今回 さすがに上手いとは思いました。でももっと狂って欲しいなという気はします。舞台背景が一面の黄色い菜の花畑の描写が素晴らしかった。むせかえるほど美しい。

★★★★☆ 助六由縁江戸桜

 スーパーマン助六は、やはり団十郎につきる!

 最後は団十郎の助六。そうそう、この日は、二階の二等席でしたが、当日買ったもので一番後ろの補助席。しかし、それを良いことに、立って必死に花道を見ておりました・・・笑。最初の出のところが、一番カッコ良いですよね。初めて見た助六が、テレビだったのだが、今の団十郎だったせいもあるが、ちょっと高めの声といい、気風の良さといい、やはりこの"助六"は団十郎のが好きですね。雀右衛門 揚巻も、はらはらしながら見ていたのだが、危なげないし、声も出ているし、今年も元気に演じてくれそうです。 ちなみに、河東節の御連中の中に、小泉首相の弟さんがいるそうですよ。

 

写真日々 眞さんの作品 写真日々 眞さんの作品


2002/10/6

★★☆☆☆ 芸術祭十月大歌舞伎 "忠臣蔵"  at 歌舞伎座

 第九と同じで、忠臣蔵がかかるともう年末気分になってくるが、まだ10月初にて歌舞伎座で忠臣蔵を一幕見で見る。七段目と討ち入り。

 ううむ、素直に言うと、あまり惹き入れられなかった。そうだね、籠釣瓶ほど脚本が凝縮されていないせいか、それとも演技のせいか・・・。玉三郎 お軽の兄である、団十郎 平右衛門が、何か少々コミカルで、物語の本来の濃密さが薄れているようだ。もう少しねっとりと演じると、それなりに"念"という点でも盛り上がると思うのだが・・・。

 玉三郎 お軽は、夫の勘平が自害したと兄から聞いた瞬間の、悲しみにうち震え崩れる姿は、これは瞬間的にものすごく美しかった。いつもよりも、眼の周りの薄紅いろのめばり(?)が、濃いように感じた。この微妙な濃さが、淡い色気を醸し出している。瞬間的に映像のような極度の美のシーンが何箇所かある。今回の見所は、この玉三郎だけの様に感じた。


2002/9/16

 さあ三連休。最終日に、今日は"和"の日にしようと勇んで国立劇場の小劇場に向かった。そう、淡路島で見た人形浄瑠璃に魅せられ、国立で"心中天網島"を観たかったのだ。ところがである・・・当日券はなんと売り切れ。うーむ、文楽パワー恐るべし!

ショックより気を取り直して、新橋演舞場のチケット売り場に向かう。一等、二等、立見とあるが、"えーい、ままよ!"と一等席を買ってしまう。

 ★★★★☆ 新橋演舞場 九月大歌舞伎 "上意討ち" "お祭り"

 少々不甲斐無き優男の怒りのパワー恐るべし。 ウルトラマン新之助 惨めな男からの怒れ荒ぶる男をダイナミックに演じまするぅ!

 歌舞伎座の四階に比べ、さすがに一等席は前後の間隔が広い。雨の日であったが荷物が足元に楽に置けると、妙な所でささやかな贅沢をまず満喫。

 話は、天下泰平時代の会津藩で、少々時代に乗り損ねた武芸を重んずる侍一家の話。もしかすると宮仕えで、IT革命やバイオ革命に伸るか反るかのサラリーマンの物語だったりして・・・笑。武芸にこだわる団十郎 伊三郎の息子 新之助 与五郎の許に、藩主から体よく次の女に乗り換えられてしまった菊之助 お市が嫁入りに来る。周りは厄介払いされた女を娶ることに反対したが、新之助 与五郎は快諾する。そんな夫妻に子供が生まれ、団十郎 伊三郎とその妻は大喜び。ところが、跡継ぎの問題から、菊之助 お市が藩主との間に設けた子供が脚光をあび、格の問題から菊之助 お市を藩主に戻すよう要請が来る。それをガンと断り続ける 新之助 与五郎と父 団十郎 伊三郎。ついにそのプレッシャーは強くなり、菊之助 お市はだまされて匿われる。そして、計略に嵌められて、新之助 与五郎の目の前で、菊之助 お市は自害し、子供は切り捨てられる。ラストは、怒った新之助 与五郎と団十郎 伊三郎 親子の討ち入りである。

 前半は軽妙なおかしみに溢れる。厄介払いの女を妻にするのを周囲に反対され、新之助 与五郎が、"じゃじゃ馬を乗りこなすのもおもしろいもの"とうそぶき、"人間万事塞翁が馬"と洒落るシーン。友人と囲碁を打ちながら、献身的に尽くす妻について、夫婦の機微を小唄みたいにかけあうシーン。団十郎も好々爺を怪演!なんかほのぼのとして、いいねぇ。

 そんなほのぼのとした前半に対して、妻を藩主に戻すよう親戚より詰問される新之助 与五郎。散々強気に突っぱねといて、急変し妻に戻ってくれるようひれ伏して頼み新之助 与五郎。その不甲斐無く、惨めな演技が、ハンサムな新之助にされると、きっと多くの女性の母性本能をくすぐるのではないだろうか。切々と訴えるさまが良いぞ。そして、怒りを爆発させ、人格を変えていく終盤。相変わらずの眼光より鋭い光を放ちながらの、カリスマ新之助。くー、カッコ良い!有無を言わせぬ迫力。

 最後はちと尻切れトンボではあったが、脚本が良くできていると思う。まだ二回目の公演なので、私は筋を全く知らずに観ていたが、その日本語もわかりやすいことも相まって、非常に義太夫の節からもストーリーを終えた。義太夫の言葉は明確にわかるのは楽しいし、心に響く。

 あと、菊之助は、ちょっとふっくらと貫禄というか、色気というか、さらに良くなったね。化粧は、浄瑠璃の人形を意識しすぎか、もう少し人間味があっても良いと思うが。声もきれいだし、素敵である。

 新之助は、迫力のみならず、指先にも結構神経が入っている。妻に戻ることを頼み込み父に介添えされ手を合わせるシーンとか、妻が縛られていた紅い縄を手に見得を切るシーンとかの、手と指の形はきれいだったぜ。

 ということで、暫く歌舞伎を離れる新之助も、そして演劇としてのストーリーも楽しめる歌舞伎らしい娯楽作品。そして最後は、"お祭り"で、粋に明るく帰途につける。お勧めである。

2002/9/7

 少しだけ暑さも峠を越し、文化の秋の到来でしょうか。

 ★★★★☆ 九月大歌舞伎 籠釣瓶花街酔醒

 予想以上に良かった。元々脚本がこの作品は非常に優れているし、衆人の前での縁切りの場から、花魁を切り裂く場までの、吉右衛門の演技の上手さはもとより、雀右衛門さんの語りと声も良かった。二人の語りの上手さが目立った。そして私は私的な事ですが、"老いらくの恋"なんていうものに想いを馳せていました・・・。

 正直に言って、以前に観た勘九郎 次郎左衛門と玉三郎 八つ橋の舞台が★★★★★だったもので、私はあまり期待していなかった。

 序幕の次郎左衛門が八つ橋を見染める場も、雀右衛門が歳を感じさせずに、随分スタスタと歩いているのには驚いたが、吉右衛門 次郎左衛門の美しさに驚き放心するシーン等、少々いかにも演技演技し、鼻についた。今ひとつであった。なお、見染めの場で花魁達の歩く際の足の運びは、足を大きく振る吉原型ではなく、普通の足の運びだったな。

 それが、舞台が進むにつれ、吉右衛門の演技が自然に見え、こちらに感情移入をさせるから不思議である。雀右衛門 八つ橋が、間夫(まぶ)である梅玉 栄之丞からつめられる 廻し部屋の場から、雀右衛門 八つ橋が吉右衛門 次郎左衛門への縁切りの場まで、私は吉右衛門と雀右衛門の2人の語りに、6度ほど背中に感動の電流が走った。正直に言って、美形女形好きの私としては、雀右衛門さんはオペラグラスで見ると、なおさらあまり良さがわからなかったのだが、今回は、不条理にすまないと思いつつ潔く縁切りを語る演技が素晴らしかった。やっぱり上手かったのか、雀右衛門!(笑)

 

 さて、こんな素晴らしい切々とした舞台を見て、私が考えていたのは"老いらくの恋"なんていうこと。

 少し前に鏡を見たときに、自分の髪に4本ほどまとまった白髪を見つけた。今まで白髪はほとんど無かったし、一本一本偶然に出てきたという感じだったので、少々そういう歳になったのかとショックを受けた。もう40歳に近いのであるから別に悲観をすることはないのであろうが、肉体的に明確に提示されると、それなりに感じるものがあった。

 この次郎左衛門は、北関東の田舎の実直な商人で、今まで女に目もくれずに働き、たまたま江戸に訪れた際に吉原に寄り、そこでの一目惚れがこの悲劇の基になったのであろう。商売でかなりの蓄財をしているから、歳は30代、結婚していた可能性はあるが、初めての身請けであろう。仕事に追われ女性に心を奪われるなんてことが無かった時に、ふっと心のつぼにはまった女の美しさと恋心。そして、次第にそれを制御できなくなっていく次郎左衛門。商人であるから普段は数値に強いはずであろうが、それを制御不能にする"恋心"とは・・・。谷崎潤一郎の"痴人の愛"、山口椿の"雪香物語"、もちろんここまで官能に身を沈めなくとも、確かに恋心を抱く心地よさはあるのだから。

 そんな恋心を抱くということが、老いを感じた瞬間に、あとどの位自分の時間が残されているかも頭に過ぎり、あとどの位できる可能性があるかをちょっと考えてしまった。そして吉右衛門の演技を通し、このある意味では無様で醜い滑稽な次郎左衛門という男に、この男の狂気に、感情移入をしていた時に、そんな狂うほどの恋心も、身を任せてしまうと甘味な官能的なことではないのかな・・・と思ったのですよ。

 さあ、こんな老いを少しだけ感じた私が記す"電脳和風空間"は、少しは深みが出るのであろうか・・・笑。

 冗談はさて置き、けっこう今月は空いているので、逆に一幕見でもゆっくり座って見られるので、一瞬の異次元を楽しんでお味わい下さいな!


2002/8/22

 8月だというのに、すっかりと夜の風は秋の風。ちなみに、この間の週末に近づいた台風で湘南の波は高かったが、波乗りをしたらリーシュが切れて溺れかけ、土左衛門になりかけました・・・笑。

 ★★★★☆ 八月納涼歌舞伎 第三部 怪談乳房桧

 第三部の後半を2回観ました。 しかし、一幕見席も入りが良いねぇ。前回も今回も、立ち見が20名以上いたし、外人も多いね。

 さて出し物は、夏らしい"怪談"で火の玉が飛び、そして滝に"本水"を使い水玉が飛ぶという趣向。勘九郎の気品・気弱・悪党という三役早替りが呼び物。橋之助が色悪の浪江という浪人役。師匠を殺して、福助の奥方を娶り手に入れ、そして子供を殺す算段をする。気弱な勘九郎 正助に、子供を無理やり押し付け、十二社の大滝に投げ込んで来いと命令。脅され賺され一度は滝に子供を放り込むが、現われた師匠の亡霊に改心。そして数年後、橋之助 浪江と福助 奥方は、奥方は不治の乳房の病を治しにお参りに来るが、浪江は師匠の亡霊と、生き返った子供に成敗をされてしまう。という勧善懲悪もの。

 勘九郎は、相変わらず上手い・・・がどうしても可愛らしさが残る。器用だが、顔がカワイイところが、良くもあるが・・・今回はちょっとマイナスかな。 

 私にとって良かったのは、橋之助の色悪ぶり。子供を里子に出そうとして勘九郎 正助に預け、奥方が悲しむ横で、柱に寄りかかりながクールに笑うニヒルさ。そして、最後に成敗をされ、苦しみながら、手足をバタバタもがきながら、宙乗りで消えていくシーンの虚無感。この対象が、演劇としてはいいんだよね。元々映える浮世絵のような顔立ちに、大きな目と口をカッと開きながら、意図的に肘や膝を突き出して苦しむさまは、悪の虚無さを表して良いんだよ。そういえば、忠臣蔵 五段目で新之助 定九郎が、悪行の末に鉄砲でイノシシと間違えられて撃たれて死ぬシーンも、手の虚空を掴むような動きと、その見開いた目の力は似ているかもしれない。

 ということで、暑くて疲れた夜の、ストレス解消にもってこいの小品である。お勧め。


2002/7/31

 そう、先週は月曜日に芝雀さんと会い、土曜日に玉三郎さんを観る、というまさに脂の乗り切った美形女形の2人を堪能できるという、夢のような週であった。

★★★★☆ 7/27 坂東玉三郎舞踊公演 at ル・テアトル銀座

この日は千秋楽。久しぶりとの玉三郎の対面にワクワク。喧騒の湘南の海を横目に、横須賀線に乗り有楽町まで来る。しかし、有楽町からの道のりは暑い!

ウッ、オペラグラスを忘れた・・・。ということで、今回はB席から肉眼報告。

ル テアトル銀座に入る。


"雪" : そう、最近の私の格闘作である。もう、見るのは3回目かな、4回目かな。本来はお茶屋さんで目の前で踊ってもらえると最高の作品なのだろうが・・・。だから、自分に引き付けて見るべくトライトライ。"鷺娘"なんかは美しさと動きの大きさにおいて分かりやすい作品なのだろうが、この"雪"は最小の動き心を表現する作品なのだろうが、正直まだ私はこの作品を完全に楽しめているわけではない。CDでは、結構BGMで流しながら聞いたりしているので、音は心に染み入ってくる。さあ、今回は如何に!
 会場が暗闇にすうっと包まれ、次の瞬間幕が開き暖かい蝋燭の光が会場に流れる。


 傘の向こうに白無垢の玉三郎さんが現れる。顔を隠しながらこちらへ向いてくる。


 "まるで深い谷に隔てられて、向こう側で愛しい女が悶え踊るような、De Ja Vu に思えてくる・・・。傘に雪が降り積もり、寒く凍てついた空気の中で、女の心が次第に熱を帯び光を放ち始める。昔の私との恋のことを思い出したのであろうか。私の心にも、なぜか熱い思い出で、心臓が強く鼓動を始める。そう、私はあの女の裾を直す仕草が好きだった。傘の柄をなでる、あの女の細くしなやかな手で、私の身体を弄るのが心地よかった。しんしんと降る雪の中を一緒に連れ立って歩く事が、外気が寒ければ寒いほど、私の右腕にそっと寄りかかる女の心と身体は熱く濡れるのであった。二人が生きていると、実存をまさに感じる瞬間であった・・・。そんな女が、また雪の向こうに消えていく。傘の中に顔を隠し、私の目の前に姿を現した時と同じように消えていく。しかし、谷の向こうの女を私は止めるすべを持たない。輪廻転生。そんな言葉が頭をよぎった、静かな夜の出来事であった。"

 舞台を観ながら、こんな夢を私は見ておりました・・・。

"鐘の岬" : さて、"雪"により焦らされた私の心をうまく捕まえるように、鐘の岬では、玉三郎は躍動する。同じ白の世界でも、が舞い散る春は、廓も華やぐ。楽しげに得意げに手毬で遊ぶ。
そうか、わかった、動きが全てスローモーションなんだ。まるで、ハイビジョンの映像の如く、動きが全てつながっていく。そして、そうだ、"岩井俊二"の映像に似ている。昔、中山美穂が北海道の小樽へ亡くなった彼氏を訪ねていく"Love Letter"という映画があった。そう彼の、画像の粒子が不思議につながりスローモーションの様な効果をもたらす雰囲気と似ているのだ。人の喜怒哀楽を淡々と描いていくあの撮り方。そしてこれは、もしかして小津の"東京物語"にもつながるのかな。 見ながら、映画"夢の女"の吉永小百合も思い出してしまった。運命に翻弄させる女と、そして最後に意思を示す女。そんな多様な女を次々に演じる玉三郎。でも、(オペラグラスが無いので表情が見えないのであったが、)舞う玉三郎の表情は、単に冷たい怨念に満ちた顔ではなく、吉永小百合の顔の様に優しげなものであったように受け取れた。

 そうそして、玉三郎の周りに桜の花びらが舞い散るシーンだけで、なぜか私の心は切なくときめくのであった。 人の心を、瞬時に恋心へと導く玉三郎・・・恐るべし。

"楊貴妃" : うーむ、どうも楊貴妃だけは、他の作品に比べて感じるものが今ひとつなのですよ。これは私が和風好きの故なのか、玉三郎が日本の作品の方が向いているからなのか、私は合理的な結論を下せないのであるが。はたまた、オペラの如くカーテンコールをするために、敢えて和物を最後にしないのか・・・カーテンコールで白い袖を風にたなびかせながら挨拶をする玉三郎は実に楽しげであったのだから・・・笑。 きらきら光り輝く頭のダイヤモンドか水晶のような装いも、周りの女性からは「きれい・・・」と嘆息が出ていたので、女性サービスの意図もあるかも(笑)。

 ということで、いつもながら短い時間ですが、楽しい創造的な時間でありました。 当日席が一時間前から売り出されるので、こちらを利用して何度も堪能するのもお勧め。来年にも期待!


2002/7/28

 ★★★★☆ 7/22 "歌舞伎の魅力と女形 中村芝雀の世界"  at 鎌倉プリンスホテル

 芝雀さん初のホテルでのイベントということで、工夫された演出でした。(とは言っても、私はホテルのディナーショーとかに行った事が無いので、他のその道に長けた方々がどの程度の内容かはわからんので、比較のしようが無いが・・・)。誠実そうな芝雀さんのお人柄もとても身近に感じられました。

  構成は、プロジェクタで映像を写しての紹介 → 芝雀さん挨拶 → 芝雀さんと松竹 竹中さんの対談&会場からの質問 → 静御前への化粧と着付け → 静の舞 → テーブルを廻っての記念撮影 → 希望者は2ショット撮影 と盛りだくさん。企画の方々も随分と考えられたのではないでしょうか。

 それでは、特にこのような時にしか知ることのできない話の一部を記しませう。

 対談編:

・歌舞伎には大人数が関わる。前日の鎌倉芸術座での歌舞伎公演は、出演者20数名であるのに、総勢95人が様々な担当を担う。

・お父さんからは、舞台で転んでもいいが、その時にも女形として転べと言われる。

・化粧については、昔は指一本で仕上げていたところも、今は各種の筆で緻密に描く。一番前からオペラグラスでご覧になる方もおられますので・・・と笑わす。

・女形としてやってく決心は18歳の時だそう。それから20キロもダイエットをしたとか・・・驚き!

・女形で大切な事は、1.声、2.姿、3.顔 だそうです。なるほど、四階席から顔は見えなくとも、声は聞こえますもね。

・お父さんから演技で言われるのは、「横に胸で八の字をかけ」。・・・・そうか、これが玉三郎さんのクール系とは正反対の、芝雀さんの女らしい女形の秘密だったのか!

 化粧編:

・13:14に浴衣姿で、頭に鬘の下用に帽子と呼ばれるものを付け始めてから、13:55に着付けまで完了しました。私たちにとっては41分間の大ドラマでございました。

・目はりと口紅をつける部分は、役者さんが化粧で最も集中する瞬間なので、話しかけては駄目だそうです。

・難しさでは、眉毛が一番難しいとおっしゃてました。

・私見ですが、紅で目はりをし、口紅をつけ、そして まゆを薄紅で書いた瞬間が、妖艶な女らしく変身をした瞬間だと感じました。美しひ・・・。

 ということで、テーブルに来られ一緒に写真も撮れたし、間近でも美しい姿を見られたし、ファンにはたまらない企画でしたでしょうし、それだけではなく、一般の方が歌舞伎に興味と理解を深めることにもとてもつながる企画だと感じました。やはり日本人だもの、こんな深くおもしろいものを、ほって置く手はないぜぃ!ということで、今後も期待。

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2002/6/22

 ワールドカップも日本がトルコに負け、一旦クールダウン。後は、ブラジルとドイツが楽しみかな。

★★★★★ 六月大歌舞伎 蘭平物狂

 これは、完璧な出し物であった。辰之助と松緑を私は評価をしていなかったが、この"蘭平物狂"の出来と適役ぶりには脱帽。

 そう、私は松緑さんを、必ずしも美男子ではないし、演技が直球だし、艶に欠けるので、今までは評価はしていなかった。魚屋宗五郎の殿様もただ声が大きかっただけだし。

 ところが、まず今日は一幕見席でも立って観るほどの盛況ぶりだし、何よりも劇場の大向うの量が凄かった。"音羽屋"は当たり前として、"四代目"などの大向こうも、バシバシとロナウジージョのフリーキックの如く、鮮やかに舞台に投げ込まれる。いやぁ、見事だ。松緑の蘭平も、色艶は無いが、声は大きく、振りの切れはそれなりにある。口舌なんざぁ、ちょっと市川団十郎さんに似ていますね。(本人も意識をしているかも・・・三箇所くらい、口調がそっくりだった。新之助よりも団十郎に似ているのぅ・・・)

 そして、上手かったのは岡村研佑の繁蔵。ちょいと敵の首を取るには力不足で荒唐無稽だが、その一途な演技には大拍手。

 ということで、後半の大捕り物も、刀に梯子に大迫力であるが、蘭平と息子の繁蔵のやりとりもホロリとさせる。なかなか情感溢れて上手し。全体的に、大向うが華を醸し出し、この演目は大盛況、大満足である。


 

2002/6/8

 5月はなんと一度も歌舞伎座にいけなざんだ。千秋楽の日に友人と待ち合わせまでして世間はワールドカップで盛り上がっている。かく言う私も、イタリアの後方からFWに放り込むような一発のパスの華麗な弾道に歓声をあげ、ブラジルの何気ない瞬間的な足技に感嘆しております。一発パスは玉三郎が手を広げながら一回りをして空気をもコントロールした時の歓声に似ており、瞬間的な足技は玉三郎の手先の捌きへの歓声に似ているか・・・(この感覚わかるかな!?)

 さて、今月は万難を排して、最初の週末に向かいましたが、仕事が遅れ最後の25分間のみ観劇・・・トホホ。

★★☆☆☆ 六月大歌舞伎 魚屋宗五郎

 つい先日に、勘九郎さんの宗五郎を観た様な気がしましたが、実際には一昨年の九月の歌舞伎座でしたね。勘九郎の軽妙洒脱の宗五郎と、菊五郎さんのちょっと艶の漂う宗五郎。酔っ払い度は、勘九郎に軍配!

 遅れ遅れて歌舞伎座の四階まで駆け上がり、20:30頃にやっと一幕観席へたどり着く。おっ、四回の席が少ないぞ。今まで一幕観席に通った中で、一番少ないかもしれない。これは、この六月歌舞伎の人気不足のせいか、6/7は運命のWCup イングランド vs アルゼンチン戦か!? でも辰之助 改め 松緑さんで2ヶ月の襲名披露は、少々辛いか。私自身は、まだ正直に言って、松緑さんの良さがわかりません。

 最後の25分間だけなので、入ったときには菊五郎の宗五郎が既に殿様宅の玄関で捕まえられ、女房の田之助 おはまも到着し旦那を制している場面。すぐにご家老さまも登場。勘九郎さんの時には、「ご家老さまのご苦労様」なんて駄洒落が飛び出し、勘九郎が言うとなぜか爆笑につつまれていたなぁ。勘九郎は、目まで据わって完全に酔っ払いだった。菊五郎さんの宗五郎は、まだ品があるね。己を捨て切れていないというか。でも、丹前の右肩をはだけていたのは、なぜか色気があるね。そして、声は良いねぇ。

 松緑さんのお殿様は、真っ直ぐ一直線に勢いよく、という感じで可もなく不可もなく。

 という訳で、昼の玉三郎さんの"其小唄夢廓"と、新之助さんの"鬼次拍子舞"を見に行きたい今日この頃・・・。


仁玉 十六夜清心 全四回観劇記

2002/3/10

★★★★☆  三月大歌舞伎  十六夜清心 Vol.1

 これが、客の入りは今一つですが、オペレッタの様で良いのですよ。お勧め、お勧め。十六夜清心は、善と悪の転換が見せ場の序幕だけで上演されることも多いですが、今回は通しで見られるのが良い。しっとりとした二幕目、そして展開のはやいどんでん返しの明るい大詰めと、全ての要素が盛り込まれています。オペレッタの"こうもり"を見るが如く、確かに軽さは否めないですが、ちょっとした心地よい充実感が得られます。通しで初めて見ましたが、ストーリーがおもしろかった。それに今回は、仁玉コンビですしね。

 場所は鎌倉極楽寺の僧 清心が、郭の女性 十六夜と交わってしまい女犯(にょぼん)の罪を犯す。その二人が川端で出会い、稲瀬川に二人で身を投げる・・・。(という我が家の横の稲瀬川での話ですが、今の稲瀬川では底が浅く、身投げは無理ですな・・・・笑。)そして、十六夜は俳諧師、実は大泥棒の白蓮に助けられ、囲われる。清心は自力で這い上がるが、その後寺小姓の金をつい殺して奪ってしまう。そこで、数々の罪を犯した末に、清心は豹変するのだ。仁左衛門さんの一番の見せ場。

 そんな十六夜が、白蓮のもとから、清心を供養するために、剃髪をして父親と旅立つ。慈悲深く太っ腹の白蓮。玉三郎の剃髪姿は珍しいので!?

 大詰めでは、箱根で出会ってしまった二人が、悪の道に入り、白蓮の家にゆすりに乗り込む。小汚い姿の玉三郎と仁左衛門。玉三郎が小悪党ぶり、まるで勘九郎さんの様な言い回しで、洒脱に語る様も、これも珍しい。さて、その後の展開は・・・・見てのお楽しみ!

 今回は、オペラグラスを持っていかなかったので、仁玉のディティールは見られなかったが、逆にこの意外な展開が堪能できた。わかりやすいストーリーなので、初心者の方にもお勧め。四階席も、席がまばらに空いていたので、ゆったりと見られる。

 さて、今月はオペラグラス片手に、あと二回は十六夜清心を見に行きたいのぉ・・・。

2002/3/16

★★★★★  三月大歌舞伎  十六夜清心 Vol.2

 今回はオペラグラスを忘れずに、四階へ上がる。

 まず、一番お勧めの、そして定番の"序幕"。郭から逃げ出してきた玉三郎演ずる 遊女 十六夜。水色の羽織をとると、上は真紅、そして下は水色というキモノ。燃えるような真の色と、唇をく、目元も仄かに仄かにくしている姿が、艶っぽいだけでなく、そして会えなくなる清心に心底追いすがりたいという悲壮な決意が表されているように思い、印象的。鏑木清方の日本画の遊女のように、正統派な美しさである。

 そんな十六夜が清心とであい、実はお腹に子供がいると告げ、二人で徐々に入水に向かって盛り上がっていく場面。清心が十六夜を抱きしめるように後ろに立っていると、十六夜が清心の腕をとり、自分の胸の前に彼の拳を持ってくる。そこで、握り締められている清心の拳の指を、一本一本いとおしそうに開いていくシーンは、艶かしく美しい。こういう表現の方法があったのかと感心。

 二人が美しく稲瀬川に飛び込むシーンも、まさに飛び込む途中の瞬間に、ハラッと幕がおり、そのストップモーションのような映像がよろしい。

 さて、死に切れなかった仁左衛門 清心であるが、大金を懐に持つ勘太郎 求女を介抱しつつ、最後に殺して金を奪うシーン。勘太郎は美しく通る声がなかなか良い。

 そして、私はあまり今まで集中的に見ていなかった仁左衛門さんである。以前 確か東京銀行の宣伝に娘さんと出ていて、銀縁の眼鏡に、幸せそうに微笑んでいるその"正しい家族"姿が頭にこびりついており、舞台での"色悪"姿とのギャップに、ちょっと今までファンになるのをためらっていたのだが・・・。そして、今回の清心姿はほんのちょっとだけ、肌に張りが無くなってきているようにも感じるが・・・。 But しかし、2月の菅原伝授での道明寺や昨年10月の伽羅先代萩での仁木弾正を見て、語らぬ存在感が良いと思っていたのだが、今回の清心のように語らせても良いことをあらためて認識した。そうそう、以前にTVで、玉三郎との"かさね"を見ても、その凄絶な美しさとカッコよさは凄かったね。ということで、正式に仁左衛門さんのファンになることを、ここに宣言しよう!笑)。猿之助から始まった私の歌舞伎ライフであるが、猿之助、勘九郎を押しのけ、新之助、玉三郎と仁左衛門が私の中で現在のベスト3役者となった。新之助はちょっと年齢的とあのエキセントリックな面で真似は難しいから、妻子家庭持ちの私は、仁左衛門さんのような"色悪"を目指すことにしよう・・・(笑)。

 二幕目の十六夜が出家する場面。玉三郎さんの剃髪姿。妙にそり後がつるっとしていたなぁ。大詰めは、乞食姿の玉三郎と仁左衛門。ううむ、ザンバラ髪の玉三郎は、どこかミュージッシャンの坂本龍一を思い出させるのも、一興か。二人の軽妙な語り口、玉三郎のかわいらしいが自由自在な悪女役、見せますねぇ。そして、最後は兄弟だとわかり、追っ手に皆で立ち向かう大団円。満足、満足。

こんなおもしろい作品に、一幕見席も座って見られるということで、今回は五つ星。昼の仁玉の"二人椀久"も見たいことよのぅ・・・。

2002/3/20

 ★★★★★  三月大歌舞伎  十六夜清心 Vol.3

 さて、前回見たときにあるように、仁左衛門さんのファンになることを誓い、仁左衛門さんのような"色悪"になることを誓った私なので、今回は仁左衛門 清心のディティールに迫る。

 幾つか仁左衛門 清心の印象的な演技を記す。

 シーン1:勘太郎 求女(実は十六夜の弟)が大金を持っているのに気付き、そして介抱をしている時に、求女がお金の由来を語る間に、清心が濡れたキモノの袖や裾を絞り水を取るシーンがある。この袖を絞る時の手つき、仁左衛門は両手とも、人差し指をピンと立て、中指をゆるく曲げ、薬指と小指は固く握る、という手の形をしている。これをさりげなくやると、手がきれいに見える。

 シーン2:清心が、求女を殺してしまってから後悔の念にかられ、目と額や口を右手で覆う仕草を何度かする。まず、仁左衛門は手が大きく、そして指が長いのが、非常に効果的。そして、この時の右手の甲の形は、柔らかく少しだけ丸めるが、第三関節(指の付け根の所)がきれいにくっきりと盛り上がるようにする。これが、苦悩とと色気を出す。

 シーン3:清心が、求女を殺した後、短刀で切腹を何度もしようとして、腹に傷をつけ「アイタタッ」とおどけてみせた後、最後に片膝をつけながらの見得を切りながら、「しかしぃ、待てよっ」と心変わりし、「待ってました!」と大向こうがかかる場面。右足を思いっきり投げ出し、足を長く見せつけ、短刀を持った両手、特に左手も思いっきり身体から離し、大きさを見せる。そして、ちょっと潤んで光る眼で、斜め上に月を見上げる。ここの、ぶっきらぼうに投げ出したような姿により現実や俗世と瞬間的に離れた気持ちを見せ、その直後に月を見上げる眼光で、ベクトルを悪へ変えながらしっかりと意識が戻り場が締まる。

 この後はおなじみのセリフ。下品にならぬよう、ぎりぎりの所で声を鼻にかけ、思いっきり悪ぶって語る。

 「今日、十六夜が身を投げたのも、またこの若衆の金を取り、殺したことを知ったのは、お月様と俺ばかり。

  人間わずか五十年・・・同じことならあのように騒いで暮らすが人の徳。

  一人殺すも、千人殺すも取られる首はたった一つ・・・・こいつは滅多に死なれぬわい

以上、男のあなたも、女のあなたも、仁左衛門の色悪に迫ってみてくださいな。

2002/3/21

★★★★★ 三月大歌舞伎  十六夜清心 Vol.4

 さて先日 私自身初めての経験である同一作品4回目の観劇を実施。今回新たな気づきとしては以下の2シーン。

シーン4:仁左衛門 清心の帯の縦結び。彼はキモノの帯を、自分の前の部分で垂直になるように結んでいた。このような結び方は初めて見た。でも、それがすうっと一本芯が通っている様を表すようで、スマートなのである。盛り上がりも無いし、とてもきれいな結び方。背の高い仁左衛門には特に映える。

シーン5:一幕目の最後に、溺れた所を助けられた十六夜と白蓮と暗闇で出会っただんまりのシーンの後、さっそうと花道を去る仁左衛門 清心のニヒルな笑み。求女を殺し、悪の道への悟りを開いた後に、十六夜と闇の中でそれとわからずにすれ違う人生の不条理。最後に花道で、腕を大きく回しながら組み、頬かむりをして、月を見上げる清心。そして、その眼光はキラキラと光り、悪への決意と、自分の理性と運命への決別を胸に秘め、ニヒルに見得を切る。

 私の観た中での三大ニヒルなシーン。

1.忠臣蔵の五段目:新之助 定九郎が金を盗んだ後に、イノシシと誤られ鉄砲で撃たれて死ぬ際に、虚空を両手でつかもうとするしぐさと、新之助の鋭い悲しい眼光

2.籠釣瓶のラストシーン:勘九郎 佐野次郎左衛門が、自分を裏切り笑いものにした玉三郎 八つ橋を、刀で切り裂いた後。蝋燭の炎で刀を確認し、ニヤリと笑う勘九郎の狂気の眼

3.そして、この十六夜清心の一幕目最後の仁左衛門 清心の清々とした悪の眼光

 悪の華は、どれも美しい・・・。


2002/2/4

 2/3の二月歌舞伎座初日に、雨の中を行ってまいりました。

★★★★☆ 菅原伝授手習鑑 五幕目 賀の祝

 いままで菅原伝授は寺子屋と車引きは観た事はあったが、この「賀の祝い」は見るのは初めて。

 おっといきなり、玉三郎 松王丸の妻と、芝雀さん 梅王丸の妻が仲良く二人で登場。玉三郎が鶯色で、芝雀さんが深い紺と、派手ではないが落ち着いたきれいな色。そんな二人に、吉右衛門 松王丸と、団十郎 梅王丸が登場。二人のにらみ合い、蹴飛ばしあい、米俵の投げあいも、いかにも様式美でよろし。団十郎の通る威勢の良い声に対して、吉右衛門もなかなか張り合っている。剛勇無双で、大向こうにも力が入る。

 さて、福助さん 桜丸の妻と、左団次さんの三人兄弟の父親が登場。ちょっと最初は左団次さん きびきびしすぎだったが、語りから観衆をひきつける。剛勇無双の松王丸と梅王丸を叱り付けるが怒りが収まらない。そこへ、梅玉さんの桜丸が悲壮に登場。加茂堤の責任を取り自害をするという。驚きおののく福助。しかし、桜丸は、腹に刀を突きつける。白い顔に、ほつれ毛が美しい。

 玉三郎、芝雀さん、福助と三人の今をときめく美しい女形。見ていての違いは、身体の動かし方が、玉三郎はツゥー、芝雀さんはツ、ツゥー、福助さんはトゥーンという感じでしょうか。(ううむ、あまりわからないか・・・)。あと、福助さんだけは、手指の形が人差し指を少しだけ中指よりも立てるシーンが多かったか。剛勇無双と、三人の美と、はかなく散ってゆく男の美、というものを堪能できる盛りだくさんの作品です。


★★★★☆ 菅原伝授手習鑑 六幕目 寺子屋

 こちらは、定番ですね。富十郎さんが、寺子屋の先生 武部源蔵を演じているのですが、富十郎さんがとても人間臭くて良いですね。前の幕の、団十郎、吉右衛門、玉三郎、福助・・・・と良くできすぎている異次元空間に対して、急に普通のそこら辺にいそうなおじさんが出てきたという感じか(笑)。

 黒留袖(?)の玉三郎さん 松王丸の妻が、自分の息子を連れて寺子屋に来て、死するかもしれない我がことの戸を間にはさんだ別れの場面が名演です。クールな中に、そこはかとなく漂う辛さ悲しみが出ています。

 途中の玉三郎さんと息子の別れのシーンを、物まねで笑わせるシーンがいとおかし。上手いぞっ!

 最後の無念の松王丸と妻 玉三郎が寺子屋を訪れて、武部源蔵夫婦と語り合うシーンは、もう少しスピーディでも良いかも。孝太郎さんは、もう少し化粧を上手くする必要あり。

 でも、吉右衛門の松王丸と、悲しみのアダージオ 玉三郎が良い。いやあ、久しぶりに、玉三郎の抑えた悲しみの姿を見た。美しかった・・・。


2002/1/21

 先日本屋にて「痛快 オペラ学」(小学館インターナショナル)を読んでいたら、いきなり「サッカーとはまさに"戦争"の代わりであり、オペラは"愛"と"SEX"の代わりである」と冒頭から書いてある。絵は池田理代子さんか。オペラが"愛"と"SEX"の化身ならば、我らが"歌舞伎"は何も化身か? "粋"と"華"と"官能"か!?

 評判が高いので、今月歌舞伎座二回目で、勘九郎の"鏡獅子"を見に参る。

 ★★★★★ 歌舞伎座 "春興鏡獅子" 

 いやあ、後半の疾走感、ドライブ感が凄い!身震いが三度くらいしたぞ。オペラのソプラノの搾り出す声の快楽も良いが、股の下で荒ぶるリッターバイクを操り、きれいにカーブを切って曲がって行った時の様な高揚感だ。研辰は今一つだったが、今回はBravo!

 前半の女小姓での踊りは、美貌も背も女らしさも中庸の勘九郎が、少々足がきちっと踊りすぎている様に感じた。四階席から見ているのであるが、妙に片足がきちんとぴょこんと上がる感じと、摺り足も元気が感じられてしまった。さっそうとした感じを出しているのかもしれないが。

 一挙に本領を見せたのが、飾ってあった獅子頭を右手に持ち、獅子頭の口が"カチッ、カチッ、カチカチ"と鳴り出すシーン。身体のスローなスピードと獅子頭のはやいスピードが非現実感と緊張感を高める。ここで一気に魅入ってしまった。あのアンバランスさと怯えてでも没入していく表情も良し。

 後半の獅子になってからも、切れの良い動きは非の打ち所が無い。片方の膝を曲げたまま床に落ちる見得の部分も、痛いであろうに果敢に挑戦し、素晴らしいきっぱりとした音が心地よい。普段大向こうをかける時に恥じらいが残るShyな私も、最高潮の部分で自然に"中村屋!"と腹から声を出していました。その瞬間、勘九郎と共にエクスタシーを感じていました(笑)。

 一幕見席で立っている人が5、6人という状態であるが、この演目は玉三郎の鷺娘並みの価値のある作品だ。なお、怪しげに不饗和音を作り出す横笛の演者が上手い。存在感のある伸びのある音を聞かせてくれる。 さあ、皆で歌舞伎座へ急げ!私ももう一度見ることにチャレンジするぜぃ。


2002/1/7

 新年早々、江ノ島に不振侵入者が出現とネットで昼間ニュースが流れたが、結局"狂言"とのこと。江ノ島神社も良い迷惑か、それともひょんな所でのグローバル化かいな!?

 1/4に仕事帰りに歌舞伎座によりましたので、報告します。

 ★★☆☆☆ 歌舞伎座 人情噺文七元結(にんじょうばなし ぶんしちもとゆい)

 左官で博打打と酒を止められない吉右衛門 長兵衛であったが、見るに見かねて娘が吉原に身を売りに行く。玉三郎 吉原の角海老女房がこんこんと諭し、長兵衛が借りている50両を持たせて返す。ところが、50両を無くして身投げをしようとしている染五郎 文七を見て、「命は金じゃあ、買えねぇ」と渡してしまう長兵衛。翌日 実は置き忘れただけだと文七とその主人が謝りに来て、50両は元にもどるわ、文七と娘の婚姻も決まるわ、という落語が元ネタのおめでたい世話物。

 まあ正月にはぴったりだが、私の趣味とは異なるし、少々芝居が一本調子か。吉原の女主人を演ずる玉三郎の話し方が、わざと演じているのだろうが、ちょっと話し方に間があり、人情味はあり人は良さそうであるが、決して頭が切れるタイプではない役柄を出しているのであろうか。こういう玉三郎の役柄は珍しいと思う。しかし本当は、もっとクールで性を超越した美しさを見たかったが・・・。

 ということで、顔見世の街のホッとステーション話という所か。温かいふくよかな熱燗を一口飲み、銀座の寒空に出る私達へのエールか。軽い気持ちで見るとよろし。


2001/11/25

 今月は、団十郎、勘九郎、猿之助の三名人が、別々の舞台にて"義経千本桜"を通して上演するということで話題になっていました。私の方は、11/23に国立劇場の団十郎さんの千本桜を観て参りました。

 ★★★☆☆ 通し狂言 義経千本桜 国立劇場

 国立劇場 開場35周年の記念興行とのことであるが、国立劇場の周りにアメリカのデータベースソフト会社であるORACLEのロゴが入った鮮やかな緋色ののぼりが立っているのが、まず目を引く。歌舞伎座や新国立劇場はあるものの、ここ皇居横の国立劇場も独自の企画でがんばってもらいたいもの。それと、日替わりで一部と二部を上演し、週に1回通しで上演するというのも変則スタイル。通し上演は土日に集中させるほうがお客さんは集まるような気がするが、基本平日に通しているのは、お客の流れが実は平日のほうが多いからかな?
 
 今回は前から9列目の上手と、非常に席の場所は良かった。序幕 "堀川御所の場"では、義経 新之助とちょっと顔の大きい川越太郎の我當が良く見える。新之助はこういう丹精で静かな役だと、まだ存在感が今一つか。我當の演技が光っていました。この公演のちらし写真の雀右衛門 静御前があまりにも若いもので、てっきりこの幕に出てきた芝雀さんの静御前も雀右衛門さんと勘違いし、「若い、肌の艶が良い、首の動きがかわいらしい・・・」と私はうめいておりました(笑)。四幕目の"道行"のみ、静御前を雀右衛門がおやりになるそうで。しかし、芝雀さんの、あの首と歩くときの腰の、かわいらしい女を意識させる、しなを作る小刻みな動きは、彼の芸風ですね。芝雀さんも良いのであるが、対照的な中性的かつ手などの詳細部分で女らしい玉三郎さんのことが脳裏をよぎる。そういえば最近見ていないので、玉三郎禁断症状か・・・。

 "伏見稲荷鳥居前の場"では、シンプルで一本調子上り調子の役柄は、団十郎さんにぴったりか。各見得の決まり方の美しさ、見得と見得のつながりが決して軽くなく重みがあるが、スゥーという動きは見事。見ているだけで気持ちよし。赤いウルトラマンの原型のような紋様を施しているが、指の先までの着ぐるみを着用しているのを確認。腕や指も太く見え、骨太の忠信となっている。

 "渡海屋・大物浦"では、団十郎 知盛がドラマチックで良し。以前に猿之助の知盛を見たときには"凄絶"という印象であったが、今回は"ドラマチック"である。団十郎の語りも場内がシーンとなるほど、強弱がついて聞かせる。(団十郎さんにしては、珍しい・・・と言っては失礼か!?)

 "道行"の雀右衛門さんは、八十一歳だと聞くと、そのことが頭の中から離れない。したがって、純粋な踊りとしてみることができない。しかし、"踊りを見ることにより快楽を得る"というのが目的であれば、例えば肉体的な制約を乗り越えて素晴らしい演技をすることにより感動を得たり、自分の長年応援してきた人が舞台で脚光を浴び感動を得る、というのも快楽という点ではあるのか。年齢を感じさせない踊りではあるが、立ち上がりと座る場面が少々痛々しい。

 新之助ファンの私としては、矢が突き刺さり血だらけの団十郎 知盛に対して、若々しく輝くばかりの新之助 義経の、この対比の瞬間が一番の収穫か。新之助は、もっと異形の方が光る。色悪なんてやって欲しいな・・・。



 

2001/10/13

 いやあ、最近忙しかった。上司がここ2週間入院してしまい、私はてんてこ舞いであった。そんなストレスフルな自分へのご褒美として、土曜日の一仕事の後、ふらっと歌舞伎座へ。ええぃと奮発し、16:25にまだ残っていた二等席を購入し、念願の玉さん、新さん見物へ。(結局、なんか言い訳をしながら、歌舞伎の世界に浸りたかっただけなのであるが・・・笑)

 ★★★☆☆ 芸術祭十月大歌舞伎

 結果的に見終わった後に振り返ると、それぞれ光るシーンは幾つもあるものの、全体的には散漫な印象を持ってしまった。期待が大きすぎたかもしれない。実際には、★3.5個かな。

 "相生獅子":これは、Bravo!でした。福助さん、最近オーラが出始めているね。前半の芸者舞の時には艶っぽく、そして鬣(たてがみ)をつけた後半はきりっとして、顔の表情から踊りわけから、メリハリがついていました。手のひらを美しく柔らかく見せるのに、右手の中指はまっすぐに、薬指と小指は少々曲げている形が、Sexy! これはすばらしいテクニック。

 ちなみに、前半と後半の間に、長唄社中の人たちで演奏される音楽を聴いていて、三味線と太鼓と横笛がなんて前衛的なんだと思ってしまいました。トヨタのヴェロッサのCMで使われていたキングクリムゾンの"21世紀の精神異常者"(最近は、この語感が良くないのを避けるためか、"21世紀のシゾイドマン"と称するらしい)が、ストレスが溜まった脳の中で鳴り出すことがあるのだが、この連獅子の音楽も十分アバンギャルドだプログレッシブだ。素晴らしい。(こんな事を考えながら歌舞伎を観ている人は、私ぐらいのものであろうが・・・笑)

 "伽羅先代萩":ううーむ、四幕通しであり、私は有名な政岡を見るのが初めての為、大いに期待したのだが・・・少々期待はずれか。理由は二つある。

理由1.大詰の仁左衛門の仁木弾正と、団十郎の勝元の対決は盛り上がるのだが、どうも"大岡越前の守"よろしく語る団十郎のせりふまわしが薄っぺらく感じる。調子は良いのであるが、一本調子で魂がこもっていないのである。

理由2.玉三郎の政岡が、我が子千松と若君にご飯を作るシーン"飯炊"のテンポが今の時代には遅すぎるように感じた。茶の湯の作法を取り入れ、見る人が見ると趣き深いのであろうが、少々だれているように見えてしまう。玉さんの政岡も、もう少し化粧が血の気の通った雰囲気の方がベターか。

 などと言っているが、見所も多い。我が子千松を、団十郎 八汐に無残に殺されてしまい、気丈に栄御前が去るまで耐え忍び、最後にその栄御前が帰るのを見送る花道での玉三郎。その不条理を心に抱えながらの気高い姿は、シェークスピア劇にも世界水準で通用する姿ではないか。背筋がゾクッとしたぞ。また、床下のネズミを成敗する新之助 男之助の姿も短いながらカッコ良し。全身を赤い奴(やっこ)のメイクをしているので、最初はわからなかったが、あのギラギラと光る視線はまさしく新之助のもの。声はいつもに比べ、今ひとつ伸びに欠けていたが、腹の底から振り絞る声も良い。いやぁ、あの眼光は、"巨人の星"の星飛馬や花形 満の如く、目からが出ていましたよ。他にも、仁左衛門さんの弾正も、メイクも雰囲気も完璧にカッコ良し。口許の不敵な笑みが良いぞ。


2001/9/8

 梅雨が実は7/1には終っていたという今年ですが、急激に秋が来て、昼間は過ごしやすい、そして夜は肌寒い季節となった。9/5に海に水中眼鏡をつけて入ってみたら、少し沖に歩いただけで、あんどんクラゲの大群が目に飛び込み、慌てて退散しました。しっかり背中はさされてしまったぜぃ。

 ★★★★☆ 女殺油地獄   at 歌舞伎座

 四階 一幕見席へ上がるが、四分の一位しか席が埋まっていない。三階席なんかも、空席がちらほらと目立つ。小泉首相の"米百俵"でもお客は満杯にならないか。少々安直な出し物企画か。

 さて、私は"近松もの"ということで、期待して女殺油地獄へ。タイトルも、なかなか淫靡な香りがする。

 幕があがって、ちょっと上方らしい柔らか味というかなよっとした、ボンボン風の染五郎 与兵衛。染五郎さんに限らないが、関西弁のセリフは、少々聞き取りにくい。耳をこらす。我侭な若者が芸者をめぐり、田舎の旦那と大喧嘩。川に落ち泥だらけの与兵衛を介抱する、人妻の孝太郎 お吉。お吉の旦那が二人の関係を疑う伏線が引かれる。

 二幕目は与兵衛が、家にて両親に立てつき、家庭内暴力を振るう場面。そして与兵衛は勘当される。 とはいえ、実は一幕目と二幕目は、こっくりこっくりしてしまったのでした。

 さて三幕目は、これは最初からドラマを期待させる舞台造り。油屋であるお吉の家の様子が、全体に深海の様な深い青い照明が仄かに照らされる。この青さが人工的にクールで印象的。お吉の旦那が商売で出かけて行った後に、与兵衛の父が息子が寄ったら助けてやってくれと、お吉を訪ねる。直後に今度は与兵衛の母親も訪ねてきて、鉢合わせをする。息子の前では厳しいことを言っていた母も、実は息子を助けたいと願っていた。二人ともまとまったお金を与えようとする。二人とも同じ気持ちで有る事を確認して抱き合い泣くシーン。甘やかしとみるか、夫婦の子供への愛情の強さとみるか。両親が出ていった後に、与兵衛がお吉を訪ねる。両親の気持ちをわかった上で、さらに金がたりないと、お吉にすがろうとする与兵衛。好いていたという甘い言葉。断られると泣きの言葉。そして、刃物をかざしての言葉。弱い男の三態。切りかかる与兵衛と逃げるお吉。油の壷がひっくり返り、油まみれの争い。二人とものた打ち回る。そうだ、人生を暗示しているのかもしれない。そして、最後はお吉を切り殺し、金を懐に、夜の道を駆けて行く所で終り。

 いや、こんなに不条理の話しで、凄絶な油まみれの殺しの場面を、公然の場で上演して良いのだろうかとまで感じてしまった。しかし、ストーリーは、役者の演技で、与兵衛の心情は様々に描けるだろう。親への人間味もあることにするのか、お吉への僅かでも好意を感じさせるのか、そして今回は全体が現代っ子のクールさを不気味に出している。村上龍の不条理な殺人を描いた小説"イン・ザ・ミソスープ"と、ロバートフィリップが率いたキングクリムゾンの"21世紀の精神異常者"の音が、なぜか終った後に私の心に浮かんできましたョ。

 今回はオペラグラス無しの為、細かい演技は見えませんが、染五郎 なかなか熱演です。あわよくば、油の中で大袈裟に転びながらの演技の時に、お客さんから少し笑いがあったので、なんとか千秋楽までに演技のパワーで無くせればさらに凄い。しかし、もしかするとあの笑いは、不条理の中で精神の平衡を保つ為の、観客の自然な笑いかもしれないが。

 ということで、次回はオペラグラスを持って、あと2回は観に行きたいぞ。美しい不条理なんて、滅多にないぜぇ。


2001/8/15

 話題の歌舞伎座 勘九郎&野田秀樹の"研辰"に行って参りました。

★★★☆☆ "野田版 研辰の討たれ" 

 4分遅れで歌舞伎座の幕見へ駆け上がる。四階で券を買う時に、「立ち見で少々混んでおります」と言われたが、中に入って唖然。私の経験で一番混んでいるかもしれない。奥の方から入ったが、既に台の上もあがるスペース無く、入口付近の人の頭の間より覗く。隣の人が、茶髪兄ちゃんなのが少々いつもと雰囲気が違う。なお、私は歌舞伎本来版の"研辰"は見た事がないので、今回は全く始めて。

 最初は道場で稽古をつけて欲しくて、悪態をつく勘九郎 辰次。赤穂浪士討ち入りと武士の世界を皮肉る皮肉る、既に場内は笑いの連続であった。勘九郎のふざけて首を反らせグラグラさせながら手をつき詫びるシーンなんか、頭蓋骨の中で脳が動きすぎ脳内の静脈が切れないかと、心配になるくらいの熱演である。イラついた演技の弥十郎さんが脇役で良い味。辰次を優しく扱う 福助 奥方さんも、「あっぱれー」と日の丸扇子をかざす姿は、悪乗りしているねぇ。二月の女暫の時に感じたが、福助さん ちょい三枚目的な女形もやる時にはなりきるんですね、と妙に感心。

 さて回り舞台を使って、からくりで自分をのした家老を辰次がやっつける場面。からくり人形役は亀蔵さんだったんですね。まるで、映画"ブレードランナー"に登場のレプリカント プリスの様であり、ギミックで迫力ある動きは、てっきりここだけは野田劇団の人の演技だと思いました。その後、家老の二人の息子が、敵討ちの旅に出る。おや、染五郎さん随分と顔が引き締まっているようで、演技も凛々しい。

 宿屋も回り舞台とその立体構造と垂れ幕を上手く活かしている。構造上おもしろいかもしれない。勘九郎 辰次が、宿代踏み倒しの嫌疑を受けて、自分が家老の二人息子に敵討ちを仕掛けているのだと実際とは逆の話しをする場面が、義太夫の語りの人もからみ、勘九郎の語り口調と相まって、この作品で一番歌舞伎らしいリズムのある所。もう少し、このような歌舞伎の手法を使って、リズムに変化を付けても良いのではと思う。

 さていよいよ辰次も追い込まれて、良寛和尚のいるお寺で、敵討ちと相成ります。さんざん辰次は、私は犬だ、死ぬのは嫌だ、云々と逃げをうつ。二人の息子だけではなく、それを見ている町の衆が敵討ちをしていることになるんだ、なんぞと辰次が言うので、チャップリンの"殺人狂時代"の如く、最後に本質を鋭くついたかとちと思いました。でも、おちは、生き延びたと辰次が喜び、町の衆が次の敵討ちに向かった後、あっさりばっさりと二人息子が辰次を切り捨てる。そして、弱い意気地なしの男を二年もかけて討った事に、釈然としないものを抱えつつ立ち去る。勘九郎 辰次に、枯葉が一枚はらりと落ち、オシマイ。 

 騒いで騒いで、ちょっと本質を言い当てかけ、でもシンミリと無常で終り・・・。歌舞伎座を出ると、野田ファンらしき人は、「この値段で、野田が見られるとは幸せだ。完全に野田の作品だ。」と大満足であった。しかし、私としては、確かに歌舞伎用の原作を使っているが、お客さんに見せる手法をもっと歌舞伎らしくして欲しい。野田ファンは良いが、どうも私には時間が均一に流れていたような気がする。確かにスピーディに展開しようとする場面はあるが、逆に凝縮する時間部分が無いので、均一に感じたのかもしれない。例えば、ツケで盛り上げた上での見得のシーンなんか欲しいねぇ。

 ということで、納涼 真夏の夜のひとときと割りきり、お馬鹿な時間でこの世を忘れる、なんていうのには最適か!


2001/7/22

 7/21(土)に待ちに待った歌舞伎 地方公演を相模原へ観に行く。うーむ、さすが銀座と違い、横浜線に揺られて、JR相模原駅からさらにバスで7分くらい、多少入口は閑散としているか。

★★★★★ 松竹大歌舞伎 東コース

 出し物は、「忠臣蔵 五段目、六段目」と新之助&芝雀さんの「男女(めおと)道成寺」だったのですが、これが非常におもしろかった。面白さが凝縮されており、歌舞伎座に一回行って三幕見るよりも、お薦めしたくなるぐらいです。なお、私の場所は、前より七列目ということで、良い場所でした。

 会場は舞台より遠い席が五分の一くらい空いていましたが、もったいない。

 さあ、いよいよということで、いきなり新之助 定九郎の五段目だ。幕が上がる。舞台は後方が黒い緞帳(どんちょう)なのが地方巡業らしく良いなぁ。團十郎 勘平が昔の同輩に会うシーンが終り、いよいよ私が待ちに待った場面である。お軽の父親が掛稲で雨宿りをしながら娘を売り五十両を得た事を語りながら、懐から五十両を取り出していると、稲の間からニュウッと腕が伸びる。観客がオオッとどよめく。素直な驚きの反応が観客から返される。稲の中に引き込まれ、そして刀を突き刺されたお軽の父の背後には、黒縮緬(ちりめん)の色悪 新之助 定九郎の登場だ!(以前歌舞伎座で通しで観たが、ここの掛稲に引き込まれ方、そして殺されての出て来方は、なにか以前の振りつけと違う様に感じたが真相は如何に!?) 刀の血をぬぐい、髪のほつれを直し、濡れた服を絞る、その姿を見た時に、背中にゾッという感動の電流が走りましたよ。一連の動作を行うときに、新之助は目を閉じながら行っているのですよね。クールな凄みに溢れています。五十両を懐に、花道で眼を剥く様も、相変わらず眼力すごし。

 しかし、今回新たに心に残ったのは、その後イノシシをやり過ごした後に、勘平の鉄砲を浴びのたうつシーンの虚無感の素晴らしさ。撃たれた後に、観客に顔を向け、手の平を上にして空を何度もつかもうとする。しかし、何も手に取る事はできないのだ。虚無と哀感に溢れた眼。そして唇からは白塗りの腿(もも)に、鮮血が滴り落ちる。ビトッ、ビトッと、血が白い肌の上に広がり、糸を引き垂れていく。・・・究極の悪の美しさである。定九郎は、虚空に何をつかもうとしたのか。塩治判官の家臣の息子だが、家を勘当され、その後も悪事を重ねた人生。そんな最期に、あがく理由は・・・。うーむ、新之助 主演で、定九郎の人生を描く芝居も観て見たいのぉ。そして、一度でも良いから、私も定九郎を舞台で演じてみたいなぁ。うーん、藤娘も良いですが、立役としては定九郎。もちろん、踊りのお師匠さんに、こんな願望は、めっそうもなくて口に出せないだろうが・・・(笑)

 さて、六段目に移り、團十郎さんの勘平は、誤ってお軽の父親を殺してしまったことを詰問されたときに、千崎と不破の二人の刀の鞘(さや)を掴み、申し開きを哀願する場面の語りが良かった。新之助に負けない、真っ直ぐな迫力に溢れていた。あと、浅葱色の着物を身につける際に、長刀を鏡に見立て、自分を映し髪のほつれを直すシーンは、定九郎のほつれ毛を直すシーンと呼応しているのですね。

 配役では、お軽の母親役の市川升寿さんという役者が、声は少々小さい場面もあったが、意外と上手かった。夫を殺され、娘が祗園に売られて行く切なさを、見せましたよ。お軽役の芝雀さんは、少々首の振りなど、女の動作を意識し過ぎかなぁ。お化粧等の外見と動作が少々合っていないか。

 

 次の、男女(めおと)道成寺が、初めて観たのですが、これがまた良かった良かった。ストーリーは、二人の白拍子が鐘を拝む為に舞うが、途中で白拍子の桜子(新之助)が実は狂言師の男であることがばれてしまい、それでも所化達にせがまれて二人で舞い、最後は二人で清姫の妄執に化けてしまう、というもの。

 新之助って、踊りも上手いですね。無駄な動きが無く、しかし狂言師の部分はおかしみも醸し出し、技の切れがあります。出だしの道成寺の艶やかな白拍子姿の女性舞いの部分では、芝雀さんとの対比でよくわかるのですが、高貴な表情で、最低限の動きで、玉三郎さんに少々似ているかな。狂言師の部分では、顔の表情も踊りも躍動感があるし、義経千本桜の狐の欄干歩きの様な動きもありますが、猿之助と比べても、新之助さんもイイ線いっています。クドキ以降なんかは、眼に二人の踊りが飛び込んできて、視覚的にも豪華でありました。一人での娘道成寺よりも、私はこちらの方が観客にとっては変化が大きく、二倍の刺激があり、楽しめました。

 ということで、この後この公演は埼玉から静岡に行き終わってしまうようですが、これは買いです。機会があれば、お見逃しないよう。昼と夜の部を続けて観る事を、お薦めしたいくらいです。


2001/7/15

 猿之助さんとさんの入籍話がちと話題になっているようですな。

 そんな中、7/15の昼の14時からフジテレビで「ザ・ノンフィクション 猿之助、素顔の400日 愛と反骨心」なる番組がありました。紫さんの話しが公になる前から、猿之助さんとカメラマンそしてそのアシスタントを追っていたようですね。話題なのでそっと付け足したというような、CM前の二人の静止写真しか、二人の話題はありませんでした。(それとも、放送タイミング位はずらしたのかなぁ)

 ドキュメンタリーなので、猿之助という人、そしてカメラマンと途中で挫折してしまうアシスタントというような、人間模様を横糸に組みたててありました。

 しかし私が感心したのは、あの一つの舞台を作って行くプロセス、そして運営して行くプロセスです。100人の役者陣、150人の裏方さんと、総勢250人が一つの舞台を仕上げているというのが、一部でも映像で感じ取れました。

1)猿之助が宙乗りの最後に入る四階の黒幕の小屋床の位置が低すぎることに対して、"誰が設計した""意識して設計してくれなくては困る"と、単に直せというのではなく、根本までズバッと指摘をしていたシーン

2)猿之助の顔形を取るデスマスク(ライブマスク!?)の作成に関して、"演出が変わってしまう可能性があるから、この稽古中に完成してくれなくては困る"とスケジュールを提示するシーン

3)休み時間まで芝居の話しをはずれないと猿之助の素顔を語る演出家。そして、"芝居は本業だし、趣味でもある。だから疲れもとれてしまう"と円助が語るシーン。

4)大水を使ったセットや、燃え盛る穀物倉庫での戦いセットなどを、本番中に裏方さんが大勢で動かし制御するシーン

5)秒単位で時間に追われている幕中でも、衣装写真を残す為に、カメラマンの注文に実に冷静に応える猿之助

こんな映像を諸々見ますと、舞台というのは一つの一大プロジェクトであり、ブロードウェイの基盤であるような立派な投資ビジネスであり、猿之助は非常に類稀な天才的なプレーイング・マネージャである、ということがヒシヒシと伝わってきます。今でも歌舞伎界では、團十郎さんとの競演なんかもありましたが、彼はやはり独特のポジションにいると思います。そして、彼の行っておりそして目指しているのは、""に留まらず、"総合芸術の舞台とそれを量産できる仕組み構築"ではないかと思います。

 三国志なんかを見て、彼の劇より"浪漫と志"のエネルギーをいつも得ていますが、一つの舞台作りのみならず私生活で紫さんとの関係も"浪漫と志"から成されたものでしょうか。型にはまらず、型破りであり、素晴らしいと思います。

 さて、今月の歌舞伎座に生猿之助さんを観に、行かなくては・・・行かなくては・・・。

 

2001/7/3

 以前より楽しみにしておりました、テアトル銀座へ行って参りました。玉三郎さんの公演初日観覧!

★★★★★ 坂東玉三郎 特別無踊公演 at ル・テアトル銀座

初日のせいか、始まり予告の拍子木が鳴ってもまだざわつくし、入場者が続く。シンと静まるのを待ち、満を持して幕が開く。

「雪」

 横に静々と幕が開くと、一本の蝋燭と傘の蔭に玉三郎。白い着物が、蝋燭と白熱灯色の照明に照らされ、妖しい夜の世界を作り出す。傘を持ちじっと音を聞いている玉三郎が、僅かばかり上半身を揺らせたのは、緊張のせいか、はたまた狂おしくなる前兆か。

 細かい表情や仕草まで見たかったのと、やはりこの作品は表現者と真っ直ぐに対峙して観るべきだと感じ、オペラグラスに眼を押し当てて見てしまった。本当は、お座敷に二人っきりで三メートルくらいの距離から、見てみたいのだけれども。舞台の玉三郎を観ていると、恋に狂おしくのたうつ女を、襖のすきまより覗き見る、イケナイ事をしている、でも目を放せない、という気分になりますね(少々危ないか・・・句苦笑)。

 全体の構成としては、出だしの暗闇に包まれる部分から蝋燭一本で踊る場面、そして着物の袖を噛み、浮世を断ち切りながら後ろ髪を引かれる所まで、私自身は"美に沈む"というような時間を過ごした。

 鷺娘を観た後に考えると、内に秘めた感情を表情にはまったく出していないクールさが、かえって昂ぶる心を表しているのが、後半のどこかで眉や視線だけでも良いので一瞬感情を出しそれを打ち消すと、もっと深みとおもしろさがでるかなと感じた。

「羽衣」

 すっきりとしてわかりやすい作品。前半の桃色の着物をきた天女の玉三郎は、ちょっとだけオデコのしわが目についた。この服装からするとこの天女は若そうであるが、もうすこしかわいらしい表情があっても良いか。

 このテアトル銀座のホールは、音響が抜群に良い。澄み渡る唄と、横笛の音色がストレートに飛んで来る。

「鷺娘」

 舞台はもう少し床が青味がかったほうが良し。舞い散る雪が、幻想的で撒き方が上手い。

 始まりの天から一条の光が指し一握りの粉雪がヒラヒラと舞い落ちる様は、潜水家のジャック・マイヨールを描いた映画"グランブルー"のエンディングの様。一条の光の中で、海底でイルカに会うシーン。そして、鷺娘は逆にそんな光景から始まる。

 前回も同様だが、町娘はちょっと冷静過ぎか。その次の紫の芸妓姿は、これは思わず惚れてしまうほど似合っている。そしてそして、傘の中で赤い着物に引抜で変化した瞬間からが、エンディングの畳み掛けるような美の洪水の始まりだ。紅いおべべの鷺娘が、一瞬射るような恨みの視線をする。ドキリ。そして白無垢に戻り、苦しみもがく。反り返る時にもしっかりと目を見開いている瞼の下の紅が、赤い瞳が恨みで充血した様を想像させる。表情が、苦悩と諦観と激しく交差する。地面に伏した直後、最後にもう一度目を開く。哀れみか、プライドか。そして、羽で顔を覆う。

 "鷺娘を観て、生きていて良かった" ではなく、" 鷺娘を観る為に生きているのだ"と、私は感じた。コギト・エルゴ・スム。本当はカーテンコールの時に、思いっきり"Bravo!"と大向うをかけたかったのだよ。

2001/6/25

 なんかすっかり日記ではなく、月記モードですね(笑)。でも、他のページを一所懸命更新しておりますので、お許しを。

★★★☆☆ 荒川の佐吉 at 歌舞伎座

 仁左衛門のいなせでちょと人が良いやくざ見習での登場が、うーん勘九郎さんライク。今まで仁左衛門さんというと、助六やかさねの与右衛門のような丹精でクールな役が頭にあるので、この背の高い勘九郎さんには、一瞬無理を感じてしまった。しかし、人助けの喧嘩をして"俺を好きにせい"と、道の真中に両手両足を伸ばして横たわる図は、四階の一幕見から見ても大きく迫力あり。そんな佐吉こと仁左衛門が、落ちぶれた親分から姉娘を押しつけられ、でも子供好きだとあやすさまは、微笑ましい。そして、落ちぶれた親分が博打のいかさまで差されて死んだ事を告げられ、その亡骸を引き取ることを瞬時に判断する頃から、子供を抱きながらとはいえ、徐々に表情にクールな凄みが含まれ始める。

 その子供が盲目ながらも少年になった頃、子供のできない姉娘夫婦がやくざを介して、子を取り返しに来る。そこでたまたま襲ってくるやくざを殺してしまったことから、自分に秘められたパワーに目覚める佐吉。そんな佐吉が、長剣を振り回して自分の元親分をおとしめたやくざを討つシーンは、手足が長いから映えるねぇ。"強いものが勝つんではない、勝つものが強いんだ"なんていうセリフに痺れるねぇ。思わず私の生業での最近のECの世界をふと思ったねぇ。"勝つものが強い"。当たり前のことであるが、生き方として胆に命じなければ。歌舞伎も疲れた頭をリフレッシュさせると共に、仁左衛門さんに言われると、モチベーションとして身体にすり込まれるねぇ。

 そして、懸命に育てた子を産みの親に返して、組みを継げという団十郎こと政五郎の勧めを振り切っての旅立ち。ちなみに團十郎さんは、少々無理に低い声を出し過ぎか。ちょっと不自然。佐吉の旅立ちも清々しい。でも「自分は多くの人をしきる組織の長の器では無い」なぞと言われると、またまた仕事の事が脳裏に浮かんでしまう。ここで組頭になる翻意があっても良いのでは、とストーリー的には考えてしまう。組織とお金をマネージメントするのは非常に自分の意に添わない雑務も多いし、意思決定も重責だし、そりゃ一人で放浪の旅をするのはのんきで良いが・・・とわが身を振りかえってしまいました。

 ということで、暫くぶりの歌舞伎座で、頭が仕事モードと佐吉をいったりきたりではありましたが、仁左衛門さんの新たな一面を見て清々しく帰途につきました。

 

 別件ですが、6/25の日経夕刊の人間発見に吉右衛門さんが載っているのですが、今年四月に初めて千本桜で、知盛、忠信、権太をやったとのことですが、「こうした役は若いうちにやっておくべきだと痛感しました。どんどんやって自分の中に、手に入ってしまえば、年で身体的な制限が出てきてもいろいろ補いながら見せる事ができるんですね。忠信なんかは動きが激しいので初役で演じるのは20代が理想ですね。」との言葉あり。うーむ、ECの世界でも、若いうちに経営の一角をにない、経営感覚を身につけるべきなんだろうなぁ。と、またまた歌舞伎からビジネスでのあり方を考えさせられました。


2001/5/15

★★★★★ 新之助 源氏物語 at 歌舞伎座

 幕切れで、新之助源氏が明石の方との間だの娘を抱きながら雪の上を歩き去り、福助明石の君が雪の中に悲しみに崩れさるシーンが、究極の美しさでありました。粉雪が後から後から舞い落ちる中、廻り舞台が少しずつ反転しながら遠ざかっていく演出は、このシーンを効果的に描写します。(ここは演舞場忠臣蔵でも見られたテクニック。最近になって2回続けて見たが、昔からあるのかしらん?)いやあ、このシーンは、この源氏物語の中で語られていた、男と女、母と娘、父と娘、そして男と女と女(不倫)等の全ての人間関係の不可解さと面白さそしてあじわい深さが、一挙に凝縮されていたのであります。映像で言うとカメラがゆっくりと引きながら、まるで映画の"アラビアのロレンス"で荒涼とした砂漠を表す圧倒的なカメラワークの如く、舞台は究極の美を映し出すのです。私の記憶だと、玉三郎の鷺娘の終わりにも勝るとも劣らない美しさです。新之助又は福助ファン以外も、この三幕は必見であります。ここのシーンだけで、星1.5個分に値します。

 さて時計を戻しましょう。時間が偶然できて10:30に歌舞伎座に到着したものの、その周囲を取り巻く熱気に私は思わず後ずさりしたのでした。熱気というよりは殺気か。当日券売場に並んだものの、5人ほど手前で当日券は終わり。Oh、god!すかさず得意の幕見席に移るが、列は長い。あれは既に次の幕の列だったらしく、立ち見で良いならば四階へ行けと告げられる。とことこと上がり昼の部の件を無事買う。既に椅子はなく上手側の前の通路に腰掛ける。階段であるが、狭い席よりは脚を伸ばせて、実は快適かもしれないと感じる。良かった、階段であるが一幕見席の一番前に座れる。

 内容は、一言で言うと、美しくパワフルに"陰陽師"、又は劇画を見ているようでありました。東儀さんの音楽も、決めの男と女のシーンでは、北野武の"あの夏、一番静かな海"の久石譲の様な叙情的な音楽でありました。聞こえるか聞こえないかというような少音量にすると、スピーカーでも違和感ありませんね。見得らしきものは、光源氏と紫の上が踊る"春鶯でん"の中の雅楽系舞における膝を曲げる決めのポーズだけ。大向うをかける人も、間の取り方に苦労していました。舞台も暗転を頻繁にし、セットとシーンを変えてスピーディですし、言葉もこなれた日本語です。これは、スーパー歌舞伎以上に 歌舞伎ではなく、一つの叙情的な絵巻物の世界構築だと思いました。"愛しい""あなたをきっと迎えに来る"という言葉が新之助から幾度もほとばしり出ると、女性は自己暗示にかかっていくのでしょうか。それは観客も同じかな。

 さて、一幕見席 上手階段の私の横に座っていた素敵な女性二人組みが楽しそうに歌舞伎のお喋りをしており、「オペラグラスを持って来れば良かった」というのが耳に入ったので、舞台中に何度かそっと貸してあげました。なかなか華のある人達でしたので私も会話をしてみたかったのですが、ちょっと恥らってしまい声をかけられませんでした。なかなか、光の君の様にはいかないもので(苦笑)。

 定九郎も凄みがありすばらしいが、このクールで一途な光源氏も、確かに舞台後半に新之助の顔を見ると、やつれたほつれ毛も哀愁をおび、かっこ良いですね。母性本能を確実にくすぐるでしょう。そして、一幕見席でも良いですから第三幕をお見逃し無く。目を閉じるとまだあの美しいシーンが瞼に浮かぶのでした。


2001/4/19

 疾風怒涛の怒りとストレスを抱えて、いざ歌舞伎座!

 ★★★★☆ "鷺娘" by 福助

 階段を上がり四階の席に腰を落とす。"鷺娘"と聞くと、どうしても玉三郎さんの舞台が脳裏をよぎる。あの完璧なる妖艶な鷺娘を。しかし、福助さんは福助さん。新たな気持ちで観なければと自らを戒める。

 幕が上がる。舞台は、玉三郎さんのウォーターワールドの様な青ではなく、明るく始まる。しかし、さわさわと粉雪ならぬ紙ふぶきが間断無く舞い落ちる。なかなか良いぞ。白無垢の鷺娘が現れる。うーむ、福助さんの鷺娘は少々きびきびし過ぎか。メリハリが効き過ぎて、思い出に耽っている雰囲気が無い。

 町娘姿になってからは、活き活きとする。首の振り方が素敵だ。福助さんの首は長いし、しなるぞ。さわやかな仄かな色気もある。

 しばらく踊りを堪能していると、いよいよ怒涛の最終章へ。その前に傘の間から、真紅のキモノ姿に。現世を表す明るい照明から、徐々に薄暗くなり、紅色が目に妖しく映る。うーん、だんだん私の心も没入してきた。そして、引き抜きでまた白無垢姿へ。膝でまわると、紙ふぶきが舞いあがる。そして最後は白い羽を広げて終わる。紙ふぶきがひらひら、ひらひらとたくさん舞い落ちる姿が、一瞬気が遠くなるほど美しい。幻惑される。

 ということで、ストレスはすっかり解放された。アドレナリンが身体中を駆け巡り、頭に血が昇っているところに、歌舞伎座で美の世界にいきなり入るのは、サウナで冷水に飛び込むが如く、脳髄に効きますね。このジェットコースターの様な落差による快感は、止みつきになるかも。

 しかし玉三郎さんの鷺娘との違いは、一言で言うと、"ノリウツッテイル"かどうかだ。福助さんはきびきびあっさりしており、人間が鷺娘を踊っている。玉三郎さんは、鷺が乗移り憑かれたように踊る。とは言え、この福助さんの鷺娘、もう2度位観ねばなるまい。こんなに美しいものは、眼と心に焼き付けねば・・・。

 


2001/4/8 

 久々に堪能しました、猿之助ワールド。

★★★★☆ 新・三国志U

まず手始めに、

「夢は 信ずれば いつかきっと 実現できる」 (これを口の中でゆっくりと3回復唱してください)

 うーむ、もはや歌舞伎とか演劇とかいう基準を超えた猿之助ワールドでありました。思わず途中、本当に感涙にむせてしまいましたぜぃ。今日は一人で行って良かった。それでも涙をこらえていたのですがねぇ。私は、""とか""とか"浪漫"とか、こういう言葉に弱いのでした。これでもかこれでもかと、私の急所を押されてしまった。歌舞伎を観ながら涙を流したのは、始めてかもしれません。

 いやあ、しかし猿之助さんは、Asianスタンダードな芝居をスーパー歌舞伎では目指しているのかもしれませんねぇ。ストーリーも中国の史実をアレンジしておりますし、なんといっても度肝を抜くのは、一幕目から炸裂する京劇俳優人のアクロバティックな動きであります。同じ場所でバック転でクルクルと回り続ける技術と、槍を自由自在に操るさまは、日本の歌舞伎の三階さんももっともっと精進をしなければいけないと感じさせます。日本のプロ野球と大リーグぐらい、いやもっと日本選手権とオリンピックくらいにレベルが違うのです。あの京劇のパフォーマンスを見てしまうと、スピード感が3倍くらい速く感じますよ。

 そして、なんと言っても、明確なストーリーとスピーディな展開です。「孟獲を七度捕らえて七度放つ」「空城の計」「上方谷の火の闘い」「五丈原天昇」そして、「泣いて馬しょくの首を斬る」等々、間断無く印象的な物語が続きます。

 天水城での大瀧の闘いの時の亀治郎扮する安仁改め関平の、

 「私はみなしごだけれども 夢を母に 志を父に 育ってきた・・・」

 という花道の上で、水を全身から滴らせながらのセリフ回しもパワフルで悲痛で良かったです。右近さんも得意の凛々しい役だし、笑也もかわいらしい役柄で、大満足。

 あとは、スピーカーから流れる音楽の扱いが、少々ぶつぶつ切れて聞こえるので、その処理の改善と、大向うを上手く取り込める工夫が改善点か。とにかく、猿之助ワールドは感涙ものです。いやあ、凄い!

 


2001/4/2

 少々前のネタですが、3月の土曜日に歌舞伎座の忠臣蔵八段目、九段目に行って参りました。

★★★★☆ 「仮名手本忠臣蔵 八段目、九段目」

 演舞場に続き、演舞場では上演されない由良之助と加古川本蔵の子供達の物語、忠臣蔵の八段目、九段目を歌舞伎座の一幕見席で観ました。ここでは、本蔵の後妻である玉三郎が娘の勘太郎と旅に出かける八段目と、由良之助家での九段目にわかれますが、圧倒的に九段目の見応えがありました。許婚(いいなずけ)にこだわり、娘の想いを遂げさせたい真紅の着物の玉三郎の凄みが度肝を抜かれます。勘九郎演じる由良之助の妻に、武士のプライドからつれなくされ娘をばっさりと切ろうとする際の迫真せまる母心は、鬼気迫り、観るものの目を見開かせます。いやあ、玉三郎さん、すばらしい演技でした。きれいな役のみならず、複雑な母親役も、玉三郎さん、板についてきましたね。仁左衛門さんの虚無僧姿の本蔵も、単なる二枚目ではなく、多少世を達観した味わいが、なかなか良かったです。本蔵が由良之助の息子に討ち取られ、腹を押さえながらの最期のシーンも、仁左衛門という単なるハンサムな役では無いところが、新たな発見でしょうか。

 ということで、演舞場と歌舞伎座で忠臣蔵を見終えました。生粋の日本人の仲間入りができた、というところでしょうか。


2001/3/25

 通し狂言 忠臣蔵を、先日20日の一日通しで見る観賞日に行って参りました。

★★★★★ 「忠臣蔵300年 通し狂言 仮名手本忠臣蔵

 通しで観るのは初めてですが、歌舞伎にしては驚くほど筋がわかりやすく合理的な事と、舞台が太平記の鎌倉ということもあり、大いに大いに楽しめました。しかし、通常の昼の部と夜の部の合間にも、山川静夫アナウンサーの歌舞伎解説が入るので、マラソン歌舞伎 体力的に集中力を保つのは辛かったッス。

 大序・三段目:今も健在の鎌倉 鶴岡八幡宮の大銀杏横が舞台。左団次と辰之助の眉対決、この二人のアクの強さが良いのお。浄瑠璃の太三味線と左団次との挨拶で見せる人間模様。やはストーリーがあるものは細部まで読もうとするので楽しい。しかし最初から飛ばして集中すると後が続かないかも。

 四段目:切腹シーンは、少々長いか。丁寧に丁寧に判官の亡骸に羽織袴をかける由良之助が印象的。そして、最後に由良之助が、一人門を振り返るシーンで 周り舞台と共に館が少しずつ遠ざかっていく。この周り舞台の使い方は新鮮。花道のスッポンに立つ由良之助に対して、実際に館が角度を変えながら斜めに見えるのですよ。最近話題のガラス張りの建築物であるsmt(仙台メディアテーク)をなぜか思い出してしまいました。

 道行:菊之助と新之助が、お互いに間を計っている。菊之助は上下動少ない。もっとメリハリを。

 五段目・六段目: 新之助の定九郎★★★★★。テレビの仲蔵狂乱の通り。あの新之助眼をぎょろりと剥き出しの眼力はすざましい。そして、かわいいいのししが飛び込んでくるのはご愛嬌。いのししを避けた後に鉄砲で撃たれて、白い腿にかかる口からデロリと流れる紅い血。凄みの有る美しさ。今回は少々血が水っぽかった気もする。腿に懸かった血がもう少しくっきりと赤い筋を一本一本描いた方が美しいかも。歌舞伎座で一幕見があれば、なんどでもこの段のみ通うのだがなぁ・・・(溜息)。

 七段目:菊之助演じる祗園のおかる、声良し。顔は母親似。女形の声質としては当代一だと思う。通る美しい声質に驚き。玉三郎もきれいだが、より若い女性的な声。

 十一段目:お決まりの討ち入り。やはりここに至るまでのドラマの方がおもしろい。歌舞伎にしては、リアルなチャンバラか。最後の両国橋の馬にまたがる新之助が清々しい。

 うーむ、全体を通してですが、まさに官能と浪漫。由良之助にはリーダーシップを感じました。詳しくは5/21付の私のメルマガ参照。ちなみにオペラだと、銃で撃たれるシーンはあるが、赤い鮮血が流れ出るようなシーンって無いような気がするが。日本人って、血が好きなのね。いや、私も歌舞伎では好きだということが良くわかりましたが(笑)。

 昼夜の合間の山川静夫&こぶ平トーク


 

2001/2/18

 踊りのお師匠さんに誘われまして、すっかり練習ご無沙汰の私も、他のお弟子さんに混ぜていただき、歌舞伎座 夜の公演に行って参りました。数ヶ月ぶりの歌舞伎座一階ですが、万年四回一幕見席の私にとって、一階三扉から足を踏み入れた瞬間に、「オオッ」っと、普段テレビでしか海を見ていない人が、初めて岬の先端に立ち波しぶきを肌で感じた時の様な感動を覚えました。(ちょっと、大袈裟か・・・笑。)やはり、一階からの緞帳の大きさや花道の近さ、そしてキモノを着て歩く多くの女性達は、迫力万点であります。いくらTVゲーム趨勢の世代でも、本物のライブは力があります。

 さて、前回の二月大歌舞伎レポートは、一幕見席より、後半のめ組の喧嘩と越後獅子をお送りしたので、今回は前半を中心に。

 ★★★★☆ 二月大歌舞伎(特に"女暫")

 うーむ、二月大歌舞伎の夜の部は、この"女暫"が一番良いと感じました。(ごめんなさい、三津五郎さん)

"暫"の持つ様式美と、"ご祝儀物"らしいからっとした明るさが溶け合い独特の世界を形作っておりました。最初に勢ぞろいする段上に居並ぶ派手な隈取のやからの中でも、赤い奴姿の五人衆が良い。特に坂東弥十郎が良い。阿古屋の操り人形もどきの時にも思ったが大柄な身体と明確な動き、くっきりとした口跡が芝居を引き締める。

 そして玉三郎。言葉と表情だけで演技を完結させる。「暫く、暫く・・・」の時の表情が冷たく凄みがあるのだ。孤高の王女の顔だ。よどみの無い言葉の流れも、凛とした演技を形作る。対する福助のなよなよとしたいかにも女との対比が、さらに女の幅広さを際だたせる。玉三郎の新しい一面を見た。

 最後の花道での吉右衛門との軽妙なやりとりも見応えあり。ほっとしおらしい女に変身し、また"暫"の飛び六法に挑戦していく対比。玉三郎かわいい!!

 なお、いかがわしい僧の雲斎を演じる辰之助も演技が大きく、今までで一番。

 女性が活躍する時代にふさわしい、楽しめる一作品。いやあ、おもしろかった、満足満足!


2001/2/13

 玉三郎さんが横浜21世紀座の芸術監督を辞められましたね。私も観に行って騒音のひどさについては記したが、でも辞めてしまうとね、元横浜市民としては淋しいです。ワールドカップに来る世界中のお客様に、日本の伝統文化の良さを知ってもらおう、というコンセプトは良いのだから、横浜能楽堂なぞを有効利用する等の策を練って欲しかったです。うーむ、これを教訓に、玉三郎さんにはこれからも色々と意欲的にチャレンジして欲しいのお。

★★★☆☆ 二月大歌舞伎

 祝日も仕事だったが、夜の後半"め組の喧嘩"に、15分遅れの一幕見に飛び込む。眼鏡を新調したので、いつもの0.4ではなく視力0.8で四階席より臨みます。

 まずは相撲取り vs 火消衆という威勢の良い"め組"は、相撲取り 四つ車大八の富十郎さんが上手いねえ。以前の"双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)でも、正義感溢れる放駒長吉を小さい身体に肉襦袢で奮闘していたが、こんかいも力士衆の親分をかわいらしさもある憎めぬ演技で奮闘しておりました。三津五郎演じるめ組辰五郎の女房役時蔵さんも、勝負をつけるのを冷静に渋る夫を、じわじわと仕返しに持っていくあたりは、そのいやらしさが好演でした。火消し衆"め組"のキモノも、大勢の衆が着ると、紺地にシンプルな縦横の格子状の模様も引締って良かったです。うーむ、ちょっとがっかりだったのは、ストーリーのあまりのたわい無さかなぁ。途中に加え、最後も菊五郎さんが出てきて、「この喧嘩俺に預けてくれぃ」で終わりですものね。そういうカラリとした演目だということで、一先ず了解。

 "越後獅子"は、坂東の持ち芸なのでしょうが、踊りのカッコやコンセプトは正直私はそれほど好きではありません。ちょっと中途半端に映るのです。しかし、三津五郎さんの踊り自身は、やわらかみ初々しい仄かな色気が漂い、さすがに上手いですな。観ていて思ったのだけれど、身体を動かす時に、各パーツの動きを細かい部分ほどスローに動かす、という事がやわらかみを生んでいるのかもしれませんね。例えば、身体をひねる時に、まず腰をグィっと動かし、そして少し遅れて腹をひねり、胸をひねり、最後に肩と腕をゆったりと連動させていく。こういう細かいテクニックの積み重ねが、素晴らしい踊りを作っているのでしょう。

 ううむ、三津五郎と勘九郎の素踊りでの"三社祭"か"棒縛り"をみたいのぉ。そうだ、今度玉さんの"女暫"も観なくては・・・。

2001/1/22

 仕事をはやく切り上げることができたので、一目散に逃げるように(笑)歌舞伎座 一幕見席へ。コンタクトもオペラグラスも準備してこなかったので、視力は両目で0.5位。これで四階からは、辛いぜよ。贅沢も言っていられないので、四階へ駆けあがり、曽我の対面に7分ほど遅れで飛び込む。

 おお意外や、一幕見席に席は空いているぞ。一等〜三等の席の料金が高い事が敷居を高くしているのだろうかと、ちと心配にはなったが、疲れた身体には空き席はラッキーと、手摺のある一幕見席の一番前の席に身体を滑り込ませる。

 "寿曽我対面"は、これは超豪華な布陣ではないか。貫禄ある祐経の團十郎に、女形陣が、芝かんさん・芝雀さん、そして雀右衛門さん。いならぶ家来に、新之助菊之助辰之助。曽我十郎が菊五郎さんで、五郎が三津五郎さん。眼が悪いので、一生懸命声で判断しておりましたが、豪華過ぎて・・・オペラグラス欲しい・・・。三津五郎さんは、熱演のし過ぎか、声が少々ガラッとしている部分があるように感じました。あと、迫力ある流れが、一瞬途切れる部分が三箇所くらいあったのも残念です。大向うは気持ち良くあちこちからかかっていました。新春に相応しい。まあ、いでたち隈取からして、歌舞伎におけるウルトラマンという演目でしょうか。

 "団子売"は絶品でした。三津五郎勘九郎というコンビは、"切れのある軽妙洒脱さ"では当代一ですな。団子を臼と杵で作るところから、夫婦で売るところまで、息がピタリと会い、実に楽しそうな演技です。特にオカメ等のお面をつけてからの切れは、スザマシイものがあります。それを何気なくすることろも凄い。指の端まで神経が行き届いていて、手を横にスウッと動かす際も、スピードを急−緩−急−止と微妙に変えることにより、よりスピード感を出しているように感じる。この二人のコンビでの、素踊りの"三社祭"なんかもまた見たいなあ。

 ということで、団子売だけでも必見です。粋な感じで幸せな気分で、歌舞伎座を出て、銀座に行けますよ。


2001/1/1

 年越しは会社で迎え、夜通し動いている混んでいる横須賀線と江ノ電に揺られ帰宅し、由比ガ浜で初日の出を拝み、長谷寺に初詣した。そして午後は、先日骨董屋の喜達さんで買ったリサイクルの着流しのキモノを着て、楽しみにしていた21世紀座 玉三郎公演へ。ああ、エキサイティング!

 ★★☆☆☆ 21世紀座 1/1 坂東玉三郎・21世紀歌舞伎組公演

 うーん、期待があまりにも大きかったせいか、結論としては少々残念な結果でありました。

 残念1:小屋の環境

 確かに建物等のハード投資先行の日本の文化行政の中で、まずソフトありきということで内容優先してプロジェクトを進めたということは評価できますが、周囲の車の通る音が間断無く聞こえるということは、不幸であります。特に今回の舞踊公演の様に、ストーリー性が高い踊りではなく、""の様に座敷舞の本当に微妙なところを読み取るような繊細な演目の場合は、それをさらに感じてしまいます。場所は、横浜としては良いのだから、せめて計画段階で配慮するか、または防音機構を改善することを望みます。あと、小屋のセンスも、劇場名やのぼりの旗がピンク色をしているのは、うーん子供っぽいか。例えば新たに小屋を一からつくると大変でしょうが、既存の施設を再利用するというようなやり方もあるのではと思います。

 残念2:楊貴妃

 トリの演目の"楊貴妃"であるが、やはり和ものをやって欲しかったですね。玉三郎の綺麗さは出るのだが、観るほうの問題かもしれないが、深みが足りないような気もする。そこで理由を考えていみた。

1)中華風の音楽はずうっと同じテンポで続くので、日本舞踊や歌舞伎の音楽の様に緩急+停止というメリハリがあった方が締まりがあり心地よい。

2)後半楊貴妃として腕をヒラヒラさせて表現するシーンが長く続いたし、中華風の衣装も手の先にも長い布がついているのだが、どうも単調に感じる面もあり。指での演技が無いので、いつもの感動がなかったのだろうか。

3)白一色の衣装が変化に乏しい。家に帰るとNHK教育で"鷺娘"をやっていましたが、白・赤・紫などの色の変化も視覚的美につながると思う。

 ちなみに真中の演目の"連獅子"は、素晴らしかったです。能舞台の四角い舞台がエネルギーの凝縮を導いていましたし、右近さんの大きな演技、弘太郎さんの若若しい躍動感あり演技、いずれもすばらしかったです。猿弥さんも、相変わらずお惚けぶりが上手い。正月らしいお目出たい気分を満喫できましたし、子供を厳しくしつける様は日本の甘い教育問題に対する警告にも見えました(大袈裟!?)。

 "雪"に関しては、まだまだ私の理解の域では、動きの極端に少ない上方舞・座敷舞の世界は十分わかったとは言えません。お茶屋さんあたりで至近距離から見ると、感じ方が変わるのでしょう。しかし、最初に真っ暗で蝋燭一本ともる中から、白無垢の玉三郎さんが現れた瞬間の美しさは、この世のものとは思えないほど衝撃的に美しかったのでした。

 ということで辛らつな表現にもなりましたが、キモノの女性も多く、勢いのある連獅子にパワーを授けられましたし、玉三郎さんの演技も拝めましたし、それなりには楽しめました。

  

 

(上の2枚は、きちんと演目終了後のカーテンコール時の写真です。念の為・・・)

2000/12/26

 まだまだ運がついているか、今年の歌舞伎座の千秋楽に、仕事の打合せがはやく終わったので、最後の"蘭蝶"に10分遅れで飛び込む。いきなり行ったので、オペラグラスも無く、両眼で0.4位の視力にて四階の一幕見席から眺める。遠い。イメージ処理を脳内で行うが、表情なんかは全く見えず。

 宗十郎さんと芝雀さんの物語。ピンク色の芝雀さんに、大向うがどんどんかかる。ぼやっとしているが、普段玉三郎さんにばかり目が行く私にとって、京屋さん系をしっかりと見るのは初めて。身体が柔らかく"しな"をつくる様に、相手役の男性に対して動く。要するに首の傾きと腕の動きなど、同時に二つ以上の動きが柔らかく行なわれているということで、上手くつたわるであろうか。これは、男から見ると可愛い女の人の演技としてはすばらしいと思う。しばらく、玉三郎の高貴・幽玄・クールでも切ない哀しさも時には感じさせる演技ばかり見てきたので、新鮮。普段の仕事を離れホッと一息つき、女性と楽しい一時を過ごすのならば、この芝雀さんの演じる此糸さんのように、お酒を女らしく可愛くついでもらうのも良いですね。同じ芸者でも、玉三郎演じる八つ橋は、つれない奴だと嫌うか、相手にのめり込んでしまうかで、ひとときの息抜きは難しいかもしれない・・・なぞと、玉三郎さんと芝雀さんを比較し、自分が御茶屋遊びをした時のことを考えてしまいました。まあ、これも叶わぬ夢だろうが(笑)。

 千秋楽のせいか、12月は毎日やっていたかは定かではないが、最後の挨拶で宗十郎さんが、八十助さんに襲名予行演習という名目で挨拶をさせていたのは微笑ましかったです。しかし、八十助さんの台詞回しは、立て板に水の如く、メリハリが効き上手いものですな。思わず「大和屋!」と声をかけてしまいました。まあ、これもストレス解消に楽し。

 というわけで、師走の一時の夢の様な異次元でありました。

2000/10/23

 今日は、仕事の合間を縫い、やっと10月歌舞伎座 芸術際へ。"骨寄せの岩藤"の大詰を観て参りました。

 猿之助さんの小気味良いテンポとノリが、スカッと爽快。今回の舞台は、いつにも増して口跡が良いような気がしました。くっきりと四階まで語りが伝わってきました。いつもながら、猿之助さんが悪婆の岩藤役で、美しい尾上役の玉三郎を、いたぶる様にいじめる所がうまいですねぇ。普通ならば、笑也さんがいじめられるのだろうが、今回は玉三郎。赤と白を着物と打掛で鮮やかに作り出す気品ある玉三郎。猿之助の、ねちねちとした声質と語り口調が上手いのですよね。独特で好きです。玉三郎、ついによよっと泣き崩れる。

 岩藤の霊が出てきて、舞台が暗転してからの場面では、せっかく舞台装置そのものを金色の屏風や襖から、すすけたものにしているのに、意外とあっさり終わってしまったのは残念。猿之助ファンとしては、巨大ながま蛙蜘蛛が出てくる事を、身体が自然に期待してしまう(笑)。

 その後、仁木弾正ならぬ望月弾正の捕り物帖の場面では、急・緩・急というリズムにより、最後の実際に剣を合わせ、梯子を使ったシーンが、よりスピーディに見える。見得の場面での、猿之助さんの口からもれる「ぬうぅっ・・・」という気合の声が、こちらまで拳に力が入ってしまう。役者の中で、ここまで声を立てながら、見得を行う人もいないだろう。ここまで肉体に力を入れるから、瞬時にストップモーションで、劇場の空気を自分に引き寄せることができるのだろう。

 ということで、大詰めは一時間のみの為、もっと見たいというフラストレーションも残しつつ、猿之助一家の南春夫の如くのお客様への挨拶にて、今月の観劇はおしまい。

 毎月 観たいみたいと思いながら、月末近くにやっと時間がとれ、いそいそと会社帰りに出かけ、観てしまうとその演目をもう一度観たくなるという悪循環ですね。次回からきちんと月初から行こうと誓う。しかし、来月は、国立で幸四郎&染五郎の"桜姫東文章"のみならず、浅草で勘九郎&橋之助の"法界坊"と、おもしろそうな演目が目白押し。どうしようかいなぁ・・・(悩)。

 

2000/9/25

 一週間に二回 歌舞伎座一幕見席へ「魚屋宗五郎」を観に行く。圧巻なのは、やはり自由奔放な勘九郎さんの演技でしょう。なんと言っても林家三平師匠を彷彿とさせる酔っ払いの演技と、藤山寛美の松竹新喜劇を思い出させる皆でのワイガヤ。劇の出だしは、杉良太郎もどきのきりっとした二枚目で出てくるのですがね。四階からオペラグラスで勘九郎さんの表情を追うのですが、徐々に酔っ払い気持ちが大きく陽気さも混ざってくるシーン、妹を手討ちにされた悲しみのなかでの過去を懐かしむ高笑い、そしてカラッとしているが哀切をどこか帯びた酔っ払いの小唄。どれも魅入ってしまう表情の作り方で、こちらに感情が伝わってくる。うーん、この洒脱さと、適度な笑いを誘い、そしてどこか悲しみと狂気を含んだ演技は、当代では誰も真似できない境地ですね。

 決して派手ではなく、どちらかというと地味な小品ではありますが、勘九郎Worldのおかげで、時間を忘れて楽しませてもらいました。

 ところで、宗五郎の女房役の福助さんであるが、私が観ている中では初の汚れ役というか老け役というか、要するに美しいお姫さまでは無かった。そして驚いたのは、声の出し方である。少々鼻にかかっただみ声の様な声で、お歯黒で顔色も黒ずんでおり、でも気丈な女房役を熱演しておりました。


2000/9/8

 週刊朝日で、松本幸四郎さんが林真理子と対談しているのを立読みした後、家に帰ってまたまた'たけしの誰でもピカソ'で幸四郎さんを見る。

いやあ、人として親として仕事人としてカッコ良すぎますね。

 夢の仲蔵を日生劇場で演じていますが、私は知りませんでしたが仲蔵さんとは江戸時代の歌舞伎役者の様ですね。それ故劇中劇のようであり、テレビで一部を見ても矢の根などの一番おいしい部分が盛り込まれている。團十郎との確執も、華を添えているとのこと。

 彼の「演劇としての歌舞伎」をやりたいという言葉は、一面で正しそう。確かにブラウン管に映し出されるシェークスピア四大悲劇の場面、特にオテロや、ラ・マンチャの男などでの演技は、「カリスマ」という言葉を使って説明していたが、エネルギーと汗がほとばしり、声を振り絞る場面が続く。対して、歌舞伎は様式美が全面に出すぎていると、感じているようだ。ストーリーを理解させ、その筋に観客を没入させ、そして間断無く緊張感を維持し、美以外のメッセージを心の中に残すような、"演劇"という面があるのもすばらしい事。若い人には、そちらの方が良いだろう。そういう意味で、こだわって欲しいアプローチである。

 でも、映像で見せられると、彼の静と動の両方とも演じ分けられるというのは、まさしくプロ中のプロですね。今までカッコ良すぎて敬遠していた面はありますが、松本幸四郎 さすがの役者です。おそれいりました。

 TV中の彼の宙をさす時に、ピンと人差し指が伸びていたのは美しかったですし、少々小声でたんたんと話しながら、観客の注意を呼び込む語り口はさすが。

 仕事人のカッコ良さという意味では、彼を目指したいですね。誰か「あなたも幸四郎に似ている」なぞと言ってくれないかしらん(笑)。今度機会を作って彼の舞台に行ってみよう。

2000/8/18

 今週は2回 歌舞伎座へ四谷怪談 一幕見席へGO!

 いやあ、一幕見席の四階席も込んでいました。立ち見でびっしりでした。特徴的なのが、茶髪やストリート系のような若い男女も多い事。歌舞伎座に茶髪を複数名見るなんて、初めての経験。コクーン歌舞伎の観客を引き連れているのか? いつもとは違う若い客層が入る事は、喜ばしい事ではあるのだろう。四階の見世物小屋の雰囲気が漂う所に、薄闇の中、ヤマンバどもが徘徊するのも、こりゃ一興か!

 勘九郎さんや八十助さんに福助さんもよいけれども、なんと言っても橋の助さんの伊右衛門が極めつけでしょう。色悪の持つ、妖しい魅力。いつぞや誰かの解説で、伊右衛門は実は心底の悪ではなく、伊藤家に引き込まれていったに過ぎないという内容を読んだことがある。しかし、きちんと伊右衛門は悪になりきり、お岩の亡霊とも正面から対峙し続ける。こいつは、心底 悪党なのですよ。そして、まっすぐな悪だからこそ、滅んで行く美学がある。

 伊藤家の娘との祝言の前に、お岩に質草を出すようせびるシーンなんざ、刀をお岩の胸倉に突っ込み、ぐいぐい圧力をかけたかと思うと、次の瞬間 バタンと刀で床を叩き、いじめる憎々しい動作。お岩の子の美しいべべを取り上げ、くるりくるりと廻しながら、お岩の手から奪ういやらしい仕草。 橋の助の浮世絵の中から浮き出てきたような歌舞伎役者顔が、引き立つ一瞬。

 コンビニエントな恋の時代に、これでもかとおどろおどろしい怨念というものの味わい深さを、こってりと表現していると思う。でも、現代人の私としては、ここまでの色恋沙汰にはまるのは現実的に無理でしょうが。しかし、こういう深みのある人間関係の世界もあこがれますね。茶髪の世代は、この作品をどう見たのですかね・・・(謎)

 あと残り上演は一週間であるが、橋の助を必見!おもわず、ニヒルに目元涼しく、肩が少々上がりますぜぃ。

 


2000/7/25

 いやあ、本当に久しぶりに会社帰りに歌舞伎座に行って参りました。めくるめく、非日常の気持ち良い世界に、時を費やしたのでありました。

 猿之助の連続30年、猿之助130年記念ということで、夜は宇和島騒動でございました。この日の失敗は、オペラグラスを持っていかなかったことです。一幕見席では、貸してはもらえません。ちなみに私の目は、裸眼で0.05、眼鏡をかけても両目で0.8程度と言う視力であり、さすがに四階席からは顔は見えなかったので、声で役者を判断しておりました。

 顔や仕草の詳細は見えませんが、声と身体から発するエネルギーは、悪者 源五郎役の右近が際立っていました。いつもの誠実な右近さんではなく、声にドスといやらしさの効いた迫力ある右近。花道の気風の良い見得なんざあ、思わず私も真似をしたくなるような爽快さでありました。

 爽快さと言えば、養老の滝での、本物の水を使った大滝での立ち回りも、凄いぞ。この日はサミットの後のせいか、三階席にやたらに外人の一行が多かったが、彼らのHARAKIRIにより赤い血が滝にとうとうと流れ出ずるシーンは、どう映ったのであろうか。最初は拍手もなく唖然とした様子であった彼らも、しまいには拍手喝采でありました。スプラッターと当初は映ったかも。でも、そんな毒々しさを吹き払うような、凄絶爽快な猿之助の演技でありました。

 いよいよ明日は千秋楽となってしまいますが、これはお勧めですよ。暑い夏の一服の清涼剤として、あなたにお薦めします!!


2000/4/20

 歌舞伎ネタを幾つか。

1. 猿之助さん、祝宙乗り5000回!!!

私が歌舞伎を20代後半で見始めたのは、猿之助さんの歌舞伎のスペクタクルに魅せられたからです。その大胆に傾く(かぶく)様子の裏には、彼の千歳で真摯なロマンチシズムが隠されています。でも、ストレートに観客を楽しませ、黄門様の印籠の様な宙乗りの存在意義は、相変わらず衰えていないと思います。彼の宙の舞い方そのものが、悦に入った演技になっているのが素晴らしいですよね。

2.今日のNHK「トップランナー」は、ゲストが尾上菊之助であった。私は彼について詳しくない。画面でのぱっと見は、風見慎吾(ちょっと古いか!?)やリスに似ているかなっというもの。最初は照れているのか、へらへらしていたが、歌舞伎の話しが進むと徐々に真剣な眼差しに変身していったので、少々安心。

 興味深かったのは、父親についての話しを敬語で語っていた事。菊之助曰く、おじいさんの梅光にも、お父さんの菊五郎にも、踊りを教わっていたそうであるが、親子の間でも、師匠と弟子の関係が貫かれ、また芸に対する尊敬の念をきちんと持っている事に、古き良き"(しつけ)"を見た気がする。日本って子供に対して甘いですよね。欧州の方が、父親は尊厳を保っているし、マナーなんかの躾にうるさいような気がします。日本も教育改革と銘打って学校で教える内容ですら簡易にして、ゆとりゆとりと騒いでいるけれども、教師も親も厳しくできない国は、ボディーブローが効いていく様に国力を落としていくと思います。話しを元に戻すと、金毘羅歌舞伎の様子で、菊五郎が菊之助のおかるに、戸の閉め方を丁寧に稽古をつけている映像も貴重でした。かなり、細かい動きまで丁寧に丁寧に、伝えて行くものですね。

 菊之助の弁天小僧、なかなか艶と華がありました。女と男の世界を移り変わる弁天小僧の役、なかなか妖しさを出していて素敵でした。

3.今日の日経新聞夕刊の「ほっとトーク」に、市川新之助が出ている。五月の歌舞伎で光源氏を演じるそう。京都御所に実際に赴き、「あの場所に生きたであろう人を体感しないとダメだと思った」と、役の性根をわしづかみにしようと試みているとのこと。若くギラギラとして鋭い新之助が、貴族のたおやかさや余裕にどこまで迫れるか、どう表現するのか、楽しみである。

 以上、3つの話題をはじめとして、春も歌舞伎界には、伝統の上にポジティブな変化が起こりつづけていて、素晴らしい。

 


2000/3/19

 新之助玉三郎の「海神別荘」を観に行く。総合評価:★★★☆☆。

 人間界のメタファーである玉三郎演じる美女と、人間界のアンチテーゼであり、美女を妻に迎え入れようとする新之助演じる海の公子の物語。

 残念だったのは、一番クライマックスである、人間である事を捨てきれず悲嘆に暮れる美女の首筋に公子がをつきたてる場面での盛り上がりが今一つだったこと。うーん、もっとこれでもかというぐらい、引っ張って欲しかった。

 私が一番関心したのは、鏡花の発想の逆転。恋に狂い火をつけて市中引き回しの刑に処せられる女を、公子は幸せではないかと言う。なぜなら、燃え上がる恋の結果を街の皆に見せつけられ、あの世で彼と二人になることは幸せであると。そして、一番不幸なのは、恋人と引き離され何事も無く静かに平凡に死んで行く事であると。そうだ、毎日を過ぎ行くままに波風無く過ごすのは虚しい。多少の逆風があろうと、美に恋に生きることこそ、この世に生を受けた人としての取るべき道ではないかと、熱いものが心をよぎりました。なかなか、人の存在の本質を問い掛ける言葉、新之助の堂々とした言い回しは若くても嫌味が無くて素晴らしかったです。

 途中、美女が海中を漂い公子のもとに赴く場面では、日生劇場の曲線と青いタイルの内装も活かし、真っ青なシーンの作りが印象的。思わず、グアムのグロットで洞穴の向こうに青い光が見えるシーン、パラオのブルーコーナーでドリフトダイブをしながら遠くに泳ぐサメの一群を臨むシーンを思い出しました。黒装束と白装束のお付きの者に守られて、波に揺れながら、自分の行く末をエコーがかかりながら囁く光景は、幻想的で素晴らしい。

 そうだ、もう一つ残念に思ったのは、やはりウエストが細くない男性は、ドレスよりもキモノの方が美しく見えるということだ。(随分具体的で、どうしようもない部分にこだわって、玉三郎さんごめんなさい。)または、その分ふわふわと風にたなびくドレスなのだから、もう少し羽ばたいたり、ゆったりと回転する振付があれば良かった。

 以上、私が見る鏡花の一作目。部分的に内容と光景は鋭くおもしろいが、全体感としては少々消化不良でした。次回に期待。

 


2000/2/11

 歌舞伎座 夜の最終演目の一幕見席に行ってまいりました。演目は「春待若木賑(はるをまつわかぎのにぎわい)」として、舞踊の人気ナンバー「正札附 根元草摺」(通称 正札附(しょうふだつき))「手習子(てならいこ)」「お祭り」の三演目を、6〜12歳の二世達が踊るというもの。入場料500円(!)を払い四階へ。これが結構混んでいるので、驚いてしまいした。通常の歌舞伎同様の入りです。そして、大向うも威勢良くしっかりと、どんどんかかるのです。もちろん伴奏も、生のライブで(当たり前か・・・笑)迫力あるもの。

 この、1.後継ぎは幼少時から徹底教育、2.普段も一流のものしか目にしない、3.遺伝子的に芸に対して優性の確率が高い、4.若くして本番体験、という世襲育成システムは、これはこれでよく出来ている仕組みだと、改めて考えてしまった。ある道を目指す人間が非常に多くかつ基準が明確な時には、完全に平等にチャンスを与え、選抜をどんどんかけるという方式の方が有効であろう。今はやりのフリースのUIQLO社長 柳井氏が、「自分の息子には、社長はさせない。大株主として、経営監視の意味で、役員や副会長にはなってもいいかも。」という意味の事を言っていたが、ビジネスの世界だと、二世に全てを任せるよりも、選ばれた経営のプロを雇った方が正解だろう。しかし、現在日本の芸術は裾野が狭いので、1.きちんと世襲者の中で競争原理が働けば、2.進化を進める為にも外からも少々異なる良さも持つ優良な人材を登用する仕掛けも持てば、世襲教育システムはすばらしく機能するであろう。舞踊における、観客の声やスポットライトを浴びての本番体験って、とても貴重ですものね。

 踊りの方はというと・・・。私も以前習った正札附は、萬太郎君がきりりと化粧の目元も勇ましく、一生懸命足を踏み鳴らし見得をきっていたのが、微笑ましい。でも、迫力も結構ありました。舞鶴姫の梅枝君も、丁寧に女らしさを出していました。お祭りの威勢の良い鳶頭の種太郎君は、自分の2倍の身長はあろうかという因縁をつけてきた相手を、豪快にけちらしたのが可愛らしいです。

 私が後見として差金で蝶々を飛ばした事の有る「手習子」は、ついつい後見の方に目が行きがちでした〈苦笑)。娘踊りの壱太郎君の後ろで、二人の羽織袴の後見の方が向かいあい、片や右手に、片や左手に差金を持ち、蝶をとばしておりました。棒に親指を上にして、手首のスナップを思いっきり効かせ、一秒間に4回ほどプルプルと振っていました。あれを左手でも表情を変えずに爽やかにできるのはさすがにプロですね。

 ということで、決して手は抜いていない華やかさを500円で楽しむ夜も、なかなかおつな物です。


2000/1/15

 歌舞伎座 寿新春大歌舞伎 夜の部の報告です。 今回は、1/11の四階一幕見席とは異なり、一階の上手真中位でした。

○「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき) 角力場」:

 吉右衛門の人気力士と、富十郎の素人力士の、女性をめぐり勝ちを譲るやりとりの物語。富十郎が小柄で実直・元気な力士を、きびきびと小気味良く演じているのが好印象。

△「京鹿子娘道成寺」:

 勘九朗のこの演目に△をつけると、ファンから大いに怒られそうだが、期待が大きくかったことと、私の趣味嗜好により、敢えて辛い評価をさせていただきます。なお、私の頭のどこかに玉三郎の道成寺があり、それと比較している面もあります。

1.全体的に、キビキビしており、'おきゃんでちょっと恋を知って女になったばかりの町娘'、'ショムニ道成寺'、'新体操アクロバティック道成寺'という印象でした。身体に固定した鼓や、手持ち太鼓(?)を叩く所も非常に元気良く、手拭を振るところも、新体操の如く素早い動作でした。

2.最後の鐘の上での表情に、怨念・執念というものが感じられず、あっさりと終わった(籠釣瓶の次郎左衛門の狂気の表情のような凄みを期待していたのだが・・・)

3.体形的なものですが、手指と首の少々の短さ、手首の少々の太さ等、視覚面で。

 ただし、個性的という面では、元気と切れが良いので○だと思います。記憶には残るでしょう。

◎「阿古屋」:

 前回は良くない評価でしたが、今回は一転してBravoでした。一度音楽面を頭に入れておいたので余裕を持って音色を聞けたことと、玉三郎の演奏の表情が良く見えたことが大きいと思います。たしかに心地よい緊張感の続く、すばらしい作品です。

 最初は、「恋人の居場所を聞くためにまた拷問にかけるのね」という冷笑的な玉三郎の阿古屋が、楽器を演奏させるという意外な詮議の手法に、ほろりと心を開いていく、表情の変化。そして、透明な部分と、恋人への熱い想いの部分を交錯させながら響く、玉三郎の琴の音色と唄。これが、本当に微妙な強く触れれば崩壊するような、繊細な声で歌われると、心の琴線に触れるのですよ。

 階段での、身体を横たえて、客席に横顔を見せる見得も、背中がゾクゾクするような美しい見得なのですよ。(と、盛りあがっても、文字ではどうしようも無いが・・・苦笑)

 あと、文楽人形のような動きで、阿古屋をいたぶる弥十郎が上手い。まさに、人形そっくり。そして弥十郎の言葉の部分を担当する浄瑠璃の方も、大いに熱の入った力強い語りで、素晴らしかった。

 しかし、三種の楽器と唄を主演女優に実際に演じさせる + 人形の如きの動きをさせる + 劇中にショッカー軍団の様な一団を登場させる 歌舞伎の荒唐無稽さって、凄いです

 


2000/1/11

 仕事の合間に少しの時間を見つけ、歌舞伎座へ阿古屋を一幕見席で観る為に、馳せ参じました。

△○「壇浦兜軍記 阿古屋」:

 評価の難しい作品だと思いました。背景には、1.三階四階辺りのお客さんの私語が数カ所で目立ち今一つ集中できなかった事、2.オペラグラスを持っていなかったので遥か遠くにしか舞台が見えなかった事、3.仕事のストレスフルな状態でそのまま行った事、はもちろんあります。しかし、この舞台を味わうには、琴・三味線・胡弓を舞台で役者自ら演奏するというという所が山場なので、踊りを鑑賞し味わうと同等の、楽器に対する鑑識眼が要求される。しかし、阿古屋の心中を楽器で表現されても、それらの日本の楽器を評価する耳を私は持ち合わせていなかった。音程、テンポ、音色等から構成される演奏に対して、阿古屋のどんな心が反映されているか、把握し難かった。ストーリーによると、邪心があると音色が狂うが、阿古屋にはそれが無かったというのである。フレットレスの各楽器が、全く音程の狂いが無かったかというとそんなことは無いと思うし、でもその微妙な音程を外すところも、メロディーかもしれないし・・・というところである。まあ、三種演奏できる女形がそうそういず、歌右衛門が昭和28年〜55年まで何回か演じて以来、玉三郎以外誰も演技者がいないというだけでも、玉三郎の素晴らしさを表しているのであろうが。新聞評が、皆激賞モードであり、期待が非常に大きかった故に、私の評価は△○となりました。

 しかし、改めて琴・三味線・胡弓という三種の和楽器を聞くと、ギター等と異なりフレットレスであるという面白さと難しさを感じますね。その昔、レッドツェペッリンのジミー・ペイジがギターをバイオリンの弓を用いてライブでは弾いていたり、ジャコ・パトリシアスがフレットレス・ベースを、左手の指の震えさせる事により音に艶を与えていた事を、なぜか思い出しました。玉三郎の、三種目の胡弓の演奏は、結構現代的な過激なフレーズがあり、ヴァン・ヘイレン真っ青の速弾きでした。音もバイオリンに通じる味わい深いものであり、胡弓が一番の盛りあがりです。

 という事で、次も行く予定がありますので、その時にはさらに深く阿古屋の世界を味わってみたいと思います。

*「矢の根」を高齢ながらがんばっていた羽左衛門さんは、病欠をされていました。はやい回復をお祈り致します。(前回の日記でも書きましたが、あの若若しい役は、少々辛かったか・・・!?)


2000/1/4

 会社に挨拶で立ち寄ってから、歌舞伎座へ。Yahoo掲示板の「着物で新春歌舞伎へ」という企画に便乗させていただいて、着物の女性達と歌舞伎見物に。キモノに興味が大いに沸いている私としては、キモノ&歌舞伎はまず一つ目の初夢実現で幸せです(笑)。

 三階席で前のほうだったのですが、背中のほうから「中村屋っ!」「大和屋っ!」「橘屋っ!」と威勢の良い大向うがバンバンかかり、非常に気持ちが良かったです。しかし、あの掛け声は、かなり腹に力を入れて怒鳴るように、かつ切れが良くないといけないですね。大向うの向上も、今年のOFFタイムの目標の一つでしょうか。

 演目とその感想。

△「廓三羽薮叟(くるわさんばそう)」:踊りでも三羽叟物ってありますが、どうもあの滑稽さの良さというのが私には今一つピンと来ません。江戸人の様に粋で洒脱な所まで達して無いせいかもしれませんが(苦笑)。三羽叟の太鼓持ちが、傾城の廓での諸行をからかう場面なども、言葉が聞き取れるとおかしみも沸くかもしれませんね。間夫(まぶ)との恋文のやりとりなんかも表されているそうですから、籠釣瓶を観た私としては興味があります。・・・ということで、豪華な傾城の着物を見ながら、徐々に気分を高めて行った、というところでしょうか。

×「矢の根」:これは始めて見るし、歌舞伎十八番なので大いに期待をしたのだが、少々がっかり。五郎が出てきた瞬間の異様な髪型と隈取(髪の毛がクモの足の様に逆立っている、歌舞伎の紹介でよく写真で出てくるあれです)は、気分を盛り上げたのだが、羽左衛門さんは郷友無双の五郎には少々歳をとりすぎている。豪快な動作の切れが、やはり齢八十歳近くでは、表現されていなかった。年長者が若者を一生懸命表現する所に良さを見出すのが通なのしれないが、残念ながら私はそれを良いとは思わない。ストーリーもひねったところがあるわけではないので、楽しくなかった。(こういう大胆な事をきっぱりと言えるのも、ネットの良さなので、羽左衛門さんのファンの方、ご容赦を)

◎「義経千本桜 吉野山」:全編すばらしく、今月一幕見席に行く方は、大いにお勧めします。今までも、猿之助で二回ほど観ているのですが、勘九郎と玉三郎の吉野山も、同じ位、いやそれ以上にすばらしかったです。

 勘九朗さんの忠信は、先月の籠釣瓶でのあばた顔と、紅白歌合戦での司会の少々緊張したぎこちない(!?)姿がまだ脳裏にあり、最初にスッポンから登場した時の、まるで右近さんのように凛々しい姿に、少々頭は混乱(笑)。玉三郎さんも籠釣瓶に続き、1月2日のNHK教育夜の放送での藤娘で会った(!?)ばかりなのですが、こちらはいつも美しくしっくり〈笑)。

 まず、玉三郎さんの静御前の踊りにうっとり。しかし、玉三郎さんの指と手の動きの美しさは、筆舌に尽くし難いですね。あのしなやかな動きを見ていると、エクスタシーを感じますね。(うーん、玉三郎にするモードに入ってきている、かなり危ない私です・・・苦笑。)次に勘九朗さんが平家との戦いを身振りを交え話して聞かせる所が、芸達者の本領発揮!。キビキビと身体が動き、顔の表情もクルクル変わる。オペラグラスで拡大して見ていても、その上手さに唖然。猿之助の、本当は狐であるというやましさと貫禄を秘めた忠信と、今日の凛々しくさわやかで身軽な忠信と、どちらが良いかは意見の分かれるところでしょう。

 最後に、猿弥さんの籐太も、大いに笑わせてくれて○。猿之助一座も、こういう若い役者が育っているところがすばらしいですね。今月は、分散してあちこちの劇場で活躍していますが。

○「松浦の太鼓」:吉右衛門さんの鬼平ばりの時代物。11月の壷坂霊験紀と二作見て、彼って独特の世界を持っていますね。彼独特のやや大げさな芝居がかった前半の演技と、最後の畳み掛けるようなクライマックスによるカタルシスの開放が、好きな人にはこたえられないのでしょうね。私にとっては、別に水戸黄門の世界が特に好きなわけではないので感動まではいかないのですが、役者の持ち味の認識を新たにしました。

 

 以上、今年のお正月は鎌倉探索もありましたし、充実したものでした。この勢いを借り、今年もOFFタイムは和風探求の旅を続けたいと思います。

 


99/12/17

 頭を金槌で叩かれたようなインパクトと感動です。勘九郎と玉三郎の籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとの えいざめ)」を歌舞伎座で観て参りました。世話物であそこまで感動を覚えるとは・・・凄いです。

 観ていて気づいたのは、確かに玉三郎は息を飲むような美しさだし、手の端々まで優雅さが宿っていました。最後に次郎左衛門と八つ橋が二人きりになり、八つ橋が階下の様子を確認すべく広間を歩くさまは、まるで上村松園の日本画がそのまま動いているかのような、美しい一枚の絵でした。仄かに見える赤い襦袢が八つ橋の秘めたる情熱と苦悩を表しているのでしょう。しかしです、今回私が感情移入をしていたのは、次郎左衛門でした。今まで他の人が誉めるほどには感じていなかった、勘九郎さんのすさましいまでの演技の上手さを見た思いがします。

 花魁の八つ橋が付き合ってくれ、友人達を同伴しての遊びでも、八つ橋のみならず周囲の人々へも愚鈍なまでの優しさをにじませる次郎左衛門。罠にはまった八つ橋に、冷たく罵倒されている時にも、一言も発せず、身体でショックを滲ませる次郎左衛門。そして、有名な啖呵を切る。「おいらん、そりゃ ちとそでなかろうぜ・・・。夜毎に変わる枕の数、浮川竹(うきかわたけ)の勤めの身では、きのうに勝るきょうの花と、心変わりがしたかは知らねど、・・・・」愛想尽かしを言い捨てて、部屋の外へ出る八つ橋。しかし、一歩出た八つ橋が、後悔と心の緊張が解けたせいか、襖の外でしなだれてしまうのだ。そこの色っぽいこと。次郎左衛門の、無念さと恨みを通り越した狂気の片鱗を残し、幕は下りる。勘九郎の顔は、恥と怒りの汗でぐっしょりだ。

 最終幕。お茶屋の人々に妙に愛想の良い次郎左衛門。でも、八つ橋と二人っきりになると、顔に狂気への凄みが滲んでくる。目が座っている。それに気づかず、酌をしに、なつかしい次郎左衛門に寄り添って行く八つ橋。そのおずおずと近づいて、しなだれかかっていく彼女の喜びの心と、さらに狂気に向かって行く彼の心の交差が、ますます観客を虜にしていく。そしてそして、クライマックスへ。

 「この世の別れだぁ、(盃を)飲んでくりゃれ・・・」じわっと握りしめる。そして狂気に気づいた玉三郎の、美しい恐怖の顔。

 逃げようとする八つ橋を、次郎左衛門は裾を膝で押さえる。そして、後ろから籠釣瓶を振り下ろす。瞬間的に動きが止まり、後ろに弓なりに反り返り息絶える八つ橋。死までもが、玉三郎は美しい。

 入ってきた女中までも、一振りで切り倒す次郎左衛門。蝋燭の火に映し出された籠釣瓶を見ながら、狂気に顔をゆがめる勘九郎。

 玉三郎の美と勘九郎の狂気。狂気までもが美しく昇華される瞬間。いやあ、二人とも凄いというのにつきます。プロ中のプロですね。

 今日の舞台では、大向うに声の艶のある方がいて、さらに盛りあがる。そして、廓独特のリズミカルな三味線の音楽が、切なさを煽る。

 今月、なんとしてももう一度行かねば!


 99/12/12

 鎌倉に引っ越して大きく変った環境の一つに、CATVを入れ「伝統文化放送」を見られるようになったことがあります。今までNHKの教育放送や衛星放送でたまにしか観られなかった歌舞伎〜舞踊〜落語・講談まで、一日中放送されているので十分堪能できます。朝8:00〜夜23:00までなのでなかなか実際には見られないのですが、早く会社から帰れば和風文化に触れられるかもしれないと思うと、帰る楽しみが一つ増えます。◎です。

 今日は午前中に、今月の歌舞伎座でもかかっている「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべ さとの えいざめ)」をON AIRしていました。平成3年歌舞伎座収録の様ですが、佐野次郎左衛門:松本幸四郎と八つ橋:玉三郎の主演でした。

 最後の殺し場。狂気が宿った次郎左衛門が、自分に衆人の前で恥をかかせた八つ橋に、じわりじわりと恨みを伝えていく場面。

 「この世の別れだぁ、(盃を)飲んでくりゃれ・・・」と意味深な言葉を吐きつつ、八つ橋の盃を持った手を強く強く握り締め、打ち放すシーン。

 そして、黒い上着に真紅の襦袢の八つ橋を、妖艶な名刀 村正の籠釣瓶で切りつける。ばっさりと一刀両断のうちに、倒れる八つ橋。凄絶なシーン。

 「籠釣瓶は良く切れるなぁ・・・」と次郎左衛門は空ろな眼でにやりと不敵に笑い、幕は下りる。

 これほど緊迫してドラマティックで完璧な幕切れを見て、以前NHKで見たホセ・カレーラスがアルフレードを演じた、ヴェルディの「ラ・トロヴィアータ(椿姫)」の第三幕目の幕切れを思い出した。この物語もヴィオレッタという高級娼婦を中心に話しが展開するが、椿姫のアルフレードと誤解が解けた時には肺病に侵され死を迎える劇的なラストシーンをビデオで何度も見直した記憶がある。

 純朴な青年と、美しいが毒のある女性。そして、死という形での恋の成就。音を極力削ぎ さびの世界を構築し凄絶さを演出する「籠釣瓶」と、弦の音色でこれでもかと美しいフレーズで悲劇を演出する「椿姫」。どちらも、官能的に美しい・・・。

 ということで、今月歌舞伎座の玉三郎と勘九郎「籠釣瓶」、ますます期待に胸が膨らみます。

 


99/11/16

 最近贔屓(ひいき)にしている、歌舞伎座 一幕見席にて今月の演目を観て参りました。

 まず、吉右衛門と芝翫さんの「壷坂霊験紀」。鬼平さんで有名な吉右衛門さんですが、私は彼が主役の舞台を見るのは初めてです。確かに、4階からオペラグラスで見ると、顔の表情、身体のちょっと芝居がかった仕草といい、上手いと感じますね。最初は、大げさに妻の不実をなじりながらヨヨと泣くシーンなどは、少々大げさだなと思いましたが、後半の盲目が直って妻と喜びを表現する場面などは、思わず引き込まれました。私が残念なのは、美しい妻という設定なのだから、(申し訳無いけれども老いており必ずしも美形ではない)芝翫さんは今一つ見ている側の感情移入ができなかった。確かに昔で歌舞伎独自のルールに暗黙の了解で慣れ親しんでいるときは良いのだろうが、テレビやゲームからゲームまでリアリズムが当たり前の世界で生きている私達にとっては、性差は気にしないが、美しくあるべきものは美しくあって欲しい。もちろん、外見だけではなく、演技も美しくあって欲しいが・・・。

 次に期待の八十助と染五郎の「竜虎」。染五郎って、きりっとした浮世絵の様な隈取が似合いますね。地顔も二枚目だが、歌舞伎顔でも歌舞伎の二枚目でした。カッコ良い!以前、三田寛子の横でデレッとしている橋の助は虫が好かなかったのだが、コクーン歌舞伎の「かみかけて三五大切」(ちょっと違ったかな?)の時に、唇の端が下がる歌舞伎顔の彼のカッコ良い変貌ぶりに感心した記憶があるが、染五郎はそれを超えているかもしれない。

 踊りの方は、荒ぶる魂とパワーの対決を踊りで表現しており、見ていて楽しめた。連獅子のように地面まで届いている髪を、ぐるんぐるんと二人とも廻すのだが、髪の色が紅白ではなく、竜が真っ黒、虎が黄と黒ということで、髪のパワーのインパクトが増していた。長い髪で相手を打ち据える動作、床をドンドンと響く音で踏み鳴らすシーン、そして舞台を上下左右に掛けまわる演技、脂の乗っている二人であった。

ああ私も、藤娘をはやく終えて、カッコの良い見得をたくさん切りたいものである。そしていつか、獅子の頭を舞台の上で豪快に振ってみたいものである・・・。


99/10/22

 またまた、昨日玉三郎さんの鷺娘を観に、一幕見席へ行ってまいりました。昨日は18:25開演のところ、18:10にはもう売り止めがかかっていて、盛況。寒い夜だったが、心はわくわく暖かい。700円を払い、4階まで苦も無く駆け上がる。ダイビングで潜ったサイパンのグロットの海中の光を思い出させるグラン・ブルーの光の中で、三味線の音が響き、いよいよ始まる。白無垢で、もったいぶった様に角隠しで顔を見せぬ鷺娘。引き抜きで紅色の町娘へ。そして衣装を替え、紫の服へ。ここの踊りが、大人っぽい風格と艶やかさがあり、私は好きだ。でも、何の描写なのだろうか?芸者、それとも女房?私は芸者かなとも思ったのだけれども、玉三郎のちょっとぶっきらぼうな演技、男を突き放したような演技が良い。彼(彼女)のクールな表情が似合う。そこから、ピンクの着物と傘の場面。玉三郎が傘を、右手から左手、左手から右手へひらりと持ちかえるときに、重力の法則を無視し、傘がふわりと浮き上がり、ゆるゆると降りてくるのである。無重力状態の様に、なぜか印象的。夢を見ている様。そして、一瞬傘の間から、真紅の衣装で袖を噛みながら、恨めしげな表情をする、迫力あるシーン。一瞬のシーンだが、なぜか心に突き刺さる。そして、いよいよまっしろな狂乱の雪の場面へ。前回書いたので割愛するが、最後の苦悩の表情でもがいていたのが、一瞬虚無・無常を悟った透明な表情になり、最後に静かに果てていく。その果てる際の、玉三郎の苦悩と達観と官能が入り混じった目が良いのだ。目の淵の紅色と黒い目が、女の情念を表している。

 ということで、玉三郎さんの鷺娘、何度観ても、思わず涙腺が緩んでしまうほどの感動です。

 (でも、玉三郎さんの舞台での顔って、坂本龍一に似ているとなんて思うのは、私だけだろうか・・・)


99/10/18

 ついに念願の、歌舞伎座 玉三郎 鷺娘(さぎむすめ)を観てまいりました。玉三郎さんは少々ふっくらとした印象でしたが、美しさは筆舌に尽くし難いものでした。「玉三郎ワールド」。一幕見席で、歌舞伎座の一番上で、オペラグラスを握り締め見ていたのですが、前のフランス人の一行なんかは、最初はがやがやとうるさかったのですが、引き抜きで白から艶やかな衣装になる頃から、シーンと無口になり、最後は「Bravo! Bravo!」と絶叫しておりました。やはり圧倒的に美しいものは、文化的背景を超え、共通のものなのですね。素直に、オペラのごとく、Bravoという賛辞を贈っていた姿にも好感が持てました。

 最初の、おどろおどろしい音楽をバックに、白無垢姿の玉三郎が登場する。相変わらず、機会仕掛けの人形の様に、スムーズでつなぎ目を感じさせない人間を超越した動作である。ほつれ毛も艶っぽく美しすぎる苦悩の表情。そして、鷺の足先を真似、そおっと片足ずつバレエダンサーの様につま先を深く折り曲げる姿が印象的。引き抜きで町娘になってからは、クールで清楚な感じで、現世の楽しさを無常勘を持ちながら表現する。そして、真紅の火焔の衣装ではっとさせ、また白無垢に帰っていく。苦悩と最後の生に向けたエネルギーを、舞台の上をくるくると何十回も、地面の桜吹雪を円状に巻き上げながら回るシーンが、あまりにも美しい。そして、瀕死の白鳥の様に、絶えて行く玉三郎の鷺。

 我を忘れ、超絶的な美しさの中で、時間と空間が止まった一瞬であった。


99/9/18

 松屋銀座の「歌舞伎衣装展」に9/15に行ってまいりました。衣装展よりも、それの特別イベントである女形の化粧実演の方に大いに興味をそそられました。良く考えると、女形の躍りはお稽古をつけていただいておりますが、お化粧は経験も指導されたことも、まだありません。松屋を16時過ぎに訪れると、1階のイベントスペースがおばさま達で一杯なのです。何事かと思って覗くと、華奢で色白の男性が一人 上半身裸で鏡に向かい実演中で、スーツを着た男性一人が マイクで化粧の方法を解説中でした。確かに歌舞伎のイベントではありますが、プロのお化粧の方法という意味では、女性全員にとって非常に興味のあるテーマであったこともあるでしょう。私が最初に見た場面は、顔に白い下地を作っている段階でした。そこから首の周囲にも下地をつけ、いよいよ顔の細部をつくっていきます。凄いと思ったのは、目に「めはり」をいれ、唇に紅をいれていく段階から、実演している方の集中そして陶酔の様子が一気に深まったことです。メバナを入れるのは、筆で入れるのが普通だが、人によってはこだわりを持って指で描くと解説していましたので、ここら辺から、女をの顔の作り方で、個々人の独自の技法が出るところなのでしょうか。細かく筆を用いるよりも、大雑把に指で描いた方が、近くで見ると変な場合もあるが、舞台として遠めに見ると素敵に見えるものとのことでした。その他テクニック的になるほどと思ったのは、眉毛を描く所は、黒一色で塗っているだけでなく、事前に下地として紅を塗り その上に黒を塗っていました。また、相手役の衣装や自分の鬘(かつら)に白粉(おしろい)がつかぬように、手を白く塗った後に、指の内側の部分の白粉を丁寧におとしていました。

 男が女形をやる場合に、どこのタイミングから女になっていくのかというのは、いろいろ議論があるところです。役者によっては、舞台の直前 端に立った時に一気になるそうです。この女形の化粧の実演を見て、30分〜1時間という集中の時間、そしてその中でも紅を入れて行く特に集中する場面で、ぐっと役に入り込んでいく凄みを感じました。あれを、他の人の手ではなく、自分の手で自ら行うところにも、より役の世界に陶酔できる理由があるのだろう。さすがプロの技であった。(女形の化粧の方法は、市村萬次郎さんのサイトに詳しいので、ご参照ください)


99/7/11

 金曜日の夜にクライアントとの打合せが19:30に終わったので、20:19から歌舞伎座の一幕見席で猿之助を観た。観覧料が700円なのだが、これが意外なほど楽しいのである。歌舞伎は年に3、4回観るのであるが、いつも一階か二階でみていた。三階の一番後ろに立って見る「一幕見席」は、今回が初めてである。

 20:10に歌舞伎座の前につき、15m位の列の一番後ろに並ぶ。半分くらいは、外国人である。20:12頃、入場が始まり、消費税込みで700円を払い、急な階段を3階へかけあがる。3階へ着くと、既にガヤガヤと皆下の方に見える舞台を、期待を持って見下ろしている。この雑然としたガヤガヤ度は、いかにも田舎の芝居小屋の様である。最後尾だけ非常に白人比率が高く、英語混じりなのが、また怪しげで楽しい。いよいよ猿之助「伊達の十役」の三幕目が始まる。少々声は聞きずらく、またオペラグラスを持ってこなかったのは悔やまれるが、歌舞伎は歌舞伎である。猿之助の登場と共にかかる、大向こうが心地良い。何度か巧妙な早替わりがあるが、隣のアメリカ人は替わっている事がわかっていないので、小声で教えてあげる。彼らも驚き、さらに食い入るように見つめる。小気味良いテンポで、詮議の祈願から、詮議、大立ち回り、悪者が無事やっつけられて勧善懲悪の幕切れまで、一騎に進み、ほぼ1時間。まわりの興奮と共に、S席の1/20以下の値段のせいもあるが、リラックスして楽しく見ることができた。

 ちなみに、隣のアメリカ人のおばさん2人が言っていたのは、まずBeautiful!を3回くらい連発、そして黒子について興味深げに何をしているか質問、早替わりと大立ち回りを明るく楽しみ、台詞を今の日本人も6割くらいしか理解できないことを聞いて安心、という所か。私もついついBravo!という大向こうを掛けたくなりはするが、新たな夜の楽しみを発見して、大満足であった。


99/6/21

 昨日 日曜の夜NHK教育で、猿之助と台北の京劇台北新舞台京劇団を率いているコウシンポ氏(確かこのようなお名前であった)の対談を見た。京劇を舞台でもTVでもきちんと観たことはないのだが、部分的な公演の様子を見てみると、完全に舞台美術がシンプルな東洋オペラという感じであった。コウシンポ氏の言葉でおもしろかったのは、京劇というのは舞台の背景が無い故に、演技や踊りでどんな場面かまでも表現しなくてはいけない、という言葉である。

 日本舞踊でも、藤娘の様に大きい舞台がしつらえてある演目は良いが、素踊りになると手と身体の動きだけで、海から風から桜までを表現しなくてはいけない。きちんと約束事が演技者も観客もわかっていれば自然にシーンが理解でき演技の内容に集中できるのであろうが、たまにしか観ない現代人にとっては全てが抽象的な動作に見えてしまい、演技の中身を吟味・味わうところまで行かないのではないか。なかなか表現する側としては、難しいところであると思う。

 京劇界と共に、経済界の重鎮でもあるというコウシンポ氏が寂しそうに言っていたのは、演技を考え実行している時はストレスの発散にもなり楽しいが、若い世代に京劇が疎遠になっているということである。それに対して猿之助は、現代にマッチしたスピード感の大切さを述べていた。翻って、歌舞伎はまだ人気が多少上向いている面はあるが、日本舞踊に関してはジリ貧であるように当事者として思える。流派が乱立するのも良いが、顧客に対するアプローチや、教え方に対するメソドロジーも戦略的に作戦をたて実行しないと、いつか単なる保存文化になる危険を孕んでいるように思える。20〜40代にも習う人を拡大すべく、合理的な対応をしてみるのも必要だと考えるのだが・・・。

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