心と疼痛
〜長生医学における疼痛と心身相関関係の考察〜

大村 和彦

V 考察

 五島雄一郎博士は(「内科必携」参照)、「心身症の症状は、感情あるいは抑圧された情動に対する正常な生理反応が誇張された形で慢性に続いた時現れる。そして本症は神経質なタイプでなくとも、長期にわたる情緒緊張因子があれば起きうる」と述べ、筋骨格系症状として筋痛や筋痙攣を上げている。スティ−ブン・ロックとダグラス・コリガン著「内なる治癒力」を引用すると、「あらゆる病気の構成要素の中に心理的要因があり、あらゆる治療プロセスは心の働きかけからの影響をうける。」と述べている。またロバ−ト・アダ−は「疾患の原因は、あらかじめ存在している生物的条件、心理社会的な出来事、その処理、この三者間の相互作用である」とこれを示唆している。

 つまり「心因性(心身相関性)疼痛とは、その発症や経過において、心理社会的要因が関与し、身体の機能的異常が認められる病態」と定義して良いのではなかろうか。

心因性疼痛の鑑別

 施術者が信心をもって患者を観察し、よく患部の苦しみを聞いてやる。そこに患者の心理状態や治療方法などが純粋に知らされてくる。それがプラナ−の世界であり、その時施術者と患者は一体であり霊と肉は一体である。(新長生医学p28より抜粋)

 また当然のことではあるが、骨折、脱臼、悪性腫瘍、馬尾症候群、急性膵炎、子宮外妊娠、動脈瘤破裂、など、我々には手の負えない危険な疾患を見逃さないことが必要である。その疑いがあると思えたら自己判断で対処せず、専門の医師の手に委ねる事が第一である。

<問診による鑑別>

  1. 疼痛の原因が曖昧で不自然。 腰痛のきっかけとなる出来事についての疫学調査では、約60%が原因不明とされている。 これは、明らかな外的要因がなくても発症する心因性の疼痛(1980年アメリカ精神医学会は、回避行動、疾病利得などの心因が病的に疼痛と関わるものを心因性疼痛障害と発表したが、ここではその意と内容を異にする)が関わっている可能性もある。(症例1.2.3.4.)
  2. 不自然な病変 患者の訴える痛みの部位や病理学的所見が、原因となすべき病変と一致しない。(症例2,3) また、通常とは違う頑固な症状固定。
  3. 疼痛を最初に自覚する前に、精神的ショック、心理的ストレスがあった。(症例1,2,3,4) 緊張、不安、怒り、心配、劣等感、プレッシャ−等の陰性感情を抑圧した。(症例1.2.3.4.)
  4. 胃炎、胃潰瘍、緊張性頭痛、喘息、アレルギ−性鼻炎などの自律神経が関与する疾患、または既往歴がある。(症例2,3,4)
  5. 私にはストレスはないと、精神的問題が肉体的問題を引き起こしている事を否定する。
  6. 性格傾向 勤勉、誠実、几帳面、責任感が強い、自分に厳しい、完全主義、善良主義、気配りする、心配性、手抜き出来ない、揉め事を好まない、といったタイプ。
  7. 動作に対し恐怖感を持っている。 疼痛の再発を怖がり、身体を動かすと痛みが出ると考え、意識的に動作を制限する。 一度痛みを経験すると多くの患者は再発の恐怖にとりつかれ、運動を怖がり、日常生活のどんな動作が腰に悪いか、どんな寝方が腰や首に良いのか、常に身体に関心を向け、防衛機制を働かせ、動作を制限する。(症例3)
  8. 上下肢の冷感を訴えることが多い(主に女性)。
  9. 主訴が感情的で、誇張された表現を使う。(痛〜くて、いた〜くて!のような)
  10. 入浴で疼痛が緩和される。 疼痛の原因が筋肉及び神経の血行障害であることの裏付けといえる。<症例2参照>
  11. 何かに夢中になっている時は痛みを忘れている事がある。 疼痛が心理的影響を受けている事の証明になるが、急性疼痛にはあまりみられず、慢性疼痛を訴える患者に多い。

<理学的所見による鑑別>

  1. 自覚症状における神経解剖学的分布の不自然さ。(症状が身体の一部から始まりしばしば別の部位や全身に及ぶ、また両手、両足のしびれなど)(症例3)
  2. 神経学的検査、運動機能検査、知覚異常テスト、の不自然さ。(症例2)
  3. X線、MRIの画像診断で異常なしと診断されたにもかかわらず疼痛を訴える。

<脊椎による診断>
主訴の部位に加え、ノイロ−ゼ、ヒステリ−に良く見られる頚椎の食違い、T8~T10の右彎曲、T11,12の食違い、また消化器症状であるT5,6の食違い等が多くみられ、患者の主訴とは必ずしも一致しないことが多い。

<視診、触診による鑑別>

  1. 身体全体の筋肉が独特な緊張性をおびている。(自律神経の作用で末梢血管が収縮し、筋肉内に阻血を起こし筋内圧が上がっているためと思われる)
  2. ストレスにより、耳下腺リンパ節と顎下リンパ節にしばしば腫脹と熱感、そのため顔が丸みを帯び、心なし大きく見える。
  3. 血流障害による下肢の浮腫をみることも多い。(下肢痛や膝痛を伴う場合もある)
  4. 圧痛点 症例2<疼痛の考察>で述べたように、軟部組織の虚血が、侵害刺激としての筋スパズム(不随意収縮)を生み、局所的な異常硬結が圧痛点として現れると思われる。それを発見し取り除く事は早期の疼痛改善に極めて有効である。 圧痛点は自覚症状からは特定出来ない。上肢痛を訴えても腰や肋骨にある場合も少なくない。また腰痛を訴えても胸椎や頚椎にある場合も多い。大村基實は「分からない時は、いつも触らない個所、手の届き難い個所を探せ」と言った。事実そのとおりで、それは脊椎の周囲だけでなく、後頭骨、乳突起周囲、肩甲骨の裏側、肋骨の陰、関節支持組織、筋と筋の間、筋と他の構成物との間、筋膜、更には軟部組織の深部に存在する事も少なくない。

例1) 症例2でみられたT11,12周囲の肋骨を含めた軟部組織の硬結が約半数を占める。

例2) 尾骨周囲の硬結も強い疼痛を生ずる。(故山下幸一郎先生は尾骨支持組織へのプラナ矯正法だけで解剖学的構造バランスを改善していた)これは尾骨を支持する腱や筋肉(軟部組織)の機能異常であるから、当然のことながらレントゲンでは確認できない。また尾骨そのものには自覚症状のないことが多く、ここから別の遠隔部位に飛んで関連痛を引き起こす場合が多い。

例3) 心因性の眩暈を発症している患者は、アキレス腱に異常硬結を起こしている場合がみられる。プラナの取られる側が患側である。

 このように圧痛点出現は頭から足の先までほぼ全身に及ぶ。そこから推察できるのは、やはり自律神経の関与である。

 触診による圧痛点の識別は、あくまでも「プラナを信じ、その触覚に委ねる事」である。 長生を学んでいない人に、こうしたいかにも曖昧で非科学的な表現は受け容れられないだろう。しかし私は長生を学んだ特定の人だけが理解し得る、こうした表現が使えることを、むしろ誇りに思う。

 

身体的アプロ−チ

 身体的問題は整形外科医の専門であり、心因的な問題は精神科医やカウンセラ−の専門であるが、心因性疼痛とは身体的因子と心理社会的因子が複雑に混在した精神身体領域の問題であり、どこに両者の境界を見出すかは極めて困難と思われる。そこで我々の出番である。身体面へのアプロ−チは疼痛の早期改善には不可欠であり、我々はこの疼痛が決して気のせいでなく、詐病でもないことを理解する必要がある。

<治 療>
プラナ療法。

  1. 圧痛点に指がヒットしたらそれ以上の加圧は不要、そのまま手を離さず、プラナが取られなくなるまで加圧する。(1998年「世界筋痛学会」は、病的な筋を破壊してしまうことにより治療効果が得られるという見解を発表したが、経験上、出来るだけ筋を傷つけないよう操作する方がより効果的と思える)圧痛が見つかるまで何度でもトライし、探し出す事が早期回復への近道である。プラナで、血液の循環を改善し、病的組織を修復(異常な筋繊維組織を伸張し、筋膜の癒着を和らげ、筋スパズムを緩和)することが、虚血による疼痛や愁訴を解消し、背骨の矯正と、解剖学的構造バランスの改善につながるのである。 身体全体の異常な緊張がス〜ッと和らぐことで治療の成功が確認できる。

    この操作だけでも半数以上の心因性疼痛が快方に向かうが、経過を観察し、症状の回復が顕著にみられない場合、また回復しても再発を繰り返すようなケ−スは、心因的問題の深刻な場合が多く、精神療法が必要となることは言うまでもない。(身体的操作だけでは再発しやすいことは、新長生医学でも指摘している)

  2. 疼痛の著しい時期、その他の操作は腹部へのプラナ以外行わない方が有効である。

 

精神的アプロ−チ

 こうした病態を取り除くには、患者の抱える様々な諸問題の解決が最良の手段であることは言うまでもない。平成10年度の厚生省国民生活基礎調査(表2)では「自分や家族の健康、病気に関するストレス」が50.9%でトップであった。ついで「仕事に関するストレス」が33.7%、人間関係、老後、介護、収入、家計、借金、などが続く。すなはち社会的要因、経済的要素、環境的要因、また性格特性や生活様式等が原因となっている。だが健康面の一部を除き、我々がそうした諸問題を解決に導く事は不可能に近い。それは我々の仕事ではなく、政治家の仕事であり、経営者の仕事であり、家族の仕事である。

(表2)ストレスの原因 平成10年度の厚生省国民生活基礎調査

 しかしながら長生上人は、石炭産業の衰退に心を痛め、長生療術を広めることにより北海道の炭鉱労働者の生活救済に乗り出した。なんとスケ−ルの大きさな人物であろう。

  1. 患者と良い関係を作る。
     患者が心から心を開く事の出来る土壌作り、それが精神療法の第一歩である。(新長生医学p42より抜粋)1998年北長連夏季研究会参加者を対象に実施したD・P・Rテストの結果は極めて良好で、被験者の先生が患者と良い関係が作られている事がうかがい知れた。

     このテストで高得点をマ−クしたベテラン治療師は、こうした心身症の治療に長けていることは容易に想像がつく。しかし、患者に好感を持たれ信頼を得る治療的自己の成熟には、本人の努力ではなく、本人の人格が大きな要素となっているのである。

  2. 患者の疼痛における構造異常への恐れを仏拭する。(症例2,3)
     構造障害に痛みの原因を求める先入観を取り払い、痛みを気に病んだり、おびえたり、不安な感情を起こさないよう説明する。

     患者はX線やMRIによる画像診断で、椎間板が潰れた凄惨なイメ−ジが脳裏にこびり付き、多くはもう完治しないと失望している。この画像は患者にとって残酷なまでに現実の姿である。しかし症例2<疼痛における脊椎構造異常との関連性>で検証したように、こうした症例では必ずしも疼痛に直結していない可能性が高い。患者がこの説明を理解し、受け入れると、明らかに表情が変化し、その後著しい症状回復をみせることが多い。こうした患者の回復にノ−シ−ボの除去は不可欠である。(症例2,3)

    <ト−マスの実験>
     同一疾患の患者を、自信を持って数日で良くなると肯定的な説明をした群と、曖昧な診断を下し否定的説明をした群に分け、二週間後の改善率を調べると、肯定的説明群は64%が改善し、否定的説明群は39%しか改善していなかった。つまり、疾患に対する患者のとらえ方、安心感、がいかに回復過程を左右するかという如実な例である。

  3. 動作への恐れをなくし、一日も早く通常の生活に戻す。(症例1,2,3)
     通常、限られた治療時間の中で、身体と心の相関関係を理解してもらうのは相当に困難な作業である。しかしながら、症例1,2,3、で検証したように、心因性疼痛の患者の多くは、痛みがあっても仕事や運動を積極的に行ったほうが良い結果が得られることは疑いのない事実である。腰痛にかかる医療費の高沸に悩むアメリカ政府が1994年に発行した「成人の急性腰痛治療ガイドライン」(表1)も「急性腰痛に安静が良いという科学的根拠はなく、患者さんに出来るだけ元の常態に復帰するよう勤める事が治療法として最善である」と述べている。



    <仮説>
     軟部組織の軽い損傷が侵害刺激を増大させ、動き刺激を減少させる。この求心性神経伝達のアンバランスが痛みを増強し継続させる。すなはち動かなければ余計に痛くなるという説だが、身体を動かすと脊椎から生じた刺激が侵害刺激を減少させ、小脳中虫部・室頂核が興奮し、快楽中枢も刺激し否定的感情の発生も抑制するという。

     私に、その理論の信憑性を判断する事は出来ないが、肉体労働により精神疾患を治療する「森田療法」が多くの実積を上げていることは事実である。

  4. 患者の意識を身体から心に向けさせる。(症例1,2,3)
     症例1長生医学的考察で検証したように、病態の本質、すなはち患者の「抑圧された陰性感情」を本人に理解させることが、患者を心の安心に導き、苦悩から来る病態(疼痛)をなくす最善の方法と思われる。自分の心に潜む陰性感情を認めることはショックである。私がそうであったように自分がとても卑小な人間に思えた。それはある意味で、自分が一番認めたくない部分であり、知られたくない部分でもある。他人からそれを指摘される事は、弱い人間と責められ、人格を否定されたように感じるかもしれない。しかし感情の動物である人間が、陽性感情同様、陰性感情を覚えるのはごく当たり前のことで、決して自分を責める必要はないのである。(ここを患者に誤解のないよう理解してもらうため細心の注意が必要である)自分の内面にある根源的自我を認識することは、レベルこそ違え、長生上人や親鸞聖人も通った道であり、ひとつの方法論として誤りのないことを確信する。(「忘れなさい」「リラックスしなさい」「気分転換しなさい」といった、原因から目をそらすアドバイスに有効な治療効果が期待できないことはすでに経験済みである。)

     すなわち怒りや不安を消す必要もなければ、無理に問題を解決したり、性格を変える必要もない。(むしろ性格を変えようという無駄な努力がプレッシャ−となり、症状を悪化させる場合がある)その証拠に、症例1.2.3.が抱える根本問題は未だ解決していない。症例2の男性の父親は相変わらずのワンマンぶりを発揮している。症例3の女性の前にも相変わらず霊は出現し、私は相変わらずプレッシャ−に怯えている。しかし自分の隠れた陰性感情に気づき、それを受容した3人の身体症状は、私を含め皆改善している。

     私の慢性腰痛と習慣性ぎっくり腰は、五島博士の言う、抑圧された感情または長期にわたる情緒緊張因子の関与したものであろう。しかし私は10年以上全くそれに気づかなかった。ここに大きな問題が隠されているのではなかろうか。恐らく腰痛を自覚する大半の人が、抑圧された感情や情緒緊張因子が腰痛を発症させている事に気づいていない。平成10年度の厚生省国民生活基礎調査では、国民の42.1%がストレスを持っていると公表しているが、およそストレスのない人など皆無であろう。それは殆どの人が、私や症例2,3同様、自分に陰性感情があることにすら気づいていないのかもしれない。それらはある意味で「厄介な心因性疼痛予備軍」ともいえるかもしれない。長生上人が真宗長生派教義の冒頭に「信心の決定」を唱えた意味を改めて思い起こす。

  5. 患者を選ぶ。
     感染、中毒、外傷などにより脳の機能が障害され起こる精神障害、分裂症、精神病、痴呆症、著しく理解能力に欠ける者は対象外。うつ病は対象となるが、入院歴のあるような重傷者は困難な治療を覚悟せねばならない。また多くの患者は原因が心因的なものである事を認めたがらない。聞く耳を持たぬ患者や、心を開いてくれない患者に無理強いしてはならない。1度の説明で心身相互作用の結果が痛みにつながることを理解する患者は20%前後であろう。あいづちを打っていても誤解していることが多い。何度も何度も辛抱強く説明する必要がある。またまたあまりに打ちのめされている患者に、心に原因があると押し付ける事は慎みたい。こうした患者に必要なものは共感と慰めの言葉である。

 

経 過

 症状の回復は総じて緩やかである。症例2で患者が述べた「薄紙を剥ぐように少しずつ楽になる」という表現が的を得ているように思う。

 経過を「正座による足のしびれ」に例えると、まず、座っている加圧による下腿の血行障害が起き、感覚神経が侵され触覚が低下する。すると触覚繊維が脊髄レベルで痛覚繊維を抑制出来ずジンジンした痛みが起こる。更には運動神経にも障害が起き脱力し、ついには立ち上がれなくなる。しびれからの回復は、その逆のコ−スをたどる。つまり心因性疼痛の回復過程も、足のしびれからの回復過程と同じ経過をたどるのである。まず力が入るようになり最後に触覚が回復する。これは心因性疼痛も、足のしびれ同様、直接原因は患部の血行障害を示唆するものであるが、それが麻痺まで進行することはない。

 

治療者側の影響

  1. この病態の本質を理解すると、疼痛が何処に出現しても、どんな変化を見せても、患者の症状に惑わされたり、振り回されないようになる。むしろそれが奇妙な症状であればあるほど、心に操られた自律神経の関与であることを確信出来るのである。 これは大きい。こうした症状をひとつひとつ脊椎の構造異常に結びつけようとして、ドツボにはまったのが、他ならない私である。

  2. 患者の回復が思わしくない場合、また患者が説明や治療を受け容れない場合も、決して自分の方針を強要してはならない。患者の意思を尊重すべきである。この時多くの治療者は患者に共感出来なくなり、感情的になり、怒り、不快感、抑うつ感、を感じ、時には嫌悪患や無力感にも苛まれる「逆転移」と呼ばれる特異的な反応に苦しむ。

    この反応が起きるのは、治療者は患者に対し絶対的なもので、患者より優位にあると無意識に錯覚しているからで、患者と治療者はあくまでも平等であることを忘れてはならない。治療室でいつも不機嫌な先生や、すぐ怒る先生は、その治療者が逆転移現象に苦しんでいる姿に他ならず、漫然とした長期治療や、サディスティックな治療に陥る危険性をはらむ。それは必然的に治療効果を下げる事となり、治療者として極力慎まなければならぬ行為である。

<新長生医学参照>

  • 施術者は病人の心を理解し、治療を通じ奉仕させて頂くという気持を忘れてはならない。その理念故宗教心を術者に課しているのである。(p27抜粋)

  • 患者の懐いている苦悩から来る病原をよく窺って、共に苦悩し、思いやりを持った施術を行うこと、それ故長生医学における、療法と信心は、車の両輪のごとく、信心なくしてその療法は充分とはいえず、霊肉一体の救済とはならない。(p28抜粋)

 

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