奈良を中心に、京都や大阪など関西の神社仏閣、風景、花、動物などをデジカメで撮影した写真壁紙です。写真の右側に簡単な説明もあります。
関西には、東大寺などの有名なお寺以外にも、四季折々の花が美しいお寺、由緒ある神社、ゆったりと時間が流れている風景など、ご紹介したくなる「絵」がいっぱいあります。

このページの写真は2004年に撮影したものです。
2003年の写真はこちらをどうぞ。

各画像はクリックすると大きな画像が開きます。なお、容量の関係から画質は落としてありますが、800×600pixelの解像度に合わせたサイズのJPEGファイルにしてありますので、お気に召しましたらパソコンの壁紙などにお使いください。



2004年



大池越しの薬師寺
 (撮影 2004年1月)

平城京の左京(現在の西ノ京)にある世界遺産薬師寺は「凍れる音楽」とも呼ばれる美しい塔で有名です。その塔の姿を映す大池越しの景観は、(後ろに見える)若草山の山焼きなどでも定番の撮影場所です。
大池にはカモの群れが羽を休め、働き者のカイツブリが水に潜っては思いがけないところから顔を出します。


吉野中千本の吉水神社から望む上千本

 (撮影 2004年4月)

桜の名所として名高い吉野山は、飛鳥の南、奈良県の中央にあり、西行や芭蕉の作品にも詠われ、太閤秀吉の花見でも有名です。約200種30000本の桜は、吉野川畔の下千本から、中千本、上千本、奥千本と、大峰連峰まで約1ヶ月かけて開花していきます。シロヤマザクラが多く、白い花が若葉と同じタイミングで開花し、凛とした気品が感じられます。


造幣局の通り抜け」の八重桜

 (撮影 2004年4月)

大阪城の北西、大川(旧淀川)の畔にある造幣局構内の560mの通路は大阪の桜の名所として有名です。毎年満開の一週間だけ一般開放され、80万人もの花見客が訪れます。約120品種、400本の桜は八重桜が大半で、珍しい種も多く、一斉に咲き誇る様はまさに豪華絢爛です。


新緑に包まれる桂離宮の笑意軒

 (撮影 2004年4月)

日本を代表する庭園として名高い桂離宮は、京都の西南、桂川の畔にあります。江戸時代初期に八条宮家の別荘として造られ、回遊式庭園の中に数奇屋風の書院や茶室が洗練された美意識によって配置され、四季折々の自然に包まれることができます。茶室のひとつ笑意軒の前の石段を降りると、そこは船着場です。


雄大な借景の修学院離宮

 (撮影 2004年4月)

借景を活かした日本有数の名園として有名な修学院離宮は、京都の北東、比叡山の麓にあり、桂離宮の造営から少し後の17世紀中頃に後水尾上皇のために造られました。
上・中・下の三つの離宮(御茶屋)から成り、三つの離宮を結ぶ松並木の両側には田畑が広がる開放的な空間です。中でも上御茶屋は、北山・東山の山々や眼下に広がる洛中の街並までも取り込んだ雄大な借景と立体的な構成で、心まで広がってくるようです。

なお、桂離宮や修学院離宮を見学するためには、事前に宮内庁に参観申込をする必要があります。離宮の中ではガイドさんの案内と解説を伺いながら順路に沿って歩くことになりますが、所要時間は桂離宮で1時間、修学院離宮で1時間半程度です。また、修学院離宮は順路内なら撮影自由ですが、桂離宮では所定の4個所の撮影ポイントでのみ撮影が可能です(いずれも三脚は不可)。


春の法起寺三重塔
 (撮影 2004年4月)

聖徳太子創建七ヶ寺のひとつ、世界遺産の法起寺(ほうきじ)は斑鳩の法隆寺の近くにあります。太子の岡本宮を遺言により皇子の山背大兄王が尼寺に改めたもので、岡本寺、池後尼寺とも呼ばれ、三重塔は現存する日本最古のものです。飛鳥時代の様式を今に伝える塔は、周囲の田園風景に溶け込んで穏やかに建っています。


當麻寺西南院と春風に揺れる藤
 (撮影 2004年4月)

當麻寺(たいまでら)のある当麻の里は竹内街道が二上山の東南麓にさしかかる北側にあります。竹内街道は古代の飛鳥と難波津(大阪)を結ぶ日本最古の官道で、遣隋使もこの道を通りました。二上山は悲劇の皇子・大津皇子の墓が山頂にあり、日が昇る東の三輪山と日が沈む西の二上山は、大和の人々にとって神の住む山として慣れ親しんだ風景でした。
當麻寺の本尊は能や浄瑠璃の演目ともなった中将姫の伝説で知られる當麻曼荼羅です。藤原豊成の娘中将姫が出家した後、霊感を得て、蓮の茎を集めて糸をとり、近くにある石光寺の「染の井」の井戸に浸して五色に染まった糸で、一夜にして一丈五尺(約4m四方)の曼茶羅を織りあげたという伝承です。
境内には中之坊奥院、西南院、護念院など多くの塔頭があり、各塔頭の庭園では、白鳳時代の東塔や天平時代の西塔を借景とし、桜、牡丹、芍薬、藤、躑躅、紅葉など、四季折々の花が楽しめます。また、西塔を借景とする西南院の庭園には澄み切った音色の水琴窟があります。

長谷寺本堂とあでやかな牡丹
 (撮影 2004年4月)

源氏物語「玉鬘」、枕草子、更級日記、蜻蛉日記など、数多くの王朝女流文学に登場する「初瀬詣で」の長谷寺は、三輪山の東、初瀬山の中腹にあり、麓には大和川の源流のひとつ初瀬川が流れています。
「花のみてら」とも呼ばれ、桜、牡丹、紫陽花、紅葉と様々な花が四季を通じて山内を埋めますが、特に有名なのは、仁王門から舞台造りの本堂まで続く登廊の両側に咲く150種7000株もの牡丹です。この牡丹については、中国唐王朝の皇妃である馬頭夫人が長谷寺の本尊の十一面観世音に祈願し、満願の御礼として宝物に添えて献木したのが初まりという寺伝があります。
今年の花期は早く、盛りを過ぎてはいましたが、優しい色の新緑に映える牡丹は「百花の王」と呼ばれるにふさわしいあでやかさです。

室生寺の可憐な五重塔
 (撮影 2004年4月)

「女人高野」として知られる室生寺は、長谷寺からさらに東方の、三重県境に近い山中にあります。女人禁制の高野山に対して女性に門戸を開いた真言密教の道場であることから「女人高野」と呼ばれるようになりました。
建物はいずれも柿(こけら)葺き、もしくは桧皮(ひわだ)葺きで、室生寺の印象をより柔らかいものにしています。中でも有名な五重塔は1998年の台風による倒木で大きな被害を受けましたが、2000年に修復され、境内に咲く石楠花の中に優美で可憐な姿を見せています。

春日大社の釣燈籠にとまるキセキレイ
 (撮影 2004年5月)

春日大社奈良公園の東奥、春日山の麓にあります。参道に立ち並ぶ2000基の石燈籠と廻廊に吊るされる1000基の釣燈籠はいずれも寄進されたもので、2月と8月の万燈籠ではそのすべてに灯がともされます。境内には椿、藤、菖蒲などで有名な神苑もあります。
キセキレイが釣燈籠の上に少しの間だけとまっていました。急いで撮ったので少しピンボケです。

長岳寺の躑躅の参道と杜若
 (撮影 2004年5月)

飛鳥と奈良を結ぶ日本最古の道「山の辺の道(やまのべのみち)」は、大和盆地東端の青垣と呼ばれる山々の裾を縫うように南北に続いています。中でも三輪山をご神体とする大神神社(おおみわじんじゃ、三輪明神)から北へ天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)までの南半分約15kmは、神社仏閣、古墳、万葉歌碑、環濠集落などが続き、古代の趣を感じさせるハイキング・コースとして人気があります。
花の寺としても名高い長岳寺は南の「山の辺の道」のほぼ中間にある古刹です。訪れた日は平戸ツツジの参道と、本堂前の池に咲くカキツバタが迎えてくれました。

若草山頂の鹿と春日山原始林の鶯の滝
 (撮影 2004年5月)

奈良奥山ドライブウェイは、正倉院裏から若草山頂、春日山原始林、高円山を経て白毫寺の南東に至る約13kmの有料道路で、中間の春日山原始林を通る部分はほとんどが未舗装道路です。
春日大社の神山として1000年以上も伐採が禁じられていたため、世界遺産の春日山原始林は、カシ、シイ、モミなど200種の樹木、600種類の草花が生育し、1200頭以上もの鹿をはじめ、モリアオガエル、カスミサンショウウオなど珍しい種も含む動物や鳥、1,200種に及ぶ昆虫も生息する、多様で豊かな原始林となっています。コースの途中には鶯の滝があり、周囲は深山幽谷の趣です。
春日山原始林では、道路の拡張と人間や鹿の入り込みにより植生などが変化しつつあるとの報告もあり、自然と人間の共生について考えさせられます。

東大寺の親子鹿と猿沢池の精悍な鷺
 (撮影 2004年6月)

いつも大勢の観光客で賑わう世界遺産東大寺の大仏殿の南には、運慶・快慶作の金剛力士像で有名な南大門があります。そのすぐ近くの塀際に鹿の親子がいました。子鹿は生まれたばかりで立ってるのもやっと、母鹿も体を休めているようでした。鹿の出産時期は5月から7月で、子鹿は生まれてから1時間くらいで立ち上がることができます。ミルクを卒業したら鹿せんべいあげるね。
猿沢池は世界遺産興福寺の南にあり、五重塔を映す池のほとりではたくさんの亀がのんびりと甲羅干しをしています。この鷺は池に浮かぶ流木の上から餌となる小魚を狙っているところで精悍な顔付きをしていますが、2004年2月に行った高松の栗林公園では嘴を開けたままボーっとしている鷺がいて脱力しました。


矢田寺の見渡す限りの紫陽花
 (撮影 2004年6月)

「あじさい寺」として有名な矢田寺(金剛山寺)は大和郡山城跡の西、矢田丘陵の中腹にあり、梅雨の頃には約60種、8,000株の紫陽花が咲き誇ります。
紫陽花は日本原産の花ですが、原種はガクアジサイと呼ばれる周りにだけ大きな花が咲く種類で、手鞠のように咲くセイヨウアジサイはヨーロッパから逆輸入されたものです。紫陽花の一品種の学名「ハイドランジア・オタクサ」は、この花をヨーロッパに紹介した長崎出島のオランダ商館の医官シーボルトが、愛人の「お滝さん」を偲んで名付けたものだそうです。
境内を埋め尽くす紫陽花は圧巻で、たった一日で一年分の紫陽花を見た気分です。


喜光寺の気品に満ちた花蓮
 (撮影 2004年7月)

喜光寺は菅原寺とも呼ばれ、西大寺の南西、菅原道真など菅原氏のルーツの地である菅原の里にあります。東大寺大仏建立事業などで活躍し、行基菩薩と民衆から慕われた行基創建の古刹であり、その終焉の地としても知られています。また、金堂(本堂)は、東大寺大仏殿の創建に先立ち、その縮小モデルとして造られたという伝承から「試みの大仏殿」と呼ばれています。ただし、当初の建物は兵火などでほとんど失われ、現在の本堂は室町時代の復古建築です。
シーズンには境内は200以上の花蓮の鉢植えで埋め尽くされます。花蓮は昼近くには閉じてしまいますので、ご覧になるには早起きが必要ですよ。


なら燈花会ライトアッププロムナードなら
 (撮影 2004年8月)

「燈花」とは灯心の先にできる花の形のかたまりで、これができると縁起が良いと言われています。千年以上も続く行事が多い奈良では、2004年で6年目の「なら燈花会」はごく最近始まった行事ですが、奈良の夏の風物としてすっかり定着しています。会期は2004年は8月5日〜8月15日の19:00〜21:45で、猿沢池、興福寺奈良国立博物館新館、浅茅ヶ原、浮見堂、浮雲園地(上の写真)などを中心とする奈良公園一帯に、フローティングキャンドルを入れた半透明の筒が置かれ、古い歴史のある建物や木立をぼんやりと照らします。また、会期中は宗次郎(オカリナ奏者)、伍芳(中国古箏演奏家)などの無料屋外ライブが催され、とても良い雰囲気です。
さらに、なら燈花会を含む前後の期間には、「ライトアッププロムナードなら」として、東大寺(大仏殿・中門・南大門)、春日大社(一ノ鳥居)、平城宮朱雀門、薬師寺など十数ヶ所がライトアップされます。1988年のシルクロード博から始まった行事で、2004年の会期は7月1日〜10月31の19:00〜22:00(9月以降は18:00〜22:00)でした。(下の写真では猿沢池越しに興福寺の五重塔を望んでいます)
夏に奈良においでになる場合には、是非お立ち寄りください。


春日大社中元万燈籠と東大寺万灯供養会
 (撮影 2004年8月)

奈良の夏の夜は大忙しです。なら燈花会ライトアッププロムナードならに加え、春日大社の中元万燈籠(8月14日,15日)、東大寺の万灯供養会(8月15日)、そして大文字送り火(8月15日)といずれも「あかり」を使った夏の夜の行事が、昼間とはまた違った古都奈良の表情を浮かびあがらせます。
春日大社には石燈籠と釣燈籠を合わせ約3000の燈篭がありますが、2月の節分万燈籠と8月の中元万燈籠ではそのすべてに灯がともされます。これらの燈篭は古いものは800年前に寄進されたもので、昔は油料の続く限り毎晩点燈されていたそうですが、点燈作業だけでも気が遠くなりそうです。それぞれに意匠の異なる灯篭が闇に浮かび上がる様は幽玄で神秘的です。(上の写真)
東大寺の万灯供養会は1985年から始まり、大仏殿周辺の約2000の灯籠に灯がともります。また、年に2回だけ開かれるという大仏殿正面の観相窓から大仏様のお顔を拝顔することができます。燈篭の明かりで黄金色に輝く大仏様は創建当時に金箔が貼られていたころに戻ったようです。(下の写真)
大文字送り火は1960年から始まり、春日山の南の高円山に大きな「大」の字が浮かび上がります。
8月15日は、なら燈花会の最終日、春日大社中元万燈籠東大寺万灯供養会大文字送り火といくつもの行事が重なり奈良公園周辺は大混雑です。人混みの苦手な方にはつらいかも知れません。


元興寺五重塔跡と白毫寺参道の萩
 (撮影 2004年9月)

猿沢池の南、ならまちの中心にある世界遺産元興寺(がんこうじ)は、蘇我馬子が飛鳥に建てた日本最古の寺院である法興寺(現飛鳥寺)を、平城遷都に伴い平城京に移したものです。平安時代前半までは南都七大寺の中でも東大寺に次ぐ大寺でしたが、その後衰え、古い町並みが残る現在の「ならまち」は元興寺の境内だったところに民家が建ち並んだものです。本堂である極楽坊は鎌倉時代の改築ですが、屋根瓦は「行基葺」という独特の葺き方で、瓦の中には法興寺から移された飛鳥時代のものも残っています。元興寺は萩や桔梗などでも有名で、上の写真の萩は極楽坊の南にある五重塔跡の近くで撮影したものです。
高円山の麓にある白毫寺(びゃくごうじ)は花の寺として有名な古刹です。特に名高いのは参道の石段両側の萩(下の写真)と、白色、紅色、紅白絞りなど色とりどりの八重の花が一本の樹に咲く樹齢400年以上の五色椿です。高台にあるので、境内から奈良市街はもちろん、遠く矢田丘陵や生駒山地まで望めます。


葛城古道の曼珠沙華(彼岸花)
 (撮影 2004年9月)

大和盆地西端の葛城山・金剛山の東麓を当麻、二上、葛城、金剛と南北に結ぶ葛城古道は、大和盆地東端の山の辺の道と並ぶ古道です。周辺は古代豪族の鴨氏や葛城氏の本拠地として大和朝廷の成立に先立って栄え、多くの神社仏閣、遺跡、古墳などがあります。
南北朝時代の千体石仏で有名な九品寺から、樹齢1200年の大イチョウがみごとな一言主神社へと続く葛城古道沿いには、曼珠沙華やコスモスが咲き、万葉集などでもお馴染みの大和三山(畝傍山、天香久山、耳成山)を望むことができます。


曽爾高原のススキと赤目四十八滝
 (撮影 2004年10月)

ススキの群生地として名高い曽爾高原(そにこうげん)は、室生寺のさらに東、三重県名張市との県境にあります。なだらかな亀山の頂上まで見渡す限り続くススキの穂が秋の風に揺れる様はそれはみごとです。亀山の上からの眺望を楽しめる登山路も整備されています。ススキの穂って遠くから見ると柔らかな産毛か毛足の長い絨毯みたいじゃないですか?
曽爾高原の北西、伊賀と大和の国境を流れる滝川上流の渓谷に赤目四十八滝はあります。「日本の滝百選」「森林浴の森百選」「遊歩百選」などに選定されているこの渓谷には、落差の大きな滝は無いものの、森林に包まれた渓流沿いに約4kmの遊歩道が整備されていて、さまざまな表情の滝を楽しみながらハイキングを楽しむことができます。実際には滝は48以上あり、渓流には天然記念物のオオサンショウウオやカジカが棲み、周囲の森にはイワタバコなど珍しい植物も多いそうです。トップシーズンの紅葉の時期にはかなり混み合いますので、この日は曽爾高原の帰りに森林浴に立ち寄りました。下の写真は荷担滝(にないだき)です。あぁ、空気がおいしい。

「錦の里」の正暦寺
 (撮影 2004年11月)

正暦寺(しょうりゃくじ)は春日山や高円山の南、菩提山の中腹にあります。平安時代創建で最盛期には120もの塔頭が建ち並ぶ大寺でしたが、現在では本堂、鐘楼、福寿院を残すのみとなっています。また、正暦寺は清酒発祥の地だそうで、南北朝時代に境内を流れる菩提仙川の清冽な水を使い、それまでの濁酒から初めて清酒が作られたと伝えられています。その頃の人に感謝。
周辺は紅葉の美しさから「錦の里」と呼ばれており、奈良では有名な紅葉スポットです。また宿坊では季節の山菜や自家栽培の米・野菜などを使った会席風の精進料理を味わうことができます。


嵯峨嵐山のみやびやかな紅葉
 (撮影 2004年11月)

京都西方の嵯峨野・嵐山は春の桜、初夏の新緑、秋の紅葉と四季折々の豊かな自然を楽しむ観光客でいつも混雑しています。静かな風情を楽しみたい方には冬がお薦めですが、京都の冬の寒さは想像以上ですので、防寒対策は十分にして出掛けましょう。
この日は渡月橋、世界遺産の天龍寺、野宮神社、常寂光寺、落柿舎、二尊院、祇王寺、清涼寺と紅葉の定番コースをレンタサイクルで回りました。天竜寺(上の写真)は後醍醐天皇の慰霊のため足利尊氏が建立したもので、京都五山十刹の第一位として広大な寺領を持っていましたが、度重なる兵火で当寺の建造物はほとんど残っておらず、現在の諸堂は明治時代に再建されたものです。
私のお薦めの常寂光寺(下の写真)は小倉山の中腹にあり、茅葺きの仁王門をくぐると急な石段が山の斜面に沿って本堂へと続き、両側は紅葉のトンネルです。そんなに広い境内ではないのですが落ち葉が綺麗なのが印象的でした。

美しき城塞 姫路城
 (撮影 2004年11月)

姫路城は関ケ原戦後に西国大名を牽制するため、家康の娘婿の池田輝政が8年の歳月と延べ2500万人を動員して完成させたもので、大天守と三つの小天守を渡櫓で結んだ白漆喰の美しい姿は、別名白鷺城(はくろじょう)とも呼ばれています。法隆寺とともに1993年12月に日本初のUNESCO世界文化遺産に登録されました。城内には鉄砲狭間、矢狭間、石落しなどが備えられ、要塞に間違いないのですが、青空に浮かぶ姿はなんて綺麗なんでしょう。
姫路城をめぐる伝説や所縁の人物は、有名な千姫と本多忠刻の物語のほかにも、榊原政岑と高尾太夫、宮本武蔵の妖怪退治、播州皿屋敷のお菊さん、井原西鶴や近松門左衛門が取り上げたお夏と清十郎など枚挙に暇がありません。

爽やかな秋の山の辺の道
 (撮影 2004年11月)

11月下旬に、秋深い山の辺の道長岳寺から大神神社まで(約6km)歩きました。
長岳寺は弘法大師創建の古刹で、ご本尊の阿弥陀三尊像は玉眼(水晶などを埋め込んだもの)を用いた仏像としては日本最古だそうです。花の寺として有名で「長岳寺の躑躅の参道と杜若(撮影 2004年5月)」でご紹介したツツジやカキツバタのほかにも、サクラ、アジサイ、フヨウ、紅葉、ツバキなど、四季折々の花を楽しむことができます。(上の写真)
また、近くには33面もの三角縁神獣鏡が出土した黒塚古墳があります。
大和国一之宮である大神神社は、古事記や日本書紀の国造り伝説の主人公である大物主大神(おおものぬしのおおかみ)ほか二神を祀る日本最古の神社です。拝殿の奥の円錐形の三輪山がご神体なので、拝殿のみがあって本殿はありません。境内にはとても良い気が満ちていて私の大好きな場所です。(下の写真)


2003年



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