「リラックスのために」

―U リラックスしようと思わない方が良いですね―
 
カサイト先生のリラクセイション講座

からだは必ずしも本人の意志通りにはならず、 無意識の心の動きを映し出します。 身体心理療法は、無意識の心と身体の関わりを調整して 素敵に生きていくことを支援します。

「リラックスできないのはどうしてでしょうか?」

まず最初に、リラックスは簡単ではないことを知っておきましょう。 お医者さんや看護師さんに「注射しますからリラックスしてくださいね」と言われたとき、何とかリラックスしようとしますが、実際は簡単にできないものですね。
武術の達人や格闘技のプロ選手などのような特殊なトレーニングを積んでいないので、痛いんじゃないかと緊張するのは当たり前です。注射は普通は痛いので、それなのに「のんびり・にっこりしている」というのはかえって変ですから。

「なるほど…。痛そうだとリラックスできない方が当たり前なんですね?」

はい、その通りです。痛みや危険があるときは身体は自動的に「身構え」ます。そうやって、危険に対処する準備をしているわけです。だから、「簡単にリラックスできるはずだ」といったように思い込まないようにしましょう。

「すると、不安を感じたりするときにもリラックスは難しいわけですね?」

はい、痛そうなときや不安を感じたとき、身体はやはり身構えます。だから、痛みにしても不安にしても何かの危険にしても、そうしたことに対して「身構えること」すなわち緊張することは大切な反応なのです。つまり、普通はリラックスの反対の状態になるわけですね。

「それでもリラックスしなければいけないときどうしたら良いでしょうか?」

まず、「痛みや不安や危険がありそうなのにリラックスしなければならない」というのは、かなり無理な状況だということを知っておきましょう。 矛盾(むじゅん)という言葉があります。昔々の中国、絶対に破れない盾(タテ)とどんなものでも突き通す矛(ホコ)を売っていた商人に「その最強のホコで、最強のタテを突いたりどうなるんだね?!」というわけで「矛盾」という言葉が生まれたといいます。
「リラックスしないで身構えている身体」なのに「リラックスしなければと思っている私」というのも、かなり矛盾していると思いませんか?

「リラックスしなければと思うときには、そう思っている心と身体の間に矛盾があるわけですね?!」

はい、不思議な矛盾がありますね。リラックスしようと思わないくらい当たり前のときには、誰も「リラックスしなければ」とは思わないわけです。いつも通っている道路や駅やバスに乗るときなど、誰も緊張しないですが、初めて行った土地でどうやってバスに乗るとかは、当たり前ですが、緊張しますよね。 つまり、「リラックスしなければ」と思うような場面は、どういうわけか「元々リラックスが難しい状況」なのです。リラックスが難しいのにリラックスしようとするわけで、全然、リラックスできていないですねー。

「なるほどー。リラックスしなければいけない。リラックスしようと思う場面ほど、リラックスが難しいわけですね」

はい、その通りなんです。非常に不思議なことですが、「リラックスしよう」「緊張しないようにしよう」と強く思わないといけないくらいリラックスが難しい場面なので、さらに「リラックスしよう」「緊張しないようにしよう」と強く思うようになったりします。 本人は一生懸命で誠実なのですが、そうすればそうするほど、「リラックス」ということから遠ざかっていきませんか?!

「本当ですね!リラックスどころか、自意識と緊張のかたまりになっていきそうです。」

はい、その通りです。自意識と緊張のかたまり、というのは分かりやすい言葉ですね。普通は一生懸命かつ誠実にものごとに向かうとなんとか道が開けるわけですが、不思議なことに「リラクセイション」については、それが通用しないのです。

「矛盾…ですね。でも、どうしてそんなことになるんですか?」

ここからは話が少し込み入ってきますが、簡単に言えば「一生懸命すればするほど、リラックスから遠ざかる」という傾向があるということなんです。「目的に向かって努力すればするほど目的から遠ざかる」という構造があるといってもいいでしょう。

「ふーむ。それでは、どうしたらリラックスできるようなるんですか?」

はい、リラックスできるようになるためには、「リラックスしよう」などという目的に「直接向かわないこと」が大事になります。いろいろとやっているうちに結果としてリラックスしている状態になっている、という流れが一番効果的なんです。
宮本武蔵の「五輪の書」に、戦いの心得として「心を強く引っ張らずに…」という指摘がありますが、これに近いともいえます。

「ナルホド。それで実際には何をどのようにしていったらいいんですか?」

はい。ここまでリラックスの話題なので「心理学」の話だということになりますが、実際に何をしていくかということになると、実は「身体心理学」「身体心理療法」というように「からだとこころ」の両面を見ていくことが必要となります。 長年、カサイト先生自身が試してきた中から言うと、「リラックスしよう」などとあまり思わずに楽しく体験してうちに、「自意識過剰」ということが薄れていくことが一番良いです。

「自意識過剰じゃないようにする…?」

はい(^_^)。そうなんですが、その言い方は、ビミョウに間違っているんですよ。

「えっ?自意識過剰にならないようにする、ということではないんですか?!」

はい、またまたビミョウに間違えています。 「ならないようにする」というのは、「ならないようにを<しよう!>」としていますよねー。 <しよう!>ということは、そういうように「自意識過剰」になっているんですが分かりますか?

「あっ、そうか。確かにそういう意味で、意識過剰かもしれません」

ええ、ここのところが実は大変に難しい所なんです。「リラックスしようとする」のが自意識過剰なので、それではその反対に「リラックスしないように<してみよう>」ということが、ふたたび自意識過剰の罠に落ちていくという二重三重の落とし穴があるんです。 ですから、「結果としてリラックスしている状態になるようなレッスン」ということが必要なのであって、「自意識過剰にならないようにするという<思いをもつ>」ということもリラックスの妨げになり得るのです。

「だんだい頭痛がしてきました。リラックスについて考えるだけでこんなに大変だとは思いませんでした。」

はい、その通りです。ですから最初に「リラックスというのは簡単なことではない」と申し上げたわけですね。普通の心理学や医学の領域でも、リラックスについてのこうした矛盾した構造についてよく知っている人は限られています。ですから、一般の方は「リラックスというのは簡単なことではない」というように考えておくことが最も大事だと思います。

「心理学や医学でも、リラックスのそうした問題についてはあまり知られていないのですか?」

これまでに調べた範囲ではそうした身体心理学的な問題について指摘している人はあまりいないようです。というのは、問題の構造が、身体的心理学(・論理学・哲学)というように学際的な広がりをもっているためだと思います。
いずれにしても、そうした基本的な矛盾点をきっちりとつかんだ上で指導するということが、リラクセイションの指導者には必要だといえるでしょう。
「はい、リラックスしてみましょう」という何気ない言い方が不適切かもしれないというわけですが、そうしたことに気がつかないで指導したり、指導されたりすると大変にまずいわけです。

「頭痛がひどくなると困るので、リラックスの理論的な話はそろそろ結構でーす。それよりも、リラックスするために実際どうしていったらよいでしょうか」

一人一人の感じ方や考え方がずいぶん違うので、みんなが同じ方法でリラックスできるようになるわけではありませんが、ちまたで勧めているいろいろな方法を自分なりに工夫してみてはいかがでしょぅか。その際に必要な心構えについては、まとめておくことにします。

たとえば「深呼吸をすると良い」ということがあります。これは、「深呼吸」することで落ち着くということですが、二つのポイントがあります。
  1. 一つは、「リラックするとかしない」とか心や内面の問題にしないで、「息を深く吸う」という実際の行動に向かっているという点です。「こころ」にかかりわずらうのではなく、実際に「からだ」で<何かをしていること>に意味があります。
  2. もう一つは、深呼吸でも何でもよいのですが、そうすることによって気持ちがそちらに向かっていきます。つまり、「リラックする」とか「リラックスできない」とか気持ちのわずらいはさておいて、気持ちを他のことへと向き変えている点です。

この二つをまとめておくと「実際にからだで行うこと」「身体で行っていることに気持ちを向けていること」となります。その際、身体で体験していることを味わい楽しんでいくことが肝要となります。
「リラックスすること」には他にも矛盾した構造があるので、本格的に勉強するためには身体心理学や身体心理療法に向かうとよいでしょう。なお、ボディラーニングセラピーは、個人個人の傾向や特性をふまえてリラックスへ向かうための導きをする身体心理療法の一つとして、様々な落とし穴に気がついていくように指導するものです。

「なるほどー。リラックスしようしようと、変に自意識過剰にならないでいる方が良いのですね。それと、何かをすることや感じることへと純粋に気持ちを向けていけば良いのですね。」

はい、そういうことですね。ずいぶん理解が深まってきたようで大変に嬉しいです。
「リラックスできるといいなあー」とのんびり思えるようになると、本当にいいですね!
あるいは、「リラックスできてもできなくても、まあ、いいかあ−」と穏やかに思っていられると最高でしょうね、きっと。


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*イラスト (C)Tsuzura, 2002