「リラックスのために」

―T リラックスできないのは自分のせいではありません―
 
カサイト先生のリラクセイション講座

からだは必ずしも本人の意志通りにはならず、 無意識の心の動きを映し出します。 身体心理療法は、無意識の心と身体の関わりを調整して 素敵に生きていくことを支援します。

「リラックスできなくて苦しいのですが…」

のんびりできれば良いですが、のんびりもできず、ホッとすることもできないのはつらいですねえ。「リラックスできない」という人はかなり多いように思いますが、
「リラックスできないのは自分のせいではありません」(^_^;というように考えてみるという手があります。

自分は緊張しやすいし、人付き合いもあまり上手ではないのでリラックスできないと思っていますが、それでも「自分のせいではない」と考えるんですか?

はい、さしあたり自分の話は棚上げしておくことにして、冷静に考えてみると、仲のいい友達や旧友とかだとあんまり緊張したりもしないでリラックスしているわけですよね。
ということは、リラックスできるかどうかは自分のことだけではなく、誰と話しているか、どんな人と関わっているか、あるいは、それは職場とかの社会的な場面なのか、普段着の場面なのかでリラックスできるかどうかは違ってきますよね?!

*いつもならばリラックスできる相手なのに最近は不安や心配や緊張があって…という場合は、少し心配ですね。そうした懸念があるときは、少し先回りしてウツ状態やウツ病に関わる記述をご覧ください。

確かにそうですね。一人でくつろいでいるときはリラックスできるように感じます。

相手によって緊張や不安のの度合いが違うのだったら、すでに「自分だけのせいではせい」ではありませんね。相手との間にある何らの事情や状況や理由によって、大丈夫だったりリラックスできなかったりするわけですから、「自分のせいだけではない」ですね!
そうしたことにまず気がついていくことが大事なことなわけです。

確かにそうですねっ。そういう場合まで自分のせいにするのは確かに間違っていると分かりました。そういうときには、自分のせいにして自分を苦しめたりしなくて済みそうです!

自分のせいだと感じたり人のせいだと感じたり、人は何かの「せい」にして考える傾向がありますが、取りあえず、自分のせいだけでそうなっているとだけ思い込まないということです。
実際、物事は自分のせい!?相手のせい!?経済状況のせい!?時代のせい!?外国のせい!?太陽のせい!?などなど、様々な要因によって影響されているわけですからねえ。

*自分のせいにしているのか、自分以外のせいにしているのか…ということについては、「認知的整合化」「認知的不協和」に基づいた「帰属療法」という心理療法の考え方があります。

でも、一つ質問をしていいでしょうか?リラクセイションの訓練で「あなたは過緊張なのでリラクセイションが難しい」と言われました。自分に原因があるのに自分のせいではないと思うのはどうなんでしょうか…。

あなた自身に過緊張などの傾向があるのなら、他の人よりもリラックスするのが簡単ではないことは理解できますが、そういう状況だからこそリラクセイションのレッスンに参加したのではないのでしょうか?つまり、リラクセイションのレッスンに行く人は、元々リラクセイションが苦手なのでそうしたレッスンにお金を払って行くわけですね。
したがって、「元々リラクセイションの苦手な人がリラックスできるように指導する」というのがリラクセイションの指導者のすべきことだといえます。緊張が強いときは朝まで眠れないとか、人と対面する場面で緊張のあまり失敗をしやすいとか、そうした苦労をしているので少しでも楽にやっていけるようにとリラクセイションのレッスンを受けに行くわけです。簡単にリラックス出来る人はそうしたレッスンを受けに行くはずはありませんので。
というわけで、指導する側は「過緊張などのためリラックスが難しい人」を対象にしているという想定のもとに指導していくものです。そういうことなので、相手の方に対して「あなたは過緊張なのでリラックスが難しい…」と言う必要もないだけではなく、そういう否定的なことを相手に告げることによって「…やはり自分はリラックスできない人間なのだ…」などと思い込ませてしまうようなことは避けるものです。

*ことの重大さを自覚しない何気ない発言は、どういうわけか聞き手にとっては真実そのもののように聞こえるものです。何気ない一言がそのような意味で「暗示」として働くことがあります。

老爺心から言えば、「過緊張なのでリラックスが難しい」という事実があったとしても、それを説明に使うようなレッスンでは、あなたがリラックスできるような指導になっているのかどうか…。とくに、「…リラックス出来ないのはあなたのせいで、私の指導技能が低いせいではありません…」といったようなニュアンスが感じられるのならば、ほとんど期待できそうにありません。
リラクセイションのレッスンにはそれなりの経験と技量が必要なので、自分にふさわしいやり方で、少しずつでも楽になっていけるようなレッスン、そういう指導をしてくれる方に出会えるようになるといいですね。

*心理学のカサイト先生は実に26年間、身体心理的なレッスンを行ってきました。その中で様々な心理的アプローチと身体的リラクセイションの方法を試してきました。当初は「肩こりを治す身体心理学的方法」(腕の脱力の研究など)を行っていたので「肩こりのセンセイ」と呼ばれていたこともありました。精神科ディケアなどでの「リラクセイション」プログラムでは不安や緊張や投薬などのためリラックスの難しい参加者が多いのですが、それでも1-2時間のセッションの中では、参加者の方がなんだか安心してふと眠り込んでしまうようなことが普通に起こります。
これにはいくつかの身体心理学理解と身体心理療法的な技量が伴っていますが、極端に不安や緊張の強い状況でもない限り、参加してくれる方はそれなりにノンビリとしてくれているのは本当に嬉しいことです。

なるほど!よく分かりました。
あんまり思い詰めて自分のせいにし過ぎないように心がけたいと思います(^_^;




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*イラスト (C)Tsuzura, 2002