28日目                 出会い  お接待

2017年5月11日   晴     5:12〜15:57   34.8Km    58,567歩    ながお路
 結願前夜
   
   
出発前から体が重ダルイ。歩きだしてもすっきりしない。美しい朝日が応援してくれるがどうもダルイ。屋島は幾度も眺めているので、自信をもって、『あれは屋島』と言い切れる。屋島の登りがきつかった。さほどの勾配と思えないが、疲れた体には堪える。地元の人が日課でウオーキングをしている。軽やかな足取りが羨ましい。心地よい山風と時々垣間見える眼下の景色だけが少しばかりの応援になる。やっとのことで84番をクリアする。見下ろした壇ノ浦は埋め立てが進んで、川のように感じる。地元の人が、『あの黄色い建物の辺りが那須与一が扇を射落とした場所』だと説明してくれた。その向こうには、これから向かう五剣山がどっしりと構えている。更にその奥には志度湾も見える。
二つは名前は付いていないが独立した半島である。半島と言うイメージを持たず、瀬戸内沿岸部と思い込んでいるので、なおさら辛く感じるのである。一息も二息もついて、2時間半かかっただろうか。85番をに到達した。ここからは急勾配の下りである。疲れた体であり、踏ん張る力も低下しているので、慎重に下る。R11に合流すると平坦な讃岐市街地である。平賀源内の生誕地には2軒の施設があったが、スルーである。志度寺の方向を示す石柱を何か所かで出会うのは当然である。それになんとなく愛着を感じるのは、かって鳴門海峡から沿岸部を歩いて津田の松原を抜けて、志度から高松に向かった旅をしたからである。86番から87番は、ほぼまっすぐに南下である。平坦で道に迷う心配もない。疲れた体に安堵感が合体すると眠くなるのである。いくら歩道とは言え、目をつぶって歩けるわけはない。睡魔と闘いながら前進する。急な山道とは違った辛さがある。逆打ちの人と出会う。静岡の人で、東海道の街道歩きを始めたが、すぐに諦めたと言う。その理由をいくつも並べてくれました。・歩道が左右に傾斜していて平らでない。・信号待ちで疲れる。・歩道橋にうんざり。・歩道が片側にしかなく、しかも左右に切り替わり、たびたび横断歩道がないのに街道を横断しなければいけない。
いずれも私が、普段から感じている不満である。ところが四国は、そんな不満が少ないので、気に入って5回目だと言う。そういえば、東海道の新居関近くは、歩道橋が多いことで辟易とした記憶がある。更に、自販機に容器の回収箱が設置していないところが多い。
些細なことだが、歩き旅では敏感になる。その点、四国では、容器回収箱がない自販機は一台もなかったです。驚くべきことです。確認しなかったが静岡のWさんも新居関辺りまで歩いて諦めたのかも知れません。因みに自販機の容器回収箱はベンダーなのか、設置者なのか、どちらに原因があるのかわからない。しかし、長年の経験で、私は〇イドーは極力利用を控えている。〇カ〇ーラとサントリーが並んでいると、サントリーを利用します。
企業は消費者の声なき潜在クレームに、気づかねばいけない。サンヨーがパナソニックに吸収されたら、充電池のエネループの持ちが悪くなったような気がして、電池だけでなく、パナソニックの製品は何も購入しなくなりました。気にし過ぎと笑われそうである。
3時過ぎ87番長尾寺に到着である。広々とした境内が、無言で迎えてくれるのだが、なぜか温かみを感じる空間である。
途中で追い抜かれた歩くスピードが全く違うカナダの若者二人と87番の境内で再会する。一人は非常に早い。もう一人は遅いが私よりは早い。遅い人となぜか会話が進む。特製の納札サイズのステッカーを貰った。見慣れたお遍路マークが左に、カナダとイタリアの国旗が右に配置され、中央部に“笑顔とやさしさをありがとう”のメッセージが英語と日本語で書かれている。名前とメールアドレスも入っていました。
遍路中に戴いた納札は7枚である。歩き遍路として、この多寡は判断できないが、かって車遍路では1枚も貰っていません。絹が2枚、赤が1枚、白が3枚、外国人から2枚、女性から1枚です。大本翁の絹は他の納札より一回り大きい。金や絹の納札は市販されず、霊場会の許可がなければ入手できないので、大きさも意味があると思います。
宿はすぐ傍である。自転車を借りてコンビニに行くつもりが、鍵がなかなか見つからないようである。夕方の食事準備で忙しい時間なので、結構ですと言って歩いて行った。