お遍路中に出会った人の中で、特に印象に残った人をリストアップしました。
日付 | 場所 | 印象 | |
1 | 4月14日 | 7番境内 | 東京の大学を卒業した徳島銀行の新入社員である。遍路期間中に出会った唯一の高知県人である。土佐の気質はいろいろ言われているが、やはり、お遍路さんには独特の感覚を持っているかもしれない。 |
2 | 4月15日 | 12番境内 | 境内で休憩していた山男、少し硬そうな人だが、意気投合して、しばらく話し込んだ。 |
3 | 4月15日 | 13番途中 | 下伊那郡高森町のリンゴ農家。私が歩いたことのない町の人、第一号である。道中、何度か話しながら歩き、彼は鍋岩に予定していた宿を少し通り越してしまった。 |
4 | 4月16日 | 14番境内 | 初めて納札を戴く。愛媛県松前町の人で赤札である。 |
5 | 4月16日 | 16番境内 | 頭を丸くしての遍路と見受けられる渋谷区のSさん。翌日以降、強い縁を感じる。2日後に再会し、3日後は同宿になり、4日後は互いにペースメーカーになりながら、ハイピッチで歩く。27番を前に、もう会うことはないだろうと写真を撮り、握手をして別れたが、38番手前の民宿久百々で再会する。彼は一緒にハイピッチで歩いたのがたたり、その後足を痛めたとのことである。私より一日遅れての旅になった。久百々は二人とも連泊であるが、私は打戻で明日は39番を目指す。彼は38番を目指す。さすがにその後は会うことがなかったが、メールで進度を確認しあった。 |
6 | 4月17日 | 21番境内 | 遍路中に唯一、現金のお接待を受けた大津のグループ。僧侶に引率された檀家の方々かもしれない。 |
7 | 4月18日 | この日は、長い道中だが印象に残る出会いはなかった。 | |
8 | 4月19日 | 25番境内 | 女性にサインを依頼して嫌な思いが続いていたが、あいにくこの日もタイミングがあったのは女性だった。二人連れで躊躇していたが、顔を見合わせながら、リーダー的な一人が丁寧に応じてくれました。堺の人たちで後日再会する。 |
9 | 4月20日 | 特になし | |
10 | 4月21日 | 30番途中 | 逆打ちをする札幌の大先達に出会う。納経帳には遠慮して先達と書かれた。この時、逆打ちの方に出会ったら、優先的にサインを貰うことを決めた。これは良いアイデアで一度も断られることがなかった。境内ではツアー遍路も車遍路も 歩き遍路も区別がつかない。遍路にかける思いも様々である。逆打ちをされる方ならば、きっと協力的だと閃いたからである。 |
11 | 4月22日 | 31番境内 | ホテルでは会話をしなかったが、2日続けて同じホテルに泊まった岡崎の人と今日は一日同じだった。別に一緒に歩いたわけではないが、足の速い彼が先行して、札所で丁寧にお参りしている間に 私が追い付くの繰り返しだった。勿論彼にサインを貰った。 |
12 | 4月22日 | 34番途中 | 平地だが日差しの暑くなった頃に休憩所で休んでいる逆打ちの歩き遍路の婦人と言うより大阪のおばちゃんが似合う人懐こい人に出会う。早速、サインをお願いすると、むしろ喜ぶように協力してくれた。バンダナを巻いて気合が入っているいでたちが印象に残る。 |
13 | 4月23日 | 36番途中 | 休憩所で出会ったフランス人とイタリア人のカップル。言葉は通じないが微笑みながら差し出された女性からのサンドイッチに笑顔の威力をまじまじと感じた。 |
14 | 4月24日 | 37番途中 | 苗字からすぐに福島と想像できた震災で母親を亡くした那珂川の男性Kさん。現役世代なのでうるう年の去年に逆打ちしたかったが叶わなかったことを無念そうに語ってくれた。 |
15 | 4月25日 | 民宿にて | 同宿者に春日部から来ているご夫婦がいました。旅好きの夫に初めて同行させてもらったという奥様が、今日が最後で明日は『もう歩かなくて、家に帰れる』と大変喜んでいたのが印象的である。 |
16 | 4月25日 | 民宿にて | 同宿だったママチャリの女性。年齢不詳、一人で遍路旅をしているので未婚と思われるが、そんな若くもない。30代か、もう少し上か、いずれにしても活動的なので魅力がある。 明日は70Kmの予定だと言っていたが、よく道を間違えると言っていた。 |
17 | 4月26日 | 民宿にて | 渋谷のSさんと再会。足を痛めながら、遍路続行に決意を感じるも結願は難しいと思ったが本人には伝えられず。 |
18 | 4月27日 | 特になし | |
19 | 4月28日 | 40番途中 | 歩き82回、車25回の高槻のMさんと出会い、錦の納札を戴く。78歳とは思えない色艶をした痩身の大先達です。 |
20 | 4月29日 | 41番途中 | 昨日まで東寺のツアーに参加していたが、今日から一人で遍路をする名古屋の人。いろいろな遍路があるものと改めて思う。しかし、会話の内容から、どう見ても旅慣れておらず、先が懸念された。 |
21 | 4月30日 | 43番途中 | ペット連れの沖縄から来ている逆打ちのご夫婦。洗練された二人で沖縄の離島の人とは思えなかったが、横浜の緑区にいたそうで、納得しました。なんとなくお互いに写真を撮りました。奥様は荷物を少しでも軽くすることに腐心しているようだった。自販機のペットボトルの水を戴きました。 |
22 | 5月1日 | 宿への途中 | 大阪のTさん、京都のMさんと度々、合流し、さかえ屋の前で見送る。 |
23 | 5月2日 | 44番途中 | 三木の人は比較的計量装備だが、基本は野宿遍路。一つのリュックに詰めるよりは、諸所にひっかけ型。菅笠もしっかり固定していました。鋭い眼光が印象に残っています。 |
24 | 5月2日 | 44番途中 | 前日から何度も出会い、古岩屋荘で同宿となり、ともに食事をする。まだ、現役の社長さんで全国を飛び回っている。遍路中も業務らしい電話を幾度もかけていました。毎年この時期に、何日か お遍路するようである。今回は48番西林寺までの計画だそうです。サインをお願いしたら、郵便番号や携帯の番号まで丁寧に記入された。ちょっとした些細な行動にも、その人の持つ人格や徳が現れます。 |
25 | 5月3日 | 46番途中 | 打ち戻る途中に京都のお姉さんと再会する。何度も出会い、バナナを貰ったり、同行したりしていたが、これまでにサインを貰っていない。この時は強い縁を感じ、サインをお願いしました。住所は大津と京都と2ヶ所を力強いタッチで記入されました。何者だろうと気になった女性である。 |
26 | 5月4日 | 52番境内 | 伊賀の婦人に出会う。伊賀の周辺も良く歩き、高校の同窓生も住んでおり、なんとなく嬉しいものである。、 |
27 | 5月4日 | 53番境内 | 一昨日、峠御堂で笑みを交わした新潟のKさんと再会する。西区と知り、砂丘の話を持ち出すと『よくご存じで』と返ってきた。日本海からの強い砂塵で閉口した経験があったので忘れられない。苦しも良き思い出である。 |
28 | 5月4日 | 54番境内 | 千葉のSさん。佐賀県出身と思われる姓で確かめるとそうでした。 |
29 | 5月5日 | 55番境内 | 277回目の参拝と言う大本徳森翁にお会いし、錦の納札を戴く。 |
30 | 5月5日 | 56番境内 | 新宿のNさん。健脚の彼に道中、追い越され、丁寧なお参りをする彼に追いつく私である。コースの取り方や道の間違いなどで、この後、何度も彼に出会う。福島出身の珍名さんである。 |
31 | 5月5日 | 58番途中 | 自称『歩きの写真家』。プロかアマかは不明であるが、地元で50年。風貌は少し芸術家らしいものを漂わしている。 |
32 | 5月6日 | 61番境内 | 年配の婦人が地図を見ながら思案している。これから60番を目指そうか、悩んでいるのである。失礼だが、そんなに若くない。時間も12時近くである。私は嫌な道を思い出しながら、あまり勧められない。私が泊ったしこく屋から打ち戻る方法もあるよ。私ならそちらを選ぶという意見を述べた。 サインを戴くと埼玉県日高市の人で、高麗神社の近くだと言う。納経帳には『ありがとうございます』と戴いた。 |
33 | 5月6日 | 62番〜64番 | それぞれの境内でサインを貰ったが、不思議なことに、すべてご夫婦であり、しかも、皆さんが住所を番地まで記入してくれました。 若くない婦人が一人で計画変更をしながら、歩き遍路をする姿に感激しました。 |
34 | 5月7日 | 別格延命寺 | 今日は札所もなく出会いが少なかったが、オランダ人学生とたっぷり話しました。哲学の専攻らしいが、日本を良く知っているので驚いた。納札を交換するマナーも心得ていました。四国遍路でオランダ人が非常に多いのは、きっと素晴らしいガイド本を書かれた人がいるに違いない。恐らく彼も将来は母国で日本のことを紹介してくれるキーマンになると思った。 |
35 | 5月8日 | 別格椿堂 | 逆打ちの一国参りをしている神戸のHさん、伊予三島駅から帰ると言っていました。とにかく外国人が多くて日本人とはあまり会いませんでした。 |
36 | 5月8日 | 68番境内 | 駐車場で納経所が開くのを待っていた二人連れにサインを貰う。車が三河ナンバーなのに沖縄の人だった。、娘のを借りてきたそうだ。 改めて見ると沖縄の人と識別できる特徴がありました。どうして『ここは二ヶ所一緒なんですか』と聞かれたが、答えられなかった。 |
37 | 5月9日 | 74番境内 | 日本人が捕まらず、外人女性にサインを頼んだ。発音は不明だが、パリのマリー・エリーゼと読める。 |
38 | 5月10日 | 80番境内 | 滋賀県竜王町のご夫婦にサインを貰う。“国分寺にて”と追記された。 |
39 | 5月11日 | 85番境内 | 広島のBさんは氏名にカタカナで振り仮名を振ってくれました。自分の名前は正しく読んで欲しい気持ちが伝わる。 そういえば大阪の人も“リキイシ”は重箱読みで間違いだと言う趣旨のことを言っていたが、もう、現実の世界にたっぷり浸り、仕事をしているころだ。 |
40 | 5月11日 | 87番途中 | 逆打ちの静岡のWさんと出会い、話す。街道歩きは諦めたが、四国遍路は気に入り、5回目だと言う。 |
41 | 5月11日 | 87番境内 | 境内のベンチで隣同士に座ったカナダのダラさんにサインを貰うと、納札スタイルの私製ステッカーをくれた。カナダとイタリアの国旗が描かれていたから、両親は国際結婚かもしれない。しきりに“ピース” を連発していました。時々、日本語で私の目を見いるように“平和”とも言いました。ただ物ではない、何かを背負っている様に思う。 |
42 | 5月12日 | 八幡にて | 88番を参り終えて、旅館の浴場や食堂で一緒になった長野の大先輩。 親しく話してくれる好々爺である。10番を終えて、2泊目だと言う。明日は11番の傍に泊まるので、楽だと言っていた。今回は30番を目標だと屈託なく笑っていた。帰りは大阪に出て、豊橋から帰るようだ。老いても一人旅ができるのは幸せである。納経帳は部屋のリュックに入っているので、サインは貰いませんでした。 |
今回の遍路で戴いた納札です。私の宝物となります。