23日目                 出会い  お接待

2017年5月6日   雨     4:23〜18:12   44.4Km    71,456歩    BH MISORA

 泣けた!横峰

出発時はまだ降っていなかったが、すぐに降り出した。風はなく雨はそれほど強くなく歩きやすい日和である。6:35頃車道が途絶える地点に湯浪休憩所がある。ここまでだらだら登ってきたが、ここからの2.2Kmが正念場である。厳しい坂だが、50mごとに現在地がわかるので、ありがたい。少しづつでも進んでいることが表示されるのは力強い応援である。あと600m、通常の登りならば目処が立ったと言える距離である。残り200mでも苦しんで歩く。黙っては歩けない。何かしら独り言を言いながら歩く。『六根清浄』『南無大師遍照金剛』『一歩一歩、また一歩』子どもに戻って、昔、遊んでふざけて言っていた『たぁ〜すけ給え天理教』などが出てくる。しかし、そのうちに涙声に変わり、それ以上続けると泣き出しそうになる。そこで黙るが、いつしか再び声を出して進んでいる。歩いていて、泣き出したことが以前にも2度ある。最初は、まだ徒歩旅の経験が浅かったころ、東海自然歩道を何回かに分けて、東京・高尾から大阪・箕面まで完歩した最終日である。それまでの辛さが一気に噴き出したように、涙が出ました。2回目は、北海道の大地で、宿を出てから次の宿まで40Km以上、自販機すらない、大自然を一人で歩く。人はおろか、車も殆ど通らない。そんな中で、十勝川の河口に架かる橋から見た光景で、その神秘さになぜか、涙した。その時以来である。
尾崎放哉の“せきをしてもひとり”の句がある。私は徒歩旅で感じる心境を綴ると
  『咳しても 屁をこいても 喚いても
  道は果て無し 静かに続く
  ひたすら歩む 吾一人
  この甲斐や 一夜限りの 眠り誘う
  目覚めれば 魅入られて 果て無し道へ』となる。
8:25漸く60番に到着である。2.2Kmを1時間45分要したのである。肺年齢95歳の悲しさを改めて知る。61番へ向かう途中、新宿のNさんに出会う。逆から登ってくるので理由を聞くと、61番を昨日回り、今日は60番を打ち戻すと言う。と言うことは、この後、足の速い彼に追い越される筈だが、追い越されることがなかった。長い山道をアップダウンしながら、表示もわかり難く不安を感じながらも61番に到着する。途中に雨中のつつじなど嬉しい光景もあるが、ここを打ち戻すNさんの気が知れないと思った。60番から61番の山道は今朝の宿から60番までよりもはるかに長いのである。
納経への対応で不評の62番は丁度、昼休みで何人かが駐車場で時間待ちをしていた。私が手作り納経帳にお遍路さんのサインを貰う理由の一つも、このような寺院の対応に問題を感じているからです。御朱印そのものに、ご利益があるとは思いません。単なる記念ならば、一度貰えば十分です。私は人との出会いが思い出になると思い、御朱印の代わりにサインを貰っています。
63番に向かう途中で、またもや前方から新宿のSさんが現れた。理由を聞くと、道を間違えて63番近くに出たとのことである。私自身も間違いそうになった地点が何か所もあったので、理解できる。彼とはもっと、ご一緒したかったが、その後、会うことはなかった。
63番吉祥寺にも大本徳森翁の記念碑がありました。石鎚山駅近くの石鎚神社口の宮を通過する。石鎚山はもっと内陸部にあると思っていたが、意外にも西条市で瀬戸内海から20Km位しか離れていない。