22日目                 出会い  お接待

2017年5月5日   晴     4:51〜17:22   44.8Km    68,717歩    しこく屋
 200回以上の参拝
 
 
54番では納経所が開く前から昨日、会った車遍路の伊賀の人や3日に会った公共交通機関を利用する静岡の人に会った。なぜ、歩きの私と再会できるのか不思議である。恐らく他にも観光をしていると思われる。今治市街を歩くのは三度目である。毎回、南光坊の前は歩いている。別宮大山祇神社が隣接している。大三島にある大山祇神社では不便なので、今治に別宮を建立したのだろう。南光坊で佇まいと言い、声音と言い、並々ならぬオーラを放ち、唱経している人がいる。参拝が終わるのを待って、サインを戴く。その人は277回目の遍路だと言う。直ちには信じがたい回数である。しかし、目の前の賽銭箱には彼の名前が寄贈者として記されている。200回参拝記念として奉納されたのである。大本徳森翁である。『人生は遍路なり』のメッセージも納経帳に記入戴いた。絹の納札も戴く。
56番近くでキャリアーを引くお遍路さんに追いつく。「どちらからですか」と尋ねるが、何やら言っているが、会話を拒んでいるようだった。もしかしたら、56番の前で托鉢に出かける人ではないかと想像した。56番で出会った人は珍名さんで、名前が『ナマエ』なのである。「何と読むかわかりますか?」と問われ、自信はないが正しく読み、福島に似たような読み方をする姓が多いと伝えた。やはり、もともとは福島出身でした。全国を歩いているので姓に対する知識も多少備わっていると自負している。
彼はスポーツマンらしい体格で、かなりの速足である。でも『でも午後からはバテるんです』と言っていた。57番を過ぎた山道で“歩きの写真家”を名乗る人に出会う。風貌も少し芸術家を思わせる。自分が歩いていると言うよりは、歩いている人の写真を撮っているようである。もう、50年以上も続けているという。話をしていると、先ほど出会った新宿のNさんが追い付いてきた。この写真家はNさんが気に入って、いろいろとポーズを催促しながら撮影していました。
今日は平坦な道が多いが、58番だけがちょっとした山になっていた。時折、しまなみ大橋を眺められるが、霞んでいて、もう一つすっきりせず、期待した感激が湧かない。
河原津の浜辺は、子どもの日だけに多数の人出が遠くからも確認できました。
今日の宿は遍路道からは少し離れているが、難所の60番には一番近いことと温泉であることを考慮して決めた。