21日目                 出会い  お接待

2017年5月4日   晴     4:41〜17:16   44.6Km    73,791歩    ますや旅館
 写真がない
 
これまで私の徒歩旅の最長記録は21日である。今日は記録更新日の朝である。用便を済ませると、自動で汚物が流れる便器であるが、一瞬便器内が赤く染まっているのが見えた。疲れてはいるが、体調異常は感じていない。しかし、次のトイレの時には、よく確認しようと思った。
部屋は相部屋だったので、他の人に迷惑にならないように、携帯用の懐中電灯で手元だけ明るくして、必要な持ち物の確認をして、部屋の外で足の手入れや朝食を摂った。道後の街では宿にあぶれたらしい若者が多数いた。
52番に向かう途中途中にトイレがなくて困った。漸く開店準備中のガソリンスタンドがあり、トイレを借りた。他所の旅行でも、ガソリンスタンドでトイレを借りることはあるが、歩行者なので多少、遠慮があります。しかし、四国では遍路姿をしていると気軽にお願いできますし、快く貸してもくれます。ひどくはないが、少し血が混じっており、切れ痔のようだ。この後、ハードな計画があるので見直しを検討しようと思った。52番では夫婦で車遍路の伊賀の婦人と出会う。堀江湾に注ぐ小さな川の河口に出た。見えているのは伊予諸島だろうか、島々が見え、沖を行く船もゆっくりと動いている。瀬戸内の浜辺を白い海鳥が私を先導するように小刻みに飛んでいく。53番の門前では一昨日、同じ苦しみを経験した者同士として、自然に笑顔を交わした新潟の人にも再会した。強い縁を感じサインを貰うが、その後、会うことはなかった。53番の境内で一息ついて、メモを取ったり、地図を見ていると、どこからか現れた婦人に『ご接待です』と言って、パンとペットボトルのお茶を戴いた。その時は個人から戴い戸と思ったが、帰路に何人かの婦人で手分けして配布していたので、地域の団体からのお接待と思われます。その後、お昼は携行したパンとお接待で済ませました。
平地に体が慣れた頃、腰折山に向かう。鴻之坂から島々が見渡せる。かって歩いたとびしま海道の芸予諸島かもしれない。看板か表示があれば嬉しかっただろう。
今治市内の菊間地区は瓦屋が多い。少雨、薪、海運などの理由で、この地が瓦、とりわけ鬼瓦や飾り瓦の産地になったようだ。全国を歩いていても瀬戸内沿岸や四国、中国地方は飾り瓦の多い家が多く、歩いていて楽しい。淡路の瓦、今治の瓦、西条の赤瓦、山陰の石州瓦といろいろな瓦が浮かぶ。
正真正銘、瀬戸内に出た感じのする一日でした。山から市街地を見下ろしこともあり、瀬戸内の堤防沿いを歩くこともあり、瀬戸内を満喫できた。瀬戸の島々を渡り歩いたとびしま海道の思い出も甦り、楽しい日になりました。旅はその時だけでなく、その後も追体験するかのように楽しめるのがありがたい。明日はしまなみ海道が見えるので、また楽しみである。
宿に着いたのは5時過ぎである。宿を予約したときは、『田舎の小さな宿で、タオルも浴衣もないが良いですか?』と確認され、一寸と心配したが、立派な旅館でした。電話で応対したのは先代で、夕食などは若い世代が担当していると思われた。ウエイトレスは白と黒の服装で、食事内容もかなり洋風でした。何も謙遜することのない合格点です。
体力の低下、疲労の蓄積を考え、今後の日程変更を行う。平地が続く、明日までは計画通りとする。
5/6(66番クリア)〜8日(83番クリア)で計画していたが、3日分のコースを4日掛けることに変更した。
異常はないと思っているが、確実に疲れが溜まっている。それは休憩する回数が増えたことで分かる。色んな人からご接待を受け、助けられ、励ましあって、ここまで無事にクリアしているのに、途中で断念となれば、皆様に申し訳ないと思う。とりわけ納経帳に住所まで記入してくださった方には、是非結願のお礼状を出したい。自分の体一つ、管理できないようでは恥ずかしい。色々と自分自身に言い聞かせるように、自分を納得させる。