内子町 | ||||||
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本日は四国に来て最短のコースである。約30Kmである。明日も同程度である。仏木寺近くの『とうべや』が取れなくて、43番から45番までを2日予定だったが、3日予定に変更したため、旅をしながらの休養日である。早く出発する必要もないが、普段の習慣で目が覚めてから、じっとしておれない性分である。いつもよりゆっくりと休憩を取りながら歩く。途中で大阪のTさんと一緒になり話しながら歩く。私は5月3日の宿の手配と内子座の見学をしたいので、途中で彼とは別れる。国道を歩いていて、いったん内子の旧市街を通り越したが、戻って散策し内子座の見学もする。 京都からのお姉さんが追い付いてきた。『食事はされましたか?』と尋ねられ、『パンを持っているのだが、休憩するところがなくて』と答えると、リュックを下ろしてバナナと手拭きをくれました。食べながら歩けばと言う意味である。遠慮なく戴き、すぐに食べ始める。女性なのでトイレがないことに困っているようで、彼女が先行していった。コースから少し離れたところに休憩所とトイレがあったようで、遠くからこちらに手を振っているのがわかり、こちらも手を振って応じた。私は先に進むが休憩所がなく河原口バス停舎で昼食にする。 漸く、5/3松山の宿が確保された。諦めて人生初体験のネットカフェでも探そうと考えていたら、松山ユースホステル相部屋の看板が目についた。素泊りならばとOKとのことで予約する。 途中に大変清潔な無料遍路宿がありました。布団や毛布はがきちんと整理されてありました。 私が大阪のTさんに追いつき、更に、京都のお姉さんが追い付いてきた。かなり早い人である。今日の宿、さかえ屋の前で、二人を見送る。彼らは農祖峠越で44番に向かうため、もう数Km先の宿を確保している。 それにしてもびっくりする宿である。猫が何匹もたむろする倉庫のような入り口から急な階段を昇り部屋に案内された。風呂は迷路のような先にあり、シャワーがない。固形石鹸はあるが、シャンプーはない。昭和20年代の光景を見るようである。トイレはもっとひどかった。これは、使う気になれない。3軒先の商店に行ったが、買う気になるものがない。店先の自販機で飲料を買った。 食事は5時過ぎに運ばれてきた。早すぎるのは我慢できるが、かなり淋しい。猫まんまかと思うような食事でした。ほとんど食べる気にならず、残しました。 空腹を満たすため、再び3軒先の商店に行き、カップ麺や牛乳を買いました。近所の人が宿屋のことを話し、『エライ所に泊まったね』と慰められる。猫は20数匹いると言う。『文句を言うと大変だよ』とアドバイスされた。宿賃は2食付きで7,000円です。翌日の朝食はおにぎりをお願いしました。もちろん残り飯を握っただけの物でした。 |
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