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IVYカルチャー 野村祐之先生(14期)講演要約

 バチカン・サンピエトロ大聖堂に隣接する教皇専属の礼拝堂、システィーナ礼拝堂の天井画(1512年)が奉献されて500年を迎えました。今日は時間と空間を跳び越えて、いまここに生きる私たちとの関係でこれを取り上げてみたいと思います。
 現在が「21世紀」というのはキリスト教ではの話です。同じ一神教でもイスラム暦ではいま15世紀、ユダヤ教では58世紀です。キリスト教の歴史観ではキリスト降誕を起点に歴史を前後に分けるわけです。日本史で習う「794ウグイス平安京」もキリスト降誕から数えてということで、「延暦13年」といわれてもピンときません。つまり日本の学校では日本史すらキリスト教的歴史観にのっとって教えているわけです。
 そのキリスト教2000年の歴史全体をザックリ大きく捉えてみましょう。500年ずつに分けてみると、最初の5世紀までが古代、15世紀までの千年間が中世、そして最後の500年が近現代、英語ではMODERN TIMESとなります。「モダン」というと最近のことのようですが実は広くルネサンス、宗教改革以来の500年を含みます。ミケランジェロの時代こそ、まさにその曙だったのです。[写真2]これを日本の歴史と重ねるとミケランジェロは織田信長と同時代人です。このご両人、いかにもモダンな現代人の先駆けですよね。

  ミケランジェロはイタリアの人ですが、国としての「イタリア」はまだ建国150年程、明治維新のちょっと先輩です。それまでは複数の国々、領土にわかれていて、ミケランジェロは「フィレンツェ人」で、サン・ピエトロの「ピエタ」に「ミケランジェロ・ブオナローティ、フィレンツェ人」とサインを残しています。
 このフィレンツェがルネッサンス発祥の地です。当時この街には天才芸術家がもう二人いました。ダビンチとラファエロです。1500年にはミケランジェロ25歳、ダビンチ48歳、ラファエロはまだ17歳で、お互いにも良く知る仲でした。ミケランジェロは晩年をローマで過ごしました。ダビンチはミラノに『最後の晩餐』を残していますし、ラファエロはバチカンに多くの作品を描いています。フィレンツェ、ミラノ、ローマが彼らの活躍の舞台でした。この3都市を日本に重ねるとどの辺りになると思いますか。北のミラノは稚内、フィレンツェが旭川、そしてローマは函館とぴったり重なります。ですからミラノからフィレンツェを経てローマに至るツアーというのは、稚内から旭川、函館までの道内旅行と北緯も距離感も一緒です。では東京はどこになるでしょう。北アフリカ、チュニジアの首都チュニスの南、沖縄はサハラ砂漠の真ん中です。 



 ダビンチ、ミケランジェロとラファエロがフィレンツェで知り合いだったという歴史の偶然にもビックリですが、当時の日本でもそんなことがありました。織田信長、豊臣秀吉、徳川家康です。この三人、今でいえばみな愛知県の生まれ。もしミケランジェロが日本に来てればこの三人に会えたんですからね。まさかその頃、日本には来られなかったろうって?いや、ザビエルが来たのがその頃です。そしてその三十年後には天正少年使節がローマで、グレゴリオ暦を制定して間もない教皇グレゴリオ13世に謁見しています。彼らは『最後の晩餐』も『ダビデ』像も、システィーナ礼拝堂の『天井画』や『最後の審判』も目にしたに違いありません。  
 ところが彼らが帰国するころ、日本ではキリシタンが弾圧され、インドのゴアで長く足止めを喰いました。覚悟を決めやっとの思いで帰国すると、弾圧の当の本人、秀吉は彼らを聚楽第に招いて持ち帰った楽器を演奏させたと記録にあります。その曲名が『千々の憂い』だったというのにも歴史の皮肉を感じます。



<ビデオ上映。サンピエトロ大聖堂とシスティーナ礼拝堂、外観・内部を見ました。> 

 システィーナ礼拝堂を建てたシスト4世の甥、教皇ユリウス2世はミケランジェロをフィレンツェから呼び寄せ、礼拝堂の天井画に十二使徒を描くよう求めました。彫刻家の彼は絵を描くことを固辞しましたが、いったん受諾すると天井画のテーマを逆提案し、その結果生まれたのがわれわれの知る『天地創造』です。
 もう少し正確に言うと天井画の中心部分には、三場面ずつ三つの物語が描かれています。天地創造物語、アダムとエバの物語、ノアの洪水物語です。その周囲には12人の預言者と巫女、共にキリストの到来を予言していたと考えられていました。異教の巫女たちをも含めていることころはルネサンス人としてのミケランジェロのモダンな理解によるでしょう。さらにその外側をキリストの祖先たちが取り囲んでいます。キリストこそ登場しませんが天井画全体がキリストの到来に向けた旧約聖書とその時代を描き出しているのです。
 さて、天井画の三つの物語を見ていくことにしましょう。天地創造物語の始めは「光の創造」です。「光あれ」とコトバで創造する神の姿は聖書にありません。でも声を絵にするわけにはいきませんから、ミケランジェロは神の姿を描いています。ただし顔は見えず、そこあるのは声を絞る神の喉ぼとけです。




 次の場面には宙に浮いたまま世界を創造する神の姿があります。この絵を見てアメリカの宇宙飛行士が「彼は宇宙で無重力を経験したに違いない。でなければ無重力状態での姿勢の取り方や衣の広がりをこんなに正確に描けるはずがない」といったそうです。現代の宇宙飛行士を驚かせる程の表現力だったわけです。



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