「黒」の友人たちへ

私たちの友人、桧森孝雄さんが、突然この世を去りました。先頃刊行した「黒」8号に掲載した「水平線の向こうに――72・5・30リッダ覚え書き」の読者であれば、桧森さんの名前は、鮮烈に思い出すことができるかもしれません。

3月29日以来、シャロンとイスラエル軍によるパレスティナの人びとに対する虐殺が開始されたことを知らない者はいないでしょう。

桧森さんは、パレスチナ「土地の日」である3月30日夕刻、日比谷公園「かもめの噴水」広場で、灯油をかぶり、自ら火をつけ、焼身自殺をとげられました。

私たちは、なによりもまず、彼が命とひきかえにその行為を決行し、それをやり遂げたという事実を、胸にまっすぐに受けとめます。そしてその事実を、「黒」の友人のみなさんへ、早急にお伝えしたいと思います。

新聞報道は、中年男性の死、日本赤軍支持者など、警察情報をなぞるだけでした。この出来事を伝える資料として、AP通信の報道の抄訳を紹介したいと思います。


日本のパレスチナ連帯活動家 
東京の公園で、焼身自殺

日本のパレスチナ連帯活動家が、中東におけるイスラエルの弾圧に抗議し、東京の公園で焼身自殺した。4月1日月曜日、仲間の活動家が明らかにした。

彼の友人足立正生によると、彼、桧森孝雄、54歳は、土曜日に自分の身体にガソリンをあびせ、そして自ら火をつけたという。警察側のスポークスマン、コージ・ハタは、週末に公園で焼死した男性がいたことは認めたが、、彼のアイデンティティについて発表することは拒否した。「桜の花を見ていた人びとが、突然、人が炎上するのを見て、警察を呼んだのです。」

桧森は、活動家グループ“Voice”のかねてからのメンバーであった。パレスチナを支援するためのハンガーストライキと献花行動に参加していたと、足立はいう。

炎を消したあと、機動隊員は自分で火を付けたのかどうか桧森に尋ねた――このような警察発表が家族には伝えられた。

足立は、「彼は、同意のしるしにうなずいて、そして亡くなりました」とつづけた。

日本人活動家グループはその日、パレスチナの「土地の日」にちなみ、ヤセル・アラファト議長に対するイスラエルの弾圧に抗議する集会を開いていた。イスラエル軍によるヨルダン川西岸への侵攻、アラファトのラマラ議長府監禁から、今日月曜日で4日めとなる。

AP通信/東京より、3月31日

桧森さんが最後に遺したメッセージをここに掲載します。彼を、ほかではなく、仲間として受けとめている方にとどくことを心から望みながら。

2002.4.6 黒 La Nigreco刊行同人一同

* 「パレスティナの方々へ 侵略国家はいらない
(2002.3.30づけ、桧森さんが最後に遺した文書)
*「水平線の向こうに――リッダ1972.5.30覚え書き
(遺稿。リッダ闘争の桧森さん自身の総括)
* 『風』34号/三月三〇日を花炎忌として
(生前の桧森さんからのメイルを紹介)

戻る表紙へサイトマップ