アナーキー時評 2001年


 
 

12月23日 ハッピークリスマス(War Is Never Over, Cuz No One Gives A Shit) (森川莫人)


先日、とある百貨店の中を歩いていたときのことだ。ジョン=レノンとヨーコ=オ ノの「ハッピークリスマス」を歌っている人達がいた。結構な観客もいる。友人の トイレを待ちながら、商品め、と思いながら聴くでもなく聞いていた。こういうと きに、反戦の垂れ幕とかこいつらに投げつけてやれば良いのに、なんて空想をして いた。だが、最後のフレーズ「War Is Over, If You Want It」は歌われずに、終 わってしまった。最も大切な部分が歌われなかったんだ。

時局的に主催者から歌わないよう言われたのか、自主的に「不適切」だと思ったの か、どういうつもりなのか知らない。最初はなんだそりゃ、と憤った。だが、少し 考えたら、確かに、戦争は終わっていない。というよりも、終わらない。終結を望 んでいる人など数少ないからだ。アフガニスタンが終わってもどこかで戦争が起こ っている。9月11日の前から何処かで戦争が起こっていた。ニュースにもなりはし ない。誰の目にも止まらない。戦争は終わらない。クリスマス商戦という名の戦争 は、一日で終わるが、生活の戦争は一日たりとも終わらない。戦争のない社会の話 をすれば、誰もがこういう。「そんなの無理だ。」アホ!実行できるかどうかを聞 いてんじゃねぇ。お前が望むかどうかだ。想念が社会を創るかどうかは知らないが 、少なくとも誰の想念からも戦争終結は出てこないだろう。クリスマスの時期の多 くの人の想念なんてそんなもんだ。コカコーラの標語は「No Reason」だ。理性は ない。考えるな。もはや人間であることを止める時期のようだ。

ビンラディン捕獲・サッチー逮捕・コイズミ発言・タナカガイムダイジン失言・ブ ッシュ離脱・マサコ出産・キョウギュウビョウ・コーセーショー・ノースイショー ・クリスマスですプレゼントを買おう・ナニヲカッテモラオウカナ・ニクコップン だ・年末はコーハク歌合戦・忘年会は飲み過ぎに注意・アフガニスタンでは人が死 んでます・景気は悪くなる一方です・シツギョウ・ジサツ・スイカでタッチ&ゴー ・来年はワールドカップ・フーリガンには気をつけましょう・カネヲカリロ・カイ シャガッペイ・アイモード・品川でジンシンジコガアリマシタ・カイシャ行きたく ないよ・オマエソバニクンナヨ・最近オモシロイコトナイカナァ

Merry Christmas, then You'er Fucked Up, and I'm Fucked Up.


 

12月10日 噴火 (T)


 急成長したユニクロの社長が、テレビで次のように言っていた。
「これまでは、年収1千万という線があったと思うんですよ。そこそこの人なら到達できる線としてね。しかしぼくは社員たちにこう言ってるんです。これからは、年収1千万はありえない。年収1億か、年収100万か、そのどちらかしかないんだ、と。」
 さて、これはどういう意味なのだろう?

 たとえば1億1千万の利益を11人で分けるとすれば、一人当たり1千万円になる。しかし11人のうちの一人が1億円を取ってしまえば、残りの10人には100万円ずつしか残らない。社長が1億取れば、社員たちには100万しかないのである。それでは、社員たちはどうすればいいのだろうか。答は簡単。社員を110人にして利益を11億にすればよい。そうすれば10人は1億円ずつ取ることができるわけだ。残り100人はまた100万円ずつ。ではその100人はどうしたらいいか・・・

 これが資本主義の急成長の秘訣である。マクドナルドもスターバックスも、短期間に急成長できたのは、このシステムのおかげなのだ。このような急成長を支えるためには当然、市場を急拡大させなければならない。一地域や一国内に限定されていては、このネズミ講システムはすぐに壁にぶち当たってしまうから、市場が限定されてはならないのである。全世界の市場を開放させ、グローバル規模で自由に経済活動ができなければならない。
 ところが、グローバル市場で大成功する1億円長者が増えれば、その数十倍の没落貧乏人が生み出される。一握りの勝ち組を支えるために、圧倒的多数が負け組へと追いこまれるのである。しかも、この勝負はスタートラインが同じではない。はじめから圧倒的資本力を持つアメリカの大企業が強いのは当たり前である。規制緩和だの市場開放だのというのは、ボクシングの階級を撤廃するようなものだ。ヘビー級が勝つに決まっている。
 つまり、規制緩和・市場開放というグローバリズムの流れは、圧倒的に強いアメリカ企業がますます巨大化し、そうでない者たちは没落させられる環境を作ることなのである。
 ソ連が崩壊してからの10年、アメリカは全世界でやりたい放題のことをしてきた。ムリヤリ負け組にさせられた全世界の敗者の怒りは、爆発寸前である。テロ事件は、そのほんのさきがけにすぎない。原理主義やテロなどの現象のみに気をとられ、怒りのマグマの存在に気づかないならば、はるかに大きな大噴火が起きることになるだろう。


 

12月3日 内親王という悲劇 (乱乱)


 身長49.6センチ、体重3102グラムの女子が2001年12月1日午後2時43分にこの地に産 まれたそうな。名前さえ決まらぬうちから、「内親王」などという肩書きが付せられ 、その成長過程において、衣食住は保証されるものの、おそらく自然のもたらす死以 外の自由は、極めて制限されたなかで生きねばならないことが、その形も現わす前か ら最早決定済だとは、その子は知る良しもないだろう。
 皇位継承者のファミリーなんぞに産まれなかったら、守銭奴と呼ばれるのも誇らし い金持ちや、死体の皮をかぶったシリアルキラーとか、公の物は私の物の高級官僚、 情け無用のテロリスト、生殺与奪の独裁者、なんでもお望み次第だったかも知れない のに、残念至極。
 街頭には早くもすでに用意してあった「奉祝」の横断幕だの「日の丸」が掲げられ ている。メディアでは、いつも通り「国民総奉祝」へ演出まっしぐら。マイクを向け られた「国民」は「関心なし」程度の少数意見すら皆無にされているはずだ。「待っ てました」「良かったですねえ」「おめでたい事です」ニコニコ顔ばかり。彼の地で の赤ん坊やその母親も当然含む無差別戦争殺人にも「多少の犠牲と」看過、手を汚し 、戦地へも人を送りながら、今度は「明るい、うれしいニュース」(*1)だって、 まったく救われないぜ。そのノーテンキさには。
 しかし、国民は無自覚な共犯者というわけでもない。天皇家という絵に描いた「高 潔」で「高邁」(*2)な「ロイヤルファミリー」という控えめ目なスペクタクルに も拍手喝采してみせるのも、抑圧システム/国家の死体隠蔽のためという生臭い、シ ステム自体からの要請のみならず、国民側にも、無際限に、「高潔」とか「高邁」と かの無理難題を自らに課すことなく、欲望の赴くまま気の向くまま、面白可笑しく「 自由」を謳歌出来るというメリットがあるからだ。しかも、自らは決して到達し得な い課題を「ロイヤルファミリー」に負わせながら、反面、その破綻/不幸をも願うと いう、「本当のお楽しみ」も秘めながらだ。
 「国民」の凝視/監視にさらされながら、天皇一家は、「国民」のあらゆるニーズ/ 幻想を成立さすべく、人であることを停止する。それには超越的な存在であると同時 に、なおかつそれが国民の想像力の範囲にとどまなければならないという困難さが伴 う。たとえば天皇一家の「人柄の良さ」「優しさ」「気遣い」「ユーモア」「人間性 」まれには「知性」が評価されたとしても、決して「国民」は、それを心底価値ある ものとしては見ていない。「日本国民の範」(*3)等とは思っておらず、「国民」 は、あたかも絶滅種の珍獣を見るような態度で、天皇一家やその立ち振る舞いを鑑賞 するのだ。その代償として「国民」不特定多数に向けられる「暖かな視線」とか、何 がしかの功労者や、あきらかに自分が施したいが一向に実行する気が起こらない「善 行」を、彼等「高貴な人々」がけっしてその地位に奢ることなく(*4)「謙譲」さ を見せつつ行うことによって、深い満足を覚えるのだ。
 それでも、ヤラセの羨望としても、やはり嫉妬(*5)は付きまとうため、地下に おいてグロテスクな噂のネットワークが機能することになる。
 このような状況下に、その女子は産まれたのだ。これは悲劇と言うしかないだろう。  しかしそれ以上に、擦り切れた妄想に浸り続けている「国民」の悲劇は尚大きいのだ。

*1 コイズミの言
*2「高潔」「高邁」というような言い回しでは評価されたりしないが
*3 システム側からすれば、当然その機能への期待がある
*4 「国民」を蔑視したりすることなく
*5 衣食住終生保証付か「幸せファミリー」幻想に対してか


 

11月24日 十大ニュースに苦言を呈す (森川)


12月が近づくとそろそろ十大ニュースの時期になる。こんなことで年末なんか感じたくはないが、恒例行事のようになってしまった。今年のニュースには必ずや9月11日事件とイチローが現れるだろう。だが、年末の一大イベント、雅子さんの出産をはずすわけには行くまい。

彼女の出産についてあれこれ物を言いたいわけではない。マルサスにかぶれていない限り、子供が生まれること自体が悪いことであろうはずがない。それが、無理やり結婚させられて、法律上人間であることを剥奪されようとも。

だが、問題は、片や何万人という人が喪に服する間もなく死んでいる一方で、たった一人の女性が出産するという出来事に何万人もの日本人が浮き足だつ、という事実だ。片や何万人という人が喪に服する間もなく殺されている一方で、たった一人の男性が、米国にて、スポーツで良い成績を挙げたということで、ヒーロー扱いされることだ。

アナウンサーが言う。「暗いニュースが多い中で、明るい話題もありました。」

暗いニュースが多い?明るい話題?マジで言っているのだろうか?アフガニスタンのことが暗いニュースならば、何故、それに反対する報道をしないのか?いったい、話題を明るいものであるかのように、あたかも贖罪でもしているように、報道しているのは誰だ?人間であることを剥奪され、自分の出産を大々的に報道され、自分のセックスまでもが赤裸々に語られているのが、「明るい話題」なのか?

出来事の背景や出来事が持つ思想を排除して、あたかも全ての出来事が等価であるかのように羅列する。そして、「報道の中立性」なる言葉が言い訳のように繰り返されるのだ。中立?そんなわけはないだろう。報道が中立であったことなどない。

日常生活が規格化され、商品化され、数量化されることで、僕らの意識はメディアによって決定される。共通の話題といえば、テレビがたれ流すカスみたいな常識だ 。あたかも全てが「平等」になったかのようだ。十大ニュースはその最も良い例だ。

あーぁ、めでたいね。


 

11月4日 無意味 (T)


 アフガニスタンへの攻撃は、テロリスト壊滅作戦としては全く意味がない。そもそも今回のテロリストたちのアジトはアメリカやドイツにあったわけだし、飛行訓練もほとんどアメリカ国内で行われていたことが判っている。アフガン国内にあったとされるテロリスト訓練基地も、ずっと以前から使われていなかったことは明らかだ。テロリストたちはとっくの昔に世界各地に散らばってしまっている。
 それなのにアメリカはなぜ無意味なアフガニスタン攻撃を続けるのであろうか?

 軍隊はそもそも、国家対国家の戦争を前提にして作られている。目に見えないテロリスト相手では、最新鋭のミサイル防衛システムもイージス艦も役にはたたない。対テロ戦争においては、これまでの軍隊では役に立たないのだ。
 これは非常に困ったことである。敵が見えないからと言って何もしないのでは、アメリカ国民から「腰抜け大統領」の烙印を押されてしまう。その上、「役立たずの軍隊になぜ毎年莫大な予算を費やさなければならないのか?」 などという意見が台頭しかねないのである。そんな話にでもなったら大変だ。ここは是が非でも軍隊に活躍の場を作らなければならない。
 幸いなことに、テロリストを援助しているらしい国がある。代わりにそこを攻撃するのはグッドアイディアだ。 対国家戦争ならアメリカ軍は世界最強である。国民から弱腰を責められることもないし、軍隊にも活躍の場ができる。対テロリスト戦としては何の意味もないが、とりあえず大統領と軍のメンツを守ることだけはできるだろう。どうせ相手は内戦続きの世界最貧国だし、犠牲が出たとしても問題にはなるまい・・

 アフガニスタン攻撃は、アメリカの大統領と軍のメンツを立てる以外には何の意味もない。
 日本の「テロ対策特別法」も、テロ対策としては全く無意味であることはもちろんである。


 

10月29日 またもネタがない! (梅田のんきち)


 森川くんの好評だった時評の後は大変書きづらい。
 それに急に振られたので、またもネタがない。

 政治家って、やっぱクソでゴミしかいないと実感させられる昨今ですが、もう選挙 ほんとに辞めませんか?
 こんなので人殺しの決定権まで与えているのはどうかと思うのですが…
 もう普通選挙さえ行えれば民衆(まあ、アメリカの民衆も日本の民衆も今度の戦争 には特に反対していないようですが…例えば日本では消費税の時の反対のようには少 なくともなっていないですし、アメリカの極端な「報復」支持にはあきれかえりま す)の民意が反映されるなどというのは幻想でしかないのがよくわかるでしょう。
 政治家というのはどんな奴もクソです!
なるほど、中には「みんなのためにいい政治を」と志すメデタイ人間もいるかもしれ ません。
 ですが、それこそが大きなお世話で「みんなのため」という支配原理を理解してい ないクソ野郎なのです。
 そういう意味では自民党も共産党も社民党も民主党も同じです。
 どんな党であれ絶対信用するな!
 これは人を支配するためのグループだ。
 選挙は人を奴隷化するためのシステムだ。
政治家とは無知蒙昧な利権屋でしかない。
くだらねえ「正義」を振りまわすだけのゴミだ!
決してコイズミやイシハラのようなゴミ野郎だけが政治家なのではなく、政府や党に 所属したがるゴミども全員が、つまらない「正義」によって人を奴隷化し従属さえよ うとする支配者であるのです。
その支配者はまた戦争という「虐殺」さえ「正義」の名の元で行うのです。


 

10月21日  自衛官に告ぐ (森川莫人)


 「平成13年9月11日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等 に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国 が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置 法案」

 これが君達の国の新しいレトリックである。二年間の時限立法であり、様々な活 動の制約が課せられている。だが、本質的な点は変わらない。

 今回の法律では、治療中の難民や米軍傷病兵など「自衛隊員の管理の下に入った 者」を守るため、その事態に応じて合理的に必要と判断される限度で、武器を使う ことができる。また、現場に上官がいるときにはその命令による。一体、戦場で「 自衛隊員の管理の下に入」らない者などいるのだろうか?上官の命令はいつも妥当 なのか?相手から武器を向けられ、こちらも武器を使用する。これを何というか知 っているか?戦闘だ。結局は、積極的意味ではないにせよ、戦闘を認めている。つ まり、君達が死ぬことが想定されているのだ。

 君達は米国のために戦場に行くのだ。国益のために、などと言われようとも、国 際貢献云々と言われようとも、事実は、米国のために、戦場に行くのだ。米国によ るアフガニスタン攻撃によって、最も利益を得るのは、米国と米国石油産業である ことは明白だ。湾岸戦争時にイラクを攻撃したにも関わらず、サダム=フセインが いまだに生存している理由は、米国が軍事基地を中東周辺に置きたいからだ。冷戦 後も継続して米国が世界的な軍事覇権を獲得しようと動いていることはちょっと勉 強すればわかることだ。軍事覇権を得るためには敵が必要だ。サダム=フセインは その最も良い口実だった。湾岸戦争の結果は何だった?サウジ=アラビアの米軍基 地だ。当初は「一時的」基地だったが、フセインが生きているおかげでいまだに存 在している。考えてみろ。湾岸戦争を開始したのは、現大統領の父親だ。親子で戦 争商売をしているわけだ。

 同様に、アフガニスタンは米国石油産業にとって重要地点となっている。カスピ 海にある油田から最も効率良く原油を運ぶためにはアフガニスタンにパイプライン を通せばいいのだ。石油産業大手のユノカル社が継続的にタリバン政権と交渉し、 その政策を支持して来たのは周知の事実だろう。アフガニスタンがいわゆる「解放 」されれば、米国軍事基地と米国資本が大手をふって侵入するのだ。

 これが国益か?国際貢献か?君達が死を覚悟しながら行かねばならないものだと いうのか?いったい、何処に国益がある?米国に従属することは、良く言っても奴 隷的利益があるだけだ。国益など存在するものか。ガキ大将の下でヘコヘコしてい る奴は誰だ?鏡を見てみろ。

 そして、最も本質的なことだが、君達に決定権はない、ということだ。

 私はアナキストだ。自衛隊が憲法でどう規定されようと、憲法は私が決めたもの でない以上、知ったことではない。だが、私が関心があるのは自衛隊員一人一人が どう考えているかだ。君達は、奴隷ではないはずだ。自衛隊員である前に、人間で あるはずだ。人間である以上、考えるはずだ。自分で決定できるはずだ。人間とし て最も大切なこと、それは、自分で思考し・決定し・行動するということだ。これ を基盤として初めて連帯ができるのだ。

 君達が何故自衛隊に入隊したのか、僕には分からない。自衛官は特別職国家公務 員だから職業としては悪くないだろう。いろいろな免許も取得できるようだから、 辞めた後でも転職が容易なのかもしれない。また、なんとなく日本国に貢献してい るような気分にも浸れることだろう。なんであれ、君達は職業を選択する上で自衛 隊を選んだ。それ自体は僕がとやかく言うことではない。だが、今回はどうだ?自 分で決めてアフガニスタンに行くのか?自分で決めた仕事の奴隷になっていないか ?たかだか職業じゃないか。職業は君のアイデンティティを規定しはしないんだ。

 このままの状況で良いのか?誰が君の仕事を決めているんだ?君の給料は何処か ら出ている?税金だ。同じく税金で養われている小泉首相が、国民の意見とは無関 係に法律を勝手に作る。そして、その法律の下に殺されるのは誰だ?少なくとも小 泉ではない。牛肉は安全だというアピールをするために牛肉を食って見せるのなら 、何故政府の奴らはアフガニスタンに行って、自分達で支援しないんだ?同じ公務 員としてどう思う?しかも、君達は死ぬことを想定されているんだ。米国のために 。

 もし、君が純粋に自分の考えで、アフガニスタンで難民の人達を支援したいと思 うのなら、何故自衛隊として行くのか?何故NGOではないのか?これまでやって来 た職業だからという惰性のためだけか?自分が職業として行っていることがアフガ ニスタンを崩壊せしめ、米国に乗っ取られることを知りながら、その職業を惰性だ けで続けていくのか?

 僕は提案したい。これを読んでいる君。君が自衛官ならば、今すぐ仲間と団結し 、ストライキをせよ。自己決定できず、他人に自分の死を規定され、良く見積もっ ても職業的に奴隷根性しか養われない、そんな場所に君はいるべきではない。自衛 隊内部から奴隷根性を撤廃するためにストライキを起こすのだ。上官が何と命令し ようと問題ではない。上官の命令に思いをはせている時点で、それは奴隷根性が染 み付いている証拠なのだ。大切なことは、君がどう考えるかだ。大切なことは、自 衛隊自身の自主管理である。そして、君が、自衛官として身の回りの人達を守りた いと思うのなら、倒すべき相手はアフガニスタンではなく、現在の国家システム・ 資本主義システムそのものであることを知るべきである。

 誰かに操られた自衛隊に「自衛」ができるものか!自衛は、批判精神を持ち、自 己決定できるものだけに可能なのだ。


 

10月17日  ネタがない! (梅田のんきち)


 ネタがないです、「戦争」のことも今更書きたくないし、っていっても書かずにお れないのでとりあえず戦争ネタで…

 で「報復」のための人殺しがとうとう始まってしまって、うんざりですが、アナキ ストは国家や法など埒外なので、関係ないですが、アメリカやイギリスや日本の国家 主義者たちよ、ビンラディンがテロの犯人だとしても確定的な証拠もださず、また仮 のその証拠があったにせよ、裁判にもかけず、なんら反論権も与えずに攻撃するとは どういうことですか?
 とてもあんたらの好きな「民主的」な行為とは思えないのですが…

 アナキスト=テロリストではないので、私たちはテロリズムになんの共感も示せま せんが、こんなバカげた「非民主的」な行為には徹底的に戦わせてもらいます。
 また、国家主義者たちが絶対守らなければいけない憲法に反して「軍隊」を送る日 本政府ならびにクソコイズミにも断固たる抗議をします。
 国家が好きなら最低限、国家という枠を決める憲法くらい遵守したらどうなのか?  それができないなら、日本政府やコイズムらは、テロリストとまったく同じではな いか!
 こんな奴等が国家がどうたら言われたのでは、私たちもおちおちアナキストですと はいえないです。
 というわけで、『反戦ネットワーク」へ
http://flag.blackened.net/apfj/anti_war/


 

9月19日  馬鹿げた殺しに手を染めるな! (乱乱)


 2千円を切る料金で、2時間、頭を使うことなく、ストレス解消にこの手の映画を見 るのもそう悪くもない。しかし、その程度のことを、何千人も、いや今後の展開では 何万人もの人間が実際に死なねばならないとするなら、こんな馬鹿げた話もない。ハ ハハハハハ大笑いだぜまったく。これは途方もない馬鹿げた喜劇だ。何が聖戦だ、何 が報復だ、まったくくだらない。くだらなさすぎるよ。いったい何をやってるんだ!  「肝胆も楚越なり」とは孔子の弁だが、ブッシュとオサマ・ビンラディンは双生児 だ。実際お前たちは憎しみ合うふりはしているが瓜二つに似ているよ。復讐と血に飢 えた同類の鬼畜だ。如何なる獣でもお前たちのような、野蛮なたちの悪い獣はいない だろう。
 第2幕、ブッシュの報復がこれから始まろうとしているが、各国首脳という大間抜 け共が、「断固テロと闘う」の大合唱。「テロ」と「報復」と一体何が違うって言う んだ。汚い殺し合いに違いはないだろう。お前らの放った弾丸で手足はバラバラに引 き千切れ、内臓ははみ出し、脳ミソはぶちまけられ、身体は細切れのミンチか、焼け ただれた肉塊となってしまうだけのことだ。これに何の崇高な「理想」や美しい「正 義」があるというのか!
 フン!グチャグチャの肉片を多く作った方が勝ちということだけじゃないか。
 加えてお粗末過ぎるのがこの地の政府だ。コイズミを筆頭にみんなに仲間外れにな らないようと、人殺しの手伝いをしたくてたまらないらしい。もっとも、政府のみな らず一般人も殺し好きな奴が結構いるからね、どっちにつこうかと現在思案中ってと こかな?しかし言っておくが殺しで秩序や平穏な生活は絶対にやってはこないんだぜ 。いったんは何がしかの秩序が再構築されても、その柱や梁に染み着いた血は、ジワ ジワとにじみ出て、人を侵していくんだ。だからこそ、歴史から殺人や戦争が消えた ことがないんだ。暴力は暴力を産み。殺しは殺しを産む。明快だ。
 これから「聖戦」や「報復戦争」に参加したりその手助けをしようとしている人々 よ、誰がどんなに素晴しい理由や正当性を掲げようが、神が保証しようが、やろうと していることは単なる「人殺し」であることを知るべきである。
連続殺人鬼も兵士も、中味はまったく一緒ということだ。
 そしてその人殺しに手を染め続けている以上、我々は永久に自由を得ることは出来 ないということも知るべきだ。真の自由と平穏を希望するなら、殺しに手を染めては ならない。絶対にだ。

 

9月13日  喪中 (森川莫人)


 9月11日に米国でテロが起きた。テロのやり方のエンターテイメントが高かったか らだろう、その直後から全マスメディアによる情報操作が開始された。テレビや新聞 には現場での事実が報道されているから、テロの概要はすぐに分かる。二日目にして 犯人探しゲームの様相も呈して来た。だが、問題は報道のやり方と政府の対応だ。

 米国にはテロが起こってほしい理由がある。米国は戦争を望んでいるのだ。株価の 暴落・経済危機を乗り切るためには、軍事需要を拡大することが一番のやり方だ。そ して、軍備を拡大することで政治的にも米国の覇権性が強力になる。正に一石二鳥。 米国は強い・米国は正義というわけだ。これこそ、資本主義が暴力と結びついている 機構そのものだ。米国政府といわゆる経済恐慌に煽られている先進国は、戦争を大歓 迎するだろう。そのきっかけとしてテロリズムはうってつけなのだ。

 一方、報道機関の今回の事件の取り扱い方もおかしい。新聞の第一面とテレビの報 道は米国でのテロで埋まっている。変じゃないか?確かに、テロの死者は数千人にも 及ぶと思われるし、その大部分が全く関係のない民間人だ。だが、民間人をターゲッ トにしているテロリズムについて述べるのなら、これまで米国がアフガニスタン・イ ラク・パレスチナで公式的に行って来たテロ活動は何故これほどまでに報道されない のか?死者の数が問題だとすれば、中東における米国テロリズムの被害者は少なくと も、数百万の単位に及ぶはずだ。また、米国製薬会社がアフリカに対して行った抗エ イズ薬の販売制限はどうなのか?

 つまり、はっきり言ってしまえば、第三世界で人が死ぬことは、報道の対象にはな らないということだ。報道の価値は、政治的操作だけでなく、その希少性によっても 決まる。年中普通のように起こっていることは、報道の対象にならないわけだ。今回 の場合は、米国政府の意図が背後にあるからというだけでなく、第三世界で人が死ぬ ことは「当たり前すぎる」から、報道されないのだ。

 分かっていただけるだろうか?もちろん、米国でのテロはあってはならないこと だ。だが、それは「米国での」テロだけではなく、「日本での」テロでもなく、「世 界中のどんな場所であれ」、テロはあってはならないのだ。

 9月11日の米国のテロで衝撃を受けている人々よ。それは、メディアに影響されて 衝撃を受けているだけだ。本来、今回と同様の衝撃は毎日受けてもおかしくないほど 第三世界では日常的に起こっているのだ。喪に服すならば、毎日服さねばならないの だ。


 

8月28日  警察の○○どもえ (T)


 警察の検挙率が激減しているらしい。統計方法によって数字はいくらでも動かせるからアテにはならないのだが、19%台にまで落ち込んでいるという説さえあるそうだ。常に検挙率90%近くを維持し、世界有数の優秀さを誇っていた日本の警察はいったいどうしたのだろう?
 「これは大変だ」と警察官五千人を増員する計画が決まったらしいが、「そんなものでは全然足りん。一挙に倍増すべきだ」などと言い出す識者まで現れている。少年の凶悪犯罪や通り魔・外国人窃盗団など、メディアのセンセーショナルな報道もあって、「警察強化」のボルテージは上がる一方だ。

 しかしなぜだろう? DNA鑑定の実用化やNシステムによる交通の自動監視、指紋や声紋のコンピュータ照合、過去犯罪のデータベース化に心理学を応用したプロファイリングなど、犯罪捜査のテクノロジーはこの十年で驚異的に進歩しているはずである。犯罪件数が増えているとしても、二倍三倍になっているわけではない。
 検挙率の異常低下は犯罪の増加や社会の変化に原因があるのではなく、警察自体に原因があるのではないだろうか?

 奇妙なことに検挙率の低下は、警察の暴力団取締の強化に比例している。
プリペイドカード導入などでパチンコ業界からヤクザを締め出し、仕上げに暴対法の施行等によって暴力団の資金源を断つ。警察はここ十年、暴力団根絶対策を進めてきた。暴力団の根絶によって組織犯罪を激減させれば、治安はよくなり、検挙率も上昇するはずであった。ところが結果は全く逆だった。暴力団の組織暴力を徹底的に根絶しようとしたら、かえって検挙率が激減し、治安が悪化してしまったのである。

 さて、これはなぜなのでしょう?
 アナキストのあなたなら、もうおわかりですね。
 答のわかった方は、アナーキー掲示板の「社会」欄に解答をお書きください。
正解者には、AIN特製逮捕状を差し上げます。


 

8月20日  緩慢なアウシュビッツ (乱乱)


 尼崎の小学1年生の遺棄事件。相変わらず子供の受難が続く。
 警察に死体遺棄容疑で逮捕された容疑者/母親は、虐待状況の証言をし始めている ようだ。
 それによると、当初母親は、K君が児童養護施設から一時帰宅できたことを喜び、 かわいがっていたのだが、8月4日ごろに粗相をしたことを契機に、しつけのために 殴り始め、「4日ごろから恭一に暴行を続け、6日にはぐったりして布団から起き上が れなくなり、7日に死んだ」ということらしい。容疑者の母親も「恭一ちゃんのおね しょに手を焼いていたようだ」と証言したという。
 つまり「おねしょ」に難渋しての虐待死ということになるのか。まあ「おねしょ」 だけに全ての原因を帰するわけにもいかないだろうが、何れにしても、子供の「野性 」に対応しかねてのことになるのだろう。
 「おねしょ」は、子供なりに何か言葉ならぬ窮状の訴えを示したと言えるだろうが 、親たちはそれに思い至ることもなく、ただただ制御し得ぬ子供という野性/自然を 恐れたのだ。
 また、反面この母親は、虐待一辺倒ではなく、子供に対する愛情も見せたとのマス コミの言もあるが、それも特段の不思議はない。その恭順として受け止め得る「可愛 さ」については認め得ても、言語領域を越えた、子供の泣きわめきや「おねしょ」は 到底受容できなかったのだが、つまり同じ子供の持つ善/悪(それも親たちにとって だが)を、同一の存在が有していることが許されなかったのだろう。「可愛いけどお ねしょをして親も困らせる」存在が認め得るなら、時に声ぐらいは荒げても命を断つ までの虐待を加える必要はなかった。「可愛い/善」「おねしょ/悪」しからば、力 を用いたしつけ/虐待で、悪を掣肘しないとならないと判断したのであろう。何せ相 手は野性/自然だ。言葉などが通用するはずもないのだからと。結局悪魔払いには失 敗した。殺したにせよ遺体をポリ袋に入れ運河に流したのは、遺体という生命/自然 の究極の形をも拒否して、物体として始末したかった。可愛かった子供は遺体という 究極の悪に変身してしまい最早用済みなのだから。
 これらは環境破壊が人間そのものにも及んでいることを示している。加えて言葉に よる自我形成能力も落ちている。やむなくシステムがとり得る手段、異分子の排除/ 抹殺が、ダイレクトに個人に落ちくることになる。しつけが口実の虐待は、自白や転 向を迫る秘密警察の拷問に似てなくもない。
 このようにしてシステムに流通する商品になる猶予期間すら与えられず、時として 子供は簡単に始末される事態に立ち至っているのが現状だ。
 されどこういう事例は、大概加害者/親への非難や重刑の要求で一件落着だ。この 時評を読んでいるみなさんもおそらく関心はないでしょう。「公安調査庁の破防法が らみの外登票入手事件」の方が千倍も万倍も大事だ!という声が聞こえて来そうだ。  この1〜6月に判明しただけでも、31人の子供が虐待死さされ(対前年比50パーセン ト増)ている。児童相談所に寄せられた虐待の相談件数は1万8004件(2000年度・前 年比1.5倍)に達すると言う。
 このようにして子供はこの瞬間もひっそりと死んでいく。ゆっくりと。


 

8月12日  アナキストは「国益」をどう考えるのか? (梅田のんきち)


 最近、コイズミのヤスクニや、例のバカ教科書をめぐって「国益」という言葉が使 われている。
コイズミがヤスクニに参拝したら国益を損なうらしいし、 また、例のバカ教科書を採択したら、これもまた国益を損なうらしと、戦争中に大政 翼賛会に組み入れられていた「赤い赤い新聞」は書いていました(笑)。
上記の「不自由史観」のバカどもは、「国益」にそって日本は悪くなかった、アジア の解放のために戦争を遂行したと思いたいらしいが、そういうナショナリズムが逆に 「国益」をはなはだしく損ねている矛盾にはまったくきずいてないのか、わかってい ながら「国益、国益」といいながら、その実、「国益」を損なうことに主眼をおい て、バカ教科書を作った「反日」野郎の集まりなのかもしれません(爆)。コイズミ やイシハラレイシスト東京都知事もまた「反日」なのですしょう。

さて、アナキストは「国益」にどう対処するのか?
アナキストなので「国益」など知らないという立場もあります。それはそれでいいで すが、国家なるものは、どこまでまでいっても、どうしようもないもので、こんなも のがあるから、私たちは、個人と個人との連合を可能にできないと思います。
何々国人、あるいはどこそこの民族などという空虚な概念でしか、物事を考えられな い不自由でイカレタ連中の道連れはゴメンです。
もちろん「国益」などというくだらないものなど知ったことではありませんが、個人 と個人との連合を(それらは国家や民族などという概念からは無縁なものです)不可 能にせしめるバカ教科書や、あるいはヤスクニのように次の世代の人たちに戦争に行 くことを強制させるような装置には断固、反対を貫くのが、アナキストの使命だとい うのは、あながち間違いではないと思うのです。
アナキストがまず考えないといけないのは支配や強制に対する批判原理です。
そういう意味において、アナキストは「国益」などという、赤い赤い新聞が書いてい る、つまらない概念ではなく、強制・支配に対する概念から、バカ教科書や、ヤスク ニという戦争遂行装置に反対すべきだと思います。


 

8月 5 日  情報倫理と不自由 (Noiz)


今月3日,NPOの情報公開市民センターが,中央省庁の情報公開度を今年4月1日に施行された情報公開法を基準にして「算定」したが,全般的に個人名は墨塗にするなど評価は低いものとされている(参考:中央省庁情報公開度調査と結果).ちなみにランキング中最低得点という名誉ある結果を頂戴したのは,やりたい放題の状態を今自らぶっちぎりで暴露している外務省.

中央レベルの政府権力が情報に対してこのような対応に終始するなか,通信傍受法(盗聴法),住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)改定はすでに成立済みというのが日本の情報をめぐる法規制の一端の現状である.政府はみずから情報の取扱いについて都合よく属性を決めて判断しているようだが,特に住民の情報についてはすべてを把握しなければならないとする政策が異様に突出しているのは周知の通り.警察犬力の宿願の盗聴法ゲットをめぐる賛否諸相はすでに喧しく伝えられてきているので,ここでは住基ネットについて言及してみよう.

住民基本台帳ネットワークシステムはある価値観のもとに大雑把に言ってしまえば,「住民総背番号制」と批判されるところのものである.政府はこれまで地方自治体が住民基本台帳を独自に電算化してきたシステムを,さらに計算機のネットワーク技術を利用して相互に連結しようとの政策を全面に出している(来夏導入).情報一律化の方策としての柱は,全住民に11桁の番号を割り当て(政府が)個人情報を一元管理するというものである.政府は住基ネットによって行政の住民サービスの質の向上につながるとしているが,それはその通りである.しかしながらその効用以上に激しく批判されてきたものはその情報の管轄のあり方についてである.いったい誰がどのようにしてこの個人情報の集積を守秘するのか.おそろしく行動倫理が問われるものは言を待たない.情報は市場において相応の価値を付与されるため,このことから情報の漏洩を心配する声は大きい.実際,これまでのシステムにおいてすら京都・宇治市では21万人の住民基本台帳データが流出しているという実績がある.

しかしながら政府が内外の批判を受けて住基ネット改定法と同時に個人情報保護法を制定するとしておきながら住基ネット改定のみを成立させ,地方自治体にシステム構築を促しているというのが現状である.しかもこれに従わない自治体には「違法」(総務省 )という脅し文句を浴びせながらである.例えば,否,唯一,この政策に従わない自治体である東京・杉並区に対して,9月杉並区議会で住基ネットの予算化を計上しなければそれ以降は「違法状態」となるとの威迫が行われてきている.政府の脅し担当の総務省は今年の地方自治体の予算計上と議会質議の内容までもを調査しておきながら,毎日新聞の情報公開法に基づく情報開示の求めには一切応じていないこのバインドは,まさに得手勝手の「情報の自由」で少々羨ましいくらいだ(嗤).

無論,情報の取扱いに関しては,それが漏洩されるのではないかという可能性だけが問題なのではない.予防治安にそれが流用されるという問題が大きく横たわっている.警察にはすでに「盗聴しまくり」の法的バックグラウンドが与えられているなかで,この住民の情報の一元化が恐るべき治安維持の道具とされる可能性を視ることに対して笑うことができるのは誰か.「効率化」とは一体誰のためなのか.現代は情報が横溢しそしてその暗黒の時代にさしかかっている季節なのだ.それだけは「自由」に淫するものとして明記しておく.最後に政治党派的には「保守」的人脈にある天晴れな叛逆者の山田宏・東京都杉並区長の言葉を引く.

(前略)しかし、そもそも権力がいつも正しいことをするのか、ということ対して住民が適度の疑念を持つことが重要だ。警察でも個人情報を売る時代に、名寄せが容易になって、政治的な反対者の情報を外部にリークするということが行われないという保証などない。便利さを求めて安易に統一番号を導入するのは危険だ。慎重の上にも慎重に対応する必要がある。個人は、個人情報を管理し、他人に個人情報を支配されない権利がある。納税者番号だったら納税者番号、介護保険番号だったら介護保険番号と別々にした方がいい。
Mainichi INTERACTIVE の記事より引用)


 

7月29日  権力は必要か (T)


 「人間社会は、強制的権力なしには秩序を維持できない。
複雑化する現代社会においては、組織や権力は必要不可欠ではないか?」
との問いが、掲示板にありました。
 不十分ではありますが、私なりに考えてみたので、見解を述べたいと思います。

 社会秩序の維持に強制的権力が必要かどうかは、その社会を構成する人間集団の大きさに左右されると考えられます。例えば二人だけであれば権力は必要ないですが、100万人なら何らかの強制権力が必要になるというふうに。
 何人くらいの規模からそれが必要になるかは必ずしも明確ではありませんが、構成メンバーが互いの顔や名前を認識できないくらいの規模あたりから、何らかの強制権力の必要性が出てくるのでしょう。
 戦いや競争が前提ならば、集団が大きい方が有利ですから、中小企業よりは大企業、小さい町よりも大都市、小国よりも大国がよしとされます。そして集団が大きくなるにつれ、権力も強大なものになっていくわけです。

 ところが、巨大化した社会集団、すなわち大企業・大都市・大国などに多くの問題が発生しています。集団の秩序を維持運営するのが任務である権力者たちが、その運営に失敗して破綻したり、破綻寸前に追いこまれたりしている。大企業が倒産したり、大国が破綻して分裂したりしているわけです。
 原因は経営陣・官僚層の腐敗・無能や、財政運営の失敗など様々ですが、巨大集団・巨大組織・巨大権力が、必ずしも有利ではないのではないか、巨大化すると、かえって非効率になり、問題に対して柔軟な対応が出来ないのではないか、という疑問が出てくるわけです。
 人間集団や組織・権力は大きければ大きいほどよい、というわけではなく、その適正規模があるのではないか。現代の企業や国家はその適正規模をはるかに越えて巨大化しすぎているのではないでしょうか。

「会社が潰れては元も子もない」
「国家が消滅したら大変なことになる」
 というのは、現在の会社や国家に寄生する特権階級が、その構成員を抑圧するときにいつも使う口実ですが、「現在の会社や国家が適正でない」「構成員を抑圧して特権階級の利益のみに奉仕するものでしかない」とすれば、そんなものはむしろ無くなった方がよいわけです。
 会社や国家の存在を大前提とするから、特権階級・権力階級は安心して腐敗できる。構成員が「俺たちにはそんなものなくてもかまわんのだ!」と考えるなら、そうはいかなくなるでしょう。

 「人間社会は、強制的権力なしには秩序を維持できない」かどうかは、簡単には結論できません。しかし、少なくとも既存の不適切な社会集団を前提としないならば、「既存の強制権力」など全く必要ないと、私は考えます。


 

7月6日  妄想天国2001 (乱乱)


 児童殺傷事件の容疑者に対する怨嗟の声。いつもながらの一億総被害者気分。絶対 悪の糾弾、その快感鴨よりうまし。先頭切って扇動するのは「文春」新潮」に代表さ れる「反人権屋」マスコミども。社会正義の大風呂敷掲げつつ、要は「悪い奴は殺っ ちまえ!」と単純単純。みんな良い子の脳天気「人権屋」さん(※1)を叩きつつお 商売に勤しんでいるだけのこと。
 しかしながら、この事件をきっかけに、「開かれた学校」が「閉ざされた学校」に なることは必至。(って元のままなんだけどね)校門に施錠は言わずもがな、監視カ メラの設置、ガードマンの配備も検討されているってさ。(※2)内には体育会系管 理教師、外にはガードマンって、いよいよ収容所だな。ついでに「勉学は自由への道 」とでも看板挙げておくか。
 いつ何が攻めて来るかわからない緊迫した環境の中、やはりふさわしいのは『新し い歴史教科書』だろう。「日本の歴史に誇りを」「日本の歴史に誇りを」「日本の歴 史に誇りを」と、妄想を逞しくしつつ、外敵の侵入や洗脳備えるのだ。
 そういや件の容疑者氏も、通院していた病院から「妄想性人格障害」という診断を 受けていたな。
 「妄想性人格障害」をDSM-、(※3)にあたると、「十分な根拠もないのに、他人 が利用する、危害を加える、またはだますという疑いをもつ」「悪意のない言葉や出 来事の中に、自分をけなす、または脅す意味が隠されていると読む」「自分の性格ま たは評判に対して他人にはわからないような攻撃を感じ取り、すぐに怒って反応する 、または逆襲する」等々その特徴に挙げているが、妙に前述教科書周辺や、ある種の ナショナリストたちにも符合するわいと、こちらもその妄想を思わず逞しくしてしま った次第(※4)。
 そんな矢先、6月2日、鈴木宗男自民党代議士が、「(日本は)一国家、一言語、一 民族。アイヌ民族は全く同化された」と発言。さらに同日、平沼赳夫経済産業相が、 「小さな国土に、1億2600万のレベルの高い単一民族できちんとしまっている国。日 本が世界に冠たるもの」と、相呼応するかの如くアイヌ抹殺発言。小泉小ヒトラー (※5)につられて暴走したのか、はたまた聖典教科書の影響大なるかと思い、後者 を立ち読んで見た。
 いけませんなあ。
 「新政府は、1869年に蝦夷地を北海道に改称し、士族・屯田兵の集団移住や諸産業 の開発を積極的におし進めた」とあり、その後アイヌの人々の人口が約2万人と記し てあるだけ、その前に遡ると、江戸時代の諸産業にからめて書いてあるだけ。それで も、なぜが一段級数を落として、「アイヌの人たちは松前藩の交易方針に反発し、シ ャクシャインを指導者として戦いに立ち上がったが、松前藩にしずめられた」と間抜 けな記述。
 シャクシャイン戦争に先立つ数々の事件やコシャマイン蜂起の記述がないのは、こ の教科書のコンセプトからして当然だが、1515年シヨヤコウジ兄弟蜂起 1536年タリ コナ蜂起 そして1669年シャクシャイン戦争に、勝利してきた和人の定番戦術「だま し討ち」について触れていないことを指摘したいな。和解するからと言って誘き寄せ 、酒を飲まして謀殺する。酒天童子以来のこの麗しい「民族の伝統」に触れていない のは究めて遺憾。これがあるからパールハーバーの成功があるのに。田中外相には、 マッカーサーにこの「鬼殺し」を用いなかった大御心の深さを、ブッシュに訴えても らいたいものだ。
 「妄想を現実化する用意がいつでも日本にはあるのだ」と。  

 ※1 被害者家族が訴えるように少年法の不備は確かだ。加害少年の人権の観点か らのみ少年法改正に反対している姿勢には問題がある。
 ※2 私立学校ではすでにこれらの警備システムを導入している所もあるようだ
 ※3 アメリカ精神医学会の精神疾患の分類と診断の手引き
 ※4 教科書運動の中心人物の一人である藤岡某は、「右翼の街宣車が私の名前を 出して、評価したということがあったがあれは左翼の謀略だ」的なことをのたまった り、某都知事は、「日本に流れ付いた北朝鮮兵士の死体はアメリカの謀略」なんてこ と言ったり、私は思わず電波を疑ったな。
 ※5 ヒトラーには悪いが


 

6月25日  オンエアーバトル(TM) (森川莫人)


(ある漫才を見た)

二人:「こんにちわー!」
A:「いやー、しかし、最近あれだね。日本語ってのがますますおかしく なってきたね。」
B:「そうですね。一昔前には、ら抜き言葉なんてのもありましたしね。 」
A:「そうそう、あれ、僕、オナしちゃった、とかね。」
B:「なんですか、それは?」
A:「馬鹿だなーお前。オナしらねーの?オナラだよ、オナラ。」
B:「そんなの言いませんよ。誰が言ってたんですか。」
A:「まぁ、そんな昔のことはともかくね。最近じゃぁ、IT革命とかね 。何だあれは。」
B:「IT革命。いーじゃないですか。インフォメーション=テクノロジ ー革命でしょ、どこが変なんですか?」
A:「おかしいだろ。ITは変じゃないけどね、革命でしょ革命。どこが 革命なんだっつーの。」
B:「世の中変わって来たじゃないですか。皆がコンピュータを使うよう になってね。あなたも持っているでしょ。」
A:「コンピュータを使うのが革命か?」
B:「いやいや、こう新しいテクノロジーが急速に普及しているのでしょ 。それを革命って言うんです。」
A:「ほんじゃぁ、なにか。ちゃぶ台が使われなくなってテーブルが普及 したってのはテーブル革命か?下駄じゃなくて靴になったのは靴革命か? コンドームが普及したらコンドーム革命。AIDSが普及したらAIDS 革命。サービス残業が増えたら残業革命か。革命ってのは安っぽいねぇ。 大体、君ね、革命って体験したことあるの?」
B:「いや、ないですよ。あなた、あるんですか?」
A:「あるよ。あれは、1936年、スペイン革命のときだったなぁ。銃 を持ってね、支配階級の奴らを、こう、ババババと打ちまくって.... 」
B:「おいおい、あんた何歳だよ。」 A:「現在の社会を根底から一気に変えてしまうのを革命って言うんだよ 。IT革命なんて、せいぜい親爺がちゃぶ台ひっくり返した程度のもんだ ろ。IT革命でお前の生活なにか変わったか?今でもあれだろ、目が覚め て、飯食って、糞して、オナニーして、俺って何やってんだろうと思いな がら寝るだけだろ。」
B:「いやいや、そんなんじゃないですよ。わたしの生活を何だと思って いるんですか。」
A:「あとさ、タウンミーティング。あれも何だろね。」
B:「いーじゃないですか。タウンミーティング。この間もね、小泉総理 もね、地方で市民の人たちの意見を聞いていましたよね。」
A:「何じゃそりゃ!そこがおかしいってんだよ。大体お前本当のタウン ミーティングって知ってる?」
B:「いや、知りませんよ。あなた知っているんですか?」
A:「知ってるよ。あれは、1632年のケンブリッジだったなぁ。」
B:「おいおい、お前何歳だよ。っつーか、どこの国から来てんだよ。」 A:「元々ね、タウンミーティングっていうのは、そこの町に住んでいる 人たちが直接政治的な決定をするために集うことなの。皆で集まって、あ る議題について皆で論じて、住民が決定権を持っているわけだ。それを何 じゃありゃ!小泉のタウンミーティングは。偉い人が平民の言い分を聞い てやるってんで、結局、全てを決めるのは小泉内閣っつーか自民党だろ。 それを何か素晴らしいことでもやっているように宣伝しやがって。こうや って言葉の意味合いが全部変質させられてしまうんだ。あんた、何も感じ ないのかよ。ら抜き言葉だの敬語だの言っている場合じゃないだろ。」
B:「何を熱くなってんですか?言葉は時代と共に変わるんだから別に良 いじゃないですか。」
A:「そんじゃ何か?お前の名前は今日から暴力行為を意味することにな っても良いんだな。こいつの名前は山田浩って言うんですけどね。えー、 JR東日本と警察庁は、車内での山田浩防止に全力を尽くしております。 山田浩を見掛けた方は即座に通報をお願いいたします。それだけならまだ しも、山田浩防止法案とかできるんだぜ。」
B:「そっちのほうが革命的だねぇ。いいかげんにしなさい。」
二人:「どうもありがとうございましたー。」

10キロバトル(TM)!


 

6月18日  アトムの子 (Noiz)


おそらくそうなのだ.日本の労働者の多くはアトミズムという環境のなかに生きねばならない.日本の労働組合が担い得る機能というものはとりあえず置くとして,働く側の主体としての意識を考えたときにやはり目前に広がるのは「自分だけを頼りに生き抜かなければならない」という雰囲気といっても過言ではないと思う.アトム=分断された存在というすぐれて現代的な労働者像はやはり日本では主流なのではないだろうか.

今月15日に社会経済生産性本部が公表した調査によれば,新入社員の会社選びの基準が、「会社の将来性」からさしあたっては「働きがい」と呼べそうな要素へとシフトしている様相が分かる (と言ってもあくまで有効回答を寄せた人間だけのものだが).以下会社選び要件トップ3を掲げる.

・能力・個性が生かせる (31%)
・仕事が面白い (20%)
・技術が覚えられる (17%)
ちなみに「会社の将来性」は9%と,昨年度よりもさらの5%減少している.「これからの時代は終身雇用ではないので会社に甘える生活はできない」という項目を選んだ人は90%.誘導的な設問であったとしてもかなりのパーセンテージである.これから端的に言えるのは,雇用や給与水準を企業が保証しない企業に対する「新入社員」の「忠誠心」が相対的には低下してきているということである.ましてや現在給与の水準どころかその体系すら根本的に (資本にとって都合のいいように) 変革されようとしている季節である.
終身雇用から実力主義に基づく雇用形態と賃金体系へ.これが昨今の資本側の経営環境のドラスティックな変革の道筋として示されてきたものであることは今さら言うまでもない.これに対する有効な反撃は,巨視的に見るならば働く人間の組織であるはずの労組の側からは出ていないと言えるだろう.個々の組合の闘い云々という問題設定ではなく,ナショナルセンターとしての労組の動向を見るならば、哀しいかなそうだと言えてしまう状況をこそここでは問題としたい.

こうした文脈においても先の調査結果の意味は、より恣意的に解釈することは可能かもしれない.即ち,曲がりなりにも利益団体として「自分たち」の損得を勘定してくれる組織がないから、己一人を恃みに競争を生き抜くしかないという被雇用者のある意味凄絶な覚悟が見えてくるということである ── ひいてはそれは「自分たちは自分たち,やつらはやつら」という労働者独自の社会というものを持たない日本の労働者の宿命であるという現実がある,と.これは日本の労働者における階級意識の有り様とも関連している.自ら中流を以て任じる意識にあっては、「自分たち」というある意味退嬰的な「階層としての閉じこもり」は異様なものとして映じる可能性は高い.
そしてそうであるがゆえの,スペシャリスト志向であったり技術取得のための自己への投資などなどという労働者のビヘイビアがある.「どこでも通用する専門技能を身につけたい」(94%) という前述の調査の別の設問への回答率を見てもそれは歴然としている.誰も守ってくれないから自分でどうにかするしかないというのは至極当たり前の対応である.それを競争への自ら進んでの参加だ,と揶揄することはたやすい.
そうではなくなぜ自分たちがそのように振る舞わねばならない現実があるのかということを,むしろ直載に俎上にのせ,あくまで働くものの「自分たち」という資本にとっては閉ざされた志向を対置しなければ,プレアトムとしての「新入社員」のばらばらなままの競争へのダイビングは、ますます不動の渡世の処方として根をはって行く.あるいは勝ち組と負け組という枠組みで見るならば,(たとえいかなる学歴/職歴を有しようとも) 大多数は負け組として生きなければならないのではないかとの問いかけにしてもそうだろう.そしてそれを言うのは確かにシンドイ.
だが,なぜそうなのかということを言わずして働くものの振舞をのみ言うなかれ.明瞭なコトバとしてもたなくても,それらの振舞の由来とその意味とは程度の差はあれ感得する事柄のはずなのだ.われ,あるいはわれわれアトムとしての存在にとっては…
(今回のこの時評,結論めいたものはない.)


 

6月12日  「選別」と「排除」のシステム (T)


 またしてもひどい事件が発生した。殺人事件が報道されない日はほとんどなく、内容は日に日に凶悪化しているかのように思われる。小泉首相は再発防止のため、障害者や犯罪歴ある者に対する処分の見直しなどを指示したそうだ。
 どんな見直しをしようとしているのかは知らないけれど、「アブナイ奴を社会から排除する」あるいは「隔離する」という発想では、事態をより悪化させるだけであり、「百害あって一利なし」だと私は思う。
 不良分子を「排除」したり「隔離」したりすることによって、健全で安全な社会が築けるであろうか? それは絶対に不可能である。

 現代人は、毎日おびただしいストレスにさらされて生きている。誰もが大きな不安を抱えている。誰もが常に何かにイライラしている。いわば、全ての現代人が「危険人物」予備軍なのだ。あなたや私のうちの誰がキレて、何かをしでかしたとしても、本当は少しもおかしくない。
 だが、全ての人間を排除することはできないから、何らかの形で「アブナイ人間」を選別しなければならない。そこで、安易なイケニエとして障害者や犯罪歴が取り上げられているにすぎないのである。だから実際の防止にはほとんど役に立たないであろう。

 そして、それは単に「役に立たない」だけではない。
「選別」「排除」のシステムは、人の心を深く傷つけるのだ。傷つけられた人の中には、傷つけた社会を激しく憎悪する人も出てくるであろう。社会を激しく憎悪すれば、何かの拍子にそれが暴発する危険も高くなる。つまり「排除」のシステムは、「危険分子」の育成システムに他ならないのだ。「排除」すればするほど、より多くの新しい「危険分子」を作り出しているのである。

 「選別」「排除」のシステム、「選別」「排除」の思想をこそ、見直すべきであろう。


 

6月4日  ラスト・アクション・アンチヒーロー (乱乱)


 真っ青青な空の下、腕に自身の真紀子姫、愛敬忠義の塩爺、知恵者参謀オニの平蔵 先生ひきつれて、名もなき民草助けんと今日も行け行けドンドン世直し道中。天下ご 免の素浪人その正体は。第五十六代征夷大将軍もとい日本国内閣総理大臣小泉純一郎!  ジャジャ〜ン!『○×○×』
 よっ!待ってました!…らしい
 ああなんたるチープさよ。でも明朗快活時代劇ついつい見てしまう。折しも「暴れ ん坊石原将軍」「しなやか奉行ペログリ日記」独立プロ作品が大好評。長期低落の老 舗の映画会社が社運をかけてTV時代劇の決定版を作ったそうな。前作股旅物「森の おそ松」が本当にお粗末視聴率(※1)故のそうそうの打ち切り。その反動に加え、 元来お神楽セリフ付の超退屈番組の不評判。少しはニーズを研究したというわけ。そ の甲斐あって何と視聴率は驚異の90%!
 ゴロ寝TVなら、勧善徴悪(※2)であってなんら差し支えなし。野中、亀井の悪 代官どもを向こうに回して大活躍に胸もすこうと言うもの。しかしこの番組、バーチ ャルにあらず。視聴者の運命をも決する恐ろしいライヴ・ショーであることに気づく 者は少ない。見かけの陽気さ、華やかさ、歯切れの良いセリフ回し、言わずもがなの 「正義」に魅了されていると、「画面の前のあなた」知らぬ存ぜぬうちの地獄のキャ スティング。日本国住民総動員、究極の視聴者参加番組!
 名セリフ「痛みを伴う改革」も、貴乃花のような偉丈夫なら「痛み耐えて頑張る」 ことも可能かも知れぬが、耐え切れず死体と転じるのが大衆の運命というもの。自殺 者は、年間3万を越えているのだ。さらにさらに、「集団的自衛権」戦争勃発ともな れば、もっと数多く、他者をも巻き込んだ死体役が必至。死体にはおそらくスター小 泉の独壇場。靖国神社での感動的なラストシーンが用意されているだろうが、そのラ ッシュすら死体は見ることは叶わぬ。
 小泉が創る明日。それは「スター誕生!」か?
 君もあなたもスターに!平凡で退屈な時代は終わった。誰もが実力次第でスターな れるチャンスがある!今こそ明日のスターを目指そう!って…全く良い時代じゃないか。
 嘘×800である。星が燦然と輝くは漆黒の闇。闇の深さこそ星の輝きを保証する。 闇とは無数の死者/敗北者・犠牲者たちの総称。
 我々は、これまで資本制圏共産主義国家で暖衣飽食ブロイラー暮らし。匿名のまま に様々な組織・システムという小瓶に詰められる砂粒。ラベル/名前は小瓶にしか貼 られてはいない。やがてそれに怠惰を覚える。名付けられるもっと刺激に満ちた毎日 をと。今や小瓶は砕かれつつある。だが砂粒が名付くことなど蜘蛛の糸より細い糸を 手繰ること。極少数の宝石を輝かせるタダの砂粒。しかも、小瓶の外には、国家とい う大瓶が手ぐすね引いてまっている次第。
 なんてったって小泉が、なんてたってナショナリストは理の当然。しょせんは瓶詰 地獄にかわりゃせぬ。
 そこで提言。やはり実力主義で行くべきだと私は考える。これは流行への迎合にあ らず。優勝劣敗そんなことはどうでもよろしい。我が身一つを頼りに、無−秩序を随 意に創出すべく力を身に付けることこそ肝要。徒党を頼むのはもうよせ、二重三重に 奴隷登録したとて救いにもならぬ。宗教・イズムも同様。これ以上の刷り込みは苦し いだけ、頼りは頼りなき我が身しかありはせぬ。まずはそこから。

※1 素人を大胆に主役に据えたのだが、演技がヘタなのは当然としてもセリフも間 違えてばかりで使い物にならなかった。そのくせスター気取りなんだから、始末に悪 かったねあの役者
※2 悪をきちんと斬り殺すことも出来ない腑抜けな時代劇がなんて多いことか。バ ーチャルで欲求不満にさせといて、本物に動員させようって、当局の陰謀かな


 

5月29日  ウ・ソ・ヲ・ツ・ケ! (森川莫人)


相変わらず、ウソがまかり通る世の中でございます。しかしまぁ、子供の ころは正直な人間になりなさいとか教えられたが、こんなにもウソだらけ の世の中で育てられれば、歪んでしまうのもあたりまえ。たしか、口で言 うことと表情が違っているといったように、矛盾したメッセージを与えら れ続けていると、精神分裂病のような症状を呈するんじゃなかったっけ?

日本の教科書問題もそうでしたが、海の向こうではマクドナルドがまたや らかしてくれました。牛肉エキスを使ったフレンチ=フライ。100%植 物性とか何とかうたっていたらしいですけどね。うーん、マクドナルドら しい大ウソです。こんな調子で南米の山々を丸裸にしてきたんですな。多 分、あそこのコーヒー・シェイク・アイスクリームにも牛肉エキスが入っ ていることでしょう。いやいや、牛肉エキスならまだしも、放射性物質エキスとか入っていたらどうしましょうかね。レディオアクティブ=シェイ クとか、ダブル=ジャームス=バーガーとか。

もう一丁米国で言えば、映画「パール=ハーバー」の日本版・ドイツ版の 台詞が一部削除されたとか。さすがは天下のディズニー。よくぞ配慮して くれました。「ダーティー=ジャップ」を「ジャップ」にするなんて、見 上げたもんです。自分の戦闘機が日本軍の攻撃で操縦不能になったら、民 間人を狙う、という箇所も削除されるようで、全く持って素晴らしい。パ ール=ハーバー60年記念作品なんでしょ?もっとやらなきゃ。ミッキー は出てこないの?都合の悪い部分はウソで塗り固めて、後はミッキーマウ スで御魔化しておくのがやり口なんだから。日本版は「ラブストーリー」 らしいから、客は入るだろうしね。字幕が差し替えられてたりして。

もうちょっと世界を回ってみると、フランスは遺伝子組換えイネを作って 、日本に売りさばこうという魂胆です。今ニュースになっているってこと は、もう既に何がしかのものが入っている可能性もある、ということです かね。なんてったって、こんな騒ぎになる前の10年間で遺伝子組換え食 品は既に市場に乗っていたわけですから。

これまた外国のお話。アフリカではエイズが爆発的に広がって、1700 万人が既に亡くなっております。悲惨な状況に関するレポートはよく見か けますが、製薬会社を名指しで非難しているのはあまり見かけません。緊 急事態なんだからアフリカ諸国には治療薬が必要だけれども、エイズの治 療薬は西欧諸国の製薬会社が特許をとって高値で販売しているものばかり 。アフリカ諸国は手も出せません。ブラジルやインドは特許を無視して、 自国で治療薬のコピーを出回らせているけど、アフリカ諸国では製薬会社 や米国の圧力などでそのような真似は出来ない仕組みです。さらに、世界 銀行のような資本主義のおかかえ機関も、「自由市場経済」の名の下に、 アフリカ諸国に対して学校や医療機関を使うために金を払えと要求してい るわけ。人間よりもカネですな。

さて、千葉県には「ブービィ=サンタ」なる夏でも雪合戦が出来る場所が 出来たとか。夏でも雪合戦なんてウソを通り越しておりますな。

こんだけウソの情報がたれ流されて、その一部が適当なときに暴露される 、というやり口にさらされている人が一般にどういう反応をするか分かる でしょ?

「もうメディアは信じらんねぇよ。何が正しくて何がそうでないのかさっ ぱり分かんない。悩むだけ無駄だ。考えるのやーめた。自分が楽しめるこ とに専念しよう。取り合えず、風呂入って、寝るか。」

おめでとう。君も晴れて日本国民の仲間入りだ。


 

5月24日  ハッピーマンデー,いったい誰が幸福か. (Noiz)


今国会でまたも「ハッピーマンデー法案 (国民の祝日に関する法律改正案)」が審議され成立する見込みだという.「祝日法の改正」とは特定の「祝日」を月曜日にずらして連休を恣意的に増やすというものだが,今回はそれをさらに2日ほど適用するということらしい (前回はある利益団体によって阻止された).それで職場のカレンダーも休日になるならとりあえずの歓迎はするものだが,しかし…

カレンダー上の連休が増えて,誰が幸せだというのだろうか.幸せと言われるものの概念規定がぼくにはできないので言い方を変えるが,「しあわせ月曜日」(なんじゃこりゃ) は誰のためにあるのかと言ったら,それは旅行業・レジャー産業資本のためだろう.もちろん暦通りに休みを取ることが可能な人間にとってもそれはいいことじゃないかと言われるかもしれないが,それは個々人の感覚に依拠することなので予め一義的に「しあわせ」と言うには無理がある.

そもそも余暇と労働力の再生産との関係を考慮に入れれば,賃金労働にいそしむ者にとっては休日の増加が本当にありがたいものかどうかは非常に疑わしい.むしろ資本にとって都合よく使われる労働力の回復・蓄積のためにそれは用意された,言わば仕掛けられた「祝日」である.労働者よ充分に休息せよ,明日の搾取のために! 祝日とは言いも言ったりで,使用者-資本にとってオメデタイものとして存在している.資本の月曜日,というわけだ.

ちょっとまて,休日増加=操業日短縮なら資本にとってもありがたくないことではないかという疑問には,日本における労働時間短縮が労働集約と抱き合わせで「実現」されてきた内実を見よ,とだけ断っておこう.休日増加=労働集約強化であって,休日増加=労働時間短縮を意味しない日本の労働現場の風景が目にしみる.また労働時間に関する統計を当たるなら,隠された労働時間,つまりサービス産業の集計ももらさずチェックしなければそれは不全なものであるということも蛇足ながら断り置く.

また,労働力再生産云々とは別の意味でもまた,ハッピーマンデーは資本の月曜日であることを指し示す端的な具体例がある.

旅行会社JTBは,「業界では三連休化によるゆとり創出が旅行需要の増加につながると,大きな期待を寄せています」とその計算高い喜びを正直に表明しており (『ニュースと資料』1999年第3号),2000年初頭には「ハッピーマンデーキャンペーン」と銘打ってこれを商機として捉えた (『ニュースと資料』1999年第45号).また去年から今年にかけての年末年始の業界景況総括で,「新たな特徴としては,今年から実施されたハッピーマンデーによる3連休効果があげられる」としている (『ニュースと資料』2000年第38号).

ちなみに,改正祝日法施行前の98年には余暇開発センターが,旅行やその他レジャーの増加で向こう10年間平均で毎年5,200億円の経済波及効果が見込めると試算していた.

まったく素晴らしき資本のしあわせ月曜日! 消費なんかしてやるもんか…


 

5月16日  不良債権一件落着! (T)


 コイズミソーリが不良債権を2−3年で処理すると諸外国に公約したそーだ。
だけど、「不良債権処理」のためにすでに20兆円以上の公的資金を投入したんじゃなかったっけ? あれはいったいどーなったの?
 聞くところによると、あの不良債権処理は計画通り順調に進んだらしい。ところが、処理した以上に新たな不良債権が発生して、不良債権の総額はかえって増えているとか。 いったいどうなってるんだろう?

 そもそも、不良債権って何なのだ?
よく考えてみると、その定義がはっきりしないんだよね。
どうも、返済が滞ったり利子が払えなかったりしても、貸主が文句を言わずに追い貸しを続ければ不良債権にならないらしい。新たな借金で前の借金を返済すれば、カタチの上では正常な債権になる。金融機関はみなそうやって隠しているそうだから、隠れた不良債権がどれだけあるのか、実態は誰にもわからない。
 いくらあるかわからない、後から後からわいてくるモノをどうやって2−3年で処理するというのだろう?
 まてよ。貸主が文句を言わなければ不良債権ではないわけだから、文句を言わないスポンサーに肩代わりさせれば、不良債権ではなくなるわけだ。

 そーか。その手があったか。
 今時、そんな気前のいいスポンサーがいるかって? いるじゃないですか。すでに20兆円以上も出して文句言わないスポンサーが。
 そもそも、国と地方自治体合わせて600兆円を越える借金をしてるんだぜ。どう考えたって返せる金額ではない。これこそ最大の不良債権なのだが、何しろスポンサーが文句を言わないからね。全然不良債権にならないわけだ。こいつに肩代わりさせれば、不良債権問題は一件落着。メデタシメデタシってわけ。
 いよいよヤバくなったらメチャメチャなインフレを起こして、国債を紙屑同然にしてしまえばよい。
 恐れ入りました。政治家や官僚連中の考えてることが一番アナーキーだね。


 

5月11日  透明人間殺人事件 (乱乱)


 しかしレッサーパンダの帽子ってなんだろうね。「羊の皮をかぶった狼」なんての は使い古された言い回しだけど、まさに「レッサーパンダの帽子を被った狼」だな。 その帽子が逆にカモフラージュになっていると、犯人の巧妙さを指摘する識者もいる 。証拠品を無造作かつ目立つように投げ捨てていることも、劇場型犯罪の要件を満た しているってさ。
 私は見解を異にするな。

 答え:なぜならこの事件の犯人は透明人間だからだ。

 モンタージュを見ただろうか、この手の手配書が凶相になるのは当然としても、三 流マンガ家の悪キャラ然としてリアリティなし。加えてレッサーだ。電車の拾い読み 誌だって、思わず投げ捨てたくなるような嘘クササだ。
 いやこいつ/犯人は透明人間に違いないのだ。帽子を投げ捨てた瞬間忽然として姿 を消してしまったのだ。このまま姿を現わさないというのではない。21世紀型の透明 人間は、単に姿が見えないということではない。見えていようがいまいが一向に実体 を感じさせない非−存在なのだ。
 9年間も少女を監禁した佐藤宣行もそうだ。彼は帽子の替わりに生身の少女を必要 としたボディスナッチャーだった。今から思えば酒鬼薔薇が指摘していた「透明な存 在」とはこのことだったのだ。

 問い:これら透明人間は如何にして製造されるのか。

 一つは、モノの無際限の増殖があげられるだろう。たとえば100円硬貨1枚、その交 換可能性をリスト化してみよう。電話帳1冊ではおそらく足りない。それらの無数の モノによって、我々内部に欲望が喚起/形成されるが、欲望とモノとの相殺は、いつ も欲望の敗北で終わる。敗北の代償は慢性的飢餓である。慢性的飢餓が、消費社会の 原動力である。地獄の餓鬼のようにモノ/対象に固着するうちに、人は透明化してい くわけ。
 さらにはモノが電子情報化するに及んで、たった一つの砦だった人の脳髄にも浸食 が始まる。人はデーターとデーターを繋ぐ単なるシナプスに堕す。
 そうなりゃ、邪魔なのは人間のチクショー部分。
 昨今、熊がよく人を襲うよね。過日も「嵐山公園(京都)でクマを目撃」と某夕刊 で文字が踊ってた。その下が「動物帽の男 室蘭で乗船」なのが面白い。
 レッサー君が、馬乗りにまでして人を殺す様を想像してみるが良い。これも従来の 解釈なら「怨恨殺人」なのだが、それが当てはまらないとするなら、この激しい殺意 は、熊のそれと相当するとみてよいだろう。自分に脅威を与えた対象/人の破壊。
 しかし、熊のそれとは、動機は真反対。レッサー君は、すでに喪失した己がチクシ ョー部を喚起されて恐怖したか。刺し殺した相手/人が、モノ/死体に変るのを見て さぞや安定したことだろう。
 「そうだやはりモノだ」と言う認識もなしに。
 とこれを書いていたら、犯人逮捕の報。イラストそっくりの犯人の写真はこれまた 嘘クサイ。おそらくそれなりの「物語」が作られ社会/システムの中で消化せんとや っきになるだろうが、透明人間は巧にすりぬけることだろう。
 くだらないことクダクダ言っている間に、私も皆さん方も段々と透けてきましたな。


 

4月30日  小泉、宇宙へ行く (森川莫人)


今週はいろいろあったが、その中で二つほど取り上げてコメントしてみよ う。

まず一つ目。小泉総理誕生おめでとう。これで、一時期のレーガン―中曽 根体制と同じ、ブッシュ―小泉体制ができたわけだ。世の中、右へ右へと 行っておりますな。

僕はテレビを持っていないので、今回の自民党総裁選について全く映像情 報を持っていなかったが、小泉君が選ばれたというので、テレビを見てみ た。スイッチを入れたときの最初の映像が、有楽町(?)かどこかで田中 真紀子と小泉純一郎が街頭演説をぶっているところに、すごい数の人が集 まっているという図だった。中には泣いているやつもいる。これには、驚 くというよりも呆れた。腹立たしくなって、テレビをぶっ壊してやろうか と思ったが、自分のものではないのでやめた。

いったいどこまで、こいつらは政治家の「変革」なるものを信じているの だろう?そんな言葉に何度も裏切られてきたじゃないか。あんな演説、立 ち止まって聞くほどの内容だったか?内容を聞かずに単に立ち止まってい ただけだとするなら...
批判的思考もなく雰囲気に流されてその場に同化していただけなら...
逆にもし皆があの話を「そうだそうだ」とまじめに聞いていたのなら...
恐ろしすぎる。非常にペシミスティックな気分になってしまった。

いったい、今回の総裁選挙だって、橋本龍太郎が担ぎだされたのがそもそ も怪しいと思わないか?下馬評では橋本が勝つとか言われていたようだが 、どうも怪しい。小泉を勝たせるために当て馬として出てきたとしか思え ない。他人にアピールするためには敵が必要だからだ。一方の極には党派 の論理を堅持した橋本が、逆の極にはそれを破棄すると言っている小泉が いたわけだ。党派の論理を破棄したかのように見えて、実際には党派の論 理を逆手にとって使っていただけだろう。党派の本体には何のメスも入れ てはいないんだ。仮に、小泉が本当に党派との関係をなくそうと思ってい たとしても、党派ヒエラルキーの中でがちがちに育ってきた他の議員ども にどんな行動ができるって言うんだ?総理公選制って、芸能人人気投票だ ろ。次は田中真紀子か?どのような人物が総裁になろうと、自民党は変わ らない、したがって、日本も変わらないんだ。これは別に自民党に限った ことじゃないぜ。どこであれ、政党って言うのはそんなもんだ。不信感も 持たずに政党を応援することと、カルト宗教にはまるのと何が違うんだ?

さて、二つ目。米国の民間人が宇宙旅行をしているそうだ。数十年後には 、安価に宇宙旅行ができるかもね。となると...

現在のデフレ状況、右翼政治家の大衆アピールなどは、明らかに第二次世 界大戦前の状況を思い起こさせる。何らかの形で経済を立て直さねばなら ない。「IT革命」は思ったほどの影響力を持っていなかったようだ。現 代の日本が国民を動員してまで戦争を引き起こすわけはない。必要とされ ているのは、代理戦争か、仮想敵に対する戦争だ。今のところ、感情論だ けから行けば北朝鮮がまず最初に槍玉にあがるだろう。だが、北朝鮮では あまりにも相手がキチガイ過ぎる。戦争をしかけても論理的に取引できる 相手ではない以上、こちらが被る損害がどの程度になるか予測がつかない 。テロ組織はあまりにも散発的過ぎて爆発的経済回復には程遠い。何かし らの爆発的経済需要がない限り、経済の変革はない。だが、現在のところ これといった需要はない。そこで、宇宙だ。今後、宇宙を対象とした経済 活動(搾取)が始まる可能性もある。現在でも核廃棄物の一部がNASA によって宇宙に捨てられていることは周知の事実だろう。宇宙の搾取は既 に始まっている。そのうち、月を見るとマクドナルドのマークが映ってい てもおかしくない。地球主義を名乗る右翼が台頭する日も近い。


 

4月23日  マクドナルドはアウシュビッツだ! (梅田のんきち)


 というのは、ぼくが思っていたわけではなく(近いことは思っていたが)『マクド ナルド化する社会』ジョージ・リッツア 早稲田大学出版部という本に書いてあった のです。
 つまりこの本ではマクドナルドとアウシュビッツは合理化という点において同一で あり、官僚制のいきつくさきはマクドナルド化する社会であり、合理的精神により大 量の殺人を行うアウシュビッツなのです。
 社会のマクドナルド化は労働者の負担だけではなく、またそのファストフードにく る客にまで労働をしいる とんでもないレストランなのです。
 あなたが、マクドナルドに入り、ラインに並び(あれは工場のライン労働です、ド ライブスルーも同じです、すでにラインから客による労働は始まっています)注文ま では理解できるでしょう?しかしこの先、あなたはあなた自身によりテーブルまで運 んでいき、食べ終わると(ちなみに食事を楽しむというより補給するといったほうが いいと思うのはぼくだけだろうか?)また、トレイを持ってゴミを捨て後片付けまで しいるのです。もちろんそんなことは労働とも思わず当たり前だと思う人間は、もう この先を読まなくて結構です、そういう人は社会に飼いならされた人間なのだから。  マクドナルドという合理的あるいは過度の資本主義的なシステムこそ、アナキズム がもっと敵意を抱かなくてならないシステムなのです。
 ただ、おのれたちが、いかにうまく最大の利潤をあげるかを最大の目標とし、その 結果、労働者や客にまで負担をしいり、あげくはあの腐ったようなハンバーガを補給 させられるのです。(実際、食品添加物やポストハーベスト漬けで健康に悪いことこ の上なく、アウシュビッツの薄いガス室と同じなのですマクドナルドは)
 世界各地でマクドナルドは襲撃されていますが、残念ながら日本では1度も襲撃さ れたことはありません。ぼくは何もマクドナルドを襲撃せよー、とアジっているわけ でもありません(されたらおもしろいとは思いますが)。
 襲撃などしてパクられたら目も当てられないので、ここは穏便に、平日の半額セー ルで一番安いハンバーガを頼み、それを食べるか(なるべく食べないほうが体にいい ですが、それにマクドナルドのハンバーガーは大変不味い、これをおいしいと感じる のは刷り込みに他ならない、笑)トレイ・ゴミなどを片付けずに帰るというのは どうでしょうか?
 これではマクドナルド側も新しくトレイ・ゴミ片付け要員を確保せねばならず、 (かなりせこいですが)最大の利潤を少しでも減らせるようになるのではと考えるの ですが。
 しかし問題はマクドナルドだけではなく、マクドナルド化する社会なのです。
 官僚制により、合理的な労働強化により、非人間的(効率効果による人間のロボッ ト化)マクドナルド化は今やあらゆる労働に浸透してきています。
 コンピューターによる管理強化とともに、すべてがライン化された労働には私達の 未来はないでしょう。
 マクドナルド化された社会は新しいタイプのホロコーストです。


 

4月16日  「政治的正当性,あるいはこの薄ら寒いオトナの正しき振る舞い」 (NOIZ)


 またぞろ教科書問題が喧伝されている.国定教科書の決め方 もさることながら,今回は「歴史修正主義者」の教科書の修正版が官僚様 のありがた〜い御指導の末,晴れて国家認定の新しい歴史教科書として日の目 を見たことが問題なんだそうだ.断っておくが,これはぼくの意見じゃない. ぼくはどんな歴史の教科書にしたってクソミソ… としか見ていない.じゃこの 枕の言葉はなんだと言えば,それは無論,新聞という名のオトナのイデオロギー 装置が垂れ流している政治的発言を,めんどくさいから適当に切り縮めて書 いてみただけのものである.何のためと言えばそれがとても臭くて向っ腹が立 つゆえの愚痴である.
 歴史の修正の何が問題で,いや問題でないのかと言うと,問題 にしているこれら公共性を備えているかのような顔をした装置に言わせれば, 日本国と諸外国,とりわけ東アジア地域の国家群との軋轢の原因となるから問題 なんだそうだ.誰かこの眺めた方は見当違いだと言ってくれ.自分自身 うんざりなんだ.問題はそんなところにあるんじゃない.オトナがコドモに歴史 を騙る,そのことこそが問題といえば問題であり,引いては教育そのものが問題 なんだ.
 言わずもがなだけど,正しい歴史の叙述などあり得ない.歴史は誰が騙 るにしてもオトナが自己の都合でやらかすものであって,正 しいものなどありゃしない.歴史の修正だろうが史的な唯物論の展開だろうが, どれもこれもみな特殊な政治的立場による教育におけるコドモに対するオトナの 侵略の具現化であることには変わりないのであって,中立な,公平な,科学的 な,あるいは「政治的に正しい」ものなどただの一つもありはしないのである. いや言葉を変えてみれば,思想信条信仰を違える相争うオトナにとっては, それら互いに争闘する立場全部が正当で,間違っているものなど一 つもありゃしないのだから,そのオトナがコドモに騙って聞かせる歴史に間違 いなどありようもない,とも言えるのだ.ちっとも統一 されないでてんでばらばらな教育が幾つも存在しているけれども,みんな正 しくて正しくないのである.それらすべては同時に,教育=洗脳という悲喜劇の 一方の当事者であるコドモにとっては,どれもがゴミ以下の意味を持つ.コドモ とされ,教育の対象とされる一個の人間にとってみれば,教育者たるオトナの振 りかざすプロパガンダなど背景の解釈抜きにそのまま受容する必要は無論 ないからである.え,誰もそんなこと言ってない? それはよかった.

 でも,ではなぜ教育が存在しているのだろうか? オトナの言うことに正邪の 判断を行うほどの価値すらないのであれば,コドモは教育される必要はない. 振舞いの適当なあり方は自分自身でそれこそ勝手に身 につければいいのであって,この世に生まれ落ちて,しかも生き続 けたければそれは嫌でもそうするしかないのだから,わざわざオトナが手取り足 とり教える必要性などない.然るにこの教育の過剰はいったい何なのだろう?  それはオトナのためにある.
 「子供」とはよく言ったもので,教育されるコドモは常にオトナの奴隷 であり,教育はすべからくコドモのためにあるのではなくて常にオトナ のためにある.常なる政治の道具として,オトナの喧嘩の道具として鍛えられる 道具としてしか,コドモが教育において存在する余地はないかのようだ.
 ここまで書いてみると,ぼくは熱心な教育者にとっては論難の対象 となるかもしれない.いやなったってちっとも構わないのだけれど,少 なくともその議論が誰のためでもなくオトナ自身のためにあるということを認 めなければ,ぼくはだまって右から左の耳へ,左から右へ耳へとその腐臭のする 言葉を流してポイ,だ.オトナがオトナに言葉で囲い込む努力をしたければ勝手 にすればいい.ぼくもする.だけど少なくともコドモに対して自分だけが正 しいかのように振る舞うことだけは廃止して,常に自分が一つの政治 であることを表明しなければ,それはウソというものだろう.

 政治的正義,あるいは正当性 (politically correct [correctness]) というある意味便利な言葉がある.それはオトナのコドモに対する欺瞞だらけな 振舞いをさして使うのがもっとも正当な用法であるような言葉として存在 しているとぼくは思っている.


 

4月9日  立て!  (T)


 日本経済はデフレ状態に陥っており、きわめて深刻な非常事態だという。 何しろデフレなんて戦後初めてである。ほとんどの人が経験したことのない事態だし、年功序列制度・年金制度をはじめ、金融・財政など日本のシステムのほとんどがインフレを前提にして作られている。デフレが続くなら、日本のシステムはすべて破綻してしまうからだ。
 これは大変だと、政治家や官僚をはじめ、学者やマスコミまでが一緒になって「デフレ退散・景気回復」の大合唱である。無責任・先送りがモットーの政治家・官僚どもも、さすがにあわて始めている。「このままでは大変なことになる」と。
 だが、ぼくはデフレなど怖くない。土地や株の値段がいくら下がろうと、そんなものを持たない人間には何の関係もない。預金金利がゼロだって、預金を持たない人間には関係ない。年功序列制度や年金制度からハジキ出されている人間にとっては、制度の破綻は「ざまあみろ」なのだ。
 つまり日本経済の危機的状態・非常事態とは、「持てる者」にとっての危機、現制度で甘い汁を吸っている者にとっての非常事態にすぎないのである。
 「持たない者」、現制度によって利益を受けない者にとっては、デフレは危機でも何でもない。むしろ大きなチャンスなのだ。制度か安定している時は制外者は無視されるだけだが、制度が破綻すれば制内者も制外者も何ら差はなくなるのだ。

 持たざる者よ。メディアのプロパガンダにダマされるな!
立て! 今が戦後初めてやってきたチャンスなのだ。


 

4月2日  サムライ・ノンフィクション  (乱乱)


 3月31日、大阪で、「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」がオープンとなった。景気はアメリカ次第、改革もアメリカ外圧頼み、防衛外交もアメリカの下請け、昼飯も安売りマックのお世話、ンでもって経済大低迷の先行クラーイ日本、娯楽もアメリカの世話にならなきゃ始まらないわけだ。第三セクター主導の和製テーマパークが壊滅しつつあるなか、TDLに次ぐUSJのオープンで、遊びの快楽、イメージの世界も完璧アメリカナイズ。文部科学省が、最早壊れてしまった学校で、「日の丸・君が代」にかくも固執するのも訳あり。閉店大安売りののぼり旗だよ。
 そうそう、件のアメリカ原潜だって、招待客相手にUSばりのアトラクションをして いた最中の事故でしょ。本物使った遊びで殺されちゃったわけ。オネスト森首相は、 日本の実習船がアメリカ潜水艦を沈めたと言うなら、腰痛も何のその這ってでも対応 に奔走したのは必至。結果は逆。ほっと安堵しゴルフに興じつつ神に祈る程度で済ん だ。与党某議員の弁「これが危機管理の対象になるのか」もそれ。右翼や昨今ブーム の俄愛国者たちが激しく抗議でもするのかと思っていたら、まともに仕事をしたのは 、某誌情報では一水会だけというから情けなや。50年前アメリカ/白人帝国主義と戦 ったというのがウリなはずが、今では、「恩知らず」な隣人たちに犬の遠吠えをかま すだけ、まったく当てにならず。

 こうなったら「人は武士」。気骨あるサムライを頼みましょう!と周りをみわたせ ば、いました自称サムライの面々、「三匹の侍」(いかんせん古すぎ!)が。
 まず一匹目。名を松浪健四郎という。美丈夫で格闘技の猛者。さぞやの期待も、昨 年議会のコップ水巻き騒動。
 「喜怒色を表わさず」が武士の面目であるはず。たかがヤジごときでこの体たらく。克己の収養足らなさすぎ。
 二匹目。これは大物、フジモリ元ペルー大統領。背広姿で段平を抜いて見せ。私こ そ武士、断固やりますと、大統領選挙戦で大見え切った。なるほどペルー日本大使館 人質事件では、武断政治の真骨頂を見せた。しかし、それもこれも軍隊頼みの他力本 願。その頼みの軍隊に命を狙われるとスタコラサッサと、隠し玉の「日本国籍」を利 用しての「職務放棄」。弾劾裁判という不名誉を受けながら、その恥辱を雪がぬとは 何たること!
 フジモリ君には、新渡戸稲造先生御引用の17世紀名僧の言、「平生何程口巧者に言うとも死にたることのなき侍は、まさかの時に逃げ隠れするものなり」を与えよう。
 三匹目。これも大物、参院のドン村上正邦。その壮士風の風貌。拓殖大学応援団と いう硬派系。生長の家のバックアップを受けていたと言うから、今度は本物かと思い きや、KSD疑獄でいきなり逮捕だ。
 再び新渡戸稲造先生に登場願うと、「武士は非経済的である。それは貧困を誇る」とある。否それよりも、その「誠」の欠如を指摘しておく方がより適切。予算委員会の追及において「私は犯罪者じゃないと」大言する一方、「刑事訴追を受ける恐れがある」と称し、一切真実を詳らかにしようとしなかった。
「虚言遁辞はともに卑怯と看做された」 かくも「武士の一言」は重い。狡しらなる商人とは異なり、「『或ものに対して或ものという』報酬の主義を排斥した」とある。ドン村上はこれを真反対に「或ものに対して或ものを」要求したわけだ。そればかりか、議員をクビになったら、「右翼の主導者にでもなるか」とうそぶいているそうな。木から落ちてもなれる「右翼」って何?

 サムライを僭称する皆さん。せめて以下の一文だけは必ず胆に命じ、麗しき日本をせいぜい守って頂くよう切に祈念しております。

 士道不覚悟即切腹


 

3月19日  クローン  (森川莫人)


(昨日の夜遅くキョーフ新聞が配達された。その記事を紹介しよう。)

最近、クローン人間を作ることの是非について様々な議論が戦わされている。だが、ある信頼できる筋に依れば、我が大日本低国の陸軍は第二次世界大戦中にすでにこの技術を開発していたということである。その陸軍部隊の詳細については不明だが、その部隊は、1944年にすでに動物実験で数種の動物のクローンに着手していたとのことだ。その中には、ニホンザル・ブラックバス・ヒロヒトも含まれているという。

何故、陸軍はクローン技術を開発したのか?当然、その背後には、戦争において日本が敗北する見込みが高かった、ということがある。偏執狂的な軍人エリートは次のように考えた。「日本が敗北した暁には、まず、天皇が戦争責任をとらせられるだろう。そして、連合国軍は日本を占領し、当然、日本国民は良くて奴隷状態、最悪の場合、全滅させられてしまう可能性もある。いや、それだけではない。日本の婦女子が連合国軍の子供を産みまくり、日本民族の血そのものが失われてしまうかもしれないのだ!そのようなことは絶対避けねばならぬ。ならばどうするか?死滅しないだけの数の人間を作ってしまえばよい。技術的には問題ない。問題は、誰のクローンを作るか、だ。人格者であり、高貴なお方、日本民族を代表するお方の血を絶やしてはならぬ。....あぁ、大日本の未来はそのようなお方にお任せするべきだ!」

陸軍は、当時、クローンを作る際、自分たちに都合良く遺伝子操作をしていた。つまり、遺伝子に一定のプログラムを忍び込ませ、様々な条件(年齢・環境・発育状況・ホルモンバランスなど)が満たされると、そのプログラムが始動するようになっているのである。そのプログラムの詳細については紙面の都合上触れるわけにはいかないが、その骨子は、攻撃・貪欲・指導である。気に入らないものは攻撃し、気に入ったものは必要以上に奪取し、他に対してもその影響力を行使する。

ご存じの通り、クローンのニホンザルは現在、日光方面で略奪行動を繰り返し、その数も年々増えている。大日本低国陸軍がプログラムした通りだ。陸軍のように人間に対するレイプや虐殺を行うまでは至っていないものの、今後、そのような行動に出る可能性もある。ブラックバスに至っては、日本固有のワカサギを今や殲滅せんとしていることからも分かるとおり、すでに虐殺プログラムが始動し始めているのだ。

ヒロヒトの場合、計画はもっと慎重だった。クローン計画の前身、ヒロヒトゲノム計画はヒロヒトの父親の気が触れ始めた頃から開始されていた。遺伝子の解析が慎重に行われ、1944年にクローン計画が始まったのである。敗戦後に米軍はヒロヒトを戦犯として扱わなかったため、ヒロヒトのクローンは、皇居外に出ることなく、今も厳重に飼育されているようだ。その生態は全く不明である。現在、どのような行動をとっているのかも分からない。何匹いるのかもわからない。関係者の大部分も、ただ、順調に繁殖しているということしか知らされていない。

ヒロヒトのクローンが何故表沙汰にならないのか?当然である。国家機密である以上に、ヒロヒトは、法律上、ヒトではないからだ。ヒトが消費するものでもないため、消費者団体も何も言わないのだ。

だが、ヒロヒトは順調に繁殖している。


 

3月15日  ふざけるなー!  (梅田のんきち)


 法務官僚のバカどもが、一般人も選挙人名簿から選んで判事と同等に裁判に参加させると言っていやがる。それも健康上の理由を除いて義務化させるそうだ。
 ふざけるなよー、何でぼくが裁判に参加しなくてはいけないんだ!
刑事被告人になろうとも裁判なんか受ける気はさらさらないぜー。
 けー、税金まで取ってるくせに、国家などさらさら認める気などまったくないぼくが、その上裁判にまで関与しろだと、やだねー、絶対裁判所なんかには行きませんよー。それで刑務所に入れられるな入れてもらいます(笑)。
罰金なら絶対払いません。

 現在の馴れ合い体質の法関係者から民衆に法をと、いう一見民主的とも思える措置 だが、実際参加できるのは刑事事件だけで民事には関与できないのだ。たしかに企業 同士の訴訟など一般人が参加してもメリットはない。しかし国培訴訟なら全然変わっ てくる。
 たとえば自衛隊が違憲か合憲かだ?いままでは裁判にすらならず、原告側の訴えは 門前払いだった。
それが民衆も参加できるなら違憲となる可能性もある。
 もちろん法務官僚はそんなことはわかっているので刑事事件に限りというごまかし で、こんなくだらない制度を考えたのだろうが、少なくともぼくは裁判になど金輪際 行きませんから。傍聴はしがらみで時々行ってます(笑)。


 

3月11日  検定合格おめでとう!  (梅田のんきち)


 自由主義史観(しかし自由を制限しようとする団体名に『自由』という名前をつけ たがるの何故だ?、自民党とか自由党とか)の教科書が検定に合格しそうで、なには ともわれ西尾先生や西部先生(この先生を尊敬しているアナキストもいるそうです、 トホホ)らの苦労も報われるというものです。
 いままでコミンテル史観?に重きをおいた教科書からの逸脱、多いに喜ばしいこと と思います。
だいたい今までは、『国家』が悪(どう考えても悪以外の何物でもないと思うのです が、笑)だという教科書すらなく、ましてバクーニンやクロポトキンなども教えてお らず、いわんやシュティルナーのシも出てこない(あたりまえだよー)教科書など、 あのおめでたい自由主義史観の教科書となんら変わりのない物です。

 ぼくは子供のときから本が好きでした、家にあった平凡社の百科辞典も読む子供 だったのですが、教科書だけは拒否反応があり、授業中もなるべく(というより教科 書を持っていかなかった)読まずにすませていました。何よりおもしろくないし、装 丁もつまらないし、その時は自覚していませんでしたが、教科書とは人間を拘束し国 家や学校、企業などに忠誠を誓うように教え込ませる書物なのです。
 人間を国家や企業、学校などの奴隷化するための本です。
 すべての学生のみなさん、すべての教科書を廃棄しましょう。たとえ左翼的な教科書にせよ、自由主義史観の作った教科書などと大差ありません。
 本は上から与えれる物ではなく自分で選択して読むものです、すべての教科書を拒否しましょう。
 しかし歴史年表(すべてが権力者のための歴史ですが、そこから反権力を学びましょう)と地図帳(国家の解体のために)は役に立ちます(笑)。


 

2月25日  世の中狂っとる  (T)


 テレビもないし新聞も読まないので、私はおよそ世のデキゴトには無知である。それでよく時評などを書いているものだと言われるかもしれないが、このイイカゲンな世の中は、シッタカブリとハッタリでどうにかなるものです。
 そういうわけで世の中のことはよく知らないのですが、たまたま聞こえてくる最近の話を聞いてみると、やはり世の中は狂っているようですな。

 まずあきれたのが、潜水艦の衝突事故の顛末。
なんと潜水艦には、民間人の他に軍人どもが大勢乗りこんでいたという。
まったくトンデモナイ話だ。
 軍人というのは官僚の一種である。ロクな仕事をしなくても、絶対潰れる心配のない勤め先で責任を回避してさえいれば、私腹を肥やす材料には事欠かないのが官僚だ。デタラメで無責任なのが官僚なのである。民間では、品質管理・生産性向上・TQCにリストラと、厳しく自己責任が要求されるのが当たり前になっているが、官僚・軍人どもは親方日の丸(星条旗?)、自己責任などどこ吹く風である。
 そういう官僚や軍人に、潜水艦のような危険極まりない乗り物を任せれば、事故が起こるのは当たり前である。驚いたことにアメリカ軍は「軍艦や軍用機に民間人を乗せず、軍人だけで動かすようにした」という。デタラメで無責任な官僚・軍人どもに任せれば、事故は増えるに決まっている。事故を防ぎたければ、軍艦や軍用機に軍人を乗せないことだ!

 次にあきれたのは、世間がこぞって森首相をフクロ叩きにしていること。
なんでも、「史上サイテー最悪の総理大臣」だという。
 そもそも総理大臣なんてシゴトはサイテー最悪のシゴトである。どんなにリッパな人間がやっても、それはサイテー最悪である。
 サイテー最悪のシゴトをサイテー最悪の人間がやるのであるから、まさに適材適所ではないか。なまじリッパな人間が総理大臣になろうものなら、 総理大臣がリッパなシゴトであると勘違いする。
 竹村健一氏によれば「森総理をボロクソに言うのは控えるべきだ」という。 いやしくも一国の総理をボロクソにこきおろすことは、総理の権威をおとしめ、ひいては日本国家の権威を失墜させ、全世界に恥をさらすことになるのだそうだ。
 いやあ、もし竹村氏の言うとおりなら、ますます森総理を支持せずにはいられない。一端落ち目になったら徹底的にフクロ叩きにするのがこの国の流儀だからね。森氏には是非とも一日でも長く総理にとどまっていただき、総理や国家の権威を失墜させていただきたい。私は断固、森首相を支持する!


 

2月13日  不健全な図書?  (乱乱)


 大言壮語のホラアナ話しにも飽きたろう皆々様方のため、少し地味に行く。
 過ぎ去りし20世紀末掉尾を飾るかどうかは怪しいが、某出版業界紙(※1)一面。
「宝島が都を提訴!」−踊る大見出し。
 11月末、宝島社が発行するCD-ROM月刊誌「DOS/V USER」9.10月号と、「遊ぶインタ ーネット」10.11月号を、東京都が、青少年健全育成条例により、「不健全図書」( 有害図書!)に指定したのは憲法違反だとして、都を相手に指定取消を求める行政訴 訟を東京地裁に起こしたものだ。(※2)
 同社は提訴の理由を、「青少年犯罪・非行などと科学的な根拠もないままに(出版 物との因果関係を)結び付け、言論表現および出版の自由を阻害、統制しようという 流れが広がっている。自主規制(※3)を繰り返すことは出版社として自殺行為に等 しく、指定強化の流れに自主規制している出版業界に対する警鐘を鳴らす意味でも今 回提訴に踏み切った」と法治国家的にはまともな訴え。
 宝島が自主規制云々と言っているのは、出版四団体(※4)が、1963年に設立した 出版倫理協議会(出倫協)が、これら「不健全図書」なるものを自主規制してきた経 緯のことである。(※5)お上のご機嫌を損ねないようにお商売させていただきます というわけだ。(※6)
 「・・出版の自由を阻害、統制しようという流れが広がっている」というのは、よ くある狼が来た話ではなく、東京都の青少年問題協議会が、その拡大専門部会とやら で、青少年健全育成条例を改正し、従前からの「性的な感情を刺激するものと残虐性 を助長するもの」に、自殺マニュアル本など「著しく自殺、犯罪を誘発するおそれ」 がある図書を規制対象として加える。これまで業界の自主規制に委ねていた「区分陳 列」(※7)を明確に規定し、違反に対し制裁措置を課す。以上のような中間答申案 の方針を固めた。この都による改正/規制強化路線は、さらに「R18」マーク表示( ※8)と、その弁別の為の第三者機関の設置を、すでに出倫協に行政指導している事 から見ても明白であろう。
 しかし、こういった宝島社の抵抗は、孤軍奮闘を余儀なくされているそうだ。元々 再販制度の存廃に汲汲としている業界には、「余計なこと」らしいし、マスコミ関係 者の中にも、不健全図書指定は当然だという意見もあるようだ。
 今や石原関東軍により満州国化してしまった東京においては、何が起こっても不思 議はなかろうが、それでもこれまで他府県とは異なり、規制にも一定の歯止めがあっ た地域での方向転換だけに、その意味は小さくないだろう。
 とりわけ、「著しく自殺、犯罪を誘発するおそれ」を理由に規制対象を拡大してい く傾向には、充分注視すべきだ。規制する側に、個人に生命を賭けさせたり、日常で は犯罪と称される行為を大義名分の為に強要しようと企図する時に、しばしばその私 的運用を事前に制限しにかかるからだ。もし本当に自殺や犯罪を誘発する原因を取り 除きたいのなら、自殺者の急増は、中高年に対するリストラが主原因なのだから、自 殺者を多数出すような企業を取り締まったり、社会的に極めて影響の大きい公務員の 犯罪への対応が先決というものだろう。まあそんなことはどうでもいいが。
 「性的な感情」「残虐性」「自殺」「犯罪」の思想は、元来個人に存するもの。時として「貧者の核兵器」にもなりうる。すぐ影響されるアホなガキどもや 「表現の自由」たらのことはほっておけ。ショーバイも関係なし!理由はともあれ、 大事な玩具を取り上げる連中には要注意だ!玩具の独り占めは許さんぜ!
 第一図書なんて不健全にきまっておる!当り前のこと言うなよ。

※1 「新文化」00年12月7日号が元ネタ
※2 この手の訴えは初めて
※3 この国名産の「自粛」
※4 書協・雑協・取協・日書協で構成
※5 たとえば東京都で連続3回or年通算5回指定された雑誌は、その表紙に「18歳未 満の方々には販売できません」の「帯紙」を貼付しないと取り扱わない等。今回俎上 の二誌へもこの帯紙措置が勧告されていた。自主規制でも、適応されると、休廃刊に 追い込まれることも少なくないとのこと
※6 「連続3回」(スケートのジャンプか!)にならぬよう、お上/都に日参して、 恭順の意を示したり、指定後、内容をソフトにしてかわしたりするそうだ。
※7 アダルト系と一般誌を分けろということ
※8 映倫マークの雑誌版


 

1月25日  成人式はヌードで?  (森川莫人)


成人式のことが話題になっていたようだけれど、ここで取り上げるほどのことでもないと思っていたが、お役所も税金を使って全国調査をするようなので、一言コメントをしておこう。

今年の成人式も「荒れた」と報道されている。クラッカーを持ち出して、偉いさんにぶっ放した奴らもいたようだ。相変わらず、評論家の皆様はいろいろな言い方で、分かりやすくまとめてくださっている。曰く「若者の反逆」。曰く「非常識」。曰く「大人が押しつけた成人式」。

確かに、成人式の会場に行き、その儀式にも参加しておきながら、儀式のルールを無視する、というのは間抜けだ。「成人式の会場に行く」というのは、大まかに言って、二つの理由が考えられる。(1)「成人式に参加する」か、(2)「昔の友達と会う」だ。(1)の理由ならばそのまま儀式に出ればいいだろう。(2)の理由ならば儀式に出ずに飲みに行くなり、カラオケに行くなり好きにすればいい。別に儀式に出る必要などない。問題となっている奴らは(1)をとったわけだ。そして儀式に参加した、つまり、着席したのだ。この時点で、奴らは契約関係に置かれてしまった。もし、単に、友達と騒ぎたいだけなら、儀式そのものに出席しなければいいだけの話だ。今回の成人式が荒れた話など、釈迦の手の中で孫悟空が暴れている程度のものでしかなく、反抗でも、反逆でも、自己主張ですらない。他人からの注目を得たいだけの話だ。こういった輩がセクト・裏切り・村八分と同じ行動論理で動いていることは見ればすぐ分かる。向こう側の奴らと同じこと。うがった見方をすれば、奴らは向こう側の傀儡だと考えることもできよう。役所に税金を使う言い訳を与えているのだから。

だが、だからといって、成人式を肯定するわけには行かない。大体、現在の成人式なんて、敗戦後に、埼玉にあるどこかの青年団が落ち込んでいる志気を高めようと自主的に行ったもので、皆がやいのやいの言うほどのものでもなかったはずだ。何故、国家がそれを取り込んで儀式にしてしまったかなんて、今更説明する必要もあるまい。

最初からそんな儀式に出る必要などないし、儀式に出席するのなら向こう側に都合の良い口実を与えないようにするのが肝要だろう。

儀式。僕らはそんなもの否定する。国家が決めた儀式など尚更だ。僕が決めたんじゃないからな。親を喜ばせる?みんなに祝福してほしい?馬鹿言うな!そんなやり口にまんまと引っかかってどうする。いつになったら一人歩きできるようになるんだ?振り袖を着てみたいか?だったら毎日着ろよ。みんなが着ていないから恥ずかしいんだろ。お前の自己主張なんてそんなもんだ。

「服を着ている新しい人間はいらないが、新しい服がなければやっていけない、といった事業には、すべて用心した方がいい」(ヘンリー=デビッド=ソロー、飯田実 訳)

いっそのことヌードで成人式はどうだ?


 

1月14日  あなたなら信じますか?  (T)


 とうとう21世紀になりました。
 私のような、愚劣で無意味な者が21世紀まで生き残ろうとはよもや思っておりませんでしたが、無意味で愚劣な人間ほどシブトイのが世の常のようでございます。
 さて今、20世紀の100年間を振り返ってみますと、それはまさに近代国家が隆盛を極めた100年間でございました。
 国家が大キライ、コッカ・スパニエルは飼わない、ジョー・コッカーは聞かない、コッカ・コーラは飲まないというアナキストにとっては、まさに悪夢の世紀・絶望の100年間でありました。
 19世紀には、私はそれほどモテナイ思想ではなかったのでありますが、当時モテモテ男だった資本主義は国家と結ぱれて、ものすごく出世したのであります。一方、もう一人のプレイボーイ・共産主義も、資本主義に負けてはならじと、これまた国家と結んで飛躍的に成長したのであります。
 かくして右も左も、東洋も西洋も、世は全て国家国家、地球上の土地はことごとく国家が支配するに至りました。没落した国家もありましたが、それも結局、他の国家にとって代わられただけでした。帝国主義国家に反対する反植民地闘争も、けっきょく新たな民族国家を誕生させただけであり、国家の支配から免れた地域は、南極を除いて地球上に皆無となったのです。
 「国家・民族のためなら死すとも可也」というクレージーなマゾヒズムはさすがに長続きしませんでしたが、国家システムはとどまるところを知らずに発展・巨大化していきました。
 捨てられた私の方は、いつしか人々から忘れさられていきました。

 しかし20世紀も末になって、さしもの隆盛を極めた国家にも、翳りが見え始めます。
 巨大国家群の一方の雄・社会主義国家は、あっけなく破綻・崩壊してしまいました。  一方、資本主義と結んだ国家の方も、「これで安泰」と安心しているわけにはいきません。目の上のタンコブであった社会主義国家が消滅した今となっては、資本主義には長年の腐れ縁・国家がだんだん邪魔になってきたのです。

 「もともと国家など好きではなかった、共産主義に対抗するために、やむをえず一緒になったにすぎない、本当に好きだったのはアナキズム、おまえなんだ、21世紀は、ぜひともおまえと組んで一花咲かせたいんだ」と、資本主義が言うんです。
 「今さら何よ」とも思うのですが、私はどうしたらいいのでしょう。

 教えてください。
あなたなら、こういう男を信じますか?


 

1月3日  使用上の注意!2001年  (乱乱)


 さて、AINを開設して以来、3年目を迎えることになったわけです。これも一重に、 皆々様のご愛顧のお陰と、日本共同体式の心にもないお礼を申し上げ、侮蔑やののし りの言葉は胸の奥にしまい自己の保身をはかりつつ、まずはご挨拶に代えたいと思う わけであります。
 私共は(と他の者の意向も聞かずに私が勝手に申し上げます)、最初にこのHPを 立ち上げた際に、よもやこんな所を見るものもおるまいと多寡を括っておりました。 ところが豈はからん、なんて世には物好きが多いこと!アナキズムなどという骨董趣 味にかくも興味関心をお示しになるとは、「なんでも鑑定団」の影響かいなといぶか ったわけであります。もとより私共はアナーキーなどと自称しておりますが、はっき り言いましてエセであります。じゃあなんでこんなサイト作ったんやと文句言われそ うですが、退屈で退屈で致し方なく、死ぬまでの単なる暇つぶしです。それ以上でも 以下でもございません。ですから真性のアナキズムやアナキストをお望みの方は、こ の際ですからそちらの方へ行かれた方が、人生にとって有意義かと思います。これは 本気でございます。
 と申しますのも、当AINを服用否ご覧になられた方から、「何もやる気がしなくな った」「仕事がイヤになった」「やたら物を壊したくなった」「死にたい」「誰も信 じられなくなった」「自分で自分がわからなくなった」「銃を乱射したい」「天皇を 殺りたい」「幻覚幻聴が起こる」等、副作用とおぼしき訴えをよせてこられる方が多 数おられ、非常に困惑しておる次第です。
 私共は、あくまでも上述しましたように動機は道楽。他人様の窮状なんぞ知ったこ っちゃございません。責任はご自身でおとり頂きたい。
 そして、国家を破壊したいとか、アナキズム革命、要人暗殺、銀行襲撃、原子炉破 壊等イベント関係は、詳細は存じませんが、当方のようなエセブランドでなく、真性 アナブランド系にお尋ね下さい。
 以上、年頭に際し、使用上の注意を述べさせて頂きました。今後とも、ご愛顧した いと希望される方のみご愛顧して頂きますよう伏して願います。  以上


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